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にほんブログ村 今回は色鮮やかな化粧地蔵をご紹介します。所在地名は、岡山県玉野市下山坂の長谷川沿いです。 川沿いによく整備された祠があります。その中には2体の化粧地蔵様がおられます。とても綺麗に化粧されたお地蔵様です。5月の撮影ですが、祠の中にあるために綺麗なのでしょうか。とても愛らしいお顔です。こちらもしっかりとお化粧されています。濃い眉毛が印象的なお顔です。綺麗なお化粧で、地域で愛されている化粧地蔵様なのだと感じました。ところで、この祠には気になる点があります。次回はその点についてお話しします。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その29」【次の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その31)」【 未来雑穀 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.07.26
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にほんブログ村 以前にご紹介した豊田市霊岩寺の地蔵菩薩像。その作家は誰か、いまだに結論が出ていません。造形や製作法から高見彰七作品である可能性は高そうです。しかし高さ3m程度の大きな高見彰七作品では、左官や造形業者が協力している例がみられます。みよし市の大狐や愛知池の観音像などがその例です。霊岩寺の地蔵菩薩像にも高見彰七氏以外の手が加わっている可能性が高く、それが作家の判別を難しくしています。【記事1】 「霊岩寺 謎のコンクリート像 1」【記事2】 「霊岩寺 謎のコンクリート像 2」さて、霊岩寺の山門の左には平芝公園への道があり、そこには石仏や祠がいくつもあります。その中の祠のひとつ、次の写真の右端は鯖弘法(鯖大師)です。風化して、鯖弘法とわかり難くなっています。サバも今にも消えそうです。サバを失くしそうな鯖弘法様。そのお姿が伝えるもの。それは大切なものがいつまでも、手元にあるとは限らないということでしょうか。【 ティラミス詰め合わせ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.07.22
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にほんブログ村 岡山県 児島半島の化粧地蔵探索。玉野市上山坂県道217号線沿いの化粧地蔵の続きです。お色直しがされると思われる地蔵盆は8月23,24日頃。地域によっては、7月24日付近。ですから、撮影した5月は、色落ちも激しい頃だったのでしょう。ストリートビューで化粧地蔵の場所をご紹介します。岡山県玉野市上山坂広い県道沿いにあるのがおわかりでしょう。こういう場所ですと、道路の拡張工事もあったと予想されます。都市部ですと道路工事の効率が優先され、地蔵や石仏は撤去されがちです。しかしこの地域では地蔵も保存されています。地蔵や石仏が多く残るということは、その地域の人々の心の温かさを示す尺度だと私は思います。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その28)」【次の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その30)」【 スイカバウム 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.07.20
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にほんブログ村 久々の岡山県 児島半島の化粧地蔵探索。玉野市上山坂県道217号線沿いの化粧地蔵を紹介します。こちらの化粧地蔵は、広い県道沿いにあります。そのため自動車でもアプローチは容易です。ただし化粧地蔵自体は奥まった場所にあり、見落としやすい化粧地蔵でもあります。屋外にあり、色落ちしています。目ばかりが目立ちます。中央のお地蔵は、泣いている様に見えます。色褪せて、お顔もよくわかりません。お地蔵様、泣かないでください。きっと地蔵盆にはお色直しがされますから。次回はストリートビューで化粧地蔵の場所をご紹介します。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その27)」【次の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その29)」【 夏の涼菓 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.07.18
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にほんブログ村 先に掲載した高見彰七作の座像について訂正します。豊田市墓地の座像ですが、当初、私は大日如来としていました。しかし検討の結果、釈迦如来像に訂正致します。●【訂正記事】 「墓地の高見彰七作品(リスト集3 No.5 掲載予定)」皆さんのコメントの整合性を考慮して、修正の履歴を残しました。大日如来と釈迦如来、どちらも法界定印を結びます。しかし質素な衣装の如来像のなかで、大日如来像のみはしばしば装飾具を身に付けます。今回の墓地の座像も質素な衣装で釈迦如来像とみなしました。また長野県専照寺の高見彰七作品も釈迦如来像です。この専照寺と今回の墓地の座像はよく似ています。この点からも、今回の墓地の座像も釈迦如来像として良いでしょう。●【リスト集3 No.3】 「専照寺の釈迦如来座像」●【MR2さん】 「MR2さんのフォト蔵」「墓地の座像」「専照寺の釈迦如来座像」 (写真撮影: MR2さん)「墓地の座像」「専照寺の釈迦如来座像」 (写真撮影: MR2さん)すみませんが、過去記事を訂正致します。【 ハイジのおやつ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.07.15
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にほんブログ村 先日の本徳八柱神社の神馬の現地確認。38℃近い炎天下、周辺の地域の探索もしていました。バス停から八柱神社まで、アップダウンのある往復約3kmの道のり。さらにバス・電車で移動して、やはり高低差のある地域を探索。午前7時半に家を出て、電車・バス・徒歩移動。ほとんど休憩もなく、気が付けば午後1時過ぎ。6時間近く、屋外を移動していました。こんな神社も探索しました。こんな道(?)も歩きました。さすがに猛烈な熱気に負けて、駅付近の飲食店に入りました。移動中、ペットボトル2本、約1リットルの水分は摂っていました。お店では、お冷やがピッチャーで出されました。とてもありがたく、お冷やを何杯もがぶ飲みです。すると店員さんが集まって、何やら相談してます。やがて店員さんがやってきて、私に話しかけてきました。店員さん:「大丈夫ですか。 熱中症ではないですか?」私:「いえ、大丈夫ですよ。」店員さん:「顔が真っ赤ですし、手も震えて……。」私:「手は病気なので、大丈夫です。」店員さん:「そうですか……。」顔は日焼け止めを塗り、帽子もかぶっていましたが、さすがに日焼けは避けられませんでした。その後も店員さんの視線を、痛く感じていました。周囲に心配をかける様では駄目ですね。今年の体温を超える猛暑は侮れません。私もですが、皆さんも、無理のある外出は控え下さい。神馬: 「いいなぁ、そっちは日陰で。 ボクなんか、1年中、炎天下なのに。」【 シャーペット 10種 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.07.13
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にほんブログ村 今回は、久々の神馬新発見のご報告です。猛暑の中、現地確認を完了しました。発見者は「FDG公式さん」です。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」川沿いの道を歩くと、神馬のお尻から見えてきます。高見彰七作品らしい神馬です。塗装もされています。作家銘、製作年は確認できませんでしたが、高見彰七作品として間違いはないでしょう。久しぶりにリスト集1への登録になります。神馬の新発見は諦めていました。FDG公式さん、ありがとうございます。(リスト集1「神馬」 No.7) ・所在地: 愛知県豊田市本徳町 本徳八柱神社 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘, 奉納者銘あり ・寸法: 神馬のみの高さ 220cm, 最上段台座寸法 幅180cm,奥行き55cm ・発見者: @FDG_official01 さん八柱神社の本殿はこじんまりとしていますが、綺麗です。鳥居の前の神馬は存在感があります。良いお顔です。若干、眼が小さいでしょうか。今更ですが、神馬の尾は紐で縛られている様ですね。ようやく気付きました。今回も公共交通機関、鉄道・バスで神社に行きました。豊田市とは言え、山間部への移動は大変です。最も神社に近いバス停でも、神社から片道1.4km。しかも起伏の大きな道のりです。また、私は周辺の探索まで実施してしまいました。38℃の猛暑日、炎天下、起伏の大きな道のりを数時間も歩けばどうなるか、予想はつきますね。次回はその関係の雑談と、一部掲載記事の訂正をします。【 北国のいちご大福 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.07.11
