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娘がフライトで大阪に帰って来た。関空フライトでの会社指定のステイ先ホテルはヒルトン大阪。渡しそびれていた誕生日プレゼントをホテルに送り、メールで渡してもらうよう依頼したら、ご丁寧にホテルマネージャーさんからお返事が来て感激しちゃった。おはようございます。 いつも井○結○様にはヒルトン大阪をご利用頂きまして、誠に有難うございます。 メールを拝読致しました。 お誕生日のプレゼントの件、確かにお承り致しました。 ヒルトン大阪にご到着時に私どものコンシェルジュのスタッフよりプレセントをお渡しさせて頂きますのでご安心下さいませ。 今後ともヒルトン大阪をどうぞ宜しくお願い申し上げます。 杉○ ○そして、娘のお部屋にはこんな素敵な演出が準備されていたんだそう。ありがとう♪ ヒルトンさんヒルトン大阪と言えば…感慨深い思い出がありマネージャーさんにお礼かたがたメールしておきました。杉○さまご丁寧に返信メールを頂戴しまして感激いたしました。どうぞよろしくお願いいたします。ヒルトンでのこぼれ話をひとつ、させていただいて良いですか?娘はEKに入社して三年目になりますが、二年前初めて日本線搭乗の仕事が入った時のことです。山口から実家の両親を連れて関空に娘の晴れ姿を見せに連れていきました。arrivalから他のクルー達と出てきた姿をこの目にした感激は今でも忘れられません。親バカ丸出しですが…本当にキラキラと輝いて見えたのが昨日のことのようです。その晩、娘がおじいちゃんおばあちゃんのためにと貴ホテルのお部屋を取ってくれようとしたら、フロントスタッフ様の粋なお計らいでスイートのとても素敵なお部屋を準備してくださいました。その夜、私の両親が『もう、いつお迎えが来ても思い残すことはない』と喜んでくれ(笑)、昭和生まれの厳格な我が父に至っては『じいちゃんはこの世で一番幸せもんじゃ、結花はじいちゃんの誇りじゃ』と娘の私にさえ見せたことのない満面の笑みでありがとうと言ってくれました。みんな笑いながら涙して…娘の手を取り合って孫子四人で泣いたことが思い出になっています。ヒルトン大阪さんは私達親子にとって、そんな素敵な思い出を演出していただいた忘れられない大切な場所なのです。改めまして、その節は本当にありがとうございました♪私の夢は、次は夫も一緒にもう一度老親を関空に連れて行きヒルトン大阪さんに宿泊することです…。
Jul 9, 2012
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次女の内定通知が届きました。やっとナースとしての就職が決まりました。かれこれ28年も前のことですが…私が新卒で入職した同じ総合病院です。親子2代で同じ病院にお世話になることになります。しかも私にとっては乳がんのオペを受けた主治医の病院でもありその主治医は今やこの病院の院長になられています。先日半年ぶりの定期受診日でしたので、主治医の院長にこのことを伝えたところ『そうだったのぉ…』眼鏡の奥でまん丸くした目を細めて優しく嬉しそうに微笑んでくださいました。ここまでの道のり…長くて暗いトンネルでした。正直に生きることしかできず、やることなすこと裏目に出てばかり…生きることが不器用な彼女は損な役回りばかり引き受けてきて強運に恵まれ華々しい人生を歩んできた長女とは正反対のラッキーとは縁遠い遠回りばかりの生き方をしてきたような娘です。でも…やっと、真冬の固いつぼみがやっとほころんできたようです。。。貴女の試練が、今ここで花を咲かせようとしている春が来るよ!!!良く頑張ったね。貴女のゴールはまだ遠く今やっとその序走を始めたところなのかもしれない。その道は明るい日向ばかりじゃないだろうけど一歩一歩をゆっくりと着実に歩んで行こうね今までも、そしてこれからも貴女らしく、貴女の歩幅で良いんだから…、ね。貴女はきっとその手で可愛くて可憐な貴女色の花を咲かせることができる母はそう信じています。おめでとう、良かったね(感涙)
Oct 11, 2010
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現役女子大生の長女がこの春外資の航空会社のCAとして旅立ちます。思えば…就職超氷河期と言われた今年の就職戦線、女子大生の人気職種第1位のCAへの道を目指し一流大学でもない一般の学校で夢を掴めることの方が奇蹟なのかもしれません。娘に‘夢は願えば叶えられる’ことを教えられました。でもその裏で、ただ願うだけでなく人一倍、血の滲むような努力があったこと、不安に押しつぶされそうな夜を数えた日々…一人きりで人知れず泣いたこと歯を食いしばって頑張った過程を母は知っています。おめでとう。良かったね♪あなたは私の夢でありそして誇りです。持ち前の明るさとパワフルさはその人懐こい笑顔とともに異文化でもきっと花開くことと母は信じています。
Feb 14, 2010
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昨日は、(ナースとして駆り出され)土砂災害の起こった養護老人ホームの被災高齢者の救護に当たっていました(同僚によるとニュースに私の救護活動の様子が映っていたと言います)私の職場は救護した患者さんの受け入れ施設にも指定され、トリアージ後の患者さんを、救護しては搬送、救護しては搬送を繰り返し…一通りの救護が一段落して大渋滞の中なんとか自宅に辿り着いたら日付が変わって今日になってました実は先月、訳あって長年勤務した職場を辞めました。そして今月から就業した先は、高校時代の3年間と短大を卒業したのち4年間ナースとして勤務した地そしてがん患者として手術を受けた…つまり患者を経験させてくれた地H市内のとある事業所です。当地に就業のお話をいただいた時、なんだか不思議なご縁を感じていました。私の看護師として、そして女性としての人生の基礎を築いてくれたこの地で医療福祉職人生の最後に何らかの恩返しができれば…そんな思いがあったのも事実でした。期せずして…その日がこんなに早くやって来るとは思いませんでしたが…情報も錯綜し指揮命令系統も整備されず、それでも被災者は搬送され続けます。土砂に埋まり泥まみれになった要援護被災高齢者を無心でただがむしゃらに介抱している自分がいました。それは何にも代え難い貴重な経験でした。そんな中ふとうろ覚えのナイチンゲール誓詞が頭をよぎりました。私が救護したお年寄りたちはみな両親と同年代の高齢者です。母はニュースで被災状況を知り、当地に勤務する私の身を案じ昨日自宅に電話してきたそうです(むろん私は救護の真っ最中で不在でしたが)。私の基礎を築いてくれた街、私を育ててくれた街その街でこんな貴重な経験をできたことに看護師として私を育て上げた両親に感謝したい気持ちが溢れました。今日は母に電話をして素直に感謝の気持ちを伝えました。看護師になりたい私の夢を苦労して苦労して後押ししてくれた両親でした。親になって初めてその苦労がどれほどのものだったか痛いほどわかりました。母に素直な気持ちを伝えました。「私を看護師にしてくれてありがとう、おかげでこんな貴重な経験を与えられました」母は涙の交じった声で『ありがとう』と言ってくれました。
Jul 22, 2009
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次女がめでたく成人式を迎えました。せっかくの良い機会なので前撮りは1年振りにオーストラリア留学から帰国した長女と私も含め娘三人(?!)晴着を着て納まりました。…思えば、12年前の私には今日のこの日が想像だにできずにいました。そして、時の経過を重ねこの日が希望に重なって行きました。この日が来るのを生きがいに励みにがむしゃらに生きてきた気がします…。そして、今夏その希望を覆すような大変な出来事が起こりました。夢に描いた晴れ姿は遠い彼方に行ってしまうような元気になってくれたらそれだけで良い…頑張って生きて、ただ元気で、元気で、元気で、元気で、元気でと祈りの日々でした…その彼女が今夢に描いたよりも素敵な笑顔で目の前にいます。現実のものとして、すっかり乙女に変身した娘の晴れ姿を目にした途端ウルウルと溢れる涙を抑えきれない自分がいました。きらきら輝く二人の娘の晴れ姿を目にする思えば…それが私の希望だったはずです。ささやかな夢が、今日叶いました。。。。辛かった日も、泣いた日も、笑った日も嬉しかった日も、せつなかった日も…全ては今日と言う日に繋がっていました。支え続けてくれた全ての皆様に感謝です。ありがとうございました。…さて、次は二人の可愛い花嫁姿を夢見て頑張ります!!♪(笑)
Jan 16, 2009
