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ネットニュースの「シネマトゥデイ」で「震災映画、製作の原動力は怒り…3.11を見つめ続ける映画人の思い(3月14日)」という記事があった。 以下がその記事。 開催中の第9回大阪アジアン映画祭の特別企画「東日本大震災から3年~『メモリアル3.11』」内で11日、「東北を描く、未来を描く」と題したトークセッションが開催された。壇上には福島の家族を描く映画『あいときぼうのまち』の菅乃廣監督と脚本家・井上淳一、クリーンエネルギーを巡るドキュメンタリー『ブリージング・アース:新宮晋の夢』の彫刻家・新宮晋が出席した。 震災発生後、数多くの映画人が現地に赴き、製作された映画は約1,000本でうち劇場公開されたのは200本以上と言われる。しかし井上は、そうした作品の誕生を尻目に「自分は被災者の立場に立って映画製作に携われているのか? そもそも映画にするというのは商売にするということ。それでいいのか?」とためらったという。 だが、背中を押したのが脚本家仲間でもある菅乃監督だった。菅乃監督は福島・中通り出身。原発事故を見たとき、奇病で亡くなった父親が発した「変な病気になるのは原発の放射能が原因なんだ」という言葉を思い出して製作を決意。フィクションで勝負したいと、故・若松孝二監督の弟子である井上に脚本を託した。 井上の執筆の原動力となったのは“怒り”だという。「安倍政権は『福島はアンダーコントロールだ』と主張して東京五輪が決まった。これは、そういうことなどへの異議申立て。東京と福島は地続きであり、そして4世代家族の話にしたのも時間は繋がっているのだということを、作品を通して伝えたいと思った」と語った。 一方の新宮は当初「アーティストが政治に口を出すつもりはない」と控え目だった。だが井上らと議論を重ねるうちに熱を帯び、「ハッキリ言うと安倍政権だけでなく人類はどうかしているのではないか。巨大防波堤計画もあるようだが、未来に遺される人間の愚かさのモニュメントになっても、災害防止にはならないだろう」と持論を展開。 続けて「今の政治や大人に対しては諦めています。可能性があるのは子ども。それも心配になってきているから、そう簡単にあの世にいけない。遺言としてもメッセージとしても、できるだけ(作品を)残していきたい」というと、井上も「自分たちの合格点が見えるまで被災者の目線に立てるようなドラマを作りたい」と継続して3.11を見つめていくことを誓った。(取材・文:中山治美) 映画『あいときぼうのまち』は6月21日よりテアトル新宿ほか全国順次公開 『ブリージング・アース:新宮晋の夢』は年内公開予定 第9回大阪アジアン映画祭は大阪市内各所で16日まで開催 最初、彼ら映画人の誠実さに感銘を受けたものの、新宮晋の「今の政治や大人に対しては諦めています。可能性があるのは子ども。」の「諦めています」という言葉が気になった。「カッコつけている」とさえ、感じた。 諦めてないから、こういう映画を創るのではないか。諦め、という言葉をそんな簡単に使っちゃダメだ。 ただ、その夜に録画していた金曜日の「ごちそうさん」を観て、少し意見が変わった。 芽衣子は大輔としみじみ話す。 普通に手入れしていても、何で?ということが起こるんよ。お母ちゃんの世話なんか、大きい処では関係ないんよ。無力やな〜て。 せなけど、ほな、どないしたら良かったんやろって。どないしたら、こんな風にならんかったんやろかって。そんなことばっかり考えてた。 答えは出たん? 笑われても、怖あても、恥ずかしうても、言わなあかんことは、言わなあかん。おかしい、思うたら、言わなあかん。これは、無力な大人の責任や。エライ人は、それを言わせなあかん。山のように言わせて、聴く耳を持たなあかん。たぶん、どっちも無責任やったんや。 「無力」という言葉も、やっぱり「諦め」に似ている。けれども、それでも「無力な大人」は立ち上がるのである。
2014年03月15日
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DVD「レディー・ジョーカー」 wowowで放送された全7話を一挙に観た。約6時間を観てやっと粗筋を忠実になぞることが出来る作品が出て来たなあ、という感想を持てた。複雑な展開で小説を読んだ時には少し理解不能だった株取引や総会屋や検察や警察の内部捜査が理解出来、その関係もやっと腹落ちがした。小説を二回読んだのに、まだわからなかった処があったのである。しかし、テレビドラマのいい処はそこだけだ。 粗筋をなぞるだけで、本来もっときちんと描くべき処が描けていない。 社長の分刻みの時間管理、新聞記者の細かいネタ探し、旋盤工の職人技、それら仕事人間たちの専門的な窓から見た世界が小説の魅力だったのだが、それは描き切れていなかった。 物井やコウちゃんたちレディー・ジョーカーの「憤まん」は、演出が悪いのか、演技が悪いのか出てなかった。底辺の「怒り」がこの事件の発端であることが、よくわからない。 いくつかの改変があった。雄一郎と祐介の「関係」は完全に省略された。八代記者が生き残った。物井清三の手紙が、ほとんど省略された。そしてラストは北海道から青森へ。これらは正直許される改変である。あのラストは良かったと思う。 (解説) 1984年の「グリコ・森永事件」から着想を得たと言われる、高村薫の同名小説が待望のドラマ化。 原作は単行本と文庫を合わせた累計発行部数が100万部を越えるという大ベストセラー小説で、ビール会社社長の誘拐に端を発し、大企業の舞台裏や社会問題などに切り込んだ社会派サスペンスだ。 犯行グループを追う合田刑事を演じるのは上川隆也。企業のトップとして事件に直面するビール会社社長を柴田恭兵が演じる。 また、監督・脚本など制作スタッフには、2010年に放送され好評を博した連続ドラマW「マークスの山」のメンバーが集結し、高村薫ワールドに再び挑む。社会的強者と弱者、それぞれが抱える問題を全7話にわたり丁寧に描いていく。
2014年02月18日
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NHK Eテレ「日本人は何をめざしてきたのか第七回下北半島」を観た。 沖縄が軍事部門で日本列島の捨て石になっているのだとしたら、下北半島は原発部門で日本の捨て石になっている。と感じた。縦に長い日本列島の尖端に札束と住民の分断を持ち込んで、安保とエネルギーの矛盾を押し付けている。戦後の60数年間、それはみごとなほどに一貫しているだろう。 NHKのEテレには、まだ良心的なディレクターが奇跡的に残っている。素晴らしく鋭いというわけではない。しかし、NHKだからカメラの前に座ったに違いない、「六ヶ所村ラプソディー」などの監督の前では決して出てこない人たちが登場する。 例えば、高橋さんは約30年前には泊の土地を売った金で大豪邸を建ててインタビューに答えている。次の瞬間、その家は草茫々の空地になり、貸屋みたいな処で出稼ぎに出掛け人生に疲れた高橋さんの顔が写し出される。 或いは六ヶ所村の村長選挙で、反対派と政策協定を結び、核燃料再処理施設の住民投票にかけるという約束で村長になった男が、2005年に過去を回想して、「私は協定を結ぶ気はなかった。つい印鑑を押しちゃったんだ。無意味な協定だった」と堂々と言っている。彼は既に故人だそうだが、六ヶ所村が原発政策のキーポイントだったことを考えると、この厚顔無恥に憤りを覚えるのである。 高村薫の「新リア王」は、80年代の下北半島の自民党の側からみた原発政策決定の事情を説明して余りない。是非通読をお勧めする。 この番組のホームページの説明と、再放送予定は以下の通りである。未観の方は是非。 【再放送】2014年1月25日(土)午前0時45分~午前2時15分(金曜深夜) かつて青森県下北半島は貧困のどん底に喘いでいた。辛酸を嘗めた戦後開拓。冷害。希望を託したビート栽培も自由化で頓挫した。沿岸漁業も規模が零細で、中学生が夜はイカ漁に出るしかない状態だった。60年代の「むつ製鉄」、70年代の「むつ小川原開発」と工場誘致も相次いで失敗。1960年代半ばの高校進学率は20%で、若者たちの多くは集団就職で村を離れていった。 そうした暮らしが変わり始めたのは、1980年代の核燃料サイクル基地の六ヶ所村への誘致だった。村を二分した激しい対立が繰り返されたが、結果として、原子力マネーは村を変えた。 いま六ヶ所村は全国でも数少ない地方交付税の未交付団体。若者たちは、希望すれば地元で働くことができるようになった。後に続けと、東通村は原発、むつ市は使用済み核燃料の中間貯蔵施設、大間町はフルMOX原発建設へと舵をとった。下北半島はいまや有数の原子力産業集積地になったのである。 全国でも類を見ないほどの大きな変貌を遂げた下北半島、その戦後史を関係者の証言から綴る。
2014年01月23日
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リリー・フランキーとはいったい何者なのか。 昨日までは、一介のチャラチャラしたタレントとしか思っていなかった男をこの数日の間にかなり見直しています。 彼をwikiで調べると、マルチタレントという位置づけらしい。その肩書きは俳優や作家と並んで、絵本作家やミュージシャンなど10幾つもあった。 そういえば、この前終わったけれど「AKB映像センター」という日曜日深夜の番組があって指原莉乃と一緒に司会をやっていた。なぜこの組み合わせなのか、わからなかったのであるが、2人とも見事なマルチタレントだったわけだ。さっしーがAKBセンターを獲った日の生放送で「秋元康先生に冷たくされた」と落ち込んでいた時に、彼はあるミュージシャンの言葉を出して「全てのセンターは最初はアナーキーから始まる」と励ました。私はコイツたまにはいいことを言う、とは思ったが、同時に芯からの女たらしだと思った。ホントにドンピシャのタイミングで、こういうことを言える人はいない。映画「モテキ」で、落ち込んでいた麻生久美子を寝とったのは、演技を越えていたし、その後にテレビ版も見たのだが、同じ役で満島ひかりまで寝とっていたのである。この自然さは、地のままを出していたのだとしか思えない。 一方、映画「ぐるりのこと」では、木村多江の夫で法廷画家を演じ、かなり良かった(そういえば、この役も最初は女たらしとして登場した)。それはもちろん監督が良かったのだとばかり思っていた。彼は地のままだと思ったからである。 AKB映像センター最終回では、彼はミュージシャンとして生放送で演奏をして指原莉乃の生歌をサポートしていた。最後まで指原を助けたわけだ。ホントになんでも出来るヤツだ。こんな男が女を不幸にするのだ(←意味不明)、と思った。 そして「そして父になる」と「凶悪」である。 「そして父になる」では、全然儲からない電気屋のおっちゃんだけど、子どもと付き合う時間だけは大切にしているお父さんを演じ、演じているとは思えない自然さだった。 「凶悪」では、何人も殺人を犯して死刑囚になった男から告発される隠れた三人の老人殺人の主犯を演じる。「先生」と呼ばれる彼は、金のために人を殺すに全く躊躇いがない人格異常者として登場する。むしろ嬉々として人を殺す。これも、いつも遊んでいる本人のように自然なのである。 二つを見比べると、ちょっとした人間不信に陥りそうになりました。 いやあ、ここまで演じることが出来ると、単に「地のままを出している」ではすまされない。素晴らしい、と思う。是非とも今度は助演男優賞をとって欲しいと思う。男としては「嫌い」だけど。 ちなみに、当然彼の演技については、かなり話題になっています。(以下ネットの記事) リリー・フランキーの演技の振り幅が話題「何もしない凄さ」評 2013/10/05 07:00 同時期に公開された映画『凶悪』と『そして父になる』。その両作に出演するリリー・フランキー(59才)が、『凶悪』では金のために人を殺す悪人、『そして父になる』では小さな電気店を営む、人間味ある“いいお父さん”を演じ、“善人か悪人かわからなくなる”とその演技の振り幅が話題を呼んでいる。 ネット上では、こんな声が出ている。 「『凶悪』の後に『そして父になる』を観たら、リリーさんが怖くてそれどころじゃなかった」 「極悪非道なリリーさんの演技を観た直後、もうひとりのリリーさんにすぐ癒してもらうという驚異の振り幅を体感した」 「どっちのリリーさんを信じたらいいのか…」 対照的な役どころを演じきるリリーに、見るほうも“混乱”しているという状況なのだ。映画解説者の中井圭さんがこう解説する。 「『凶悪』でのリリーさんには、善なる部分が一切感じられません。リリーさんは表面的には優しい雰囲気があるため、余計に悪の部分が際立つのです。その姿には狂気さえ感じます。『そして父になる』では、完全に真逆で、“金は無いけれど明るいわが家のお父さん”という役柄の人間っぽさを表現する微細な演技が光っています」 一方で、「リリーさんの場合、悪役だからといって他の役と違いはない。これまでやってきた普通のいい人の役と同じように演技している。だから怖さが増すんです」と、リリー初の悪役について語るのは、映画評論家の町山智浩さん。 リリーが演じるのは、実在する殺人事件の首謀者“先生”。罪悪感が全く無く、他人への共感性が欠如しているサイコパス(人格異常者)だ。 「人を殺すことが特別じゃない、精神構造が完全に違う人間の役なので、特別な演技は必要ない。逆にいわゆる訓練された俳優さんが演じると、ただの犯罪者、“人を殺した特殊な人”になってしまう。リリーさんはすごく肩の力が抜けていて、殺す前と後と全く変わらない。その姿が表現できていると思います」(町山さん) つまり、善人と悪人、どちらを演じる際も、リリーの“普通の人っぽさ”がその役のキャラクターを引き出しているということだ。『そして父になる』の是枝裕和監督が起用した理由も、まさにそれだった。「善人か悪人かわからないところがいい。カメラの前で何もしないことの凄さをすごく理解している」とリリーを評価している。 前出の中井さんも、もともと役者ではないリリーは、“演技臭さ”がないところが強みで、それが存在感につながっていると指摘する。 「リリーさんは、人間が持つ喜怒哀楽や多面性を自然に出せる役者さんといえます。そこにリアリティーがあるから、観る人が引き込まれるんだと思います。両作品の演技で、今年から来年にかけて映画賞の演技賞の有力候補になるのは間違いありません」(中井さん) 2009年、映画『ぐるりのこと』で法廷画家を演じ、ブルーリボン新人賞を獲得したリリーだが、年末に向けて再び賞レースで注目を集める存在になるかもしれない。
