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小林達雄は考古学縄文学の大家である。かつて弥生学の大家佐原真と「縄文時代に戦争はあったか、ないか」で大激論を戦わし、ついには縄文時代にも戦争はあったということで、一歩も引かなかった頑固爺でもある。私はもちろん、佐原派ではあるが、一冊の本になるぐらい大激論を戦わすことのできるこの人を尊敬したのも事実である。その大家も既に70才を過ぎた。縄文時代の全体像を描くことのできる貴重な学者の一人になった。一般向けに優しく、なおかつ新鮮な発見がいっぱいの縄文読本になっている。記録用に、線を引いたところをできるだけ紹介。(全部ではない) 縄文人追跡小林達雄 ちくま文庫【目次】(「BOOK」データベースより)プロローグ どこよりも早い新文化の火の手/1 縄文人骨を読む(科学的データで迫る“身体的特徴”/遺骨に残る潜水漁法の跡“生活者の顔” ほか)/2 縄文人の原風景(狩猟が生んだ「嫁入り型」“結婚”/聖なる場としての住居“ウチとソト” ほか)/3 日本人に刷り込まれた「文化的遺伝子」(いまに伝わる古代の祈り“蹲踞の習俗”/人間と神の世界の中間に“子供の位置” ほか)/4 縄文人の影を追って(石鏃をめぐる伝説“正体を追う”/各地に残る巨人の伝説“貝塚の発見” ほか) 興味深いことに、日本列島は牧畜、農耕を除いたその他の重要な事柄について、世界のほかのどの地域よりも早くそれに手を染めたということが分かってきている。(略)はっきりと12000年あるいは13000年に遡ろうという土器が今日本列島では発見されているが、それに匹敵する資料はまだ大陸側では見つかっていないのである。なかには幼少のころに患い、その傷を引きずって天寿を全うした例がある。小片丘彦が報告した栃木県大谷寺洞穴の縄文前期の成人女性は、小児麻痺と思われる典型的な症状を示していた。下肢骨が左右不ぞろいで、右が異常に細く、膝の関節は小さくきじゃくであった。縄文人の中で、矢傷を負ったり、頭部に痛々しいばかりの打撲傷を持つ事例の全てが、男性に限られていたことは注目に値しよう。(略)つまり、縄文社会における男性と女性の役回りの違いを示しているのである。それほど世界中に見られる縄目文様でありながら、わが縄文土器の種類の多さと施文法の複雑さは他を圧倒し、群を抜いた発達を示している。このように縄文文様を見てくると、どうも縄文人一般というよりは、土器作りを担当した、縄文女性のこまやかな心が映し出されているように思えて仕方が無い。アフリカのサン族の例を取りながら、男たちは狩猟をするにも、幾日もぶらぶらし、なかなか取り掛からない。しかし、いざその場に臨むと勇敢に立ち向かったということを引きながら、「狩は男が男であることを示す生命かけのチャンスである」という。カロリー計算で行くと、動物たんぱく質よりも植物性植物をたくさん取っていたことが分かっている。「時間をかけることや仕事の量だけでなく、すでに質も大いに問われていたのだ」と論じる。「しかしまた、生命かけが常に貴く、高く評価されるべきかと言うとそうとばかりはいえない」と小林達雄は言う。「古の昔から今日に至るまで、男どもはいろんな場面で依然として生命をかけ、血を流してきている。(略)現在世界のあちこちでくすぶっている戦争は、文明化してもなお、狩猟に生きた時代以来の男の性の盲腸のような退化器官が悲劇的に働きをやめないために起こっているともいえよう。あるいは過労死するまでの企業戦士となってまで、自然を破壊し、地球を破滅へと導こうとしている。そうした己の所業にそろそろ男たちは気がつかねばならないのではないだろうか。イヤリング、ネックレス、ブローチ、ブレスレット、あるいは指輪や櫛、かんざしなどの各種が、時代をはるかに超えて、縄文人と(現代は)共通にみられるのだ。しかし、間に介在するさまざまな時代には、櫛などのごく一部を除いて、ほとんどアクセサリーを身につけると言う習慣は行われたことが無かった。