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めでたく退院しました。今日は娘の二十歳の誕生日です。家族で誕生日を自宅で祝いました。母から娘へのプレゼントはミニチュアダックスの赤ちゃんです。。。実はなぜワンちゃんを飼うことになったかと言うとICUでの母と娘の約束だったのです…。ICUのナースに‘意識が無いけど耳はちゃんと聞こえてるからいっぱい声掛けてあげてください’‘ICUのことは回復したら覚えていませんけどね…’と言われ私の声を聞けば涙をポロポロポロポロ流す娘に、何を話すでもなく励ますつもりで「○○ちゃんに母さんのお友達がワンちゃんくれるって言ってくれてるよ。○○ちゃんが元気になったらお祝いにあげるって!早く元気になってよ!!」って耳元で言ってやったのです、そしたらそれをちゃんと覚えてて…。 筋弛緩剤が溶けて、意思表示ができるようになった最初の面会で私に向かってにおいおいでって手招きするので「何?」って顔を近づけたら、私の顔に白い糸くずごみが付いてたらしくそれを取ってくれました(泣)。声が出ないので茶目っ気たっぷりに目をクリクリッっとさせて笑うのです。もう娘が可愛くて愛おしくて「○○ちゃんのためなら何でもしてあげる!!」って言っちゃいました。そしたら次に私の顔見て『わんちゃん!!』って言ったのです。意識が無いって思ってたらちゃんと聞いてて覚えてた。…その後半日娘は筋弛緩剤の離脱症状に苦しみました…(主治医も『普通弛緩剤はじわじわ抜けていくものですが娘さんは一気に抜けて可哀想なことをしました』と仰っていました)それにたった一人で耐え抜いた娘にこれはもう飼ってやるしかないじゃん?って感じです。 このワンちゃん…娘が入院中たまたま訪問した知人宅に預けられていた次の貰われ先が決まっていたワンちゃんでした。私を見るなり人懐っこく顔を摺り寄せてきてクンク~~ゥンって啼くのです。そしたらその方曰く『この子は甘えたでやんちゃで寂しがり屋の次男坊』それを聞いたとたん‘娘と同じ’と思うとこらえきれずに涙が溢れました。「急にどうしたの?」と聞かれ丁度ICUに入っている娘のことを話しました。そしたらその方が『じゃ、ワンちゃん娘ちゃんに譲ってあげる♪』と仰るのです…。その時は「いやいや…まだ入院中だから」とやんわりお断りをしたのですが退院日にその方から再度『ワンちゃんどう?』と電話を頂き譲っていただくことになったと言う経緯です。。。そんな経緯で娘の念願のミニチュアダックスが飼えることになりました。
Aug 8, 2008
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結局…娘に付いた診断名は『扁桃周囲膿瘍』『多発性頚部膿瘍』でした。術後の経過は順調で当初20~30もあったCRPも0.6以下に戻り白血球数も20000↑が8000台まで回復しました。とりあえず退院です。。。‘とりあえず’と言うのは…娘は8月8日が二十歳の誕生日なのです。主治医に『どうしても誕生日には家に帰りたい』とお願いし主治医がプレゼント代わりにと誕生日退院を了承されました。でも、本当は再手術なのです。主治医曰く『今までに扁桃腺の既往が無いにもかかわらずここまで急激に悪化したことがかなりのリスクです。高い確率でと言うより必ず再発するでしょう。今回正直かなり危険な状態だったので両扁桃腺を摘出するべき(‘した方が良い’のではない)です。』と言うことで炎症反応の治まった今がチャンスなのだそうですが今月末大切なテストもあるそうで(落とすと留年決定らしい)とりあえず1ヶ月の猶予をもらったと言うわけです。また手術…理屈としても医療従事者の端くれとしてもそれは十分理解できるのですが…母親として‘娘の体にメスを入れられる’と言う現実が理屈や常識を通り越して、、正直、キツイです…。
Aug 6, 2008
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10時に抜管され午後から一般病棟に移れることになった。15時 午後休をとり一足早めに転科先の病棟へ 病室を案内され娘が戻ってくるのを待つ 早く帰ってきて♪ 母さん待ちきれないよ♪15時半 娘が病室に戻って来る。 まだ声が出ないけど、すっかりもとの笑顔♪良かった!ちゃんと還ってきてくれて…(涙)貴女があんまりいい子だから神様に連れて行かれるかと思ったよ…おかえりなさい。。。帰省駅に降り立ったとき『母さんに会いたかった、お家に帰りたかった』って出ない声を振り絞って泣いたよね。そのまま緊急入院になって結局離れ離れになってあれよあれよと言う間にこんな事態になっちゃってゴメンね、寂しい思いをさせて。辛かったね、怖かったね、痛かったね…今晩から、嫌と言うほど一緒に居てあげるからね…♪
Aug 1, 2008
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まだ呼吸機やモニターにつながれ挿管したままスパゲッティ状態。午後から筋弛緩剤の投与をとめて明日は抜管の予定。午後から本日2回目の面会の際は絶好調だった。筋弛緩剤が止まったため目を開けて手足を動かして見せてくれて、目玉クリクリさせて赤ちゃんのように茶目っ気たっぷりで冗談言って(筆談)笑わせてくれた。『母さんが来てくれたこと話したこと全部聞こえてたよ。母さんの手 あったかかった』可愛くて愛おしくておでこに額を摺り寄せ抱きしめてやった。親バカだけどあんまり可愛いからすぐさま夫に知らせた。仕事帰りに待ち合わせして二人で意気揚々と面会に行ってみたら…状態がガラッと変わってた。自発呼吸が出てきて…拒絶反応や筋のダルさとか生体反応が出てるのは快復の証なんだろうけど…本人にとっては身のやりばもない、今が一番キツい時期みたいで…。『どこがエライん?』って聞いたら『ぜんぶ』ってポロポロ泣かれティッシュが一箱無くなった。変われるものなら変わってやりたい…。手を握ることしか出来ない自分に筆談で『もう限界…』って言われてもどかしく無力感に苛まれる…夫はすっかり滅入ってしまって…『耐えられん』って落ち込んでる…。そんな親に気遣って『大丈夫』ってピースサインして見せる娘が不憫でまた涙。もうひとふんばりなんだけど、娘にとってはとてつもなく長い時間だろうから『頑張れ』なんて言えない…。看護師さんに『今晩は眠剤を投与しますから』と言われ後ろ髪を惹かれる思いで退室する…明日は楽になっていますように…非力な親にできることは神頼みしかない。辛いよ…。
Jul 31, 2008
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主治医曰く膿はぼぼ取りきれたんだそう。ICUでは1日に三回、一回十分以内しか合わせてもらえない…辛い。ICUのナースに『耳は聞こえるから声かけてあげて』って言われた。声かけたら涙をポロポロポロポロ流す…行く度にポロポロ泣かれるからそのたんびに後ろ髪を惹かれ帰れなくなる…ICUのことは覚醒したら覚えてないらしいけど、でも‘今辛いんだろうな’とか‘怖いんだろうな’とか‘ひとりで心細いんだろうな’とか思ったら…居たたまれない…。そんな母親の心情を理解していただいているようでICUの看護婦さんにはとっても良くしてもらってる。朝行ったら顔が腫れ上がって悲惨な状態だったけど、午後から行くときちんと顔面を拭いてもらって挿管の絆創膏も綺麗に貼り変えてもらって髪の毛三つ編みにしてもらって可愛くなってた・。母親に気遣って『髪の毛、勝手に遊ばせてもらいました』って優しい言葉もかけてもらってまた涙…早く明後日になれば良いのに…みんなが祈ってくれているよみんなの祈りが届きますように。
Jul 30, 2008
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17時主治医より本人にムンテラ『ちょっと大掛かりなオペになるので全身管理が必要なため術後はICU、腫れて呼吸障害を起こすことがあるので三日間は挿管したまま薬で眠らせる。他のオペが終わって開始は19:30位から。中と外から開ける、頸は横に二ヶ所、口内に一ヶ所、計三ヶ所の術創。手術時間2~3時間の予定。術後顔面神経麻痺のリスクあり。』とのこと。本人はオペが決まったことで安心したのか頚部のケロイドを心配する母親を尻目に主治医に明るく『傷跡が少々残っても平気です』と言う。慌てて夫に連絡。更に『緊急性を考慮して順番をひとつ早めた、オペは18時から』となる、あれよあれよと言う間にめまぐるしく決まる。夫が駆けつけ、オペ室へ…21時オペ終了。ICUで本人と面会させてもらう。本人まだ覚醒しておらず…取り合えず 無事終了。長かった一日が終わる。
Jul 29, 2008
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病院から呼び出しあり『主治医からお話があるのですぐに来て欲しい』とのこと。主治医見解によると朝より腫れれがひどく急遽造影剤によるCTを実施することになった。画像からはかなり広範囲に膿が広がっていてしかも扁桃腺だけじゃなく顎から首の深部組織にびまん性に広がっている。主治医も『抗生剤でたたいているのにこんなに急速に進行するのが経験ない…』と首を傾げている。麻酔科とも相談して決めるけどこれだけ進行が早いためオペが必要なことにはかわりない。傷が大きくなるかも…と言われ今協議中…。結構大変なことになって来た。(AM14時)
Jul 29, 2008