2013年10月07日
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県労会議機関紙に連載している映画評の今月の原稿を転載します。 「夢売るふたり」 昨年度の邦画の中ではマイベストワンです。もっとも、巷の評価はあまり高くありませんでした。もしかしたら、結論部分を明快に終わらせていないこと、善悪がはっきりしていない事が影響しているのかもしれません。しかし、それこそが西川美和監督作品の特徴であって、魅力でもあるのです。 話は結婚詐欺をする夫婦の物語です。貫也(阿部サダヲ)の妻の里子(松たか子)は言います。「何もウソをつく必要はないのよ。彼女たちに夢をほんの少しだけ見せてあげればいいの」 やっている事は立派な詐欺でも、火事で開業資金が足りないこと、妻もいることも隠さない、借用書も作成し借金のつもりでお金を貰っているから貫也は自然体のままで「ウソ」をつく。女性も多くは、夢見た自分を信じたいから、自分に言い訳して彼を許すのです。 「ウソ」と「ホント」の境界は曖昧です。「ゆれる」「ディアドクター」以来のテーマを、西川美和監督は俳優の見事な演技とスタッフ陣に支えられて、絶妙な作品に仕上げました。 一つひとつのカットにきちんと意味を持たせているので、一瞬たりとも油断出来ません。状況説明的なセリフは一切なく、映像と短いセリフだけで、彼らの置かれている状況、展開、時間経過、心理を読み取らなければなりません。この緊張感は映画館でこそ体感できると思うのですが、DVDではもう一度見ることも可能なので、よくわからなかった方にはお勧めします。こういう濃密な作品を見ることが、私は映画の醍醐味だと思うのです。 貫也と里子の始めた「夢」を売る商売はおそらくどこかで「人間性」をも売っていたのでしょう。貫也よりも参謀役の里子の人間が壊れて行く様がこの映画の見どころのひとつです。清純派が多かった松たか子が鬼気迫る演技をしています。食パンを齧りながら、人付き合いのいい夫が浮気をして同情心で金を貰った悔しさを押し込めて、結婚詐欺を思いつくまでの表情の変化。金のためとは言え、次々と女と寝る夫に対して割り切りと、淋しさと、恨みと、哀しさに揺れてゆく後半の里子の心の変化は、松たか子の表情だけではなく、街の木枯らしなどの映像からも表現されるのです。 物語は意外な結末を迎えます。ふたりはどうなったのか。別れたのか、別れないのか。詐欺行為で捕まったのか、捕まらなかったのか。お金は全て返したのか、返さなかったのか。セリフが一切ないだけにわからないという人もいるかもしれませんが、私には明快なラストに思えました。(2012年作品、レンタル可能)
2013年09月16日
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県労会議の機関紙に連載している8月の映画評です。 「道-白磁の人-」 今回はお盆の時期ということで、映画の主人公の墓参を果たした体験を書こうと思います。 去年の6月に「道ー白磁の人ー」という作品を観ました。林業技師として朝鮮半島に渡り、多くの荒れ果てた山林を生き返らせ、柳宗悦と共に白磁などの朝鮮民芸品の価値を広め、韓国の人たちに今でも敬愛され続ける浅川巧の生涯を描いたものです。 感動した私は、去年の八月に生涯最長の韓国への旅をしたときに、ソウルの浅川巧の墓にも行くことにしました。 地下鉄を乗り継いで忘憂(マンウ)駅から忘憂公園を目指します。私は1時間以上歩いて行きましたが、旅慣れない人にはタクシーをお勧めします。私は公園内に墓が整然と並んでいるのか思っていたのですが、さにあらず、ひとつの山の中に有名人の墓が点在していたのでした。入口の案内板にも場所は書いてなく大いに迷いました。やっと見つけたのは、道沿いのトンラクチョン薬水(湧き水)の右手にあるお墓でした。 墓はずっと韓国の方が手入れされています。この時も枯れてはいましたが花が添えられていました。 ハングルで彫られていた墓誌に彼の人生がそのまま現れているように感じました。 「韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に生きた日本人、ここ韓国の土となる」 さて、映画は浅川巧(吉沢悠)の林業技師としての活躍と巧のアシスタントのチョンリム(ペ・スビン)との民族を超えた友情とを中心に描かれます。 朝鮮人を嫌っている母親役を手塚理美が演じているのですが、巧の葬式の場面で実にいい演技を見せます。この時、私は日本人も韓国人も「分かり合える」映画が出来た、と感じました。 浅川巧は結局日本の植民地政策に何の影響も与えませんでした。けれども私は巧の墓に向かい「貴方は時代を変ふえることはできなかった。けれども、人を変えたのです」と手を合わせたのでした。 (2012年作品、高橋伴明監督、レンタル可能ですがツタヤには検索では現在高屋店、十日市店、古新田店、児島店でしか扱っていないようです)
2013年08月17日
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ご存知だろうか。韓国でのジブリ作品の位置は、日本のそれと遜色はない。ジブリ作品はその初期段階から必ず直ぐに全国上映されてきている。五年ほど前に韓国の旅で一緒になった20代後半の青年は日本語が非常に上手かったが「日本語は独学です。ジブリ作品を見て覚えました」と堂々と言っていた。彼ほど喋れない韓国映画大好きな私が心底恥ずかしかった。 宮崎駿の新作「風立ちぬ」も早9月には上映されるらしい。主人公が戦闘機を作った男だということで、韓国内ではいろいろな憶測が飛んでいるらしい。日本人にもいますが、映画を見る前にその作品を批判するのは最低の映画ファンである。幸いにもこの取材をした韓国の女性記者は真っ当に作品を見ているようだ。 私は既に「風立ちぬ」の映画評を書いているので、くどくどは書かないが、この作品を好戦映画と見るのも反戦映画と見るのも大間違いである。この作品の射程は10年や20年ではない。もし10年ならば、宮崎駿は明確に改憲反対戦争反対の作品を作るだろう。 私は宮崎駿は「人間なんて滅んでしまえばいい」という想いと「人間は大好きだ」という想いがいつも闘っている作家だと思う。基本的にとってもネクラなオヤジだと思う。 でも、数年先のことでは、この記事に書かれたようなことを勇気を持って明確に云う男なのである。
2013年07月27日
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岡山県労会議の機関紙に連載している「映画ってエェが」46回目の今月は、初めての新作映画の紹介です。転載します。 私的にはネタバレはしていないつもりですが、かなりテーマに踏み込んでいます。真っ白な気持ちで作品に臨みたい方は、読まない方がいいかもしれません。 「風立ちぬ」 試写会で観ました。この映画評では初めてこれから上映される新作を紹介します。 話は一見単純。大正から昭和にかけて、ゼロ戦の設計者・堀越二郎と作家の堀辰雄をモデルに、希代の高速戦闘機を設計した青年と、薄幸の女性菜穂子との恋愛を描くアニメです。 しかし、作品の構造はストレートに人の胸を撃つという風になっていません。かなり複雑な内容です。 「宮崎駿が初めてファンタジーを排してリアルに徹した」ともいわれているし「日本の戦争の時代を描いた」ともいわれています。可とも不可とも言える、と私は思います。監督の意図は「反戦」ではありません。ただ、戦闘機設計士を主人公にしたから「好戦」だとは決して言えません。堀越二郎の眼を通して、関東大震災、不景気と貧困、特高警察の存在は描かれています。ナチスを嫌ってアメリカに亡命したトーマス・マンのようなドイツ人を登場させて、昭和初めの戦争前夜の情勢を語らせたりはしています。それは確かに現代と重なる処もあり、だからこそ監督はこの作品を作ったのかもしれません。ただ、同時に堀越二郎自身には時代を批判する思想は全くないのです。堀越二郎自身はひたすら「美しい夢」を追っているだけなのです。この「美しい夢」と「風」がこの作品では何度も何度も出て来ます。この二つの言葉が、たぶんこの作品の核です。 堀越が一時期住む家に「天上大風」の額が飾られていていました。意味を調べると「地上には風がふいていないように思えても、天の上には大きな風がいつもふいている」というものらしい。風は時には地獄の業火(大震災)にもなるし、時には鉄の塊を宙に浮かせて素晴らしい景色を観させてくれる力にもなります。「風」とは何だろう?この「風」がとても魅力的に描かれています。 謎かけみたいで、気がひけるのですが、描いているのは宮崎駿が過去の作品でずっと描いて来たものです。「もののけ姫」で描かれた鉄砲技術の発達と自然との戦い、「風の谷のナウシカ」漫画版の後半で描かれた人間の業と人類の未来の姿が、この作品と重なって仕方ありませんでした。私は面白かったです。 美しい 映像は数多く素晴らしく、特に関東大震災の場面はアニメならではの表現で圧巻です。(7月20日全国公開) produced by 「13日の水曜日」碧猫さん
2013年07月18日
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空からジェット機が堕ちてくる沖縄 ーむかしも今も 「ひまわり」 1959年6月30日、沖縄県宮森小学校に米軍ジェット機が落ち、12人の生徒が亡くなった。そのあと、沖縄国際大学に米軍機が落ち、さらにオスプレイが普天間基地にやって来ても、米軍基地の現状とアメリカ優先で住民の命は二の次三の次にされる現実は何も変わらない。もう黙ってはいられないと、久しぶりの沖縄映画が出来た。 長塚京三主演、須賀健太、能年玲奈出演。朝ドラ「あまちゃん」でブレイクしつつある能年にとっては映画出演はほとんどこれがデビューに近い。まだまだ硬いが、目の輝きは福田沙紀よりはあった。 泣かせて感動させるだけならば、宮森小学校への墜落場面は後半にもってゆき、ほとんどそれで話を作る方法もあったはずだ。しかし、そういう脚本にはしなかった。墜落場面は前半で早々に終わり、あとは現代の大学生がゼミで墜落事件を取材する中で次第と沖縄の現実について目を見開き平和コンサートを成功させるまでを描く。その中で、宮森小学校の悲劇も日常的な米兵暴力の理不尽さも、同じ根から出て来ていることを学んでゆくのである。つまり、映画の中では遂に言葉としては出てこなかったが、日米安保である。その矛盾を一身に背負った沖縄の「今」を若い役者たちに作らせたのは、ひとえに沖縄の人たちの願いなのだろうし、実際の今の沖縄の姿のような気がする。 ドラマとしては、都合のいい場面もあるし、演技もドキリとするのはやはり長塚京三のセリフ長回しだったりするのだが、どこから本物の遺族が出てどこから役者が出ているのかわからないドキュメンタリータッチの映画作りには好感が持てた。 2013年4月21日 ★★★★☆ produced by 「13日の水曜日」碧猫さん
2013年04月21日
