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なにかの「お誘い」があって、Under the Sunのコラムを初めて書きました。人はなぜ繋がりを求めるか--青年マルコの冒険(6)いやあ冷や汗ものでした。(^^;)ちょっと『空中分解』したみたいです。でもコラムはTBの依り代みたいなものなので、これでもいいかなと思っています。Under the SunはTBセンターです。どういう性格のものにしていけばいいのか、まだ模索中なので、一応「メンバー」登録している人の中から、もの好き有志がコラムを書いています。TBできる人は誰でもかまいません。性格もまだはっきりしていないので、実質どんな記事でもTBできます。(たぶんずーとそうでしょう)私の記事にも書いたのですが、世の中のことは『全て繋がっています』(手塚治虫『ブッダ』でも言っていましたよね)でも人生の不幸は突然やってくるように思えるし、悪法は上のほうから降って湧いた様に来るように思えます。弱い人間ばかりいる私たちは、何か防衛手段はないのだろうか。無いのかもしれない。でも、何か出来るかもしれないし、はげますぐらいは出来るかもしれない。ブログというのは『繋がる』ことが出来る面白いツールです。コメントとTB二つの機能を持っています。一瞬の間に日本中、世界中に飛ぶことが出来る性格も持っています。誰かの呟きが世界を変えるかもしれない。そんな願いを持って、TBセンターに関わるのもいいのではないかな。コラムニストになれ、というわけではありません。メンバー登録は別にしなくてもかまいません。TBの仕方が分からなければ、コメントだけでもいいと思います。でもできたら、もの好き興味持ったひとはメンバーになってもらいたい。そんな願いで、この記事をTBさせてもらいます。
2006年07月05日
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前回少ししか時間が取れなかった無言館展にもう一度行ってきた。6月17日14:00より『無言館展』を訪れ、村上彩子(東京藝術大学生)の協賛企画「~愛と祈りのコンサート~」があり、その素晴らしい歌を聴いた。彼女は、OLをしていたときに阪神大震災にあい、諦めていた音楽の道を再度志すことに決める。しかし甘くなく、芸大入試に四度失敗。自殺を考えて無言館に訪れたところ、同じ芸術を志し、途中で死ななくてはならなかった人びとの生の絵を見て打ちのめされたらしい。七度目の受験で合格。2006年5月「第5回水芭蕉忌コンサートIN愛知 名古屋公演」で文部科学大臣賞受賞。「ご恩返し」にいま全国を回っているらしい。戦没音楽生の遺品の中にあった葛原 守作曲「犬と雲」。あるいはその父親の作詞、葛原 しげる「とんび」などを歌う。「飛べ、飛べ、飛べ、とんび。 空たか~く。 鳴け、鳴け、鳴け、とんび。 青空に。 ぴ~ろ、ぴ~ろ、ぴ~ろ……」飛んでいった先は息子のところだろうか。鳴いているのは、しげるさんだろうか。と、村上さんは言います。絵もそうだが、音楽も、何年たっても出来たばかりのような生々しさがある。芸術を遺すということはこういうことなのかな、と思う。前回は戦没者画学生の残した自然のみごとさが印象に残ったが、今回は主に、戦没者と遺族との濃密な関係が印象に残った。「あと五分、あと十分この絵を描かせてくれ……」といい、恋人の「裸婦」を描いて往ってしまった、日高安典は有名であるが、かんじんの絵は複製画であった。残念。それよりも私は佐久間修の女房のデッサンの前に暫く佇んだ。「裸婦」説明書きにはこうある。「佐久間修は愛する妻の裸体を初めて描いた。それは美しく、そして初々しいデッサンだった。この作品を遺言として佐久間はまもなく長崎県大村市でB29の直撃弾を浴びて死ぬ」若い女性が身体を捻りながら横たわっている。上を向いている。緊張した面持ちと、全てを委ねた様な眼。ふたりだけの無言の会話がなされたに違いない。このデッサンの中には「時間」が描かれている。原田新「妹・千枝子の像」一張羅の着物を着て、丸こい顔立ちの妹が椅子に座ってポーズを取っている。それを明るい色調で、真面目に写し取ろうとする兄。遺品コーナーのなかに一枚のハンカチーフがある。原田龍馬。関東州の病院から姉多美子に最後の力を振り絞りながら描いたという芍薬の絵のハンカチーフである。そんな絵には見えない。優しい花が置かれている。渡辺武。1944応招。翌年沖縄首里にて戦死。27歳。「せめてこの絵の具を全部使い切ってから征きたい。見守る両親にそういいながら武はなかなか絵筆を置こうとしなかった。外では近所の人が出征兵士を送る万歳が聞こえていた。さ、早く、せかせる父のそばで母が泣いていた。」武の絵を見ると、誰とも違う明確な個性が浮き登っている。茶系等を主にしたゴーギャンのようなタッチ。けれども、出てくる人物は全てうつむき、悲しんでいる。妻に400通を超える絵葉書を送ったという前田美千雄。どれもが「生きて帰ってくるまで待っていてくれ」という愛の便りだった。彼の「風景(4月4日)」という水彩画を見ると、戦地の海に面した風景をスケッチしたのだろうか。日本ではない、茶色い土地を手前に、平和な白い雲と青い海がその向こうに広がっている。
2006年06月19日
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岡山市デジタルミュージアムで開かれていた特別展「未完の夢 無言館展」~戦没画学生が遺した愛と絵~ (6月2日~7月2日)に行ってきた。一度行って見たいと思っていた。無言館。絵というものはすごいと思った。まるで昨日書かれたような迫力で、迫ってくる。正確なデッサン。隠しきれない個性。そして未熟さ。生きていれば、どのように化けたことか。片桐彰。昭和17年9月京都工業高校図案科卒業。昭和17年入営。幹部候補生として満州へ。昭和19年マリアナ諸島で戦死。享年21歳。『梢のある風景』というものを見た。今にも泣きそうな灰色の雲を背景に、緑黒の梢が一本立っている。それだけのことが心に突き刺さる。太田章『風景』遠くに見える雪山から手前の緑いっぱいの森まで、山奥の早春の風景を一挙に見せる。単純だけど心和ませる絵。木々に塗りつけた一つ一つの緑がまぶしい。一人ひとりに、館主窪島誠一郎氏の文章だろうか、画学生と残された遺族の言葉が簡潔に添えられている。画学生たちは『国家のために』死んだのではない。この遺族たちと、彼たちの目に焼き付けた自然のために死んでいったに違いない、そう思える遺品の数々であった。彼らは『国のために』死んでいったが、『国家のせいで』死んだのである。時間が一時間少ししかなかったのでじっくり見る暇がなかった。もう一度いきたい。
2006年06月07日
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薔薇豪城さんがこんな記事を紹介してくれています。5月15日の東京新聞「こちら特報部」で、長崎市の外郭団体「長崎平和推進協会」が、そこに所属して被爆の体験を修学旅行生たちに伝えている「語り部」さんたちに、発言を慎む8つの事柄を要請した、という記事がありました。T記者の伝えたこの記事にはショックを受けました。 そのことについて、5月25日のコラムで、作家の半藤一利さんが書いていらっしゃいます。私もどこかに書き残さねば、と思っていたので、それをそのまま頂きます。『協会所属の被爆者が「語り部」となり、修学旅行生たちに被爆体験を伝えている。その「語り部」さんたちに「よりよい『被爆体験講話』を行うために」といって、つぎの八つにふれる発言を慎むように、との要請がなされたというのである。1・天皇の戦争責任2・憲法(九条等)改正3・自衛隊イラク派遣4・有事法制5・原子力発電6・歴史教育、靖国神社7・環境、人権などの問題8・一般に不確定な内容の発言(例、劣化ウラン弾問題)私はもちろん大いに腹をたてている。一方、長崎市は見事に学生が考えるべき「現代日本の問題」を整理してくれた、と感心した。被爆者はこの要請書をコピーして配り、お上の「意図」をしっかり説明するべきだ。「私たちの世代は重要なことが知らされていなかった。知ることが出来なかった。それは為政者の責任でもあるけど・・・・。みなさんは私とは違い、みんなインターネットが出来ると思う。この項目で検索してみて、是非自分で考えて欲しい。本当はこのことが今日一番言いたかったことなの。」とでもいえば、お上の要請に反対したことにはならないだろう。長崎平和推進協会 1983年に任意団体として発足し、84年に財団法人になった。運営費の85%を市が出資し、2003年6月までは長崎市長が会長を務めた。被爆者の体験講話のほか、軍縮問題の専門家を招いた講演会や、原爆資料館などでガイドをする「平和案内人」の育成に取り組んでいる。(6/3 0:12一部訂正)
2006年06月02日
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2000年8月愛媛県道後温泉にぶらり旅をした。お城から北のほうに歩いていって、突き当りを右に曲がっていくと、きっと坊ちゃん湯で有名な道後温泉に突き当たるだろうと歩いていくと、左手側に山頭火の最後の棲家になった一草庵が残っていたので、寄ってみた。普通の平屋だった。種田山頭火(1882-1940)山口県防府市生まれ。本名正一。少年期に母が自殺。早大文学科中退。帰郷して酒造業を営むが、破産、流転。熊本市報恩寺で出家得度し、味取観音堂守となる。1926年から行乞流転の旅に出る。32年小郡市一時住む。40年松山市一草庵で泥酔頓死。この庵に住むことにしたとき、彼はこんな句を詠んだという。おちついて死ねさうな草枯るる句集にはそれに続いてこんなつぶやきも書かれている。(死ぬることは生まれることよりもむつかしいと、老来しみじみ感じないではいられない)彼は随筆でこんなことも書いている。「私は、わがままな念願を抱いている。生きている間はできるだけ感情を偽らずに生きたい。これが第一の念願である。言いかえれば、好きなものを好きといい、嫌いなものを嫌いといいたい。やりたい事をやって、したくないことをしないやうになりたいのである。そして第二の念願は、死ぬる時は端的に死にたい。俗にいふ「コロリ往生」を遂げることである」彼はまさにそのようにして死んだ。死んだときは前夜このあばら家で句会を開き、山頭火は酔いつぶれて先に寝てしまう。客人たちはいつものことだと思いめいめいに散会する。山頭火が死んだのはその夜の午前四時ごろ、心臓麻痺だといわれている。享年58歳。今なら若い。当時なら寿命だっただろう。こんな句を残している。銭がない物がない歯がない一人山頭火には本当に金がなかった。でもこんな死にかたが出来たのは、幸運とともに、彼を世話する周りの人がいたからに他ならない。今ならこんな男の末路は悲惨の一語に尽きる。そしてこれからさらに悲惨になる。医療制度改革法案が衆院を通過した。(1)現役世代並みに所得のある(夫婦世帯で年収520万円以上)比較的豊かな七十歳以上の医療費窓口負担を、今年十月に現行の2割から3割に引き上げる(2)一般的な所得の70~74歳の窓口負担は、2008年4月に現行の原則1割から2割に引き上げる(3)2008年四月から75歳以上が加入する公的医療保険制度を新設(4)長期入院患者が入る介護療養型医療施設を、2012年4月までに廃止-これに関して書こうと思ったことはそういちさんが「医は算術也」 で書いていて、「背景は「年次改革要望書」」とズハリついている。「郵政改革後の簡易保険120兆円を巡り、米国損保会社にも参入させろという要望、混合診療の全面解禁も、米国の製薬業界、医療サービス業界、保険業界などの大企業を日本の医療界に参入させるために、米国が要求している。」「医療業界は、株式会社化への道を進み始め、混合診療などが本格導入されれば、金持ちしかまともな医療が受けられない社会が到来する。」アメリカと同じように、医療費は金がかかり、自分で保険に入ってまかなうもの、という社会がやってくる。今回の負担増はそのための下地作りの仕上げの部分に入るのだろう。どうしてこんなことになってしまうのか。なぜ許してしまうのか。国民は今までの負担増と同じだと思っているからだ。もうずっと前、一般医療費の一割負担が二割に上がろうとしたとき、私は岡山からバスに詰められて東京に行き、初めて10万人集まった集会とそこから始まる延々と続くデモ行進というのを体験した。地方の人間は早めにデモに出発できた。帰りのバスで高速を乗ったとき、まだ延々とデモ行進が続いているのを見ることが出来て感動したことを覚えている。マスメディアはほぼ無視をした。しかしあれが日本のデモ行進でおそらく最大のものだったのである。今回は全くといっていいほど反対運動を起こすことが出来なかった。確かに今は二割負担どころか三割になって、それでも日本国民は暴動をまだ起こしていないのだから、何とか我慢出来ているのだろう。でも、今回の負担増ははたして我慢出来るのだろうか。老人医療費が一割から二割に上がるのは、一般医療費とは意味が違う。一般と老人では、年収は何倍も違うのだから。年金収入100万以下の老人は掃いて捨てるぐらい居るだろうし、これからはもっと増えるだろう。そして年収に対する負担率は今までの医療費の比ではない。しかし、かかる病気は老人のほうが間違いなく深刻だ。平均寿命は男76歳女84歳。これは、車も持たず、食品添加物も摂取せずに大人になった人たちの平均寿命のことで、現在40~75歳の男の二人に一人はメタボリック症候群(生活習慣病予備群)なのだから、老人になる前後に癌や脳卒中など高額医療の世話になると考えておいたほうが良い。今の中年たちは、アメリカのようにドンドン医療費破産が増えていくだろう。アリコやアフラックだけがドンドン肥えていくわけである。ホテルコスト導入、障害者への負担強化、今回の医療改悪で減らされる年間の国費は、合計で約三千二百六十億円。一方在日米軍再編のためにつぎ込もうという3兆円を年間計画の6年で割ると、年5千億円。なんだ、要らないお金をアメリカにあげなけれりゃまかなえるじゃん。専門的なことはわからない。けれども、こんな負担増はばかげている。