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娘が帰ってきた。というか無理やり帰省させた。新幹線を降りた娘は第一声出ない声で『母さんに会いたかった。お家帰りたかった』って泣いた。そのまま救急病院に連れて行く。夏風邪から扁桃腺が炎症を起こし飲めない食べれない喋れない、挙句呼吸困難まで出てきて即刻緊急入院となる。
Jul 27, 2008
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職場の親睦会のあと、気の置けない仲間達と飲み会に出かけた。二次会で行ったお店でママが占いができると言うことで、同じ悩みを抱える仲間のうち二人が見てもらった。何から何までズバズバと当たっている。共通するキーパーソンまでずばりと当てられた。あんまり良く当たるので自分も見てもらった。自身の家族構成を聞かれ夫と子供の生年月日を聞かれるがままに答える…ママが首をかしげて、静かにこう言った『もう1人お子さんが居ませんでした??』「そう…」最初の子供を流産したことを答えた。『やっぱりそうですか。。。この子、男の子だったみたいです…』そうそう、流産したあと夫と私は何の根拠があるわけでもなく‘この子は男の子だった’とそう信じていた。『大丈夫、この子はちゃんと成仏していますよ行き場が無くて迷ってるとか、成仏できないで居るとかそんなことは無いですから』それを聞くとふいに涙が溢れた。「よかった…」『そうそう、そうやって時々思い出してあげたらそれでこの子は浮かばれますから』そう言われてぽろぽろぽろぽろ涙が出た。‘この子が私達家族を見守ってくれている’そう確信した。ありがとう…あなたは今でも私達にとって大切な存在だよ。
Jun 14, 2008
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遅ればせながら‥1月13日は長女の成人式でした。女の子を持つ母親として・成人式の晴れ姿を見ること・結婚式の花嫁姿を見ること・可愛い孫をこの手に抱くこといつかそんな日が来ることを楽しみにそしてそれが当たり前だと夢見て生きてきました。11年前‥突然の病に出遭ったときそんな夢は儚い叶わぬ夢なのかもしれない当たり前だったはずの夢がとても遠い日のように感じました。こんな日が来るなんて‥夢のようでした。家族で記念写真を撮りました。11年前(この日が来るのが夢のように感じながら)撮った家族写真の隣に並べました。嘘のようだけど‥夢ではないのですね。。。当日地元の成人式のために慌しく帰省し大阪にとんぼ返りした娘の机の上に私たち両親にあてた置手紙がありました。お父さん、お母さん○○もちゃんと成人になれました。20年間大切に育ててくれて本当にありがとう。○○家に生まれて、大好きな家族に囲まれて育った○○はとても幸せ者です。今までも今も幸せで充実した人生を送れるのはお父さんとお母さんのお陰です。いつも支えになってくれて、○○を応援してくれてありがとう。本当に感謝してもしきれません。大学にまで行かせてもらって、そして3月からは留学にも行かせてもらえてこんなに恵まれた子はなかなかいないよね。○○のためにお父さんもお母さんも無理して仕事してくれて『留学に行きたい』って行ったときも快く賛成してくれたよね。二人の気持ちを少しも無駄にしないよう一生懸命成長して帰ってくるからこれからも応援よろしくね!お父さんもお母さんも体に気をつけて長生きしてね。○○の夢は自分で稼ぐようになったらお父さんとお母さんをいろんな所に旅行に連れて行くことだから強制的に長生きしてもらうよ(笑)!特にお母さん!!!具合悪くても病院に行かないから心配です。これからはすぐに受診してね。そして、お父さんはメタボリックに気をつけて‥もう遅いかな(ワラ)二十歳になった○○からのお願いは以上です。いつも与えてもらってばかりだし心配かけたり、苦労かけてばっかりでゴメンね。今まで何の恩返しもできてないけど、これから少しずつできたら良いなと思います。本当に○○・○ちゃん(妹)・○ちゃん(弟)を妹弟に産んでくれてそして育ててくれてありがとう。○○は幸せです。これからも、仲良しな親子・家族でいようね。 平成20年1月13日 ○○号泣でした‥いつの間にこんなお手紙書いてくれたんだろう‥そういえば前夜遅くまで自分のお部屋にこもっていたっけ‥ありがとう、あなたと言う娘を持って父さんも母さんも幸せです。あなたの存在そのものが私たちの夢でした。あなたが私たちにいろんな夢を与え叶えてくれたんだよ。あなたの未来にはどんなわくわくが待っているんだろう♪幸せに‥だれより幸せな人生を切り開いていってください。娘は来月から1年間オーストラリア留学に旅発ちます。
Feb 1, 2008
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癌から生還して11回目の秋が巡ってきました。今日は生まれ変わった記念日です。そして、今年は義母の肺癌発覚と言う局面を迎えています。でも、母の日頃の行いが良かったのか、はたまた偶然と言う運命のめぐり合せか…幸いにも「これぞ名医」と叫びたいほどの信頼できる最高の主治医に出会えました!!すべてがうまくいきそうな予感がします。大丈夫!きっと大丈夫!!今日は家族3人でささやかながら会食に出掛けました。笑って食事ができること、なんでもないこんな日が何てありがたく幸せなことか痛感させられます。私たちにとっては11回目の記念日です。。。来年も再来年もこうして笑って今日のこの日を迎えられますように。
Oct 4, 2007
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今年も恒例の家族旅行に行ってきました。恒例とは言えお姉ちゃん二人が我が家から巣立っていった今なかなかみんなのスケジュールを合わせるのは大変でしたが夏休み最後の週末に鹿児島・長崎・熊本・佐賀を回ってきました。まずは念願の(鹿児島)天文館むじゃきの白熊に舌鼓を打ち霧島温泉のお宿は霧島第一スパホテルぬるぬるしたお湯で長旅の疲れを癒すとともに美肌に磨きがかかりました♪翌朝霧島温泉を発ち南鹿児島観光→霧島温泉館で地元の名物料理にふれ→知覧航空基地跡で若い命の儚さに涙を流し→フェリーで雲仙島原へ→2泊目は春陽館という純和風のお宿天空の露天風呂と趣向を凝らしたお料理は絶品でした!!岐路は鳥栖アウトレットプレミアム経由で全行程1000キロ、2泊三日の充実した家族旅行でした。また行きたいね、みんなで♪
Sep 16, 2007
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遅まきながら…GW報告です。娘二人が帰省したため、夫自慢の買ったばかりの新車で日帰りで阿蘇の温泉にドライブ旅行に出かけました。早朝3時に我が家を出発し、8時には阿蘇の泥湯‘地獄温泉’に到着。ひなびた湯治湯ですがちょうどチェックアウトの時間と重なり宿泊客もまばらで趣向を凝らした温泉はどれも貸し切り状態でした。 お昼までゆっくりして、阿蘇を訪れたときの我が家の定番白川水源で美味しい水を汲み上げ地元のおばあちゃん手作りのかしわ飯や高菜おこわのお弁当に舌鼓をうちました。続いて阿蘇の大観峰へ…さすがにGWとあって駐車場への渋滞に巻き込まれました。ここで偶然同じ職場の事務の子に出会いました。お互い『こんなところで…?!』とびっくり!!その子は早朝5時に出発したそうですが大変な渋滞に巻き込まれやっとの到着だったそうです。…そう言えば、ラジオの交通情報で九州自動車道の大宰府インターは日本一の(60Km)大渋滞だったようです。出発がたった2時間違うだけで悠々の温泉三昧の我が家とはえらい違いでした。 その後、杖立温泉の立ち寄り湯に行ってみました。足湯の道の駅ならぬ温泉の駅(!?)があってそこで足湯に浸かりました。体がポッカポカ♪ 温まった体で三人揃ってこいのぼりのポーズ!(笑) 日帰りですが…日々の喧騒を忘れ親子水入らずでとても充実した一日でした。
May 4, 2007
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昨日(3/9)は息子の中学の卒業式でした。式が終わって最後のホームルームで担任の先生が一人ずつ卒業証書を渡してくれました。息子にかけていただいた言葉は「君は2学期の終わりから本当~~~っに本当~~~っに本当~~~っによく勉強した。僕の20年の教師生活の中で1、2を争うほどよく勉強した!…まぁ、それまでがしてなかったという裏返しでもあるけど(爆笑)感心したよ!よく頑張った!!」適度のオチも用意しつつ暖かいはなむけの言葉でした。その後、友達との名残を惜しみたいということで私とは別行動で遅れて帰ってきた息子の制服には第2ボタンだけ無くなっていました。。。(他からも何人かの女の子に頂戴とせがまれたところ)2学期の終わりに告白し晴れて両想いになっていた女の子だけにあげたのだそうです。小学校4年の時に彼女が転校してきて以来ずっと一途に思いを寄せてきて…やっと想いが伝わって、でも、恥ずかしいからクラスメイトにも内緒で彼らが両想いになれたことはまだ誰も知らないみたいです。本当に純情で微笑ましい二人です。二人は別々の高校に進みます…可愛い彼女に格好良い彼氏が現れないよう母さん祈っているよ…♪がんばれ~~~~!!