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にほんブログ村 先日、日泰寺境内の馬頭観音様を記事にしましたが、どうも他の馬頭観音達が騒がしくて困っています。どうやら「俺たちも紹介しろ」ということらしいですね。高見彰七氏の記事も遅れているのに困りました。とりあえず、馬頭観音達の声を聴いてみましょう。馬頭観音A: 「だいたい、境内にいる馬頭観音を掲載して、 それで終わりはけしからん。 わしは墓地におるが、同じ日泰寺の馬頭観音じゃぞ。」 まぁ、そんなにむくれないでください。馬頭観音B: 「わしは日泰寺境内におるが、建物の陰。 周囲の整備もないがしろじゃ。」 たしかに、ちょっとお気の毒です。おや、こちらの御方は無口ですね。向かって右のお顔など、ちょっとおどけておられますね。馬頭観音C: 「我、関せず。 これもまた修行じゃ。」 さすがです、馬頭観音様!【 幻のチーズケーキ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.07.09
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にほんブログ村 豊田市路傍に並んでいた約250体の高見彰七作品。これはいつまで並んでいたのでしょうか?これについて、ご親族のお話をうかがうことができました。撤去されたのは。1990年(平成2年)頃。観音像は僧侶に魂抜きをして頂き、撤去されたそうです。では、なぜ撤去されたのでしょうか?それは行政からの指導だったとのことです。コンクリート像が傷み、倒壊の怖れありとの指導でした。その頃には塗装が剥離していたのでしょうか?あるいは初めから未塗装の観音像もあったかもしれません。コンクリート像は定期的な再塗装が必要です。これらの情報も加えて、年表も見直しました。年表から、色々な推察ができます。ゆっくりと年表を眺めて,考えたいと思います。【 訳ありミニクーヘン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.07.07
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にほんブログ村 高見彰七氏に迫り、緊張感が強くて疲れます。そこで一息。今回は馬頭観音様のご紹介です。名古屋市 日泰寺の馬頭観音様は、こう見えておしゃべりがお好き。今日も隣の石仏様と、何やらお話ししています。ちょっと聞いてみましょう。石仏: 「最近、高見彰七さんのことを調べまわっている、 kopanda何某というあやしい者のことをご存知ですか?」馬頭観音:「kopanda06なら知っているぞ。 やつは変わり者じゃが、悪いやつではないぞ。」石仏: 「本当ですか?」そうおっしゃっておられますが、いかがですか、kopanda06さん?kopanda06: 「ぼく、kopanda06 。悪い変わり者じゃないよ。」こう申しております、馬頭観音様。【 冷やし大福 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.07.05
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にほんブログ村 前の記事でお伝えしたとおり、高見彰七作品、新発見のおしらせです。8体発見しておりますが、都合により5体ご紹介します。路傍に突然、草に埋もれたコンクリート作品があります。宝船でしょうか?その右隣には、4体の仏像があります。まずは、馴染のあるデザインの高見観音。無塗装です。その右隣は、今までにないデザインの作品。しかも、多色の彩色です。その隣はやや小振りな作品ですが、多色の彩色です。こちらも今までにないデザイン。その隣も多色彩色。手には多くのお賽銭が置かれています。信仰する方がおられるということでしょう。5体まとめて、リンク集2「観世音菩薩像」にNo.28として登録します。リンク集2 (No.28) ・所在地: 豊田市 路傍 ・製作年月: 不明 ・作家銘: なし ・特徴: 5体(宝船,彩色仏像含む)高見彰七氏の核心に近づき、情報の公開が難しくなってきました。お伝えできるのは限定的となるかもしれません。歯切れの悪さを御了承ください。【 十勝豚丼 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.07.03
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にほんブログ村 高見彰七作品、新発見です。今回は仏像ですので、リンク集3「その他」になります。墓地に白く塗装されたコンクリート像があります。台座から上の座像の部分だけでも高さ2メートルあります。法界定印を結んでおられるので、装束から釈迦如来座像でしょうか。台座には、「昭和三十一年三月ノ建 高見彰七作」「南無阿弥陀仏」とあります。座像の横には、台座だけがあります。何を乗せる予定だったのでしょうか。リンク集3 (No.5) ・所在地: 豊田市 墓地 ・製作年月: 昭和31年3月 ・作家銘: 高見彰七作 ・特徴: 白色塗装 ・寸法: 座像(台座上)高さ 200cm,台座高さ 150cm 座像膝部幅 110cm,胸部厚さ 50cm 座部厚さ 110cmこの墓地には高見家の墓が多数あります。そのためプライバシーの観点から、所在地は略しています。高見彰七氏の謎の解明も目前となった気がします。次回は、総数8体の新発見、高見彰七作品をご紹介します。ご期待ください。(注記)当初「大日如来」としていましたが、装束から「釈迦如来」と みなしを変更しました (変更日 2024年7月8日)【 神戸味噌だれ餃子 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.07.01
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にほんブログ村 高見観音の話が続き、みなさんも飽きてきたかもしれません。そこで息抜き、久しぶりに鯖弘法(鯖大師)をご紹介しましょう。この鯖弘法は、名古屋市 日泰寺 舎利殿・霊堂の手前におられます。舎利殿などは日泰寺の本堂がある境内の北東にあります。大きな交差点を介して境内から距離も離れています。真面目そうなお姿です。横から見ると、やや前のめり?背中の石板が重いのでしょうか。重荷を背負っても表情はにこやか。しかも手のサバも離さない。さすが弘法大師様です。鯖弘法、化粧地蔵なども、まだ幾つもご紹介できていません。花の話も書きたいので(笑)、高見彰七以外の話題も時折、ご紹介したいと思います。今後もよろしくお願いします。【 薄焼きお魚せんべい 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.29
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にほんブログ村 高見彰七のコンクリート像 リンク集2「観世音菩薩像」更新しました。新情報のご提供、ありがとうございました。まだ新情報はありますので、準備でき次第ご紹介します。●【リンク集1「神馬」編】 「高見彰七 神馬編」●【リンク集2「観世音菩薩」編】 ★ 更新 ★ 「高見彰七 観世音菩薩編」●【リンク集3「その他」編】 「高見彰七 その他」●【妙楽寺の仏像群】 「妙楽寺」●【年表】 「高見彰七 製作年 (年号記述があるもののみ)」【 どら焼きセット 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.27
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にほんブログ村 高見彰七氏の観音像の製作風景をご覧ください。型ずれや割れの形状から、ある大きさ(70~80cm)以上の像には、型枠を使って作成し、前後を接合した像があると私は推定しています。写真の観音像も前半分しかないように見えないでしょうか。製作に3ヶ月かかったものもあるとされ、少なくとも仕上げは細かな手作業があったとわかります。高見彰七氏と浅野祥雲氏の活動時期やエリアは重なります。高見彰七氏は1890年生まれ、浅野祥雲氏は1891年生まれ。高見彰七氏が1歳年上でした。大きな違いは、浅野祥雲氏が造形を職業としたのに対して、高見彰七氏はあくまで農業を本職としていた点です。活動エリアも時期も重複する浅野祥雲氏を、高見彰七氏が意識しなかったわけはないでしょう。高見彰七氏は、インタビューに答えています。「素材はコンクリートでも問題ではありません。まごころです。」【 ドゥーブルフロマージュ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.24
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にほんブログ村 今回は高見彰七氏の姿をご覧頂きましょう。高見彰七氏の姿は、全国紙の雑誌にも掲載されています。次の写真は、昭和36年、高見彰七氏が71歳の時のお姿です。とても快活そうなお姿なのは、高見氏が普段から体を動かしていたからでしょう。高見氏の本業は農業で、観音像作りはあくまで趣味でした。若い頃から信心深かった高見氏は、夢枕に観音像の御姿を見たという。それから約40年後の昭和22年、仏像そっくりの木に出会いました。その木を素材に仏像を彫ると、なかなか上出来だったそうです。ただし木材は入手が困難です。そこで25年頃から、コンクリート(モルタル)を素材に代え、次々と観音像などを作りだしました。願ったのは「夢の観音像の再現」でした。つまり、少なくとも250体以上の作品を、たった11年で作ったわけです。本業とは別の取り組みにも関わらず。高見彰七氏は、インタビューにこう答えています。「死ぬまで元気に作り続けます。」写真の高見彰七氏は、自作の馬にまたがっています。その姿からは、作品に対する強い愛着が感じられます。しかし、この写真の馬にも、私はまだ出会えていません。【 冷やし大福 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.22