2006年05月19日
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フランス政府と与党は10日、若者向け雇用制度(CPE)に代わる失業対策として、16~25歳を雇った企業への補助金を拡充することを決めた。朝日新聞12日付報道「仏の若者雇用策、一転「政府介入型」に 首相逆境」しかし私は忘れない。去る3月24日のフランスのデモの最初の報道の頃、例えば毎日は「<仏デモ>学生ら22万人参加、一部暴徒化 首相解任も」という見出しで「この日のデモは大学生・高校生が中心で、従来どおり各都市で平和裏に繰り広げられた。しかし、パリではセーヌ左岸のアンバリッド地区で数十人が警官隊に火炎瓶などを投げて衝突、車を放火した。衝突は南部マルセイユでも起きた」という面をおもに強調していた。 ほかの新聞テレビでも同じだった。これは単なる記者の資質の問題ではない。22万人集まるデモがどういうことを意味するのか、キッャチ出来ない日本のメディアの「体質」の問題なのだろう。確かにフランスでは戒厳令騒ぎがあった。しかしそのことと、学生労組の組織立った運動を区別できないというのは、社会の見方が未熟である、というしかない。いま米下院を通過した不法移民取締法案に反対し、ビザのない不法移民の合法化を求める統一デモを報道するアメリカの「全米で350万人デモ、移民制度「改悪」に反対」という記事では、さすがにそんな姿勢は見られていない。フランスのデモの報道を見たとき、「ああ、これは日本の問題でもある」と思った。けれども実はこの記事はもう少し様子を見て書こうと思っていた。日本の動きがなかなか見えてこないからである。でもやはり記事にすることにした。問題点がはっきりしないのだけど、私の問題意識だけでも示しておこうと思う。現在のフランスと比べることで日本の問題が浮き彫りになるかもしれないと思ったからである。4月6日の朝日の記事に「労働契約法波乱含み 雇用ルール法で明確化」というのがある。日本でも現在労働契約法の重要な改定がされようとしている。主な改正点は次の四つ。らしい。【労使委員会の常設】 委員の半数以上が事業場の労働者を代表。委員の5分の4以上が賛成すれば就業規則を変更できる 【解雇の金銭解決制度】 解雇が無効だと判決が出ても、解決金を支払うことで労働契約関係を解消することができるようにする 【有期労働契約の手続き】 経営者が契約期間を書面で明示しなかった場合、法的には期間の定めがない契約だとする 【雇用継続型契約変更制度】 労働条件を変更しようとする経営側の申し出を労働者が受け入れなかった場合でも、解雇されずに協議を続ける制度を設ける私が明らかに問題だと思うのは二番目の「解雇の金銭解決制度」である。これだと労働者が長いこと戦って勝ち得てきた「解雇の四条件」も無に帰することになる。「解雇の四条件」とは以下の四つ。1.整理解雇の必要性会社の維持・存続を図るために、整理解雇が必要かつ最も有効な方法であること。2.解雇回避の努力新規採用の中止、希望退職者の募集、一時帰休の実施、関連会社への出向など会社が解雇回避のために努力したこと。3.整理基準と人選の合理性整理解雇の対象を決める基準が合理的かつ公平で、その運用も合理的であること。4.労働者との協議解雇の必要性や規模・方法・整理基準などについて十分説明をし、労働者に納得してもらう努力をしたことつまり経営者はこんなこと考えなくても、最後は解決金を払えばいいのだから、「あんた気に食わないから明日からこなくていいよ。いやなら裁判に訴えてもいいよ」といえるようになるということである。実際は裁判起こすような労働者は少ないし、前と違って起こしても負けることが確定しているのだから、経営者側は安心してリストラし放題になる。フランスの法律は若者だけが対象だった。日本のこれは全労働者が対象なのだ。二番目の「労使委員会の常設」も問題らしいのだが、私はまだ良く分からない。これ以外にもなんかありそうな気がするのだが、勉強不足で分からない。また、労組の反対の動きがどうなっているのか、まだつかめてていない。詳しい方がおられたらぜひ教えて貰いたい。経営者はいつでも労働を調達して、いつでも労働を切るように、「グローバル」な戦略でもって動いてきている。それに有効な闘いを、既に世界の労働者は示してきている。果たして日本はどうなのだろう。(新聞記事のリンクはこの記事を短くするために仕方なくつけましたが、期間限定なのでしばらくするとリンクできなくなると思います。お早めに参照ください)
2006年04月11日
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昨日の日記で、小沢民主党首には政策本位で小泉と対決して欲しい、と注文をつけた。しかし、私は彼の主導する政策には期待していないということをやはり付け加えておいたほうがいいだろうと思い、少しメモしておく。私が小沢を信用しないというか、警戒しているのは、彼がもともと現代の「構造改革」「新自由主義」改革の仕掛け人であり、二大政党制を作ってきた本人であり、90年代から始まる憲法改正論議の立て役者の一人だったからだ。そのことにおいて以前「渡辺治の小泉政権論(2)」で少し言及している。渡辺治は小沢一郎については分厚い本を出していて「政治改革と憲法改正 中曽根康弘から小沢一郎へ」(青木書店 1994.6)というのがある。分厚すぎて読めていなかったのだけど、今読むと歴史小説を読んでいるみたいで、面白い。少し拾い読みをした。そこでは92年の小沢調査会答申の分析がなされていて、自衛隊の海外出動の恒常化、有事法制の整備、自衛隊法改正の整備などが書かれていたという。歴史の皮肉は小沢中心ではなく、小泉中心のそれを実現させたのではあるが、この答申の果たした歴史的意義は大きい。華氏541度さんの記事によると、小沢一郎は、2005.1.14『週刊金曜日』本多勝一のインタビューに答えて次のように言っているらしい。【憲法が諸悪の根源のように主張する人々がいるが、憲法が変われば一夜にしてすべての問題が解決するのか。そのようなとらえ方は、政治的思考の停止にほかならない。憲法というものは、国民が互いにより良い生活をしていくための最高ルールだ。だから、時代が変わって、国民が変えた方がいいと思うところがあれば変えたらいい。しかし、それだけのことだね。日本国憲法の基本理念は、平和主義、国民主権、基本的人権、国際協調の四原則だが、どれも不都合はない。時代が変わっても、普遍の原理、理想として掲げていてなにもおかしくない。日本国憲法の成立のプロセスは議論すればいろんな問題が出てくるが、中身とは別問題だ】一見すると、改憲反対のように聞こえる。しかしこれは憲法の基本理念が変わらなければ、「国際協調」(という小沢が付け加えた理念)のために、明文改憲をするべきだ、というふうにも読める。小沢の主著「日本改造計画」で国連待機軍への保有、日米同盟の対等化をうたっており、そのための手段として明文改憲か平和安全保障基本法を提案している。ほとんど民主党の改憲案と同じだ。小沢一郎の登場はもう一人の小泉純一郎が増えるのと同じだと私は思う。けれども前原のような「考えなし」よりは、まだいい。きちんと政策論議をしてもらい、メディアが「政策評価や検証という役割」を果たしてくれさえすれば。
2006年04月08日
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朝日新聞が東大と共同研究をして「メディア露出政治力に」という記事を書いている。小泉政権のテレビ露出度と内閣支持率を調べ、そこにほぼ相関関係があることを明らかにしたのである。連動しなかったのは、04年の年金問題を追求されて「人生いろいろ」とごまかした時。自民党は支持率は下がり参院選で敗北している。しかし小泉政権のメディア露出度は改めて凄い。メディア対策に気を使った細川政権の2.5倍、ワイドショーでは9.5倍である。これには秘密がある。首相官邸では毎日二回(テレビ取材は一回)「ぶら下がり」取材があるという。この時の「ワンフレーズ」をワイドショーは何度も何度も使うのだ。安倍官房長官は、この戦術を誇るが如く次のように言っているらしい。「ワンフレーズが多いのには理由がある。テレビには5分喋っても20秒しか流れない。小泉首相はその言葉を出そうと思ったら、それしか言わない。だからその言葉しか放送しようがない」いやはやテレビは舐められいる。テレビは「言わされている」のである。それほどまでに「感動した!」の一言が欲しいのか。東大の蒲島教授は「メディアは政治をドラマと同列に扱い、政策評価や検証という役割を放棄した番組が多い」と批判しているが、同感だ。民主党はテレビ映りのいい前原で失敗し、映りは悪いが印象の残る顔の小沢を党首に選んできた。たぶん一時は露出度は増すが、総裁選に紛れてすぐに自民党以上の取材を受けることはなくなるだろう。自民党とメディア競争をすれば、自ら墓穴を掘るだろう。自民は今度は「人生いろいろ」の失敗を犯さないよう万全の対策をとっているに違いない。民主はせめて教育基本法、国民投票法、共謀罪で独自性のある政策を出すことで目立ってほしい。(徹底的に反対しろとは言わない。民主の立ち位置はわかっているので。けれど、国民に考えさせる材料は与えて欲しい。)メディア露出で支持率が左右される。こんなことがいつまでも通用するはずがない、と思う私は甘いのだろうか。でも、これはあまりにも未熟な政治意識ではないだろうか。朝日のこのような記事が出ること自体、少しは希望が持てる。とりあえず、これが進むとファシズムに向かうのではというぐらいの「危機意識」を国民が「常識として」認識するようにはなりたい。
2006年04月07日
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平和新聞3月25日号に佐藤光雄氏(平和委員会代表理事)が『自治体に「戦争動員計画」強制』という論文を載せている。消費税、国民投票法、共謀罪、教育基本法改悪、さまざまな悪法が通りそうで、もう大変なのであるが、実は国民保護計画のほうは06年度いっぱいで政府は各市町村に『条例制定』を迫っており、これから次々と地方議会で採択されるという手はずになっている。しかし、市町村はこれを拒否できるのである。非常に難しいが、このばかげた法執行を止めさせる道は有るということを初めて知った。佐藤氏はいう。この法の目的は、「『平時の有事化』が進行し、『訓練』などをつうじて戦争遂行を可能にする『国民』や『自治体』を作りだすこととを狙っての思想動員です。」というようなことをあげています。次第次第といつの間にか、有事への備えを国民の頭の中に植えつける、というわけだ。「有事と災害の決定的な差異を見えにくくしている。」意識的に避難訓練は災害時の訓練と似せてあるそうだ。災害時の避難訓練なら何の抵抗感も無いものね。けれども実際はテロの避難訓練なわけです。「有事の際は『国民保護』を口実に住民を隔離し、軍隊の自由な行動を確保する。」これは全く気がつかなかった。そうだね。戦車が通るのに、民間人がいては邪魔だし、ゲリラと区別つかないし。有事の際は、民間人は家を貸してくれといわれたら貸さなくちゃいけません。家を壊せといわれたら壊されても文句言えません。各自治体で計画が制されていることに関して有事法制の制定作業に深くかかわった磯崎陽輔氏の『国民保護法の読み方』という著書があるという。つまり、行政用のアンチョコなわけです。それによると「仮に市町村長が計画を策定しない場合には地方自治法第245条7項の規定に基づいて、市町村に対し、是正の指示が出来るものと解している。さらに市町村が従わない場合に、代執行に進めるかという問題があり、実務上そのような事態は想定しにくいが、論理的にはありうるものと解している。」けれども、自治体に対する罰則・制裁の規定は有りません。つまり市町村長が「計画を立てません」と拒否したなら、きちんと戦えるわけです。どこか忘れましたが、既にそういう町が出てきているみたいです。現在市町村は、野村、三菱総合研究所や外資系のコンサルタントに委託して策定作業を進めているという。政令指定都市では、京都・広島以外はそのための予算を計上している。ちなみに表があったので、この『再出発日記』を読んでくださている人に関係するような政令指定都市の18年度予算『国民保護計画策定費』を列挙する。札幌市3000万円。さいたま市843万円。千葉市1210万円。大阪市920万円。審議過程の情報公開を求めることは市民の権利である。そこから世論を作っていくという手段はある。記事を書いた後、メールで平和委員会のニュースが届いていた。長くなるが以下にコピーする。日本平和委員会活動推進ニュース 2006年3月23日 NO,50 国民保護法関連条例 高知・大月町否決、同・土佐町継続審議 この3月地方議会では、国民保護協議会と国民保護本部の設置に関する条例案が審議されています。高知県平和委員会は、1月25日の県理事会で取り組みを討議し、反対の申し入れを各首長、担当者に行うことを決めました。また、平和委員会も加盟する有事法制反対高知県連絡会は「慎重な対応を求める陳情書」を全自治体に送りました。 大月町では、条例案の審議の際に陳情が資料として配布され、共産党の伊芸町議が「県の想定は、土佐湾に不審船が押し寄せる、山にゲリラが立てこもるなど、およそ現実的ではない。国が法律を決めた、県が計画を決めたからなどといって充分な審議もしないで条例を制定するのは地方自治の本旨に反する。」と反対討論を行った結果、賛成4、反対7で条例案が否決されました。 土佐町では、議会前の2月16日に嶺北平和委員会が大豊町、本山町とともに訪問して要請を行いました。その後、ここでも3月議会で慎重審議を求める陳情が採択され、その直後の条例案提案だったので、「慎重審議を求める陳情を採択しておきながら充分な審議もなく条例案を採決にかけるのはおかしい」との討論で、継続審議となりました。 和田高知県平和委員会事務局長は、「想定内容そのものに無理がある。いまおおいに問題提起をすることが大事。そうすれば議論が広がっていく。」と今後の決意を語っています。