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三國連太郎さんが亡くなられた。結局「わが母の記」が最後の映画になるのか。あの時、死ぬ数日前に役所広司の手を不意にぐいと掴んだ演技にドキリとした。最後まで凄い役者だった。 三國連太郎さんの代表作に「飢餓海峡」「釣りバカ日誌」等が選ばれているようだが、私にとって忘れられないのは、「息子」(1991)の親父としての存在感。たいした人間じゃないのに、大きな壁として存在するそれを見事に演じた。 長男の家庭では賢まって小さくなり、出来の悪い次男の下宿先ではのびのびとしている姿が、そして雪深い東北の家で迫り来る死の前で幸せだった過去の家族を思い浮かべるラストに、やられてしまった。 三國連太郎さんの出演作では「夏の庭」(1994)も忘れられない。近所のあばら家に住む今にも死にそうな老人。けれども、その老人が思いもかけず「生きる」ことの大切さを教えてくれる。震災前の神戸が映っていて、また貴重だった。 そう言えば、「わが母の記」も「息子」も「夏の庭」も、殺されるのでは無くて、老いて死ぬ役だった。三國連太郎ほど、そういう役が似合う役者はいなかったと思う。これ以外でも、私の観た限りで「大病人」「釣りバカ日誌20 ファイナル」「生きたい」などで、それに似た役を演じた。三國連太郎はいったい何度死んだのか。誰か数えたら面白いと思う。 名優、怪優、90歳なので大往生ではあるのだが、とてもとても惜しい俳優を日本映画は亡くした。 三國連太郎フィルモグラフィー を記録します。これをみると、まだまだ名作を見逃しているな、と思わずにはいられない。 2011年 わが母の記 2011年 大鹿村騒動記 2009年 釣りバカ日誌20 ファイナル 2008年 蘇る玉虫厨子(出演/ナレーション) 2008年 釣りバカ日誌19 ようこそ!鈴木建設御一行様 2007年 北辰斜にさすところ 2007年 釣りバカ日誌18 ハマちゃんスーさん瀬戸の約束 2006年 釣りバカ日誌17 あとは能登なれ ハマとなれ 2005年 釣りバカ日誌16 浜崎は今日もダメだった 2004年 釣りバカ日誌15 ハマちゃんに明日はない!? 2002年 風の絨毯 2002年 釣りバカ日誌13 ハマちゃん危機一髪! 2001年 大河の一滴 2001年 釣りバカ日誌12 史上最大の有給休暇 2000年 釣りバカ日誌イレブン 1999年 虹の岬 1999年 生きたい 1999年 老人と海(1999) 1998年 花のお江戸の釣りバカ日誌 1998年 釣りバカ日誌10 1997年 釣りバカ日誌9 1996年 釣りバカ日誌8 1996年 美味しんぼ 1995年 三たびの海峡 1995年 地球交響曲 ガイアシンフォニー 第二番(声) 1994年 夏の庭 The Friends 1994年 釣りバカ日誌7 1994年 釣りバカ日誌S 1994年 女ざかり(1994) 1993年 釣りバカ日誌6 1993年 大病人 1992年 ひかりごけ 1992年 釣りバカ日誌5 1992年 勝利者たち 1992年 豪姫 1991年 釣りバカ日誌4 1991年 息子(1991) 1990年 釣りバカ日誌3 1989年 釣りバカ日誌2 1989年 利休 1988年 釣りバカ日誌 1988年 嵐が丘(1988) 1988年 マルサの女2 1987年 木を植えた男(ナレーション) 1987年 親鸞 白い道(脚本/原作/出演/監督/企画) 1987年 螢川 1986年 人間の約束 1986年 波光きらめく果て 1985年 きみが輝くとき 1984年 彩り河 1982年 未完の対局 1981年 セーラー服と機関銃 1981年 アッシイたちの街 1980年 ミスター・ミセス・ミス・ロンリー 1979年 あゝ野麦峠 1979年 復讐するは我にあり 1978年 野性の証明 1978年 皇帝のいない八月 1977年 霧の旗(1977) 1977年 黒木太郎の愛と冒険 1977年 八甲田山 1976年 はだしのゲン 1976年 犬神家の一族(1976) 1976年 妖婆 1976年 鉱毒(ナレーション) 1975年 わが青春のとき 1975年 金環蝕 1975年 雨のアムステルダム 1974年 メス(1974) 1974年 襤褸の旗 1974年 卑弥呼 1973年 戒厳令(1973・日本) 1973年 藍より青く 1972年 旅の重さ 1972年 海軍特別年少兵 1972年 約束(1972) 1972年 座頭市御用旅 1971年 告白的女優論 1971年 戦争と人間 第二部・愛と悲しみの山河 1971年 3000キロの罠 1971年 甦える大地 1971年 真剣勝負 1971年 内海の輪 1970年 戦争と人間 1970年 野獣都市 1970年 蝦夷館の決闘 1969年 新選組(1969) 1968年 神々の深き欲望 1968年 “経営学入門”より ネオン太平記 1967年 座頭市牢破り 1966年 地獄の掟に明日はない 1966年 処刑の島 1966年 愛欲(1966) 1966年 脅迫 おどし 1965年 宮本武蔵 巌流島の決斗 1965年 にっぽん泥棒物語 1964年 飢餓海峡 1964年 怪談(1964) 1964年 狼と豚と人間 1964年 越後つついし親不知 1963年 続・王将 1963年 馬喰一代(1963) 1963年 陸軍残虐物語 1963年 無法松の一生(1963) 1963年 東京アンタッチャブル 脱走 1963年 二人だけの砦 1963年 無宿人別帳 1962年 海猫が飛んで 1962年 王将(1962) 1962年 宮本武蔵 般若坂の決斗 1962年 東京アンタッチャブル 1962年 暗黒街最後の日 1962年 切腹 1962年 天草四郎時貞 1962年 二・二六事件 脱出 1962年 破戒(1962) 1961年 飼育 1961年 はだかっ子 1961年 街 1961年 故郷は緑なりき 1961年 わが生涯は火の如く 1961年 宮本武蔵(1961) 1960年 大いなる驀進 1960年 生き抜いた十六年 最後の日本兵 1960年 白い粉の恐怖 1960年 大いなる旅路 1959年 七つの弾丸 1959年 今日もまたかくてありなん 1959年 漂流死体 1959年 キクとイサム 1959年 荷車の歌 1958年 森と湖のまつり 1958年 真夜中の顔 1958年 女侠一代 1958年 欲 1958年 風と女と旅鴉 1958年 夜の鼓 1957年 美徳のよろめき 1957年 鷲と鷹(1957) 1957年 異母兄弟 1956年 ニコヨン物語 1956年 流離の岸 1956年 死の十字路 1956年 ビルマの竪琴(1956) 1956年 悪の報酬(1956) 1955年 続・警察日記 1955年 江戸一寸の虫 1955年 自分の穴の中で 1955年 三つの顔 1955年 おしゅん捕物帖 謎の尼御殿 1955年 七つボタン 1955年 地獄の用心棒 1955年 生きとし生けるもの 1955年 警察日記 1955年 あした来る人 1954年 女人の館 1954年 宮本武蔵(1954) 1954年 泥だらけの青春 1954年 よい婿どの 1954年 さらばラバウル 1954年 伊津子とその母 1953年 お祭り半次郎 1953年 愛人 1953年 太平洋の鷲 1953年 赤線基地 1953年 再会(1953) 1953年 青色革命 1953年 愛情について 1953年 妻(1953) 1953年 逃亡地帯(1953) 1953年 恋人のいる街 1953年 吹けよ春風 1953年 夫婦(1953) 1952年 春の囁き 1952年 上海の女 1952年 美女と盗賊 1952年 思春期 1952年 戦国無頼 1952年 本日休診 1951年 命美わし 1951年 海の花火 1951年 少年期 1951年 善魔 1951年 稲妻草紙 produced by 「13日の水曜日」碧猫さん
2013年04月15日
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「渡されたバトン〜さよなら原発〜」「日本の青空」シリーズ第三弾です。新潟県の巻原発を阻止した経験を映画化したのだということだけが事前情報でした。監督は池田博穂さんに代わり、構成はどちらかと言うと、軟派の山本薩夫という感じ。前半は原発推進派の視点から話が進む。どうやら主人公格は老舗料亭の家族(夫婦に女三人と男一人の兄弟姉妹)なのだが、父親は商工会議所の役員をしていて、原発推進派、子どもたちにも少しも批判的視点がない。補償金をいかに分捕るか、料亭の中、漁協、政治家、不動産屋などが相談する。このままだと原発出来ちゃうよ、と思っていると‥。英雄的な反対派の運動家は遂に現れないままに次第次第と原発の危険性を危惧する人が増えて行く。節目節目でスリーマイル、チェルノブイリで事故が起こり、数度の町長選挙のあとで反対派が勝利、それでも決着が着かず二度目の住民投票で勝利する。珍しい感動の仕方をした⁉ 上関原発も30年の闘いだけど、巻町の原発も30年以上の闘いだったんだな。権力と金の力の前で、圧倒的不利な闘いをしているという共通点がある。しかし、形成逆転のカギは「決して諦めないこと」そして「ともかく時間が住民たちに味方する」ということだった。真実は必ず勝つ、と言えば聞こえはいいが、こんなにも労力をかけないと「国策」である原発推進を止められないというのは、いったいどういうことなのだろう。この映画では、原発の原理的な批判は一切されていない。だから、へそ曲がりが見れば「これは原発反対派のプロパガンダ映画なのだ」といわれるかもしれない構成になっている。もちろん、脚本のジェームス三木は確信犯的にそう書いている。「話しあおうよ」何時の間にか、反対派になった次女が云う。そのあとの、お父さんと次女の対話がこの作品のクライマックスである。「戦争が終わって、二度と家族に惨めな想いをさせたくないと思った。町の発展を願うのがそんなにいけないことなのか?」お父さんの推進する理屈はそれなりに家族を想ってのことであった。次女は静かに云う。「その想いはよく分かる。お父さんの時代ではそれで良かったのかもしれない。でも、家族を幸せにするには、時代ごとに方法は変わるのではないか。私たちの時代では、核兵器や原発が出来た。それを本当に次の世代に残してもいいの?私たちにはバトンをきちんと渡す義務がある」次の世代に託すバトン。原発の原理的な理屈は一切なかったが、「日本で1番原発に詳しい住民(と町長がいう)」人たちが選択した事実の重みが何よりもの説得力である。これから、日本全国へ順次巡回上映される。2013年3月23日★★★★☆ produced by 「13日の水曜日」碧猫さん
2013年03月24日
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旅から帰ってきてから、テレビで観たDVDやケーブルテレビで観た映画の感想も序でに載せておきます。「夜叉」日本映画専門チャンネルで1985年の降旗康男監督の作品を観た。出演がなんと、高倉健: 修治田中裕子:螢子ビートたけし:失島大滝秀治:親爺小林稔侍:トシオという事で、被っている。他にも、いしだあゆみ、乙羽信子、田中邦衛などが出演。今から27年前、健さんは54歳か。ヤクザから足を洗って敦賀で漁師をして15年が経ったという設定。田中裕子が異様に色っぽい。やっぱり、健さんは全く喋らないが、蛍子の為に大阪ミナミまで出かけるのも無理ないかと思わせる。あれから二人があそこまで枯れて「あなたへ」に辿り着くとは。健さんはまだ、動き出せば、背中の夜叉が暴れる目の輝きは持っている。あの目の輝きはスクリーンでしかわからないだろうから、結局健さんは最後の映画スターとなってしまうのだろう。2012年9月22日★★★★☆「百万長者の初恋」(2006)百万長者のドラ息子が遺産相続の条件で、田舎の高校に引っ越す。もう設定を観ただけで全てのストーリーがわかってしまう。それでも泣かせてしまうというのが、韓国映画の凄い所。ヒョンビン:Kang Jaekyungイ・ヨニ:Choi Eunhwanイ・ハンソル:myeongsikチョン・ウク:Principal我がままな財閥の御曹司が田舎の高校に編入するはめになり、病を患う少女と生まれて初めての恋に落ちるラブストーリー。監督は「オオカミの誘惑」のキム・テギュン。出演はテレビドラマ『私の名前はキム・サムスン』のヒョンビンと、映画初出演のイ・ヨニ。2012年9月23日★★★☆☆DVD「フィッシュストーリー」(2009)「フィッシュストーリーがいつか世界を救うんだよ。あってもいいんじゃないかな、それぐらいのことは」監督 中村義洋原作 伊坂幸太郎音楽・出演 斎藤義和今更ながら観た。フィッシュストーリー(ほら話)が、いろいろ巡り巡って、2012年彗星地球衝突の世界を救う話である。それは、反対に言えば、想いが届く。ということだ。巡り巡って、だけど。それぐらいのことは信じてもいい。きっと。もしかしたら、私の想いも、100年後には、世界を救うかもしれない。たまたま2009年では無く、2012年に観たのが、運命なのかもしれない。なんてね。2012年9月24日★★★★☆DVD「約束」(1972年)岸恵子が疲れた過去のある女を演じ、チンピラ風の萩原健一が憎めない男を演じる。北陸の風景を丁寧に描き、後の「津軽じょんがら節」の先駆をなす。(斎藤耕一監督)解説 看守付きで仮出所した女囚と、刑事に追われる強盗犯が列車の中で偶然に隣り合わせになり恋に陥る。一一明日がない男と女の悲しい別離を描く。脚本は「旅路 おふくろさんより」の石森史郎。監督も同作の斎藤耕一。撮影は坂本典隆がそれぞれ担当。出演 岸惠子、萩原健一、南美江、三國連太郎、中山仁、殿山泰司2012年9月29日★★★★☆ケーブルテレビ「君に届け」(2010)ベタベタな少女マンガの世界を忠実に描いている。多部未華子があり得ない様な可愛い女の子を演じ切った。「解説」椎名軽穂の同名コミックを「おと・な・り」の熊澤尚人監督が実写映画化。見た目が暗く、クラスに馴染めない健気で純粋な女子高校生の初恋を描く。出演は「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」の多部未華子、「ごくせん THE MOVIE」の三浦春馬、「戦慄迷宮3D」の蓮佛美沙子、「音楽人」の桐谷美玲、「人の砂漠」の金井勇太など。2012年9月30日★★★☆☆ケーブルテレビ「あなたの初恋探します」やっぱりキム・スジョンは安心して観ていられる。韓国ではきちんと最初の処で爆笑させて、最後はしんみりさせる。最後はちょっと都合良かったけど、まあ良かった。解説 韓国のヒットミュージカル『キム・ジョンウク探し』を、演出家チャン・ユジョン自身が監督して映画化。初恋の相手を忘れられず、結婚に踏み切れない女性と、彼女の初恋の相手を探す“初恋探し会社”の社長が繰り広げるラブストーリー。出演は「サイボーグでも大丈夫」のイム・スジョンと『コーヒープリンス1号店』のコン・ユ。DVDで鑑賞。2012年10月20日★★★☆☆「下妻物語」(2004)結局、私はこの時の中島哲也が最盛期だったと思う。あとは小手先に頼る様になった。途中からみたのだが、ついつい最後までみなくちゃいけなくなる力がある。 (解説)ロリータとヤンキー、価値観が真逆のふたりの少女の友情と成長を描いた青春コメディ。監督は「Beautiful Sunday」の中島哲也。嶽本野ばらによる同名小説を基に、中島監督自ら脚色。撮影を「tokyo. sora」の阿藤正一が担当している。主演は、「阿修羅のごとく」の深田恭子と映画初出演の土屋アンナ。2012年10月20日★★★★☆
