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「アルゴ」 ARGO 2012年 アメリカ映画監督・主演 ベン・アフレック 昨年のアカデミー作品賞を受賞した作品です。 対応がうまくなく、事件を長引かせたということで、当時のカーター大統領の大統領選敗退の一因となった、1979年のイランアメリカ大使館人質事件の際、脱出した6人の職員を、映画製作スタッフであるという一芝居で、国外脱出させた作戦を描いた作品です。 事件解決のため一芝居を打つという、まるで吉本新喜劇のようなお話が、アカデミー作品賞を受賞したということで、いったいどんな話なんだろう(コメディ?)と、小学生の頃から土曜お昼の「よしもと新喜劇」(TV番組名は“よしもと”がひらがなです。)の放送を楽しんでいる僕は、非常に興味を惹かれました。お盆休みで、久々に時間ができ、久々にDVDレンタルに行った僕は、1も2もなく、この作品を借りてきたのです。 イラン革命真っ最中の1979年、イスラム過激派グループがテヘランのアメリカ大使館を占拠し、52人のアメリカ人外交官が人質に取られるという事件が起きます。 しかし、占拠される直前、6人のアメリカ人外交官は大使館から脱出し、カナダ大使公邸に匿われていました。 CIA工作本部技術部のトニー・メンデス(ベン・アフレック)は6人をイランから救出するため、『アルゴ』という架空のSF映画をでっち上げ、彼らをそのロケハンのスタッフに身分偽変させ、脱出させるという作戦を立てます。 正直に言わせてもらうなら、「これのどこが作品賞????」というのが率直な感想です。 「ハート・ロッカー」のような異常なる緊迫感や、「シンドラーのリスト」のような大いなる感動や、「ラスト・エンペラー」のような圧倒的な迫力や、「ロード・オブ・ザ・リング王の帰還」のような壮大な世界観や、「スティング」のような観客全員が騙されたどんでん返しや、「羊たちの沈黙」のような心の芯から感じる恐怖など、作品賞を受賞する作品には、それなりの理由が必ずあるのです。 確かにどう考えても駄作ではありません。実在の事件の顛末を淡々と丁寧に描いており、ラストでは6人の大使館職員が無事脱出(実際の事件のため、結果は明白ですので、あえて結末を書かせていただきます)できて、安堵感を得ることはできました。 しかし、主人公トニーや6人の心理描写はいまいちですし、ギリギリ脱出していく緊迫感はいまいち感じられません。 作品賞を受賞する、つまりこの年アメリカで公開されたもっともすばらしい映画作品として選ばれるにふさわしいだけの感動を感じられなかったというのが、正直な感想なのです。 いったいこの映画のどこに、「レ・ミゼラブル」や「リンカーン」や「ライフ・オブ・パイ」を抑えて、ベスト・ワンに選ばれた要因があるのでしょうか。 思うに、物語の題材が、アメリカ合衆国のために英雄的に働いた男の実在の物語であるということが大きな理由ではないでしょうか。 話によると、題材となった、この世界的大事件(イランアメリカ大使館人質事件)に付随する事件は、事件当時A級国家機密として、CIAの関与は完全に伏せられ、在イラン・カナダ大使の個人的協力によって解決した事件として報じられていたのですが、最近機密扱いが解かれ、真実が明らかになったのだそうです。 どうやら、作品賞受賞の陰に政府の意向が大きく働いているようで、非常に嫌な感じがします。アメリカのショービジネス界には、そういう政治的な傾向はないものだと勝手に思っていました。なんかガッカリです。 ということで、純粋に物語の感動を味わえず、ある意味非常にアメリカ的なにおいが満載な映画を、今回は紹介しました。 ちなみに、僕は吉本新喜劇定番の劇中一芝居の中では、辻本茂雄座長演じる茂造じいさん(辻本座長お得意のキャラクターで、わがままで自由奔放なじいさんです。)が、一芝居の役を割り振られ、「許してやったらどうや。」(独特のイントネーションです。)とか、「愛し合っているんや。」といったセリフを練習しているところが大好きです。(しかし、お決まりのパターンとして、その一芝居は失敗することが多いのですが。)
2014.08.11
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「アメイジング・スパイダーマン」 The Amazing Spider-Man 2012年 アメリカ映画監督 マーク・ウェブ出演 アンドリュー・ガーフィールド エマ・ストーン リス・エヴァンス マーティン・シーン サリー・フィールド 前回の記事が5月8日なんですね、ずいぶんご無沙汰になってしまいました。しかし、この間、このブログの閲覧者が若干ですが増えつつあります。う~~ん、こんな、わがままいっぱいの自分勝手なブログ、たくさんの方々に見ていただいていて非常に恐縮です。これからもなかなか更新できないことがあるかと思いますが、飽きずにご贔屓くださるとありがたいです。 さて今回は、「アメイジング・スパイダーマン2」の宣伝のため、TV放送していた前作です。TV放送を録画していたものを、やっと観ることができました。前シリーズのサム・ライミ監督が突然降板したため、監督・キャストを一新してリニューアルされた新シリーズの第1弾です。 両親を亡くし、叔父のベン(マーティン・シーン)と叔母のメイ(サリー・フィールド)の許で育てられたピーター・パーカー(アンドリュー・ガーフィールド)は、ある日、自分の父親が残したバッグに隠された資料をみつけました。 父について知りたいピーターは、父の研究者仲間だったコナーズ博士(リス・エヴァンス)に近づき博士の授業に参加します。しかし、単独で行動し侵入した部屋で遺伝子の組みかえられたクモに刺され、博士の下で勉強している同級生のグウェン(エマ・ストーン)に追い出されます。しかし。その帰りの電車の中、ピーターは驚異的な力に目覚めてしまいました。 翌日、ピーターは博士の家を訪ね、父親の資料にあった計算式を教えます。 その夜、帰宅したピーターはベンと衝突し、いきなり家を飛び出します。しかし、ピーターの後を追い、外へ出たベンは、ピーターが見逃した強盗に殺されてしまいます。 おじを殺した犯人を捜し出すため、ピーターはクモをモチーフとしたスーツを着、スパイダーマンとなって、夜の街に飛び出していくのです。 一方、コナーズ博士は、ピーターの教えた式によって作った薬を自分自身に投与します。しかし、完成したと思われていた薬は不完全なもので、博士はトカゲ男“リザード”に変身してしまいます。リザードの正体を博士と知ったピーターは、彼を止めようと決意します。 なかなか面白いエンターテイメント作品でした。ビルの間を飛び交うスパイダーマンのアクションを斬新なカメラアングルで映し出していて、なかなか見ごたえがありました。若干ご都合主義的なところとか、ピーターが自分からマスクを取ったりする場面があったりして、ヒーローもののお約束がないがしろになっているところなど、気になる部分がありつつも、まあ、ヒーローものエンターテイメントとして、非常に楽しく観賞させていただきました。 しかし、やっぱり僕は、サム・ライミ版のシリーズが好きです。(その理由の大半は、ヒロインMJ役のキルスティン・ダンストにあるのではないかと、以前からこのブログを御覧の方々は、ご推測なさるかと思いますが、それは秘密です。) 前シリーズのサム・ライミ監督は「4」を撮る気満々だったため、「スパイダーマン3」は完結していません。以前の僕に記事でも書いているように、「スパイダーマン」は、主人公が成長途中にある若者(「1」では高校生、「2」「3」では、大学生です。今回の新作でも、高校生から始まっていますね。)で、道を誤ったり悩んでしまったりして行く中で、人間的に成長していくという、ピーターとヒロインの成長物語としての側面があり、僕はそこが気に入っています。 だから、やっぱりサム・ライミ版で、トビー・マグワイアとキルスティン・ダンストの物語の続きが見たかったのです。 しかし、監督は完全にへそを曲げてしまっているようですし、いくら童顔とはいえ、すでにアラフォーのトビー・マグワイアが大学生役というのはさすがに無理があるので、今さら実現不可能であることはわかりますので、非常に残念な思いを抱いてしまいました。 ということで、新しいシリーズのエンターテイメントを楽しみながらも、残念な思いを募らせてしまったというお話でした。 でも、「アメイジング・スパイダーマン2」も楽しみです。(もちろんわかっていると思いますが、僕が観賞するのは1年以上後のことになると思いますけどね。)
2014.08.06
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「相棒シリーズXday」 2013年 日本映画監督 橋本一出演 川原和久 田中圭 国仲涼子 別所哲也 田口トモロヲ 山西惇 木村佳乃 六角精児 及川光博 水谷豊 現在僕がはまっているたった1つのTVドラマ、「相棒」のスピンオフ作品です。このほど、「劇場版 相棒III」の宣伝のために、TV放映していましたね。 今回の主役は、何と“トリオ・ザ・捜一”のリーダー格、刑事のカンを大切にし、頑ななまでの現場主義を貫き、常に“特命係”を邪険にしながらも“警部殿”の推理力には一目置いている、捜査一課の伊丹刑事(川原和久)です。 そしてその“相棒”を務めるのは、シリーズ初登場、IT企業をバブル崩壊のためリストラされ、警視庁サイバー犯罪対策課に転職してきた、ちょっと人付き合いが苦手そうな現代っ子、岩月刑事(田中圭)です。 燃やされた百万円入りの封筒と、ビルから落下して死亡した男性が発見されます。 捜査へ乗り出した警視庁捜査一課の伊丹らは、被害者が東京明和銀行システム部の中山と知ります。そこへ、警視庁サイバー犯罪対策課専門捜査官の岩月が現れます。中山はjuctice11というハンドル名で、ネット上に不信なデータを配信していたため、サイバー犯罪対策課がマークしていた人物だったのです。 警視庁はこの不可解な事件の調査を始めますが、殺人事件の捜査は自分の担当ではないと事件に協力姿勢を見せない岩月に、証拠は渡さないと伊丹は腹を立てます。 中山の自宅を捜査する伊丹たちは、鑑識課・米沢(六角精児)から中山には恋人がいた事、juctice11のデータは、中山のパソコンから配信された事実などを知ります。 中山雄吾殺人事件の捜査本部が警視庁に立てられることになり、伊丹はいつも行動を共にしている同じ捜査一課の三浦や芹沢とは別動班として捜査に当たることになります。 東京明和銀行システム部で中山の上司にあたる朽木(田口トモロヲ)に接触を図る伊丹だが、そこにjuctice11のアップしたデータについて確認に来た岩月も合流します。 データが流出していたことを驚く朽木は、このデータをただのマニュアルだと答えるが、彼の態度に不信を覚えた伊丹はデータの提出を要請します。 また、中山の恋人である美奈(国仲涼子)に会うため、伊丹らは、東京明和銀行を訪れます。美奈は恋人の死に対してもどこか余所余所しく、中山がアップしたデータについても知らないと答えますが、何らかの隠し事がある様子です。 その頃、警視庁組織犯罪対策部では第5課長角田(山西惇)らが、最近羽振りが良くなり覚せい剤の買い占めを行っていた暴力団事務所の強制捜査を行い、麻薬を押収して抵抗する組員たちを逮捕していました。そこで角田らは、事務所の奥で1人の青年が扱っていた大量のコンピュータでの証券取引のデータを目にします。 一方、テロ対策としてネット監視の法案設立を目指す総理補佐官の片山雛子衆議院議員(木村佳乃)に、財務省族議員の戸張(別所哲也)が接触を図ってきていました。片山の法案に興味があり、勉強会を開きたいという戸張の目的を計り兼ねる片山は、彼らに何か不祥事が起きていなかったかの調査を行い、ネットに流れていた中山のデータへと辿り着きます。 片山は、法案の主導権を握りたいという戸張の思惑を阻止するため、警察庁長官官房付の神戸(及川光博)に声を掛け、勉強会には警察庁からも参加してくれるように促します。 神戸は片山から預かったデータを解析するため、ロンドンにいる杉下(水谷豊)に連絡を取ります。 いやあ、面白かったですね。「相棒」の劇場版の中では1番面白いんじゃないですか? なんといっても、「相棒」のレギュラーキャラの中で、1,2を争う個性派の伊丹刑事を主役に抜擢したところ、そしてその相棒に、現場主義・足で稼ぐ派というアナログを絵にかいたような伊丹刑事と真逆なIT刑事・岩月を持ってきたところが最高ですね。 この真逆な2人が、不本意ながら“相棒”として捜査を進めるうちに、それぞれの良さに気付き、互いを認め合うようになっていく、その描写が何とも言えませんね。 また、事件の背景に国家的陰謀(詳しくはネタバレなので語りません。)があるのですが、伊丹刑事が主人公なため、そこまで言及しないまま(というか、伊丹刑事はそこまで気づいていません。)、話が終わっているところも面白いです。これが右京さんが主人公でしたら、国家的陰謀に気づき、とことん追求するまで話が終わらなくなってしまって、大混乱になってしまったところでしょう。何しろ、神戸君に電話で話を聞き、流出データのコピーをFAXしてもらっただけで、事件に裏があることに気付いてしまったくらいですからね。 また、個人的には、いつも「暇か?」と特命係の部屋(警視庁組織犯罪対策課の奥にあります。)へやってきて、思わずTVの前で「お前の方が暇だろう!!」と、ついツッコミを入れてしまう、角田警視庁組織犯罪対策第5課長が、ちゃんと自分の仕事、つまり暴力団事務所への家宅捜査(いわゆるガサ入れというやつですね。)をして、暴力団相手に立ち回りをするかっこいい姿や、その取り調べで、相手の虚を突いて、証言を引き出す姿など、やり手なところを見せていたところが非常に楽しかったです。さすが京大卒ですね。(笑) ところで、ひとつ気になるところがあるのでツッコませてください。 それは、東京明和銀行システム部の朽木という、今回の被害者中山(データ流出事件に関しては加害者ですが。)の上司にあたる人物についてです。 なんかこの人物、大手銀行の責任ある立場にある人物として、あまりにも小心者過ぎないですか?伊丹らの事情聴取に対して、見るからに動揺しすぎてますし、データの流出がまだ続いていると聞いて、すぐに削除に走るなど、慌てているところが見え見えな行動が目立ちますし、最後には、追い詰められてなりふり構わず逃げ出してしまいます。 どうやら、この流出データの裏、つまり国家的陰謀についても知っている立場にあるようですし、こんな小心者がそんな重要な地位にいていいのでしょうか? もちろん、お話としては、こういう人物がいなければ、事件解決が進んでいかないというのはわかりますが、我が国の経済を左右しかねない大手銀行の責任ある地位で、国家的陰謀の一翼を担っている立ち位置に、彼のような小者がいるとしたら、不安でたまらないのではないでしょうか。 まあ、これはお話の中だけのことで、実在の大手銀行や官庁などの責任ある立場には、こういう人物はいないであろうと信じていますが。(希望と皮肉を込めて。) ということで、大人気シリーズのスピンオフ作品で、本筋ではないにもかかわらず、意外としっかり作ってあって、楽しい作品でした。 今公開中の「劇場版 相棒III」も楽しみです。(でも、僕が観るのは多分1年以上先ですけどね。) ちなみに、この後、本編のTVドラマ(season11.12)に、岩月刑事がたびたび出演しているのは言うまでもありません。
2014.05.08
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「クローン」 IMPOSTOR 2001年 アメリカ映画監督 ゲイリー・フレダー主演 ゲイリー・シニーズ 「宇宙兄弟」23巻、買いました。読みました。そして、泣けました。特に、せりかさんのお父さんのビデオのところで。そういう感動ポイントが映画にはなかったんですよね。特にシャロン関連のエピソードは、思わず涙が潤んできてしまいます。前回書き忘れていましたので、書かせていただきました。 さて、今回は、先日「ドライヴ」をレンタルしてきたときに一緒にレンタルしてきた無名映画を紹介します。どうも、DVDレンタルに行くと面白そうな無名映画を探すのが癖になってしまいましたね。(大半は玉砕します。) 「アポロ13」「フォレスト・ガンプ 一期一会」で見事な存在感を出していた名脇役、ゲイリー・シニーズ主演で、「ブレードランナー」「マイノリティ・リポート」の原作で知られる、フィリップ・K・ディックの小説を原作とした、近未来SFです。 西暦2079年。地球は異星人との戦争状態にあり、青い空と豊かな大地の大半を失った人類はドーム都市での生活を強いられていました。 天才科学者スペンサー・オーラム(ゲイリー・シニーズ)は、その夜、軍の極秘プロジェクトの議長との会談を控えていました。 しかし、スペンサーはオフィスへ向かう途中で保安局のハサウェイ少佐に逮捕されてしまいます。その理由は、本物のスペンサーはすでに殺されていて、今いるスペンサーは異星人によって造られたクローンであり、体内には爆弾が仕掛けられ標的に近づくと爆発するから、ということでした。 全く身に覚えがないスペンサーは、このままでは処刑されてしまうと考え、一瞬のスキをついて脱出、自分が本物のスペンサーであることを証明するため、執拗な追跡をかいくぐりながらある場所を目指すのでした。 なかなか面白かったですね。 まあよくありそうな冤罪的逃走劇なのですが、逃走しつつも疑いを晴らすために危険なある場所(一応秘密にしておきましょう。)へ行かなければいけない、どう工夫するかの頭脳戦、こういうのは大好きです。アクション的には今ひとつの感が無きにしも非ずですが、けっこうハラハラして、のめりこんで観賞することができました。最後に見事などんでん返しもありますしね。 しかし、いかんせん、脇役としては定評のあるゲイリー・シニーズですが、あのどう見ても悪役顔が主演で、他に名の通ったスターは誰も出ていない、というB級感満載なところが残念ポイントですね。 フィリップ・K・ディック原作なのですが、他の(「ブレードランナー」ハリソン・フォード、「マイノリティ・リポート」トム・クルーズ、「トータル・リコール」アーノルド・シュワルツェネッガー、「NEXT」ニコラス・ケイジ)が、押しも押されぬ大スターを主演に持ってきて、大ヒットしていることを思うと、非常に残念に思いますね。 監督もあまり有名な人ではないですし、きっと予算も少なかったんだろうなあ、残念です。 もっともっと製作費があって、大スター主演で作っていれば、「クローン」なんて、適当な邦題つけられることもなかったのにね。 「この映画、邦題どうする?」 「主人公がクローンかどうかって話だろ?『クローン』でいいじゃん。」 「そうだね、どうせヒットするわけないしね。」 「そうだよ、主演も、監督もよく知らないやつだし。」という残念な会話が、配給会社の片隅で有ったことが想像(妄想?)されます。 ということで、レンタルビデオ屋の片隅で見つけてきた無名のSF映画が、意外と面白かった、というお話でした。時々こういうことがあるので、レンタルビデオ屋で無名映画を物色するのが、辞められないんですよね。(玉砕することの方が多いけどね。) ところで、誤解のないように書いておきますが、僕はゲイリー・シニーズさんは大好きですよ。主人公を支えるキーマンになる脇役をやらせたら天下一品だと思っています。 概して僕はこういう演技力が確かな渋い名脇役の人は好きです。ゲイリー・オールドマンとか、モーガン・フリーマンとか、ウィレム・デフォーとか、ティム・ロビンスとか、時として主役を喰うような存在感を出してくれますからね。
2014.04.02
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「宇宙兄弟」 2012年 日本映画監督 森義隆出演 小栗旬 岡田将生 麻生久美子 堤真一 マンガ「宇宙兄弟」は大好きです。単行本はもちろん購読しており、次の23巻を心待ちにしています。 理系男子だった僕は、当然のことながら宇宙も大好きで、アポロやビッグバンや相対性理論や彗星や宇宙人(科学的なものに限る)など、宇宙に関する本なども、以前に語った恐竜の本の隣にたくさん並んでいます。 そんな僕ですから、子どもの頃漠然と宇宙飛行士になりたいと思ったことがあります。近所の公園のジャングルジムを宇宙船にたとえて遊んだりしていました。でも、僕が少年時代を過ごした70年代、アポロが盛んに月を目指していた時代ですが、日本の片田舎の少年にその夢をかなえるすべなどあるはずもなく、いつの間にか、はかなく消えていった夢だったわけです。(だから、僕はマンガを読みながら、同年代の福田さんをひそかに応援していました。一方で無理だろうなとも思いながら。) そんなわけで、マンガ「宇宙兄弟」にはまっています。(ちなみに、今はまっているマンガは、他に「ONE PIECE」「BLEACH」「花よりも花の如く」「海街Diary」です。単行本の発売を心待ちにしています。) そんな「宇宙兄弟」が実写映画になったということで、しかも、ニュースなどで見る、主演の2人の風貌が、マンガのイメージにぴったりということで、非常に期待してしまったわけです。今まで何回も何回も好きなマンガの実写映画化に裏切られてきたことも忘れて。 2006年7月9日、謎のUFOを目撃した南波六太(ムッタ)と弟の日々人(ヒビト)は、「一緒に宇宙飛行士になろう」と誓い合います。 19年後の2025年、夢を叶え宇宙飛行士となった日々人(岡田将生)は、第1次月面長期滞在クルーの一員として、間もなく日本人初となる月面歩行者として歴史に名を残そうとしていました。 一方、兄の六太(小栗旬)は、勤めていた会社をクビになってしまい、鬱屈した日々を送っていました。 そんな六太の下に、JAXAから宇宙飛行士選抜の書類審査通過の通知が送られてきます。それは、共に宇宙を目指すという夢を諦めない日々人が応募したものでした。 いつの頃からか、宇宙飛行士になることを諦めていた六太は、再び宇宙を目指すことを決意するのです。 結論から言いますと、やっぱりがっかりしました。 もちろん、原作通りのわけないのは重々承知していましたが、でもやっぱりガッカリしました。 何かやたらと急いでいる感じがして、省略されている部分がやたら多くて、まるで連続ドラマのダイジェスト版を見せられているかのような印象を受けました。物語に全く深みがなく、表面だけさらっとなぞっているかのような感じでした。 特に残念だったのは、ムッタとヒビトの兄弟の宇宙への夢に1番影響を与えた、天文学者シャロンの存在をそっくり省略してしまった点です。 この物語の中でムッタとヒビトとシャロンの交流の描写(特に子ども時代の描写)は、2人が宇宙への夢を膨らませると同時に、2人の性格や能力がどのように形成されてきたかを語る重要な部分です。 そんな物語の根幹にかかわる重要な、シャロンとの交流の部分がそっくり省略されているために、2人の宇宙への夢がUFOを目撃したためという非常に薄っぺらいものになってしまっていますし、まるでムッタが選抜試験でヒビトの兄ということで贔屓されているような感じになってしまっていますし、ヒビトが月面での第一歩で「イエーイ!!」と叫びジャンプするというチャラ男になってしまっています。 また、ムッタの選抜試験の描写も非常に簡略化されていて、非常に薄っぺらいものになっています。 この物語のいいところは、登場人物それぞれのドラマがしっかり描かれており、それぞれの長所短所・行動原理が手に取るようにわかり、それぞれが愛すべきキャラに描かれていることです。 しかし、その描写がやたらと省略されていたおかげで、ケンジはやたらと正論を吐くだけの、鼻につく優等生になってしまっていますし、やっさんは文句ばかり言うただの癇癪持ちになってしまっていますし、福田さんは全く空気が読めないただのお荷物な年よりになってしまっています。ヒロインになるはずのセリカさん(麻生久美子)にムッタが一目ぼれする描写もあいまいでしたし、彼女の個性的な性格(はっきり言って天然です。)も全く描かれていません。JAXAの試験管の星加(堤真一)に至っては、過去の思いだけを大切にする、公私混同男という、重い責任を担うには最もふさわしくない人間になってしまっています。 なぜこんなことになってしまったのでしょうか、監督や脚本家が読解力や構成力に乏しく、物語のテーマをしっかりと理解して再構成できなかったからでしょうか。 思うに、1番の原因は、単行本9巻にあるヒビトの月面事故まで描こうとしたからではないでしょうか。 以前にもこのブログで語ってきたと思いますが、僕は1本の映画で描けるのは漫画の単行本5巻ぐらいが限界だと思っています。それでも、余分な描写を削って再構成するという作業は不可欠で、全く省略せずに物語をそのままに描こうとすると、2,3巻が限界でしょう。第9巻の内容まで描こうとしたら、省略しまくらにゃならないのは当たり前です。 確かにムッタの試験とヒビトの月面ミッション、この2つが終わるまでは物語がひと段落しないので、仕方がないのかもしれませんが、何とかならなかったのでしょうかね。まあ、今の日本映画界の現状では、初めから3部作で作るという「ロード・オブ・ザ・リング」のようなことは、なかなかできないのでしょうね。(「GANTZ」や「DEATH NOTE」の2部作、「20世紀少年」3部作という例もあるけどね。)でも、原作の良さをしっかり生かして作れば、3部作でも4部作でも原作ファンは観に行くと思うんだけどなあ。 結局、決定権を持っている偉い人が物事を理解できていないということなのですね。残念です。 ということで、やっぱりの結果になってしまったという、悲しいお話を今回はお贈りしました。 ところで、ムッタ・ヒビト・せりかさん、見事なキャスティングでしたね。まさにイメージ通りでうれしかったです。でも、JAXAの茄子田理事長が出てこなかったのは残念でした。非常に個性的で、好きなキャラなのに。 なお、原作を知らない人にはチンプンカンプンな文章になっていることをお詫びしておきます。
2014.03.17