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にほんブログ村 多数の高見彰七が発見されました。現在、公開登録総数は98体(内、妙楽寺56体)になりました。なぜ、私が高見彰七を追うのか。それを理解頂くためにも、皆さんにも「高見彰七の真実」の一部をお伝えしたいと思います。妙楽寺の高見彰七作品群は、かつては他の寺院にありました。そしてその寺院が引き取る前は、道路沿いに並んでいました。その道路沿いの作品群が、どれほどのものであったのか。次の1961年(昭和36年)の豊田市宮口の写真をご覧ください。道路沿いに並ぶのは、高見彰七の作品群です。幅50メートル、5段の土手に並ぶ作品群は、総数250体。あまりの数に驚かれたのではないでしょうか。土手の最上段にあるのは、高見彰七の住宅です。当時、この場所は名所になり、観光バスも来ていたそうです。その後、何があり250もの作品が撤去されたのか。その一部でも保存するため、高見彰七はどれほど東奔西走したのか。神社、寺院のみでなく、公園、池の縁、路傍、交差点、駐車場。あらゆる場所でみつかる高見彰七作品。吉浜人形本店では、高見彰七から観音像の設置を懇願されたという記録。新発見があるたびに、高見彰七を襲った悲劇と苦労が偲ばれます。名所になり、有名人でもあった高見彰七が、なぜこれほど地元の人の記憶からさえ消えてしまったのでしょうか。人は何も残すことはできないのでしょうか。その答えが知りたくて、私は高見彰七を追っています。そのわずかな痕跡を追い、出会えた高見彰七作品は、まだ100体にもなりません。【 焦がしキャラメル・バウムクーヘン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.20
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にほんブログ村 新発見の高見観音をご紹介します。実は本件は発見者「おいもさん」から、かなり前にご連絡を頂きました。【おいもさん】 「おいもさんのX(旧Twitter)」ところが私がこの場所を個人私有地と勘違い。紹介を断念していましたが、実は日泰寺の一部でした。(No.27) ・所在地: 名古屋市 日泰寺 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 未確認 ・特徴: 半流れ形,白色塗装 ・発見者: おいもさん( @oimokotaro )塗装された等身大の高見観音です。何度も来た日泰寺ですが、周囲には広大な霊園なども広がります。そのため、未踏の地も少なくありません。日泰寺の外周には「四国八十八ヶ所めぐり」の石仏群もあります。この高見観音は、そのエリア、日泰寺の東側にあります。このエリアはフェンスで囲まれ、入り口は閉じられています。つまり立ち入り禁止です。そのため、高見観音の撮影はフェンス越しになります。私が紹介をためらったのもそのためです。台座は新調されていて、塗装もまだ綺麗です。信仰者がおられる安心感はありますが、立ち入り禁止扱いには維持管理の不安も感じます。おいもさん、確認、公開などが遅れてすみませんでした。また貴重な情報、ありがとうございました。【 塩レモンピール生チョコ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.17
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にほんブログ村 京町公園、推定・高見観音の続きです。観音像のモルタルの材質までのコメントも頂き、みなさんの高見彰七作品への精通ぶりには驚くばかりです。私は独特のお顔を見て、「あれだ」と思いました。あれとは何か?それは法隆寺夢殿の秘仏、救世観音(くぜかんのん)像です。かつて救世観音は絶対秘仏でしたが、今は期間限定で公開されています。私も秘仏公開で救世観音を拝見しました。それでは救世観音とお顔を比較しましょう。右が救世観音です。(救世観音画像出典: 辻本米三郎氏影撮,https://takashikun.blogspot.com/2012/06/blog-post_1435.html)日本人離れした分厚い唇と微笑みが特徴の救世観音。いかがです? 似ていませんか?そういえば、厚みの薄い高見観音のフォルムや衣装は、飛鳥仏に似ている様にも思います。救世観音は本来、仏教にはおられません。ですので、仏教的な比較ではありません。ただ似ているというだけです。一方で、救世観音は聖徳太子の顔を模したとも言われます。故に、聖徳太子は渡来人という説もあります。仮に高見彰七が聖徳太子をイメージして救世観音を作ったとしたら、どんな想いがあったのか、思いを馳せては如何でしょうか?【 水あんみつ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.15
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にほんブログ村 高見観音の新発見の御報せを頂き、現地確認致しました。今回も発見者は「FDG公式さん」です。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」ただし今回の新発見も難題です。私は高見彰七作品と思いますが、あまりに造形が独特なので確率80%として登録させて頂きました。(与次作品の発見により、弱気の認定となっています)(No.26) ・所在地: 愛知県豊田市京町 京町区民会館(京町公園北) ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 (確率80%) ・特徴: 直立形,高さ台座上から200cm 胸部幅55cm,胸部厚さ30cm先回、霊岩寺の謎のコンクリート像をご紹介しましたが、あの巨大な地蔵像には、この京町の観音像の現地調査に行き、近隣の調査で出会いました。観音像の寸法を計測していますが、ちょうど区民会館の始業時間で、さらに観音像側の窓が開けられ、窓際で計測している私の不審な行動が会館の皆さんには気になったことでしょう。ご迷惑をおかけしました。では、今回の観音像をご覧頂ください。独特のお顔で、従来の高見観音とは異なります。FDG公式さんによると、この観音像は移設とのことでした。もともとは付近の道の分岐点にあり、区画整備で移設されたとのこと。いかがでしょうか。眼には象嵌が埋め込まれています。推定・高見観音では、初の象嵌を使った眼となります。これは型を使うだけではできないでしょう。背面に粒径が大きな石が入っています。背面に粗いモルタルを使う、高見彰七作品の特徴があります。FDG公式さんからの写真を拝見した時、「この観音像はあれだ」と私は思いました。何を思ったのか、次回、お話ししますので、皆さんも御推察ください。【 バウムクーヘン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.13
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にほんブログ村 驚きの新事実が発覚しました。岡崎市 享禄山 見徳寺の観音像を覚えておられるでしょうか。リスト第2集No.23に、確率50%の高見彰七作品として登録した観音像です。「No.23 見徳寺」別の観音像の関係から、「FDG公式さん」の過去の公開情報を閲覧させて頂いていました。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」その中に、見徳寺の観音像によく似た観音像があるのに気づきました。「豊田市 八王山 春光院」FDG公式さんも、初めは高見彰七作品と思われたようです。しかし次の渡刈町の観音像に遭遇され、作家は「与次」であり、高見彰七作品ではないと考えられたそうです。「豊田市渡刈町 路傍」 (背面に「与次作」とある)春光院、渡刈町の観音像の画像はFDG公式さんからお借りしました。見徳寺、春光院、渡刈町の観音像は、全て「与次」作と思われます。胸に抱いた蓮の花、前に垂れた2本の紐なども共通しています。●「与次」とは誰か?与次のコンクリート像の造形が、高見彰七作品と良く似ています。これだけ類似しているのですから、高見彰七と無関係とは思えません。「与次」は「よつぎ」、つまり「世継ぎ」とも読めます。そのことから、高見彰七の弟子、または御親族かもしれません。自身を銘板に「高見彰七老人」と刻むほど洒落っ気がある高見氏ですから、後継者を「与次」としても不思議ではないでしょう。●「与次」は「雲岳」の様な存在か?あるいは浅野祥雲作品の例が思い出されます。浅野祥雲作品と酷似したコンクリート像には「雲岳」銘の像があります。雲岳は浅野祥雲と同一人物とも、別の人物とも言われ、まだ確定はしていません。与次と高見彰七が同一人物である可能性も否定できません。●なぜ見徳寺の銘板は剥がされたのか?見徳寺の観音像の銘板は剥がされています。「与次」と作家銘があったのであれば、剥がす理由は何でしょうか?これもまた不思議です。「与次」銘の登場で、高見彰七の謎がさらに深まりました。そしてさらに探究が面白くなってきました。見徳寺の観音像の判断は悩みましたが、「高見観音である確率50%」でまさに正解でした。「与次」銘の作品は、実際「高見彰七作品確率50%」の存在です。見徳寺や、FDG公式さんの画像データとの出会いや入手順序、その出会いに運命的なものを感じています。春光院をNo.24、渡刈町をNo.25に「作家銘:与次」として登録します。【 栗きんとん 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.11