2012年10月25日
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「ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳」監督 長谷川三郎この映画を見ていた10月1日のちょうどその時、世界一危険なオスプレイが世界一危険な 普天間基地に配備された。ゲート前の抗議の、何百人もの座り込みを機動隊で強制排除した上での配備。政府がついに沖縄を切り捨てた瞬間である。しかし、その具体的な状況は遂にほとんどのメデイアは報道しなかった。このドキュメンタリーの中で90歳の報道写真家福島菊次郎は「世のメデイアは5W1Hで記事を書いていれば、それで良しとする」と嫌悪感を露わにした。まるきり、何も変わっていない。YouTubeで確かにメデイアで報道されない事実も知られる様になった。しかし、10分の映像も一枚のプロの写真には叶わない部分がまだまだあるのではないか。そんなことを、私は思った。カメラマンの学校で90歳になろうとしている福島は言う「プライバシーの尊重など守らなければならないことはある。しかし、撮る対象が法律に違反している時には、法律を犯してでも撮らなければならない」若いカメラマンたちは、果たしてどう思ったのだろうか。沖縄の例で言えば、この空間は日米安保条約に基づく米軍提供地域であったために逮捕される恐れもあった。だから座り込みをしていたのは主に白髪の年配の方たちが声を掛け合って最前線で座り込みをしていたのである。それを取材する過程でカメラマンにも累が及ばないという保証はない。しかし、それでもそれを取材するのが、そしてそれを発表するのが本来の報道写真家というものだろう。ヒロシマ被爆者の中村さんに密着した体験に始まり、祝島、三里塚、ウーマンリヴ、安田講堂、水俣、フクシマ、常に反権力の側に自らの立場を鮮明にして入ったからこそ、新聞や週刊誌には撮れない機動隊に殴られる学生、あるいは三里塚の女性、自衛隊基基地の隠し撮り、祝島のおばちゃんたちの笑顔なども撮れたのである。「中立な立場など無い」福島は言うが、報道とは正にそうなのだ。安田講堂占拠までの全共闘運動を全面肯定しているので、私としては全てを良しとするわけではないけれども、「昔は反権力の場にいることは私はできなかった。しかし今はそれが自由に出来る」若者を素直に応援していたのだと思う。年金ももらわず、生活保護も拒否し「最後は孤独死だろう。それは国に殺されたと思ってください」と言っているあたりかなり「カッコイイおじいちゃん」でした。inシネマクレール2012年10月1日★★★★☆
2012年10月02日
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今月の労働組合機関紙に載せた私の映画評です。これで34回目の連載。来月から四年目にはいります。今回の分使用には少し力を入れました。何しろ、去年のベストワンですから。でも、実際はこの倍以上の文章があるんですよね。削りに削ってしまいました。『マイ・バック・ページ』 昨年観た114本の中でマイベストワンです。例によって、マイナーな部類に入る作品です。でも、どうしてこれが各賞を逃したのか、私は不思議でならない。緻密で無駄の無い脚本と緊張感のある演技。そして主演は妻夫木聡と松山ケンイチなのです。 ただ、扱っている素材が70年代学生運動と有名では無い朝霞事件(過激派が武器を盗むために朝霞駐屯地に入り自衛隊員を殺害した事件)なので、敬遠されたのかも知れません。映画評論家川本三郎(映画では沢田)が朝日ジャーナル記者だった時に関わった事件の告白本が原作になっています。運動家に憧れる学生(梅山)が、嘘と弁舌で周囲を騙しながら抜き差しならない処へ入っていきます。 観た直後は、力作だと思いながらもむしろ作品に反発を感じていたのです。松ケンのマヌーバーな雰囲気は良く出ていたけど、結局は当時の過激派に寄り添う作品ではないか、と。しかし、後になればなるほど気になるセリフと場面があり、正直、この一年ずっと頭から離れなくなってしまいました。 沢田と映画デートした女子高生(忽那汐里)が云います。「私は男の人が泣くのを見るのは、好き。『真夜中のカーボーイ』でダスティン・ホフマンが、怖い、怖いって、泣いていたでしょ」沢田「泣く男なんて男じゃないよ」女子高生「そんなことない。私はきちんと泣く男の人が好き」。 忽那汐里(くつなさおり)は、最近でこそドラマCMで引っ張りだこですが、この時はまだそうでもなかった。私は初めて彼女の真っ直ぐな瞳に魅力を覚えました。 果たして、ホフマンはどう泣いたのか。私は『真夜中のカーボーイ』を二回観てみました。ホフマンは全く惨めに死ぬのが怖い、と言い死んでいきました。しかし、本当に惨めに泣くべき人間は彼のすぐそばにいて、彼はその事になんと最後まで気がつかなかった。そんな映画でした。 その構造がそのままこの映画にもシンクロしている。映画で、惨めに泣いたのは沢田だった。(それは、この作品の一番の見どころです)しかし、梅山は見事に何が悪いかに気がついていないのです。私は原作も読んでみた。すると、川本三郎は、確かに朝霞事件については反省している。しかし、当時の過激派の運動については、未だに間違いに気がついていない。よって、本当に反省していないと私には、思えました。現実で惨めに泣いたのは、学生運動が壊滅した後に大学に入った私たちなのかも知れません。 「きちんと泣く」ということはどういうことなのか。私はこの一年ずっとこのセリフに引きずられているのです。
2012年07月18日
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だんだんと近代思想史シリーズになりつつありますが‥‥‥。 12.8平和のつどい或いは「坂の上の雲」 なぜ「坂の上の雲」か 「坂の上の雲」を観た 去年三年がかりの上映が終わったNHK「坂の上の雲」を、私がなぜあんなにも何度となく取り上げたか、と言うと、靖国史観「勢力」のある意図を感じたからである。 意図とは何か。私見ではあるが、?中国侵略、太平洋戦争は正しかった。という史観は戦後教育で通用しなくなっている。?日露戦争までは日本は健全だったということは、司馬史観のお陰で、まだ通用する。?明治を理想化する事で、改憲、特に9条改定の地ならしをする事が出来る。?資本主義の黎明期を理想化する事で、新自由主義の思想的バックボーンを強化する事も出来るだろう。と、いうところだろうか。 結果はどうだったか。それを検証するためには、?NHKの番組そのものがどうだったか?連動キャンペーンの広がりはどうだったか?キャンペーンを批判する運動の広がりはどうだったか?キャンペーンの受けてはどうだったか。特に視聴率、本の売り上げ等?前と後では、世論調査に変化はあったか等々を分析しないといけないだろう。 残念ながら、その全てで、私には準備がない。(誰かやっていないかしら) 印象のみを述べたい。番組は、事前の一定の批判の元であからさまな明治礼讃にはなっていなかったと思う。私は原作は読んでいないが、原作に忠実に映像化しようという努力は感じられ、明治群像の英雄視や歴史的事実の改変は気がつかなかった。しかしながら、私はあまり熱心にはこの番組を観たわけではなかったけれども、肝心要の処で私はこの主人公たちの行動原理が理解出来なかった。兄の好古は福沢諭吉の「一身独立して一国独立す」を信条に青春時代を生きる。それが何故「軍人」なのか、説明されない。(福沢諭吉の歴史的評価は、また別問題だとは思うが当然展開されない)真之もやはり何故「軍人」なのか、さっぱりわからない。子規は病気のために従軍記者になれなかった。それを大変悔しがる。その思想的説明も、やはり一切されない。日清戦争は淡々と描かれるが、反対に言えば、どうしようもなく始まったという印象しか残らない。また、ミンピ殺害事件や日韓併合の批判的視点は見つからない。結局視聴率は15%前後だった。悪くもないが、良くもない。国民的ドラマになったとは言い難い。一つは戦争場面に、女性子供から「避けられた」という意見がある。また、第三部は大震災があり、余計そうなった、という意見がある。後者は製作者の誤算だっただろう。それでも「古き良き明治」のイメージは少しは向上したかもしれぬし、しなかったかもしれない。その辺りの検証はこれから成されるべきである。このドラマの対局にNHK「日本人はなにを考えてきたか」シリーズがあるかもしれない。前半明治の四作は、「坂の上の雲」が無視していた処を掬っていたと思う。
2012年06月23日
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今月の労働組合機関紙連載の映画評です。ホントは別の作品を準備中だったのですが、新藤監督死去の一報を受け、急遽変えました。この一文を書くに当たって「裸の島」(1960)を見ました。ユーチューブで全編見ることが出来ます。まさに名作です。「一枚のハガキ」5月29日、新藤兼人監督が老衰で亡くなった。享年100歳、大往生である。歳もそうだけど、作品的にもきっちりと「仕上げ」をして逝かれた、と思う。今回は急遽、監督の最後の作品で集大成、昨年度キネマ旬報第一位「一枚のハガキ」について述べたいと思う。 上官の引くくじ引きで100人いた部隊で6人のみ生き残り、戦後も居場所がなくなってしまったひとりの男と、最初の夫も戦地で死亡、直ぐに弟と結婚させられるも招集されて死亡、その両親も死亡し、独りになった農家の嫁。二人が最初の夫に託されたハガキが縁で出会う話である。 監督の体験が元になっているとは言え、リアリズムでは無い。戦中の農村の出征と葬式の場面を四回、全く同じアングルで同じように描いている。その他、わざと前衛舞台のようなオーバーで激しいセリフのやり取りもある。かなりいろいろな試みをこの作品でしているのである。 毎朝のように孫に「生きてる?」と言われながら起こされ、やっと撮影・監督した作品なのであるが、しかし出来上がった作品は、驚くほど若々しい。 戦争に翻弄され、ボロボロにされながらも、それでも強(したた)かに生きる「庶民」。監督が一貫して追求してきた貧しくても助け合う「家族」の姿と「反戦」、二つが分かち難く強烈に観客に突きつけられる。 他人の引いた 「くじ運」で生き残った男は、「くじ運」が悪くて寡婦になった女と生活することを自らの意思で決意する。「これがワシの最後のくじじゃ」と。 「ここを畑として、一粒の麦を蒔こう」掘っ建て小屋の前に広がる黄金の麦畑。夫婦二人で運ぶ小川の水。最後はこの場面で終わる。これは映画好きならば直ぐに連想するのであるが1960年の「裸の島」(モスクワ映画祭グランプリ受賞)の冒頭の場面のオマージュだ。瀬戸内の島を舞台に、夫婦と2人の息子との厳しく辛い労働と暖かい家族の日常を、一切セリフを無しに描いた名作である。主演は乙羽信子。最後の場面を、自らの独立プロの代表作と最愛の妻の作品に回帰する形で終わらし「これで良し、これで良し」と監督は呟いたのではないか。まさに見事な「おわり」でした。(11年新藤兼人監督作品、大竹しのぶ、豊川悦司主演、レンタル可能)
2012年06月19日