ヒスイを崇め奉る風潮が中期以降に興り、たちまち全国に広がった。北は三内丸山遺跡に達し、さらに津軽海峡を渡って北海道に入った。しかし、その所有者はムラのごく一部の人物に限られ、しかも複数を所有しながらも平等に分かち合おうという気配を一切見せない。(略)もはや狩猟、漁労、採集を本分とするわが縄文人社会に、厳然たる身分階層があったと考えるほかは無いのである。秋田県鹿角市の大湯環状列石の例を取りながら、春分秋分すなわちお彼岸といえば、重要な仏教行事として誰も疑いを差し挟まないであろう。しかしこの行事は本場の大陸側の仏教には見ることができず、わが国独自の習俗であり、(略)しかもそれが縄文時代に根ざす可能性が高くなっさて来る。私は一部にあるように、縄文人が弥生人によって駆逐されたという説をとらない。もちろん、東北、沖縄諸島に縄文人が流れていって弥生文化はそこまで届かなかったということは確かだろうと思う。けれども、縄文人の多くは弥生人とともに生きたのである。いや、一緒に生きた結果が弥生文化だったのだ、と思う。そうでないと、弥生文化がとうとう牧畜文化を取らなかった理由が分らない。縄文文化の名残が、その精神性が、3000~5000年前では、世界の先進地帯だったその文化が、世界でまれに見る「平和な国」を作ったのだと、今は信じたい。けれども、それはもしかしたら、男が素晴らしかったからではなく、女の文化が素晴らしかったからなのかもしれない。というようなことをこの本を読んで思ったわけです。
2009年06月05日
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「世界征服」は可能か?岡田斗司夫 ちくまプリマー新書著者がアニメ「不思議の国のナディア」を作っているとき、同僚の庵野秀明(「エヴァンゲリヲン」の監督)は呟いたそうです。「ところでこのガーゴイル(ネオ・アトランティス)という秘密結社は、何で世界征服をしたいんでしょうね。そんな面倒なことをせずに、高度な科学力で自分らだけ楽しい暮らしをすればいいのに」そういう素朴な疑問で本格的に漫画やアニメを分析した本らしい。面白かった。世界征服の目的は五つに分類される。その1「人類絶滅」(「宇宙戦艦ヤマト」のガミラス人)その2「お金がほしい」(「ヤッターマン」のドクロベー)その3「支配されそうだから逆に支配する」(「ガンダム」のジオン帝国あるいは大日本帝国)その4「悪を広める」(「ドラゴンボール」のピッコロ代魔王)その他 目的が不明支配者のタイプは四つのタイプがある。Aタイプ 「正しい」価値観で全てを支配したい(ピッコロ代魔王あるいは「デビルマン」のデーモン一族)Bタイプ 責任感が強く、働き者(「バビル二世」のヨミあるいはヒトラー)Cタイプ 自分が大好きで、贅沢が大好き(「ドラゴンボール」のレッドリボン総帥あるいは北朝鮮の金日正)Dタイプ 人目に触れず、悪の魅力におぼれたい(「ドラゴンボール」のフリーザ)世界征服の手順第一段階 目的設定第二段階 人材確保第三段階 資金の調達と設備投資第四段階 作戦と武装第五段階 部下の管理と粛清最終段階 世界征服その後 「目的」を持って「ビジョン」を掲げ、賛同してくれる「人材」を募集し、武器や格闘の「研修教育」を行う傍ら、活動のための「資金」集めに奔走し、それを元手に「兵器」や「秘密基地」を購入・建設する。そしてようやく準備が整い、「計画」を遂行した結果幸い世界を征服できたとしても、実は本当の苦労がそこから始まる。 支配下に置いた者同士の争い事の仲裁、贅沢な暮らしを続けるための産業の振興、部下のモチベーション維持、後継者の育成、あるいは温暖化をはじめ地球規模の問題にどう対策を講じるか等々、今の世界(地球)には支配者が手を下さねばならない問題が山積みだ。支配者だからといってあまりに強圧的手段ばかり取っていると、いつ配下の者に逆ギレされたり寝首をかかれるか分からず、おちおち眠ることもできない。 