Mar 10, 2007
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今日は娘の高校の卒業式でした。3年間決して平坦な道ではなかっただけに万感の思いで式の進行を見守りました。娘のクラスメイトの女の子が読み上げた答辞は訥々とした中にも、とても暖かくすばらしい答辞でした。式が終わって教室で最後のホームルームは担任の先生が子供たち一人一人に暖かいはなむけの言葉をかけながら証書を授与してくださいました。そしてその後「今日の君たちがあるのは周囲の愛情のおかげと言うことを忘れてはいけないよ。ここまで育てていただいたご家族にちゃんとお礼の気持ちを伝えなさい」と仰いました。子供たちの一人ひとりが後ろに控える親に向かって素直な気持ちを伝えてくれました。本当に素敵なクラスメートたちでした。いろんなことがあったことを知っているだけにその子たちの顔を見るだけで涙が溢れました。そして娘の番です。彼女は私の顔を見るだけで号泣し言葉になりません。そんな彼女と目が合うだけで母も号泣です。涙でくしゃくしゃな顔をハンカチで拭いながら「今日までいろんなことがあったけど…(号泣)…温かく見守ってくれてありがとう。…(大号泣)…憧れのお母さんのような看護師になれるよう…(更に号泣)…頑張るので、これからもよろしくお願いします。」日々仕事に追われ家事も育児もそっちのけ娘の受験さえろくすっぽ力を与えてやれず母親失格だと思っていました。そんな私に憧れの…なんて言ってもらうなんて思いもよりませんでした。こんな母でも素直にまっすぐ育ってくれてありがとう。暖かくすばらしい最高の卒業式でした。先生も「最高の卒業式をありがとう!」と涙ながらに仰ってくださいました。感動の卒業式に最高のはなむけの言葉を与えていただいた先生に深く感謝したいと思います。
Mar 1, 2007
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次女の桜の蕾はまだまだ固くてなかなか開きません。。。1次試験を通過したO校は結局2次試験で敗退しました。その次の日受験したD校はただいま補欠の結果待ちです。。。そんな最中、今日は息子の受験日でした。高校受験、すんなり行けば県立高の推薦をいただけるところを突然自分の意思で「高専を受験したい!」と言い出したのです。高専を受験するって?…彼の成績から行けば雲の上の存在の学校です。「99%無理だってわかってる。でも、挑戦してみたい!」そう言うのです。息子よ…何であえて茨の道を選択しようと言うのかい??それに、この時点で県立高の推薦は諦めると言うことです。でも、彼にとっては人生初めての自己選択・自己主張です。親としては涙を呑んで彼の選択を尊重するしかない、精一杯応援するしかない、ただそれだけです。それからと言うもの、彼は目の色を変えて勉強に取り組みました。来る日も来る日も勉強に明け暮れ気がつけば…苦しいはずの勉強が楽しいと言い出しました。そして‘99%ダメ’が‘60%の合格率’にまで向上したのです。迎えた今日の受験当日。残念ながら今年の問題は例年に増してレア度が向上していました。得意科目の理科が1時間目でその難問に撃沈したみたいで…それからは、空回りしてしまったようです。。疲労困憊帰宅した彼は夫の焼肉の誘いにも気乗りしない様子で、しばらく自室に篭っていました。でも、様子を見に行った私に彼は笑みをたたえて言いました。「母さん昼飯あんまし食べられんかったから、腹減った!さっきは行かんって言ったけど、やっぱり焼肉食いに行く!!それから、高専受けさせてくれてありがと!! 」涙腺の弱い母です…息子の突然の言葉に…返す言葉も見つからず号泣しました。。。結果じゃないよ!君の頑張りの過程は、ただそれだけで合格だよ!!
Feb 18, 2007
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次女の受験の待ち時間を利用して長女と二人、25年前私の通っていた短大に行ってみることにしました。チンチン電車の運賃は当時の倍になっていました。懐かしい景色に心地よい揺れにしばし時を忘れ到着した電停から恐る恐る母校の道を辿りました。ありました、ありました、おんぼろ校舎が…25年前の佇まいはそのものですがすでに学校は移転し表札も取り外され立入り禁止になっていました。ついでに自分が下宿していたアパートにも足を伸ばしてみました。そこには…やはり…あったのです!!懐かしくて感激して涙が出そうでした。親元離れ慣れぬ一人暮らし、辛いことも苦しいことも沢山あったけどきらきら輝いていた青春の1コマです。25年を経て、今の私をあの頃の誰が想像したでしょう…まさか娘とこの地を訪れることになるなんて想像もできませんでした。老朽化した建物は今度来るときは確実に取り壊されているでしょう・・・来てよかった。。。きっと現存する最後の思い出です記念に写メを1枚娘に撮ってもらいました。
Feb 4, 2007
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真ん中の娘の4校、5校目の受験で週末は大阪の長女の家に滞在していました。年末までに3校受験しましたが今のところ3戦3連敗中…今回受験した4校目は1次試験をクリアして2次試験に進みました。5校目は…彼女曰く‘難しかった’そうです。発表は今週中頃です。今度こそきっとサクラサクよね♪祈るような日々です。
Feb 3, 2007
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異動が決まったスタッフにプレゼントするためお花屋さんに行きました。以前からお洒落な雰囲気に興味を持って一度行ってみたいお店でした。ふと見ると、店内のテーブルに可愛らしいブーケとブートニアが…。程なくそれを取りに若い女性が現れました…。「こんな冬場、平日に結婚式?」と、ちょっと意外な気がしました。その女性が帰ったあと私の依頼したアレンジメントを作りながらお店の店長さんが話してくれました。「今のは花嫁さんのお友達なんですよ。本人達は‘結婚式なんていいや’って思ってたんです。でもお友達が集まって『お祝いの代わりに写真(撮影)をプレゼントしよう♪』ってことになったんだそうです…。で、知り合いを探してお花はここ、写真屋さんは○○、衣装は○○…と、あちこち行き来することになるけど、予算が余ったからってご両親へも写真と、お食事会にご招待のおまけが付いたんですって…』そう話す彼女もとても幸せそう嬉しそうでした。花嫁さんにとってもご両親にとっても、どんな豪華な挙式より思い出深い記念日になることでしょう…。私は言いました。『素敵なお友達持ってその子は幸せですね。きっと素敵なお友達が集まるその子も魅力的な人なんでしょうね…』その証拠に店長さんはすごく魅力的な女性でした…。そのあと意気投合した私と店長さんはお年頃の娘を持つ母親談義にしばし花が咲きました。私は一辺でその店長さんのファンになり、『遠い将来ウチの娘のブーケもお願いしますね』って予約してきました。女性店主も『はい、喜んで♪』って言ってくれました。師も走る、忙しい毎日…。ご多分に漏れず私も走り回る日々です。でも、そのお花屋さんの店内だけはゆっくりじっくり時間が流れていくようでした。久しぶりに心が洗われるひとときでした。
Dec 9, 2006
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21回目の結婚記念日のお祝いに九州に旅行に行ってきました。青の洞門を通り紅葉を眺め九酔渓の貸切温泉でしばし絶景を楽しみ桂茶屋では話題の『凄腕バイキング』に舌鼓を打ち強風にビュンビュン揺れる日本一の大吊橋を渡り恐怖体験を味わいました!仕事の都合、日帰り旅行でしたが無理してでも行って良かった。日常の喧騒を離れ、リフレッシュできた一日でした。