2006年03月30日
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23日、ベネズエラ代表団を迎えて歓迎・交流・連帯集会が開かれた。210人が参加。成功と言っていい。(岡山市・AALA主催)ベネズエラって何処?どんな国?という人がほとんどだと思う。私自身は、近年中南米で進んでいる反米・反新自由主義の国々のうちの一国であるというぐらいの認識しかなかった。びっくりした。とんでもないことが進められている。20世紀の最初にソ連の社会主義革命があったように、この国では21世紀をリードする(かもしれない)ボリーバル革命というものが始まっている。代表団の一人ジョニ・ニーニョ氏は「私たちは日本の春の季節にやってきたが、私たちの国で起きていることもまた、春です。」という。単なる「反米」ではない。21世紀型社会主義の大きな潮流が南米に育ちつつある。池澤夏樹は「アメリカは頂点を過ぎた。最盛期は速やかに去る。」と言ったが、南米のこの国から世界を見ると、まさにそういう世界が見える。日本はあまりにも南米の情報が遮断されている。ベネズエラは、南米大陸の一番北に位置する国。すぐ南はブラジルである。人口は日本の20%、面積は240%。1998年にチャベス大統領が選ばれると、99年に新憲法を制定。ベネズエラ・ボリーバル共和国と改名、参加型民主主義を掲げている。02年、軍事クーデーター、反革命派の石油ストを退ける。04年、大統領信任投票で大差で新任される。言語はスペイン語。90%がカトリック。主要産業は石油。一部の特権階級が国を支配していたベネズエラはここ数年で、貧乏人も安心して暮らし、教育を受け、働くことが出来る、さまざまなプロジェクトを立ち上げている。1980年から20年にわたり、南米は新自由主義の実験場と言われるほど、市場万能、規制緩和、減税、社会保障の削減、民営化の嵐が吹きまくったらしい。南米は98年のベネズエラから始まり、それに反対する自主的・左翼的・中道的潮流が強まっている。03年1月ブラジルでルーラ労働党政権誕生。03年5月アルゼンチンで生活重視のキルチネル政権誕生。03年8月パラグアイで清新政治を提唱するドゥワルテ政権誕生。04年5月パナマで自主外交を唱えるトリホス大統領勝利。04年10月ウルグアイで革新統一「拡大戦線」のバスケナス大統領。05年12月ボリビアで先住民出身のモラーレス大統領勝利。06年1月チリでバチェレ大統領勝利、ピノチェト独裁制に完全に決別。止まる事の知らない流れがある。キューバのカストロ議長の盟友チェ・ゲバラは映画でも描かれていたが、その若い頃の南米旅行日記において「はっきりしない見せかけの国籍によってラテンアメリカ諸国が分けられているのは、全くうわべだけのことだ」と述べる。代表団のフェリーベ・フィゲロア氏(写真)も次のように言っていた。「社会諸計画は、私たち国民が21世紀の新しい社会主義に向かっていこうするという民族自決の過程において、前衛の役割をになっています。この革命は止まる事の出来ない計画で、第二の独立のためのたたかいでもあります。これらのイニシアチブは、ラテンアメリカの統合の方向に向かって進んでいます。」おそらくブラジルやアルゼンチンが無くなって一つの国になるということをイメージしているのではなく、EUのような連帯組織を目指しているのだろうと思う。この連帯集会は4月8日の北海道まで、これからほぼ毎日のように各地で行われ、北上していく。私は無知を恥じ、少し勉強していこうと思い、高くてものすごく勇気が要ったけど、「ベネズエラ革命チャベス演説集」(現代書館2310円)を買った。またいつか紹介していきたい。
2006年03月23日
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九条を守ろうプロガーズリンクでの紹介に応えて、「9の日・9条・ハンスト・イン」に参加した。この「ガンジーの会」は、「自衛隊のイラク派遣に反対し、2004年1月26日以来、市民の不承認の意志表示の手段として、インターネットを介してリレー式による24時間ハンガ-・ストライキを一日も途絶えることなく続け」ているらしい。詳しい参加の仕方はHPを見てもらうとして、毎月一回9の日は広く呼びかけている。私は生来好奇心旺盛なので試してみることにした。もしいい取り組みだったら、ブログには全然浸透してないように思えるので(2年続けているのに護憲プロガーズ間で話題にならなかった)TBを送るなどしようかと思ったからでもある。私の人生、今まで1日何も食べなかったようなことはなかったので、そうとう不安はあった。ところが、今日一日やってみて、私だけかもしれないが、あまり苦痛ではなかった。昼ごろ少し力が入らないで気持ちふらつくことはあったし、今日はたいした運動もしていないので良かったのかもしれないが、食べ物のことで頭がいっぱいで何も手がつけれなくなるようなことはなかった。口にすることが出来るのは白湯のみなのだが、水よりも白湯のほうがなんか腹が膨れる気がするということを初めて知った。暖かいものが腹に入るというのが気持ちいい。「生命の危険のないハンストを呼びかけても、自己満足に過ぎないのではないか」という批判があるらしい。なるほど春闘のストライキのように、これを質にとって政府に迫ることは出来ないかもしれない。しかし思うのであるが、今日一日ハンストをやっているのだ、という想いは離れることがなかった。ハンストは「祈り」に似ている。憲法改悪の動きがどうなるかは神のみぞ知る。やるべきことをやった後は祈るしかない。ところが、「祈り」というのはどうもバカにできないように思う。私は無神論者だから神には祈らない。上手い言葉で伝えれないが、こういう1日も悪くはない。12時を過ぎてココアを飲んで、雑炊を食べた。
2006年03月09日
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5日、倉敷市水島会館というパイプ椅子で80名入ると満杯になる狭い部屋で、『コリア・レポート』編集長の辺真一(ピョン・ジンイル)氏の講演会が有った。この小さな公民館がある一帯には在日朝鮮人が多く、今日は年一回のふれあいフェスティバルの日であった。彼の話を初めてじっくり聞いた。日韓の交流に関心がある私にとって共感できる部分が多く、幾つかを紹介したい。偶然にも昨日は昔の隣国関係、今日は現在の隣国関係の学習になった。以下講演内容。「平和と人権を守るために~心の国際化とは」人権とは、義務とセットで考える。上中下は無い。そして、相互理解が大切である。特に相互理解が大切だ。日中韓では習俗、気質、歴史共に違う。中国‥隣国なのに挨拶言葉があまりにもかけ離れている「ニイハオ」、ベッド、長い箸。声が大きい。韓国‥「アンニョンハセヨ」、オンドルバン、中くらいの長さの箸。声が少し大きい。日本‥「こんにちは」、畳じき、短い箸。声が小さい。とくに日韓では気質の違いは、面白い。日本は『親しき仲にも礼儀あり』おごられたらおごり返すのが大事。韓国は『親しき仲には礼儀なし』辺氏は野球のソン・ジョンピルと呑みにいって一度たりとも財布に手を触れたことが無いらしい。おごる立場の人間はずーとおごりっぱなしである。何が基準かというと、お金持ちか、上司か、年上かということ。だから韓国に行って、誰かと呑む場合、年下で無ければ、、身なりは貧乏たらしくしたほうが良いらしい。現在北朝鮮と日本の関係は史上最低、関係の悪さは世界最高である。アメリカでさえ、世論調査で北朝鮮が好きだという層が10%あるのに、日本の場合はなんと0%。この横並び体質は民主主義国家としては少し異常ではないか。(韓国15%、中国10%、去年の関係が悪化した時期の朝日世論調査)北は確かにひどい国ではある。しかし、韓国や他のアジア諸国とは関係正常化を果たし、日本は曲がりなりにも戦争保障をしている。しかし、北朝鮮にはまだしていない。過去は日本が悪く、現在は北朝鮮が悪い。金正日はおそらく側近が止めろといったのに日朝正常化を期待して、拉致被害者を発表したのだろう。しかし、かえって関係は悪化した。一度ならず二度もあった。もちろん北朝鮮のやり方は悪かった。しかし私(辺)は『拉致を認めて謝罪する』ということはかなりの勇気がいっただろうと思う。私は予測していなかった。ところが金正日の期待に反し、日本人は経済制裁まで持ちだして「キレテ」しまった。それに対して北朝鮮も逆ギレしている。この日朝関係どうしたら解決できるのか。解決できたらノーベル平和賞ものだろう。私(辺)は『経済制裁』については『慎重であるべきだ』という考えである。経済制裁は効果が無いからである。70年前日本も米英から経済制裁を受けた。結果どうなったか。『武士はくわねど高楊枝』制裁に屈しなかったではないか。そして日中戦争、太平洋戦争への引き金になった。朝鮮人も日本人に劣らずプライドは高い。だから政治家は簡単に『経済制裁』などというべきではない。彼らは選挙目当てでいっているのではないか。政治家ならゴールデンウィークに欧米になど出かけず、北朝鮮に乗り込むべきである。有効な解決策は私(辺)も分からない。『拉致(人権)と核(平和)』はどちらも日本と直結している。傍観者ではいられない。韓国とは現在年間400万人の人間の交流がある。それだけあっても、韓国理解度はまだ40%である。北朝鮮との交流は年数百人に過ぎない。価値観の違いを理解しながら、相互理解しながら人的交流、経済交流をしていく必要があるだろう。北はまだ本当のことをいっていない。11人の生死をはっきりさせながら話し合いを続けていくしかない。私はこの一月北朝鮮高官と10時間に及ぶ対談をした。日本と北との官僚級の対談が通訳通して9時間だから、私のほうが高度だ。今事実関係の精査をしている。
2006年03月05日
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日本原演習場における日米共同演習の概要は一昨日の記事に書いた。今日は、日米共同訓練反対集会(事務局・岡山県労働組合会議)にバスを連ねて参加した。場所は奈義山麓の奈義美術館となりの休耕田。幸い雨もやみ、雪も解けていた。県下全域から700人が集まった。この集会で採択した決議に、この共同訓練が何を意味するのか、簡潔に述べているので、一部を抜粋したい。陸上自衛隊第8普通科連隊とアメリカ海兵隊の予備役部隊が、滋賀県饗庭野演習場を同時に使用して、ここ日本原駐屯地と演習場で共同訓練を強行した。さらにこの共同訓練と連動して日米両政府は、日本原駐屯地と演習場を日米地位協定第2条4項(b)に定める米軍使用の基地・演習場とすることを決定した。これは昨年の日米安保協議委員会で合意した日米再編計画の具体化であり、断じて許すことが出来ない。この決議に書いてある「日米地位協定第2条4項(b)」というのは、返す返すもひどいものである。今回は最初ということで米軍の数も少なく、期間も5日間であったが、これからは永久に年6週間内で、いつでも、米軍が日本原演習場を使うことが出来るようになるということを示している。しかも前の記事では12/26に地元奈義町は受け入れを強行採択したと書いたが、実は広島防衛局から岡山県知事宛に12/21に既にこの文章が届いていて、その時点で既に決定していたのである。自治体の毅然とした態度が求められている。座間や岩国の市長を見習え!闘いはこれからだ!と次々と決意表明された。この日米再編計画は、アメリカの先制攻撃戦略の機動性をさらに高め、世界のいかなる場所にも迅速に出撃できる体制をとるため、米軍の統合作戦本部を神奈川県座間基地に新設し、岩国へ米艦載機部隊を移転するなど、在日米軍の編成を抜本的に改めるものである。同時にこの計画は、自衛隊を米軍の補完戦力とする軍事一体化を目指して「相互運用性の向上」や「共同の活動の増大」をはかり、「共同訓練」、「施設の共同使用」をすすめることを決定している。これは「長期戦時体制」に踏み込んだアメリカとの共通戦略のもとで、日米安保体制が地球規模の軍事同盟に変質したことを示し、この態勢の中で日本原は、1965年に「専守防衛」の名のもとに駐屯地が開設された状況と全く異なり、アメリカの戦争に直結する危険な役割と機能を新たに果たすことになったといわなければならない。今回の訓練は主に「テロ対策訓練」がされている。一部に「備えあれば憂いなし」でそういう訓練を同盟国と一緒にするのは必要である、という意見があるみたいだ。もちろんそのような事態になれば、役に立つことも少しはあるかもしれない。(このような訓練に賛成すること自体がそのような事態を招聘してしまうことになる、という点についてはここでは触れない)しかし、今までのアメリカのやってきたこと、今回の米軍再編の意味をきちんと見れば、アメリカの意図は日本へのテロに対処することが第一義ではないということはすぐ分かるだろう。自衛隊を米軍の補完戦力とする軍事一体化を目指して「相互運用性の向上」や「共同の活動の増大」をはかること、アメリカの戦争に直結する危険な役割と機能を新たに果たすことが目的なのだ。そして、日本も意図的にその流れに乗っているのである。このあと、日本原駐屯地の入り口まで約4キロをデモ行進し、決議を自衛隊に渡した。いままで、沖縄、岩国、佐世保、三沢、横田、横須賀等々、いろんな米軍基地に行って来た。正直、米軍基地がある県はたいへんだなあ、と思っていた。まさか自分の県が実質米軍基地になろうとは。「ふるさとを侵略の基地にするな」「日本原を侵略の基地にするな」「米軍は本国へ帰れ」こんなシュプレヒコールを岡山県で叫ぶ日が来るとは。確実に10年前には想像もできなかった状況になっている。岩国の住民投票のことは、主催者挨拶、地元挨拶、政党挨拶全員が触れていた。(岩国からは誰も来ていないのに。)今現在、米軍再編の動きにストップをかける力があるとしたら、これしかない、ということなのだろうと思う。支援を強めていきたい。