結論 世界征服はうまみが無い。現実にも、グローバルスタンダードで世界征服を試みているのがアメリカ帝国主義だとしたならば、結果的に世界征服をしようとしたならば、「おそらく大統領は中国人になるはずです。だって中国人の表が一番多いわけですから(略)もしローマ帝国の後継者を名乗るならばここまで言い切ってほしいものです。(略)」だからアメリカ人が白人による世界征服を夢見てているのだとしたならば、それは近いうちに崩壊するだろうと著者は喝破しています。私もそう思います。
2009年06月03日
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パンツの面目ふんどしの沽券米原万里 ちくま文庫1964年日本に帰ってきたときに何よりも戸惑ったことは、「羞恥心の基準が異なること。なぜ恥じるのか理解しかねることを恥ずかしがって赤面したり隠したりするくせに、見ているこちらが恥ずかしくなることを堂々とする。」たとえば女の人が笑うときに歯が見えるのを恥じて手で口元を隠す。(略)妹も気になっていたが、ある日突然「あれは、どうやら東日本の風習みたいだ」と報告して来た。(略)友達になると一緒にトイレに付き添ってあげるというのもかなり衝撃を受けた。一人だと用足しに行った事がモロバレしてしまうが、複数だと、誰が用足しで、誰が付き添いだったかを周囲に悟られないためなのだろう。不思議なのは、わざわざトイレまで付き添わせる同性に、用を足している際の音を聞かれるのを極端に恥ずかしがって、個室に入っている間中水を流し続けることだ。(略)修学旅行で行った温泉や大浴場の更衣室で、クラスメイトたちが平気で下着を剥ぎ取り素っ裸になるのも度肝を抜かれた。わたしはさんざん躊躇ってみなに笑われた。なのに素っ裸になると彼女たちは一様に手ぬぐいで前を隠す。何をいまさら。(略)見られることそれ自体が恥ずかしいというよりも、むしろ恥じていないこと、言い換えれば、これを恥として自覚する文化教養を身につけていないことが恥ずかしいのである。男の私には、その微妙なところはこの本で初めて知ったのだが、いつも女の子たちが「つれしょん」に行くのが不思議でならなかったのは確かだ、そうかあれはつれしょんでなくて、「付き添い」だったのか。とにもかくにも、最後の結論部分には肯いた。前を隠すのは果たして恥ずかしいから隠すのであろうか。米原さんは古今東西の文献と読者の反応を確認した後このように結論を下す。樹から降りたサルは、恥じらいゆえに大便中の姿を隠そうとしたのではなく、恐怖心から、つまり身を守ることの必然性からそうするようになったのである。隠すことが先にあり、恥らいは、まさに後からついてきたのである。この文庫本は去年の四月の刊行。(単行本は05年)米原さんの最晩年の作品である。米原さんが「ちくま」でこの連載を始めたときには、ふんどしがいかにナショナルスタンダードかを証明するために始めたのだそうだが、調べ始めると日本の伝統であるどころか、パンツよりもはるかに広大な地域を長年にわたってカバーしてきた実にグローバルな代物であることが判明し、それならばと、肌着から見える人類史を書こうとしたらしい。ところが、まとめる段階で悪性の癌が再発して未完成のまま刊行せざるを得なくなった。あとがきはあくまでも明るく、次世代に課題を引き継いでいる。騎馬民族が来たからズボンが発達したのではなく、それ以前にすでにズボンはあったのだ、そもそもふんどしは男の専売特許ではない、あるいはアダムとイブのいちじくはなぜ滑り落ちないのか、等々興味深い考察がてんこ盛りである。去年の四月にそそくさと買った文庫本であるが、ゆっくりと読んでやっと読み終えた。こんな本がまだまだ山ほどある、こまったものである。
2009年06月02日