Dec 2, 2006
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先週末は真ん中の娘の大学入試で大阪に行っていました。そして…一昨日が合格発表の日でした。あいにく私は本部に出張で、数字についてみっちり絞られ「やっぱり自分には管理の仕事は向いていない。。。私もそろそろ潮時なのかな…」なんて、気分はネガティブまっしぐら、疲れ切った新幹線のホームで娘からのメールを受け取りました。入試には彼女自身が手応えを感じていたので何となく大丈夫だと母娘で楽観視しているところがありました。ところが(そんな母子の甘い予想を見事に覆し)「母さん、ごめん。。ダメでした…自分が甘かったよ…親不孝娘でごめんなさい…」さすがにこのタイミングでのこのメールには凹みました…。ひとり落ち込んで泣いているんだと分かりました。こんな時に側にいてやれない自分がもどかしかったです…。結局、落ち込んだ彼女は晩ご飯も食べず一晩自分の部屋から出てきませんでした。腫れ物を触るような親の気持ちを知ってか知らずか翌朝、いつもの元気娘に戻りやけ酒(?!)を父娘で酌み交わしました…そして戸惑う私達を前に「気持ちを切り替えて真剣に頑張る!!」とあっけらかんと宣言してくれました。思えば順風満帆で挫折というものを味わったことのない18年でした。彼女にとっては人生初めての躓きです。。。でも、大丈夫!!信じて進む道に間違いなんかないんだよ!父さんも母さんもお姉ちゃんも弟も、みんなあなたの味方だよ!!躓いたからこそ、立ち上がって歩き出す力が得られた、弱い自分を知ったから、強くなる力が与えられた、それは、すっごいパワーなんだよ!!頑張れ頑張れ♪みんながついてるよ。
Nov 4, 2006
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週末、隣県の本部出張に行ってきました。私は拠点の管理者をやっているので、月一で出張があります。母体が営利法人の哀しい性、会議の話題はもっぱら利益拡大につきます。利益…利益率…人件費…人件比率…売り上げ…売上利益…自分が選んで入った会社ゆえ、それを言われるのは覚悟の上です。でも、現場の実状と解離しすぎた要求には正直辟易としてしまいます…。昨今、日本の医療の人材不足が取り沙汰されていますが介護の業界もはっきり言って人手が足りません。少ない人員配置の中でお客様に質の高い介護を提供すべく若いスタッフが日夜精励してくれているお陰でこの業界はもっているようなものです。(以外と知られていないところなのですが介護の労働市場の条件は決して良いとは言えません。大卒で10年後を考えたとき、むしろ一般職の方が上なのです。)4月の法改正で介護業界で利益を上げることがより困難となりました。その上、‘成果主義’なるものまで導入され報酬が引き下げられたのに、求められる業務はより煩雑なものとなりました。そうなると業界の生き残り策は人件費の削減に直結です。この上、人件費を削減しろって…少ない人材の中、煩雑な業務に追われ疲れ切っているスタッフを見てお客様は安心して介護を任せられるのでしょうか…?いつもどんなときでもお客様本意のサービスを追求したい…理想と目の前の現実に直面したとき、優秀な人材ほど疲れ切ってどんどんこの業界から離れて行っている。新人は定着しないで、教育に精力を費やしてもすぐに辞めてしまう。現場はみんな病んでいます。スタッフも管理者も疲れ切っているのです。それが自社での…いえこの業界での介護の現状のような気がします…
Oct 15, 2006
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夫は40を超えた頃からお腹がせり出してきて今や腹位は85センチを超えメタボリックシンドロームまっしぐらです。そんな夫ですが10年以上お腹の中に胆石を抱えていて年に数回疝痛発作に見舞われ救急に駆け込むようなことがあります。医者からはop適応と言われつつも手術に踏み切れないで来ました。…と言うのも、仕事の忙しさと、もう一つは1月に背中の腫瘤の摘出手術を受けその時の術後の苦しさと疼痛がトラウマになっており先延ばしになっていたのです。このお盆、実家におよばれを受け気分良くお酒が過ぎました。。。飲み過ぎて嘔吐した拍子に胆石が暴れ出したのです。救急室に担ぎ込み、本人は手術は嫌だと言ったそうですが主治医の先生はopを勧められます。有無を言わさず「先生、どうかopを!」と頼み込みました。もともと先の健診でopを勧められ12月にはopの予約を入れていたのがちょっとだけ早まっただけのことです。かくして、8月14日に緊急opとなり、胆石(小指の先ほどの大きさのコレステロールの固まり)が大小13個胆嚢と一緒に 摘出されました。術後の回復も順調で、10日後には仕事にも復帰しています。「もう動いても飛び跳ねても痛くない」のだと言いますが、逆に「動いたり飛び跳ねたりしたら痛かったんかいっ?!」って突っ込みたくもなります…。夫曰く…こんな事なら早くとってもらえば良かった!!」いつやって来るか分からない痛みの恐怖から解放された夫のお腹はますます増大してくる気がするのは……気のせいですよね…!?
Oct 1, 2006
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久しぶりに主治医の下に定期受診しました。実は私の主治医とはかれこれ30年来のお付き合いになります。高校の看護科時代の解剖生理学の講師から始まり5年後の臨床の就職先では直属の上司となりその5年後、母の直腸がんの主治医として、そしてさらに5年後、私自身の主治医を務めていただきました。母娘で癌のopの担当医になったケースは珍しいのでしょう母が受診すれば「娘さんはどうしてる?」私が受診すれば「お母さんはお元気?」その都度そんな言葉をかけていただいてきました。今回、たまたま夫が胆石の緊急opで入院中病棟で自分の主治医を見つけたので私の方から声をかけ、「君とは切っても切れないご縁があるみたいだね」とからかわれました。「当分顔を見せてないけどちゃんと受診しなきゃ」と促されました。仕事にかまけ3年ぶりの受診に「君は私の教え子なのに…医療従事者としての自覚が足りない!!」と軽いお叱りを受けました。優しい人柄が大好きで、実はそんなお叱りも心地よい関係でもあり…(笑)今回実は気になる症状を抱えての受診でした。私が他院で成人病検診を受けた際胸部X-Pで‘肺に変な陰影がある’と指摘されました。精査CTの結果は異常なしとのことで経過観察となったのですがそのことを主治医に告げるとサ~ッと顔色が変わり「自覚症状は?」と問われそういえば「変な咳が続いていること」「患側の右腕のリンパ浮腫と腋窩のリンパに腫瘤があること」気になる症状を伝えました。「腫瘍マーカーと胸部X-P、1週間後再受診」と言い渡され1週間の長かったこと…結果、腫瘍マーカーは正常の範囲内でした。胸写には「右肺下葉の一部血管がやや膨らんでいるかな?」というところですが以前よりそんな所見があり「心配要らないだろう」とのこと、腋窩と右上腕はリンパ管炎で抗生剤と鎮痛消炎剤を投与されました。「一応経過観察で…」というお許しをいただきましたがカルテにはあえて私に見せるように「肺転移の‘疑い’」と書かれてしまいました。精査の必要上やむをえないことは理解していますし、主治医から‘自分をいたわってやらない私への警告’と言うのもわかっているのですがちょっと気持ちのざわざわする出来事でした。3ヵ月後経過観察の受診です。先生…?!3ヵ月後…今度はちゃんと受診するから…お許しを!!