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この前映画館に行くと、ますむらひろしの絵による宮沢賢治「グスコーブドリの伝記」映画のチラシがあった。なるほど、と思う。確かに今こそこの名作を映画化すべき秋(とき)である。 ある日おとうさんは、じっと頭をかかえて、いつまでもいつまでも考えていましたが、にわかに起きあがって、 「おれは森へ行って遊んでくるぞ。」と言いながら、よろよろ家を出て行きましたが、まっくらになっても帰って来ませんでした。二人がおかあさんに、おとうさんはどうしたろうときいても、おかあさんはだまって二人の顔を見ているばかりでした。 次の日の晩方になって、森がもう黒く見えるころ、おかあさんはにわかに立って、炉に榾ほだをたくさんくべて家じゅうすっかり明るくしました。それから、わたしはおとうさんをさがしに行くから、お前たちはうちにいてあの戸棚とだなにある粉を二人ですこしずつたべなさいと言って、やっぱりよろよろ家を出て行きました。二人が泣いてあとから追って行きますと、おかあさんはふり向いて、 「なんたらいうことをきかないこどもらだ。」としかるように言いました。 そしてまるで足早に、つまずきながら森へはいってしまいました。二人は何べんも行ったり来たりして、そこらを泣いて回りました。とうとうこらえ切れなくなって、まっくらな森の中へはいって、いつかのホップの門のあたりや、わき水のあるあたりをあちこちうろうろ歩きながら、おかあさんを一晩呼びました。森の木の間からは、星がちらちら何か言うようにひかり、鳥はたびたびおどろいたように暗やみの中を飛びましたけれども、どこからも人の声はしませんでした。とうとう二人はぼんやり家へ帰って中へはいりますと、まるで死んだように眠ってしまいました。 (青空文庫より。以下引用は全て同じ) 「グスコーブドリの伝記」は、このどうしようもないリアルな「貧困家庭の悲劇」の場面から始まる。少年の時や、まだ世の中のことをあまり知らなかった青二才の頃は、ブドリの視点で物語を読んでいるので、両親の気持ちはまだよくわかっていなかった。「そうは言っても、なにもせずにほっておくなんて」などと思っていたかもしれない。この描写の少し前では、ブドリにはネリという妹があって、二人は毎日森で遊びました。ごしっごしっとおとうさんの木を挽ひく音が、やっと聞こえるくらいな遠くへも行きました。二人はそこで木いちごの実をとってわき水につけたり、空を向いてかわるがわる山鳩やまばとの鳴くまねをしたりしました。するとあちらでもこちらでも、ぽう、ぽう、と鳥が眠そうに鳴き出すのでした。等々と、ささやかだけと幸せな描写がしっかり描かれているのである。それが一回の気象異常で、ブドリの家族はすべり台を落ちる様に病気も治せず飢餓状態に陥るまでになってしまう。両親を責めることは出来ない。せめて子供を道連れにしなかったことを良しとしなければならない。この作品では、イーハトーヴの世界がおそらく1番細かに描かれている。ますむらひろしの絵では、岩手県の形をした全体地図まで描かれていた。イーハトーヴは農業国である。しかも、気候を調整して雨を降らす技術まで発達している。その機械の作業を雲の上でしている描写のなんと神秘的で美しいことか。イーハトーヴがどの様に描かれるか、あの雲をどの様に描かれているか、映画ならではの楽しみはあるのである。構想7年と書いていたから、脚本段階で大震災はまるきり頭にはなかっただろう。しかし、内容を賢治の世界を忠実に再現するものにすれば、それはそのまま現代に対する素晴らしいメッセージになるだろう。
2012年06月15日
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今日から二十四節気は芒種、七十二候では螳螂生 (かまきり しょうず)です。稲穂の種を蒔く頃だと言われていますが、最近は早いので田植えの時期になったということですね。蟷螂の卵からうようよ赤ちゃん蟷螂が出てくるのもこのころです。蟷螂の食欲は旺盛で、小さな昆虫を食べる食物連鎖では上位の方にいます。時には蛙さえ食べるらしい。特にメスは食欲があってオスをも食べる、というのは有名です。私にはその姿が、自分の食欲に自らをも食い殺される現代世界の『資本』の動きのように見えます。さて、昨日の続きです。『ポテチ』「ゴールデンスランバー」など、伊坂幸太郎作品の映画化で定評のある中村義洋監督が、伊坂の中編小説を原作に、別々の人生を歩んできたプロ野球選手と平凡な青年が辿る数奇な運命を描く。出演は、中村作品の常連の濱田岳、そして木村文乃、大森南朋。 原作を4日前に読んだばかりだった。こんな中編を何処まで膨らませるのかと思いきや、どんどん進んで行ってあっという間にラストへ。後で確かめると、たった68分の中編だった。 いつも通り、原作通りだ。若葉さん役の木村文乃があんまりすれっからしじゃないのは意外だったけど、これはこれで良い。本で読むより展開が速くて、ついついラストでは、若葉さんと同じで「たったこれだけのことなのに」泣いている私がいた。結果を総てわかっている筈なのに…。いや、一つだけ。中村監督が重要な役で出ていて、初めてお姿拝見したけど、名前と作風からしてもっとスリムな人だと思っていました(^_^;)。 ラストの変更が素晴らしい。良い「キャッチボール」している(^-^)/。「キラー・エリート」久しぶり、硬派のドンパチ映画です。なんやかんや言っても、なかなか観れない硬派の男三人組の三つ巴になるのかと思いきや、ロバート・デニーロが早々に軟弱になっていて、基本ジェイソン・ステイサム主演映画みたいになっていました。別に悪くはなかったんだけど、この三人が出る以上はもっとヒリヒリする様な騙し合いの頭脳戦か、息もつかせぬ撃ち合いを期待していました。その両方を見せながら、あと一歩足りないといった背中が痒くなる様な作品でした。「事実を基にしている」という制約があったのでしょうか。 あと、終わり近く裏の組織の正体が割れる場面があるのだけど、それは前半で既に割れている。あれはちょっと失敗では無いか。 久しぶり!クライヴ・オーウェン。ちょっと顔が浮腫んでいる様な感じなのは、苦労したんでしょうか。「トゥモロー・ワールド」の銃撃戦の美しさは一部マニアが語っているだけで、なかなかメジャーになっていませんが、もっと活躍して貰いたいものです。 (以下資料)冒険家として知られるラヌルフ・ファインズの原作を、本作が長編デビューとなるゲイリー・マッケンドリー監督が映画化。引退を決意した凄腕の殺し屋が、かつての相棒を救出するために新たなミッションに挑むサスペンス・アクション。出演は「ブリッツ」のジェイソン・ステイサム、「ザ・バンク 堕ちた巨像」のクライヴ・オーウェン、「昼下がり、ローマの恋」のロバート・デ・ニーロ。 1980年、メキシコ。極秘ミッションに駆り出された殺し屋のダニー(ジェイソン・ステイサム)は、師匠でもあり良き相棒でもあるハンター(ロバート・デ・ニーロ)とともに、いつものように厳重な警戒を潜り抜け、リムジン内の標的を暗殺。しかし、同乗していた目撃者である10歳の少年に向かって引き金を引くことがどうしてもできなかった。自身の限界を悟ったダニーは、危険な稼業から足を洗う。1年後、オーストラリアの農場で恋人と静かに暮らしていたダニーの元に、ハンターのポラロイド写真が届く。ハンターは“SASの精鋭を事故に見せかけて殺せ”という危険な仕事に失敗し、捕虜となっていた。ダニーはやむを得ず、ハンターが遂行するはずだったこの不可能なミッションを継ぐため、仲間たちを招集。だが、元SASの隊員スパイク(クライヴ・オーウェン)は彼らの不穏な動きを敏感に察知していた。その背後の存在があり、ダニーへの包囲網は確実に狭まっていく。そして、影で暗躍する謎の“エージェント”の存在。敵の予期せぬ奇襲。徐々に動きが制限される困難な状況下、ダニーは決死の行動に出るが、その先には予想もしなかった事実が存在していた……。 監督:ゲイリー・マッケンドリー脚本:マット・シェリング ジェイソン・ステイサム:Dannyクライブ・オーウェン:Spike ロバート・デ・ニーロ:Hunterドミニク・パーセル:Daviesベン・メンデルソーン:Martinイボンヌ・ストラホフスキー:Anne ドミニク・パーセル:D 「ファミリーツリー」監督 アレクサンダー・ペイン出演 ジョージ・クルーニー、シャイリーン・ウッドリー、アマラ・ミラー そうは言っても、アカデミー賞脚色賞である。期待していた。しかし、なんということはない、アメリカ映画によくある「家族の絆を確かめる」作品で、サプライズはなし。 彼らの顔は立派なアメリカ人なのだが、立派なハワイ育ちなのである。ジョージ・クルーニーが出演したのは、52番目の洲であるハワイの歴史と土地を初めてメジャー映画で取り上げたからだろうか。甘々だったけど。長女のシャイリーン・ウッドリーが美人でした。 「王宮の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件」人体発火となれば直ぐに思い浮かぶのは「パイロキネシス」(←えっ?私だけ) 超能力ですよね。実際登場人物の能力は超能力級だし、洛陽の地下には怪しいもう一つの都があって六本腕の阿修羅像みたいな人が琴を奏でているし、機械じかけみたいな怪物も出て来るし、聞いた事もないような 仏塔“通天仏”は出てくるし、なんでも有りのファンタジーSFみたいな趣きで始まるので、そう思っても無理は無いのです。 処が何と、これを全て理詰めで説明しようとするのが、この作品の大いなる挑戦なのでしょう。ちゃんと伏線も張ってあるし、それは見事なものです。よくも彼処に落としたなあと感心しました(^-^)/。但し、はちゃめちゃを後半は封印したので 、少し勢いが削がれたかもしれません。 また、感心したのは、それぞれの登場人物たちのキャラが立っている事。前半捜査を進める三人組の一人司法官ペン・ドンライ(ダン・チャンライ) は白髪。この由来を説明しない。野心家でもありそうだし、チンアルに恋心を抱いていそうだけど、一切明らかにしない。則天武后の美しき側近チンアル(リー・ビンビン)も過去に何かあったみたいだし、それだけで一つ物語が作れそうなのに、一切明らかにしない。そして三人組はそれぞれがそれぞれを疑っている。しかもその奥では尊敬も恋心も持っている。しかもそれぞれが能力抜群だから、とんでもない危機でもとりあえず安心出来る。 しかも、重要なのは、全然こむつかしくなくて、見事なエンタメだということ。しかも、ともすると、空中分解しそうなこの話を着地させたのは、やはり中国三千年の「歴史」 だということなのではないか。国際都市洛陽の再現映像は見どころの一つです。 『少年と自転車』「ロルナの祈り」のダルデンヌ兄弟が、日本で開催された少年犯罪のシンポジウムで耳にした“育児放棄された子ども”の話に着想を得て作り上げた作品。出演は、「ヒア アフター」のセシル・ドゥ・フランス、100人の候補者の中からオーディションで選ばれた新人トマ・ドレ。カンヌ国際映画祭で、審査員特別グランプリを受賞。 「二時間も捜した。こんな事をするようじゃホームに返すぞ」「 あなたが言うことじゃないわ」「俺とこいつと、どっちを取るんだ」「…子供よ」 サマンサは多分、里親を引き受けたとき、理屈は分かっていたかもしれないが、感覚的には、仔犬の里親を引き受けるような感じだったのではないか。 サマンサは多分、聡明な女性なので直ぐに自分の誤りに気がつく。心に大きな傷を負っているのと同時に、まだ自分の気持ちを表現する方法を持たないだけの、シリルは聡明でやさしい普通の子供であるということを。 と、同時に彼の父親は「ある子供」がなんとか大人になったような責任能力の無い人間であ ることにも気がつく。 子供と恋人の二者択一を迫るような恋人は、当然別れるべきであった。しかし、子供を責任持って預かるということは、容易いことじや無い。シリルがその大変さに気がつくのはずっと後になるだろうが、サマンサの気苦労は大変なものだった。何しろ、たった数ヶ月で「少年の母親」になったのだから。だからこそ、彼女には喜びが与えられたのだろう。 今回は今までの作品ほどには、社会の悲惨度は少ない。それは、ひとえにサマンサが守ったからである。 「メン・イン・ブラック3」月面のルナマックス銀河系刑務所から、凶悪S犯のアニマル・ボリスが脱獄し、地球に逃亡した。超極秘機関“MIB”のエージェント“J”と“K”は、ボリスが関係する犯罪の捜査を始める。しかしある日、出勤した“J”は、相棒の“K”が40年前に死んでいると聞く。どうやら、ボリスは40年前に自分を逮捕した“K”を恨み、過去に遡って“K”を殺してしまったらしいのだ。“J”は40年前にタイムスリップし、若き日の“K”とボリスの阻止に乗り出す。と云う話らしい。監督バリー・ソネンフェルド出演ウィル・スミストミー・リー・ジョーンズジョシュ・ブローリン ともかく、ジョシュ・ブローリンが素晴らしい。だんだんとKに見えて来る。 話は、ほとんど100年前の科学空想小説と同じレベル。まあ、それだから楽しいのかもしれない。隙のない真面目なSFならば、疲れるのかも。ただ、人間や宇宙人の命があまりにも「ゲーム感覚」で描かれているのが、アメリカにとっても、日本にとっても、気になる。処で、結局Oとの間に何があったのか。
2012年06月06日