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「日本人脈記2」朝日文庫朝日新聞で長期連載されている「日本人脈記」は異色の連載である。一つのテーマをもとに毎日数人が登場して何事かを言って終わる。人物評伝ではないが、数人の記者が書いているらしく、テーマや切り口次第でとても面白いものが出来ることがある。本当は2007年連載の「手をつなげガンバロー」シリーズ(雨宮処凛、湯浅誠が登場している)を早く上梓して欲しいのだけど、なかなか文庫にならない。これは05年5月から06年2月までの連載をまとめたもの。しかし、かなり面白い。「韓流の源流」では、現在NHK教育「知る薬」「韓流シネマ抵抗の軌跡」(次回は火曜日朝5:35が最終回)で興味深い映像を紹介し続けている李 鳳宇氏が出ている。彼はシネカノンの社長である。シネカノンが配給したイム・グォンテク監督の「風の丘を越えて」が日本での韓国映画上映の嚆矢である。93年、李鳳宇氏はたった48時間だけの臨時パスポートでこの映画を買い付けたらしい。98年釜山国際映画祭に「のど自慢」をもって訪れたときに、雨で映像が途中で切れるというハプニング。そのとき、4千人の観客を前にとっさに前に出て「のど自慢をやりましょう」と言ったらしい。主演を務めた「ハウンドドッグ」の大友康平がヒット曲「フォルテシモ」を歌う。観客も次々と出てきて歌った。当時は解禁前で日本語はご法度、そんなことは嘘のような一夜だったらしい。「映画をやっててよかったな」この「2」はアジア関係の記事をまとめている。ベトナム戦争に関しての章では、石川文洋、中村悟郎、土門拳などが登場する。他にも満州、留学生、国連、沖縄の章にもいろんな人が登場している。沖縄の章で、「ウルトラマン」の原作者金城哲夫氏が出ている。不慮の事故で76年に37歳で早世。その作品には、独特の感性と発想があった。脚本家上原正三(69)は語る。「金城のウルトラマンは、怪獣を殺さず、懲らしめた。『人間の世界に出てきちゃダメだ。帰れ。』と追い返した」東京に住み、故郷を誇る自称「在日琉球人」の上原は、沖縄を米国、日本に対するマイノリティー(少数者)と意識する視点が金城にもあったとみる。「彼にとっては怪獣は、理解されないマイノリティーだったのではないか」現在は「大逆事件」シリーズを連載中。
2009年05月23日
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今週の朝日「be」の「うたの旅人」は「変化重ねた寅さんの歌」だった。記事は久しぶりに伊藤千尋が書いている。私は知らなかったが、映画の主題歌として私はずっと一番だけが歌われていたのだと思っていた。ところが、この一番、途中で歌詞が変わっている。「俺がいたんじゃお嫁にいけぬ わかっちゃいるんだ妹よ」は映画第一作でさくらが嫁に行ったためか、映画第四作までは歌詞の二番から三番までを色々使ったらしい。(この間監督も森崎東、小林俊一と変わっている)そして、第五作で山田洋次監督に帰ってきたときに「どうせおいらはヤクザな兄貴 わかっちゃいるんだ妹よ」変わったらしい。さらに17作から19作までは4番の「あても無いのにあるよな素振りそれじゃ行くぜと風の中 止めに来るかと あと振りかえりゃ 誰も来ないで汽車が来る 男の人生一人旅 泣くな嘆くな泣くな嘆くな影法師影法師」を使ったという。「男というものつらいもの」が加わる作品もある。ほかにも細かい変化は多いという。浅草演芸ホールのある浅草は大好きな場所で何度も行ったことがある。ここは元フランス座で、ストリップが中心だった。コメディアンは刺身のツマだったが、やがてここから渥美清、萩本欽一、ビートたけし、井上ひさし、早坂暁などが輩出する。私は落語の寄席の演芸ホールに何度もいったが、客席と舞台が近くて、一体感の持てる場所だった。もう15年以上も行っていない。あのときに聞いた落語家はもう何人も鬼籍に入ったり、名前が立派になったりしている。もう一度あそこで半日以上ゆっくりと楽しみたいものである。 