Sep 24, 2006
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大型の台風が近づいています。毎年、台風シーズンになると思い出すのはちょうど一番下の子を出産し退院して帰宅した翌日にやって来た15年前の大型台風です。台風が襲来する際は消防官の夫は仕事に出て詰めっぱなしになるので頼りのない私が、にわかに一家の大黒柱と化します。4歳3歳の娘達は猛烈な風の轟音におそれおののきその後の停電に更にその恐怖は増していきます…。母子4人が寄り添って夜を明かしました。。。我が家は瀬戸内海に近いので電線という電線が塩害にやられ台風一過の後、停電は1週間も続きました。乳飲み子を抱え電化製品が使えないとあっては一番困ったのがお風呂と洗濯でした。やかんや大鍋で沸かしたお湯をお風呂に何度も運び3人の子供達を入浴させ自分は残り水で掛け湯、洗濯は連日お風呂場で手洗い、懐かしい洗濯板の登場です。幼児と新生児のオムツや肌着の量は半端じゃありませんでした。現代の世の中がいかに便利に出来ているか痛感させられた出来事でした。あれから15年、今は長男が家庭の安全の見守りをしてくれます。目下の心配事は自分の管理する老人福祉施設の稼働状況です。今日はお客様の安全第一、営業を早めに切り上げることにします。どうかこの台風が大した被害をもたらさず過ぎ去ってくれますように…祈るような気持ちです。
Sep 17, 2006
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今日は息子の15回目の誕生日です。本来なら今日は中学の運動会でしたが雨のため明日に順延…は良いのですが実は息子は運動会には参加できません。昨日のリハーサルで足を負傷してしまったのです。組み体操のピラミッドの練習中頂上の男の子が飛び降りた先が息子の足の上で運び込まれた整形外科医院の受診結果左の小指の(主治医曰く)‘見事な骨折’が判明しました。先ほど玄関先のチャイムが鳴り「なんだ?」と出てみると息子の親友が2人ケーキの箱を抱えて訪問してくれました。この2人は息子がリーダーのバンドのメンバーです。ケーキには「だいちゃん お誕生日 おめでとう!」のメッセージ入り、男の子がどんな顔してケーキ屋さんを尋ねメッセージを依頼したのだろうと考えると…可笑しいやらありがたいやらで、訳の分からぬ涙が出てきました。大切な親友に恵まれ息子は本当に幸せ者だと思います…。素敵な男の子に成長してくれてありがとう♪
Sep 10, 2006
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嬉しい出来事がありました。娘の奨学金の申請のための書類を母校にもらいに行きました。そしたら担任の先生が応対して下さいました。娘の入試にはとてもご尽力をいただいた担任でしたので娘の大学生活がとても充実していることを伝えました。GWに帰省した彼女がキラキラ輝いて見えたことこの大学を選んで本当に良かったと言っていたこと、教授にも可愛がられお友達も沢山出来たこと…etc.を報告し「それもこれも先生のお陰です」と感謝とお礼の気持ちを伝えました。そしたら先生が「お母さんそれは違いますよ。教授に可愛がられるのもお友達が沢山できたのも、あの子の人柄がそうさせるんです。いや~~、あの子はホントに良い子なんですよ。僕の教師生活でこんな良い子はいませんでした…。自分の娘がお嬢さんのように育ってくれるようにと願っているくらいです…。」と言って下さいました。思わぬお褒めの言葉に「そんな…もったいないです。」と謙遜したものの、その実、嬉しくてありがたくて涙が出そうでした…。自分の子育て、足りないことを数え上げればキリがなく…あれも足りなかったこれも教えていなかったと反省するばかり。でも先生にいただいた言葉で、間違って育ててはいなかったのかな…と少し自信が持てました。このことを親ばかと知りつつあんまり嬉しくて母にだけメールで報告したところ、母からこんな返信が来ました。『良いニュースをありがとう。お母さんも嬉しいよ。親ばかじゃなく、あの子の人間性だよ。あの人なつこい優しい笑顔が浮かび嬉し涙がこぼれます。良い子に育てたね。有難う。』…号泣しました…親になって初めて親の大変さが解りました。自分の親のように子育てしたいと願っていても大切に育んでくれた自分の母親の子育てにはとても追いつけない自分を感じてしまいます。母を思うたび自分の未熟さを痛感させられるとともに‘母には叶わない’いつも頭の下がる思いでした。そんな私に母からのメールは何よりのはなむけの言葉でした。このやりとりを娘にもメールで知らせました。娘からの返信です。『こんなに誉められて良いんだろうか…?(笑)でもこのメール、自分への励ましとして大切に保護しておくね!』
May 13, 2006
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4月の人事異動で転勤となりました。新天地で奮闘の毎日です。新しい場所に異動してみると自分がいかに部下に恵まれていたかと言うことが今更のように身にしみて感じています。自分はいつも‘一人じゃない’そう感じさせてくれた拠点でした。そんな前任地への未練が断ち切れないのが正直なところ…でも、もうそこへは戻れない。赴任拠点の現状は‘まだまだ’と言うのが率直な感想です。‘ここでは自分は一人なのだ’と言う孤独感に苛まれそうでした。それなら新しい場所で自分の理想の場所を作っていくしかない。最近ようやくそう思えるようになりました。自分を信じてあきらめずに進んでいけば自分の思いを受け取ってくれる仲間が一人ずつ増えていく…そう信じて歩んでいくしかないのでしょう。でも先日、部下の男の子が一人‘○○○長(←私のこと)が来てくれてみんなが明るくなりました。 ボクに何か出来ることがあったら何でも言ってください’と言う言葉を私にくれました。涙が出るほど嬉しい一言でした。この人達のためなら頑張れる!!!そんな自信が持てました。
May 5, 2006
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今日は私たち夫婦の20回目の結婚記念日です。このあいだ、夫が娘たちに(私のことを)「母さんは空気のような存在だ」と話していました。夫の口からそんな言葉を聞けてちょっぴり気恥ずかしく、そして感慨深いものがありました。思えば…20年いろんなことがありました。初めての赤ちゃんの流産や、私の乳癌など、夫にはずっと心配かけっ放しだったなぁ…決して良き妻ではなかった自分です。でも辛い経験が二人の絆を強くしてくれた辛い体験があったからこそ今の幸せを誇りにできる。夫と20年前の今日のこと話していました。記念日の今日、思い出すのは楽しいことばかりです。ぱっと辛いことが思い出せないそんな夫婦関係が築けたのかなぁ…。いつもそばで感じて、そばにいるのが当たり前でも、そばにいないと生きていけないお互いそんな存在になれたのですね。
Nov 3, 2005
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長女が希望の大学のAO入試に挑戦し見事合格しました!…思えば自分の仕事の忙しさにかまけて彼女の大学入試に関しては殆ど何も協力してやれませんでした。協力したと言えば受験について行ってやっただけ。私としても学生時代の2年間を過ごした大阪、久方ぶりのお出かけは懐かく楽しいものでもありました。それを思えば親に心配かけずに孝行娘だと感心します。彼女は自分で進みたい方向性を決め自分でその志望学科を見つけてきました。AOがダメでも同じ学部の女子学生推薦それがダメなら一般入試…とその同じ大学の同じ学部のみを狙っていました。8月末の1次面接はそれなりの手応えがあり何とかクリア。先週の2次試験はグループ討論だったそうで試験会場から出てきた彼女はあっさりと「母さんぜんぜんダメだった。次のに向けて頑張る!」と言ってのけ、すでに次の試験準備に入っていました。ところが今日、帰宅したリビングのテーブルの上には「合格通知書在中」と書かれた封筒が届いていたのです。そこにいた長女、次女、私と女ばかり3人手を取り合って飛び上がって大喜びしました!おめでとう!!良かったね。花の女子大生だね♪信じる道、目指す方向へ突き進んでいってね。
Oct 14, 2005
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9年前の今日10月4日、私が生まれ変わった日です。乳癌の手術を受け早いもので9年が経ちました。opや予後に関しては思うところもたくさんあって自分にとって乗り越えられないほどの苦痛ともなんとか向き合えるようになりました。後に…「放置しておけば予後は2年」と知らされた命です。もしかしたら…どこかでレールを踏み外していたら…私の存在はここにはいなかった。。。そう思えば、拾った命、生かされた命なのかもしれません。今日こうして元気に9周年を迎えることができました。夕刻、夫からメールが入りました。「今日は9年前の母さん(私)をねぎらって みんなで食事にでも行きましょう!」…いえいえ、ねぎらってあげなきゃいけないのは父さん、あなたのほうですよ・・・!私を生かしてくれて、ありがとう。大好きです。一日一日を大切に‘何を成したか’より‘どう生きたか’を大切に再度与えられた命に恥じないよう自分のペースで無理せずゆっくり歩んでいきたいと思います。
Oct 4, 2005