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にほんブログ村 豊田市の霊岩寺、謎の巨大なコンクリート像、続きです。霊岩寺の山門は、檀家以外には閉ざされています。過去に不審者の侵入などがあったかもしれません。コンクリート像は高台にあり、階段もありません。足場の巨石は傾き、落ち葉で滑ります。地蔵の高さが3メートル超ですから、かなりの高さにあります。落下しないように注意して、コンクリート像を見ましょう。前後合わせ目を、ノロで埋めた様な痕が見えます。これは高見彰七作品の特徴です。足元付近、前後中心線にヒビ割れが少しあります。背側のモルタルも粗くはありません。型を使ってはできないような鋭い線刻もあります。錫杖さえも平面的に作り、体にくっ付けてしまう。故に錫杖が短い。これも高見彰七作品の特徴です。近くで見ると、高見彰七作品の特徴も見えます。お地蔵様、貴方を作ったのは誰ですか?【 甘夏もち 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.09
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にほんブログ村 高見彰七作品を探していて、巨大なコンクリート像に出会いました。場所は愛知県豊田市の霊岩寺です。まずはご覧ください。大きな地蔵菩薩が、高台に立っています。見覚えがあるようなコンクリート像です。高さは足場が不安定で計測できませんでしたが、3メートル超はあるでしょう。手前にある花入れの造形は、浅野祥雲の作品に似ています。これだけ大きな像ですから、何か情報がありそうです。私は情報を持っていませんので、なにかご存知であればお知らせください。コンクリート像右側にある石碑の裏に何か書かれていたかもしれません。私は確認を忘れました。霊岩寺の境内には、檀家以外立ち入り禁止です。このコンクリート像は山門に向かって右に行き、かなり離れた場所にあり、境内には入りません。次回、このコンクリート像の現地確認情報をもう少しお伝えします。【 贅沢パフェアイス 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.07
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にほんブログ村 享禄山 見徳寺のコンクリート像(モルタル像)、第3回です。●高見彰七作品とする理由 2 (紐)見徳寺の観音像の脚部をご覧ください。着物前に2本の紐が垂れています。そして向かって左の紐がやや短くなっています。では、浄嚴寺の高見観音を見ましょう。同じく、左が短い2本の紐が垂れています。これも多くの直立形の高見観音に共通した特徴です。●高見彰七作品とする理由 3 (足元)上記の浄嚴寺の高見観音をもう一度ご覧ください。多くの石像と同じく、高見観音でも脚が省略されています。そして向かって左の足元に、謎の「く」の字の表現があります。直立形,流れ形を問わず高見観音に現れる「く」。初め、これが何かわかりませんでした。ここで、古瀬間御嶽神社の高見観音をご覧ください。これを見る限り、「く」は着物の裾の表現です。たしかに石仏などでも、似た裾の表現はあります。そして「く」は、今回の見徳寺の観音像にもあります。前回の「ハス」、「指」、「腕」、今回の「2本の紐」と「く」。それらも含めて、私は見徳寺の観音像も確率50%で高見彰七作品としてリスト登録しました。【前の記事】 「享禄山 見徳寺の観音様 その1」【前の記事】 「享禄山 見徳寺の観音様 その2」ここで突然ですが、次回は謎のコンクリート像の情報提供を呼びかけます。高さ3メートル強の巨大コンクリート像と遭遇しました。高見彰七作品の特徴もありますが、浅野祥雲作品の特徴もあります。次回、その新発見(?)を公開します。【 ひんやり涼菓セット 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.05
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にほんブログ村 享禄山 見徳寺のコンクリート像(モルタル像)、続きです。●まず初めに、この観音像は移設と推定されます。 観音像の背面をご覧ください。脚の部分に四角い凹みがあります。これはおそらく銘板を意図的に剥がした痕でしょう。寄進者や建立者の書かれた銘板を剥がすというは、観音像が当初はこの寺に寄進されたものではないからでしょう。銘板といえば、吉浜善光寺本坊 柳池院の観音像を思い出します。高見観音と推定しているリストNo.6の観音像です。●高見彰七作品とする理由 1 (蓮の花)今回の観音像の胸元を見てみます。胸元に抱えたハスの花が目立ちます。観音像といえば持物はハスの花ではありますが、このハスの持ち方は高見観音特有です。多くの観音像は下記の様に、花瓶に入ったハスを持ちます。さらに手の指は簡略化され、平面的な表現です。また多くの場合、左手が前です。腕も身体と一体化し、立体的な腕ではありません。立体的な腕は破損しやすいためでしょう。このハス、指、腕の表現は、直立形の高見観音の多くに共通して見られます。一例として、浄嚴寺の高見観音の画像を挙げます。ご覧ください。似た造形があるのがわかるでしょうか。次回、決定的とも言える、もうひとつの判別理由をお示しします。【前の記事】 「享禄山 見徳寺の観音様 その1」【 もちぷりん 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.03
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にほんブログ村 すっかり高見観音の鑑定士級になった皆さんに、問題作をご紹介しましょう。その問題の観音像があるのは岡崎市 享禄山 見徳寺です。1体の観音像があります。かなり特異なお姿の観音像です。私が発見後も悩んでいましたが、確率50%の高見彰七作品として登録します。(No.23) ・所在地: 愛知県岡崎市仁木町 享禄山 見徳寺 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 (確率50%) ・特徴: 直立形,高さ台座上から113cm,台座含めて126cm 胸部幅32cm,胸部厚さ20cm,裾幅48cm岡崎市にはもう1件、同名の「見徳寺」があります。ご注意ください。今回の見徳寺はこちらです。 〇享禄山 見徳寺: 愛知県岡崎市仁木町字東郷48・49まずはじっくりとご覧頂き、皆さんもお考え下さい。三角形のお鼻が印象的です。大きく開いた裾も独特です。問題作ですので、次回、細部を検証します。私がこの観音像を高見観音とする根拠を説明します。【 箸置き 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.06.01
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にほんブログ村 高見観音新発見のおしらせと現地確認です。今回も、ご連絡は「FDG公式さん」からです。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」FDGさん、いつもありがとうございます。先日はイベントでお会いでき、嬉しく思います。さて、今回の推定・高見彰七作の観音像は路傍にあります。地元の生活道路の様な道ですので、とても自力では発見できません。(No.22) ・所在地: 愛知県豊田市御立町 路傍の祠 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 流れ形,高さ100cm,胸部幅22cm ・発見者: @FDG_official01 さん観音像の背後にある額内は「般若心経」です。今回は場所がわかり難いのでストリートビューを貼ります。ところで今回の観音像に似た高見観音があります。豊田市 浄法寺の観音像(No.13)です。比較してみましょう。「御立町 路傍」「浄法寺」直立形と流れ形の違いがあります。「御立町 路傍」「浄法寺」高見彰七氏は似た観音像を、直立形と流れ形のセットで製作したこともあるのかもしれません。次回は、再び私からの高見観音新発見のご報告です。ただし問題のある作品ですので、心してご覧ください。【 仕事猫 小学校 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.30
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にほんブログ村 以前から気になっていた豊田市の高徳寺。ペット供養にも力を入れている、活気のあるお寺です。写真の両側にある多数の写真は、供養されたペットの写真です。山門の前に観音像と石仏があります。近寄ると、間違いなく高見彰七作品、高見観音と判ります。多少の傷みがありますが、状態は良好です。塗装の残りらしき痕もあります。山間部の高徳寺まで来た甲斐がありました。高見観音、新発見です。(No.21) ・所在地: 愛知県豊田市九久平町 高徳寺 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 半流れ形,高さ97cm,胸部幅26cm,胸部厚さ19cm 台座Φ46cm×厚さ19cm私が半流れ形と呼んでいる直立形に近い体形。大きさも含めて、これぐらいが最も良いバランスに思えます。お顔も自然で、手を隠した表現も良いと思います。完成度が高い私のお気に入りのタイプの観音像です。次回は新発見(現地確認済み)のご連絡を頂いていますので、ご紹介します。【 仕事猫 幼稚園 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.28