さすが伊藤千尋、知らなかった話を発掘してくれている。以下引用。 渥美さんが寅さんのほかに演じたかった役がある。死の三年前早坂さんに「尾崎放哉をやりたい」と言った。「咳をしても一人」の句を残した俳人だ。同じ結核患者だけに「肺に響く音叉みたいな咳に俺は自信がある」と渥美さんは断言した。その話が消えると、同じ放浪の俳人、種田山頭火をやろうとした。 寅さん映画には幻の第49作があった。室生犀星の「あにいもうと」が下敷きで、寅さんが高知で遍路に混じっているとマドンナ役の田中裕子さんに会う。山田監督がそう構想したのは、「風天」の俳号を持つ渥美さんが自作の句を見せたからだ。「お遍路が一列に行く虹の中」。放浪の俳人の気持ちになって詠んだのかもしれない。このころ渥美さんは撮影の合間に「ご詠歌を聴きたい」と寺を探したという。 早坂さんは渥美さんの心を察し、力をこめて山頭火の脚本を書いた。だが、渥美さんはひそかに入院し、96年に亡くなった。葬儀で早坂さんは「早く帰って来い。おれは準備している」と声を振り絞った。山田監督は今まで二年以内に必ず新作を発表している。今度の新作は「あにいもうと」を下敷きにしているわけではないが、50年前市川昆監督が作った「おとうと」ののちの物語という設定で、「母べえ」で寅さんの再来のような役をした笑福亭鶴べえを主人公にすえて映画を作る。もしかしたら、また寅さんにあえるかもしれない。
2009年05月23日
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2009年4月、一冊の書物が刊行された。マルクス資本論原作門井文雄 構成・解説紙屋高雪 協力石川康宏 かもがわ出版表紙の写真は疲れきった地下鉄の乗客たちの足が写っている。しかし、裏表紙では彼らは手をつないでいる。この「漫画」は実は1982年に発行された門井文雄氏の『漫画資本論』を再構成・解説を加えたものなのであるが、特に紙屋氏の解説がすばらしい。以下目次。第1章 カール・マルクス第2章 『資本論第1巻』 紙屋コラム題字 (金融危機で一挙に200兆円もの損失が生まれた理由 資本の目的はもうけにある。人びとのためではない 資本家にもいい人がいるという議論があるけれど… 日本の最低賃金を『資本論』で検証すると? マルクスの時代にも請負・派遣業者はいたのか? 日本の労働時間は『資本論』の世界そのままだ! “大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!” 時代を超えてよみがえった資本家の悪知恵=派遣法 マルクスが予見していた正社員と派遣との分断策 豊かさの一方の貧困 生産力を社会のために使えば解決)第3章 マルクス エンゲルス『資本論』そして…目次を見て分かるように、『資本論』の単なる解説ではなく、現代の諸問題の原因を解き明かすツールとして『資本論』がいかに有効なのかを実証しているのである。話の内容が現状と結びついているので、経済音痴の私でもぎりぎりついていけるし、ついていかなくちやならない。私の本棚の奥で眠っているマルクス・エンゲルス全集の『ライン新聞』の諸記事や『新ライン新聞』、あるいはエンゲルスとの手紙のやり取りなど、今度こそ読みたくなった。(つまり20年近くまだ読んでいない)『資本論』は一巻目を読破どころか、「ここがロドス島だ!ここで飛べ!」まで、つまり価値、使用価値の辺りまでは行くのであるが、(飛んだあとほっとしてしまうのか)そこから進んでいない私なのでした。日本全国何万人いる(推定)『資本論』挫折組のひとりとして『そして、彼等は、立ち上がった。もう一度!』(『蟹工船』)と思わずにはいられない力がこの本にはある。最初と最後は漫画版マルクス伝となっており、なんとまあ熱いタッチでひげ面のマルクスが生き生きと描かれてている。「蟹工船」を初めて読んで、『ここにわれわれがいる』と感じた人たちはいきなり『資本論』というのはもちろん大変なので、この漫画版あたりを読んで、『大企業などの資本に対抗するには、なぜ労働者の団結こそが力になるのか』その秘密を解き明かしたこの本の『見取り図』を学ぶのがよろしかろうと思う。
