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壱人前企画 vol.17 「メアリーの怪物 The same mistake should never be repeated. 」公演に御出演の皆様、お疲れ様でした。
久々に見た舞台ゆえ、驚きを持ってみました。
さて、公演が終了したので物語について書いてみる。
この劇は息子の死と妻の死を嘆き悲しんだ研究者が妻の再生を願い研究を重ね数々の創造物を作り出した話である。
当初、クローンの話が出てきたので、亡き妻の細胞をどこかに保存してあって、核を取り除き、遺伝子を注入してクローンを作り出す展開になるのかと思った。ところが、人間にチップを埋め込み命令に従わせる従順な者に変えてしまうことやロボットなるものが登場する。人造人間であるフランケンシュタインはまったく出てこない。
息子の身代わりとしたクローン人間が失敗作としてルーカスという名の得体のしれない巨体が存在する。意思表示のできない怪物のように思える。見た目にはフランケンシュタインのようでもある。しかし、話によるとクローンの失敗作であり、生まれた時から巨体という。おかしい!?クローンとは細胞から核を取り除き、培養して生成されるもので誕生した時は赤ん坊なのである。ゆえに誕生の時から巨体というのはあり得ない。この点において、(今のところ)真実ではない。クライマックスで明かされる娘ローズがクローンだったというところ、ローズは幼少期から育ったように思える。ゆえにルーカスとローズの生成に齟齬が生じている。次にチップを埋め込んだ人間が登場するが、なにゆえに指令に従順な人間を作るのか、意味不明。人間であったものにチップを埋め込んでも息子にも妻にもなりえない。さらに、ロボットも登場する。ロボット、これまた研究者の研究施設を維持継続するために必要としたサイボーグなのだろうか?このサイボーグも息子にも妻にもなりえない。警備や統制や管理という点においてはチップを埋め込んだ人間や同じ道を突き進むカイのような人間がいれば十分なので、ロボットを作り出した意味がわからない。クローンだけでなくチップ人間、ロボット(サイボーグ)と三種の者を提示することにより混とんとした世界に観客を迷い込ませようとしたのか、舞台に厚みを持たせようとしたのか。その根拠は何なのだろう。死者を生きかえさせるフランケンシュタインは一体も出てこない。映画「メアリーの総て」や「哀れなるものたち」のおどろおどろしさはなく、別の奇妙さを感じることになる。
この物語、“風が吹いて桶屋が儲かる”以上に支離滅裂であり混とんとしている。混とんとしているが見入ってしまったのは舞台で演じきった役者たちの熱量であり、物語を疑わない素直さと一途さなのだろうか。物語に破綻を感じても違和感をもっても圧倒された。私は何を言いたいのか。この芝居の物語は正しくない、と言いたい。
ところで興味を持った役者を二人書いておこう。
まず、ミアを演じた金子雅(かねこみやび)。 金子雅 - 株式会社エッグスター (eggstar.info)
口跡がはっきりとしていて、とてもいい。セリフが歯切れよく聞こえるし、はつらつとした若さに魅力を感じた。ただ、棒立ちに見える立ち姿があったのでもっと舞台になれることが必要なのかもしれない。伊達メガネをかけて演じていたのでよりキュートに見えたかもしれない。いいね。
次に、アンナを演じた依里(えり)。低音を利かせた声は極妻(極道の妻たち)を演じたら面白いなぁと思えるほどであった。怒鳴ってばかりの芝居ではあったがジン(島津見(しまづけん))との絡みもあり注目した。『秘密のケンミン SHOW 極』でケンミン刑事にて出演しているとのことなので見てみようかと思う。
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