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5月30日、クローズアップ現代で「フィルム映画の灯を守れ」という番組があった。今年中にシネコンは100%デジタル化すると云う。デジタル化のメリットは加工が容易で、表現の幅が広がる、上映コスト(プリント代と人件費)が安くなる。しかし、もちろんデメリットもある。導入には1000万円ものコストがかかると云う。小さな映画館は潰れている。また、映写機の最大手も去年潰れ、部品が無くなっていく。技術も無くなっていく。「今映画は100年に一度の転換期にあると言われています」伊勢の進富座の館主、水野さんは言う。「此処でないと上映できない映画がある。過渡期の映画館として、(技術や作品)を引き継いでいく責任がある。」水野さんは今年5月11日フィルムが一本しか残っていない30年代の(おそらく)人情喜劇映画「羽織りの大将」の上映会を開いた。若き日の桂小金治も出ていて終了後に挨拶をしていた。多くの観客が満足して帰っていった。最近デジタル化の大きな弱点も見えて来た。デジタルジレンマと云う。数年おきに仕様が変わるために、その度にコピーしなおさなければならない。保存の安全も保証できないという。しかし、このデジタル化はもう止まらない。我々に出来ることは、フィルム上映を守っている映画館に出来るだけ出かけて行って、急激な「消滅」を無くすことだと思う。
2012年06月02日
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「沖縄」(製作山本薩夫、監督武田敦、地井武男、佐々木愛主演1970)観た。畳み掛けるような個人の闘いが、終盤に急速に全体の闘いになる。米軍が次々にでてくるし 、普天間の本物戦闘機も次々。一体どうやって撮ったのか。久しぶりに骨太な映画を観た。中村翫右衛門が米軍の脅しにも屈しない古堅村長を演じていて、全く顔を知らなかったのであるが、あとでキャストを見て『さすがだなあ』と思った。米軍と取引をする村長を加藤嘉が憎たらしく演じていて、それはそれで凄いのではあるが、それでも翫右衛門の存在感には負けていた。 最後の米軍戦闘機の演習の弾に当たって死んだおばあの葬儀の場面で翫右衛門は「此処は我等の土地だ。戦さで死んだ兄弟や子供たちの血と汗がしみついている。ひと坪づつでも取り返す」と決意を示す。第2部でもう翫右衛門は出てこなかったが、獲られた土地を本当にすこしづつ取り戻していたということが語られる。そのことが、最後の基地労働者の全員ストライキに繋がって行くのである。こういう映画にありがちな説教臭さはほとんどなく、若者の群像劇がいつの間にか、全沖縄、全国の闘いに結びついていくというラストが素晴らしい。このような映画が最近とんとなくなった。闘いそのものが、尻すぼみになったからなのか。そういう意味では、いまだに『凄い闘い』をつづけている最新の沖縄映画「ひまわり」は期待できるかもしれない。(あらすじ)〈第一部=一坪たりともわたすまい〉昭和三十年。「アメリカーナのものを盗むのは戦果だ」これが代々の土地を奪われた三郎の生活哲学だった。三郎は仲間の清と、基地周辺を金目のものを物色中、黒人とのハーフ・亘とその姉朋子を知った。真夜中のある日、米軍基地拡張に伴う平川集落の強制接収が威嚇射撃で始った。古堅らの抵抗は厳しく身体を張ってのものだった。演習場のそばで畑仕事をしていた朋子の祖母カマドが戦闘機の機関銃弾を受けて死んだ。だが、米軍は演習場の中で死んだとでだちあげ、何の保証も与えなかった。カマドの葬式の日、朋子は、米軍にとりいって資産を殖す山城の静止を破って、軍用地内の墓に向った。白旗ののぼりをたてて連なる葬列、それは抗議の列でもあった。智子は南風へ、清は南米へ行った。それから間もなく農民たちの闘いは全沖縄の闘いへと拡がっていった。 〈第二部=怒りの島〉それから十年。三郎は父親の完道と共に米軍基地に、朋子はドル買い密貿易などに、そして亘は軍用トラックの運転手として働いていた。ある日、三郎と朋子は米軍曹長より、模擬爆弾や薬莢の換金を頼まれた。朋子はここぞとばかり買いたたき、その度胸は三郎を驚かせた。完道が足に負傷してクビになった。軍労働者の怒りは、やがてストライキ闘争へと発展、米国は威信にかけて弾圧した。三郎は米兵に拉致され、朋子は山城の企みで逮捕され亘も解雇された。山城の息子、朝憲は、亘が軍用トラックにひかれて死ぬと、アメリカ民主主義のウソを、軍人法廷で糾弾、父とも訣別した。動揺する三郎たちに、反米破壊活動で独房入りした知念から、団結の叫びがとどいた。翌朝、沖縄基地にストライキが決行された。
2012年06月01日
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「マジック?ツリーハウス」フリーパス10作目。何故か舞台がアメリカなのかと思えば、原作がアメリカ作家なのね。子供たちは「ああ、面白かった」という感想は持っていたようだが、そのまま忘れてしまってもいいような出来。映像的にビックリ、物語的にビックリがいまひとつ無い。アニーが突然モーガンさんを助けようと言い出す。一番大事な所が余りにも突然。「ニューイヤーズ?イブ」フリーパスポート11作目。渋めのスターを贅沢に使ったハリウッド得意の大空港形式作品。シネコンで余り宣伝していなくて、ハリウッドで、しかもオスカー俳優が二人以上出演するなら、その作品は「買い」です。何を置いても見るべきです。これは大傑作とまでは行かないけど、十分佳作以上です。ハル?ベリーが最初冴えなくて彼女じゃないよなあ、と思っていたら最後で見事に彼女だと分かりました。デニーロもヒラリー?スワンクのオスカー俳優も見事だったけど、ミシェル?ファイヤーの変身ぶりは流石でした。アブゲイルちゃんは初めてのKissシーンじゃなかったのかな。ニューヨークタイムズスクエア通りのカウントダウンは知っていたけど、ボール?ドロップのことは知りませんでした。有る様で無かった大晦日映画、これからの大晦日の定番になりそうですね。『フライトナイト/恐怖の夜』 「ああ、面白かった。ああ、怖かった」という感想で終わらすことの出来た作品でした。 フリーパスポート10作目。 ヴァンパイア映画は、アメリカの一部若者は 所謂オタク的な知識を持っている人が多いらしく、ヴァンパイア対策はバッチリの若者が出て来る。それに対してヴァンパイアは「招き入れない限りは入って来れない←それならガス爆発で家ごと無くそう」「杭打ちも正確に心臓を狙わないと死なない」「十字架が有効なのは、信仰心を持ってかざす時」などと対抗している所が楽しい。 中盤は、来るぞ来るぞと思いながらなかなか来ないので中弛みした。でも、途中でヴァンパイアオタク映画となったので楽しめた。 久しぶりのコリン・ファレルが楽しみながら演っている。主人公の恋人エイミーがとっても色っぽくて、案外素敵なんですよ。ヴァンパイア映画特有のエロスもきちんと押さえていました。(監督クレイグ・ギレスピー、出演アントン・イェルチン)「聯合艦隊司令長官 山本五十六」 フリーパスポート11作目。監督 成島出 出演 役所広司、玉木宏、柄本明、柳葉敏郎 冒頭、昭和14年、 大手新聞社主幹の香山照之と山本五十六の役所広司との議論(インタビュー)がある。役所「もし 三国同盟がなれば、アメリカが出て来る。アメリカの国力を知っていますか」香川「(正確に数字を並べながら) 日本の10倍あります。けれども、日露戦争もそうだった。」役所「国の抱えている事情が違う。今度は総力戦でアメリカはやって来る」香川「日本は追いつめられている」役所「要は外交です。戦争をさせない様にする。それが軍隊の役目です」香川「外交の最終手段が戦争です。世論の声が聞こえないのか」役所「世論を煽っているのが、貴方たちでしょう」香川「私たちは世論の声を代弁しているだけです」 かなり要約したが、そんな内容だったと思う。それがそのまま現代に対する「警告」になっている。「バスが暴走を始めた」という台詞もあった。 冬の戦争映画らしい、静かに冷静な作品でした「ヒミズ」フリーパスポート12作目。園田温監督の作品は初めて観た。荒っぽく作られたドラマのように見える。絵に描いたようなクズ人間が次々と現れては、暴力を繰り返す。しかし、思いもかけず感動した。それは何故か。この作品は今までの作品とは違うらしい。初めて「希望」を描いているらしい。此処に描かれているのが「希望」かどうかはわからない。むしろ震災の瓦礫の風景が延々と映される様に、現代のどうしようもない「絶望」「不条理」「悪意」がほとんどを覆っている。主人公の2人の中学生(3年生?)も、震災の前から「絶望」「不条理」「悪意」に襲われている。ただ、彼らの前には「未来」がある。それは周りの幾人かの大人たちも2人に伝えているし、2人も酷い環境にも関わらずアプリオリに知っている。住田(染谷将太)は、母親は男を作って逃げ、父親は何度も何度も「お前は死んでしまえば良かった」と本人に告白する酷い両親だ。住田は遂に「父親殺し」をする。恵子(二階堂ふみ)も父親の浮気で狂った母親に自殺を勧められている。それでも彼らは当初は普通に生きようと決心していたのである。社会に出る前の彼らは、まるで禁断の木の実を食べる前のアダムとイブの雰囲気がある。幾らでも機会があったのに、遂に彼らは肌を合わせない。そうだ!この作品はドラマではない。人間に「人としての生き方」を伝える役目を持っている「神話」なのである。だから、住田の前に絶望に駆られて殺人をする男が現れる。だから、恵子が呪いの石を投げた時、一旦は黄泉の国に入っていた住田が生き返ったのだ。「頑張れ住田!君は一本の花だ」それは既に学校教師の空々しい汚れた言葉じゃない、それは日本映画の記憶に残すべき立派な名台詞だった。「ロボジー」フリーパスポート13作目。今年の初笑はコレで(^-^)/。まるで人間のようなロボットの中にホントの人間が入った。しかも、何故かお爺さん。発想は、それだけ。けれども、さすが「ウォーターボーイズ」の矢口史靖監督作品。間が素晴らしい。五十嵐信次郎さん、申し訳ないけど知りませんでした。俳優、ミュージシャン、落語家としてとっても有名人だそうで、堂々とした二癖ある爺さんぶりでした。また、吉高由里子が予告編では想像出来ないほどロボットオタクぶりを演じていて、とってもキュートでした。今回の彼女は良かった。もちろんロボジーは着ぐるみですが、さりげなく出て来る他のロボットたちは本物なんですよね、日本て凄い!「マイウェイ12000キロの真実」を観た。フリーパスポート14作目。オダギリジョー、チャン・ドンゴン主演、カン・ジェギュ監督。正しく日韓合作である。どちらが見ても納得の出来(反対に言えば、どちらが見ても不満を言う人は出て来るだろう)。朝鮮兵士の眼から見たノモンハンの戦闘と、ドイツ側から見たノルマンディー作戦の圧倒的な映像も見応えあり。主演の二人はもちろん熱演だけど、憎たらしい野田軍曹を演じた山本太郎が、実は日本人俳優で最も熱心な反原発運動家だと知っている韓国人はどれくらいいるだろうか、などと思った。韓国の俳優では、ジェシクの親友で、ソ連収容所では生きるために手段を選ばないという選択をするイ・ジョンテをキム・イングォンが演じている。脇役人生が長いが、これは彼にとっても代表作になるのではないか。「きみはペット」を観た。フリーパスポート15作目。まあ、それじゃないと、観ないような作品ですが。隣の奥さんの香水がきつかった(涙)。見事に男は私だけでした。良く分かりました。ひところ昔の日本のアイドル映画のようなモノでした。チャン・グンソクくんが、突然、何度か歌って踊ります。キム・ハヌルがお肌の張りに差があって、痛々しい。去年韓国映画界は収入、観客動員数共に上向いたそうだが、この作品はこけたそうだ。よしよし、正常な鑑賞眼を持っている。問題は日本の鑑賞眼ですわな。「ALWAYS 三丁目の夕日'64」フリーパスポート16作目。泣いた、泣きました。三作目にして、一番泣いたかもしれない。予告編は何度も見ているので、あらすじは全部予想がつきます。て言うか、あの予告編はネタバレし過ぎです。けれども、あらかじめどうなるか分かっていた方が泣けるのかもしれない。何故かというのは、みてください、としか言えない。そういう意味では、今回の脚本は破たんがまったく無い。唯一は、六ちゃんの両親がとうとう一度も顔を見せなかったことぐらいか(後で聞いたが、結婚式のとき少し出ていたらしい)。一作目から六年、彼らがリアルに歳をとっていて、もうなんて言うか、こっちが親の気持ちに為らざるを得ないのが、一番の肝ですね。一作目と同じく、おそらく岡山西大寺商店街が、一作目と同じシチュエーションで使われるのが、岡山の人にとっては、見どころかな。東京オリンピックをみながら、鈴木オートが、「20年前までは、ここは焼け野原だったんだ」と呟く。それが震災の20年後の家族の姿の様に思えて胸が熱くなった。昭和30年代は、日本の大きな曲がり角だった。政治形態は20年代に大きくかわったが、生活が(おそらく日本史上最大規模で)変わったのが、30年代だったと、私は思う。大きな曲がり角だった。みんな上を向いていた。それでホントに幸せだったんだろうか。大切な「問いかけ」がこの作品にはある。大震災の直後にこの作品が完成したことは、決して偶然じゃないと思いたい。シネマ・クレール今月三作目。 「カンパニー・メン」監督ジョン・ウェルズ、2010年制作。リーマンショックで、総合企業GTXの販売部長ボビー(ベン・アフレック)に突然リストラ通告。