2006年02月26日
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今月19日から、岡山県日本原演習場と滋賀県あいば演習場で、米海兵隊と自衛隊の日米共同演習が行われている。とくに日本原は今年初めて米軍との共同演習が行われることになった。02年の日本原基地公開演習の様子そのことが分かったのが去年の11月である。当初奈義町長は議会では「議会、演習場対策協議会、住民の意見を確かめた上で結論を得たい」と述べていた。ところが、防衛庁から12月26日まで回答するようにという「お達し」があると、訓練内容も、住民の意思も確かめないまま、町議会で多数決で受け入れを決定してしまった。しかも、後で調べると、これは今年だけのことではないということがわかる。先の日米合意で、日本原を年間6週間を限度に米軍が使用する事に合意をしているのである。おいおい、こんなことを一片の通知で決めていいのか。これは単に奈義町だけの問題ではない。米軍にとっては移動も立派な訓練である。訓練回数を重ねるごとに、ヘリコプターの低空飛行訓練や、住民に対する宣伝訓練、医療支援要請訓練など゛だんだんヒートアップする可能性がある。今回の日米共同訓練にやってくるのは、海兵隊である。海兵隊は映画「ジャーヘッド」でも湾岸戦争でいの一番にクェート入りを果たしことでわかるように、陸海空のすべての攻撃機能を備えた緊急展開部隊で、海外侵略の場合の「殴り込み部隊」である。今度日本原に来る海兵隊は、アメリカ本土テキサス州ヒューストンにいる第4海兵師団の第23連隊第一大隊(予備役)だ。この共同訓練が終われば、その足でイラクに直行するかもしれない。戦場に送り出される直前だけに、更なる人間性をなくす「殺す」ための訓練になるだろう。(そういえばあの映画での唯一の仲間の死亡は訓練時だった)日本原中央着弾地(02年)約2000ha日本原が自衛隊演習場になって42年間、なぜ今頃日米共同演習なのか。結局自衛隊を米軍と一緒に海外で戦えるようにするための訓練なのだろう。海兵隊と一緒に訓練するということ、近年になって「市街戦訓練施設」が新たに建設されていること、などがその雄弁な証拠である。自衛隊は「日本の防衛」から「海外侵略のための軍隊」に変質しようとしている。米軍再編という名の米軍強化、もその一環である。今度の日曜に奈義町で住民反対行動がある。その様子はまた報告します。
2006年02月24日
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チャン・イーモウが発掘した二大世界的女優コン・リーとチャン・ツィイーが火花を散らす「SAYURI」が中国で上映禁止になったらしい。(おそらく中国女優が日本で売春をするのが気に入らなかったのだろう。しかしそれは明らかな日本文化の曲解である。)まさか『単騎、千里を走る。』までそんなことは無いだろうね、と気にしたら1月29日付け朝日新聞の特集シンポ「日中関係の発展に文化は何が出来るか」で王敏氏が「人民日報でこの映画が大きく報道された」といっていたので一安心。この映画こそ、両国の人民、国民がこぞってみて欲しい。なぜかということは、既に述べた。さて、このシンポは「政冷経熱の現状と『文温』の可能性」という副題がついている。現状いえば、麻生太郎外相が靖国参拝について「政冷」にまた氷水をかけた。「日本の首相が、国内でここには行ってはいけないと外国から言われるのは通らない。中国が言えば言うだけ行かざるを得ない。たばこを吸うなと言うと吸いたくなるのと同じだ」と。加藤周一氏はこのシンポで「今の『政冷経熱』は長くは続かないだろう。閉じた関係は、時が経てば温度が平均化し、いずれ政冷経冷、政熱経熱となる。」と述べている。どちらに傾くか、加藤氏ははっきり述べていないが、『政治が冷たいと経済も冷めていく』とは述べている。一方「靖国反対を言っているのはアジアでは中国・韓国だけだ」という小泉首相の主観とは裏腹に靖国史観派はそのテリトリーをドンドン減らしてきている。世論調査も反靖国だし、月刊『論座』二月号では読売新聞の渡辺恒雄氏と朝日新聞論説主幹の若宮啓文氏とが『靖国批判』で大いに志を同じうしている。渡辺氏は言う。「靖国神社の本殿の脇にある、あの遊就館がおかしい。軍国主義をあおり、礼賛する展示品を並べた博物館を、靖国神社が経営しているわけだ。そんなところに首相が参拝するのはおかしい。」政熱経熱の可能性は充分にあるだろう。そのためには『文温』の温もりが必要なのではないだろうか。加藤氏は「(日本は)ある方向に流れる傾向がある。」という。ほかの書物では「なし崩し的に変わっていくのであって、急激には変わらない」とも言っていた。『雑種文化論』以降加藤氏の関心領域は常にその日本人気質の克服であった。「個人として、自分が正しいと思うことを言わないといけない。」この訴えは親友丸山真男氏とも通抵する考えだろう。ではどうするか。「若者と高齢者は手を取り合って欲しい。この層は発言力は弱いが組織からの圧力は少ない。『未来と過去の同盟』が発言すれば、日本も変わる。」新聞はシンポの要約なのでそれ以上のこと、どういう形の同盟をイメージして言ったのかはわからない、しかし私は『なるほど』と思った。現在全国に無数に出来ている九条の会は、多くは「年金受給者と若者との連携」「年寄りと主婦との連帯」の成果である。あるいはパソコンも自由に扱える新しい定年退職組が次々と九条の会を立ち上げている。問題は学生の動きが目に見えないことである。いかに地域に飛び出るか、そこは年寄りが道を示さなくてはならないだろう。プログやHPはそのための重要なツールだ。ブログの場合はTBという武器があって、「個人として自立しながら」「なおかつ連帯する」にはもってこいのツールである。「なんとなく繋がる」という意味でも使いやすい。新定年組以外の昔ながらの年寄はインターネットの世界は知らないから、若者と年寄の橋渡しは新定年組や元気な中年が担わなくてはならないだろう。まずは高校生、大学生の若者は自分の疑問をドンドン出し、自分の意見をドンドン出そう。大人はきっと応えてくれるし、現在希望はそこから生まれる連帯しかないだろうと思う。
2006年01月31日
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今日の朝日朝刊にこんな記事が載っていた。横須賀の強殺、米司令官ら「雨降って地固まる」と謝罪 神奈川県横須賀市で女性(56)を殺害し、所持金を奪ったとして、米空母乗組員ウィリアム・リース容疑者(21)が強盗殺人容疑で逮捕された事件で、ジョナサン・グリナート第7艦隊司令官とジェームズ・ケリー在日米海軍司令官が18日、日本国民と横須賀市民あての公開書簡を発表した。「日本には『雨降って地固まる』ということわざがあるが、この事件が触媒の役割を果たし、日米同盟がより強くなる結果をもたらしてくれるといいと思う」などと述べている。 「雨降って地固まる」について「非核市民宣言運動・ヨコスカ」メンバーの広沢努さん(51)は「謝る側が使う言葉ではない。市民感覚が分かっていない証拠だ」と話している。 書簡で2人は謝罪して再発防止に取り組むことを約束し、「日本に駐在している海軍関係者が善良で人の気持ちがわかる人間であることを理解してほしい。彼らは有事の際には危険な場に身をさらすことをいとわない」と強調している。(以上コピー終わり) ……よくもしゃあしゃあとこんなことがいえるものだ。アメリカの海兵隊の訓練の様子は何度も何度も映画化された。特に「フルメタメジャケット」に詳しい。そこで行われるのは徹底して「相手の気持ちを思いやる心をなくす訓練」である。ともかく人間の心をなくす。そうでないと相手を撃てない。「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか」(講談社)にもその過程が目に見えるように書いてある。最初の人殺しのときに彼は吐いた。その後は大量殺人にも平気になる。そしてアメリカに戻ってPTSDになるのである。「戦争は人を殺すマシーンにさせる」と彼は言う。そして、その親玉が、一生懸命日本の辞書を引いて持ち出したのがこの言葉である。小学館国語大辞典にはこう書いてある。「雨の降ったあとはかえって地面が堅固になるところから、変事の後は、かえって事態が落ち着いて、基礎がかたまることをいう。」おっ、この言葉はいいぞ。この言葉を使ったら、災い転じて福となす、かえってわれわれのアピールも出来る、とふんだのでしょう。さぞかし、司令官、学生の頃は「いい点数」をとったことでしょう。けれども普通の人間なら、殺された遺族の気持ちを考えてみる想像力のある人間なら、「この言葉ちょっとおかしいぞ」と思うはずです。しかし、彼らは相手のことを思いやる人間性をなくす訓練をしたのだから、これは当然の帰結だったのです。戦争とはこういう人間をつくる。
2006年01月20日
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とても、今年のまとめなんて出来ない。時間がない。興味があることが多すぎる。このまま来年に突入しそうだ。と、いうわけで押し迫ったこのとき、皆さんよいお年を!と書こうとしていたら、いまさらながらアメリカの今年の「年次要望書」が既に出ていた、ということを知った。「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書」(2005 年12 月7 日)関岡英之氏の「拒否できない日本-アメリカの日本改造が進んでいる」(文春新書刊)を読んで早く書評を書かなくちゃ、と思っているのだが、余裕がないので「そぞろ日記」さんの拒否できない日本-アメリカの日本改造が進んでいるを参照して概要を知って欲しい。「中国は脅威だ」といっている場合ではない。アメリカからこんな細かいことまで内政干渉されているのだ。既に「経済的侵略」を受けている、と国民は怒らなくてはならない。とはいえ、経済は私のもっとも苦手な分野。誰か、この膨大な文章を少しづつでいいから、原文に即して解説してほしいと切に願う。物事には細部にこそ、「問題」が詰まっている。たとえば今年の文章にこういうくだりがある。「民営化」「米国は日本郵政公社の民営化という日本の改革イニシアティブを特に歓迎する。日本の銀行・保険・エクスプレス便市場において、米国系企業、日本企業およびその他の民間企業に比べて日本郵政公社に付与されてきた税制面などでの優遇措置を撤廃するよう、米国は長年にわたり求めてきた。日本は、2005年10月に国会で法案を成立させることにより、その方向へ重要な進展をはかる枠組みを築いた。日本がこれらの改革の実施準備を行うにあたり、日本郵政公社と民間企業との間に均等な競争条件を確立するとの法律の原則を、完全に実現するために必要なすべての措置が講じられることが鍵となる。また、これらの改革の準備過程と実施において、すべての利害関係者にとって完全な透明性の確保が図られることも重要である。」9.11で、アメリカの「長年にわたり求めてきた」ことが実現したわけだ。小泉さんはこれから「日本郵政公社と」(アメリカの)「民間企業との間に均等な競争条件を確立する」事に力を注ぐだろう。
2005年12月31日
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やっとバナーの貼り方覚えました。嬉しい(^o^)/Under the Sunの場合は以下のようにしたらなんとか貼れますよ。……と思ってHTMLタグ入れたら、そのままバナーになってしまうのですね。難しい。a href="" target="_blank">img src="" border=0>この二つのHTMLタグとも一番最初に「