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私がケアマネとして業務を始めてから初の悲しいお別れがやってきました。担当させていただいた利用者様が本日永眠なさいました。昨日お見舞いに行ったときには体調を持ちこたえられ回復に向かっているように見えました。その後急変したのだとご家族から報告を受けました。ショックです。。。穏やかで物静かなおばあちゃんでした。いつも静かに微笑んでおられる横顔が印象に残ります。彼女を担当してわずか4ヶ月の短いお付き合いでした。私は彼女に何ができたでしょう?あれもこれも足りないごめんなさいと謝りたいことばかり頭に浮かんできます。…自分の力不足を教えていただいた気がします。彼女は笑って黄泉の国へ旅立たれたのでしょうか?彼女にとって終の棲家となった長女宅で終末の人生が幸せなものだったでしょうか?生き甲斐を見いだせていたでしょうか?楽しかったですか?嬉しかったですか?面白かったですか?彼女の人としての尊厳と自立を私はどれだけ支援できたのでしょう。私は彼女に寄り添えていたでしょうか?彼女とご家族をどれだけ理解できていたでしょうか?彼女とそのご家族から頂戴した多くの学びを今後の自分の業務に少しでも活かして行ければと思います。彼女に少しでも認めていただけるよう研鑽を積んでいきます。Tさん、ありがとうございました。今は静かにご冥福をお祈りするのみです。安らかにおやすみ下さい・・・
Aug 2, 2005
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念願の‘そらいろ’の新車が本日我が家の一員に加わりました!実は私…‘そらいろ’へのこだわりがずっとあったのです。‘そらいろのたね’と言う絵本、皆さんはご存じですか?子供たちが幼い頃何度となく読み効かせてやった絵本です。3人の子供たちが大好きな絵本だったのでこの色を見つけたとき私の中の‘そらいろ’と重なりこれだ!!と即決しました。セカンドカーなので660ccの軽乗用車ですが6年前に以前の軽を購入したときと比べて軽乗用車もずいぶん大きく広くなりました。今までが3ドアだったので今回5ドアにして子供たちの満足度も高いようです。乗降がしやすくエンジン音も静か…。なんだか‘滑るように走る’というのが運転してみての第一印象です。今日からヨロシク!これからは安全運行に努めます♪
Jul 9, 2005
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車をぶつけて、激しく落ち込んでいました。「修理代を考えると新車にした方がましかな」と言う夫の計らいもあって誕生日のプレゼントにと新車を購入してもらうことになりました。先週末と今日は夫と二人カーディーラーを回って歩きました。好きな車種でディーラーさんに思い切り‘お勉強’してもらってやっと購入が決まりました。納車は今週末です!思えばセカンドカーとして今の軽乗用車が我が家へ来てから早6年。文字通り雨の日も風の日も、雪の降る日も嵐の夜も、通勤に子供の送迎にと日夜大活躍の働きでした、良く文句も言わず働いてくれたものです。本当にご苦労様!!そして7年ぶりの新車への乗り換えです…。納車にわくわくの毎日です♪
Jun 26, 2005
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今日は私の誕生日です。何歳だったか?歳は忘れました…(笑)!年老いた母からバースデイメールが届きました。覚えたばかりのたどたどしい携帯メールで『お誕生日おめでとう! 受験生を抱え、仕事も毎日遅く 大変そうだけど 応援しているので身体に気をつけて頑張りなさい』と言う内容でした。自分の気持ちとして『人生の中できっと今がいちばん幸せ! 仕事も子育ても中途半端だけど 今の自分があるのは両親のお陰だと感謝している』旨母に返信しました。帰宅すると長女が私のために早く帰ってきて手作りバースデイケーキを作ってくれていました。夫は夫で『お祝いにみんなで外食しよう』と誘ってくれました。お姉ちゃんとしては自分が腕を振るって夕飯の支度もするつもりでいたらしいのですが夫から「外食する」と聞いてやめたらしいです。ところが私が帰宅したとき息子は塾に自主勉強に出かけていました。みんなが揃わないのでは仕方がないので急遽外食は取りやめました。お互いの好意が裏目に出て結果的に夫と長女の諍いの元になってしまいました。みんなそれぞれの思いがあって双方とも優しい思いやりの中から発生した行き違いだったので私としては申し訳ないやら切ないやら…。結局、娘と二人キッチンにたって夕飯の支度をして(こうして母子でキッチンに立つのもあとわずか 私としてはそれも嬉しかったりして)息子が帰宅するのを待ってみんなでささやかな誕生パーティーとなりました。ありがとう、思いやりのある家族に恵まれて、母さん幸せだよ♪
Jun 22, 2005
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先週の水曜日に始まって・木・金と3日連続の研修土曜日は息子の野球の試合のため送迎日曜日は娘のオープンキャンパスのため福岡へそして今日も明日もまたまた研修で毎日あちこち飛び回って文字通り‘東奔西走’地でいってます。おかげで本来の自分の業務が全くできず仕事はたまる一方です…。机の上には山のようにたまった仕事が私を待ち受けています。こんなときに限って人事面のごたごたも勃発したり…雑音や不協和音のもろもろも聞こえています。。。あえて今は聞こえないことにしておきましょう。。そんな忙しさもあってか車を仕事場のポールに激突させてしまいました。いつも使い慣れた現場でなぜぶつけたのか?自分でもわからない…、そのときの状況も記憶ごとぶっ飛んでいます。自分のキャパを越えた仕事量に疲れもピークに達しているのでしょう。自損…独り相撲なのですが 車は激しく凹んでます。そして自分も激しく凹んでます…(涙)私にとっては苦行とも言える土曜日まで研修の続く今週と業務の忙しい来週を乗り越えたら何とかなる筈…そう信じたい、信じてます。がんばろ~~~~!お~~~~!(;_;)/…カラ元気…
Jun 19, 2005
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昨日は次女の高校の学園祭でした。実は彼女、なぜか去年バンドに誘われ叩いたことのないドラムスを担当した経緯から今年もまたとあるバンドに誘われドラムスを担当する羽目に…。ボーカルとドラムスの二人が女の子ギターベース担当の3人が男の子 5人のメンバーです。(そのバンド名が今日のタイトルなんだけど… どういう意味なんだか…?訳わかんない…笑)そんなわけで決して上手とは言えないドラマーですが来る日も来る日も部活が終わった後貸しスタジオまで片道5~6キロの道のりを自転車で通い練習でへとへとになって帰ってきました。全身筋肉痛で身体はぼろぼろ…また体調を壊してしまうのではないかとハラハラし通しでした。途中あまりのバラバラさ加減にみんなで落ち込み気まずいムードとなりバンド解散の危機もあったようですが何とか今日の本番を迎えました。娘の晴れ舞台を一目見ようと夫と、たまたま雨で野球の試合の流れた長男を連れて3人で見物に出かけました。もちろん私は最前列でかぶりつき(笑)演奏は全5曲、最新のヒットチャートから高校生にはなじみのある曲ばかり演奏は‘それなり’でしたが みんなノリノリで大盛り上がりでした!!親ばか承知で うちの子が一番上手!!(爆)格好良かったよ~~~♪母さん感激だ~~~!!「もう二度とドラムスは担当しない」「バンドなんか絶対やらない」と言っていた彼女でしたが…今日の演奏をたまたま聴きに来ていた近隣の大学生から大学の学園祭の出演依頼があったそうです…。やったね♪母はまた演奏が観れて嬉しいけど…でも…次女は…フクザツな様です。
Jun 11, 2005
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6月6日は長女の18回目のお誕生日でした。長女は高校3年生、大学進学組です。彼女の夢はグランドホステスかツアーコンダクターその夢に向けての進学は都会の大学あるいは専門学校。いずれにしてもこの春娘は親の元から巣立っていくことに…。そんなわけで「こうして家族でお誕生日をお祝いするのも最後かも」なんて感傷に浸りつつこの日ばかりは仕事を定時で引き上げ、腕によりをかけて手作で長女の大好物ばかりを並べてお誕生パーティーをしました。18回 家でみんなで祝うお誕生日もしばらくお預け…。でも家族はいつでもあなたの見方だよ!ねっ お姉ちゃん♪あなたの夢が どうか 叶いますように!!
Jun 6, 2005
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息子は只今宿泊訓練中、2泊3日の予定で明日までカッター訓練です。上のお姉ちゃんたちはいつも姦しいのでどちらかがいないと 静けさから「今日は静かだねぇ」と気づくのです。でも、末息子は男の子なので我が家の女連中とは当然会話が合うことは少なく普段から一人黙々と行動していることが多くて…ともすれば存在感そのものが危ぶまれてしまいます。「腹減った!」と言われて 始めて「あら、いたのね」という感じ。。。私の方は昨日も今日も休日出勤で家を空けていたので夕餉にふとお姉ちゃんたちに「だいちゃん明日までだね~~」と言われるまで正直‘彼がいない’という事実を忘れていました。。。だいちゃんごめ~~ん!!明日はおいしい晩ご飯作って母さん待ってるから♪
May 15, 2005
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GW最後の日曜日も仕事に子供たちの送迎にと忙しい一日でした。昼過ぎ次女がなにやら後ろ手に持って恥ずかしそうに帰ってきました。『お母さん、はい!これ…おねえちゃんとあたしとだいちゃんから♪3人を代表して、いつもありがとう!!』と手渡されたのが画像の花籠です。可愛らしいでしょ?!私はカーネーションよりこのスプレーバラが大好きです。例年カーネーションを戴くことが多いんだけど‘母の日だからカーネーション’というのがお花やさんの陰謀のようで(失礼!)何となく苦手…。あまのじゃくなのかなぁ、私って…。で、どうせ戴くのなら大好きなミニバラほしいんだけど 催促するようで…結局言えずじまいでした。昨日子供たちが3人部屋にこもってなにやら相談していると思ったらこのことだったんだな…。早速玄関に飾りました。明日からキッチンのテーブルに飾りましょう♪ありがとう!!