再就職活動は甘く無い。一方残った社員にも厳しい現実が。ボビーの上司でやがて自らの首も切られる副社長ジミーにトミー・リー・ジョーンズ、ジミーと同時に解雇される古参社員フィルにクリス・クーパーという渋い配役です。 GTX社長は「社員よりも株主に責任を持っている」と堂々と言い、リストラに何の痛みも感じていない。 ボビーはなかなかプライドを捨てられない。けれども彼には理解のある家族があった、いざという時頼ることの出来る実家もあった。ところがフィルには、それが無く自殺。湯浅誠さんの言う「溜め」の必要性が此処にも見える。 もちろん、ボビーもフィルも「勝ち組」で、もっとひどい扱いを受けているひとはいる。しかし、監督はそれをも視野に入れてうまく作っています。 失業者にとっては、「勇気」の出る作品になっている。「麒麟の翼」フリーパスポート17作目。監督 土井裕泰出演 阿部寛、新垣結衣、黒木メイサ、溝端淳平人情推理モノ、人形町を舞台にそれなりに泣かせるお話になっている。主要人物以外にキーマンとなる人物が何人かいるのだが、なんか画面に緊張感が無い。テレビを観ているんじゃ無い、映画を観ているんだと、何回か思ってしまった。私は加賀恭一郎の10年来のファンである。ガリレオなんかより、よっぽど加賀恭一郎が好み。加賀が出てくる作品の良い処は、決して加賀が前面に出て来ない処なのだが、これは阿部寛の濃い顔が出る、出る。人形町観光には、一役買うかもしれない。「DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女 たちは傷つきながら、夢を見る」長いタイトルです。フリーパスポート18作目。少女というには少し歳を取り過ぎている。西武ドームでの意思統一なんて、一つの会社組織のプロジェクト裏側みたい。その一方で、彼女たちは終始泣いている。彼女たちは泣き、笑い、怒り、走る。ドキュメンタリーとしては、とっても稚拙だ。三つぐらいのテーマをだらだらと並べただけ。まあ、こんなもんだろ。「TEMPEST劇場版テンペスト3D」琉球の独立の可能性を考えるための絶好の素材。しかし、悪い意味でTVのダイジェスト以外の何物でも無い。3Dしか選択肢がないから、それより悪い。ラストショットで、テーマさえも台無しにしてしまった。仲間由紀恵と谷原章介が仲直りするショットと一緒に「そして、琉球は沖縄県になった」と終わる。琉球と明治政府は許し合ってはいけない。この映画は観ないで下さい。そのせいか、公開2日目にして観客は私一人でした。シネコンでは初めての経験です。一月は結局合計21本見ました。これが生涯最高記録です。
2012年05月08日
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今年の1月はTOHOシネマズ岡南の一ヶ月フリーパスを持っていた。よって、生涯で一番映画を見た月になった。でも感想は短いものが多いので、たぶん二回で紹介できると思う。『宇宙人ポール』元旦から、酒を呑まなくてもよくなったので、今日はシネマクレールで映画二本観た。 先ずは「宇宙人ポール」。アメリカ版コミックマートとUFOめぐりをして来た2人組にリアル宇宙人がヒッチハイク、彼を故郷の星に帰すことを約束。謎の組織の猛追をかわし、まさかの大冒険の旅に。 もっとちゃちで荒唐無稽なものだと想像していたが、案外しっかり作られていてびっくり。宇宙人オタクが「こうあって欲しい」という展開と、やさぐれた宇宙人の実像との対比が楽しい。終始ニヤニヤする仕掛けがありそうなのだが、私はオタクではないので、楽しみは半減しているかもしれない。宗教オタクの女性が唯物論に目覚める過程がとっても楽しい。そうか、神を怖れなくて良いなら、汚い言葉もキスも出来るんだ。『ゴーストライター』元旦鑑賞二作目。シネマクレール「ゴーストライター」ユアン・マクレガー主演。英国大物政治家の自叙伝のゴーストライターを引き受けた主人公が、前任のライターの謎の死を追って行くうちにとんでもない事実を突き止めるというもの。実は、三分の一ぐらい意識を飛ばしながら、観ていたと思う。私は基本的にそれを作品のせいだという事にしている。終わり方を見ると、そう思ってもいいのかなと思う。久しぶりのポランスキー監督作品。何かネット社会に蔓延っている「総てはCIAの陰謀だ」という精神の延長線にあるような気がする。きちんと観ていないので、断定すべきじゃないんですが。少女暴行疑惑で実刑判決を受けた監督の怨み節でなければ良いのですが。「RAILWAYS愛を伝えられない大人たちへ」 一ヶ月フリーパスポート三作目。 正月二日の午前、客層はみごとに団塊の世代の夫婦ばっかりで七割方の席を埋めて盛況。まあ、倦怠期や危機的状況を何とかしたいと思っているひとは、男女ともに何とか説得して共にみた方がいいかもしれない。良くなる方向だけで無く反対の方向にもいくかもしれないが、打開策にはなるかもしれない。 単に女の論理だけで無く、男の仕事をきちんと見せてくれている所がいい。 しかし、少しターゲットを絞り過ぎかもしれない。「ワイルド7」一ヶ月フリーパスポート四作目。多分面白くなかったんでしょう。途中意識が飛びました。望月三起也の原作では一人女性が混じっていたのにな~と思っていたら、そういうことだったんですね。もっと悪役をリアルにしたり、メカをカッコ良く見せたり、ラストで主人公をきちんと活躍させたり、工夫次第でいい作品になったのではないかな。映画「怪物くん」一ヶ月フリーパスポート5作目。成る程納得した。フリーパスじゃなかたら、けっして見なかった作品だけど、私の判断に間違いはなかった。子供達は画面が大きいというだけで、喜んでいるのだろうか。「お前は我が儘の意味をはき違えている。我が儘っていうのはなあ、自分の信念を何れだけ貫いたか、自分の行動にきちんと責任を取るってことなんだゾ!」って云うのが唯一のこの映画のテーマなんだけど、TVでジューブンの内容です。「ミッション・インポッシブル/ゴースト・プロトコル」 一ヶ月フリーパス6作目でした。 昨日、初めて一日四作の鑑賞でしたが、これは全然眠くならない。丁寧に作り込まれた極秘スパイの世界を、スピーディに見せてくれてました。 モスクワのクレムリンが爆破された。この事件への関与を疑われたIMFは、イーサンのチームを登録データから抹消する。 設定は、核戦争による平和統一(!?)を狙う組織との戦いです。主人公が歳なので、アクションよりもハイテク機器を使ったスパイの読み合戦がメインに来ており、編集の上手さもあって、退屈とは無縁でした。「真夜中のカーボーイ」去年の映画「マイ・バック・ページ」で、妻夫木演じる主人公が、この映画の感想を女子高生タレントから聞かれて、「最後がみっともない」みたいなことを言うと、彼女は反論し、「私はダスティンホフマンが怖い、怖いって云うところが好き、私はきちんと泣ける男の人が好き」と言うのである。この言葉は、この作品の最も重要な台詞で、私はこの半年ずっとこのことを考えて来た。やっと午前10時の映画祭で観ることが出来た。 果たして、ダスティンホフマンは、「怖い」と言ったときには泣いているわけではなかった。彼がボロボロ涙を流して泣いたのは死ぬ直前の失禁した事に気が着いた時だ。しかし、心の中では「怖い、怖い、死ぬのが怖い」と泣いていたに違いない。彼女は心の中で映画を観ていた。 「きちんと泣ける」とはどういうことだったのか。 ウィキペディアでは、アメリカンニューシネマについてこう書いている。「 ヴェトナム戦争への軍事的介入を目の当たりにすることで、国民の自国への信頼感は音を立てて崩れた。以来、懐疑的になった国民は、アメリカの内包していた暗い矛盾点(若者の無気力化・無軌道化、人種差別、ドラッグ、エスカレートしていく暴力性など)にも目を向けることになる。そして、それを招いた元凶は、政治の腐敗というところに帰結し、アメリカの各地で糾弾運動が巻き起こった。アメリカン・ニューシネマはこのような当時のアメリカの世相を投影していたと言われる。 ニューシネマと言われる作品は、反体制的な人物(若者であることが多い)が体制に敢然と闘いを挑む、もしくは刹那的な出来事に情熱を傾けるなどするのだが、最後には体制側に圧殺されるか、あるいは個人の無力さを思い知らされ、幕を閉じるものが多い。つまりアンチ・ヒーロー、アンチ・ハッピーエンドが一連の作品の特徴と言えるのだが、それは上記のような鬱屈した世相を反映していると同時に、映画だけでなく小説や演劇の世界でも流行していたサルトルの提唱する実存主義を理論的な背景とした「不条理」が根底にあるとも言われる。 」 この作品の中でも、これらの世相は描かれてはいるが、ジョンボイトとダスティンホフマンは、断じて反体制人物ではない。ただ、社会の矛盾の中で隅に追いやられた者だ。偽カーボーイのボイトは、 働くのか嫌で有閑マダムに売春をするためにテキサスからニューヨークに来たのだ。その試みは失敗し、マイアミに逃げる途中でホフマンがなくなるのである。ホフマンは、未来のボイトだった。その事に最後までボイトは気がついていない。 本当に泣いているのは、終始ボイトだった。泣くべきは、自分の人生を後悔し、立ち直らなくてはならなかったのは、ボイトだったのだ。 女子高生は、あの時ボイトを責めていたのである 。そして、作品自体は、妻夫木の号泣で終わった。反省のかけらもなかった偽反体制人物の松山ケンイチを責めている作品になっていたのだか、実際のモデルである川本三郎は、本を読むと全学連シンパであった自分を全く反省してはいない。 「きちんと泣ける」このことが、いかに難しいか、私はこれらも考えていかなければならない。「仮面ライダーフオーゼ&オーズ Movie大戦MegaMAX」 一ヶ月フリーパスポート6作目。 これもフリーパスでなかったら、(時間と金を無駄にするのが)怖くて けっして見なかった作品だけど、これは正直、観て良かったと思う。二度と見ようとは思わないけど、最近の仮面ライダーシリーズがどんなモノなのか理解出来た気がするし、そもそも「仮面ライダー」は歌舞伎なのだという事が良く分かった。 最近のライダーは、基本的にデジタルなんですね。データが命、然も姿が一定していない。でも、「理由もなく」世界征服を狙う敵が次々と現れるのは同じ。 構造は、非常に「歌舞伎的」です。出てくる課題は、決して構造的に難しいモノじゃなくて、友情とか恋とか身近なモノばかりで、大事なのは「見得を切る」こと。 出て来たライダーは、ここ2~3年のライダーばかりで、それに伝説の七人ライダーがくっ付いたモノでした。あれで親子の対話が成り立つんだろうね。 「リアル・スティール」数え間違えていました。一ヶ月フリーパスポート8作目。◆監督:ショーン・レヴィ「ナイト ミュージアム2」◆出演:ヒュー・ジャックマン、エヴァンジェリン・リリー、ダコタ・ゴヨ、アンソニー・マッキー、ケヴィン・デュランド◆STORY◆2020年、ボクシングは、生身の人間ではなく高性能のロボットたちが闘う競技になっていた。元ボクサーのチャーリーは、ロボットの賭け試合などで生計を立てていた。ある日、かつての恋人が亡くなり、その息子・マックスがチャーリーの元にやって来る。部品を盗むために忍び込んだゴミ捨て場で、マックスはATOMという旧型ロボットを見つけ、家に持ち帰ってきた。マックスはATOMをチューンナップし、試合に出場する事を決意する。人間とロボットと共闘している近未来は、いったいどんな時代なのだろうか。思ったよりも、映像技術がしっかりしていて、違和感はなかった。ダコダ・ゴヨくんが良いんですね。演技が上手いだけじゃ無く、輝きが有りました。ダメダメ親父が一生懸命戦っている所を見て涙を流すところがこの作品のハイライトです。日本のロボットに対する敬意は至る所に有ります。最初出てくるロボットが「最強男子」などの入れ墨が有る奴だったり、件のロボットがATOMという名前だったり。話は、「ベストキッド」「ロッキー」その他のボクシング映画の焼き直しです。敵役は余りにも相手を研究していない。等々の弱点はありますが、まあまあのエンタメでした。フリーパスポート9作目。 「Frends もののけ島のナキ」なにしろ、白組ですからね、山崎貴監督ですからね、期待度は高くなっていました。でも、非常にシンプルなお話でした。私たちのよく知っているあのお話に良く似ている、「泣く」ことが一つのキーワードだなあ、と思っていたら、エンドロールで正にそれが原案だと知りました。年末に韓国に居てビックリしたのが、数ある日本映画の中でこの作品だけが上映予定に入っていたのです。ジブリアニメも韓国では同時上映するのですが、ポケモンじゃなくて、山崎作品を同時上映に選ぶ韓国の目の確かさに感心します。ただ、コレは余りにもストレートに子供映画にしたので、私にはあと一つだったかも。韓国の感想を聞きたいものです。
2012年05月07日