2005年12月30日
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9日の旅の間、ラジオのヘッドラインニュースぐらいしか聞かなかったということは既に述べた。そして今日、溜まりに溜まった朝日新聞を一通り流し読みしてみた。私はあまり熱心な新聞読みではないとは思っていたのだが、それでも新聞の情報量、そしてテレビの情報量、人との付き合いの中での情報量は圧倒的で、その中から取捨選択して自分なりの世の中の見方を蓄えているのだな、ということを今日発見した。なぜなら、意識せずにヘッドラインニュースだけを聞いていると、今の政府がんばっているな、と思えてしまうのだ。ヘッドラインニュースだけを聞くというのは世の中の忙しいお父さん、忙しい主婦、忙しいニートも同じなのではないだろうか。だとすると、世の多くの人は意識せずニュースを流し聞きしていると『情報操作の罠』の中に嵌るのではないか、ということを思ったのである。以下、私の聴いたヘッドライン(で憶えているものを)を羅列してみる。「診療報酬の総額が3.16%削減」『浅田真央国際大会で優勝するも、トリノ五輪には出場できず』「07年消費税増税無い、首相が断言」「トトサッカーくじ大幅赤字」「耐震偽装姉歯元建築士の事務所など一斉捜索』「初の人口自然減、一万人」「清原・中村オリックス入り」「各地に大雪、近畿地方の68万戸で大停電」『(CMでよく聞いたが)ナショナル石油暖房機不良品のお知らせ」「中国韓国への親近感下落に転じる」後はクリスマス前後の話題でいっぱいでした。これを素直に聞くと、政府は医療費の負担を少しでも下げるためにがんばってくれているし、首相はリーダーシップを発揮して選挙で言っていたとおり消費税はないといってくれたし、耐震偽装はついに警察の手が入って解決に向かいそうだし、ナショナルの企業責任はちゃんと追及しているし、わがままな中国韓国への親近感が下がるなんて当たり前だ。それよりも真央ちゃんすごいし、人口が少なくなって高齢化社会が不安だし、大雪はたいへんだったよね。ということになる。朝日新聞でさえ、きちんと読めば、次のようになる。政府予算を削るために診療報酬減があるのだし、消費税を上げなくても大幅なサラリーマン増税は控えているし、自民公明にまで手が伸びないように早く耐震偽装に決着をつけようとしているのだし(おっとこれはきっこのプログからの情報だった)、首相の靖国問題への責任はきちんと考えないいけないし、追悼施設調査費計上見送りだなんて何を考えているのやら、「真央ちゃんがトリノにいけないのは不思議だ」という前に首相は偽装問題に不思議だといわなければならないし、「ボリビアに反米大統領当選」やはり南米のアメリカ離れは止められない勢いであって、EUにしても、アジアにしても、アメリカ離れは世界の大勢である。そのことに気が付いていないのは独り日本だけなのか。私のようなところまで来てプログを読む人は心配ないけど、世の大勢の人たちはこういうニュース環境で生活しているのではないか、と今日急に心配になったのでありました。
2005年12月26日
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9日間も、車で放浪の旅をしてPCから離れていると、なんとなく浦島太郎になったような気がする。もちろんラジオは聞いていたので、その日のニュースのヘッドラインは知っていたのだが、やはりプログも新聞も読まない日が続くと批判精神の触覚が鈍っている気がする。九州の田舎道を道に迷いながらうろうろしている間に(まるで今の私のよう)プログの世界ではTBセンターが出来ていた。T.N.君の日記のpantherHさん、玄耕庵日乗のso_luck さんが骨を折ってつくってくれた。Under the Sunである。『現在の社会や政治を考えていく上で,「政府やマスコミはそういっているけど,本当のところはどうなの?」「すると,一体その先にどんな未来があるの?」という情報の集積を図り,変革期の社会の問題とその先について考えていきたいと思います』とある。暮らしに関するさまざまなことでつい書いてしまったエントリーの集積場所になるかもしれない。わたしの「触覚」がこのセンターを訪れることで、あるいはTBを飛ばすことで少しでも磨かれることを期待したい。別に登録しなくてもいつでもTB出来るところが自由でいいと思う。管理人の方はたいへんだと思いますが、みんなでぜひ育てていきましょう。
2005年12月26日
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どうせ明日の朝刊に、朝日を始め全国紙では写真はおろか、ベタ記事さえも載るか載らないかだろうから、せめて写真だけでも紹介します。11月19日東京明治公園で行われた「憲法改悪、庶民大増税は許さない11.19国民大集会」に行って来ました。日帰りです。主催は国民大運動実行委員会と憲法改悪反対共同センター。この時期この二つのテーマ(憲法改悪反対と大増税阻止)で3万5千人の集会(主催者発表)というのは、記憶に留めてもいい数字のはずです。全国集会としては問題の深刻さに対して、数が少なすぎる、という意見も当然あるでしょうが、無視をするべきではないと思います。集会アピールでは1.憲法改悪に反対する広範な共同を全ての地域、職場、学園に広げましょう。06年末までに、住民過半数署名をめざし、学習、宣伝、署名活動など進めましょう。2.庶民大増税の内容と消費税のまやかしを、広範な労働者、国民に伝え、大増税反対の世論を大きく喚起し、共同を広げましょう。という内容を採択しました。長野の地方組織が、憲法改悪反対署名の住民過半数の目標に対して8~9割までいっていると報告があったのがすごいと思った。やっているところはやっているね。
2005年11月19日
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岡山県で国民体育祭(国体)が行われている。その関係で気がついたことをいくつか。天皇が来るということで、ものすごい大騒ぎをすることは以前から聞いていた。道路が新しくなったり、公園が新しくなったりするのは、そのほうが予算が通りやすいのだろう、めぐじらを立てるほどではないか、というのが私の今までの認識であった。岡山県に国体が来るのは43年ぶり。天皇の本格的な来岡は10数年ぶりだろう。私はここまでの大騒ぎをするとは思っていなかった。労働組合の雑談で、「天皇が通る道の町内会では、道沿いに出て日の丸を振る動員が目標を立てられて降りてきている。」「道沿いの家では決して上から見下ろすようなところへ立ってはいけないという通達が出ている。」「決して傘を持ってきてはいけない」と聞いた。その他こまごまとした通達が見事に役所、公立学校や町内会に徹底された。見下ろしてはならないというのは警備の問題なのだろうか。「そんなことはない。不敬罪にあたるということだよ。現に私は見下ろしたけど、警備は飛んでは来なかった。」と、雑談である人。日曜日、牛窓に行く途中、いやに混んでいると思ったら、道々日の丸を持った人たちが帰るところであった。警察や公安警察の動員もすごい人数である。この日まるっきり関係ないと思われるような道路にも公務の人たちがたむろしていた。町内会の動員は街中だけではないのだ。天皇はいろんな会場を回ったはずだし、この国体の間中、いったいどれだけ動員されて、一体どれだけの公費が使われたのだう。どこか調べたら明らかになるのだろうか。警備の必要性で言うと、首相が動いても同じくらいの重要性があると思うが、もちろん警察動員はこの何十分の一だろう。だいいち、公務員が何日も前から予行演習をしたりはしない。今回の動員記録は絶対公安あたりに記録されて、有事の際に活用されるに違いない。そういうと、公務労働者は「そんなことはない。昔とくらべると、町内会の動員なんてぜんぜん人が集まらない。活用なんて出来ないよ」という。なるほど、集める立場からするとそうなのだろう。昔なら天皇の車が通るホンの一瞬のために道沿いを埋め尽くすような住民の動員が可能だったのかもしれない。しかし、私は郊外のこんなところまでも、というところで人々が日の丸の旗を持っていたのを見た。そのために町内会長が一生懸命働いた経験はきっと先の国民保護法制の実施等何かに利用されるに違いないと思う。
2005年10月24日
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前回は小泉政治のイメージ戦略について、小森陽一氏の講演で聞いたことを中心に少し述べた。実は最近知人から紹介されて読んだ、現在発売中の「月刊現代」11月号に見事な自民党の広報戦略がスクープされていたので、紹介したい。9月11日夜、歴史的な大勝利を収めつつある自民党の選挙事務所中継を見たとき、意外な感じを持った人は多かっただろうと思う。自民党幹部が一様に「満面の笑みを浮かべて勝利のコメントをしていなかった」のである。武部幹事長は時々笑みを浮かべていたので、私は気持ちはある程度分かったのではあるが、小泉首相に関して言えば、終始「沈痛な面持ち」といってよい表情であった。マスコミは「さすがに予想以上の勝利に責任の重さを痛感しているのでしょうか」などと述べていたが、私は批判精神を持っているので(^^;)、青白い顔をしているように思えた。「小選挙区制の威力と恐ろしさを改めて知ってしまった。次はわれわれかもしれない。」などと思っているのだろうか、と「好意的に解釈」してしまっていたのである。ところが「月刊現代」の鈴木哲夫氏が書いた「これが自民圧勝を演出した広報戦略だ 特命チーム"情報戦"工作の全貌」という記事を読むと、あれは完全な演出だったのである。あのとき小泉はおろか、安倍、武部、青木等全ての幹部に「絶対に笑わないでください。笑顔を見せてはだめです。」という指示が出ていたのである。今回の選挙のために党内で初めて設置された「コミュニケーション戦略チーム」責任者、世耕弘成の指示だった。「怖いのは反動です。有頂天になっていたら、今日われわれに投票してくれた無党派層は、明日から反自民・民主支持に変わってしまいますよ」そうか、そうだったのか。見事な指示だ。騙された。彼らはテレビから離れたとたんに「ガハハハ」と「闇の哄笑」をしていたのだ。世耕は01年選挙のときはチーム立ち上げについては「政治は直感とか信念とか覚悟なんだよ」と小泉に一蹴されたらしい。今回はばたばた選挙が決まったのがよかったのか、広報代表として「幹事長補佐」という「権限」を持つことに成功する。片山さつきは当初「自分は小泉首相に選ばれたんだ」と「落下傘候補」という批判に耳を貸さず、ブランド物を平気で身につけていたが、「戦略チーム」はそれを厳禁にし、「本籍も移しました。この静岡7区に骨をうずめます」というセリフを繰り返し述べさせたという。佐藤ゆかりに対しても「この岐阜に嫁ぐつもりでやってきました」と述べさせ、「旅行できたことがある。いいところで大好きです。」というミス発言を修正させた。……等々今まで地元に任せてばらばらにされていた広報を、データ管理を元に党で一括して行われたことに今回の「革新」があった。小泉の「直感」から「データ重視」の選挙へ、内部では見事に変わっていた。民主党が負けるのも当たり前だ。私は騙された。みんなはどうだったのだろうか。鈴木氏は「メディアは、取材者がいかにその意図を見破り、現場で真偽を確認し、是々非々で報道する力をもてるかが試されることになる」と書いている。ジャーナリストとしてはこう書かざるを得なかったのだろうが、有権者としてはそういう記者はほとんどいないだろうと思って報道を批判的に見るしか手はなさそうだ。これからさらにいろんな「広報」が始まる。しかし彼らの意図が「理性が働く前にイメージで訴える」(ナチスの宣伝の応用)というものである限り、それはいつか限界がやってくる、と信じてやっていくしかない。もちろん「アウシュビッツ」のあとでは遅いのではあるが。
2005年10月12日