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「ドライヴ」 Drive 2011年 アメリカ映画監督 ニコラス・ウィンディング・レフン出演 ライアン・ゴズリング キャリー・マリガン 久しぶりに、DVDをレンタルしてきました。 久しぶりにレンタルするにあたって、何を借りようかなと思った時、とても観たいと思っていたのに、行きつけのレンタルビデオ屋(おなじみの夢○書店です。)では、おすすめコーナーにずっと置いてあって、いつ行ってもレンタル中で借りられなかった作品があったことを思い出したのです。 ということで、今回は、僕の大好きなキャリー・マリガン出演で、カンヌ映画祭の監督賞をはじめ、いろいろなところで賞をもらっている、この作品についてお送りします。 天才的なドライビングテクニックを持つ寡黙な“ドライバー”(ライアン・ゴズリング)は、昼は映画のカースタントマン、夜は強盗の逃走を請け負う運転手というふたつの顔を持っていました。 家族も友人もいない孤独なドライバーは、ある晩、同じアパートに暮らすアイリーン(キャリー・マリガン)と偶然エレベーターで乗り合わせ、一目で恋に落ちてしまいます。 不器用ながらも次第に距離を縮めていくふたりだったが、ある日、アイリーンの夫スタンダードが服役を終え戻ってきます。本心から更生を誓う夫を見たアイリーンは、ドライバーに心を残しながらも家族を守る選択をします。 しかし、服役中の用心棒代として多額の借金を負ったスタンダードは、妻子の命を盾に強盗を強要されていたのです。スタンダードに助けを求められたドライバーは、無償で彼のアシストを引き受けます。 計画当日、質屋から首尾よく金を奪還したスタンダードだったが、逃走寸前で撃ち殺され、ドライバーも九死に一生を得ます。 何者かによって自分たちが嵌められたことを知ったドライバーは、手元に残された100万ドルを手に黒幕解明に動き出すのでした。 なかなかいい作品でした。 天才的ドライバーが主人公(なぜか名前が出て来ません。その意味がよくわかりません。)ですが、そのテクニックを生かしたカーチェイスだけが見せ場ではなく(もちろんカーチェイスも見せ場の一つで、なかなか見ごたえありましたが。)、どちらかというと主役2人の不器用な恋愛が物語の中心です。 自動車整備工&カースタントマンとしてまじめに働く一方、強盗の逃がせ屋として裏社会に生きる男、実は訳ありな過去(劇中ではまったく語られておりませんが、そんな雰囲気を感じさせます。)がありそうな寡黙な男を演じるのは、ハリウッドでも最近注目株の、ライアン・ゴズリングです。 以前このブログでも取り上げ、さんざんこけおろした「完全犯罪クラブ」という映画でゲーム的に殺人を犯す、ちょい悪高校生を演じていた時は全くノーマークだったんですが、人形を相手に真剣恋愛をするシャイな青年を演じていた「ラースとその彼女」では、そのイメチェンぶりに驚かされ、この映画では、無表情で無口ですが、心の中には熱いものがありながらも、訳ありな過去のために積極的になれないでいるイケメン(でも、キレると怖い)を好演しています。確かに今後楽しみな俳優です。 そして、もう1人の主役、刑務所に入っている夫をけなげに待ちながら、細々と1人息子を育てていたが、突然現れた優しいイケメンに心を奪われつつ積極的になれないでいる、薄幸な女性、アイリーンを演じる、キャリー・マリガンですが、もう最高です。(はっきり言ってひいき目200%ですので、ご注意を。) 常に何かを訴えかけるような憂いを含んだ瞳、そんな目でじっと見つめられたら、この子を絶対に守ってやらねばと思わない男はいないでしょう。特に、出所してきた夫を祝うパーティなのに、なぜかその喧騒から離れ、廊下で1人物思いにふける彼女、もう、今すぐにその場へ飛んで行って思いっ切り抱きしめてあげたかったです。(でも、彼女が待っていたのは“ドライバー”ですけど。) 「わたしを離さないで」の時も思いましたが、なんでこの娘、こんなに薄幸な女性が似合うのだろう、笑顔はかわいいけれど、たれ目でちょっと上を向いただんごっ鼻で決して絶世の美女ではないのですが、思わず惚れてしまう魅力にあふれています。(ただ単に、僕の好みにドンピシャなだけという話もありますが。) ということで、改めてキャリー・マリガンが大好きだという気持ちを確認させられた映画でした。 「華麗なるギャッツビー」も絶対見なくちゃね。かつてのロバート・レッドフォード主演版で、ミア・ファローが演じていた役ですよね。
2014.03.12
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「ONE PIECE FILM Z」 2012年 日本映画原作・製作 尾田栄一郎監督 長峯達也声の出演 田中真弓他いつもの皆さん 大塚芳忠 篠原涼子 香川照之 大大大人気マンガ「ONE PIECE」は大好きです。もう半世紀ほども生きているおっさんが、こんなことを言うと、どこかの農薬混入犯(同年代)と同じように見られ、警戒されてしまうかもしれませんが、でも、やっぱり大好きです。 単行本はもちろんすべて購読、映画もほぼ観ております。(ただ、TVアニメの総集編である2本は観ておりません。)この映画もできれば映画館で観たかったのですが、様々な事情で観損ねていたところ、先日、劇場公開からまだ1年しか経ていないのに、地上波初放送されましたので、喜んで観させていただきました。(Fテレビの置かれている状況がそういうことなのでしょう。) 今回、「ONE PIECE」についての知識のない方には全く分からないかもしれませんが、今時そんな人はほぼいないと勝手に解釈して、お話させていただきます。 “新世界”のファウス島にある海軍基地が、“NEO海軍”と名乗る組織に襲撃されます。 そのリーダーは、全海賊の抹殺を目論む元海軍大将ゼット(大塚芳忠)です。彼らの目的は、巨大なエネルギーを持つ鉱物“ダイナ岩”を奪うことでした。ダイナ岩によって3つの火山島“エンドポイント”を破壊し、“新世界”の海ごと海賊を殲滅することを目論んでの行動でした。 部下のアイン(篠原涼子)・ビンズ(香川照之)と共に、ダイナ岩の奪取に成功したゼットは、海軍大将・黄猿と交戦しますが、その最中、ダイナ岩を起爆して大噴火を起こし、ファウス島を海に沈め、危機を脱しようとするのです。 一方、魚人島を出港し、新世界を航海中のルフィ(田中真弓)たち“麦わら海賊団”は、ダイナ岩の爆発に巻き込まれ、意識を失った状態で漂流していたゼットを助けます。 チョッパーの治療で目を覚まし、初めはルフィたちと和やかに話していたゼットでしたが、彼らが海賊だと知ると、突如態度を一変させ、襲い掛かってきました。 さらに、NEO海軍の旗艦“ホワイトタイガー”が現れ、幹部のアインとビンズも一味に攻撃してきます。 交戦中、アインの“モドモドの実”の能力により、ナミ・チョッパー・ロビン・ブルックの年齢が戻されてしまい、ゾロたちはビンズの“モサモサの実”の能力で動きを封じられ、ルフィもゼットの右手の武器“スマッシャー”(海楼石製)により、拘束されてしまいます。サウザンドサニー号もNEO海軍の集中砲火を浴び、半壊状態です。 窮地に陥ったルフィたちは、緊急の“クー・ド・バースト”で、何とか交戦海域からの脱出に成功します。 その頃、海軍本部では会議が開かれ、元帥サカズキ(元大将・赤犬)は、ゼットおよびNEO海軍の討伐を命令するのでした。 久々に見ごたえのあるお話でしたね。話を考えたスタッフの気合が見られた作品でした。 まず、話が単純でわかりやすいということ。なにしろ、最近の「ONE PIECE」ときたら、新しい話が展開されるたびに新しいキャラがドンドン出てきて、戦いも複雑怪奇になるばかりですから。(だいたいが”パンクハザード編”なんて、いちいちそれぞれがどこにいるか図解しながら話が進んでいきましたからね。きっと作者もこんがらがっていたんでしょうな。) それから何より、メインの敵キャラ、ゼットが非常に魅力的な人物に描かれているということです。 世界政府や海軍が唱えるような、自分たちに都合がいい“正義”に反抗して、“真の正義”を実現させようという理想が、彼の行動の原動力になっているからでしょうか。かつてサンジの師匠・赫足のゼフが言っていた、“腹にくくった一本の槍”を、ゼットも持っているということですかね。(ただ、3つのエンドポイントを破壊して“新世界”全体を壊滅させ、“新世界”の海賊たちを全滅させるという作戦は、”新世界”の一般住民たちも巻き添えにしてしまうので、いただけないですね。ちょっとお話が破綻していますか?) ということで、なかなか楽しんで観ることができましたが、やっぱり気になるところはありますので、少し語らせていただきます。 まず、そのすべてを破壊すると地下のマグマが連動して“新世界”全体が破壊されてしまうという、3つのエンドポイントについてです。 これって、どう考えても3つのエンドポイント(“ファウス島”“セカン島”“ピリオ島”という全くひねりのない単純な名前です。)は、“新世界”の入り口(“ファウス島”)、中ほど(“セカン島”)、ゴール付近(“ピリオ島”)という位置関係にあるということですよね。 クライマックスは当然のことながら、“ピリオ島”で最後の決戦ということになり、今は海軍をやめていて、結構“麦わら海賊団”に肩入れしている、元大将青キジ・クザンにエターナル・ポーズを渡されて、麦わら海賊団は“ピリオ島”にたどり着いています。 あれ???そんなに簡単にゴール付近の島へ行けちゃっていいの???? 物語全体の超基本設定を覆すような舞台設定でいいの???? それから、ゼットの腹心、かつての新兵の生き残り、アインの悪魔の実の能力“モドモドの実”についてです。 相手の年齢を12年(?)戻すというこの能力、20歳のナミは8歳の子どもに、17歳のチョッパーは5歳の幼児(でももともと小さいのでほとんど変わらない)に、30歳のロビンは18歳(実はうれしい)に、90歳のブルックは78歳のガイコツ(全く変わらない)に変えてしまったり、戦闘時には、固まった溶岩を溶かして相手の頭上に落とすという攻撃を行ったりしていましたが、はっきり言って、使えるかこの能力?なんか意味がなくない??? 映画オリジナルストーリーということで、原作には登場しないであろう“悪魔の実”の能力でなければならないという制約があるとはいえ、なんか無理やりすぎないか??? 二刀流でアクロバティックな剣技を繰り出す天才的剣士ということでよかったのではないでしょうか? しかも、NEO海軍の幹部で剣士ということで、ゾロと戦っていましたが、この物語に詳しい方はわかると思いますが、ゾロって女剣士は切れないんですよね。(女大好きのサンジはもちろん攻撃すらできない。) だから僕は、その次の実力者ロビンが戦うのかと思っていました。(彼女なら2回戻されてもまだ生きてますしね。) 結局、子どもに戻されてしまった可愛らしいナミを描きたかったということですか? あと、海楼石製の超兵器“スマッシャー”が壊れたのもなんか不可解ですし、空気に触れると大爆発を起こす“ダイナ岩”なる物質の存在も不可解(いったいどうやって存在しているのか?)ですし、いろいろと疑問の残る設定はありますが、何かと自分たちに都合のいい“正義”を振りかざす世界政府及び海軍に、本気で反抗する人物を登場させたということで、非常に骨のある話になっていて、たいへん気に入っている1本です。(“ケムリン”こと海軍中将スモーカーや、赤犬と決闘して海軍をやめた大将・青キジ・クザンや、子どもの頃のロビンと仲良しだった元海軍中将サウロなど、反抗しつつある人物は今まで登場してきていますが。) ところで、クザンの“ヒエヒエの実”の能力って、サカズキの圧倒的熱量を誇る“マグマグの実”の能力には決闘して負けていますが、黄猿・ボルサリーノの“ピカピカの実”とは相性がいいみたいですね。クザンが作る氷の壁は、ボルサリーノの光は乱反射して通過することができませんからね。 悪魔の実の能力って、必ずしも強力な能力(特に自然系)が強いわけではなく、その能力によって相性があるんですよね。エースの“メラメラの実”の炎が“マグマグの実”のマグマに適わなかったように、巷では最強と言われている神・エネルの“ゴロゴロの実”の電撃が、全身絶縁体である“ゴムゴムの実”のルフィには通じなかったように。
2014.02.13
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「ゲド戦記」 2006年 日本映画監督 宮崎吾朗声の出演 岡田准一 菅原文太 手嶌葵 風吹ジュン 田中裕子 香川照之 米アカデミー賞のノミネートが発表されましたね。巷では、宮崎駿監督の「風立ちぬ」が長編アニメーション部門に、森田修平監督の「九十九」が短編アニメーション部門に、日本人の前衛芸術家を描いたドキュメンタリー「キューティ&ボクサー」が長編ドキュメンタリー部門にと、日本関連のノミネートが多いことが話題になっています。(僕個人的には、昨年の主演女優賞受賞に引き続き、今回は助演女優賞にノミネートされている、僕のお気に入り女優のひとり、ジェニファー・ローレンスが受賞できるかどうか気になっています。) で、今回は、日本アカデミー賞優秀アニメーション作品賞(誤解ないように書いておきますが、これは、米アカデミー賞のノミネートにあたるものです。ベストワンは最優秀賞です。)と、蛇いちご賞作品賞(日本版ラジー賞、第1回作品賞はあの「デビルマン」です。)を同時に受賞するという有り得ない快挙を達成している(この事実と、毎年コナン映画が優秀アニメーション作品賞に入っていることも合わせ、日本アカデミー賞の背後には大人の事情的なものが存在しているという悲しい現実を実感しています。)、宮崎駿監督の息子宮崎吾朗氏の初監督作品、「ゲド戦記」について書かせていただきます。 僕はこの作品、不覚にもお金を払って映画館に観に行ってしまいました。そして、玉砕してしまいました。このほど、なぜか(一応ジブリ最新作「かぐや姫の物語」の公開に合わせてということでしょうか。)地上波放映をしていましたので、なぜ玉砕したのか確認しつつ、再観賞させていただきました。 多島海世界アースシーでは、世界の均衡が今、崩れつつありました。 魔法使いハイタカ(菅原文太)は、災いをもたらす者を突き止める旅の途中、エンラッドの王子アレン(岡田准一)と出会います。 父王を刺し、その父の持ち物であった魔法の剣を持って国を出たアレンは、実体の無い“影”に追われ、精神を病んでいました。 共に旅をするようになった2人は、ホート・タウンという町に辿りつきます。ここでも荒廃は人々を捉えていました。 2人は、その町外れに住むハイタカの昔馴染・テナー(風吹ジュン)の家に身を寄せます。そこには親に捨てられた娘テルー(手嶌葵)も住んでいました。 ある日、ハイタカが出かけている隙に近くの城に住む魔法使いクモ(田中裕子)の部下、人さらいのウサギ(香川照之)がやってきて、テナーを誘拐してしまいます。ハイタカを城におびき寄せようというのです。クモはかつて無法な魔法の使い方を戒められたことから、ハイタカに恨みを持っていたのです。 いろいろなところで酷評されている本作品ですので、同じことの繰り返しになってしまうかもしれませんが、僕が玉砕してしまった、その理由について、簡単に語りたいと思います。 まず、やはりジブリ作品では常に言われている、声優の問題について。 以前、「トトロ」の記事で同じ問題に触れた時には知らなかったのですが、宮崎駿氏がプロの声優を嫌っているんですね。確かに、只うるさいだけの思いっ切りぶりっ子な、いわゆるアニメ声と言われる、オタクたちに騒がれてカン違いしている最近の若い声優たちの声は僕も嫌いです。 でも、まったく抑揚のない棒読みの素人を使うよりはいいと思うんですよね。もちろん、誰のことを言っているのか、懸命な方はわかると思いますが、挿入歌(歌声は透明感があってきれいでした。)を優先した起用はなんか本末転倒ですよね。チョイ役ならともかく、なんと言っても物語の根幹を担うヒロインですからね。(「風立ちぬ」まだ未見ですが、庵野さんは大丈夫だろうか。)主役の岡田准一君(最近はV6の岡田君というよりは、主役を張れるスター役者ですよね。)も、普段の巧みな演技力からしたら、今ひとつな感が無きにしも非ずですし(声の質はぴったりでしたけどね。)、悪役・闇の魔法使い(“例のあの人”に比べたら思いっ切り小物ですが。)クモなんて、実は男性なのに、声が田中裕子さんだったので、途中まで女性と勘違いしていましたし。 「千と千尋」で出番は少ないが非常に印象に残る釜爺を好演していた菅原文太さんは、さすがの貫録でしたし、「八重の桜」でヒステリックなヒロイン(だから、明治になってからの八重は嫌いでした。特に時栄を追い出すところ、怖かった。銃を持って戦う姿はかっこよかったけどね。尚之助さんがかわいそうでした。)をなだめるおばあちゃんを好演していた風吹ジュンさんは、さすがな安定感でしたし、虚栄を張る小心者の悪役ウサギを演じていた香川照之さんもさすがです。「嘉永六年!」とかドスの利いた声で叫んでいた人と同一人物とは思えませんでした。(このギャグがわかる人は「水曜どうでしょう」の観すぎです。) まあ、プロの声優がどうこう、という前に、結局、上手ならどっちでもいい、ということですがね。 それから、いろいろな方が批判しているように、いろいろなところで説明不足で分かりにくいということです。 ドラゴンがこの世界ではどんな存在なのか?(ラストのあまりにも唐突な展開も含めてね。)、この世界における魔法の位置づけは?(ハリー・ポッターの世界のものとは若干違う感じでしたが。)、アレンが父王を殺した理由は?(心が闇に支配されていたという理由では納得できません。)、この世界における“真の名”の位置づけは?、クモとホート・タウン政府の関係は?(人の売り買いが堂々と行われていることと、それを指示しているのがクモらしいことから、クモがホート・タウンを闇から支配しているということはなんとなくわかりますが。)などなど、わからないことが満載です。 この映画、世界的ベストセラーだという原作の第3話をベースにしているという話ですが、本来このシリーズ、題名通り、ハイタカ(“真の名”ゲド)を主人公としているお話で、第1話第2話はしっかりその通りだそうですが、第3話から登場するアレンの話にだんだん変わっていくようです。(失礼ながら僕は非常に不勉強で、原作については全く知りませんでした。今回この記事を書くために急遽調べました。) しかし、考えてみれば、世界的ベストセラーの初映画化作品であるにもかかわらず、なぜ第3話なのか、普通、第1話から映画化するべきでしょう。 しかも、話によると、原作の「ゲド戦記」第3話「さいはての島へ」の基本プロットに、それに、宮崎駿の絵物語「シュナの旅」を原案にしているということで、監督の宮崎吾朗は「『シュナの旅』の登場人物に少しずつアレンジを加えていって、『ゲド戦記』の世界に近づいた感じです。」と語っているという。 これって、「ゲド戦記」という題名でいいの??? しかもしかも、話によると、試写会でこの映画を観た原作者のアーシュラ・K・ル=グウィンは、「私の本ではない。吾朗の映画だ。」と述べたということです。 なぜ、素直に第1話から作らなかったのか? なぜ、別の話「シュナの旅」が原案になっているのか? なぜ、原作とかなり違うのに、題名が「ゲド戦記」なのか? なぜ、宮崎吾朗初監督作品がこれなのか? なんかこれって、基本的に間違ってないか? ということで、根本的なところで疑問が生まれてしまう問題作なのですが、ジブリブランドのおかげで、大ヒットした作品です。 ところで、香川照之さんが芸達者なところを見せて好演していた、クモの手下ウサギって、「ナウシカ」の悪役、トルメキアの王女クシャナの参謀、計算高い腹黒い男、クロトワと同じ顔ではないですか?これは、かの手塚大先生の役者システムでも取り入れたか?とでも思ってしまいました。
2014.01.20
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「ステキな金縛り」 2011年 日本映画監督・脚本 三谷幸喜出演 深津絵里 西田敏行 中井貴一 阿部寛 小林隆 KAN 竹内結子 山本耕史 戸田恵子 浅野忠信 市村正親 小日向文世 草なぎ剛 生瀬勝久 佐藤浩市 深田恭子 篠原涼子 唐沢寿明 近藤芳正 新年あけましておめでとうございます。気が付いたら、12月1度も更新できず、いつの間にか年が明けてしまいましたね。このブログの数少ないファンの皆さん、今後、スローペースの更新になると思いますが、辞めるつもりはありませんので、今年もよろしくお願いします。 ということで、新年の1発目は楽しい映画をということで、三谷幸喜監督の新作「清州会議」の宣伝のためTV放映をしていた前作、「ステキな金縛り」について語ります。 宝生エミ(深津絵里)は失敗続きで後がない三流弁護士です。彼女が、最後のチャンスとして、上司の速水弁護士(阿部寛)から与えられた新しい仕事は、とある殺人事件でした。 妻鈴子(竹内結子)を殺害したとされた被告人矢部五郎(KAN)は無実を主張しています。なんと事件当夜、田舎の旅館の一室で金縛りにあっていたというのです。しかし、そのアリバイを証明できるのは一晩中彼の上にのしかかっていた落ち武者の幽霊だけです。 エミは五郎が泊まったというその旅館の一室に赴き、その幽霊、更科六兵衛(西田敏行)に会い、彼を証人として法廷に召喚します。しかし、その六兵衛の姿は、すべての人に見えるわけではなかったのです。 しかもエミの前には、一切の超常現象を信じない敏腕カタブツ検事、小佐野(中井貴一)が立ちはだかるのでした。 いやあ、面白かったですね。やっぱり法廷の証人に幽霊を引っ張り出すというアイデアが素晴らしいですね。そして、その幽霊が見える人と見えない人がいること、それから一切の超常現象を否定する敵方の敏腕カタブツ検事(中井貴一の見た目にぴったりです。)が、その幽霊を見える人だということですね。カタブツ検事の小山内が死んだ愛犬の霊の前でメロメロになるシーンなど圧巻です。 しかし、劇中の皆さんも途中で気が付いていたように、幽霊を証人に呼べるんなら、被害者を呼ぶのが1番手っ取り早いということには、僕は最初から気が付いていましたが、そうしなかったところが、また余計に面白いですね。 また、主要俳優陣のコメディに徹した演技が皆いいというところがよかったと思います。西田敏行・中井貴一・阿部寛は演技賞の常連で、その演技力はもう語るまでもないことですが、なんといってもよかったのは主演の深津絵里です。 彼女の演技力もすでに定評があるところですが、悪い男に魅かれてしまう平凡な暗い女でもなく、心の底ではやめたいと思いつつ捜査にむきになってしまう気の強い女刑事でもなく、男を翻弄しつつ結局はヤクザを捨てられなかった悪い女でもない、ドジっ子だけど真面目に頑張るカワイイ弁護士を、小悪魔的な魅力たっぷりに演じていてくれています。彼女の小柄で可愛らしい容姿に一番ピッタリな役で、その魅力を存分に発揮してくれています。彼女の引き出しはいったいいくつあるのだろうと、ますますファンになってしまいました。 浅野忠信、草なぎ剛、佐藤浩市、深田恭子、篠原涼子 唐沢寿明などなど、主役級のスターがどうでもいい役でチラッと出演しているのは、三谷映画として相変わらずですが、幽霊退散に躍起になって出て来るインチキ陰陽師の市村正親、落ち武者ヘアーが紛らわしいタクシー運転手の生瀬勝久、の件は小手先の笑いを求めているようで、完全に余分でしたね。 戸田恵子、小林隆、近藤芳正などなど、三谷映画の常連のみなさんは、相変わらず、それぞれいい味を出していましたがね。 でも僕が注目したいのは、見るからに気の弱そうなさえない男、被告人の矢部五郎を演じていたKANですね。そうです、かつて「愛が勝つ」という大大大ヒット曲を歌っていた、世間的には一発屋歌手と認識されているであろう、あの人です。 真犯人(冒頭で犯行シーンがあるので書いてもいいよね。でも実はここにもどんでん返しがあるんだけど。)である、被害者鈴子の双子の姉夫婦(竹内結子二役・山本耕史)にはめられてしまう、気の弱そうな情けない男を見事に好演しています。まあ、見た目が役柄にぴったりなんですけどね。あまりにも情けなさ過ぎて、初めは誰なのか全くわからなかったくらいです。(まあ、頭の中の選択肢に全くなかったからですけどね。)よく探してきたなあ、という感じですね。 ところで、はっきり言って映画とは関係ないところで、気になったことがあるのですが、それは、物語の中盤、自分のスタッフか友人かの前で、カタブツ検事が、幽霊などの超常現象を、非科学的だということで否定している場面があるのです(この場面で中井貴一が披露するマジックが実に見事なのです。)が、僕は理系男子として、非常に科学的な考え方から、彼の意見に反論したいのです。 現代の科学で証明できていないからといって、超常現象などを頭ごなしに否定する姿勢こそ、はなはだしく非科学的であると言いたいのです。 現代人類は、自然現象のすべてを解明できたわけではありません。近代以降、かなりの現象が科学的に解明され体系化されてきていますが、まだまだ分からないことはたくさんあります。だから、現在科学では解明できていないからといって、その現象を否定することはできないということです。間違いであるということも証明されていないのですから、あくまでも保留段階であるはずなのです。 実際、まじめな科学者で、霊体験や超能力を科学的に証明しようと真剣に研究している方はおられます。まだわからないことに対し、きちんと論理的に解明しようとする姿勢こそ科学的というべきで、否定の証明もされていない事柄について頭ごなしに否定する姿勢というのは全く科学的ではありません。 ということで、余計なことが気になりつつも、非常に大笑いして楽しめた映画でした。三谷映画としては、「ラヂオの時間」以来、大笑いできた映画でした。 ところで、小日向文世さん演じる段田という男、どうやら現世にさまよっている魂魄、更科六兵衛を魂送するために現れた死神のようですが、怪しげな陰陽師を“鬼道”で簡単に吹き飛ばしてしまった実力から考えるに、隊長格の死神でしょうね。何番隊の隊長なのでしょう? いろいろともイチャモンをつけつつも、三谷映画は好きなので、最新作「清州会議」も絶対見ると思います。特に、今回主役に抜擢されている大泉洋の素の面白さを、三谷監督がいかに引き出しているかに注目したいです。僕は、彼は、「水曜どうでしょう」で見せていた素のままの姿が一番面白いと思っています。なんか演技をさせると、なんか非常にオーバーアクションすぎて、というか、二枚目ぶり過ぎて、わざとらしさが目立ってしまうからです。楽しみです。
2014.01.02