2009年05月06日
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まだ読んでいる途中ではある。けれども紹介するにも「スピード」が大事だと思い、さわりを書きたい。(どっちにしろ、紹介第二弾はあります)インターネット時代になって、物事は早く進みだした。アメリカの不況は瞬時に大津波になって日本に届く。というような悪いことだけではなくて、フランスや韓国の大規模デモが日本のマスコミというフィルターを通さずに、当事者のレポートという形で我々の元に届くようになった。もちろん、取捨選択の「眼」は研ぎ澄ます必要はある。インターネットの世界だけではなくて、いろんなことが早く動いている。論壇の世界もその一つなのだろうと思う。良くも悪くも。日本の政界だけが旧態以前の動きをしている。去年のベストブックを三冊選べといわれたら、私は迷うことなく「反貧困」(湯浅誠 岩波新書)「貧困大陸アメリカ」(堤未果 岩波新書)「反米大陸」(伊藤千尋 集英社新書)を選ぶだろう。去年の個人的収穫はこの3人を発見したことだといって間違いはない。(感想の具体的なことはリンク先を読んでください)いや、世間もこの3人を発見したのである。伊藤以外はさまざまな賞を受けている(平和・協同ジャーナリスト基金賞大賞、大仏次郎論壇賞、日本エッセイスト・クラブ賞、新書大賞)ことは周知の通り。伊藤も講演で引っ張りだこである。正社員が没落するそして普通ならば、実現までに三年ぐらいかかるだろう二人の対論がなんと今年の二月には実現して、3月10日に発行された。まさに彼らが登場してたった一年でここまで来た。もちろん角川書店の商魂が逞しいからに他ならないが、それ以上にこのことはこれからの日本の未来に大きな意味があるだろうと思う。「貧困大陸アメリカ」を読んだとき、まさしくこれは五年後、いやすぐこれからの日本の未来だと思った。「反貧困」を読んだとき、まさしく「貧困」は我々の問題だと思った。その二人が、その思想と知識をこの本で「すりあわせ」をしているのである。そして「年越し派遣村」や「年次改革要望書」の情勢を受けて、二人がこれからをどう考えているのかを率直に語っているのである。ここ数年での課題がいくつもちりばめられている。もちろん前掲二書との重複はたくさんあるが、それさえも堤の論を湯浅が如何に受けたか、その逆もまた然り、新鮮に映る。例えば二人の話の中で、こんな重要な指摘もあった。アメリカの医療保険制度がひどいのは、たとえばHMOという巨大な民間保険があって、この機関が病院経営に介入するという仕組みがあります。映画「シッコ」で出てきたように、さまざまな理由をつけて支払いを拒む専門家を特別に雇っているのである。ある30代の女性が乳房にしこりがあって、検査を受けたら良性だった。ところがHMOはその支払いを拒む。しこりが良性だったならば、検査は不要だったというわけである。この業界が彼ら専門家に使う経費は年間980億ドル。ちなみにアメリカ国内に居る無保険者全員に一年間保険を提供するのにかかる費用は770億ドル。ちなみに保険者が払っている平均は年間11,500ドル。(115万円)(!!日本の私の場合は20万円ぐらいだと思う)‥‥‥とひどいなあ、と思っていたら、別のところで堤さんは日本にも「命の商品化」は進んでいるという。2007年8月、日本の保険法の法審議会があり、「保険法改訂中間試案」をまとめたんですが、その中に支払い手段における「現物給付」の解禁が盛り込まれていたとのこと。問題は支給されるのが「金銭」ではなく「サービス」でも可能になること。このサービスには医療も含まれる。これでは民間の保険会社が医療機関や介護施設と契約を結ぶことになるから、医師と患者の間に企業が存在するHMOと同じ図になる。