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10月9日(日)午後、『ピースエッグin岡山』での小森陽一『九条の会』事務局長の特別講演を聞きにいった。この人、本職は東大近代文学専攻の教授だそうで、現代情勢と言葉の持つ意味について熱く語ってくれた。ピースエッグは日本平和委員会と地元実行委員会が毎年いろんな県で行っている全国的な青年平和学校である。全国から、高校生から30才ぐらいまでの青年が200人、二泊三日で平和について語り尽くす、という企画である。今年は国宝閑谷学校となりの研修施設での合宿になっいる。いろんなタイプの若者が一点平和に自覚的であるというだけで三日間語りあう。12年前、岡山で私たちも企画したが、いい経験になった。あの頃は湾岸戦争の直後で安斎育郎氏を呼んで『平和の見方』について語ってもらった。今は憲法改悪策動の真っ最中。果たしてどういうものをもって帰ってくれるだろう。講演は1時間半の講演と1時間の質疑応答。非常に充実して多岐にわたった。とても要約する力量はないが、印象に残った言葉を載せて私の感想を書く。『今回の選挙、小泉はナチスの「沈黙の螺旋」という手法を使い、憲法改悪のリハーサルをした。つまり言葉を意味ではなくイメージで語る。そして一気に進める。内と外に敵を作り、私は正しいという。批判勢力を次々と追い落とし、螺旋的に誰もしゃべらなくせる。今度の改憲もこうやるのは間違いない。』間違いないだろう。国民投票法で運動期間が60日になったら、それこそ大変である。(イメージ戦略についてはまた他日扱いたい。)『言葉のからくりには敏感にならなくてはならない。有事法制のとき、みんな、右も左も『有事法制』といった。しかしあれは従来の有事法制ではなかった。正式の名称『武力攻撃事態法』に対する運動でなくてはならなかった。イラク戦争ではなぜアメリカが攻撃することが出来たのか。あれはイギリスがイラクの核兵器によって攻撃される危険があると「みなす」ことができるから、集団的自衛権の発動によって攻撃したのである。(イラクのミサイルはアメリカまで届かない)『武力攻撃事態法』にもその「みなす」という言葉がある。それが発動されないのは憲法九条があるからである。』そうだ。そうだった。私たちは九条が変わったらどのような事態が起きるかはすでに歴史的な教訓を得ている。アメリカは核兵器の証拠が見つからなくても平気だったのだ。集団的自衛権はすでに国連憲章で認められているのだから。『最後のせめぎあいのときは言葉が重要になる』と今日、小森氏は口をすっぱくしていってくれた。そして反省する。私たちは易きに流れた。『有事法制』の方が通りが良いため、その言葉ばかり使っていた。この言葉を使うことですでに相手の土俵に乗っていたのだ。『今年の七月九条の会の2年目の集まりのとき、彼ら九人の平均年齢は77歳。鶴見さんが「この1年で誰か死ぬと思っていたけどなー」と冗談めかしていっていた。』もちろんこれは冗談にしたいけれども、冗談ごとではない。その危険性はおそらく、梅原 猛、加藤 周一、澤地 久枝、鶴見 俊輔、三木 睦子に関していえば明日にでもあるようなことだ。高齢にくわえて持病を持っている方もおられる。まさに彼らは死を賭けて、最後の戦いに挑んでいるような気がする。 時間はあまりない。
2005年10月10日
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『韓国のデジタルデモクラシー』玄武岩集英社新書韓国のノ・ムヒョン政権の実現の原動力になったインターネットの実際とはいったいどういうものなのだろうか。今回の衆議院選挙でも話題になったが、もし公職選挙法が改正されたら、日本でもその可能性があるのだろうか。そういう問題意識でこの本を紐解いた。著者は韓国出身の東大助手。1969年生まれだから現在36歳。典型的な2030世代(現代の20~30代。02年大統領選の中心世代。キム・デジュン大統領を実現させた世代とは様変わりている。)である。初めての著書だそうで、少し詰め込みすぎて、韓国の公職選挙法の実態も分からないし、日本でよく見られる『荒し』に対する対応の仕方もよく分からなかった。今ひとつイメージが沸かなかったのではあるが、いくつか受けた刺激をもとに、日本の『デジタルデモクラシー』について、展望、とはいえないまでも感想を述べたい。背景としては民主化運動と大新聞社との歴史的な対立構造がある。60~80年代パク政権時代に朝鮮日報、中央日報、東亜日報の権力癒着は構造化し、さらに新聞自体が権力化する。それに対抗して「ハンギョレ新聞」なども創刊されるが、力としては弱かった。そして最初選挙運動監視者運動などの成果で多くの市民言論団体が登場する。これらの運動が発展して常勤記者と市民記者でつくるインターネット新聞「オーマイニュース」「プレシアン」などが生まれる。私は今ひとつその実態が分からなかったが、その日本版の「JANJAN」というサイトがあることを知り、訪れてみた。日本版はおとなしい。まだ市民記者が少ないので暗中模索の状態なのであろう。「オーマイニュース」は現在35000人の市民記者、60人の常勤記者で1日200本の記事をアップしいる。そのうち150本は市民記者によるものだという。候補者の公式HPも大統領選では先にはじめたノ・ムヒョンに圧倒的に有利であった。HP「ノハウ」だけでなく『ノムヒョン放送局』『ノムヒョンラジオ』などのインターネット放送も積極的に活用する。(現在大統領のHPは青瓦台のHPに統合されているらしい)もちろん掲示板は公開されているから、誹謗中傷も入ってくる。それに対しては閲覧数の高いものを「ベストビュー」として別途管理したという。選ばれるのは鋭い情勢分析の場合もあるが、多くは一般の人の感性豊かな体験談らしい。また、オンライン上では誹謗をかわす論拠や相手候補の失策が即時に伝播出来るというメリットもある。たとえばハンナラ党が賛助演説員として投入した「普通の受験生のオモニ」が、実は議員の補佐官であったことは、インターネットを通じてまたたくまに広まったらしい。いずれも自発的な『ネティズン(ネット市民)』の層の広がりと歴史的に鍛えられた成熟度を示すエピソードだ。もちろんオンラインに全てを託したわけではないらしい。しかし、オンラインではないと出来ないこともあった。象徴的なのは大統領選投票前日に候補一本化によりいったん引き下がった有力候補が突如ノムヒョンに対する支持を撤回するするという事件が起きた。そのとき支持者が書きこんだ掲示板の文章が『オーマイニュース』や公式ホームページにすぐさま流れ、するべきことが示される。『ニュース』の訪問者数はその日延べ623万人に上ったという。支持者は電話やメールでもう一度知人に指示を訴える。結果はいうまでも無い。著者は「ただインターネットという武器を先取りして積極的に活用したことだけでない。水平的で分権的なネットワークは、自発的な参加と議論の場を保障する双方向性と内容の真実性によって成り立つものである。」と書く。確かにいくつかの事実はそういうことを証明するのだろうが、韓国のこれからもその方向で行けるのか、日本はその条件があるのか、私には今だ分からないことだらけだ。例えば日本の場合、単にビュー数が多いという情報が流れただけで、その「真実性」は検証されずに世論が形成されないか不安である。韓国ではその可能性はなかったのだろうか。ただ、日本の『デジタルデモクラシー』の可能性については、公職選挙法の改正を待つ以前に課題はやまほどあることだけは分かった。敗れた保守政党は反撃をする。インターネットを含むあらゆるメディアを使って。しかし2004年の大統領弾劾決議後の総選挙で再び敗れるのである。韓国は1年後がどうなるか分からない状態が今だ続いている。ただしその激動の中で、昔血を流して戦っていた若者が、今は子供をつれて集会に参加するようになり、韓国の『政治参加』民主主義の成熟度は後戻りできないほど高まっているように感じられる。著者は韓国と日本の市民社会が連帯する可能性はあるという。「ナショナリズムの動力が推進してきた韓国の『一国民主主義』は、外に向かって開かれた市民的民主主義へ脱皮することを、今こそ求められている」「それに比べて、日本の市民運動は、国家の政策を左右するような闘争力や組織力はなくても日常生活に密着した生活政治の発現という傾向性を持っている。」変な褒められ方をしたものではあるが、確かにそれは日本の国民性の欠点でもあり美点でもある。そこに日韓の市民運動の交流の必要性を、私も切に感じる。映画の製作、共通教科書の作成、いくつかの萌芽はすでに出てはいるのだ。市民運動でどうして出来ないことがあろうか。
2005年10月05日
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10月1日(土)倉敷地方自治研究会主催の「平和を考える」分科会に参加しました。三本の報告を元に討論。有意義な午後になりました。現在の情勢分析(アメリカ、財界、軍事、改憲・思想攻勢)、日中戦争とイラク戦争の関係、亀島山地下工場の発掘報告。特に一番目の報告に関連してこんな議論がありました。「国民保護法制について、市町村レベルで計画に落としていくと思うが、その動きはあるのだろうか」「まだないと思う。」ここで私は実際に県の保護計画を読んでの感想を以前プログで書いたことを中心に述べました。そして「まずは意見を出すこと、そして監視していくことが大事ではないか」といいました。「いや、保護計画の中身について言う前に、そもそも憲法は戦争を否定しているのだから、こんな計画を立てること自体が意味がないのだ。こんな計画はつくるな、ということをいうほうが先だ」ほかの人が反論する。「でも、つくるなといっても、行政は必ず作ってきますよ。そのとき私たちは何が出来るのか」「つくると思う。でもその前にどれだけ意見が出たのかが大事だ。実際に作られた後、われわれはあの計画の中身の矛盾を指摘していけばいい。」私は納得した。やはり議論は大切だと思う。
2005年10月03日
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小泉首相の所信表明演説があった。第163回国会における小泉内閣総理大臣所信表明演説これに対して朝日新聞は社説でこのように皮肉っている。首相の演説 「5月病」でしょうか 「 ひょっとして小泉首相は、いわゆる5月病なのではないか。きのうの所信表明演説を聞いた感想である。 総選挙後はじめての国会なのに、冒頭の演説の3分の1が郵政民営化に割かれた。しかも、そのほとんどが選挙演説そのままだった。」「首相は演説で「国民の支持なくして改革は実行できない」と訴えた。有権者はあれほどの支持を与えたのだから、今度は首相がひとつひとつの課題について明確な方針を示す番のはず」うんうんとうなずく社説ではある。あの所信演説なら、今までの選挙演説を加工して、おそらく中学生でも書けるだろう。けれどもこの社説もまだまだ書き方に遠慮がある。「銀河英雄伝説」(田中芳樹著)風に書けば、こうなるかもしれない。「後世の歴史家はこのように記している。このときの首相の演説に対して、大衆新聞から「具体的政策がない」と批判があったが、それはあまりにも無い物ねだりの批判であった。首相は冒頭で『この度の総選挙の結果を受け、三度(みたび)、内閣総理大臣の重責を担うことになりました。「改革なくして成長なし」、「民間にできることは民間に」、「地方にできることは地方に」との方針の下、自由民主党及び公明党による連立政権の安定した基盤に立って、引き続き構造改革を断行する覚悟であります』と述べているが、このとき彼の頭の中にあったのは、あの三つのスローガン以上でも以下でもなかったのだから。アメリカやら財界が料亭の席で延々と教えてもらったことを、効果的に宣伝していくこと。それが終生変わらぬ彼の役割であった。その結果がどうなったかというのは、すでに歴史的に明らかにはなっているのではあるが。」 ……という風に小説的に嗤っていれればいいのたが。
2005年09月27日
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岡山県が国民保護法が求める「岡山県国民保護計画(素案)」を作った。このたった一ヶ月間(9/15~10/14)で、県民の意見を募るのだそうだ。いわゆる武力攻撃を受けたときの臨時体制をどうするかという計画である。9月15日付け朝日新聞地方版によると、その骨子は以下の通り。【計画の目的】 ・武力攻撃から国民の生命、身体、及び財産を保護するとともに、武力攻撃の及ぼす影響を最小とすることを目的とする。【基本方針】 ・国民保護措置の実施に当たっては、日本国憲法の保障する国民の自由と権利を最大限尊重する。 ・指定公共機関及び指定地方公共機関の自主性を尊重する。放送事業者である指定公共機関等の実施する国民保護措置については、放送の自律を保障することにより、その言論その他表現の自由に特に配慮する。【計画が対象とする事態】 ・武力攻撃事態(着上陸侵攻、ゲリラや特殊部隊による攻撃、弾道ミサイル攻撃、航空攻撃)【県の体制】 ・24時間即応可能な職員連絡体制を確立する。【関係機関との連携体制】 ・近隣府県と防災について締結した相互応援協定を、武力攻撃災害にも適用できるよう見直すなどし、広域応援体制を整備する。【武力攻撃事態等への対処】 ・県は首相の通知を受け、知事を本部長とする国民保護対策本部体制をとり、原則、全職員が配備につく。 ・国と緊密な連携を図り、防衛庁長官に自衛隊の派遣を要請する。 ・国から警報の通知や避難の指示を受けたときは、直ちにその内容を市町村長、放送事業者、県議会などに通知する。 ・国から救援の指示を受けたとき、または、緊急を要するときは自らの判断で、医療の提供、被災者の捜索・救出などを行う。しかし、これではぜんぜんイメージがわかない。しかし原文は膨大なものである。一応計画素案はA4で138ページ、PDFファイル(1.5MB)で岡山県危機管理課のホームページからダウンロードが可能である。一読した感想は結局、憲法の前文にある諸国民を信頼する方向ではなく、仮想敵国やテロリストの恐怖をあおり立てて国民を戦時状態に置くための思想動員が目的になっている感じがする。主な論点は平和委員会の中尾元重氏が「『国民保護計画』の策定をめぐる状況について」で述べている通りで、私も同感である。少し付け加えて言うと、もともと誰も経験のしたことのない状態から計画を立てているし、あってはならないことを考えているわけだから、前提の軍事状況自体何の根拠もない。核兵器攻撃で地下へ避難するのを指示することが果たして適切なのか、わからない状態でマニュアルに書いてあれば、馬鹿な公務員は地下への非難を通告するだろう。放射能汚染に対して、ヨウ素の服用が指示されているからといってどれほどの効用があるのだろう。今アメリカでは大規模災害に対する不備が指摘されているが、この「国民保護計画」はそのまま大災害に対する防災計画に転用できる事例が多い。