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にほんブログ村 名鉄三河線で、終点の猿投(さなげ)駅に向かいます。先日、2体の高見観音をご紹介した名鉄土橋駅もこの名鉄三河線の沿線です。猿投駅から路線バス「おいでんバス さなげ・足助線」に乗ります。方向は百年草行、浄嚴寺前(じょうごんじまえ)で降ります。浄嚴寺はバス停の目の前、広い駐車場もあります。お寺入り口の説明板には、檀家も多い寺院とあります。浄嚴寺に来たのは、高見観音新発見の現地確認です。ご連絡は「FDG公式さん」からです。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」高見彰七作の観音像は、本堂前にあります。白色に塗装された大きな観音像です。高さは、台座上の足元から顎下まで260cmが実測できました。その比率から、全高は約320cmと推定します。塗装され、維持管理も良いためか、側面を見てもひび割れなどはありません。戦没病没者供養のためとの銘板が台座背面にあり、建立年の記述、作家銘ともにあります。有志200名の寄付で建立されたともあります。作家銘に「老人」と付いているのがユニークです。昭和45年には、高見彰七氏は高齢だったということでしょうか。(No.20) ・所在地: 愛知県豊田市御船町 浄嚴寺 ・製作年月: 昭和45年6月吉日 ・作家銘: 宮口 高見彰七老人 ・特徴: 直立形,白色塗装,高さ約320cm,足元幅86cm ・発見者: @FDG_official01 さん大型、在銘で、年表上2番目に新しい。素晴らしい新発見だと思います。FDG公式さん、新発見のご連絡ありがとうございました。次回は、私からの高見観音新発見のご報告です。【 歴代郵便ポスト 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.26
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にほんブログ村 先回の大林町の観音像までは。名鉄土橋駅から、駅前付近を除いてほぼ一直線の片道3km。大林町に行く前に、まずは途中の成就律寺に立ち寄りました。お寺に入って、すぐ目に留まったのがこの光景。遠目で高見観音とすぐわかります。ただ大林町の観音像(No.18)の現地確認のつもりでしたので、「これが大林町の観音像?」と頭が混乱しました。しばらくよく考えて、これが予想外の高見観音の新発見と気づきました。(No.19) ・所在地: 愛知県豊田市大林町 成就律寺 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 直立形,高さ166cm,胸部幅40cm,裾幅58cm 胸部厚さ25cm,裾厚さ40cmNo.18と同様に、向かって左の眉が上がっています。側面のヒビ割れはほとんどありませんが、モルタルが後ろから前へ被さった様になってます。観音像の衣装の表現でしょうか。No.18の大林町道沿いの観音像とほぼ同一体型です。No.18とNo.19はとても似通っていますが、細部に違いがあります。ただ「同一型」から作られた可能性が否定しきれないように思います。また成就律寺については気になる点や興味深い石仏もあります。今は新発見が続いていますのでその御報告を優先しますが、落ち着いたら、成就律寺についてもご紹介したいと思います。【 ミケ猫は見た 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.24
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にほんブログ村 大林町の観音像は疑いなく高見観音として登録しました。小嶋独観さんを通じて、新たな方からも新発見があり、嬉しく思います。【前の記事】 「豊田市 大林町1」さて、等身大の立派な高見観音ですが、状態はよくありません。まず、類例が多い「ヒビ割れ」があります。さらに腕付近は「剥離」しています。足元はさらに酷く剥離しています。この様に剥離するということは、モルタルを重ね塗りしているのでしょうか。交通量が多い道路脇。環境も良くありません。補修をしなければならない状況です。妙楽寺に破棄された三好森下交差点の観音像の様に、不幸な状況にならないことを願います。【 仔猫珈琲 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.22
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にほんブログ村 高見彰七の観音菩薩像新発見のお報せがあり、現地確認しました。今回は「ふじわら」さんから、「小嶋独観」さんを通じてご連絡を頂きました。ふじわらさんは小嶋独観さんのH.P.の読者さんです。【小嶋独観@珍寺大道場さん】 「珍寺大道場」場所は愛知県豊田市大林町12-1-2です。センターラインはありませんが交通量が多い道路沿いにあります。この地域に詳しい方しか発見できない場所。ご連絡に感謝します。大きさは等身大。直立形の観音像です。高見彰七作品リンク集に登録させて頂きます。(No.18) ・所在地: 愛知県豊田市大林町 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 直立形,高さ164cm,胸部幅40cm,裾幅58cm 胸部厚さ25cm,裾厚さ40cm ・発見者: ふじわらさん,小嶋独観さんふじわらさん,小嶋独観さん、ありがとうございました。また、今回は別の新発見の報告も兼ねての現地調査でした。そのため電車・バス・徒歩で移動しました。大林町へは名鉄土橋駅から、片道3km歩きました。その公共機関での移動が幸いして、私も思わぬ新発見をすることになります。次々回以降で、私の新発見とご連絡頂いた別の新発見を御紹介したいと思います。その前に、次回は今回の新発見の高見観音をもう少し詳しくご紹介します。【 執事 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.20
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にほんブログ村 高見彰七のコンクリート像(モルタル像)「観世音菩薩像」編。第2集「観音菩薩」編、更新しました。(2024年10月10日)●(No.1)【高浜市 吉浜人形本店前】 「吉浜人形本店前 観世音菩薩」 ・所在地: 愛知県高浜市吉浜 吉浜人形前 ・製作年月: 昭和38年「花のとう」に合わせて開眼 ・作家銘: 「高見彰七」在銘 ・特徴: 「尼宮慈母観世音菩薩」 他2体 (半流れ形1,直立形1,流れ形1)●(No.2)【刈谷市 寿永山 昌福寺】 「昌福寺 観世音菩薩」 ・所在地: 愛知県 刈谷市野田町 寿永山 昌福寺 ・製作年月: 昭和46年8月8日 ・作家銘: 「豊田市 高見彰七」在銘 ・特徴: 「交通守護聖観世音菩薩」, 高さ3m前後 (直立形)●(No.3)【豊田市 古瀬間御嶽神社】 「古瀬間御嶽神社 交通安全観音」 ・所在地: 愛知県 豊田市古瀬間町 古瀬間御嶽神社 ・製作年月: 昭和40年7月16日建立 ・作家銘: 「宮口 高見彰七」在銘 ・特徴: 「交通安全観音」 (流れ形)●(No.4)【みよし市 森下交差点】 「みよし市 森下交差点 観音像」 ・所在地: 愛知県 みよし市三好町 森下交差点 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 白色塗装 (直立形),2022年11月頃妙楽寺に移設 ・発見者: @oimokotaroさん●(No.5)【岡崎市 真福寺仁王門前】 「真福寺仁王門前 家内安全観音」 ・所在地: 愛知県 岡崎市真福寺町 真福寺仁王門前 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 白色塗装剥離 (直立形)●(No.6)【高浜市 吉浜善光寺本坊柳池院】 「吉浜善光寺本坊柳池院 観音像」 ・所在地: 愛知県高浜市吉浜 吉浜善光寺本坊柳池院 ・製作年月: 昭和36年入佛 ・作家銘: 銘板はあるが無銘 ・特徴: 象嵌,銘板埋め込み。初期作? (直立形)●(No.7)【豊田市 中町】 「豊田市中町 子安観音像」 ・所在地: 愛知県豊田市中町 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 前後型接合部に割目あり (直立形) ・発見者: @oimokotaroさん●(No.8)【愛知郡東郷町 愛知池展望台】 「愛知池 観音像」 ・所在地: 愛知県愛知郡東郷町 愛知池 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘, 鹿島建設施工 ・特徴: 大型・塗装剥離 (半流れ形) ・発見者: @FDG_official01 さん●(No.9)【豊田市 高林寺 裏】 「豊田市 高林寺1」 「豊田市 高林寺2」 ・所在地: 愛知県豊田市 高林寺 裏 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 2体 (流れ形2) 大型観音像: 高さ160cm,最大幅40cm,最大厚さ40cm 小型観音像: 高さ 76cm,最大幅20cm,最大厚さ20cm ・発見者: @FDG_official01 さん●(No.10)【長野県飯田市 来迎寺】 「長野県飯田市 来迎寺」 ・所在地: 長野県飯田市 来迎寺 ・製作年月: 昭和35年4月 ・作家銘: 高見彰七 ・特徴: 奉納者 今泉氏 (流れ形) ・確認者: MR2 さん●(No.11)【刈谷市 野田八幡宮近傍】 「野田八幡宮近傍」 ・所在地: 愛知県刈谷市 野田八幡宮近傍 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 流れ形 ・発見者: @FDG_official01 さん●(No.12)【豊田市 浄法寺近傍】 「豊田市 浄法寺近傍1」 「豊田市 浄法寺近傍3」 ・所在地: 愛知県豊田市 浄法寺近傍 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 流れ形, 前後型に不整合あり ・発見者: @FDG_official01 さん●(No.13)【豊田市 浄法寺弘法堂】 「豊田市 浄法寺弘法堂」 ・所在地: 愛知県豊田市 浄法寺弘法堂 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 直立形 ・発見者: @FDG_official01 さん ・ kopanda06●(No.14)【豊田市 割目池】 「豊田市 割目池1」 「豊田市 割目池2」 「豊田市 割目池3」 ・所在地: 愛知県豊田市 割目池 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 直立形 観音菩薩1,地蔵菩薩1 ・発見者: @FDG_official01 さん●(No.15)【豊田市 心学院】 「豊田市 心学院1」 「豊田市 心学院 2」 ・所在地: 愛知県豊田市 心学院 ・製作年月: 不明, 他所より移設? ・作家銘: 無銘 ・特徴: 台座に石臼流用, 流れ形 ・発見者: @FDG_official01 さん●(No.16)【豊田市 野見御嶽神社】 「豊田市 野見御嶽神社1」 「豊田市 野見御嶽神社2」 ・所在地: 愛知県豊田市 野見御嶽神社 ・製作年月: 不明, 昭和62年3月松光院より移設 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 「しあわせ観音」, 流れ形 ・発見者: @FDG_official01 さん●(No.17)【豊田市 恩真寺 (鈴木正三遺跡)】 「豊田市 恩真寺 (鈴木正三遺跡)」 ・所在地: 愛知県豊田市 恩真寺 (鈴木正三遺跡) ・製作年月: 昭和40年10月18日 ・作家銘: 高見彰七 作 ・特徴: 流れ形 ・発見者: @FDG_official01 さん●(No.18)【豊田市 大林町】 「豊田市 大林町1」 「豊田市 大林町2」 ・所在地: 愛知県豊田市大林町 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 直立形,高さ164cm,胸部幅40cm,裾幅58cm 胸部厚さ25cm,裾厚さ40cm ・発見者: ふじわらさん,小嶋独観さん●(No.19)【豊田市 成就律寺】 「豊田市 成就律寺」 ・所在地: 愛知県豊田市大林町 成就律寺 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 直立形,高さ166cm,胸部幅40cm,裾幅58cm 胸部厚さ25cm,裾厚さ40cm ・発見者: kopanda06●(No.20)【豊田市 浄嚴寺】 「豊田市 浄嚴寺」 ・所在地: 愛知県豊田市御船町 浄嚴寺 ・製作年月: 昭和45年6月吉日 ・作家銘: 宮口 高見彰七老人 ・特徴: 直立形,白色塗装,高さ約320cm,足元幅86cm ・発見者: @FDG_official01 さん●(No.21)【豊田市 高徳寺】 「豊田市 高徳寺」 ・所在地: 愛知県豊田市九久平町 高徳寺 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 半流れ形,高さ97cm,胸部幅26cm,胸部厚さ19cm 台座Φ46cm×厚さ19cm ・発見者: kopanda06(No.22)【豊田市 路傍】 「豊田市 路傍の祠」 ・所在地: 愛知県豊田市御立町 路傍 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 ・特徴: 流れ形,高さ100cm,胸部幅22cm ・発見者: @FDG_official01 さん(No.23)【岡崎市 享禄山 見徳寺】 「享禄山 見徳寺1」 「享禄山 見徳寺2」 「享禄山 見徳寺3」 ・所在地: 愛知県岡崎市仁木町 享禄山 見徳寺 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 (確率50%) 与次作と推定 ・特徴: 直立形,高さ台座上から113cm,台座含めて126cm 胸部幅32cm,胸部厚さ20cm,裾幅48cm ・発見者: kopanda06(No.24)【豊田市 八王山 春光院】 「春光院1」 「春光院2」 「与次とは?」 ・所在地: 愛知県豊田市 八王山 春光院 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘, 与次作と推定 ・発見者: @FDG_official01 さん(No.25)【豊田市 渡刈町 路傍】 「渡刈町1」 「渡刈町2」 ・所在地: 愛知県豊田市渡刈町 路傍 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 在銘 「与次作」 ・発見者: @FDG_official01 さん(No.26)【豊田市 京町区民会館 】 「京町区民会館1」 「京町区民会館2」 ・所在地: 愛知県豊田市京町 京町区民会館(京町公園北) ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘 (確率80%) ・特徴: 直立形,高さ台座上から200cm 胸部幅55cm,胸部厚さ30cm ・発見者: @FDG_official01 さん(No.27)【名古屋市 日泰寺】 「名古屋市 日泰寺」 ・所在地: 名古屋市 日泰寺 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 未確認 ・特徴: 半流れ形,白色塗装 ・発見者: おいもさん( @oimokotaro )(No.28)【豊田市 路傍 観音像など5体】 「観音像など5体」 ・所在地: 豊田市 路傍 ・製作年月: 不明 ・作家銘: なし ・特徴: 5体(宝船,彩色仏像含む) ・発見者: kopanda06・・・・・・・・・・ リンク集 ・・・・・・・・・・●【リンク集1「神馬」編】 「高見彰七 神馬編」●【リンク集3「その他」編】 「高見彰七 その他」●【リンク集4「妙楽寺の石仏群」編】 「妙楽寺」●【年表】 「高見彰七 製作年 (年号記述があるもののみ)」【 すべり台にゃんこ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.18
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にほんブログ村 高見観音のヒビ割れの原因について推察します。ヒビ割れの原因は下記が大きいと思われます。1.塗装の剥離 塗装の剥離により、防水性が失われます。 その結果、モルタルが直接、風雨に晒され劣化します。2.ノロによる補修 接合部はノロ(セメント+水)で補修したと考えられます。 ノロの耐水性は低いので、補修箇所は劣化しやすくなります。 この結果、ノロを使った箇所から割れが発生します。 妙楽寺の大型観音にも、補修痕とヒビ割れが見られます。3.浸透水の影響 接合部から浸透した水は、冬季に凍結して膨張します。 そしてヒビ割れが起きます。高見彰七氏は観音像の定期的な塗り替えを望んでいたでしょう。しかし塗装が剥がれたモルタル像は、石像に似ています。そのため、塗装が剥がれたモルタル像に違和感が感じられません。この石像に似たモルタル像の姿が再塗装の必要性を忘れさせ、劣化していくモルタル像の悲劇を生んでいるように思います。【前の記事 1】 「高見観音の製作方法 1」【前の記事 2】 「高見観音の製作方法 2」【 すべてがおしまいになったカエル 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.16
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にほんブログ村 高見観音の製作手順について推察します。専門家の指導を受けていますが、私からの情報を基にした推定です。今後、まだ見直しがあるかもしれません。また型枠を使ったモルタル像の作成は難しいこともわかりました。1.型枠原型像 型枠の型取りをするためには、観音像の原型像が必要です。 原型像は粘土などの造形が容易な素材で作ったと推定されます。2.分割型枠の使用 小像を除く、高さ80cm以上の観音像では2分割型枠を使っています。 その型枠は組み立ててモルタルを流し込むのではなく、 観音像前半身、後半身別の型枠にモルタルを入れて固めたようです。 モルタル像の取り出しを考慮し、型枠には離型剤を塗ります。3.補強材の使用 モルタル像の補強は金網が使われます。 しかし高見彰七氏は、大型化を意識して鉄筋を使ったようです。4.メートル法の採用 高見彰七氏はメートル法で観音像を製作しています。 これは尺貫法を使う仏像の慣例からは異例です。5.前後の接合 前後別々に製作したモルタル像は、接合しなくてはなりません。 前半身像と後半身像は、 接合面に専用接着剤かセメントを塗り、接着します。6.前後接合面の処理 この工法では前後の接合部が明瞭に残ります。 その接合面を埋めるためには、「ノロ」を使います。 ノロとはセメントを水で希釈したパテ状のものです。 ノロを接合面に塗ることで、接合面は綺麗に継ぎ目なく仕上がります。7.塗装 モルタル像で塗装は必須です。 防水し耐久性を保つためと、ノロなどでの補修箇所を隠すためです。 残念ながら、高見観音の多くは塗装が剥離しています。 「妙楽寺の大型観音」 この観音像も前後接合面でヒビ割れ次回はなぜ、この結果接合面がひび割れたかを説明します。【前の記事】 「高見観音の製作方法 1」【 合掌 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.14