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「相棒 -劇場版- 絶体絶命! 42.195km 東京ビッグシティマラソン」2008年 日本映画監督 和泉聖治出演 水谷豊 寺脇康文 川原和久 山西惇 六角精児 岸部一徳 鈴木砂羽 益戸育江 西田敏行 木村佳乃 本仮屋ユイカ 松下由樹 津川雅彦 平幹二朗 さて、みなさんの予想通り、前回の「相棒-劇場版II-」に続きまして、今回は「 I 」です。TV放送を録画しておいたものをやっと観ることができました。 人気ニュースキャスターの死体が電波塔に吊るされた事件が発生、現場に“f6”という謎の記号が残されていたことを“特命係”の杉下右京(水谷豊)は見逃しませんでした。 右京と相棒の亀山薫(寺脇康文)はこの謎の猟奇殺人を捜査したがっていましたが、左翼過激派“赤いカナリア”から手紙爆弾を送りつけられた衆議院議員片山雛子(木村佳乃)の警護を命ぜられます。 警護中、片山雛子の乗る車が突如襲撃を受け、右京と薫はそれを間一髪で阻止します。しかし、そこにはニュースキャスター殺人事件同様に、謎の記号が残されていたのです。 2つの事件を結びつけた特命係の2人は、一連の事件がインターネット上のSNSサイト内で行われる擬似裁判で死刑判決を受けた著名人を狙った連続殺人事件であることを突きとめ、同時に連続殺人事件の被害者達を訪ねまわる女性の存在を知ります。 現場に残された記号がチェスの棋譜であることを知った右京は、犯人が薫の妻・美和子(鈴木砂羽)や右京の元妻で“花の里”のママ・たまき(益戸育江)も参加する、東京ビッグシティマラソンをターゲットにしていることを掴みます。 そして被害者達を訪ねまわっていた女性・やよい(本仮屋ユイカ)が武藤弁護士(松下由樹)に保護されたことを機に事件の犯人とその犯行の目的が明らかになります。 そして、一連の犯行の背景には、5年前、一人の青年がエルドビアで反米勢力に拉致されるが、国に見殺しにされた事件があることが明らかになってきます。 水谷豊、寺脇康文、川原和久、山西惇、六角精児、岸部一徳、鈴木砂羽、益戸育江らレギュラー陣はもちろんのこと、西田敏行、木村佳乃、本仮屋ユイカ、松下由樹、津川雅彦、平幹二朗ら、(ドラマシリーズですでに出演していた人も含め、)ゲスト俳優陣も豪華で、紛争地帯へ潜入するNPOと自己責任問題、大都市を舞台にした一大イベントと爆破テロ、ネット上に暗躍するブラックサイト問題など、非常にタイムリーな時事ネタを盛り込み、TVの人気番組の初映画化ということで、非常に力が入っていることがわかります。 右京さんの見事な推理と薫の体を張ったアクション、やっぱり1代目の息の合った“相棒”ぶりもたっぷり堪能できますし、“花の里”のシーンや、どうしても皿を戻してしまう小野田官房長(岸部一徳)と右京さんの回転寿しでの名物シーン、そして、“ミスター捜一”伊丹刑事(川原和久)の薫もびっくりなアクションシーン(いつもの「特命係の亀山ぁ~~」という叫びがなかったのはちょっと寂しかったけどね。)、「相棒」ファンが喜びそうなシーンもしっかり盛り込んで、なかなか楽しめる作品でした。そうそう、珍しく右京さんが体を張るシーンもありますよ。 しかし、力が入り過ぎているせいなのか、いろいろと盛り込み過ぎているせいなのか、ストーリー的におかしなところ、ご都合主義なところなど、いろいろと気になってしまいました。 ツッコミどころはたくさんあるのですが、1つ1つ挙げていったらキリがないので、大きく3点について突っ込ませていただきます。 まずひとつは、チェスのくだりについてです。 電波塔につるされた元ニュースキャスターの死体が発見されたことから始まる連続殺人に残された“f6”などの謎の記号、右京さんがチェスの棋譜だと気付き、メールで犯人とコンタクトをとって対局したゲームの最終形が、東京ビッグシティマラソンのコース図になっていることから、犯人が東京ビッグシティマラソンをターゲットにしていると気付くくだりのことです。 これって、警察側にチェスがわかる人、しかも右京さんのようなかなりの腕前(双方がかなりの腕前でなければ、最終形を思った通りの形にすることが不可能なため)な人がいなければ、どうしようもないことですよね。もし、警察にチェスがわかる人間がいなくて、謎の記号の意味が分からないまま、東京ビッグシティマラソンの日が来てしまっていたらどうなっていたのでしょうか。 2つめに、犯人のターゲットが東京ビッグシティマラソンだと分かったというのに、なぜ中止あるいは延期せずに、すんなりとスタートさせたかということです。 犯人のターゲットは、30,000人のランナーと150,000人の観客なんですよ、その目的を果たすために、最も効果的なのは、競技場に全ランナーと満員の観客が集まるスタート時ではないでしょうか。 なぜ、右京さんをはじめ警察の方々はそんなことに気付かないのでしょうか。 なぜ、大会を中止あるいは延期して、スタジアムを徹底的に調べたり、スタジアムに入ってくる観客や選手の持ち物チェックなどをしたり、捜査員を大量に配置して警備させたり、といった策を講じることなくマラソンをすんなりスタートさせたのでしょうか。理解に苦しみます。 3つめに、ネタバレになるので、詳しいことは書かないでおきますが、結末についてです。 ラスト、犯人にも同情の余地があるような形でお涙ちょうだいのような結論に持っていっていますが、なんか、物語の序盤で、3人の人間が殺されている(片山議員については特命係の2人の活躍で未遂に終わっているので、実は狙われたのは4人です。)ことが、すっかり忘れられているということです。 そうです、この犯人、最後に自ら捕まるような形で恭順しているのですが、はっきり言って3人の人間をすでに殺しているのですよね。かつての事件の復讐を果たすために狙った5人のうちの3人を殺しているのです。 しかも、詳しいことは書けませんが、実行犯への直接的な復讐ではなく、はっきり言って逆恨み的な部類の復讐ですよね。 絶対的正義の追及を身上とする右京さんでなくても、許すことはできないのではないでしょうか。 ということで、結局、「絶体絶命! 42.195km 東京ビッグシティマラソン」という副題が付いていますが、東京ビッグシティマラソンに関しては全く危なげなかったということも含め、ストーリー的におかしなところだらけという、推理ドラマとしてはあるまじき作品だったというお話でした。 ところで、伊丹刑事役の川原和久さんは、今回のアクションをこなすために、モーターボートの操縦をわざわざ習いに行ったということです。さすが“ミスター捜一”ですね。
2013.11.21
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「相棒 -劇場版II- 警視庁占拠! 特命係の一番長い夜」 2010年 日本映画監督 和泉聖治出演 水谷豊 及川光博 川原和久 山西惇 六角精児 岸部一徳 神保悟志 宇津井健小澤征悦 小西真奈美 國村準 石倉三郎 名高達郎 あぶないあぶない、気が付いたら1か月(正確にはあと1日)更新していませんでした。 言い訳になりますが、仕事の部署が変わって、忙しくなった上に、体がなかなか慣れなくて、帰るとすぐに寝てしまうという生活が続いて、映画をろくに観ていないというのが実情で、このブログを楽しみにしている皆様(いるんか、そんな人?)には、非常に申し訳ない状況だったわけです。 ということで、先日なぜかやっていた“相棒まつり”のため(新シリーズ「相棒12」及び来春公開の「相棒劇場版III」の宣伝のために決まっるやんけ!!)、TV放映していたこの映画を、やっと新部署に慣れてきて余裕ができたために、観ることができたということです。(録画しておいたのは言うまでもないことです。) 日本警察の要所・警視庁本部内で、前代未聞の人質籠城事件が発生します。人質は、田丸警視総監、長谷川副総監(國村隼)を始めとした幹部12名です。 現場となった会議室は機動隊と特殊捜査班SITによって完全に包囲されますが、犯人の動機は不明で、要求もないまま、いたずらに時間が過ぎていきます。 偶然犯人の侵入に出会ってしまったため、いち早く事件に気づいたのは、特命係の神戸尊(及川光博)です。 神戸と杉下右京(水谷豊)は会議室内の様子を把握することが肝心と、鑑識の米沢守(六角精児)らの協力を得て、誰も予想しなかった奇策に出ます。 一方、捜査本部では、幹部たちが囚われているため思うように進展しない事態に、捜査一課の伊丹憲一(川原和久)らが苛立ちを募らせていました。 そこへ情報を入手した右京が現れ、籠城犯が元警視庁刑事の八重樫哲也(小澤征悦)だと判明し、籠城前に神戸が八重樫から助け出した女性が総務部装備課の朝比奈圭子(小西真奈美)であることを突き止めます。 その時、緊迫する会議室内から2発の銃声が響きます。右京の強硬な反対にも関わらず、SITと機動隊員たちが会議室内に突入し、事態をむりやり終結させたのです。人質は無事に保護されましたが、八重樫は突入のドサクサで暴発した銃で命を落としてしまいます。 籠城した八重樫の目的は何だったのか?大河内監察官(神保悟志)の事情聴取に対しても、12名は言葉を曖昧にしたままで、何の証言も得られません。 全員が一様に口を閉ざすことに疑問を抱いた右京と神戸は、角田課長(山西惇)らの協力を得て、独自に幹部たちへの聞き込みを開始します。 一方、事件の報告を受けた警察庁幹部の小野田官房室長(岸部一徳)は、金子警察庁長官(宇津井健)とともに、不穏な動きを見せ始めます。 そして、籠城事件の背後には、八重樫や圭子が関わった過去の大きな事件が関わっており、衝撃的な真実が徐々に明らかになってくるのです。 いやあ、面白かったです。 右京さんの推理と大胆な行動で徐々に明らかになっていく真実、推理ドラマの醍醐味をじっくりと味わうことができ、特命係成立のいきさつ、右京さんと小野田官房長の関係性、右京さんの“絶対的正義”と小野田官房長の“大局的正義”の対立、警察庁と警視庁の確執、などなど、見ごたえのあるドラマで、知的好奇心を揺さぶられる、面白い作品でした。 しかし、例によって気になった点が少しあります。 ひとつめは、キャストの問題です。 今回劇場版ということで、名の通った俳優陣がゲストとして登場してきます。小澤征悦、小西真奈美、國村準、石倉三郎、名高達郎といった面々です。 これらの方々が、話の本筋に深くかかわっていることは、当然のことながら明らかで、事件の謎を考えながらドラマを味わうべき、推理ドラマとしてはそれがちょっと障害になってしまっているということです。 例えば、今回の事件では、犯人八重樫が警視庁幹部12名を人質にし、会議室に籠城した動機に関わって、ある影の存在の正体が重要になってくるのですが、はっきり言って、キャストからバレバレなんですね。(ネタバレにならないように苦心して言葉を選んでいます。) これは、推理ドラマとしては、非常に問題でしょう。 かつて、横溝正史の金田一耕介シリーズの映画化・ドラマ化がブームだったことがあります。石坂浩二さん(カイト君のお父さんですね。)や古谷一行さんが金田一探偵を好演して、非常に話題でした。 当然、推理小説の映画化ということで、その犯人というのは、最重要機密であるわけですが、残念ながら、キャストでバレバレだった、ということがよくありました。(だいたい3,4番目にベテラン女優とかの名があったら当たりでした。) まあ、はっきり言って、予算の都合とかしょうがない部分もあるのでしょうが、せめて幹部12名の中にあと1,2名大物を入れておくとか、もう一工夫ほしかったなあ、と思いました。 もうひとつ気になったのは、「相棒」シリーズにおいて、右京さんの“裏相棒”とでも言える岸部一徳演じる小野田官房長の処遇についてです。 詳しくはネタバレになるので書きませんが、はっきり言って衝撃でした。 右京さんと小野田官房長のただならぬ関係は、シリーズの裏に流れる重要なテーマでした。彼らが2人が食事するシーン(特に回転ずし)は、「花の里」のシーンとともに、シリーズの名物シーンであり、2人の間にかつてただならぬことがあったことは明らかで、その謎はシリーズの根底に流れる、大きな流れだったはずです。 この映画で、その謎がはっきりし、はっきり言って無理やりな形でその関係に終止符がうたれたというのは、いかがなものかなあと思うわけです。 というのも、この映画は人気ドラマシリーズの劇場版であり、はっきり言って、イレギュラーな存在です。ところが、そのイレギュラーな場で、シリーズに重要なレギュラー・キャラクターがああいった形になるということはいかがなものか、ということです。 劇場版を観ていなくて、TVでしかシリーズを味わっていないファンの方々にとっては、「相棒10」から、あの名物シーンがなくなっているのがどうしてなのか、はっきり言ってチンプンカンプンです。 TVシリーズのファンなら劇場版も見るはずだ、というスタッフのおごりが見え隠れして、ちょっと嫌な思いを感じてしまったのは、勘ぐり過ぎでしょうか。 それともただ単に、岸部さんの個人的都合による降板だったりして。 ということで、若干気になるところはありましたが、見ごたえのある推理ドラマを堪能して、大満足というお話でした。 ところで、まったく余計な話ですが、右京さんの相棒はいつもイニシャルが“K”なのは、何か意味があるのでしょうか、1代目亀山、2代目神戸。3代目甲斐です。(というか、“か”ばかりですね。) 誰か知りませんか?
2013.11.12
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「妹の恋人」 Benny & Joon 1993年 アメリカ映画監督 ジェレマイア・チェチック出演 ジョニー・デップ メアリー・ステュアート・マスターソン エルダン・クイン ジュリアン・ムーア 夜中にTV放映していたので、どんな映画か全く知らずに録画しておきました。いざ観てみたら、なんとジョニー・デップではありませんか。しかも、彼には珍しく、メイクなしの素顔のままの出演です。 ある田舎町の自動車整備工場に勤める青年ベニー(エルダン・クイン)は、両親の死で心を病んでしまった妹ジューン(メアリー・ステュアート・マスターソン)に振り回されながらも彼女を支え、12年間2人だけで生きて来ました。 そんなある日、ふとしたことから友人の従兄弟である文盲の青年サム(ジョニー・デップ)を引き取るはめになったベニーは、サムをジューンの世話をする家政婦代わりに使うことにしたのです。 サムは無口で風変わりだが、バスター・キートンやチャップリンをはじめ、様々な映画の登場人物のモノマネが得意でした。そんなサムにジューンは自然に心を開いて行きます。 妹を愛していながらも兄は、精神を病んでいる妹の扱いに手を焼いていました。そこにひょんなことから同居することになった男の登場で、状況が変わっていきます。途中、妹の病気のせいでゴタゴタはあるのですが、結局はめでたしめでたしという、ほのぼのストーリーです。 まあ、ちょっと時間が空いた時に観て、ちょっと幸せな気分になれるのにちょうどいい小品といったところでしょうか。 妹を大事にしたいがために空回りしてかえって妹に嫌われてしまう好青年の兄バニーも、一見普通に見えますが、ちょっとしたことにその異常さが見え隠れする妹ジューンもなかなかの好演ですが、やっぱりジョニー演じるサムの存在感は抜群です。見た目はイケメンですが、変わった行動が目立つ気弱な青年を見事に演じています。何でこう、ジョニー・デップは、イケメンな変人が似合うのでしょう。 また、バニーといい仲になる、元女優のカフェのウエイトレス、ルーシー役のジュリアン・ムーアにはびっくりしました。今では、FBIの捜査官とか、刑事・精神科医など、知的な強い女を演じることが多い彼女ですが、世話好きなやさしい感じの女性を好演していました。はっきり言って、あまりにもな印象の違いから、ちっとも彼女と気づきませんでした。 ところで、今回は、ちょっと題名が気になりました。原題も邦題も。 まず原題の「Benny & Joon」。何ですか、この主人公兄妹の名前そのもので全く考えていない題は。この話のキーパーソンであるサムの存在が全く感じられない題名、どういうつもりなのでしょう。 物語の題名というのは、その物語の顔ですから、しっかり吟味するべきものだと思うのですが、違うでしょうか。せめて、「Benny & Joon & Sam」ならわかるんですが。 それから邦題、今度は180度転換してサムに注目した題ですが、これじゃあ、サムがジューンといい仲になるのが見え見えではないですか、そして切羽詰まった状況が好転して行きハッピーエンドと、物語が見えすぎてしまいます。やっぱり物語というのは、次はどうなるんだろうというワクワク感が大切です。内容が見えすぎてしまう題というのは、やっぱりよろしくないのではないでしょうか。 ということで、まったく予備知識なく観た作品でしたが、題名に難ありと言えども、意外と楽しめた作品でした。 ところで、ジューン役のメアリー・ステュアート・マスターソンですが、ちょっとアゴの長さが気になりましたが、なかなかかわいらしく、なんか「龍馬伝」で龍馬の江戸での彼女千葉さな子を、「八重の桜」で八重の親友時尾さんを演じていた貫地谷しほりさんと似ていると思ったのは私だけでしょうか。
2013.10.13
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「昼下がりの情事」 Love In the Afternoon 1957年 アメリカ映画監督 ビリー・ワイルダー出演 オ-ドリー・ヘップバーン ゲイリー・クーパー “情事”という言葉、皆さんはどんなイメージをお持ちでしょうか。言葉の意味としては、男女の肉体関係、しかも結婚していない男女のものを指すようです。しかし、成人映画などでよく使われていた言葉で、その描かれている“情事”は不倫など、いけない関係を指していることが多いのではないでしょうか。僕はそんなイメージです。 ところが、この往年の名作、主演女優は、あの「ローマの休日」で清楚なアン王女を演じて一躍大スターになったオードリー・ヘップバーンです。なんか“情事”という言葉のイメージとは最もかけ離れたイメージのある女優さんではないでしょうか。(はっきり言って、僕のひいき目が含まれていることは否めませんが。) いったい、清楚なイメージな彼女が、どんな“情事”を見せているのか、非常に気になっていた作品です。CATVで放映していたので、録画しておきました。 パリの私立探偵クロード・シャヴァスは、アメリカの億万長者で、スキャンダルまみれのプレーボーイ、フラナガン(ゲイリー・クーパー)とX夫人の不倫現場を抑えることに成功します。依頼人のX氏はその証拠写真を見て、フラナガンを殺すといきまいています。 これを聞いていたのが、シャヴァスの娘で、音大生のアリアーヌ(オードリー・ヘップバーン)でした。彼女は父の扱う事件記録を読むのを楽しみにしており、今回の事件にも興味津々でした。 アリアーヌは、チェロの勉強にコンセルヴァトワールへ出かけたものの、この事件が気になってたまりません。フラナガンの泊まっているホテルへ行ってみると、X氏がピストルをポケットに忍ばせているところに出くわしてしまいます。 窓から部屋に忍び込んだアリアーヌの機転で、X夫人は逃れ、フラナガンは危ういところを助かり、突然現れた謎の美女が気になり、翌日の午後のデートを申し込みます。 翌日、あんな浮気男とデートなどすまいと思ったものの、アリアーヌは結局ホテルを訪れます。食事と美しいムードミュージック、フラナガンのお定まりの手に、アリアーヌはすっかり参ってしまいます。しかし、やがてフラナガンがパリを出発する時刻が来て、2人はいかにも世慣れた遊び人同士の如く、あっさり別れるのでした。 何ヵ月後のある夜、アリアーヌはオペラ劇場で恋しいフラナガンに再会し、明日の逢瀬を約束します。翌日ホテルを訪れたアリアーヌに、皮肉にも今度はフラナガンが参ってしまい、彼女がことありげに話した男たちのことに、気が揉めてたまらなくなってくるのです。 なるほど、言葉の意味通りの“情事”でした。もちろん、昔の映画ですからその“情事”そのものの映像はありません。(個人的には非常に見たい場面ですが。)しかし、午後から彼のホテルへ行った彼女が、帰る時には暗くなっているのですから、そういう行為があったことは語らずとも明らかなことです。 そんなことはどうでもよくって、名うてのプレイボーイが、小娘の小悪魔的魅力に参ってしまうという、コメディタッチの恋愛映画でしたね。なんといっても見どころは、オードリーのまさに水を得た魚のごとく小悪魔的な魅力がたっぷり観られるところですね。あれだけかわいらしいところを見せつけられたら、百戦練磨のプレイボーイがコロッと参ってしまうところも納得です。 だから、なんかうまくいきすぎだとか、本当にその男でいいのかとか、フラナガンがおっさんすぎるだろうとか、お父さんが物わかり良すぎだとか、そういうツッコミは野暮でしょうか。余計なこと考えずに、楽しめばいいものなのかもしれません。 「ローマの休日」から3年、まだまだ20代(劇中の設定は20歳前後と思われますが)の若くってピチピチのオードリーの魅力が十二分に堪能できる作品です。 当時、“情事”という言葉には悪いイメージはなかったのかもしれませんが、成人映画やエロビデオなどの影響で、「昼下がりの情事」という題名から、団地妻的・不倫的・いけない関係的イメージを感じてしまうのが非常に残念です。原題の直訳で、「昼下がりの恋」としておけばよかったのに、と思いました。
2013.10.10
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「HOME 愛しの座敷わらし」 2012年 日本映画監督 和泉聖治出演 水谷豊 安田成美 橋本愛 濱田龍臣 草笛光子 荻原浩のヒット小説を映画化した作品です。 同じく水谷豊主演作、伊藤蘭との夫婦共演で話題になった映画、「少年H」公開の宣伝のために、TV放映しましたので、録画しておいたものです。 父・晃一(水谷豊)の転勤で、東京から岩手の田舎町へと引っ越してきた高橋一家。 晃一がよかれと思って選んだ新しい住まいは、なんと築200年を数える古民家でした。 東京での暮らしに馴れていた妻の史子(安田成美)は、突然の田舎暮らしに不安と不満でいっぱいです。老人ばかりの近所付き合いにも乗り切れないでいました。 中学2年の長女・梓美(橋本愛)にも古民家はただのボロ家にしか見えず、転校先の学校生活を考えると心が落ち着きません。転校前の学園生活でも人間関係で悩んでばかりだったからです。 同居する晃一の母親・澄代(草笛光子)は田舎住まいには支障を語らないものの、最近、認知症の症状が始まりつつある様子です。 唯一、古民家への転居を楽しんでいる小学4年の長男・智也(濱田龍臣)は、治りかけている喘息の持病を今も史子にひどく心配され、サッカーをやりたくてもやれずにいます。 五者五様、どこかギクシャクしている一家をやんわりとまとめたい晃一でしたが、家族の不平不満をなかなかうまく解消することはできず、異動先の支社でも馴れない営業職に悪戦苦闘の毎日でした。 そんなある日、不思議な出来事が高橋家に起こり始めます。誰もいない場所で物音が聞こえたかと思えば、囲炉裏の自在鉤が勝手に動いたり、掃除機のコンセントがふいに抜けたり、手鏡に見知らぬ着物姿の子どもが映ったり……。 どうやらこの家には東北地方の民間伝承で有名な“座敷わらし”が住んでいるようなのです。 ということで、いろいろな問題を抱えた家族が、座敷わらしとの交流を通して、問題を解決し、幸せになっていくという、ほのぼのストーリーです。 その問題は、当人にとっては結構深刻かもしれませんが、ハラハラドキドキするわけでもなく、人類の存亡がかかっているわけでもなく、はっきり言って、気の持ちようで変わってくるような問題ばかりです。結局、座敷わらしとの交流で気持ちに余裕ができて、状況が好転したという感じです。 まあ、いい話だなあ、という感じの、ほのぼのホームドラマでした。 そんなわけで、もっとドキドキするお話の方が好きな僕としては、非常に物足りなく、はっきり言って、退屈なお話でしたので、お話の流れとは関係ないところが気になってしまいました。 まず、座敷わらしの設定についてです。 本来伝説の座敷童というのは、ある特定の部屋および家屋に住み着いているもののはずです。(だから“座敷”なんですよね。)東北地方の座敷童が出るということでTVなどで取り上げられ、有名になった旅館でも、出現するのはある一部屋だけというお話です。 だから、この映画で描かれているように、庭(「トトロ」の家みたいに、庭と森の境界線があいまいな家なので、家の敷地内かは怪しい。)の祠に出現したり、坊主と庭でくつろいでいたり、ましてやこの映画の結末(一応秘密にしておきます。はっきり言ってがっかりしましたが。)のようなことはあり得ないのではないだろうかと思ってしまいました。(屋根裏の梁に腰かけて微笑んでいるというのは、ギリ・セーフだと思いますが。) 飢饉や貧しさのために生まれる間もなく、口減らしさせられた子どもの霊だとか、その家に幸いをもたらすといった設定は、伝説通りなので、なんか、(特にラスト)単なる子どもの幽霊のような扱いに非常に疑問を持ってしまいました。 それから、お父さんの会社についてです。 時期的には、6月の終わりか7月の初めのことだと思われます。はっきりとは語られていませんが、引っ越してすぐ、お姉ちゃんは転校先の中学校に登校しており、弟は病気のこともあるので夏休みが終わってからということにしていることから推測できます。(その割には、晴天ばかり続いているのは変ですが。空梅雨?) そこで疑問を持ってしまったのです。いくらプロジェクトの失敗の責任を取ってのこととはいえ、学校に行っている子どもがいる男をこんな非常に中途半端な時期に左遷させるのか、ということです。しかも東京の本社から遠く盛岡の支社まで。 なんて非人道的な会社でしょうか。これって、組合とかは何にも言わなかったのでしょうか。 しかも、数か月後には………。(結末にかかわるので、濁しておきます。) それに、会社としては、全国いたるところに支社があるような大企業ではなく、どう見ても、中小企業です。なぜ東京本社と盛岡支社なのか。非常に疑問です。 どうも、初めに座敷わらし有りき、な感じですね。やっぱり“座敷童”なら東北でしょう。という安易な設定でしかない感じですね。そして、お姉ちゃんは学校の人間関係で悩んでいたわけですから、学校に行かせなけりゃいけないし、絵的にはやっぱり夏の方がいいし、ということで、この1学期の終わりという非常に中途半端な時期設定になったのではないでしょうか。 原作の小説は読まずに、映画だけ観て批評しているので、どこまでが原作の設定で、どこが映画オリジナルなのかわかりませんが、はなはだ設定的な部分で疑問を持ってしまったため、心が癒されるはずのほのぼのストーリーに、今ひとつほのぼのできなかった作品でした。 ところで、いけませんね。「相棒」の観すぎでしょうか、水谷豊さんが、杉下右京警部にしか見えないのですが………。困ったものです。 ちなみに、お姉ちゃん役の橋本愛さん、今「あまちゃん」のサブヒロインとして、大ブレイク中の子です。「告白」でも、存在感バリバリでした。今後大女優になる予感バリバリです。
2013.10.04
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「パーフェクト・ゲッタウェイ」 A Perfect Getaway 2009年 アメリカ映画監督 デヴィッド・トゥーヒー主演 ミラ・ジョヴォヴィッチ 「バイオハザード」シリーズ、「ウルトラ・ヴァイオレット」などで知られるミラ・ジョヴォヴィッチ主演のサスペンス映画です。 世界中の人々から愛される地上の楽園ハワイ、数多くの新婚旅行カップルが訪れる場所であり、クリフとシドニー(ミラ・ジョヴォヴィッチ)もその中の1組でした。 2人は、ジャングルの道なき道を2日間以上かけて歩かないと到達できない、ハワイで最も美しいといわれるビーチを目指してトレッキングをすることにします。 その出発点へ車で向かう途中、ヒッチハイクをするケイルとクレオというカップルを見かけますが、何となく怪しい雰囲気を感じたクリフとシドニーは2人を乗せることを取りやめました。 クリフとシドニーがトレッキングをスタートすると間もなく、ニックとジーナというカップルと知り合いになり、協力しながら目的地を目指すことになります。 クリフとシドニーは、オアフ島で新婚カップルが殺され、現場から逃走した犯人がこのカウアイ島に潜んでおり、その犯人1組のカップルであるというニュースを聞きます。 2組のカップルのトレッキングの様子を追いながら、殺人犯のカップルの謎が根底に流れるサスペンス・ミステリーです。 出てくるカップルは、主人公カップルを含め3組です。 ヒッチハイクをしていたケイルとクレオは、明らかに素行の悪そうな2人です。主人公カップルと一緒トレッキングする2人は、ニックは軍人上がりで武器の扱いなど慣れたもので、ジャングルでのサバイバルもお手の物でした。彼女のジーナは、ニックが捕ってきたウサギを嫌な顔せず難なく捌ける女です。 そんな状況を加味しながら、いったい殺人犯はどのカップルなんだ、と考えながら観ていると、終盤、大大大どんでん返しが起こります。 この大大大どんでん返しに、感心するか、怒り出すか、観客は大きく2つに分かれるでしょう。 僕的には、はっきり言って、怒れてきました。「なんやあ、それ???!!!」という感じです。 どうやら、2つのことが伏線として用意してあったようなのですが、それがあまりにも曖昧すぎて(これを巧妙ととらえるかで意見は変わって来るでしょう。)、僕的には、1つの伏線に対しては、何となく違和感を持ち、可能性としては頭の片隅に持っていましたが、もう1つの伏線については違和感を持てなかったので、どんでん返しに気付けませんでした。 そして、どんでん返し後の彼女のあまりにもの変貌ぶりに非常に驚き、そのことについては伏線と思われるところが全くなかったので、「これ、性格変わり過ぎだろう??!!」と、怒りを覚えてしまったのです。この彼女の変貌をちらっとでもうかがわせる伏線があれば(例えば、振り返ると表情が変わっているとか、何気ないしぐさが変わっているとか。)、怒りを覚えることはなく、感心できたのではないでしょうか。 ということで、製作スタッフの意図を一応考慮し、大大大どんでん返しの中身については明かさないように書いていたので、喉の奥に言葉が詰まっているかのような解説になってしまいましたが、まあ、サスペンス・ミステリーとしては、なかなか面白いかな?という映画を今回は紹介しました。 まあ、ミラ・ジョヴォヴィッチが、ただのかわいい女のわけがないよね。ということです。(あれ、バラしちゃった?)