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@zyphide2: おはよーございます。蘇生しました。糸子。4月1日 #ohayo #カーネーション渡辺あやの「カーネーション」が終わった。宮崎あおいの「純情きらり」は、主人公が初めて死んだ朝ドラということで話題になったが、今回は何と最終回一日前に主人公が死んで、しかも五年も月日が経って、主人公の幽霊さえ見せてくれるという凝りようであった。最後は去年の10月ドラマの始まりを友人の奈津が見るという無限ループ、まさにリ・カーネーション(転生)の様に「あなたの愛は生きています」というこの花言葉のように、実に小粋な終わり方をした。渡辺あやは基本的に映画脚本家で、連続ドラマ、しかも149回も続くドラマ脚本は途中で息切れがしないかと心配していたのであるが、最後までその質を落す事なく終わらせたのは、立派だった。しかも、映画脚本家らしく台詞で説明しない効果を随所に散りばめていて(例えば最終回の末期ガンだった加奈江さんの「奇跡」の復活)、いろんな「仕掛け」がホントに楽しかった。朝ドラというのはやはり「全国区」らしく、始まる前に私が騒いでいた「渡辺あや」と「尾野真千子」という名前が、どうもこの半年で全国区になったようだ。祝着。尾野真千子の主演映画「真幸くあらば」(死刑囚との交流、脱いでます!)も観てみたが、『殯の森』『火の魚』と同じ様に死を抱えて「思い詰めているヒロイン」であった。今回の役は彼女にとっても大きな大きな転機になるに違いない。渡辺あやの脚本は、ヒロインが最後に一皮剥ける所に特徴が有ると思っていたのであるが、それは私の思い違いで、彼女は映画脚本としてそう書いていたのだと知った。連続ドラマのヒロインは、仕事と恋、人生を、そして生と死、老を、劇的にでは無く、それでも私たちに分からせる様に印象的な台詞を使いながら、徐々に「変わっていった」のである。個人的には、今私はお父さんの「仕事に行くんや無い、勉強や、勉強しに行くと思え」という台詞が心に響いています(^_^;)。
2012年04月01日
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三月号の「映画ってエエが」は一作目の「三丁目の夕日」を取り上げました。労組の機関紙の私の連載を読んでいない人の為に、ここにアップします。2月18日初めて西大寺会陽を観にいきました。その時に、観音院隣の五福通り(写真参照)も訪ねました。ここは「ALWAYS三丁目の夕日」(一作目)のロケ地になったところで一回来たかったのです。一度、玉島や早島のロケ地めぐりをしたことがありますが、改めてこの作品を見直してみて、あの時には気がつかなかったテーマ、今だからこそ大事にしたい課題が見えてきたので再度取り上げたいと思います。 この映画の舞台は昭和33年です。「もはや戦後ではない」と言いながら、鈴木オートの親方(堤真一)は事あるごとに戦争から生きのびて苦労してきたことを語り、医者の宅間先生(三浦友和)は空襲で妻娘を亡くした傷がまだ癒えていません。人々に「戦災」はまだ記憶に新しいのです。そして、それはこれから10数年後の「震災後」の日本にもオーバーラップするのではないかと思うのです。 建物は次々と建てられていいます。しがない町工場の鈴木オートでさえ、テレビ、洗濯機、冷蔵庫の三種の神器を買えるほどに仕事が次々と舞い込んでいるようです。もうすぐ「世界一の東京タワー」も完成します。そういう「東京」でした。 昭和30年代は私見ではありますが、日本史上最大規模で国民の生活自体が変わった時代なのだと思います。大きな曲がり角でした。政治形態は昭和20年代に変わりましたが、我々に直接関係する事柄はここで変わりました。宅間先生のように狸に化かされたという話は、このときを境に日本中から消えてしまいます。つまり、電話とテレビ(情報革命)、教育の向上、村落共同体の喪失、自然の破壊……というような生活革命が起きました。 茶川竜之介(吉岡秀隆)はおそらく約30歳の従軍未経験者です。10歳の「赤の他人の」淳之介(須賀健太)を育てる彼等は「これからの世代」です。一作目でテーマにしたのは、「家族」でした。青森から上京した六ちゃん(堀北真希)や竜之介と淳之介の擬似家族が、本物の家族になっていくさまは、失いつつある「大事なもの」を最後の最後で取り戻そうとする試みのようにさえ見えます。だからこそ、茶川と淳之介が抱きしめあう西大寺五福通りは重要な場所であり、最新作の「'64」でもやはりここが合わせ鏡のように使われているのです。 このとき、日本は上ばかりを向いていました。それが一概に悪いということではないのですが、そのとき取りこぼしたものがあるような気がします。それは今、もう一度取り返すべきもののような気がしてなりません。(05年作品・山崎貴監督・レンタル可能)
2012年03月16日
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ひさしぶりに渡辺あや脚本「ジョゼと虎と魚たち」をビデオで見た。実質脚本家渡辺あやのデビュー作だと思う。犬童一心監督出演 妻夫木聡 池脇千鶴 上野樹里 新井浩文 新屋英子気ままな大学生活を送っていた青年はある日祖母とあばら屋で二人暮らしをしている両足が不自由な20歳くらいの女性に出会う。彼女は自分の名前はジョゼだという。サガンの小説の主人公だ。祖母から「おまえは壊れ物だ」とずっと言われ続けていたジョゼは、一方では祖母が拾ってきた本や教科書で深海魚のような暗闇から僅かに社会を覗いていた。青年はジョゼの作る食事の美味さに驚嘆しながら、次第に興味を募らせていく。ある日、祖母が死んだと聞いた彼は彼女が初めてみせる寂しげな姿に同棲を決意する。この映画の「衝撃」は最後の五分に尽きる。おそらく、男性が観たのと女性が観たのでは感想が違っていたのではないか。ジョゼは口は悪いし、身体障害者だし、青年が同棲を決意した時に、「若者の打算」と「若者の優しさ」がこの映画のテーマなのかと私は思った。ところが、最後の五分で、青年はジョゼから「捨てられる」のである。そういう台詞はでてこない。むしろ、青年がジョゼから離れていくという映像になっている。しかし、観客の男はことごとくジョゼから「捨てられた」と思ったに違いない。男にとっては「非常にきつい」映画だった。2003年の作品である。妻夫木はこれでブレイクした。上野樹里は高校生だったはずだが、大学生として少し背伸びをした演技をしていてぎこちない。池脇千鶴は三十路の今とほとんど童顔は変わっていないが、ベッドシーンもこなし、圧倒的な存在感を示す。最後の顔は深海の海から青空の下大海原を泳ぐ魚のように生き生きとしている。渡辺あやの数ある脚本の中でも、私的にはやっぱりこれがベストだ。ほんの僅かな台詞で人生の過去から未来までも想像させる。また、脇役がことごとくキャラがたっている。ジョゼの隣に住む「変態のおっちゃん」や「小学生の少女」までその後の人生を想像させるように描いている。先週から「カーネーション」はオハラ三姉妹の「ライバル関係」が描かれだした(今までの彼女たちの姉妹喧嘩や丁寧に描かれてきた性格描写があるために非常に説得力のある脚本になった)。これが糸子の人生にどのように絡んでいくのか、朝ドラの「最後の五分間」は果たして訪れるのか。少なくとも、今までもこれからも「聖人君子」のような主人公は描かないだろうと思う。
2012年02月04日
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たまたま今日の朝日新聞を読むと、池澤夏樹が先日交通事故で亡くなったテオ・アンゲロプロスを追悼していた。池澤夏樹は12本の映画の字幕(それはほとんど全てということだ)を担当している。私も大ショックだったが、彼の喪失感の比ではない。珍しくテオ・アンゲロプロスについて何も語っていない文章だった。私とアンゲロプロスとの出会いは「ユリシーズの瞳」だった。上映中の八割は寝ていた。最悪と言って良い。その後、幾作品かを経て、「エレニの旅」に出会う。二回観た。映画的体験はめったに起きることでは無い。池澤夏樹が「旅芸人の記録」を観た時の体験を「自分はたぶんこれを一割も理解していないけれど、何かとんでもなく大きくて奥の深い映画だ、ということは分かった」と書いている。私もまさにそう感じた。「難解といえばまさに難解だが、拒絶されたのではなく強い力で引き込まれた。出来れば全部が分かるまで何度でも観たいと思った」と書いている。まさに私もそう感じた。 後、一日かけて「旅芸人の記録」(五時間以上の作品)を観る機会をもらった。寝ることなんて出来なかった。ただ、二割理解出来たかどうか。いかん、こんなことを書いたらテオ・アンゲロプロスについて何も語っていないのと一緒だ。私は池澤夏樹とは違い、語るべき語彙を持たないのである。仕方ない。映画館で観て欲しい。それだけしか言えない。「エレニの旅」から始まる三部作は永久に完結しない。亡くなった時、そのことを一番悲しんだ。今日の池澤夏樹の文で未公開の「第三の翼(仮題)」があることを知った。クランクインして一ヶ月で監督を失った「もう一つの海(仮題)」もあったことを知った。出来ることなら、未完のままでいいから、なんとか観たいと思う。
2012年01月31日
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朝ドラ「カーネーション」はついに糸子と周防さんが想いを確かめる。ツイッターでは 「#周防さん」タグが花盛りだ。あの前に北村と糸子が「里芋」「じゃがいも」と罵り合っていたので、「俺も、好いとっと」という周防さんの長崎なまりに萌えたひとたちが「おいも、すいとっと」とたくさん呟いている(^_^;)。いゃあ、これって「不倫」だよねえ、周防さんの奥さんて、まだ死んでないよねえ。ちなみに写真は、左上から新従業員の薫さん、北村、繊維組合長、周防さん、下はヒロイン尾野真千子を囲んでコシノ三姉妹の成長した姿らしい。脚本が渡辺あやだということでずっと注目している「カーネーション」であるが、やっぱり一味違う朝ドラになりつつあるようだ。ふつうの朝ドラとどこが違うのか。一番大きいのは、糸子がバリバリ元気のあるキャリアウーマンだということじゃない。NHK朝ドラでおそらく初めてヒロインが不倫をするということじゃない。タブーを破ることはNHKはなんとも思っていない。宮崎あおいの「純情きらり」にしてもヒロインが最後に死ぬという形でタブーを破った。どこが違うのか。「語り」を糸子自身が行っているということである。大河ドラマにせよ、朝ドラにせよ、語りはたいていプロか、途中で死んでしまう母親とかの重要人物か、それとも未来の自分(「おひさま」では若尾文子)になっている。ところが、これは現在進行形の糸子である。よく見てみると、出てくるドラマも全て、糸子の見聞きしたドラマしか出てこない。ここに出てくる登場人物はすべてきちんとキャラが立っているので、つい気が付かないのであるが、たとえばお父ちゃんと神戸のじいちゃんの確執は詳しいドラマは描かれなかった。お父ちゃんの最期の様子も映像に出てこなかった。勘助の中国戦線でのトラウマに付いてはとうとう詳しいことは何一つ分らなかった。勝さんの不倫に付いても藪の中である。物語作家としては、もう少し「実は‥‥‥」ということで少しだけ別映像をはさめば、彼らの本心は実にくっきり浮かび上がるところではある。しかし、そんな美味しそうな「ドラマ」は全て観客の想像に任せるという「力技」を渡辺あやはしている。その代わり、糸子目線で全てを見せている。おそらく、飲み会で泣き濡れた北村の過去にどのようにことがあったのか、周防さんの長崎ではどのようなことがあったのか、ほとんど語られることはないだろう。行方不明の間奈津がどのようなことをしたのか、それも一切明らかにならないだろう。ただ、糸子の「女性としての自立そして成長」、たぶんそれだけがくっきり浮かび上がるのではないか。「カーネーション」のサブタイトルは、花言葉だったことを初めて知った。先週の「揺れる心」はホテイアオイ、今週の「隠しきれない恋」はジギタリス。
2012年01月22日
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今日は「水泉動(しみずあたたかをふくむ)」という日らしい。寒気極めりとみえるが、自然界は春の準備を始め、氷った泉の底では水が動きだしているという。「鏡開き」の日でもあります。今年初めて豆餅を食べました。寒さをも耐えゆけば、いつかは春の来るのかな。DVDで「ばかもの」(金子修介監督)観た。思いもかけず良かった。子供のような未熟者が、その未熟さ故にアルコール依存症になってゆく様、そして、ゆっくりゆっくり大人に成って、病気も克服してゆくさまを、成宮寛貴、内田有紀、中村ゆり 、白石美帆、たちの男女関係の中でゆっくりゆっくりと描く。「克服」を簡単に描かないところが、素晴らしかった。金子修介監督は、相変わらず女性を魅力的に描く。内田有紀は老練と言っていい演技をし、中村ゆりが存在感のある女優に成っていた。思えば金子監督で「外れ」を見た記憶がない。「毎日が日曜日」「クロス・ファイア」「デスノート」「平成ガメラシリーズ」この前の「プライド」‥‥‥。大作以外はあまり宣伝もしていなくて直ぐに終わるので映画館で見た記憶がないが、DVDでいつも見なかったことを後悔する。もしかしたら大監督かもしれない。これからは見逃すことのない様にしよう。
2012年01月11日
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