May 8, 2005
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中2の息子は野球部に入っています。小学時代からスポーツ少年団に入っていた子と違い息子は中学入学から野球を始めたのでその分出遅れているのは否めない事実です。今年野球部に新しい顧問の先生が来られました。何でも彼は学生時代は(巨人軍の)原(元)監督と同期で教え子も何人かプロの世界に送り出しているそうです。育てることの上手な先生のようです。レギュラー取りも難しいのですが顧問の先生は折に触れウチの息子のような選手にも試合に出場する機会を与えてくださいます。今日も、たまたま迎えに行ったら試合が長引いていて9回裏です。ベンチに息子の姿を探すものの見あたりません。すると…バッターボックスに息子そっくりの人影が…見間違い??…いえ、よく見ると間違いなくウチの息子です。ピンチヒッターに抜擢してもらったようで親としてはドキドキもので心臓が口から飛び出しそうな勢いでした。そんな親心も後目に息子は落ち着いたものでファウルファウルで粘り続け5球目はボール、しっかりボールを見ています。そして第6球目、カキ~~ンと快音が響きました。『打った~~~!!』一緒に行った次女と二人思わず周囲のことも忘れ興奮して大声で叫んでしまいました。ライト前ヒット!です。これまで息子から練習は見に来なくて良いと言われていたので私が見た息子の初の勇姿でした。試合の方は息子は3塁まで進塁したものの残念ながら負けてしまいましたが…。帰りの車の中『すごいねすごいね!』褒めちぎる母と姉に「ぜんぜんたいしたことないよ…」照れ笑いする彼でした。息子が誇らしく一回りも二周りも大きく見えた瞬間です。
May 7, 2005
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事務処理能力のことで部下に注意をしたら逆切れして彼女の親から抗議電話が入ってきました。(彼女は年齢で言えば30を越えた立派な大人です)お父様によると『私が一方的に彼女をいじめ、退職を強要している』と言う内容でした。事実無根の抗議に、腹が立つと言うより正直情けない思いでいっぱいで哀しくて泣けてきました。。。そんな低い次元でできるほど柔な仕事はしていないつもりです。自分の業務の煩雑さから毎日が過重労働で現場のスタッフとゆっくりコミュニケーションがとれないことは最近の自分の課題でもありました。一人の部下をいじめる精神的なゆとりも体力も時間もないのが事実です。ウチの職場ではみんな現場でいろんな困難を背負って仕事をしているのでせめて事務所内はではできるだけ和やな雰囲気を作りたいと考えていました。和やかで穏やかなホッとして安心して帰ってこれる場を作りたかったのです。だから私は部下の失敗に声をあらげたことも叱責したこともありません。注意をした彼女は事務の仕事をしています。仕事のできない人と仕事をしない人は違います。残念ながら彼女は前者で、言っても言っても理解ができない注意しても注意しても同じ失敗を繰り返す適正という意味ではこの仕事は向いていないようです。それは彼女がこの職場に入って2~3ヶ月で露呈していました。ただ、私としては彼女の可能性に賭けてみたい部分があり彼女を育成するのも私の務めと考え根気よく注意をしてきたつもりでした。事務のミスは自拠点だけでなく、他事業所の関係者、会社にも大きな損失や迷惑をかけてしまうのです。そのことで一緒に机を並べて仕事をするもうひとりの事務員にはずいぶん負担にもなっていましたし、ストレスにもなっていました。隣でいつも他人のミスの尻拭いをさせられ陰で泣いていたのも知っています。自分には無関係な凡ミスの連続にもそのことに不平不満を言うでもなく一生懸命彼女の尻拭いをしてくれるそんな周囲にも恵まれていたことを残念ながら彼女はちっとも気づいてくれていませんでした。それでも愛情を持って育てたいと折に触れ個人的に注意をしてきました。業務処理能力のこと、仕事の進め方、優先度のこと…etc.‘個人的に’と言うのは彼女のプライドを尊重してのことだったのですが残念ながら今回はそのことが裏目に出てしまったようです。私の真意は理解くれようとせず、自分が注意されたことに対してそれを親を使って‘いじめ’だと会社に抗議してきました・・・そのことで社内で業務を続けたいと願う彼女にとって結果的に自分の進路をたつような行為だと言うことに彼女は気づいていません。彼女の雇用期間は1年更新です。更新時期が近づいてきました。この先彼女の仕事の仕方を変えることは無理だと判断しました。もう一人の事務の子ももういっぱいいっぱいだと言うことを承知しています。それは職場のほかのメンバーにとっても周知の事実となっています。このままここへ彼女を置いておくことでこの職場の雰囲気そのものが崩れてしまうと考えました。苦渋の選択で‘更新はない’と彼女に伝え、会社には部署替えを依頼しました。困ったことに今回親が出てきたことで彼女の次の受け入れ先がなくなっています。。。
May 4, 2005
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今日も紆余曲折ありましたが…まずは、総合病院の内科に紹介され「これは内科と言うより皮膚科でしょ?!」と紹介先の内科から皮膚科を紹介されやっと、皮膚科の穏やかそうなドクターに行き着きました。診断は『血管炎』アナフィラクトイド紫班と言って発熱後等、体の中に進入したばい菌の死骸が皮膚の下の小さな血管の中でアレルギーを起こし炎症を起こした結果出血斑が出るのだそうです。「体調が悪いときに起こりやすい」と言われれば思い当たるフシが沢山あり妙に納得できました。ただ、まれに腎臓で炎症を起こすことがあるらしく今も血尿や蛋白が出ているのでしばらくはあまり疲れないよう安静にすることと定期的に経過観察をしていくと言うことになりました。これで一安心。。。です。クラス替えや部活のこと等結構打たれやすい性格の彼女にはストレス反応が強く出過ぎたのでしょう。しばらくはゆっくり静養させてあげたいと思います。…が、日曜日は試合でどうしても行きたいとだだをこねてます。(ちなみに彼女ラグビー部のマネージャーやってます)
Apr 15, 2005
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次女の体調がずっと思わしくなく変な発疹が体中にできてしまいました。この変な発疹、結構頻回にでていたのですが特に痛くも痒くもなく広がる様子もないので気にはなるけど放置していたのが正直なところでした。…と言うより、以前保健室の先生に受診を勧められ診てもらった皮膚科で「汗腺が炎症を起こして」と言われたのですが汗腺のないようなところの発疹だったので「そんなわけないじゃん、ヤブ!!」と娘が憤慨してその後病院へは行きたがらなくなりました。ところが今回発疹がどんどん悪化し放置できない状態になってしまいかかりつけの内科医院を受診しました。1週間ほど前に熱が出たり喉が痛かったりその後手のひらの皮がむけたり溶連菌感染症と言う言葉が思い当たりドクターに相談してみました。そこで血液検査をしたのですが若干出血傾向が高めくらいで特に以上はありません。尿検査の結果蛋白と潜血が陽性だったため専門医の受診を進められ紹介状を書いていただきました。アレルギー性紫班病の疑い とのことです。そのときのドクターの言葉が「これは病院に行った方がよいですよ!」だったもので私はこみ上げる笑いをこらえるのに必死。。。診療所と病院の違いをここで説いたところで理解する訳でもなし「ここは病院じゃないのかよっ?!ヤブ!」と娘またもや憤慨。結局、明日総合病院を受診することになりました。。。
Apr 14, 2005
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よい季候になりました。桜が満開、絶好の花見日和です。今晩は久しぶりに家族揃って夜桜見学にでも出かけてみましょうか♪最近、ちょっと気になるお店を発見しました。ちょうど出張の行き帰りの道端でたまに出る『米粉パン』の幟 すごく気になっていました。いつも開店しているわけではなく出張の帰路はすでに閉店と言うことが多くこないだ初めて立ち寄ることができました。小麦粉でなくお米の粉で作ったパンなのだそうです。それがもっちもちで絶品!!!というほかありません。開店は火・土・日だけで営農センターで地区のお母さんたちが作っているそうです。一家で病みつきになって、週末には娘を誘いドライブがてら買いに出かけます。ちょうど焼きたてに出くわすことも多くそれはもう、幸せ~~~~~~な気分を味わえます。我が家からは小一時間かかるのですが今日は春の花、桜もこぶしも満開で絶好のドライブとなりました♪
Apr 9, 2005
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