2013.09.16
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「るろうに剣心」 2012年 日本映画監督 大友啓史出演 佐藤健 武井咲 香川照之 蒼井優 江口洋介 奥田瑛二 吉川晃司 少年ジャンプに連載していた同名漫画の実写映画化作品です。 公開当時、斬新な殺陣が評判になっていたので、非常に観たかった作品でした。 幕末の動乱に揺れる京都に名を轟かせる1人の暗殺者がいました。名は緋村抜刀斎(佐藤健)。その神速の剣技と驚異の暗殺成功率から“人斬り抜刀斎”の通り名を持ち、幕府要人や佐幕派の武士達を震撼させていました。 10年の月日が流れ、明治11年、抜刀斎は剣心と名乗り、以前とは打って変わって人の命を奪うを良しとせぬ“不殺(ころさず)の誓い”を掲げ、日本各地を旅しながら、か弱き人々を剣の力で守り助ける流浪人(るろうに)として、穏やかな日々を送っていました。剣心が東京に流れ着いた頃、巷では2つの事件が進行していました。1つは中毒性の高い新型阿片の密売、もう一つは“神谷活心流 人斬り抜刀斎”を騙る辻斬りでした。 女医、高荷恵(蒼井優)は身寄りのないところを豪商・武田観柳(香川照之)に囲われ、新型阿片の開発を行わされていたが屋敷を逃げ出しました。観柳は恵を連れ戻すのに、雇っていた“抜刀斎”(吉川晃司)を差し向けます。恵の逃げ込んだ警察署内で“抜刀斎”は、斬殺を繰り広げますが、恵は取り逃がしてしまいます。 一方、辻斬りの流派と噂され、1人を残して門下生がいなくなった神谷活心流の師範代・神谷薫(武井咲)は犯人と勘違いし、剣心に挑みかかるが軽くいなされます。その直後、薫は“抜刀斎”と遭遇し、斬られそうになったところを剣心に救われます。 神谷道場に戻った薫に、今度は別の観柳の手下たちが道場の土地を譲るよう狼藉を働きます。そこに剣心が現れ、手下たちを全員気絶させます。やってきた警官隊に騒動の原因は自分にあって道場は無関係だと告げると、剣心は手下ともども警察へ連れて行かれてしまいました。 警察では、剣心が抜刀斎であることを知る山県有朋(奥田瑛二)、藤田五郎(元新撰組斎藤一、江口洋介)が剣心に新型阿片の捜査協力を願いますが、剣心はこれを断り、釈放されました。 雨の中、釈放となった剣心を薫が出迎え、道場へと案内します。同じ頃、逃亡中の恵は神谷活心流門下生で神谷道場に居候する士族の少年・明神弥彦と出会い、同じく道場に居つくことになりました。 ある日、町の住人達の多くが急に苦しみだす事件が起きます。恵はこれが井戸に入れられた毒のためと看破し、治療に奔走します。治療が一段落すると恵は、町の住人にこれ以上迷惑が掛らぬようにと、自ら観柳の屋敷に戻ります。 恵の書き置きを読んだ剣心は、喧嘩屋・相楽左之助と共に観柳の屋敷に向かうのでした。 なるほど、こういう話でしたか。 以前からこのブログを御覧な方はご存知な通り、マンガ大好きな僕ですが、この「るろうに剣心」は読んでいませんでした。幕末の“人斬り”の話だとは知っていましたが、明治になってからの“人斬り”のその後の話だとは思いませんでした。一捻りしてあって、面白いですね。しかし、“不殺(ころさず)の誓い”で、刃が反対についている“逆刃刀(さかばとう)”とはいえ、明治政府の“廃刀令”には引っ掛かるのではないかと思うんですが、刃はあるわけだし。 まあ、善悪の区別がはっきりしていて、非常にわかりやすいお話でしたし、評判の斬新な殺陣を含めたアクションはスピード感と迫力にあふれていて、剣心らのキャラクターもみな個性的で、魅力があって、娯楽作品として、非常に楽しめる作品だと思いました。 ただ、気になったのは、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」にはまっていた身としては、佐藤健と香川照之のキャラクターが、非常にかぶっていたのが残念だったということです。 思うに、あの「龍馬伝」での岡田以蔵役での、殺陣の巧みさから、この緋村剣心役に起用しようと思ったのかもしれませんが、まるで、幕末の京都で長州の攘夷派が実権を握っていた時期(八月十八日の政変以前)、“人斬り以蔵”として、土佐勤王党武市瑞山(半平太)の指示の下、“天誅”を実行していた以蔵が、明治まで生きていたらこうなっていたかもしれないような役なので、余計にかぶってしまいます。 また、同じく「龍馬伝」で、岩崎弥太郎を演じていた香川照之ですが、今回の武田観柳役は、その弥太郎役でのオーバーアクション気味な演技に輪をかけた、明らかにいってしまっている悪役ぶりでしたが、維新の混乱の中から台頭してきて、一代で財をなした三菱の創業者としては、さすがにアヘンなど違法なものには手を出してはいないでしょうが、結構違法すれすれのことはやっていたと思われ、かなりかぶる部分がうかがえます。 ということで、気になるところはありながらも、ちょっと気に入ってしまったかもしれません。来年、第2作が公開されるそうで、ちょっと楽しみです。 そういえば、ちょうど、先週の「八重の桜」で、京都で兄様と奮闘している八重のもとに、親友の時尾さんが、新選組として京都守護職である会津藩主松平容保に雇われた縁で、会津戦争で最後まで戦った新選組三番隊隊長斎藤一改め、藤田五郎として東京で警官となった夫とともに、訪れる場面がありましたね。なんかタイムリーでした。 ちなみに、その時、覚馬の家に居候している新島襄が、斎藤一と意気投合して仲良しになっていましたね。つまりダブル斎藤一ということですね。(新島襄役のオダギリジョーさんは「新選組!」で斎藤一役でした。笑)
2013.09.04
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「TIME/タイム」 In Time 2011年 アメリカ映画監督・脚本 アンドリュー・ニコル出演 ジャスティン・ティンバーレイク アマンダ・セイフライド キリアン・マーフィー この映画、すっごい面白そうだったので、観たかったのです。こういう、アイデアが素晴らしいSF映画大好きです。監督は初監督で、あのNASAが最も実現しそうなSF映画に選んだ「ガタカ」を作り、「トゥルーマン・ショー」の脚本を書いた、アンドリュー・ニコルです。(どちらも、このブログで僕が絶賛した映画です。なるほど、ますます楽しみだ。) 遠くない近未来、科学技術の進化により老化は完全に無くなり、全ての人間の成長は25歳でストップする社会となっていました。そこでは、唯一の通貨が“時間”であり、25歳になった瞬間から、左腕に埋め込まれたボディ・クロックが余命時間を刻み始めるのです。 v限られた一部の“富裕ゾーン”の住人が永遠に近い命を享受する一方で、圧倒的多数の“スラムゾーン”の人々は余命1日で、生き続けるためには、日々の重労働によって時間を稼ぐか、他人からもらう、または奪うしかない、日々が熾烈なサバイバルでした。 ある日、スラムゾーンに住む青年ウィル(ジャスティン・ティンバーレイク)は、富裕ゾーンからやって来た、人生に絶望した男ハミルトンをギャングの襲撃から救ったことで、116年という時間を譲り受けます。 しかしその直後、ウィルの目の前で、母親のレイチェルはわずか1秒という時間のために息絶えてしまいます。残酷な運命に怒りを覚えたウィルは、この世界の謎に挑むことを決意し、タイムゾーンを超えて富裕ゾーンへ向かいます。 そこで出会ったのは、有り余る時間を所有している大富豪フィリップ・ワイスと、その娘で変化のない日常生活に辟易していたシルビア(アマンダ・セイフライド)でした。 そこへ、時間を監視する時間監視局員のレオン(キリアン・マーフィー)が、ハミルトン殺害の容疑でウィルを追ってきました。 レオンに追い詰められたウィルは、近くにいたシルビアを人質にとって逃走します。 ウィルの一方的な行動で始まった逃走劇でしたが、絶体絶命の危機を潜り抜ける中で、シルビアはウィルの本当の目的に気づき始め、2人の間には、いつしか共感を超えた恋心が芽生え、執拗な追跡をかわしながらの逃避行が続くのでした。 まさしく、“Time is Money”、残った寿命が通貨となる世界、そのアイデアがすべてです。 食事も買い物も乗り物に乗るのも、右手のセンサーを機械に通し、左手に光っているカウンターが動きます。どういう遺伝子操作なのかわかりません(これにツッコミを入れるのは野暮です。)が、生まれた時からそのセンサーとカウンターは内蔵されているよう(一瞬ですが、赤ん坊の腕にちゃんとカウンターがある場面があります。)で、25歳になった瞬間、カウンターが動き始めるようです。 “スラムゾーン”に住む貧困層は、毎朝目覚めるとカウンターが24時間を切っており、その日の仕事を終えた時には、あと数分という状態のようで、(おそらく日給は24時間+α) 日々、死の恐怖におびえて暮らしているようです。 一方、“富裕ゾーン”に暮らす富裕層は、おそらく政府の中枢や大企業の幹部たちでしょうが、シルビアは25歳になった瞬間、親から10年もらったそうで、有り余る時間をため込んでおり、半永久的に25歳の容姿のまま生きていけるのです。(シルビアの父親フィリップは100万年持っていました。) この基本設定が、この映画のすべてのドラマと、尋常じゃない緊張感を生んでいるのです。左手のカウンターがアップになり、その数字がドンドン0に近づいていく時の緊迫感はすごいです。(見ているだけでもすごいんですから、本人は半端ないでしょうね。) 例えば、ウィルの母親の死の場面が、非常に印象的です。ウィルの母親が、バスに乗ろうとして、運賃が2時間と言われ慌てます。昨日までは1時間だった(こういういじめのような値上がりは日常茶飯事のようです。)のに、カウンターは1時間30分しかないのに。運転手は冷たく言い放ちます。「歩いて行け。」 でも、家までは歩くと2時間かかります。仕方なく走り始めます。(ウィルの母親と言っても、体は25歳ですから、その辺はご心配なく。) 家の近くのバス停まで母親を迎えに来たウィルは、母親が降りて来ないことを不審に思い、母親が来る方向に走り始めます。(この時ウィルは116年もらった後です。) しばらく行くと向こうから走ってくる母親の姿を見つけます。しかし、母親のカウンターはあと数秒、場面は一気に緊迫します。母親は最後に息子の胸にダイブしますが、あと一歩のところで間に合わず、ウィルに抱きかかえられたまま息絶えるのです。 そんな、現代の資本主義社会の暗黒面をどぎつく強調したかのような、超格差社会の貧困層に生まれた主人公が、その社会をぶち壊すために奮闘する物語です。とにかく非常に面白く、まったく退屈することなく、しっかりのめりこんで一気に観てしまいました。 ところで、僕のお気に入り女優に最近仲間入りしたアマンダ・セイフライドですが、もちろんその魅力である半端ない眼力と、グラマラスボディをいかんなく発揮してくれており、大満足でした。一方、主人公ウィルを演じていたジャスティン・ティンバーレイク、彼も、アマンダに負けず劣らずの、なかなかの眼力の持ち主です。まだまだキャリアは少ないようですが、今後が楽しみです。 また、時間管理局員レオン役のキリアン・マーフィー、「インセプション」で、ディカプリオたちにはめられる大企業の御曹司を演じていた彼ですが、政府の役人と言えども、低所得でスラム同様のその日暮らしのようで、執拗にウィルたちを追いながらも、どことなく哀愁が漂っているところなど、好演でした。 ちなみに、2枚目の写真、左から、シルビアの祖母、母親、本人です。みんな見た目は25歳です。(ということで、見た目的には、青年と子どもしか出てこないという不思議な映画です。)
2013.08.29
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「CO2」 CO2 2010年 アメリカ映画監督 ジョン・デビュー またまた、いつものレンタルビデオ屋で、見つけてしまいました。スターは全く出ていない、B級中のB級映画です。(それって、C級ってこと?) もちろん日本未公開です。 盆地の底に湖と町がある土地で、産廃業者が地下に溜め込んでいた大量の二酸化炭素(CO2)が、地震によって湖から噴出して、空気よりも重いため、盆地に充満して、人々が酸欠で次々倒れていくというお話です。 地球温暖化が世界的規模の大大大問題になっている昨今、まさにタイムリーなお話です。 猛暑続く10月のある日、キャバナス湖周辺で大きな揺れが観測された事を受けて、地盤調査員のローレンは原因究明のため湖へと向かっていました。 一方、休日を過ごそうと湖を訪れていたネイサンとジェニファーは、水面から謎のガスが吹き出すという異様な光景を目の当たりにしていました。 不気味に湖から発せられた謎のガスは瞬く間に周囲に充満し、ネイサン達はその場に倒れ込んでしまいます。 ローレンが湖に着くと、窒息状態で亡くなっているネイサン達がそこには居ました。 その後、ローレンを中心に、何人か(最初は2人、最大8人、最終的に助かったのは3人)で、酸素ボンベを抱えて、酸素を求め、山の上(つまりCO2が充満しているところより上ということですね。)へ、徒歩(酸素がないとガソリンを燃やして走る自動車は動きません。)で避難していくという、基本ただただ歩いているのみという地味な展開で、敵が目に見えない二酸化炭素ということもあり、はっきり言って、非常に退屈な状況が長々と続く映画です。もちろん、途中でいろいろな障害もあって、人数が減ったり増えたりしますし、事件の背景や一行の人間関係にかかわる過去映像も挿入されたりして、何とか退屈しないように工夫されているのですが、基本歩いているので、展開がゆっくりで、やっぱり退屈です。 どうやら事件の背景に、産廃業者のずさんな処理があり、人災的なにおいもプンプンするのですが、そこら辺ははっきりさせないままです。もっとそこを膨らませて社会派ドラマにできたのではないだろうか、と、テーマがタイムリーで深刻なものなだけに、非常に惜しいと思ってしまいました。 アメリカという国は、政府が二酸化炭素削減に非常に消極的で、民間企業に丸投げしているところがあるようで、こういう題材がそこら中にゴロゴロしているんだろうとも思うと、やっぱりもったいないなあ、と思います。(しかし、真剣に描こうとすると、政府の圧力があったりするのかな?) ところで、この映画についてネットで検索してみたら、日本未公開なだけに、記事の数がたいへん少なかった(そのため、いい画像が拾えませんでした。)のですが、その数少ない記事の中にかなりの比率で、CO2を何かの有毒ガスと勘違いしているものが多くあり、情けなくなってしまいました。 しかも、DVDの字幕で、二酸化炭素と書くべきところを“炭素”と略してあるところが多大にあって、非常にがっかりしました。確かに、字幕は映像の邪魔にならないように、サッと読めるようにできるだけ短くしなければならないのですが、“二酸化炭素”と“炭素”では、全く違う物質になってしまいます。“炭素”って、炭だよ炭。(上記の勘違いもそのせいかもしれません。) 何でこう自分の無知さ加減を自ら進んで全世界に披露している人が多いんでしょうか。最近話題になっている、痴態をネットで晒している若者たちも含めて、あまりにもおバカすぎて呆れてしまいます。(とか言いつつ、自分も記事の中で、アホなことを言っているかもしれない、ということは棚に上げています。) ということで、テーマは非常にタイムリーですが、描き方がいまいちうまくなく、非常に残念でした、というお話でした。
2013.08.28
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「CASSHERN」 2004年 日本映画監督 紀里谷和明出演 伊勢谷友介 麻生久美子 唐沢寿明 寺尾聰 樋口可南子 小日向文世 宮迫博之 佐田真由美 要潤 西島秀俊 及川光博 大滝秀治 三橋達也 寺島進 最近のかつての人気アニメを実写映画化するという風潮に乗っかって、このたび実写版「ガッチャマン」が封切りされました。松阪桃李ら科学忍者隊のメンバーたちが、宣伝のためバラエティ番組に出まくりしています。 その「ガッチャマン」や以前紹介した「ヤッターマン」と同じくタツノコプロの人気アニメだった「新造人間キャシャーン」を実写化した作品です。 「新造人間キャシャーン」は、1973年から74年にかけてTV放映していたアニメですが、僕自身リアルタイムで観ていたと思いますが、実は恥ずかしながら、内容をあまり覚えていません。“キャシャーン”という名のスマートでかっこいいヒーローが、アンドロ軍団という悪い奴と戦っていたことと、オープニングの主人公のセリフ、「たった一つの命を捨てて 生まれ変わった不死身の体 鉄の悪魔を叩いて砕く キャシャーンがやらねば誰がやる!」が非常に印象的で覚えていたこと、ぐらいですかね。 公開当時、超売れっ子歌姫宇多田ヒカルと電撃結婚した、映像作家だという男が、突然映画監督デビューしたと非常に話題になり、興行的にはまあまあヒットしましたが、批評的には結構叩かれ、中にはあの「デビルマン」と並べて評しているものまであった、という映画です。それはぜひ、自分の目で確かめなければと思った次第です。 超大国大亜細亜連邦共和国はヨーロッパ連合との50年の長期大戦に勝利しましたが、国土・人心は荒廃しきっていました。環境破壊と汚染は深刻で公害病は蔓延し、人種階級差別を是とする政策へ反発する内紛も各地で起きていたのです。 遺伝子工学の第一人者東博士(寺尾聰)は画期的な再生医療を可能とする新理論「新造細胞」を発表し、実用化のため理解と支援を広く求めましたが、学会の反応は冷たいものでした。しかし、軍上層部が興味を示し、貿易商社・日興ハイラルの社員内藤(及川“ミッチー”光博)を通じ支援を申し出てきました。難病を患う妻ミドリ(樋口可南子)のためにも、一刻も早く研究を完成させたい東博士は申し出を受けることにします。 東博士の1人息子の鉄也(伊勢谷友介)は、長年研究のみに没頭し続ける父への反発から従軍を決意します。東博士は鉄也の婚約者ルナ(麻生久美子)や病のミドリのためにも思いとどまるよう促すが、鉄也は余計に反発してしまいます。鉄也は激戦区の第七管区に派兵され、ある日上官に強要され無抵抗の女性住民を撃ち殺してしまうのでした。 1年後、鉄也は作戦中に戦死します。 陸軍本部に鉄也の遺体が届く頃、異形の稲妻が建物を貫き、同施設内の東博士の研究所では異変が始まました。新造細胞培養槽の生体部品群がひとりでに結合を始め、無数の人の姿となって蘇生を始めたのです。何かに気づいた内藤は即時に蘇生体殲滅を指示し、数百の蘇生体が再び惨殺されました。 奇跡的に逃げ延びた蘇生体のリーダー“ブライキング・ボス”(唐沢寿明)は仲間のサグレー(佐田真由美)、バラシン(要潤)、アクボーン(宮迫博之)と共に、自らを“新造人間”と名乗り、人類への復讐を誓うのです。 一方、東博士はなにかを確かめるように鉄也の遺体を培養槽に浸します。すると鉄也は息を吹き返したのです。 放浪の末大量のロボット兵器群を発見し、人類へ宣戦布告した新造人間、死から蘇ると同時に彼らと同じ超人的身体能力を宿した鉄也、運命は数奇にもつれていくのでした。 非常に苦痛でした、最後まで見続けることが。2時間20分ほどの映画で、やや長めなのですが、その倍ぐらいの時間に感じました。 長く感じるということは、はっきり言ってつまらないということですが、なぜそう感じてしまったのでしょうか。 まず、ストーリーがよくわからん、ということです。 前半、東博士の“新造細胞”なる新技術(これって、まんま“iPS細胞”ですよね。)を軍事的に利用できるとして、アジアからヨーロッパにかけて侵略戦争中の軍事国家大亜細亜連邦共和国の軍事政府がバックアップするというとこら辺はよくわかりました。 後半、なぜか“新造細胞”の培養槽から“新造人間”が生まれて(その辺のからくりは終盤に明らかになりますが。)きて、逃げ出した先で非常に都合よく戦闘ロボットが大量に眠っていた工場を見つけたり、病人・老人だらけの軍事政府に反抗して、政府中枢の上条将軍(大滝秀治)の息子、上条大佐(西島秀俊、八重の兄様)がクーデターを起こしたり、東博士が怪しい言動を見せたり、いったい悪者は誰だ???、“キャシャーン”は誰と戦えばいいんだ???、これ収拾がつくのか???、と思ってしまいました。(結局収拾がついたかどうかは秘密です。) 結局、監督の言いたいことは“平和”みたいですから(最後に最悪の形で、テーマが明らかになります。)、どう考えても、最も悪い奴は、大亜細亜連邦共和国(今時、大真面目にこんな名前使うヤツがいたんですね。)の軍事政府ですから、ブライキング・ボスら“新造人間”軍団(と言っても4人のうちボス以外の3人は結構あっさり死んでしまい、ボスが拾い物のロボット軍団を率いて廃墟を行進しているだけでしたが。)と、“キャシャーン”こと東鉄也が、いったんは戦いますが、やがて手を組んで、上条大佐率いる軍隊、つまり大亜細亜連邦共和国政府と戦うという方向に行くんだろうなあ、と勝手に思っていました。(ということは、そうならなかったということですね。) それから、きれいだと評判の映像ですが、僕には、このほぼCGの風景があまりにも人工的過ぎて、非常に嫌でした。確かにきれいでかっこいい映像の連続なのですが、すごい違和感、いや嫌悪感を抱きつつ見ていました。 昔、絵の具のセットに入っていた“ビリジアン”という緑色を思い出しました。かつて、子どもが使う絵の具のセットには、必ず、“ミドリ”ではなく、“ビリジアン”が入っていました。(最近は“ミドリ”というのが入っているセットもあるようですが。) 僕はこの“ビリジアン”が嫌いでした。それは非常に人工的な緑色過ぎて、風景画では全く使えなかったからです。目の前に見ている風景の中の自然な緑の色が、この”ビリジアン”では、どうやっても出せなかったからです。だから、いつも青と黄色の混ぜ具合を考えて、できるだけ自然の緑に近い色を作っていた覚えがあります。大きくなってから、“サップグリーン”とか、“オリーブグリーン”とか、自然の色に近い緑色があることを知って、これらの色は非常に好きになりました。 また、ストップモ-ションや意味のよくわからない繰り返し、モノクロ映像や、何が言いたいのかよくわからない光の線、無音や無言が妙に長いところなど、はっきり言って、よく意味のわからない斬新な映像が多用されているところにも閉口しました。 東博士役の寺尾聡さん、ルナの父親で東博士の協力者上月博士役の小日向文世さん、鉄也の上官役の寺島進さん、鉄也の母親役の樋口可南子さん、キャシャーンを助ける老医師役の三橋達也さん(遺作だそうです。)、上条将軍役の大滝秀治さんなど、ベテラン俳優陣がいい味を出していましたし、西島秀俊さん、及川ミッチーさん、唐沢寿明さん、宮迫博之さんなど悪役陣も、力の入った怪演を見せてくれましたし、主役の伊勢谷友介さんはもちろんのこと、豪華キャストの皆さんはとてもいい演技を見せてくれていましたので、非常にもったいない感が強い作品だと、思ってしまいました。 ちなみに、僕のお気に入り女優の中のひとり、麻生久美子さんが非常に美しく撮れていたのは、非常にうれしく思いました、と、一言付け加えておきます。
2013.08.25