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にほんブログ村 高見観音の製法について考察します。● 型枠の使用について 浄法寺の高見観音の足元側面からの写真です。 像の前後で着物の裾の造形に段差ができています。 (浄法寺) 型作成のミスと思われますが、 同時に型を使った証拠でもあるでしょう。● ヒビ割れについて 高さ1mを超える高見観音の多くに、 型の接合部に相当する箇所にヒビ割れが見られます。 特に多くの大型作品が並ぶ妙楽寺では、 大半の像に同様のヒビ割れが観察されます。 (妙楽寺)● ヒビ割れの理由 「型の接合部だから割れる」という表現は正しくはありません。 それには製作法が関わっています。 (妙楽寺)●前後の材質の違い モルタル(セメント+砂)での作像には、流動性の良いモルタルを 型に流しこまなければ、型通りのモルタル像はできません。 また細かい砂を含めたモルタルでなければ、大粒の砂や小石が 顔に出ると失敗作になります。 後部背面も同じモルタルで良さそうですが、高見彰七氏は特に 背面にはコンクリートに近い粗いモルタルを使ったようです。 強度を高めるねらいかもしれませんが、 劣化の結果、背面が粗材に見えているのかもしれません。 ただし、今日の工芸などに使われているモルタルに比べて、 高見彰七氏が使ったモルタルは粗く、コンクリートに近いものです。 (心学院) 次回、専門家の意見を参考に、 製作手順から、ひび割れの理由等について説明します。【 虚無・猫 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.12
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にほんブログ村 愛知県豊田市 高林寺の高見彰七作品、現地確認の続きです。「型枠の使用」高見観音の多くは、最低前後2個の型枠を使って作られています。そのため、浄法寺の高見観音には、前後の型造形にズレまでありました。(浄法寺 高見観音像の前後型ズレ)「接合部のひび割れ」また高見観音像に多く見られる接合部のひび割れが、高林寺の観音像でも見られます。大型観音像の衣装の裾には、補強用金具の露出まであります。ひび割れは、特に高林寺では小型観音像でひどい状態です。小型観音像の頭部を上から見ると、穴が開いているようにも見えます。なぜひび割れが出るのかなど、独学では知識不足がありました。そこで建築関係の専門家に質問し、かなり理由が明確になりました。それに関しては高見観音像の製作について触れなくてはなりません。次回、専門家のご指導も得て、その製作方法について述べます。皆さんからもご指摘があった、多くの理由が明らかになると思います。【 おちょこけし 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.10
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にほんブログ村 現地確認ができていなかった愛知県豊田市 高林寺の高見彰七作品。ようやく、この高見観音の現地確認ができました。こちらは以前、「FDG公式さん」が発見された観音像です。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」現地確認の目的はいくつかありましたが、まずは下記から。●観音像の寸法測定 悪評高い私の高見観音像の寸法測定。 この曖昧な計測を反省し、今回は巻き尺で寸法測定しました。 ・大型観音像: 高さ160cm × 最大幅40cm × 最大厚さ40cm ・小型観音像: 高さ 76cm × 最大幅20cm × 最大厚さ20cm小型観音像は足元が土に埋もれていますので、全高は80cm程度と思われます。この計測から、下記がわかりました。 ・高見彰七氏は観音像を尺貫法ではなく、メートル法で作成 ・大型観音像は、小型観音像の2倍の大きさの相似形 ・観音像は整数の寸法比で製作。 高さ:幅:厚さ=4:1:1特に仏像は尺貫法での製作例が多く、メートル法の採用は意外でした。計測すると気づきもあります。この現地調査の結果も踏まえて、高見観音の製作方法を考察します。【 鬼滅の刃 日輪刀 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.07
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にほんブログ村 高見彰七のコンクリート像について考察する前に、コンクリートに関する私の知識不足が問題です。少しコンクリートの基本を整理しましょう。まずは基本用語から。セメント,モルタル,コンクリートの違いは何でしょうか。〇セメント: 硬化前の粉体。主成分は石灰石〇セメントペースト: セメント+水〇モルタル: セメント+水+砂〇コンクリート: セメント+水+砂+砂利建築では、砂利とは約20mm以上の大きさの石を指すようです。高見彰七作品には大きな砂利は使われていない様に思います。高見彰七作品はコンクリート像かモルタル像と呼ぶのが正しいでしょうか。また、コンクリートは次の2つに分類されます。〇生コン: 工場で混ぜ合わされ運搬される硬化前のコンクリート〇現場練りコンクリート: 現場で混ぜ合わされるコンクリート私は硬化前のコンクリートは全て生コンと思っていました。工場で砂や砂利と混ぜたものだけが生コンでした。これらの用語を確認しつつ、次は高見彰七作品の製法を考察します。【 ソフビコレクション 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.04.25
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にほんブログ村 シランは、そのやんちゃな表情が良い。庭、公園、花壇など、赤紫の花が良く目立つ。シランは元気一杯、今まさに春を謳歌している。これほど身近なランも他にはないだろう。どこにでも咲いているように思えるシランだが、実は野生のシランは絶滅危惧種だという。私達が見るシランは園芸種か、そのこぼれ種らしい。やんちゃそうに見えて、実ははかない。やはりシランはラン、紫蘭なのだ。 シランの魅力が、またひとつ増えた。【 ブルーシラン / 白花シラン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.04.23
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にほんブログ村 人気衰えぬ「ガチャ」市場。いまやガチャは日本文化の一部になりました。(画像出典: Wikipedia)楽天市場のリンクを利用して、ガチャの世界をのぞいてみましょう。●大ヒット商品「コップのフチ子」 シリーズ販売総数、累計2000万個!●赤べこがガチャに「神獣ベコたち」 シリーズ販売総数、累計250万個●参拝のお供に「合掌」●猫に負けられない、「招福犬」●ガチャの沼にはまる人もいるらしいガチャの購買層は、意外と成人女性が多いとのこと。私も面白グッズがないか、探してみたくなりました。< ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.04.21
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にほんブログ村 今日はお菓子作りを化学的に考えたいと思います。ハピハピハートさんは、ベーキングパウダーの代わりに重曹でお菓子作りをされています。ベーキングパウダーに含まれるリン系の添加剤を避けての健康への配慮からです。【ハピハピハートさん】 「重曹でスコーン作り」ベーキングパウダーの発泡作用は、重曹の作用です。重曹を加熱するとCO2が発生して生地が膨らみます。重曹 2NaHCO3 → 炭酸ソーダ Na2CO3 + CO2 + H2Oこの反応は65℃以上に生地が加熱されると進みます。問題はこの時できる炭酸ソーダがアルカリ性ということです。このアルカリ成分により、重曹だけでお菓子を作ると「苦味」が残ります。このアルカリ成分は中和しなくてはなりません。つまり「酸性」の成分を加える必要があります。ベーキングパウダーでも酸性剤が配合されています。身近で無害な食用添加剤では「クエン酸」が良いと思います。クエン酸はレモンなどの柑橘類にも含まれます。原理的には、クエン酸か柑橘類を生地に加えると苦味が抑えられます。(重曹やクエン酸は食用のもの)ただしこの方法には欠点があります。実は、重曹とクエン酸を混ぜる方法は、ラムネ作りの方法です。私も以前に重曹とクエン酸,砂糖,塩などを混ぜてラムネを作りました。重曹とクエン酸の粉末を混ぜ、水を加えると急激にCO2が発生します。その勢いはラムネ瓶の口にビー玉を押し込み、栓をしてしまうほどの激しさです。重曹とクエン酸の粉末を混ぜただけではCO2は出ません。しかし生地作りで牛乳や水分を混ぜると、加熱前に発泡します。ベーキングパウダでは、この現象がゆっくり進む工夫がされています。重曹とクエン酸を混ぜる時も、工夫しないと発泡が早すぎます。重曹の分子量は84、クエン酸(C6H8O7)の分子量は192(無水)。3:1の比で中和しますので、重量で重曹1:クエン酸0.8で中和します。ただ実際はクエン酸をやや少なめにした方が生地作りは楽そうです。つまり下記の工夫が必要かと思います。1)クエン酸の生地への添加をなるべく生地作りの後半にする2)多量の水分や牛乳の添加も後にする3)クエン酸の代わりに、レモンなどの柑橘類で中和するそうでなければ、大急ぎでお菓子作りをしなくてはなりません。すでにお菓子作りではトライ済みかもしれません。あまり有用な話ではありませんでしたが、とりあえずお菓子作りを化学してみました。【 ラムネ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.04.19