さすがに全国保険医団体連合会などが解禁にブレーキをかけようとしているけれども、審議が続いていて、これは今後注意が必要だと堤さんは言っています。湯浅さんは「たしかに日本へのHMO導入は、かなり現実味のある話ですね。私から見ても、厚生労働省に余裕がなくなっていることがわかりますから。」と言っています。第六章「貧困社会は止められる-無力でない運動」はまだ読んでいません。二人が論壇の主要賞をとって以降、明らかに世の中の論調が変わりました。その二人の対論はだから足し算ではなく、掛け算になると思います。 お勧めです。
2009年03月27日
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22日の朝日に早坂暁が「私は『一年有半』を杖代わりとして、わが死と対決をし、突破しようとする算段だったが、郷里の大先輩である子規さんによって切って捨てられた」と書いていたので、正岡子規の『仰臥漫録』を読んだ。仰臥漫録改版中江兆民の『一年有半』は、喉頭がんで余命を宣告されたあとに当時の政界文化人を切って捨てた痛快無比な評論集である。当時子規も脊椎カリエスで医者が『生きているのが奇跡』といわれるほどの状況であった。しかしやはり同じく、異常な情熱を持って病状日記ならぬ俳句日記ならぬ、『漫録』を書き綴っていた。子規は兆民のことを「理はわかるが美は分らない」という。虚子から本を取り寄せてもらって一読したあとは「生命を売り物にしたるは卑し」とけんもほろろだ。早坂暁も同じく、余命一年半と宣告されているらしい。作家としては、理論の兆民よりも、自然や文化の美に感動する力の子規の方に軍配を上げるのは分らないでもない。けれども兆民は「生命を売り物」にしてあれを書いてはいない。正岡子規は筆が滑っている。けれどもそれはまた別として、この「仰臥漫録」には私も唸った。34歳9月に書き始め、10月末までは凄い勢いで書いているのだか、それ以降は書き物が途切れ度切れになる。そして次の年の9月に亡くなるのである。読んでいて、ちょうど一年前の父の姿が思い浮かんで慄然とした。もちろん父は、川柳や短歌を趣味にしていたものの決して書き物をしようとはしなかった。「歌を作るということはそんな甘いものじゃない」とぴったりと止めている。人は好き好きだからそれでいいのだが、父がもし日記を書いていたならば、こんな感じだったのではないか、と感じるところが多かった。父は全く最後の方は食欲はなくしていたが、入院直後はよく食べた。そしてすぐに腹が痛くなりそれで非常に苦しんだ。それでも食欲は大盛だった。一方、子規の食欲は異常である。これが瀕死の病人の食欲か。何処でもいいのだが、子規は10月末まではすべての食事を記録している。9月12日の日記にはこう書いている。便通及び帯交代朝飯 ぬく飯三椀 佃煮 梅干 牛乳五勺紅茶入り ねじ形菓子パン一つ(一つ一銭)午飯 いも粥三椀 松魚のさしみ 芋 梨一つ 林檎一つ 煎餅三枚間食 枝豆 牛乳五勺紅茶入り ねじ形菓子一つ便通あり夕飯 飯一碗半 鰻の蒲焼七串 酢牡蠣 キャベツ 梨一つ 林檎一切れ凄いでしょ。もう起きることができないので、それこそ仰臥して書いているのだが、時々長文も書いていて、若い頃の旅のときに仕方なくぼろ宿に泊まると、酢牡蠣というご馳走が出てきて大変感動したというようなことをつらつらと書いている。その一方では、チャラ書きのような絵や見事な写生、あるいは消えんとしてともし火青しきりぎりすなどの美しい俳句、あるいは九月蝉椎伐らばやと思ふかななどと病人特有の俳句を作ったりしている。岡山でも桜が開花した。去年の今頃、隣の家のおじさんが桜の木を折って病室に届けてくれた。父は長い間それを造花だと思っていたようである。父独り桜も気づかず部屋に居る
2009年03月23日
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