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「ザスーラ」 Zathura : A Space Adventure 2005年 アメリカ映画監督 ジョン・ファブロー出演 ジョシュ・ハッチャーソン ジョナ・ボボ クリステン・スチュワート ティム・ロビンス 以前紹介した、ロビン・ウィリアムス主演で、子役時代のキルスティン・ダンストが好演していた、恐ろしいボード・ゲームのお話、「ジュマンジ」の続編です。同じ作者の絵本が原作で、映画の中のお話は直接つながってはいませんが、同じように恐ろしいボード・ゲームのお話です。 土曜日の昼下がり、パパ(ティム・ロビンス)が仕事で家を空けてしまい、6歳のダニー(ジョナ・ボボ)は、ケンカばかりしている10歳の兄ウォルター(ジョシュ・ハッチャーソン)に遊び相手になってもらおうとして、逆に怒らせてしまいます。 閉じ込められた地下室で、ダニーは、“ザスーラ“という古いボード・ゲームを発見します。リビングに戻ったダニーは、早速ゲームを始めてみますが、宇宙船のコマが動き出して1枚のカードが飛び出すと、彼らの住んでいる家は宇宙に漂い始めてしまいました。 緊急事態に戸惑った兄弟は、2階の自室で寝ていた姉のリサ(クリステン・スチュワート)に助けを求めますが、2人の言うことに耳に貸さない姉は、ゲームの力によりバスルームで凍りついてしまいます。 隕石群の襲来や、謎の宇宙人の宇宙船による攻撃で、家もボロボロになり、もはやゴールに辿り着いてゲームを終わらせるしか術がないと、兄弟は気づくのでした。 前作はジャングルをモチーフにしたゲームでしたが、今回は宇宙です。その分、いきなり宇宙空間に飛んでいってしまったり、CG技術の格段の進歩もあり、迫力は増していますが、前作を知っていると、いくら家が壊れようが、変なものが現れようが、ゲームを終わらせれば、すべて元通りに戻るということが予想できてしまうので、あまりドキドキできませんでした。 そんな風に、いまいち物語の展開に乗り損ねてしまったので、次々と隕石が飛んできて穴だらけになるのが、ゲームをしていたリビングだけで、家の外から飛んでくるのにもかかわらず、2階とかは全く無傷だったり(そのおかげで2階で寝ているお姉ちゃんが全く気が付かなかったりするんですけどね。)、そのくせ、ゲームからコールドスリープの指示があった時には、なぜかお姉ちゃんのいた2階のバスルームが冷凍室になり、カードを引いたダニーではなく、お姉ちゃんが凍り付いてしまったり、途中で現れた宇宙飛行士の正体が、パラレルワールド的な存在(詳しくは秘密)だったり、と、矛盾する部分が非常に目についてきてしまい、ますます乗っていけません。 わがままばかり言っていた末っ子ダニー(まあ、6歳だからしょうがないけどね。)と、そんな弟を煩わしく思っていた兄ウォルターと、幼い弟たちの世話をめんどくさがっていた姉リサが、危機を乗り越える中で、絆を深めるという感動的な展開に、最後は感動しなきゃいけないのかもしれませんが、そんなこんなで、やっぱりベタな展開だなあ、と冷めた目で見ている自分がいました。 まあ、基本的には、子ども向けの映画なので、ベタな展開と結末で、よかったよかったで終わるのが当たり前なので、これでいいのかもしれません。 ということで、舞台を変えて新鮮味を目論んではみたが、結局は2番煎じに過ぎなかったという、でも、子どもたちは結構楽しんで観れるのではないだろうかという、映画を今回は紹介しました。 ちなみに、長男ウォルター役のジョシュ・ハッチャーソンは、この後、「テラビシアにかける橋」「センター・オブ・ジ・アース」「ハンガー・ゲーム」と、姉リサ役のクリステン・スチュワートは、「トワイライト・サーガ」シリーズ「スノーホワイト」と、成長とともに着実にステップアップしている、次代を担うスター候補生です。しっかり名前を憶えておきましょう。
2013.08.18
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「天空の城ラピュタ」 1986年 日本映画原作・脚本・監督 宮崎駿声の出演 田中真弓 横沢啓子 初井言榮 寺田農 「ラピュタ」は、ジブリの中で2番目に好きな作品です。1番目は以前紹介した「カリオストロの城」ですから、正統派ジブリとしては1番です。 先日、憲法改正論議が湧き上がっている昨今、ゼロ戦を作った男の生涯を元にした話を作ってしまうという、アジア諸国の反感を買いかねない状況であることをわかっているのかいないのか、このほど公開されたジブリ最新作、「風立ちぬ」の宣伝のためのジブリ作品4週連続TV放送のトリとして放送されていましたので、もちろん観賞しました。(宮崎さんのことだから、戦争云々というのは全く考えていなくて、ただ単に彼の一貫したテーマ“空へのあこがれ”を描いた作品のひとつとして、受け止めてあげた方がいいと思いますが。) もう、みなさんご存知の作品ですから、今さらあらすじを紹介することは必要ないと思いますので、簡単に。鉱山で働く少年パズー(田中真弓)が、空から降ってきたラピュタの王家の末裔の娘シータ(横沢啓子)を助け、海賊(空賊?)のドーラ(初井言榮)一家の助けを借り、同じくラピュタ王家の末裔で、ラピュタ再興をもくろむムスカ大佐(寺田農)をやっつけて、天空の城ラピュタをぶっ壊すお話です。 で、この「ラピュタ」のどこが気に入っているのか考えてみました。 まずは、なんといってもシータですね。この見た目は地味でおとなしそうなんですが、シンがしっかりしていて、いざとなると頑張ってしまうという、ジブリのヒロインの典型であるシータが、なんといってもかわいいんですね。(ラナもナウシカもサツキもクラリスもキキも千尋もサンもソフィーもアリエッティも、みんな同じタイプですよね。もろ、ぼくの大好きなタイプです。1番はクラリスだけどね。) 特に、パズーとシータがドーラ一家の世話になることになり、彼らの船(飛行船)に乗り込んだ時、ドーラのでっかいズボンを渡され、ウエストを絞ってはき(これがまたカワイイ!)、キッチンでドーラから、「お前の受け持ちだよ。」と言われ、荒れ放題のキッチンにびっくりしますが、腕まくりをして片づけ始める場面が、彼女の性格がよくわかって、1番好きですね。 それから、ドーラ一家ですね。男気溢れるばあちゃんドーラ(若い頃はシータにそっくりだったという話ですが、シータが年を取るとああなると思うと恐ろしいです。)と、頭の中まで筋肉なおバカですが、気のいい息子たち(ほかの手下たちも同様ですが。)、大好きです。ラスト、崩壊するラピュタの中から、全員無事で逃げ出しており、ちゃっかりお宝をゲットしているところなど、「こいつらプロだ!」と思いました。(ベタだけどね。) あと、映像がいちいち美しいのもいいですね。冒頭の夜空をゆっくり落ちてくるシータの映像に始まり、朝屋根の上でラッパを吹くパズーと飛んでくるハトたち、地下洞窟で星空のように光る飛行石のかけらたち、雲の中から現れる巨大飛行戦艦ゴリアテ、そして、ラピュタの美しい庭、などなど美しい映像が続きます。 もちろん、ジブリの映画はいつも非常に丁寧に作ってあって、どの映画も美しい映像ばかりなのですが、その中でもトップクラスではないでしょうか。 もちろん宮崎駿監督の生涯のテーマである“空へのあこがれ”をストレートに表現しているストーリー、そして、平和を訴えるメッセージが素晴らしいのは言うまでもないことです。 ということで、ジブリ随一のお気に入り作品を今回は紹介しました。 ところで、「ラピュタ」のTV放送の度に話題になる“バルス祭り”ですが、今回はサーバーの方で、十分に準備して臨んでいたようで、参加者がまた異様に増えたようですが、サーバーダウンには至らなかったようですね。 蛇足ですが、この映画には、いつも「海賊王に、オレはなる!!」と叫んでいる同じ声で、「オレは海賊にはならないぞ!!」というセリフが聞けるという特典がついていることを知ってました?
2013.08.17
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「パラノーマル・アクティビティ第2章TOKYO NIGHT」 2010年 日本映画監督 長江俊和出演 青山倫子 中村蒼 ずーと依然、紹介しました低予算で大ヒットした映画「パラノーマル・アクティビティ」の日本版続編です。前作の監督オーレン・ペリが、日本版を観てみたいと希望し、実現した作品です。時系列的にも、「1」の次の話にあたります。(アメリカ版の「2」「3」は前日談になります。) 東京の閑静な住宅地の一軒家に住む山野家に、27歳の長女、春花(青山倫子)は旅行先のアメリカで交通事故に遭い、両足を複雑骨折して車椅子で帰国しました。 浪人生で19歳の弟、幸一(中村蒼)は、そんな姉を買ったばかりのビデオカメラで出迎えます。父は出張が多く、不在がちなため、半年は自力で歩けないという春花の介護は幸一の仕事になります。 ほどなく、春花の部屋に置いた車椅子が朝になると移動したり、盛り塩が踏み荒らされたりする怪事件が発生します。 ただならぬものを感じた幸一は、嫌がる春花を説得し、超常現象の正体を掴むために、ビデオカメラを春花の部屋に設置し、そこで起こる出来事を撮影することにします。それをPCでモニターしておけば、姉に何か起こってもすぐに駆けつけられるからです。 しかし、そこに潜む“何か”は幸一の想像を遥かに超えていたのでした。 「1」同様、昼間は手持ちカメラ(時々、特に食事中は、置きカメラ)、夜は寝室に置かれた定点カメラで、顛末の一部始終を映し出していきます。 なぜ、食事中カメラを回すのか?(なぜか、2人の食事風景が何度も何度も映されます。ラーメンとか、焼き肉とか、ほぼストーリーと関係ないです。姉は動けないから、弟が作っているんだろうなあ。)とか、友達が来たときや、お払いの陰陽師(だよね?)が来た時(不謹慎?)にもしっかりカメラを回しているのは、なぜか?(HDD内臓で長時間録画可能ということですね。)とか、どうして、妖しい異変が起こる部屋で平気で1人で、電気を消して寝てられるの?(ここは姉弟といえども、「怖いから、一緒に寝て。」と頼むのが普通でしょう、お姉ちゃん。きれいなお姉ちゃんだから、弟はドキドキだけどね。)とか、不可解なところが満載です。 とりわけ、最もわからない謎は、両足骨折しているお姉ちゃんの寝室が、なぜ2階なのかということです。元々、お姉ちゃんの部屋が2階にあったのはわかりますが、荷物を降ろしてきて1階で寝るようにするのが普通ですよね。お父さんは不在で部屋が空いているはずだし。 弟が毎朝毎晩抱っこして運ぶんだろうなあ、大変だよね。それとも、弟はお姉ちゃん大好きだから抱っこして運びたいのかな?そうか、そうすると一緒に寝るのは危険だな。(勝手に変な妄想をしてるんじゃねえよ!!!!と、1人ボケツッコミです。) このようにツッコミどころは満載ですが、姉と弟の2部屋の定点カメラ映像を、同時進行で2つ並べた映像はなかなか面白いし(特に、姉が悲鳴を上げて、弟が駆け付けるところがいいですよ。)、「1」と同じような結末だけど、もう一工夫あるところは、さすが定評あるジャパニーズ・ホラーと思ってしまうし(タクシーの運転手さんはトバッチリで、かわいそうだけど。)、「1」よりは面白いと思ってしまいました。 なお、なぜ、東京が舞台なのに続編なのかというと、姉が両足を骨折した交通事故、アメリカで殺人の容疑者の女性を轢いて死なせてしまった事故、というのが関係しているのです。(詳しくは秘密) ということで、アメリカの低予算ホラー映画のジャパニーズ・ホラーとして作った続編が、意外と面白かったというお話でした。 ところで、霊感少女のため、気持ち悪くなって帰ってしまった、あの娘はどうなったのでしょうか、まったく語られていないので、気になってしょうがありません。(やっぱり陰陽師と同じ結末でしょうか。かわいそうです。ちょっとタイプだったので、余計気になります。)
2013.08.14
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「恐怖のメロディ」 Play Misty for Me 1971年 アメリカ映画監督・主演 クリント・イーストウッド出演 ジェシカ・ウォルター ドナ・ミルズ ドン・シーゲル 今やアカデミー賞も受賞し、押しも押されぬ名監督となったクリント・イーストウッド監督の最初の作品です。 意外なのは、公開年が1971年、なんと彼の出世作「ダーティハリー」と同じ年です。彼は大スターになってから監督もやるようになったと思っていましたが、まだまだマカロニ・ウエスタンに出演していただけのこの時期に、すでに監督を始めていたのですね。 ディスク・ジョッキーとして、モントレイ半島では最高に人気のあるデイブ・ガーランド(クリント・イーストウッド)はKRMLラジオのスターでした。彼にはチャーミングな恋人トビー(ドナ・ミルズ)がいましたが、彼女はある日、突然、デイブの前から姿を消していました。 デイブの番組には、決まった時間に“ミスティ”という曲をかけてと判で押したようにリクエストする若い女の常連リスナーがいました。 ある夜、デイブが、事務所がわりに使っているバーに顔を出すと女のひとり客がいました。スマートな美人で、デイブのファイトをかきたてるに充分だった。デイブがバーテンのマーフィー(ドン・シーゲル)とゲームを始めると予想通り、女は身を乗り出してきました。 女の名はイブリン・ドレイバー(ジェシカ・ウォルター)といい、毎晩“ミスティ”をリクエストするのは彼女だったのです。デイブは彼女のアパートに押しかけ、一夜を共にします。 その晩以来、イブリンは勝手に彼の部屋に押しかけるようになってしまいます。 序盤、DJとそのファンの恋愛映画かなと思い、似合わないなあと思っていたら、だんだん怪しい雰囲気になってきて、イブリンはストーカーになっていきます。もちろん、当時ストーカーという概念はなかったかもしれませんが、彼女の自己中さ、図々しさ、妄想さは、思いっ切りうっとうしいストーカーです。 もちろん、深く考えずに、行きずりの女と、つい一夜を共にしてしまったデイブがいけないのですが、だんだん常軌を逸してくるイブリンの行動は、必見です。 確かに時代的な制約(何しろ1971年ですから)か、役者の演技力の問題か、デイブと再会した彼女トビーが、浜辺で逢引き(デートというよりは逢引きといった方が似合う雰囲気です。)する場面が無駄に長すぎるとか、だんだん常軌を逸していくイブリンの変貌がいまいちだとか、デイブがあまりにも体格が良すぎて強そう(そりゃそうだ。)で、あんなストーカーなんて簡単に取り押さえてしまえそうだとか、結末があっさりしすぎている(もっと悲惨な結末のほうがよかったと思いますが、どんな結末かは秘密です。)とか、おそらくは監督の演出とは違うところで、というか、役者としての実績も少ない新人監督としては、すべて思う通りにできなかったというのが正直なところでしょうが、今ひとつなところが見受けられる作品ですが、第1回監督作として、現在の地位を築く片鱗が見受けられる作品ではないでしょうか。 ということで、以前、このブログで、書いたことがあると思いますが、名監督というのは、最初の作品からやっぱりいいものを作る、ということを証明した作品です。 しかし、クリント・イーストウッドって、役者としてはアクション系でスターになった人ですが、監督としては、最初から社会派だったんですね。
2013.08.11
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「フィラデルフィア」 Philadelphia 1993年 アメリカ映画監督 ジョナサン・デミ出演 トム・ハンクス デンゼル・ワシントン アントニオ・バンデラス メアリー・スティーンバーゲン トム・ハンクスが、初めてアカデミー賞主演男優賞を受賞した作品です。「シンドラーのリスト」が作品賞・監督賞をはじめ、7部門独占した回で、その主演のリーアム・ニーソンを抑えての受賞です。 主演賞単独受賞の作品に、名作はないという噂があります。確かに、その主演俳優だけが突出して目立っているための受賞ととらえることもできるわけで、この映画はどうだろうか、とちょっと気になっていた作品です。 フィラデルフィアの一流法律事務所に務める弁護士アンディ・ベケット(トム・ハンクス)は、重要な案件を任されるなど、その手腕を買われ、期待されていました。しかし、その重要案件の訴状が紛失しかかり、危うく提訴できなくなるという事件が起こります。その後、突然呼び出されたアンディは、ウィラー社長に解雇を言い渡されます。 アンディは、実は同性愛者であり、エイズに侵されていました。会社には内緒にしていたのですが、日々体調は悪くなり、顔などにあざが目立つようになってきていたのです。 弁護士ジョー・ミラー(デンゼル・ワシントン)は、以前敵同士として渡り合ったアンディの突然の訪問に驚きます。自分の解雇が不当だと思い、訴訟を決意したが、方々で断られてきたと語るアンディに、ジョーはエイズに対して抜きがたい恐怖を感じていたため、申し出を断ってしまいます。 しかし、世間の冷たい視線に対しても毅然と対処し、結局自分で弁護するため、図書館で熱心に資料を漁るアンディの姿に、ジョーの心は動かされ、弁護を引き受けます。 解雇から7カ月後、“自由と兄弟愛の街”フィラデルフィアで注目の裁判が開廷します。 正義感にあふれ、アンディの家族にも真摯に接することができる、まじめな弁護士ジョー役を、落ち着いた感じで演じたデンゼル・ワシントン、エイズに侵された恋人をけなげに看病するミゲールを抑えた感じで演じていたアントニオ・バンデラス(ゾロの人)、憎まれ役の会社側の弁護士を聡明な感じを前面に出して演じたメアリー・スティーンバーゲン(ドクの彼女クララ)、彼らの演技もなかなかでしたが、やっぱり、画面に映し出されるたびにやつれ弱っていく様子が非常にリアルに伝わってくるが、目だけは執念の光を放ち続ける主人公アンディ・バケットを演じたトム・ハンクスの鬼気迫る演技は群を抜いていました。 お話自体は、予想通りの展開で、アンディとジョーは勝訴を勝ち取り、アンディは最後に亡くなりますが、トム・ハンクスの迫力に、やっぱり感動の結末でした。(誰もが予想できる結末ですので、はっきり書いてしまいました。ごめんなさい。) だから、取り立てて名作というわけではありませんが、淡々とした真面目な語り口で、好感の持てる秀作でした。 デンゼル・ワシントン演じるジョー・ミラーは、最初にアンディ・ベケットの訪問を受けた時、まず、彼の変わりように驚き、そして、エイズと聞いて、アンディが部屋の中で触れたいくつかの場所に視線を配り、アンディの帰宅後、すぐに医者の検査を予約します。 このジョーの最初の行動でも分かる通り、1981年にアメリカで初めて同性愛男性から発見され、広がり始めたころ、原因不明の死の病に対する恐怖感に加えて、感染者にゲイや麻薬の常習者が多かったことから感染者に対して社会的な偏見が持たれました。 偏見や誤解からくる差別は、そのものに対する情報の欠如から来ること多くあります。根拠のないうわさや伝聞に左右されることなく、冷静に対処し、当事者に嫌な感情を抱かせないために、あらゆる機会を通じて、正しい知識を伝えるということは大事なことです。 もちろん、それはエイズに関することに限ったことではなく、人種や宗教、出身や性別、病気や障害など、この世界のあらゆる差別に言えることであり、映画やTV、書籍やネットなど、現代社会に氾濫する非常に多くの情報の中から、正しい情報を冷静な判断力で正しく選択することが重要です。 そういう意味で、この映画は非常に価値ある存在だということが言えるでしょう。 ということで、トム・ハンクスのアカデミー賞受賞にふさわしい迫真の演技が印象的な、見ごたえのある社会派ドラマを今回は紹介しました。 氾濫する情報を確かに判断する目を持ち、物事を正しくとらえ、いわれなき偏見によって人を傷つけることなく、多くの人々に信頼される人になりたいと常々思っています。
2013.08.04
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「ドラゴン・タトゥーの女」 The Girl with the Dragon Tattoo 2011年 アメリカ映画監督 デヴィッド・フィンチャー出演 ダニエル・グレイグ ルーニー・マーラ クリストファー・プラマー スウェーデンのベストセラー小説「ミレニアム」3部作の第1作を映画化した作品です。本国では、すでに3部作とも映画化されており、このアメリカ版も3部作になる予定だそうです。 「セブン」「ファイトクラブ」のデヴィッド・フィンチャー監督で、米アカデミー賞5部門ノミネート(受賞は編集賞のみ)というミステリー映画です。 ミレニアム誌の記者ミカエル・ブルムクヴィスト(ダニエル・クレイグ)は、大物実業家ヴェンネルストルムのスキャンダルを告発する記事を書きましたが、名誉棄損を訴える裁判に敗れ全財産を失い、落ち込んでいました。そこへ、一族企業を率いる実業家ヘンリック・ヴァンゲル(クリストファー・プラマー)の弁護士フルーデから電話がかかってきました。 招きに応じて、ヴァンゲル一族が住む町ヘーデスタを訪れたミカエルは、多額の報酬とヴぇンネルストロムに打撃を与える情報と引き換えに、1966年に痕跡を残さず突然失踪した少女ハリエットの行方の調査を依頼されます。 一方、かつて事件を起こし精神病院にいたことがあるため、後見人に生活を管理されている天才ハッカー・リスベット・サランデル(ルーニー・マーラ)は、老齢の後見人が倒れ、新しい後見人を紹介されます。ところがこの新後見人は、高圧的で、リスベットが無心に訪れるたび、性的関係を求めてくるとんでもない男でした。リスベットは、スタンガンで眠らせ、ベッドに縛り付け、屈辱的なタトゥーを胸に彫り、今後は自由にふるまえるように約束させます。 ヘーデスタのコテージに居を構えたミカエルは、膨大な資料を調べ、一族の人々や当時の景観などから聞き込みを続けるうちに、ハリエットの失踪が、ある未解決の連続殺人事件と関係あることを突き止め、調査の助手が必要だと、フルーデに相談します。 フルーデが紹介してきたのはリスベットでした。実は彼女は、ヘンリックの依頼で、ミカエルの身辺調査を行い、個人PCにハッキングすることで、非常に詳細に至る報告をしていたのです。 写真を詳細に調べ手がかりを見つけたり、ちょっとしたメモの意味を考えたりする中で、少しずつ謎が明らかになっていく、見ごたえのあるミステリーで、フィッシャー監督お得意の、場面転換の最後の画面に次の場面のセリフがかぶさってくる編集も相まって、行き着く間もなく画面にのめりこんで、非常に楽しんで観賞してしまいました。 そんなストーリーの妙も魅力ですが、この映画、なんといっても、注目すべきはリスベットです。 幼い頃、母親とともに父親の虐待を受け、その父親を殺害してしまうという、悲惨な過去があり、そのため、感情表現や他人とのコミュニケーションがうまくないのですが、調査能力が非常に優れており、いざという時の判断力・行動力も目覚ましく、味方につけることができれば、これほど頼りになる戦力は他にないでしょう。 題名にあるように、全身のタトゥーやピアスが異彩を放っていることもあり、抜群の存在感を発揮しています。 事件の捜査をする記者ということで、007と同じような活動をしているのですが、殺しのライセンスは持っていないので、どうしても007と比べてしまい、何となく物足りなさを感じてしまう、ダニエル・クレイグ(特に、終盤、悪い奴にほぼ抵抗できずにつかまってしまうところなど、「何やってんだよ、ジェームズ・ボンド!!」と、つい思ってしまったぐらいです。)を、完全に圧倒しています。 それでいて、最後にはちょっと乙女チックな一面も見せてくれますので、3部作の今後の展開が非常に楽しみになってきてしまいます。 ということで、続編が待ち遠しい、非常に上質のミステリーを、今回は紹介しました。 ところで、リスベット役のルーニー・マーラ、実際は、ちゃんと眉毛もあり、非常に表情豊かな美しい女優さんです。この映画での変身ぶりを考えるに、米アカデミー賞主演女優賞をとれなかったのは非常に残念です。対抗馬が、アカデミー賞好みの実在の人物をそっくりに演じた、常連のメリル・ストリープじゃあ、しょうがないかな。まあ、まだ若いんですから、これからチャンスはいっぱいあるでしょう。
2013.08.03
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「オールウェイズ」 Always 1989年 アメリカ映画監督 スティーヴン・スピルバーグ出演 リチャード・ドレイファス ホリー・ハンター ジョン・グッドマン オードリー・ヘップバーン 三丁目ではありません。 スピルバーグ監督が、気心の知れたリチャード・ドレイファスの主演で作った、大人のファンタジーとでもいえる恋愛ドラマです。往年の大スター、オードリー・ヘップバーンの最後の出演作としても知られる作品です。 1943年の「ジョーと呼ばれた男」という日本未公開作のリメイクだそうです。 森林火災の消火飛行隊員ピート(リチャード・ドレイファス)の恋人、ドリンダ(ホリー・ハンター)は、誕生日にピートからドレスとハイヒールをプレゼントされた夜、消火飛行のパイロットになりたい、と言い出します。 許さないピートに彼女は、友人で同僚のアル(ジョン・グッドマン)から聞かされていたパイロット養成学校の教官になるよう頼みます。死と背中合わせの仕事を続けるピートを心配したドリンダの心を察した彼は、それを約束します。 ところが、非番の日に起きた山火事の出勤を命じられたピートは、ドリンダの制止も聞かず飛行機に乗り込み、飛び立ちます。 消火作業中、エンジンに火のついたアルの飛行機を鎮火させようとしたピートは、逆に爆死してしまうのでした。 天国でピートはハップ(オードリー・ヘップバーン)という天使と出会い、彼の後を継ぐ若いパイロットに彼の霊感を与え、導いてやってほしいと言われます。 こうしてピートは、アルが所長をすることになった養成学校の生徒テッドにアドバイスを与えることになるのでした。 ということで、思わず、「いい話やなあ~。」と言ってしまう話ですが、そんなに名作とは思いませんでした。というのも、お話の展開が予想できてしまうからです。 最愛の彼女を残し思わぬ事故で命を落としてしまったが、天使の助けで文字通り影ながら若者を助けようとするピート、最愛の人の死の悲しみから立ち直りアルのパイロット養成学校を手伝おうとするドリンダ、命を落とした親友に助けられた命を次代を担う若者たちの養成に捧げるアル、アルの元、一人前の消火飛行隊員を目指す若者テッド、そこに、また大規模な山火事が起こり、彼らがとった行動に、「やっぱり!」と思ってしまいました。 でも、まあ、何か安心できるいい話なので、安らかな気持ちには、なれると思います。 ところで、僕は、別なことが気になってしまいました。 それは、主人公ピートが命を懸けて助けた親友アルのことです。 アルは、ピートの同僚として、ピートとともに森林火災の消火飛行隊員として働いていましたが、そろそろ引退して、後釜を育てるべく、森林火災消火のパイロット養成学校を開こうと画策していました。ピートにもその学校の教官として誘いをかけており、今回の出動を最後にしようと、2人で出動していったのです。その現場で、アルの飛行機に火が付き、危機一髪の時、ピートが機転を利かせてアルの機の上から消火剤を散布して、見事に消化をしたのですが、今度はピートの機が引火してしまい、ピートは命を落としたわけです。 ドリンダは、ピートの彼女でしたが、もちろんピートの親友として、アルとも結構仲良しでした。僕が思うに、アルもドリンダが好きだったのではないでしょうか。 ピートの死後、アルが計画通りパイロット養成学校を開校し、ピートの死から立ち直りつつあるドリンダにその手伝いを頼みます。 アルは自分を助けるためにピートが命を落とした事実から、いくらドリンダのことが好きであっても、おいそれとドリンダと結ばれるわけにはいかなかったのでしょう。最愛の人をなくして意気消沈している彼女に、代わりに打ち込む道を用意してあげるぐらいしかできなかったのではないでしょうか。 そう考えると、上にも横にも大きい巨漢ですが、見るからに人の良さそうなやさしい男の悲哀が気になって、何とか彼にも幸せになってほしいな、と思ってしまいました。 ということで、愛し合う2人が死によって切り裂かれますが、超常的な力で、何とか幸せになることができるという、大人のファンタジーでした。 ところで、若い頃大好きだったオードリー・ヘップバーンですが、まあはっきり言ってすっかりおばあちゃんになっていましたが、非常に上品で、やっぱり美しい姿を久々に観られて、うれしかったです。