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にほんブログ村 古代には存在したが、失われた技術。そして今なお再現できない技術。そのひとつに「ダマスカス鋼(ダマスカスナイフ)」があります。古代インドで作られていたダマスカス鋼。刀剣などに使われたこの鋼には、表面に木目調あるいは水滴状の美しい模様が表れます。「ダマスカス鋼(ダマスカスナイフ): 古代インド王朝」(画像出典: Wikipedia)しかしその製法は18世紀には失われてしまいました。ダマスカス鋼の模様は、融点や結晶化の温度が異なる成分により作られると推定されます。しかし今なお、その完全な再現には成功していません。今日でも「ダマスカスナイフ」は作られています。しかしこれは、古代インドのダマスカスナイフとは違います。「現代のダマスカスナイフ」(画像出典: Wikipedia)現代のダマスカス鋼は、異なる金属を積層し鍛造して作られます。バウムクーヘンの様な構造で、表面には古代のダマスカス鋼に似た模様が表れます。しかし現代のダマスカス鋼には古代と大きな違いがあります。古代のダマスカス鋼は、再度溶かして固めると、再び模様が出ます。一方、現代のダマスカス鋼は、溶かすと二度と模様は出ません。失われた古代の技術。古代インドの人々は、私達が知らない何を知っていたのでしょうか。【 ダマスカスナイフ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.04.17
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にほんブログ村 驚きの高見彰七作品(高見観音)が発見されました。発見者は今回も「FDG公式さん」です。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」場所は愛知県豊田市の恩真寺(鈴木正三遺跡)です。住所は愛知県豊田市山中町曝田100。豊田市東部の山間部にあるため、私は自身の体調を考慮して現地確認を自粛しました。写真はFDG公式さんから、許可を得てお借りしました。お顔がやや他の高見観音とは異なる印象を受けます。しかしこの観音像は高見彰七の在銘です。銘は観音像の背面に直接刻まれています。昭和40年10月18日寄附者 〇〇〇〇高見彰七作吉浜善光寺本坊柳池院(リンク集2 No.6)も観音像に直接銘板が取り付けられています。ただし銘板に作家銘はありません。今回の高見観音は、像自体に作家銘が刻まれた初の発見例となります。FDG公式さん、ありがとうございます。高見彰七作品リンク集2に、No.17として登録させて頂く予定です。(リンク集) 「リンク集」年表にも追記しました。FDG公式さん、いつもありがとうございます。私もかなり知名度が低い神社仏閣にまで訪問していますが、その比ではない日頃の探索ぶりです。さすが地域で埋もれつつある文化財や歴史を探索する、FDG(フィールドディスカバリーゲーム)の活動だと思います。お陰様で様々な情報整理も進みました。近くご紹介致します。【 ジェラート 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.04.15
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にほんブログ村 ニュートンが没頭した錬金術。彼が追い求めたのは「賢者の石」の製法でした。賢者の石には「不老不死」と「万物を金に変える」力があります。ニュートンは万物の根源は「水銀」と「硫黄」と考えました。そして賢者の石は「賢者の水銀」から作られるとしました。そして彼が得た答えは、賢者の水銀は「アンチモン」であること。なぜかというと、アンチモンが「星状レグルス」とわかったから。しし座の最も明るい星「レグルス」。この星は天体の「王」とされます。一方、ワインには「酒石酸アンチモン」の結晶ができます。この結晶は「星状レグルス」と呼ばれていました。ニュートンは「星状レグルス」から「賢者の石」のヒントを得ようと、ワイン造りの研究に専念します。(画像出典: Wikipedia)なにか、わけがわからなくなってきました。つまり、万物を金に変える「賢者の石」は「賢者の水銀」、すなわち「アンチモン」から得えられます。アンチモンは王の星「レグルス」の名を冠した「星状レグルス」に含まれるから、ワインの研究が重要だったのです。整理してもよく理解できませんが、今日、美味しくワインが飲めるのは、錬金術師ニュートンのおかげかもしれません。とはいえ、錬金術は失敗。無理は無理。力押しでは駄目ですね。【 ワイン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.04.13
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にほんブログ村 ニュートンの万有引力やプリズムの発見。これらの業績の大部分は、当時のペストの流行を避けての疎開中になされました。では、彼が残りの時間を何に使ったかというと、それは「錬金術」や「オカルト」の研究でした。後年、人々はニュートンの前近代的・神秘的な研究者の側面を隠そうとし、彼の科学業績を称えた都市伝説を創作しました。猫専用の扉に付けた出入口「キャットドア」の逸話も都市伝説のひとつです。ニュートンは2匹の猫を飼っていました。猫の出入りのため、大きな猫用に大きな穴、小さな猫用に小さな穴の、2個の穴を扉に開けました。すると、大きな猫も小さな猫も大きな穴を通り、小さな穴を通る猫はいませんでした。偉人も思い込みから失敗することがある逸話として伝わりますが、ニュートンが猫を飼っていた記録はない、キャットドアは彼以前に発明されていたなど、この話は眉唾とする見解が多くあります。そもそもニュートンがこの様な失敗をするとは思えませんが、信じるか信じないかは、あなた次第です!【 キャットドア 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.04.11
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にほんブログ村 あれは青く晴れた空に、春風に吹かれて桜の花びらが舞う、まさにあなたのための日だったかつて、まだ幼い僕の手を引いての散歩道、あなたは僕に花の名前を教えてくれた本当に、あなたは花が好きな人だったあの春の日、僕は一輪の桜の花を手に、静かに眠るあなたに別れを告げた思うより大きく、思うより白い木箱の中に眠るあなた僕はあなたに、ともに消える桜の花を手渡したきっと届かない声で、僕はつぶやく「最期に見る花は桜だったね」あれから何度目の春だろう桜の花が咲くたびに、僕はあの日のことを思い出す【 桜 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.04.08
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にほんブログ村 岡山県玉野市 三宝院近くの化粧地蔵、続きです。本来、六地蔵は各々の地蔵が巡る六道によって、並び順や持物が決っているはずです。しかし持物は地方で様々。並び順もまちまちで、調べ出すと混乱します。化粧地蔵近くのストリートビューです。前の道を歩いていくと化粧地蔵があります。もちろん車は通れません。岡山県玉野市胸上1289祠は正面の白く見える細い道を入って数十メートル先です。手前にはおとなしそうな犬がお昼寝しているかと思いますが、近くを通るのでほえられます。あまりに細い道で分かり難いと思います。なぜこの化粧地蔵の場所がわかりやすいとされているのか、私には不思議に思えました。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その26)」【次の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その28)」【 岡山デニム ウォレット 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.04.06
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にほんブログ村 岡山県玉野市 三宝院近くの化粧地蔵、続きです。祠の中には大小2体の座像もあります。大きな座像は真面目な表情。まっすぐこちらをご覧になっておられます。小さな座像は、少々お疲れなご様子。座禅ばかりでお辛いのでしょう。こちらは六地蔵。様々な持物を持ちです。次回は化粧地蔵近くの様子を、ストリートビューでご紹介します。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その25)」【次の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その27)」【 児島デニム 帽子 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.04.04
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にほんブログ村 岡山県 児島半島の化粧地蔵探索。玉野市胸上の三宝院近くの化粧地蔵を紹介します。三宝院近くの化粧地蔵は「わかりやすい場所」と紹介されています。しかし私は見つけられず、三宝院のご住職に教えて頂きました。実はこの化粧地蔵、自動車では通れない道沿いにあります。Google mapのストリートビューもありません。後ほど近くのストリートビューでご紹介しますが、三宝院南西のため池の近くに化粧地蔵はあります。そこでは立像1体、六地蔵、座像2体の化粧地蔵が、しっかりとした祠の内部に祀られています。まずは立像のご紹介から。綺麗なお地蔵様ですが、なにかおかしい。よく見ると、視線があらぬ方向に向けられています。この視線の先には提灯がありました。綺麗な提灯に見とれておられるのでしょうか。視線をそらされると、願いごとを聴いてくださっているか不安です。願掛け中は、こちらをご覧頂けますように。次回は座像や六地蔵をご紹介します。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その24)」【次の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その26)」【 一輪挿し 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.04.02
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