私はこんな計画に対してよりも防災にもっとお金をかけるわうが生産的であるといいたい。しかも、市町村で、学校で、啓蒙活動や訓練に努めると書いてあるが、ここがさらりと書いてあるのがかなり不安である。たとえば次のように書いてある。(2) 県による研修の実施県は、市町村と連携し、国が作成するビデオ教材やe-ラーニング、外部有識者等の積極的な活用を図るなど多様な方法により研修を実施する。2 訓練(1) 県における訓練の実施県は、国、他の都道府県、市町村、消防、警察並びに本県の区域を管轄する海上保安部及び自衛隊の部隊等と連携して国民保護措置の円滑な実施のための訓練を行う。毎年有事の備えて、「海外から敵が攻めたときはこんな心構えが必要ですよ」という偉い人の講演があり、「自衛隊の部隊等と連携して」有事訓練をお上が行うのである。問題はこれらのことが防災訓練といっしょに書いてあり、あまりあからさまに書いていないということである。県の計画はだから相当慎重に書かれてあるのだが、実はこれから市町村でこの保護計画を受けて更に具体化される。無数に作られる。それだけでない。指定企業も保護計画をつくることが求められている。企業の計画はもっと非民主的なことが書かれる可能性があるだろう。果たしてここで勤めている人たちはそのことに気がついているのだろうか。いうまでもなく交通、運輸、マスコミ、等基幹産業ばかりである。具体的には日本放送協会岡山放送局、山陽放送(株)、岡山放送(株)、テレビせとうち(株)、西日本放送(株)、(株)瀬戸内海放送、岡山エフエム放送(株)、(社)岡山県トラック協会、(社)岡山県バス協会、中鉄バス(株)、宇野自動車(株)、両備バス(株)、備北バス(株)、井笠鉄道(株)、岡山電気軌道(株)、下津井電鉄(株)、井原鉄道(株)、智頭急行(株)、水島臨海鉄道(株)、両備運輸(株)、岡山ガス(株)、(社)岡山県エルピーガス協会、(社)岡山県医師会、(社)岡山県看護協会こういう計画は必ずヒートアップする。しだいと「戦前の雰囲気」が作られていくだろう。精神の動員が始まる。意見は、メール(kikikanri@okayama.lg.jp)、ファクス(086・225・4659)、郵送のいずれかで、〒700・8570 県危機管理課(問い合わせは086・226・7385)へ。追記当然のことながら、これは岡山県だけの問題ではない。必ず、どの県も現在すでに国民保護計画を作成しているか、県民に意見を募集しているか、作成中である。そして来年以降は市町村でこのミニ版が作られる。小さな村では戦前とまるで変わらない「決まり」がどうどうと作られる可能性は大きい。企業でも作られる。まともな労組がないところ、あってもきちんとしたチェック機能がないところでは、更にトンでもない「就業規則」が作られるだろう。それらはなかなか新聞にも載らない。そうやって「もはや戦前である」という状況が作られていくのである。
2005年09月22日
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後藤田元副総理が死去した。ご隠居ではあるが、この人が亡くなったのは護憲派にとっては痛い。大久保彦左衛門みたいな言葉は、その言葉が正論であるときは案外力を持つものだ。朝日は次のような記事を書いた。「最後まで貫いた「非戦」 亡くなった後藤田元副総理」この中で次のような言葉を言っている。「国民全体が保守化し、政治家がナショナリズムをあおる。大変な過ちを犯している。アジア近隣諸国との友好こそが大事なことだ」 96年の政界引退後も積極的な発言を続けた。かつて仕えた中曽根氏が会長を務める世界平和研究所が今年1月、独自の憲法改正案を発表すると、「自衛隊の国際活動を認めるならば、海外で武力行使はしないことを明記してもらいたい」と注文をつけた。 また、『世界』2005年8月号対談では(後藤田) 60年間、ともかく日本は武装部隊によって外国人を殺した経験がない。また、外国の武力によって殺された経験もない。これは戦後、先進国の中では日本しかない。そういう意味で憲法の大きな役割を今後とも残す必要があると思う。ところがいまの改憲はそれと逆の方向ではないかというようなことを対談相手の加藤周一に向かって言っている。(「歴史に正対しなければ未来はない」<憲法をめぐって> 後藤田正晴 × 加藤周一)戦争経験のあるがちがちの保守派が護憲を言い、戦争経験のないリベラルな保守派が改憲を言う。私は情けない、と思う。
2005年09月21日
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選挙が終わるのをまっていたように、またもやチラシ配布者への逮捕事件が起きた。わたしは、この1~2年で起きた一連の逮捕は憲法が認めている「表現の自由」に対する重大な公権力の挑戦だと認識しているが、今回の場合は、幸いにもすぐ釈放が地裁より決定された。しかし、今回の事件に対する新聞報道には大きな表現の隔たりがある。同じ事実を述べながら受ける印象は全然違うのである。以下に紹介するのは今日付けの読売新聞の記事である。読売新聞は逮捕報道のときから実名報道をしており、今回完全釈放されてもその態度を改めようとしていない。読売の人権感覚を大いに疑うと同時に、警察の側に立った記事つくりをしている。政党機関紙配り逮捕された厚労省課長補佐、釈放 衆院選の選挙期間中に東京都世田谷区内の警察官舎に侵入し、共産党の機関紙の号外を配ったとして、住居侵入の現行犯で逮捕された厚生労働省社会統計課課長補佐○○容疑者(57)について、東京地裁は13日、東京地検の拘置請求を却下し、同地検の準抗告も棄却した。 これを受けて課長補佐は同日夜、釈放された。同容疑者は、衆院選の投票日前日の10日、官舎の敷地内に無断で立ち入り、1階の集合ポストに「しんぶん赤旗」の号外を入れ、逮捕されていた。(2005年9月14日12時16分 読売新聞)(名前部分だけ改変)そして以下は朝日新聞今日つけの記事である。朝日は今朝の新聞で例の「虚偽メモ問題」の検証記事を出していた。これ自体はしっかり検証してほしい。しかし、読売と朝日を比較すると、まだまだ信頼できる記者や、それを通すデスクがいることが感じられてほっとするのも事実である。この記事を読むと、今回の逮捕は「刑事責任を問うことは疑問」で、「違法捜査」の上でなされたのではないかという疑問も浮かぶ内容になっている。赤旗配布で逮捕の厚労省課長補佐、釈放に 勾留請求却下2005年09月14日11時29分 厚生労働省の課長補佐(57)が総選挙の投開票前日の10日、共産党の機関紙「しんぶん赤旗」の号外を配るために警視庁職員官舎に立ち入ったとして、住居侵入容疑の現行犯で逮捕された事件で、東京地裁は13日、東京地検の勾留(こうりゅう)請求を却下した。地検は準抗告したが、これも棄却した。課長補佐は同日夜、釈放された。 司法統計によると、04年に勾留請求が認められたのは計15万1204件で、却下されたのは749件。 課長補佐は10日正午すぎ、東京都世田谷区池尻2丁目の官舎で、郵便受けに号外を入れているところを通報され、住居侵入容疑で現行犯逮捕・送検された。 その後、同省社会統計課の課長補佐であることが判明。警視庁は12日、国家公務員法違反(政治的行為の制限)の疑いで追送検し、地検が13日に住居侵入と同法違反の二つの容疑で勾留請求していた。 ビラなどの配布をめぐっては、東京都立川市の自衛隊宿舎で反戦ビラをまいたとして3人が住居侵入罪で起訴されたが、東京地裁八王子支部が昨年12月、「被告のビラ投函(とう・かん)は政治的表現のひとつ。民主主義の根幹を成すものとして商業ビラ投函より優越的な地位が認められ、刑事責任を問うことは疑問」と述べて無罪を言い渡した。 03年11月の総選挙前にも、やはり「しんぶん赤旗」の号外を配ったとして社会保険庁職員の男性(51)が国家公務員法違反(同)の罪で起訴され、東京地裁で公判中。男性に対しては長期間、尾行、監視、ビデオカメラによる撮影が続けられ、公判で弁護側は「違法捜査のうえでなされた起訴だ」と公訴棄却を求めている。 東京地裁ではほかに、葛飾区のマンションで共産党のビラをまき、住居侵入罪で起訴された男性の公判も継続中で男性は無罪を主張している。 朝日新聞の元記者であった本多勝一はかって「事実とはなにか」という著書の中で、ベトナムの戦場の中でも事実は土の上の虫から人の死のありようまで実にさまざまな事実があることを指摘したあと「ジャーナリストは、支配される側に立つ主観的事実をえぐり出すこと、極論すれば、ほとんどそれのみが本来の仕事だといえるかもしれません」と述べる。そして「事実によって本質を描く」ことの重要性を繰り返し叫んでいた。朝日の記事は、本質を描くためには、本当はなぜ地裁が彼を釈放したかを取材しなくてはならなかった。しかし読売よりはよっぽど素晴らしい記事であることには間違いない。
2005年09月15日
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今年も8月6日と9日がやってきて、過ぎていった。恥ずかしながら、今年はその時間帯に黙祷さえしなかった。目の前の企画に没頭していたためであるが、今日、長崎市長の『平和宣言』を読み、改めて、何も問題は解決していどころか、新たな問題に自覚的な人は動き出していることがわかった。そして改めて広島市長の平和宣言も読んでみる。正直前文は名文のように見えて、抽象的であり、あまり感心しなかった。しかし後半になるというべきことは言っており、しかも具体的な行動提起までしている。「まず私たちは、国連に多数意見を届けるため、10月に開かれる国連総会の第一委員会が、核兵器のない世界の実現と維持とを検討する特別委員会を設置するよう提案します。それは、ジュネーブでの軍縮会議、ニューヨークにおける核不拡散条約再検討会議のどちらも不毛に終わった理由が、どの国も拒否権を行使できる「全員一致方式」だったからです。」ニューヨークNPT会議の不毛な議論をそのままにするのではなく、次の手を打っている。強かである。しかし、私は長崎市長の『平和宣言』に感心する。難しい言葉は全然使われていない。しかし言うべきことはすべて言っているし、しかも広島平和宣言より一歩踏み込み、NPTが不毛に終わった真の原因をはっきりアメリカに求めている。アメリカ国民にはこのように説得している。「アメリカ市民の皆さん。私たちはあなたがたが抱えている怒りと不安を知っています。9・11の同時多発テロによる恐怖の記憶を、今でも引きずっていることを。しかし、1万発もの核兵器を保有し、臨界前核実験を繰り返し、そのうえ新たな小型核兵器まで開発しようとする政府の政策が、ほんとうにあなたがたに平安をもたらすでしょうか。私たちは、あなたがたの大多数が、心の中では核兵器廃絶を願っていることを知っています。同じ願いを持つ世界の人々と手を携え、核兵器のない平和な世界を、ともに目指そうではありませんか。」毎年二つの市長の平和宣言は学ぶべきところが多い。二つとも英語や中国語、その他の言語にすでに翻訳されている。外国の友達がいたなら、そのアドレスを教えてあげること、(残念ながら私にはいない)それだけでも大きな平和運動になるだろう。
2005年08月10日
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今日以下のごとく総社市長あてに抗議メールを送った。総社市長 竹内洋二 様7/30付け山陽新聞によると、貴職は教科書の採択に関して、扶桑社の「あたらしい歴史教科書」を総社市内の公立学校で採用させるため、教育委員会の方針に反して共同採択地区からの離脱を文部科学省に要望されています。このことは総社市の行政の長が個人的な特定の政治信条から公教育内容に介入しようとするものであり、断じて許すわけにはいきません。 私は、貴職が今すぐこのような介入を中止し、要望を撤回して市民・県民に謝罪するよう要求します。 私は今年六月、県立図書館に行って、扶桑社の中学校歴史教科書と他者の歴史教科書を見比べみました。科学性を重視しなければならない歴史教育の中に、「物語」を導入し、さもそれが重要な歴史的「事実」であるかのような記述がされていました。もっと詳細に見ればもっと問題点ははっきりしたのかもしれませんが、私にとってはそれだけで許しがたい教科書のように思えました。速やかな撤回を要求します。以上。何をかいわんや!!抗議先は総社市企画課秘書室へkikaku@city.soja.okayama.jp
2005年07月31日
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岡山市社保協総会に出席した。記念講演は津田光夫氏の「憲法25条に基づく医療制度をめざして」。来年度はなんともすごい医療制度の大改悪が出てくるみたいです。今でも十分医療費やら、介護費やら、高いのに、もう老人は到底払えないような額が考えられているし、介護費は高くなるし、ひどいものだ。憲法は「国による生存権の保障」をうたっているけど、今度の改憲は「国民による自立的保障」(自己責任と相互補助)にシフトする。そういう意味でも今度の憲法問題は絶対負けられない。総会では私も八月九日の「憲法を守り、生かす交流の集い」の宣伝をする予定だったが、時間が不足してカット(TT)。「自民党改憲案が出されるなど、情勢は緊迫しています。一方今現在、有明コロシアムでは一万人集会が大成功している。九条の会は新たな進化が求められている。市内の九条の会の交流集会を企画したので是非参加してほしい」と訴える予定だったのに(:_;)。