2013.08.02
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「ゴーストライター」 The Ghost Writer 2010年 フランス・イギリス・ドイツ映画監督 ロマン・ポランスキー出演 ユアン・マクレガー ピアース・ブロスナン 「ボーン・シリーズ」「96時間」に続いて、CIAは怖いと思う映画を紹介します。 元イギリス首相アダム・ラング(ピアース・ブロスナン)の自叙伝執筆を依頼されたゴーストライター(ユアン・マクレガー)に出版社が提示した条件は、米国で講演中のラングが滞在する島に今夜中に発ち、25万ドルという破格の報酬で1ヶ月以内に原稿を仕上げるという厳しいものでした。しかし、政治には興味がないし、前任者がフェリーから転落死したということもあり、彼は気乗りがしませんでした。 代理人に説得されてラングの自叙伝を出版するラインハルト社に面接に行くと、そこにはラインハルト社ニューヨーク支部のマドックス、ラングの弁護士クロールも顔を揃えていました。言いたいことを率直に話すと、かえって気に入られてしまい、いつの間にか仕事を引き受ける羽目になってしまいました。 ヒースロー空港の待合室では、ラングがイスラム過激派のテロ容疑者に対する不当な拷問に加担した疑いがあるというニュース速報が流れていました。飛行機を降り、ラングが滞在する東海岸の島へ向かうフェリーに乗り継ぎます。そのフェリーは前任者マカラが泥酔して落ちたフェリーそのものでした。 ラングの邸宅は厳重な警備が敷かれ、中へ入るや否や、女性の怒号が響いてきます。ラングの妻ルースは機嫌が悪い、と専属秘書のアメリアに説明されました。彼女は守秘契約書にサインするように求め、自叙伝の草稿の屋外への持出しは厳禁だと言います。 取材をしながら原稿を書き進めるうちに、ラング自身の過去に違和感を覚えた彼は、前任者の不可解な死を追いかけてしまい、国家を揺るがす恐ろしい秘密に触れてしまうのでした。 このポランスキー監督の映画って、あまり見ていないのですが、「戦場のピアニスト」の時に思ったのですが、風景で雰囲気を作るのがうまいなあと思いました。 「戦場のピアニスト」の時は、ゲットーの街並みや、移動の際ユダヤ人たちが集められた広場の様子(そう、主人公の家族たちがキャラメルを分け合っていたあの広場です。)、そしてやっぱり圧巻は、主人公がしばらく隠れていた誰もいなくなったワルシャワの真っ白な廃墟の町(パッケージ写真のヤツね。)、登場人物の心情や話全体の雰囲気を殺伐とした風景をワイドな絵で見せることで、表現し、否が応でも悲しい気持ちにさせられてしまいました。(もちろん泣ける理由はそれだけではないけどね。) すごい古い映画(1968年)なんですが、「ローズ・マリーの赤ちゃん」というこわーい映画があります。確かまだ僕が高校生か大学生の頃だと思うんですが、TVで観たことがあって、はっきり言って内容はほぼ覚えていないのですが、ミア・ファローという非常にかわいらしい女優さんが主演なんですが、暗い画面が多く、非常に怖かった覚えがあります。(僕のホラー嫌いはこの辺から来ているのかもしれない。) そして、この映画では、アメリカ東海岸の島(ナンタケット島?)だという元イギリス首相ランダの別荘(イギリスではなくアメリカですからやっぱり別荘だよね。)の周辺の全面ほぼグレーの風景、別荘の中の直線的な無機質な感じの家具がポツンポツンと置いてある冷たい感じの部屋、そしてラストの大都会の殺伐とした感じのストリート、そんな重苦しい風景たちが、映画全体の重苦しい雰囲気を作っています。 ユアン・マクレガー扮する主人公のゴーストライター(全編にわたって名前が出てきません。“ゴースト”ライターだから?ラングはそのまま「ゴースト!」と彼を呼んでいます。)は、今ひとつ乗り気になれないまま、何にしても引き受けてしまったのだから真面目に取り組もうと、島にやってくるのですが、時を同じくして、元首相のスキャンダルが発覚し、スタッフは忙しそうに対応に追われていますし、マスコミは押し寄せてきますし、肝心の元首相はなかなか姿を見せません。 そんな中、不幸にもフェリーから落ちてなくなった前任者が書いていた原稿を読んだり、資料を調べたり、関係者に話を聞いたりと、まじめにラングの自叙伝を仕上げようとしているのですが、どうしても、部外者として、この場にいちゃいけない感じがぬぐえません。そんな中、この元首相の周辺には、騒がれているスキャンダルの他にも何かしらの秘密があり、それが前任者の死に絡んでいることに気づいてしまい、そして………。 そんな、ゴーストライターの孤軍奮闘を、シリアスにユアン・マクレガーが演じています。彼が出演している映画は今までにいろいろと観てきましたが、こんなに感情を押しおろしたシリアスな演技ができるとは思えませんでした。これは、彼のベスト演技ではないでしょうか。 そんな重苦しい雰囲気の中、ユアン・マクレガーが孤軍奮闘する、なかなか上質のサスペンス・ミステリーでした。最後には恐ろしい結末が待っており、アメリカって怖いと思ってしまうこと請け合いです。 やっぱり元MI6の凄腕エージェントだった元首相ですから、CIAが絡んでくるのはしょうがないよね、と思ってしまったのは私だけでしょうか。(笑)
2013.07.31
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「フォーガットン」 The Forgotten 2004年 アメリカ映画監督 ジョセフ・ルーベン出演 ジュリアン・ムーア ドミニク・ウェスト ゲイリー・シニーズ このDVDは、サスペンスコーナーにありました。パッケージの解説を読んでも、ミステリー系のサスペンスと思われました。 でも、はっきり言って、サスペンスではありませんでした。でも、記事の分類としてはサスペンスにしておきます。それは、その分類を明らかにするということがネタバレになるからです。 でも、はっきり言って、今回はネタバレをせずに、この映画を批評することは不可能だと思いました。そこで、はっきりネタバレな文章になっております。これから、この映画を観て、純粋に驚きたい方は、あらすじ以降(つまり2つめの写真以下)の文章を読まないようにお願いします。 ただし、はっきり言って、感動しないと思いますよ、というか、ガッカリするか怒りを抱くかどちらかです、「サイン」や「ハプニング」や「フォースカインド」などの映画に感動できた人以外は。 テリー(ジュリアン・ムーア)が、9歳の1人息子サムを飛行機事故で失ってから14カ月、失意の日々を過ごす彼女の周りで、異変が静かに始まりました。 家族3人で撮った記念写真からはサムの姿だけが消えており、夫のジムは元々息子など存在しないと言います。精神科医マンス(ゲイリー・シニーズ)は、テリーは流産し、そのショックの余り想像上の息子を創り出したのだと説明します。 すべてが妄想だと決めつけられ、慌てたテリーは、同じ飛行機事故で娘ローレンを失った元プロ・ホッケー選手のアッシュ(ドミニク・ウェスト)を訪ねます。最初は自分に娘などいないと言っていたアッシュでしたが、やがて記憶が戻ります。 その頃、テリーは国家安全保障局を名乗る男たちに身柄を拘束されていました。アッシュは護送車両からテリーを逃がし、2人は警察からも国家機関からも追われる身となってしまうのでした。 最愛の息子の形跡が、自らの記憶以外すべて跡形もなく消えてしまう、つい前日まで一緒に悲しんでいた夫さえ、息子のことを覚えていない、いったいどういうことなんだろう、本当に精神科医の言うように彼女の妄想なんだろうか、なかなか興味をそそるミステリーです。 ジョディ・フォスター主演の「フライト・プラン」に似ていますが、旅先の飛行機の中という一時的な限定された空間ではなく、この映画では、自宅で息子の写真など、その痕跡一切を含めてなくなってしまっているのです。周囲の人間が彼女をはめようとしているとしたら、非常に手が込んでおり、なかなか大変な作業です。 しかも、その目的がよくわかりません。すでに飛行機事故で亡くなっている息子の痕跡をきれいさっぱりなくしてしまって、いったい彼女に何をしたいのか、何の得があるのだろう。 いろいろと考えながら見ていたら、1つの嫌な予感が頭をよぎりました。 それは、もしかして、超常現象なのか???ということです。何か、人類の力では及ばない、超自然な力がかかわっているんじゃないか???ということです。 でも、まさかそんな風に話を持って行くなんて、まじめに謎解きを考えている観客に対して不誠実だし、はっきり言って反則だよな、そんなはずないよな。と思っていました。 そうこうしているうちに、もう1人、同じ飛行機事故で娘を亡くした男が現れます。というか、彼とテリーはその事故つながりで同じ悲しみを抱いているということで、知り合いでした。その元アイスホッケー選手のアッシュは、はじめ娘のことを忘れていたのですが、テリーの働き掛けで思い出すのです。 ということで、自分の子どもを亡くし、その痕跡を奪われた人物が2人現れたので、テリーの妄想説はなくなりました。 そこへ、国家安全保障局なる男たちが現れ、テリーとアッシュを捕まえようとします。ということで、何らかの陰謀が潜んでいる説決定です。 なるほど、国家的陰謀なんだ、確かに手の込みようからしても、規模が大きそうだからなあ、と納得しつつ、今度はますます、その目的がわからなくなります。 事故の原因とかに国家機密などが絡んでいるのだろうか、でも、子どもの存在そのものを抹殺する必要はないぞ。余計な詮索しないように、賠償金とか、カウンセリングなどのアフターケアを遺族に手厚くしておけば丸く治まる話ではないか。 もしかして、これは事故ではなく、子どもの拉致ではないだろうか、と、映画の中のテリーたちより若干早く(残念なことに本当に若干でした。)気が付きました。 しかし、こんな無理やりな形で子どもを拉致してどうしたいんだろうか、しかも、周囲の人間の記憶を操作してまで、その存在の痕跡をすっかり消してしまうという非常に手の込んだ形で。 こんな大風呂敷をどんな納得できる形でたたんでいくのか、その後の展開が非常に楽しみになってきた途端、話はちょっと違う方向へ進み始めます。 そう、先ほどの嫌な予感が、目に見える形になってきたのです。 「えっ、ウソだろ!!!???」と思いました。「なんやそれ!!??逃げるんかい、あまりにも大風呂敷過ぎて、納得できる結末ができなくて逃げるんかい!!!、真面目に謎解きをしていた、おれたちの気持ちをないがしろにするんかい!!!」と思ってしまい、非常に非常にがっかりしました。 黒幕は人類を超越した存在でした。しかし、映画の中では、その彼らが何なのかということは、まったく語られておりません。もちろん、その正体を推し量るべき手がかりも全くありません。 ネットでこの映画を検索したら、多くのページで、“宇宙人”と書いてありました。しかし、いくらこの地球よりも格段に科学が進歩した宇宙人だとしても、人間の十年以上分の記憶(テリーが逃亡後夫のジムに会いに行ったら、ジムはテリーの存在を忘れさせられていました。ということは、サムが9歳でしたから、結婚前の交際期間も考えると12年以上分ということになります。)を操作したり、あんな逆バンジーみたいな形で勢いよく人間を素っ飛ばしたり、すべてが終わった後、何事もなかったかのようにすべてを元通りにしたり、ということを考えると、宇宙人というよりは、悪魔や神のような超常的な存在の方が可能性が高いと思います。(それとも、X-men?) 宇宙人と言えども、基本的には物理法則には支配されているはずだから、いくら地球人では考えもつかないようなテクノロジーを持っているとしても、地球人の脳の記憶の仕組みを奥底まで理解しているとは思えない(地球人でも解明できてないのに、)し、この宇宙のすべての物質に働くはずの万有引力に反する行為をあんなにピンポイントでできるとは思えないからね。(この意味が分からない人は、賢い理系の人に説明してもらってください。) ということで、とても面白いサスペンスだと思っていたら、話が明後日の方向へ展開し、非常に非常にがっかりしたという話でした。初めからそういう方向の話だと分かっていたら、そういう気持ちで観てるのに。 ところで、ちょっと、気になってしまったんですが、彼らはテリーの息子の写真などは見事すっかり消してしまっていたのに、アッシュの娘が家の壁に描いた絵(ちゃんと目的があって描いたものだし、アッシュも認めているので、落書きではありません。)は、どうして残していったのでしょうか。超常的な力が使えるんだから、あんなものカンタンに消せるでしょ。 もうひとつ、なぜ、彼らは14カ月待ったのでしょう。事故の起きた(つまり拉致した)直後に記憶を操作してもいいと思うのですが。というか、別に事故に見せかけなくても拉致してすぐに記憶を操作すればいい話なんですが。(そうか、そう考えると、初めから話が破綻していたのですね。)
2013.07.30
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「フック」 Hook 1991年 アメリカ映画監督 スティーヴン・スピルバーグ出演 ロビン・ウィリアムス ダスティン・ホフマン ジュリア・ロバーツ マギー・スミス もう、30年以上もたつんですね。劇場公開当時非常に話題でした。ピーターパンにロビン・ウィリアムス、フック船長にダスティン・ホフマンと、演技派で知られる大スターを配し、ティンカー・ベルが、この前年「プリティ・ウーマン」の大ヒットで一躍スターの座を射止めたジュリア・ロバーツ、そして監督がヒットメーカーのスピルバーグです。しかもその題材が、誰もが知っている童話「ピーターパン」です。話題にならないわけがありません。そして、予定通り、大ヒットでした。 でも、どうでしょう、スピルバーグの映画を言ってみろと言われて、この映画をあげる人が一体何人いるでしょう。「ジョ-ズ」や「E.T.」「インディー・ジョーンズ」や「ジュラシック・パーク」あるいは「シンドラーのリスト」「プライベート・ライアン」?今の若い映画ファンには、「えっ、そんな映画あったの?」と言われてしまうかもしれません。ヒットはしているんですが、他の大大大ヒットなスピルバーグ映画ほどには、社会現象になるほどの大ブームを呼んだわけではないのです。 僕も、劇場公開当時、リアルタイムで劇場で観た覚えがあります。しかし、残念ながら、その内容をあまり覚えていませんでした。レンタルビデオ屋で何を借りようかなあ、と思って歩いていて、ふと目についたので、久々に観てみようと、手に取ったわけです。 40歳の弁護士であるピーター・バニング(ロビン・ウィリアムズ)は、アメリカの企業付きの弁護士で、猛烈な仕事人間であり、家族を省みずに仕事に熱中する為に家族からは嫌われていました。 そんな一家が妻の祖母・ウェンディ(マギー・スミス)のいるイギリスに里帰りした晩、子供達が何者かに誘拐されてしまいます。誘拐犯が残した脅迫状には、フック船長(ダスティン・ホフマン)の名前が記してありました。 途方に暮れていたピーターに義祖母であるウェンディは、実は彼がかつてのピーターパンである事を告げます。しかし、かつての記憶を完全に忘れてしまっているピーターは、すぐには信じようとしません。 そんな時、突然妖精のティンカー・ベル(ジュリア・ロバーツ)が現れます。ピーターはティンカー・ベルと共に、さらわれた子ども達を救う為に、再びネバーランドへと向かうのでした。 なるほど、まあまあ面白いお話ですが、久々に観て僕は、いくつかのマイナス点に気づいてしまいました。 まず、このかつてはピーターパンであったというピーター・バニングというおっさんが、非常に嫌なヤツだということです。 もちろん、後半、自分がピーターパンダということを思い出し、空を飛び大活躍する姿との対比で、大人になったピーターパンが家庭を顧みない仕事人間になっていた、というコンセプトはいいと思いますよ、息子のジャックの野球の試合を仕事のために見に行けず、息子との関係がギクシャクするというベタな展開は、お約束だからいいんですよ。 ただ、僕が気になったのは、ロンドン(ピーターはなぜかウェンディの孫娘と結婚して、アメリカで暮らしています。)のウェンディおばあちゃんの家へ行ってまでも、電話(今では全く珍しくありませんが、当時は持っている人は非常に珍しかった携帯電話です。)で、仕事の話をしている、その内容です。 それは、よくはわからないのですが、森林の開発にかかわる話で、電話の相手(部下あるいは同僚)が、自然保護協会に阻まれて話が進まなく困っているということで、ピーターがどなっているのです。「フクロウか!!!」「たかがフクロウのために50億ドルが……。」 そこまで嫌なヤツにしなくてもういいだろう、ということです。仕事のため、金のため、自然環境を壊しても開発第一、そんなヤツかよ、ピーターパンって、と思ってしまいました。 2つ目に、ティンカー・ベルが、なぜジュリア・ロバーツ?ということです。 はっきり言って全くイメージと違いますよね。 確かに、この前年、「プリティ・ウーマン」が大ヒットして、ジュリア・ロバーツは次代を担うスター候補生として大ブレークしました。まさに今が旬ということなのですが、話題性としては、ダスティン・ホフマンがフック船長を演じるということで充分だと思うんですが、違いますかね。 スピルバーグ監督って、こんなに旬なスターを使いたい人でしたっけ、どちらかというと、無名な人を使ってスターに仕上げる方の監督だと思うんですが。 それから、ネバーランドの迷子たち(大人になることを拒否してネバーランドで暮らしている子たち)のリーダー、ルフィオの結末(どんな結末なのかは、一応ネタバレしないように秘密にしておきます。)です。 はっきり言って、あんな結末になる必要は全くなく、完全に余分です。 ネバーランドは、大人になりたくない子どもたちが暮らす楽園のはずで、基本的に遊びがその中心であるはずで、口では「殺せ!」とか「やっつけろ!!」とか言っていますが、実際にそうなるはずはならないのがお約束なのではないでしょうか。(ごめんなさい、ネタバレせずに書くのは不可能です。はっきり書きます。ルフィオはフックに刺されて死にます。) しかも、ピーターパンは復活したとはいえ、さらわれた子どもたちを取り戻したら、現実世界に帰るのは明らかで、今後も迷子たちをまとめるリーダーとしてルフィオは絶対に必要な人間です。しかもはっきり言って、どうしても彼が死ななければ話が成り立たないとは思えず、「えっ、死ぬの????」という死に方でした。なぜ彼が死ななければならなかったのか、全く理解できません。 だから僕は、非常な違和感、いや嫌悪感を抱いてしまいました。 あと、細かいところでは、ウェンディの弟たち、かつて一緒にネバーランドに行ったマイケルとジョンはどうしたんだとか、人魚の出番がたった一瞬だったとか、タイガーリリーたち、ネイティブ・アメリカンの皆さんはどうしたんだとか、ティンカー・ベルがドレスを着て一瞬大きく(等身大)になるくだりが意味わからないとか、ピーターが時計を息子のジャックに預けた意味が分からない、まさかその後フックが怖がることがわかっていたわけないよねとか、などなど、いろいろと目についてきてしまいました。 ということで、後々あまり話題にならない作品には、それなりの理由があるんですね、というお話でした。 まあ、ちょっと時間が空いた時間に、暇つぶしに見るのには、ちょうどいい感じの作品ですね。 ところで、すっかりおばあさんになってしまったウェンディを、マギー・スミスが好演していましたが、「ハリー・ポッター」を全部見終わった身としては、どうしてもマクゴナガル先生に見えてしまって仕方ありませんでした。(ラドクリフ君は今後大変だよなあ。)
2013.07.28
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「未来は今」 The Hudsucker Proxy 1994年 アメリカ映画監督 ジョエル・コーエン製作 イーサン・コーエン出演 ティム・ロビンス ポール・ニューマン ジェニファー・ジェイソン・リー いつものレンタルビデオ屋“夢○書店”で、SFコーナーにありました。パッケージの解説を読んで、「SF???」と思いました。もしかして、あらすじが書いてない、映画後半にSF的展開が有るんだろうか?と思い、借りてきました。 今やアカデミー賞の常連になったコーエン兄弟の結構初期の作品です。クレジットでは、監督ジョエル、製作イーサンとなっていますが、これは便宜上のもので、実際はすべて2人で相談して作っているそうです。 ニューヨーク、雪の降りしきる1958年の大晦日の夜、ハッドサッカー産業の44階の外壁にへばりつき、今にも身を投げ出さんとしている男、ノーヴィル・バーンズ(ティム・ロビンス)がいました。 時は遡り、彼が故郷のインディアナ州マンシーからこの街にやって来た日に戻ります。大学を卒業したノーヴィルは就職活動に臨みますが、仕事の口はなかなか見つかりません。彼は、手にした新聞に偶然ついたコーヒーカップの丸い染みで囲われた、ハッドサッカー産業の郵便室の求人広告を見つけます。 一方、重役会議の席上でハッドサッカー社長は、やおら机に乗り、助走をつけて44階の窓から飛び下り自殺をしてしまいます。 社長は遺書も残さず、相続人もおらず、このままでは彼の保有株87%が、年明け1月1日に市場に開放されることになってしまいます。キレ者の重役マスバーガー(ポール・ニューマン)は、デクの坊を社長の座に据えて会社の評価を落とし、株が底値になったところで重役たちで買い占める作戦を立てました。 ハッドサッカー社の郵便係の職を得たノーヴィルは、トップ重役間の緊急極秘通信、通称ブルーレターを運ぶ役目を仰せつかります。重役室を訪れたノーヴィルの天性の間抜けぶりに目をつけたマスバーガーは、彼を傀儡社長に据えることにします。 正体不明の新社長出現に、敏腕女性新聞記者のエイミー・アーチャー(ジェニファー・ジェイソン・リー)は陰謀の臭いを嗅ぎつけ、取材に乗り出します。 エイミーは、ノーヴィルと接触し、同郷人と偽って秘書の座を射止め、「新社長は無能」という記事を書きます。 株価はマスバーガーの思惑通りに下がり始めるが、エイミーは純朴なノーヴィルの人柄に触れるうちに、良心の呵責を感じるようになってきます。 ある日、調査の途中で時計台の機械室に迷い込んだ彼女は、時計の運行を管理している黒人モーゼズに会います。彼はなぜか全てを見通しており、真相を知ったエイミーはノーヴィルに同情し、株主たちを招いたパーティーの夜、初めて口づけを交わします。 株価の急落に責任を感じていたノーヴィルはエイミーに勇気づけられ、かねてより思案していた“輪っか”の商品化を重役会に提案します。“フラフープ”と名付けられたこの商品は始めは売れなかったが、やがて全世界に波及する大ブームとなったのです。 結論から言いますと、SFではありません。終盤、若干ファンタジー的な展開が有りますが、どう考えても、これは1958年のアメリカでの”フラフープ”の大ブームにヒントをもらった、コーエン兄弟お得意のブラックテイストのコメディ映画です。 これは、間抜けな日本の配給会社が、何を考えているのかよくわからないのですが、「未来は今」などという邦題(原題“The Hudsucker Proxy”、直訳すると、“ハッドサッカーの代理”ですかね。)を付けたものですから、近未来を描いた話と“夢○書店”の本部のアホな偉い人がカン違いをしたというところでしょうか。今までの例(以前紹介した「ザ・ライト」の例など)を考えると、“夢○書店”の本部の偉い人というのは、映画を観ていないどころか、パッケージの解説すら読んでいないようですね。(パッケージの解説にははっきり“1958年”と書いてありました。) で、肝心のコメディの内容なのですが、実はこれが、はっきり言って、面白くないですね。なんというんでしょうか、主役のティム・ロビンスの脳天気ぶりも、悪役のポール・ニューマンの悪い奴ぶりも、ヒロインのジェニファー・ジェイソン・リーのできる女ぶりも、本人たちは非常に頑張っているのですが、はっきり言って大袈裟な感じがして、なんかわざとらしさが目についてしまいます。 コーエン兄弟のコメディって、あんまり観てないんですが、「レディ・キラーズ」にしても「バーン・アフター・リーディング」にしても、往々にして、演技が大袈裟な傾向があると思うのですが、それがはまるかはまらないかで違ってくるのでしょう。トム・ハンクスのわざとらしい紳士ぶりや、ジョージ・クルーニーのオーバーアクションや、フランシス・マクマーンドの聞く耳を持たない自己中のおばさんぶりや、ブラッド・ピットのナルシーな頭の中まで筋肉男など、見事にはまっていて大爆笑でした。結構ナーバスでシリアスな男を演じることが多いティム・ロビンスに、頭の中がお花畑のような天然男は似合わないし、いつも頼りがいがある器の大きなヒーローを演じていた大御所ポール・ニューマンには、裏で策を講じる姑息な悪役は違和感があるということでしょうか。 ということで、興行収入的にも、大赤字だったという、珍しく殺人や強盗などが全く出てこなかった、コーエン兄弟のブラックコメディ映画を今回は紹介しました。
2013.07.27
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「時計じかけのオレンジ」 A Clockwork Orange 1971年 アメリカ映画製作・監督・脚本 スタンリー・キューブリック主演 マルコム・マクダウェル 我が敬愛する巨匠スタンリー・キューブリック監督の、近未来な退廃した世界を描いた、その暴力描写や一見犯罪を礼賛するかのような描写が社会問題にもなった問題作です。 15歳のアレックス(マルコム・マクダウェル)をリーダーとする一味は、いつものミルク・バーに集まり、その夜の計画を練っていました。 まず手始めに、酒ビン片手に橋の下で酔いつぶれている1人の老いた浮浪者を、ステッキやコン棒で殴ったり蹴ったりして袋だたきにしました。 暴虐の限りをつくして爽快になったアレックスたちは、荒れはてたカジノの舞台で、ライバルグループの一団が、1人の女性の衣服をはぎとり暴行しようとしていたところへ、殴り込みをかけ、大乱闘のあげく、敵をやっつけます。 さらにアレックス一味は、スポーツカーを駆って突っ走り、郊外の邸宅に、覆面をつけて、ずかずかと押し入り、作家夫婦に暴行します。アレックスはご機嫌で、「雨に唄えば」を口ずさみながら、旦那に蹴りを入れながら、眼の前で奥さんの衣服を切り裂き、凌辱に及んだのです。 こうして一晩は終わり、アレックスは大好きなベートーベンの第九交響曲を聴きながら幸福な眠りにつくのでした。 そんなある日、ささいなことから部下のディムとジョージーが反抗しますが、アレックスは、暴力で屈服させます。 しかし、猫をいっぱい飼っている老婆の家に押し入った時、ディムとジョージーは、アレックスを裏切り、警察に売ってしまいます。 刑務所でのアレックスは、聖書を読む模範囚を装っていました。その頃、政府は凶悪な犯罪者の人格を人工的に改造する治療法を実験的に行なおうとしており、アレックスはその第1号に選ばれます。 それは特殊な覚醒剤を注射した上で衝撃的なフィルムを見せ、そのショックから生理的に暴力やセックスが耐えられないような肉体に改造するといった方法だったのです。 「僕たちのアレックスを見つけたよ。」 キューブリック監督が、初めてマルコム・マクダウェルを観たときに、思わず発した一言です。 その逸話でも明らかなように、彼がいなかったらこの映画を作り上げることはできなかったでしょう。黙っていても邪悪さが漂ってくるあの眼、ニヤッと口角をあげるだけで悪だくみが聞こえてくるような不気味な口、まさにこのアレックスを演じるために生まれてきたかのような男です。(若干話の設定よりは年を取っていますが、まさか本当の15歳にこの演技をやらせるわけにはいかないでしょうから、しょうがないでしょう。) その見るからに邪悪な男が、欲望のままに暴力をふるい、女を犯し、悪事の限りを尽くします。そんな暴力的な描写の表面的な部分を取り上げ、犯罪を誘発するとか、青少年に見せるべきではないと訴える人々がいます。 しかし、この映画は、社会批判とか政治批判とかがテーマです。そのテーマをより分かりやすく表現するために、アレックスはとことん邪悪であるべきだし、その描写は暴力的でなければいけないのです。 そんな、巨匠一流のブラックユーモアを全く理解することができず、表面的な暴力表現や卑猥な描写をよろしくないと騒ぎ立てるということは、物事を理解する能力が低いことを自らひけらかしているという、あまりにも恥ずかしい事態になりますので気をつけましょう。(まさしく、「ウルトラセブン第12話」や「おばけのQ太郎」や「ちびくろサンボ」を封印しているのが、そういう状況です。) それから、この映画の見どころは、その近未来の社会の描写です。 まず、ミルク・バー・レコードショップ・作家の家などの作りが非常に未来的でポップでオシャレだということです。作られてから40数年もたっている映画ですが、当時から見ると近未来の範疇に入っているであろう現代から見ても、その作りや家具・調度品などが進歩的で、かっこいいと思ってしまいました。モノトーンで荒れ果てている家の外の描写との対比も面白く感じました。 また、そのくせ服装や食べ物など、当時と変わりなく普通なのが、近未来として非常にリアリティがあって、いいですね。特に、車が空中を走っていないのがいいです。 以前「Code46」という映画の記事で、非常にリアルでいいと絶賛した覚えがありますが、たかだか50年くらいで、そんなに変わるわけがないというのがリアルなところで、実際。21世紀に入った現代でも、車はガソリン(一部電気)で地上を走っていますし、人々は宇宙服のような服ではなく、普通に背広とかを着ていますよね。(でも、アレックスのお母さんの変な格好はちょっと引きました。まあ、あれはちょっと感覚がおかしい人ということで、お笑いポイントなんですね。) あと、主人公のアレックスが、クラシック、特にベートーベン(アレックスは親しみを込めて、ファーストネームのルートヴィヒと呼んでいます。そのため、それがベートーベンのことと気づいていない恥ずかしい批評をしている記事がネットの中には見られました。)が好きだということで、BGMで、「第九」や「ウィリアムテル序曲」、「威風堂々」など、非常に効果的に使われています。とりわけ、「第九」は、カギになる曲なので、何度も何度も出てきます。 なお、アレックスが作家夫婦を襲う時、鼻歌で歌っていて、後半で重要な役割を担うことになり、最後はエンディングテーマにもなってしまった「雨に唄えば」ですが、実は監督が、作家を襲うシーンで、何か鼻歌を歌ってみろと言ったら、マクダウェルがアドリブで歌ったら効果的だったので採用されたということです。意外とアバウトに作っているところもあるんですね。 ということで、結構批判されることの多い作品ですが、テーマがわかりやすく、キューブリックらしい批判精神に彩られ、知的なブラックユーモアが満ち満ちていて、僕的にはかなり好きな映画です。 あっ、誤解のないように言っておきますが、僕は暴力礼賛論者ではありませんよ、極めて平和的な人間です。まあ、はっきり言って、Sですけど。(えっ、知ってたって?) なお、3枚目の写真は、「ソウ」シリーズのものではありませんよ。
2013.07.26
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「シャンハイ」 Shanghai 2010年 アメリカ・中国映画監督 ミカエル・ハフストローム出演 ジョン・キューザック コン・リー チョウ・ユンファ 渡辺謙 デヴィッド・モース 菊地凛子 上海は、今でこそ超高層ビルが立ち並ぶ、世界随一の近代都市ですが、アヘン戦争以降、ヨーロッパの強豪国が続々と入り込み、昭和初期には、欧米各国(もちろん日本も)が租界を作り、ヨーロッパではナチス・ドイツが覇権を握り、日本軍が中国を侵略し始めたころには、世界各国が暗躍する、最前線の危険地帯でした。 そんな太平洋戦争勃発前夜の上海を、米・中・日のスターを集め、描いた作品です。 1941年10月、米国諜報員ポール・ソームズ(ジョン・キューザック)は、世界各国が睨み合う上海を任務で訪れました。同僚コナーとカジノで落ち合う予定でしたが現れませんでした。代わりに出会ったのは、美しい中国人女性で、コナーとは海軍情報部で遺体として対面することになってしまいました。 アスター大佐(デヴィッド・モース)によると、コナーは日本と繋がりのある裏社会のボス、アンソニー・ランティン(チョウ・ユンファ)について捜査を進めていたということでした。 ソームズは知り合いを頼ってランティンが出席するドイツ領事館のパーティに出席し、日本軍大佐タナカ(渡辺謙)とランティンの妻アンナ(コン・リー)と出会います。このアンナこそ、カジノで出会った女性でした。 コナーの愛人だった日本人女性スミコ(菊池凛子)の存在、タナカが海軍と空軍を掌握する日本軍情報部のトップであること、政治家だったアンナの父親は南京事件を非難し、日本軍に殺され、アンナはランティンと結婚することで、日本軍から逃れていたこと、ソームズは調べを進めていきます。 そしてついに、事件が発生します。反日組織であるレジスタンスが、日本軍人を狙って、クラブのテーブルに爆薬を仕掛けたのです。繰り広げられる激しい銃撃戦の最中、ソームズは、それがアンナの計画であることを見破り、彼女を追いかけます。 親友の後を継いで諜報活動を続けるとともに、その死の謎を追い求めるアメリカ諜報員ソームズ役のジョン・キューザック、上海の中国人裏社会を牛耳りながら、日本軍・ドイツ軍とも渡り合うランティン役のチョウ・ユンファ(「パイレーツ・オブ・カリヴィアン ワールド・エンド」で、シンガポールの海賊の親玉をやっていた人です。)、その妻で夫に隠れ中国人レジスタンスとして暗躍するアンナ役のコン・リー(「ハンニバル・ライジング」で少年ハンニバルを保護するレディ・ムラサキを演じていた人です。「SAYURI」にも出演していました。)、日本軍情報部のトップとして、ソーンズの目的などを探るタナカ大佐を演じる、我が国が誇る国際スター渡辺謙、米・中・日の演技派俳優たちによるなかなか見ごたえのある重厚なサスペンス&恋愛映画ととらえ、戦争前夜の緊迫する国際都市上海の裏社会の雰囲気もよく出ていて、結構楽しんでいたのですが、最後の結末で、「えっ!!???」と思ってしまいました。 確かに、日米開戦(つまり真珠湾攻撃)まであと2か月、時間が足りなかったと言えばそれまでですが、その結末についてネタバレは避けるためにはっきり語ることはやめておきますが、結構拍子抜けの結末でした。 ソーンズは、真珠湾攻撃に気づき阻止しようと暗躍するんじゃなかったのか、上海という最前線に常駐する情報部トップとしてのタナカの立場はそれでよかったのか、ランチョンがドイツ軍や日本軍と渡り合っていたのはいったい何のためか、そんな疑問が続々と湧き起ってきてしまいました。 日本軍が中国に侵略してきたこと、初期段階では日本はかなり優勢で、続々と中国本土を占領していっていたこと、日本軍のハワイ真珠湾への奇襲により日米が開戦していること、日本政府は奇襲の準備をひそかに進めながら、開戦ギリギリまで、アメリカに対し外交努力を続けていたこと、日米開戦とともに、日本軍の上海への進出が始まったこと、上海の各国租界にいた外国人は、日本軍の侵攻をギリギリまで知らず、脱出するために大混乱だったこと、これらは厳然たる事実で、動かしようはないと思いますが、例えば、コナーの後を追って、日本の艦隊が上海から姿を消していることを突き止めたソームズが、真珠湾攻撃を阻止しようと暗躍するが、結局巨大な力に逆らうことはできず、上海の裏路地でむなしく転がるのみ、という結論でもよかったのではないでしょうか。 ということで、なかなか重厚なドラマかと思いきや、結局ただ戦争に翻弄された恋愛ドラマにしか過ぎなかったという、激動な時代を背景にしながらも、なんか拍子抜けな結論でがっかりした映画を今回は紹介しました。 ところで、最後の外国人の脱出に混乱する上海の港、あの中に、両親とはぐれてしまったかわいそうなジェレミー少年がいるんだなあ、と勝手に空想してしまいました。(スピルバーグ監督作「太陽の帝国」参照。)
2013.07.24
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「ゴーストバスターズ2」 Ghost Busters II 1989年 アメリカ映画監督 アルヴァン・ライトマン脚本・出演 ダン・エイクロイド ハロルド・ライミス出演 ビル・マーレイ シガニー・ウィーバー リック・モラニス さて、「2」です。主役の3人はもちろんのこと、ヒロインのシガニー・ウィーバー、お騒がせ係のリック・モラニス、4人目のバスターズ・ウィンストン、受付の姉ちゃん、そしてなんと市長まで、すべて「1」と同じ人が演じての続編です。 あれから5年、破壊神からニューヨークを救った彼らだったが、破壊した建物などの賠償金を市と州より請求された上、数々の違法行為の責任を押し付けられる形で、ゴーストバスターズ社は破産してしまい、依頼もぱったりと来なくなってしまい、それぞれ別の道を歩んでいました。 ピーター・ベンクマン(ビル・マーレイ)はオカルト番組の司会者、イゴン・スペングラー(ハロルド・ライミス)は研究所で心理学を研究、レイモンド・スタンツ(ダン・エイクロイド)はオカルト書専門の本屋を営むかたわらウィンストンと共にゴーストバスターズの仮装をして、パーティーに芸人として出ていたのです。 そんな中、ディナ(シガニー・ウィーバー)の息子が乗った乳母車が勝手に動き出し、交差点の中心で止まったことを皮切りに、数々の原因不明事件が勃発します。不審に感じたディナはイゴンとレイモンドに調査を依頼します。 彼らの調査で、50年前に廃線となったニューヨーク地下トンネルにスライム(霊体エネルギー)の川を見つけます。しかし、調査の方法が道路工事を装った違法な手段だった上、調査の影響でニューヨーク中を停電させてしまい、市長補佐に提訴され、彼らは法廷で裁かれることとなってしまいます。 数々の揺ぎない証拠を提示され、敗色感濃厚の裁判中、ニューヨーク地下で採取したスライムが暴走し、裁判長が昔死刑に導いた凶悪犯罪者スコレーリ兄弟が霊として蘇ってしまいます。 蘇ったスコレーリ兄弟を退治する事を条件に、裁判で勝利を勝ち取った4人はゴーストバスターズを再開させ、数々の幽霊事件を解決していきますが、事件は次々起こり、治まる気配がありません。 そんな中、地下トンネルで採取したスライムが人間の感情に強く反応することを突き止める一方、ディナの息子がスライムに襲われる事件が起こります。 一連の事件は16世紀ハンガリーの暴君ビーゴ大公の悪霊が、ディナの息子に乗り移って復活しようとしていた影響で引き起こされたことだったのです。 はっきり言って、非常にがっかりしました。 なんか、「1」のお話の展開にとってもよく似てるんですよね。 ある事件(「1」ではホテル、「2」では裁判所)をきっかけにゴーストバスターズが大評判になって、行政の横やり(「1」では環境庁、「2」では市長補佐)が入って、メンバーが拘束(「1」では警察、「2」では精神病院)され、大物の悪霊(「1」ではゴーザ、「2」ではビーゴ)が現れ、大きな建物(「1」ではディナのマンション、「2」では美術館)が誰の目にも明らかな異常状態になり、多くの民衆に大歓迎されながらゴーストバスターズが現れ、ラスボスとの戦いの中で、巨大な何か(これは秘密にしておきましょう。)が現れ、ゴーストバスターの奮闘で事件が解決し、ピーターとディナがくっつく、という展開です。 それから、なぜか、死後何百年もたっているハンガリーの暴君が、ゴーストバスターズがいる現代のニューヨークで復活するというご都合主義や、なぜか、その時までまったく存在が明かされていなかった善意のスライムなるものが、突然あの巨大なもの(それは秘密)を覆うほど大量にゴーストバスターズの手元に出現するという無理やりな展開など、非常に疑問を抱かせる無理やり感が満載のストーリーなので、「1」の時のように、最後の決戦で手放しにゴーストバスターズを応援することができず、一歩引いた冷めた感覚で観賞せざるを得ない感じです。 裁判中に証拠品の中に並んでいたガラス瓶に入れられていたスライムが、裁判が過熱してくるにつれて、徐々に沸騰してきて、ついに幽霊化して出てくる件や、レイとイゴンとウィンストンの3人(ピーターはディナとデート中)が、地下のスライムの川を調査に行き、結局3人とも流されてしまう(しかし、あの悪霊のスライムに全身どっぷり浸かって、精神的には思わずケンカをしてしまうほど影響がありましたが、身体的には大丈夫なのでしょうか?)件、など、面白い場面はありましたが、やっぱり「2」としての劣化はどうしようもないのだろうか、と思ってしまった作品でした。 ところで、「1」でイゴンといい仲になっていた受付のねーちゃんですが、全く説明はありませんでしたが、イゴンとの仲はなくなった(ファッションの趣味が変化して、非常に派手になっていたのが関係しているのだろうか。)ようで、今回は、「1」でディナの隣人でディナに勝手に懸想していて、「2」では税理士のはずがなぜかゴーストバスターズの裁判で弁護士役を無理やりやらされていた、お騒がせ係のルイス(リック・モラニス)といい仲になっていましたね。まったく話の筋とは関係ないですけどね。(でも、あのねーちゃん、僕的には非常にタイプなんですけど。)
2013.07.22
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「ゴーストバスターズ」 Ghostbusters 1984年 アメリカ映画監督 アイヴァン・ライトマン脚本・出演 ダン・エイクロイド ハロルド・ライミス出演 ビル・マーレイ シガニー・ウィーバー リック・モラニス 実は、ダン・エイクロイドは好きです。 最初に観たのは「ブルース・ブラザーズ」でした。しかし、この映画は相方のジョン・ベルーシの変人ぶりの方が非常に目立っていて、どちらかというと、ダン・エイクロイドはその引き立て役(ツッコミということかな?)だったので、あまり注目しませんでした。 次に見たのは、スピルバーグ監督の戦争コメディ「1941」でした。この映画は、中心はやっぱりジョン・ベルーシでしたが、どちらかというと群像劇な感じで、名のある出演者ひとりひとりにちゃんと見せ場が作られていました。 彼が演じるのは戦車隊の軍曹、普通なら目立つ立場ではない下士官ですが、彼は混乱し大騒ぎしている人たちに、大演説を放ち、見事騒ぎを鎮めてしまいます。実は彼は頭を打っておかしくなっていて、その言っていることははっきり言ってよくわからないのですが、あまりにも堂々としたその態度と流れるように話す弁舌ぶりで、人々を納得させてしまうのです。 もうずいぶん前の映画で、たった1回見ただけなので、実は内容をほぼ覚えていないのですが、その彼のあまりにも堂々とした名演説ぶりは強く印象に残っています。(後、壊れて転がり出す観覧車と、「ダンボ」を見て涙する将軍の姿も覚えていますが。) そして、以前このブログでも紹介した「大逆転」という映画、彼は敏腕の証券マンの役で、はめられて転落して行くのですが、彼自身は非常にまじめなキャラで、いたって真面目にふるまっているのですが、周りの状況からどうしても笑ってしまうという役柄でした。 そんな、元々はTVのお笑い番組でモノマネなどをやっていたというコメディアンだった彼が、脚本を書き、企画段階から深くかかわって出来上がり、一大ブームを引き起こす大ヒットとなった映画「ゴーストバスターズ」、もちろん以前見たことがあるのですが、CATVで、「2」とともに放映していましたので、改めて鑑賞しました。 ニューヨークのコロンビア大学で3人の教授が超常現象の研究をしていました。女性に目のないピーター(ビル・マーレイ)、ひょうきんなレイモンド(ダン・エイクロイド)、沈着冷静なイゴン(ハロルド・ライミス)の3人は、市立図書館に幽霊が出現したということで、早速駆けつけますが、緑色のモヤに包まれた老女の幽霊を見た3人は、あわてて逃げ出してしまいます。大学に戻った3人は、わけのわからない研究に予算を割けないと、クビを宣告され、追い出されてしまいます。 ゴーストバスターズ(幽霊退治屋)をすることを思いついた3人は、口のうまいピーターに乗せられてレイモンドの自宅を抵当に入れて借金し、古い空きオフィスを借り受け、ぼろい中古のバンを買い、開業します。 お客第1号はチェリストのディナ(シガニー・ウィーバー)で、自分の部屋でポルターガイスト現象に会い、冷蔵庫の中に異次元が広がり、怪物がいて、ズールという声がするといいますが、やってきたピーターの、仕事そっちのけで口説き始める態度で追い出されてしまいます。 数日後、高級ホテルで喰い意地の張った幽霊を退治して、彼らの名前は一躍有名になり、4人目としてウィンストンという男も雇い入れ、非常に忙しくなってきます。 ディナに一目惚れしたピーターは、街で偶然会った彼女とデイトの約束をしますが、その夜、冷蔵庫で眠っていた“門の神(ザ・ゲートキーパー)・ズール”が姿を現わしデイナに襲いかかり、ピーターがアパートに来た時、彼女は変身していました。 一方、“鍵の神(ザ・キーマスター)・ビンツ”は、ディナのアパートの隣人で、彼女に恋していた税理士ルイス(リック・モラニス)は乗り移っており、ニューヨークの街をうろつき廻っていましが、たまたま出会ったイゴンがオフィスに保護していました。 その時、いかがわしい商売を許可することはできないと、環境庁の役人ウォルターが、オフィスに現われ、無数の幽霊を保存していたタンクの電源を切ってしまいます。オフィスは大爆発をし、それまでに捕まえた幽霊たちはニューヨークの街に飛び出して行きます。 混乱に乗じてビンツ(ルイス)はズール(ディナ)と出会い、破壊の神ゴーザが出現します。 ニューヨーク市長から全権を委任された4人のゴーストバスターズは、ゴーザが巣食うディナのアパートの屋上へ向かったのでした。 やっぱり面白いですね。 何がこんなに面白いのかというと、やっぱり、幽霊を怖がったり、逃げたりするのではなく、捕まえてしまおうというアイデアがナイスだったということがまず挙げられるでしょう。 そしてその捕まえ方が、何かエネルギーパックのようなものを背負い、そこからホースで繋がった銃から、得体のしれない電撃線が照射され、周囲のものを破壊しながら、幽霊をからめとるという非常に荒っぽいやり方で、ゴーストバスターズが出動すると、幽霊を捕まえてくれる代わりに、建物などが非常に破壊されてしまうという、大変困った事実があるということですね。 でも、幽霊を捕まえるという尋常じゃない行為を無理して行ってくれるものですから、尋常じゃない破壊行動がなされていたとしても、誰も文句言えないという事実もあり、ここはもう、笑って済ませるしかないのです。 その上、彼らはいたって真面目で、説明を求めると、理論担当のイーガンが霊的エネルギーがどうとか、電場理論がどうとか、きっとたっぷり1時間ぐらいはわけのわからない言葉を連発してとうとうと説明してくれることは明白です。 また、主役の3人のキャラクターがしっかり確立されていて、それぞれの個性を生かした役割分担が出来上がっているところも非常に面白いですね。 すぐにでも詐欺師ができそうなほど口達者で、渉外及び接客担当のピ-ター(ビル・マーレイ)は、無類の女好きで、冒頭、大学の研究室で、透視能力テスト(皆さんおなじみの○×や波型・星型などの図形のかかれたカードを裏から見て当てるヤツです。)の被験者の女の子(おそらく学生)をものにしようとえこひいきしていたり、ディナの自宅の怪現象を調査するため招かれた時も、仕事の話はそっちのけで、口説き始めてしまい、嫌われてしまったりしています。 しかし、まったく見境がないわけではなく、ディナが“門の神・ズール”に取りつかれ、セクシーな雰囲気で迫ってきたときは、据え膳を喰うことなく、きちんと問題を解決しようとするところなど、きちんと空気の読める人なのだなと感心しました。 最後にしっかりディナをものにしているところはお約束ですかね。(しかし、なんでアメリカの映画って、事件が解決すると、必ず最後にカップルが出来あがっているのでしょうか。) 非常に生真面目で理論派のイゴン(ハロルド・ライミス)は、兵器開発・理論担当ですが、目の前にどんなものが現れても動じることなく常に冷静に状況を分析し、超常現象を科学で何とか解明しようとしているようです。 しかし、まったくの堅物ではなく、いつの間にか受付担当の女の子といい仲になっていて(彼女の方がインテリなイケメンに弱かったという話もありますが。)、結構イチャイチャしています。 そして、行動派でムードメーカーのレイモンド(ダン・エイクロイド)は、ゴーストバスターズの実質的リーダーです。一見常に矢面に立っているピーターがリーダーのようですが、実は最終的な決定権は常にレイモンドが握っています。何かを発見したり、危機に陥ったりすると、ピーターもイゴンもまず「レイ!!!」と叫びます。彼らがいかにレイモンドを頼りにしているかの現れです。 ゴーストバスターズをやることを決め、オフィスを探している3人が、天井の隅にクモの巣が張っているぼろい物件を見つけ、ピーターとイゴンはだめだなと思っていたのですが、レイモンドが2階から滑り降りるポール(消防署にある例のヤツです。)を見つけ、非常に気に入ってしまったのを見て、借りることを決める場面はその象徴ですね。 最後の決戦の時も、例のあのヤツ(どのヤツかは皆さんご存じだと思いますが、一応ネタバレしないように秘密にしておきましょう。)を呼び出したのも彼ですしね。 やっぱり、レイモンドあってこそのゴーストバスターズなんだなあ、と思います。 ということで、やっぱり、ダン・エイクロイドによるダン・エイクロイドのための、大ヒットコメディ映画を今回は紹介しました。 さあ、次は「ゴールドバスターズ2」を観ようっと。