2005年07月30日
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核兵器の廃絶を求めて、5月6日に東京夢の島を出発して8月6日の広島を目指して、毎年歩いている平和行進が、岡山にやってきたので、今年は備前~西大寺コースを歩いた。このコースを歩くのりは久しぶり。10年ぶりか。景色も変わったし、その他いろいろ変わった。もっとも驚いたのは、国民行進は昔ながら、一日中歩いているのに対して、市民行進(生協)は、歩く人がいないという理由で、長船からおくまでの一時間のみ歩いているということだ。なんてことだろうか。結局運動の意義とかはきちんと位置づけないまま始めたからなのだろう。市民行進が始まってせいぜい25年間、国民行進は今年で48年間続いている。毎年、述べ10万人近い人々が歩いているという。これはもう立派な国民行事だろう。マスコミがきちんと扱わないだけで、これだけの継続性と人々が集まる行事はいつかは教科書に載ることだろう(^^;)それにしても疲れた。首回りや足回り手などはもう真っ赤。(油断してモモの裏が腫上がった。短パンの人は気を付けましょう)約50キロ歩くコース。少しはやせたかな。
2005年07月17日
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「ガラスのうさぎ」を倉敷芸文館に観にいく。四分一節子監督、小出一巳・末永光代脚本、高木敏子原作、声は竹下景子、最上莉奈ほか。意外にも表題の「ガラスのうさぎ」のエピソードは非常にあっさりしている。炎で溶けたうさぎは東京大空襲のことを幾らかは語ってはいるけど、そういう「象徴」では語りきれないことを、アニメの力を借りて誠実に語ろうとしたのがこの映画である。予算と時間の関係なのだろう、描きこみはジブリアニメとは雲泥の差ではある。演出についても、少女が自殺を思いとどまったところ等、あまりにもあっさりしているように思えた。--そうではあるのだが、私は正直ずいぶん惹きこまれた。ひとつは美術と脚本が非常に誠実だったこと。どちらも画面の隅々、台詞の一言一言に神経を配りまくり、当時を忠実に再現しようとしているのが良く分かった。ひとつはいままでの反戦アニメにあるように、終戦で終わりということにしていなかったこと。戦後の苦労もきちんと描いており、だからこそ「新しい憲法の話」の朗読が活きた。悪い作品ではない。500人規模で人を呼んでも、充分満足させうるアニメである。思いがけず、開演前には杉原氏のHPの記事「特攻隊教官が、終戦直後に郷里で自爆!」が聞けた。HPの話を更に膨らませていた。私の考古学仲間であるが、多方面でのご活躍、素晴らしいと思う。終わった後、会場すぐそばの倉敷美観地区をそぞろ歩いた。倉敷ガラス工芸、黒木三郎の寄せ木細工、備中和紙、ちっちゃなからくり玩具、等々店先の可愛い民芸品を眺めて歩き、雨にけぶる倉敷川を見ながら休んでいると、この倉敷の美しさを戦後最初に説いたのは皮肉にも外国人のバーナード・リーチだったなあ、と思い出した。偶然にも戦災を免れたため、この美しさが保たれたのだ。倉敷でこそ、九条は似つかわしい。倉敷九条の会を作ろうとしているらしいが、呼びかけ人はぜひ大原美術館の大原氏を、それが無理ならこの美観地区ゆかりの人を選ぶべきだと思う。
2005年07月03日
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上記講演会に行った。あらかじめ予想した通りの人で、それ以上でも以下でもなかった。結局この人の役割は「アンテナ」なのだ。(勘違いしないで。評価しているんです。)別の言葉でいえば、根っからの「ジャーナリスト」。共謀罪の危険性、ゆとり教育の狙いは初めて知った。今、彼は沖縄と日中関係を追っているという。成る程~(^^)。帰りに通った商店街にはずら~と七夕を飾っている。「小金もち」とかうけ狙いの短冊も多いがみんなどうしてこうも「しあわせ」とか「健康」とか願うのだろう。具体的でないだけにかえっていじらしい。または小学生の字でこんなのもあった。「おとうさんのしごとがうまくゆきますように」。リストラされたんだろうか。
2005年07月02日
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平和推進岡山市民協議会の主催で上記立命館平和ミュージアム館長の講演会があった。勤労者福祉センター内にある平和博物館の今後を考える学習会である。氏の話はいつも早口で淀みないが、表情を崩さず冗談も言うので落語効果もあり。テレビの「世界一受けたい授業」に出演したのもむべなるかな。いくつか印象に残ったこと。「平和博物館は過去と誠実に向き合うことが大事。とくに日本のような国では」「展示は物、写真、解説文で構成。事実の正確さは重要」「解説は小学5、6年生を念頭に置く。ひとつにつき100~500字で。」写真はサインに応じる安斎氏。
2005年06月26日
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今日は「岩国へのNLP厚木基地移転を許すな6.19岩国集会」に参加。8時30分発のバスに乗る。行く途中、中尾平和委員会会長より学習会。アメリカの米軍再編計画の背景、日本がそれに組込められる過程や憲法改悪の狙いがよく分かった。昼は錦帯橋。そのあとすぐ市内の公園で中四国中心に3500名が集まり、集会。「空母艦載機もNLP移転もいらない、米軍に還ってもらおう」と神奈川からも岩国からも報告がありました。集会の途中、三機の戦闘機が轟音をたて飛んでいきます。近くに住んでいたらさぞやり切れないことでしょう。その後人間の鎖を作りに岩国基地までデモ。遠くに思いやり予算で一山潰して作られている第二滑走路も見えた。写真は逆光で少し不鮮明ですが、基地に向かって手を繋ぐ人間の鎖。
2005年06月19日
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「東アジア共生時代へ―日韓歴史共通歴史教材を出版して―」という学習会に参加した。岡山国際交流センター5F会議室で夕方より開かれ、児玉戒三さん(元高校教員:民族教育の未来を考えるネットワーク広島代表)李 昇勲さん(イ・スンフン:広島平和教育研究所書記)のお二人のお話があった。私は少し勘違いしていて、てっきり昨日出版された「未来をひらく歴史―日本・中国・韓国=共同編集"」の話かと思いきや、広島教組と大邸(テグ)教組の共同執筆「朝鮮通信使―豊臣秀吉の朝鮮侵略から友好へ 」の話であった。2001年の「新しい教科書を作る会」問題に端を発して、歴史教材の副教材を作った。先の「未来を開く歴史」がついに統一的な教科書が作れなかったのと対照的に、こちらはほとんど同じ教科書を作っている。児玉さんは言っている。「お互い教員だから、国や民族を背負っているわけではない。学校の教員として、子供たちに何を教えるかを考えてきた。」非常に重要な指摘だと思う。日本語版の教科書は明石書店から出版されており、いつでも購入できると思ったので、ハングル版を購入した。(1000円)あと二冊しか残っておらず、ラッキーだった。(写真参照)李氏は「共通の歴史認識は出来るか」という疑問に対しては「ドイツとフランスも実現している。出来ると思う。」ときっぱりといった。日本語版と韓国語版、本文は同じらしいが、表題、脚注(韓国の人は大名という意味から説明するため)、コラムは違うらしい。ぜひ読み比べてみようと思う。韓国語の勉強にもなりそうだ。次回はぜひ近現代をしたいといっていた。
2005年06月05日
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昨日に引き続き日本平和委員会全国大会に参加。その後リニューアルしたばかりの立命館平和ミュージアムに行った。2時間たっぷり見たのだが、まだまだ見足りない。最新の情勢と未来にむけての展示が素晴らしい。
2005年05月29日
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上記大会が京都で行われております。日本平和大会と規模は違いますが、全国第一線の平和運動家が一堂に集まり刺激的です。国際報告で川田氏が「NPT会議で失望感を持つべきでない。米の反戦運動に反核運動を位置付けたのは今回が初めて。」といったことや、沖縄辺野古基地反対の代表、大西輝雄氏の柔軟で断固とした素晴らしい闘いの報告が印象に残った。
2005年05月28日
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日曜は、県民会議主催で、役員ゼミナール「憲法・安保の基本問題」という題で三時間にも及ぶ学習講演に参加。関西学習協の吉井清文氏の講演。憲法安保の話もあったが、組織論が多かった。労組役員用の学習会ということでそうななったのだろう。60年安保を例にとり、「反戦運動は組織を急速に変える。安保共闘会議は二年間で2000出来た。現在九条の会関連は一年も経たずに1300できている。」というような言葉が印象的だった。本当は一日中そのあと分散会と化していたみたいだが、私はほかの会議があったため、講演でおさらば。そのあと飲み会もあったし、昨日のパターンと同じで忙しい土日でした。
2005年05月24日
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岡山県倉敷市の南部、水島の一角に遠目で見るとまるで亀の形をした山がぽつんとある。そこには、太平洋戦争末期に、三菱飛行機組立工場の巨大な地下軍需工場(トンネル総全長2055メートル)があった。この県下最大戦争遺跡は公開されていない。15年戦争資料センターが主催し、地元教師に土屋氏が案内して、久しぶりの基地工場見学が行われた。写真のようにセンター代表の上羽氏が挨拶をして始まった。10年ほど前に来たときとあまり変わってはいないが、崩落はすすみ、水もだいぶ溜まっていた。早い保存公開が望まれる。このトンネルは朝鮮の人たちが掘ったものである。ある高校の先生は「この遺跡は朝鮮の人たちとどういう関係を持つのか、そういうことが試されている遺跡だといっていた。」また、小学校時代、亀島に機械の運搬を手伝ったというN氏は、「切削した煙の臭いが充満して、健康には良くなかった。」「西側にトロッコの線路がずっとあって、朝鮮の人たちが脱線したとき「トロッコがトンボした」と言っていたのを覚えている。朝鮮の子供と仲良くなった。「ヨボ(おじさん)」「ナップン(バカヤロウ)」という言葉を覚えた。憲兵が棒を持っては、朝鮮の人たちにひどい仕打ちをしていたのを覚えている。彼らはみすぼらしい身なりをして苦労していた。」などと、見学あとの集会では貴重な証言がどんどん飛び出ました。午後からは、水島や玉島の戦争遺跡を回ったようですが、私は用事がありかえりました。残念。午後からは元の職場の歓送迎会に参加。
2005年05月21日
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県平和委員会総会に出席。平和委員会の総会は情勢報告が充実していて、いつも勉強になる。ベアテ・ゴードンさんの講演会成功の報告が印象に残った。最初の会議が当日の二ヶ月前、最初赤字覚悟で企画したらしいが、結果、700人以上の大成功。要は、地域のいろいろな運動家に声をかけて、そこから草の根に声が広まったらしい。憲法問題に対する関心の高さが分かると同時に、労働組合など、上から課題を下ろすのではなく、草の根の横のつながりで運動を広げる、大変教訓的であった。
2005年05月15日
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ライフパーク倉敷で開かれた、岡山県学習協主催の「戦争と平和教室」(倉敷)記念講演、川田忠明氏の「戦争を「創造する力」平和を「創造する力」」にいってきました。午前中は、氏を囲んでざっくばらんな懇談会になっていて、思い切って、日ごろ思っていることを聞いてすっきりしました。問い一。姜 尚中の「東北アジア共同の家」構想をどう評価しますか?この答えについては、あまりにも専門的になりすぎるのでここではカット。問い二。今ハングルを習っているのですが、平和運動をやっていく上で、どんな展望が開けるでしょうか?「いろんなことが出来ると思います。韓国の平和運動家と直接コンタクトが取れるということは、今とても重要なことなんです。幹部の人でさえ、日本の平和運動のことはあまり知らない。ましてや住民の人との交流はほとんど出来ていません。わたしたちも彼らの運動は良く分かってないし、ハングルが出来るということは大切なことだと思います。」大変励みになりました。講演でも懇談会でも言われていたのは、知識で知っていることと、戦争の実態を知っていることとは違う。実態を知るためには、現地に行ったり、体験者の話を聞いて、「想像する力」を持つことが大切である。それは日常的な感覚と結んで実際に行動を起こすことのできる想像力である。会場には「平和教室」受講者の倍以上の人が集まり、盛況だった。
2005年05月14日
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