2013.07.21
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「ロボット」 Enthiran 英題The Robot 2010年 インド映画監督 シャンカール出演 ラジニカーント アイシュワリヤー・ラーイ とにかくすごいという評判のインド映画、「ロボット」を観ました。 実は世界一の製作本数を誇るインド映画界、通称“ボリウッド”が、史上空前の製作費を投じて作ったSF映画です。 主演は、「ムトゥ 踊るマハラジャ」で日本でも有名になった、インドのスーパースター、ラジニカーントです。 工学博士のバシーガラン(ラジニカーント)は、10年の歳月を費やして、自分に似せた高性能の人間型ロボットを作り上げました。 “チッティ”(ラジニカーント2役)と名付けられたそのロボットは、強大な力と明晰な頭脳で、街の不良を懲らしめ、バシーの婚約者であるサナ(アイシュワリヤー・ラーイ)を守り、スーパーヒーローの様な大活躍を見せます。 しかし、大火事のマンションから住人たちを救い出す際、チッティは感情や常識・デリカシーを持たないが故に、ある悲劇を起こしてしまいます。 それをきっかけに、バシーはチッティに感情を持たせることを決意し、苦心の末に成功するものの、チッティは、サナに恋してしまいます。 一方、バシーの恩師であるボラ博士は、自分の作っている人型ロボットが思う様に動かず、バシーに激しく嫉妬していました。彼はチッティがロボットの公的機関に認定されるのを審査員の立場で妨害し、またバシーの部下2名に「神経回路のデータを渡せ」と執拗に迫っていました。 サナに恋するあまり、何かにつけバシーと張り合う様になったチッティは、サナとバシーの結婚発表に愕然とし、バシーによるインド軍へのデモンストレーションの際、戦争を否定して愛を説く言動を見せ、軍の幹部たちを呆れさせてしまいます。 大恥をかかされたバシーは、怒りにまかせてチッティを斧でバラバラに破壊して廃棄してしまいます。 それに目をつけたボラ博士は、ゴミ廃棄処分場からチッティの体を回収し、修理し、神経回路のデータを入手し、100人殺せる悪の回路を組み込んでしまいます。ボラ博士は、バシーの神経回路の技術で戦闘用の人間型ロボットを完成させ、他国に売り渡すつもりだったのです。 しかし、強力な殺人兵器として蘇ったチッティは、ボラ博士すら殺害し、彼の試作ロボットのボディーを利用して自分のレプリカを大量に生産してしまうのです。 3時間ぐらいある長い映画なのですが、まったく退屈することなく、一気に観てしまいました。 何が面白かったかというと、まずやっぱり、主人公のロボット“チッティ”のハチャメチャなアクションでしょう。 走っている列車を追いかけ、勢い余って列車の側面を走ったり、警官隊に囲まれて、磁力を発して、自分に向けられた何十丁の銃を引き付けてしまったり、とりわけ、後半自分のレプリカを何十何百も作り、合体して球状になったり、巨大な蛇や人形になったりと、超高性能な無敵の万能ロボットとしての特徴を十二分に生かした、その破天荒なアクションは誰の目にも圧巻の映像でしょう。 次に、やっぱりインド映画特有のダンス場面です。 どうやら、登場人物の感情が高まってくると、その喜びや悲しみや感激、怒りなど、ダンスに乗せて表現するのがお約束になっているようで、唐突にダンス場面に切り替わります。主役の衣装はもちろんのこと、場面も完全に変わり、バックダンサーが多数現れます。その唐突さは、例えば、なぜかお話と全く関係ないマチュピチュの風景をバックに、インカの原住民っぽい衣装を着けた多数のバックダンサーを従えて、ヒーローとヒロインが歌い踊る、といった感じです。(お話は全編インドが舞台です。マチュピチュのことなどセリフの中にも出てきません。) はっきり言って、インド映画に慣れていない人は非常に違和感を持ってしまうダンス場面ですが、実際僕も最初観たときは非常に違和感を持ってしまいましたが、これがだんだん快感になってくるから不思議です。この映画でも、中盤ぐらいから、何となくダンス場面を心待ちにしている自分に気づき、「まだかな、まだかな!!」と思うようになり、ダンス場面に切り替わると、「来た来たあ!!」と歓迎してしまっていました。 それから、ヒロインのサナ役アイシュワリヤー・ラーイです。 彼女、1994年のミス・ワールドだそうで、非常に美しく、プロポーションも抜群なのはもちろんなのですが、踊る姿が非常にセクシーで、表情が豊かで、笑顔が非常にかわいらしい女性です。ロボットのチッティが惚れてしまうのも納得で、世の女性好きな男性は間違いなく心を奪われてしまうのではないでしょうか。きっと、見た目が美しいだけでなく、頭もよく回る、非常に器用な人ではないかと思います。 見ているだけで幸せになってしまう、非常に魅力的な女性です。 ということで、ストーリーは単純で分かりやすく、エンターテイメントに徹していて、非常に楽しい映画なのですが、例によって、余計なことを考えてしまった変なおじさんです。 というのも、それは常々思っていたことなのですが、ヒト型のロボットを作る意味がどこにあるのかということです。 現在地球上には、70億を超える人類が生きています。ただでさえ、地球上に人類があふれているのに、人と同じ形をした人工物を作る意味がどこにあるのか、ということです。 戦場とか、汚染地帯とか、宇宙空間とか、深海とか、常に命の危険がある場所で、人類と同じように働けるロボットは、確かに必要性はあるでしょう。 しかし、それが、人類と同じような形である必要は全くありません。 人類と同じように自ら考え判断することのできる人工頭脳と、周囲の状況を判断する感覚器と同様の機能を有する各種センサー、細かい作業をするための人類の手と同じように器用に動けるマジックハンドあるいは触手、そして移動手段、そういった機能を有していれば、その形は別に関係ないわけで、手は2本でなくても8本ぐらいあった方が作業を多く速くできるだろうし、視覚を感じる目にあたるものも2つである必要はないし、四方八方に向いている方が便利だろうし、人類にはない、赤外線や紫外線、超音波や放射線などをキャッチできるセンサーもあった方がいいだろうし、各種センサーは頭にある必要は全くなく、場合によっては触角のようなものがあった方がいいかもしれないし、手の先にあった方がいいかもしれません。 とりわけ、僕が一番疑問に感じているのが、移動手段を二足歩行にする必要性です。はっきり言って、我々人類が二足歩行をするために、全身の筋肉(下半身だけでなく)をどれだけ連動させ、非常に微妙にバランスをとっているかということを考えると、それを機械で再現させるのがいかに難しいことかわかると思います。四足歩行の方が絶対安定感があるだろうし、悪路ならキャタピラーの方が便利だろうし、平地なら車輪の方が絶対速く移動できます。わざわざ非常に不安定で、動きの難しい二足歩行で移動する必要はあらゆる場面で全くないと思います。 結局、ヒト型のロボットというのは、人と同じ形である方が気持ち的にいいなという、人類のエゴ的なロマンティシズムでしかないわけで、機能とかを考えると全く非合理的存在なのです。ましてや、人と同じように感情を持つなんてことは、ナンセンス中のナンセンスであって、まったくもって意味のないことだと思っています。 もちろん、これは、この映画に限ったことではありません。僕自身は以前からず~~~っと思ってきたことです。きっかけは何だろうと考えると、「ガンダム」かもしれません。以前からいろいろと語ってきていますが、僕はマンガやアニメも大好きでして、はっきり言って若い頃はオタクでした。中高の頃は、あの「宇宙戦艦ヤマト」に始まるアニメブームに思いっ切りつかっていました。「機動戦士ガンダム」の最初の放送にドンピシャの世代で、ドップリはまっておりまして、毎週土曜日の夕方は感激してTVに喰いついていました。(いまだに、出発するときは、「アムロ、行きま~~~す。」と、つい言ってしまうほどです。) しかし、ドップリはまって観ていた「ガンダム」ですが、そのプロポーションのバランスの悪さには、非常に疑問を持っていました。初代ガンダムを見てもらえば、みんな感じると思うのですが、「あれって、歩こうと思うと、絶対バランスを崩して転ぶよなあ。」と。上半身のガッシリ度に比べ、足が長すぎて、はっきり言って重心がかなり上の方にあるんです、初代ガンダムって。 ということで、なんか映画の内容と関係ないことをやっぱり考えてしまった、変なおじさんでした。 まあ、ヒト型ロボットの是非はこの際置いておいて、このインド映画、とにかく文句なしに面白い映画です。超おすすめです。
2013.07.20
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「トレマーズ4」 Tremors4:The Legend Begins 2004年 アメリカ映画監督 S・S・ウィルソン主演 マイケル・グロス いよいよ最後の「4」です。「3」で、グラボイズとパーフェクションの皆さんが共存に落ち着いてしまうという、一定の結末が付けられたので、「4」はどうするのかと思ったら、なんと100年前に戻るという、裏ワザでした。 1889年、ネバダ州リジェクションという銀鉱山の町、鉱山で謎の怪物が出現し、犠牲者は17名にもおよび、鉱山は閉鎖に追い込まれ、多くの人々は町を去っていきました。 原因究明のため、鉱山のオーナー、ハイラム・ガンマー(マイケル・グロス)は、フィラデルフィアからやってきましたが、地中から現れた未知の怪物に襲われます。 銃を持ったことがないガンマーは、怪物退治のため、凄腕のガンマンを募集します。 ガンマーは、募集に応じてやってきたガンマン黒手のケリー、鉱山の若者ファン、雑貨屋のチャンらとともに、怪物退治に立ち上がります。 意外や意外、「1」に負けないぐらい面白かったです。 やっぱりグラボイズ(実はこの名はまだなく、この映画の中では、終始、“土のドラゴン”と呼んでいます。)が、姿が変わることもなく、ずっと地中にいて、途中まで姿がわからず、怪物の正体がわからない恐怖、どこから襲ってくるかわからない恐怖、退治方法がわからない恐怖、そんな中で、右往左往する人間たち、危機に立ち向かう中で成長する主人公、退治するために一致団結する姿、知恵を絞り攻撃を工夫する人間たち、そういった様子が、結構説得力を持って映し出されています。 とりわけ、銀山のオーナーというのは名ばかりで、普段はフィラデルフィアに住むという都会人のガンマーは、のちのガンマニアの子孫(もちろん、「1」~「3」に出ているバート・ガンマーのこと)とは大違いで、銃など持ったこともなく(でも、最後には子孫がマニアになるのも納得です。)、子どもを騙して小銭をケチるような、ちょっと嫌なやつなのですが、“土のドラゴン”との戦いを通して、自ら武器を持って戦うことを覚え、仲間と力を合わせることを覚え、はっきり言っておっさんですが、人間的に成長する姿が描かれているのが、好印象でした。(最後に、彼女ができるのは、取って付けたような感じですが、“グラボイズ”と戦うと誰かに彼女ができるのはお約束なので仕方ないですね。やっと彼の番が来てよかったです。ご先祖だけど。) ということで、人間年を取っていても成長できるんだから、人生を投げてはいけないよ(絶対スタッフはそんなことは意図してないと思うけど。)、という、人生の教訓も学べるという、怪物パニック映画の意外な佳作を、今回は紹介しました。
2013.07.17
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「忍たま乱太郎」 2011年 日本映画監督 三池崇史出演 加藤清史郎 林遼威 山本風太 その他子役多数三浦貴大 寺島進 中村獅童 檀れい 中村玉緒 杏 平幹二朗 山本耕史 古田新太 松方弘樹 鹿賀丈志 その他多数 NHKのTVアニメは1993年放送開始ということですから、もう20年ですね。当時の子どもがすでに親になって、現在、自分の子どもと楽しんでいるぐらいですね。まあ、日本全国知らない人はいないぐらいの国民的アニメです。 「ヤッターマン」や「ゲゲゲの鬼太郎」「怪物くん」「妖怪人間ベム」など、昔の人気アニメを実写映画・ドラマ化することが、当時の子どもが、今、子を持つ世代になっていることから、大変確実に集客が見込める、ドル箱企画として流行っている昨今、あと実写化してないのは、「アンパンマン」「ドラえもん」ぐらいですか。(「ドラえもん」はCMでやってましたね。「アンパンマン」は難しいかな。「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」はドラマでやってますよね。) かつて、このブログで、アニメそのままを見事実写化したということで大絶賛した「ヤッターマン」の三池崇史監督が作ったということで、大注目の作品でした。この夏、実写映画化第2弾が公開ということで、一昨日TV放送していましたので、1も2もなく観賞しました。 時は戦国時代、三流忍者の家に生まれた乱太郎(加藤清史郎)は、親(中村獅童・檀れい)元を離れ忍術学園へ入学します。そこには堺の豪商の息子、しんべヱ(木村風太)や、戦で親を亡くしながらもたくましく生きるきり丸(林遼威)がいました。 忍術学園の生徒たちは忍者のたまご、「忍たま」と呼ばれ、ちょっと変わった先生たちやかわいいくノ一たちと共に楽しい学園生活を送っていましたが、乱太郎たち3人組を含めた1年は組は、授業も試験もドジばかり、いつもなぜかロクでもないことになってしまうのでした。 学園長(平幹二朗)の気まぐれで、夏休みが1か月早まったある日、髪結い所を経営しているカリスマ髪結いの斉藤幸隆(鹿賀丈志)と、その息子で四年は組の斉藤タカ丸の家に暗殺者が現われます。 実は、斎藤親子は“抜け忍”として、かつて祖父が所属していたウスタケ忍者から命を狙われていたのでした。 アニメの映像を忠実に再現しようと努力しているのはよくわかりました。 まず、キャストの選び方、よくもこれだけそっくりな人を集めてきたものだと感心しました。 特に、山田先生役の寺島進さん。なぜ彼は特別な扮装を全くせず、素顔にひげを付けただけで、あの実は凄腕忍者なのですが女装好きで恐妻家の、1年は組の実技担当教師山田伝蔵にそっくりなのでしょう。ただ1つ、お話の都合で、彼が好きな女装姿がちょっとだけで、満喫できなかったのが残念です。(凄腕なのは発揮できましたけどね。) それから、もう1人、はまり役なのが、「お残しは許しまへんで~~~!!」の名セリフで有名な食堂のおばちゃん役の古田新太さんです。もう、見た目だけで大爆笑の存在感でした。ただ、例の名セリフがすごみのある低音なのは残念でした(やっぱり大声で叫んでほしい。)が、設定どおりの“学園最強”ぶりはうれしかったです。 アニメと全く違って残念だったのは、乱太郎の母ちゃん役の檀れいさんです。まあ、ひとりぐらいきれいな女優さんを使いたかったという気持ちはわからないでもないです(もうひとり、山本シナ先生役の杏さんがいますが、彼女の実態はおばあちゃんなので。)が、あんなきれいな母ちゃんでは、立派な体格の肝っ玉母ちゃんで、忍者として実は結構実力はあるのに仕事に恵まれない不遇な父ちゃんを、尻に敷きながら実は結構ラブラブという設定が生きてきません。 また、学園長と、山本シナ先生(中村玉緒)の特殊メイクも気になりました。あんなに元の顔がわからなくなる(玉緒さんはかろうじて意外とキラキラしてかわいらしい目で分かりましたが、平幹二朗さんは全く分かりませんでした。)まで、アニメの絵に似せる必要はないでしょう。ドクタケ忍者の首領稗田八方斎(松方弘樹)は、頭がでかすぎて、体を後ろにそらし過ぎてしまうとひっくりかえってしまう、彼の得意ギャグのため、特殊メイクがどうしても必要だと思いますが、2人は、失礼ながら、そのままで結構お年なので、素顔のままでいいと思いますよ。 カリスマ髪結い師斎藤幸隆のダリのようなメイク、学園の剣術指南戸部先生(山本耕史)の白目、も同じ意味で必要ないと思います。 また、全体的に間が悪いというか、テンポが悪いというか、なんか間延びした感じで、なかなか大爆笑できませんでした。 アニメの「忍たま乱太郎」は、1段が10分あるいは15分のお話で、その中にギャグを盛りだくさん詰め込むために、非常にテンポが速くなっています。また、その笑いの基本は関西風“ボケとツッコミ”だと思います。 主役の忍たま3人組は、シンベエが大ボケで、きり丸が小ボケ、乱太郎がツッコミです。1年は組の先生コンビは、山田先生がボケで、土井先生(三浦貴大)がツッコミです。1年は組の学科の授業は、生徒たちが次々ボケるのを土井先生がツッコミまくるのが基本です。組み合わせによっては、土井先生がボケたり、山田先生がツッコんだりする場合もあるのですが、基本、場面場面で必ずボケ役とツッコミ役が出来上がっています。だから、非常に“間”が大切です。 その辺、脚本家か、監督か、よくわかっていなかったのが残念です。 もう1つ、なぜウキタケ忍者が悪役の話を選んだのか、ということが気になりました。 忍術学園の宿敵といえば、やっぱりドクタケ忍者でしょう。あの非常にキャラが個性的な首領稗田八方斎を中心とした、はっきり言って情けない忍者ぞろいのドクタケ忍者たちが敵になる話が一番多いのではないですか? なのに、なぜ、実写映画化第1弾に、ウキタケが敵の話を選んだのでしょう。そんなイレギュラーを1発目からやるもんだから、やっぱりどうしても捨てがたい個性の持ち主の稗田八方斎を無理やり出演させて、思いっ切り浮きまくっているではないですか。 何で素直にドクタケが敵なシンプルな話を第1弾に持ってこなかったのか、理解に苦しみます。 ということで、見た目、アニメをしっかり再現しているのは非常にうれしかったですが、いろいろと気になって、大爆笑できなかった、ちょっと残念な作品でした。 ところで、アニメ「忍たま乱太郎」は、ルフィとコナンの掛け合い漫才が見られる(聞けれる?)という、特典があるのを知っていました?
2013.07.12
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「トレマーズ3」 Tremors3:Back to Perfection 2001年 アメリカ映画監督 ブレント・マドック主演 マイケル・グロス さて、「3」です。今度は、「1」では武器マニア同士の夫婦で“グラボイズ”退治に力を発揮し、「2」で、奥さんとは離婚していたが、武器満載のトラックで助っ人に駆けつける、武器マニア親父バート(マイケル・グロス)が主役です。 過去2度のグラボイズ騒動で活躍したバート・ガンマー(マイケル・グロス)は、経験を活かし、グラボイズ退治を世界各地で請け負っていました。アルゼンチンでは、地元の人間達が退治に失敗したため、グラボイズは分裂し、シュリーカーに変態し、鶏を餌に爆発的に増殖していました。バートは、シュリーカーの群れをマシンガンで一掃しました。 パーフェクションにバートが帰って来ると、ジャックという若者が、いんちきグラボイズツアーで小銭を稼いでいました。すると、もう絶滅したと思われていたグラボイズが現れ、いんちきのグラボイズツアーに来ていた観光客を襲撃し、ツアーのスタッフも食い殺してしまいました。 地震計でグラボイズ襲来を察知したバートは街の住人達と共にグラボイズ退治に臨みます。しかし、グラボイズはシュリーカーに分裂し、グラボイズ保護のために訪れていた役人を食って増殖し、さらには飛行能力を持つ“アスブラスター”に変態していました。そして、何故かシュリーカーに分裂しない白いグラボイズもバートを狙っていました。 飛んでました。「1」では地中生活生物に過ぎなかったグラボイズが、「2」では、地上を走り回り、この「3」では、とうとう、空を飛んでしまいました。まあ、当然と言えば当然の結果ですが。 「2」で、地上を走る“シュリーカー”に進化(退化?)したグラボイズです。この「3」でも、何かしらの進化を見せなければ、観客は納得しないでしょうから、次は「空」へという進化は、当然と言えば当然の進化でしょう。 しかし、その飛び方がいけません。なんとお尻から火を噴いて飛ぶのです。そのため、バートたちに“アスブラスター”(ケツロケット)と名付けられます。体に比べ、非常に小さなその翼は、鳥のように羽ばたいて体を宙に浮かせられるほどではありません。飛ぶ推進力はお尻からの噴射しかなく、小さな翼は、方向舵として、空中での姿勢の安定と、方向転換に使われるもののようです。そして、お尻からの噴射は、1度噴射すると、そのエネルギー(その元は不明)が溜まるまで出せないようで、続けて噴射している場面は見られません。だから、最初飛び上がる時に噴射した推進力がなくなれば、後は落ちるしかないわけで、翼のおかげで、急降下することはありませんが、後はかっこつけて落ちるだけです。(バズ・ライトイヤーのようにね。) で、その何がいけないかというと、やっぱ、まがりなりにも生物なんですから、火を噴いちゃいかんだろう、ということです。やっぱし生物なのですから、いくら頑丈とはいえ、肉でしょう。火を噴いたら焼けちゃうだろうということです。 飛ぶための勢いがほしいのなら、別に出すものは、水でも(つまりペットボトルロケットですね。)、ガスでも(つまりおなら、または、サウザンドサニー号のクー・ド・バーストですね。)いいんでしょ。 何も火を噴いて(つまり爆発)飛ぶ必要は全くないわけで、そんな生物にあるまじき方法はリアリティがなさ過ぎていけません、と言いたいのです。 また、今回、グラボイズの出生の秘密が明らかになります。なんと死んだアスブラスターのお腹から、卵が発見されるのです。それはその前に発見された卵の殻と同じものでした。そして、バートたちは、グラボイズから、シュリーカー、アスブラスターと変態していき、やっと卵を産めるようになるんだ、と理解します。 確かに、空を飛べるようになってから卵を産めるということは、いろいろな場所に移動してから繁殖することで生息域を広げられるということで、理に適っているのかもしれませんが、はっきり言って、今まで退治するのに一番苦労させられているのが、地中を猛スピードで移動できるグラボイズだと思うと、アスブラスターまで成長するまで繁殖できないというのは、理に適っているのか、疑問を感じてしまうのです。 ということで、まあ、気になるところがありつつも、今回、「1」から出演し続けていて、1番キャラが濃いバートが主役ということで、コメディ色が強まっているので、意外と楽しんで観賞することができてしまった3作目でした。 ところで、今回、結構まとまった結末が付けられた形になったのですが、まだ、「4」があります。この続きはいったいどうなるのでしょうか。
2013.07.11
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「ジュリエットからの手紙」 Letters to Juliet 2010年 アメリカ映画監督 ゲイリー・ウィニック出演 アマンダ・セイフライド ヴァネッサ・レッドグレイヴ 恋愛映画は苦手ですが、「赤ずきん」で気に入ったアマンダ・セイフライドが見たくて、観てみました。 イタリア・ヴェローナの“ジュリエットの家”で、実際にジュリエット宛てに届く恋愛相談の手紙に返事を書いているというボランティアの“ジュリエットの秘書”たちの話から発想された恋愛ドラマです。 ニューヨーカー誌で働く調査員ソフィ(アマンダ・セイフライド)は、イタリアンレストランのオープンに向け大忙しの婚約者ビクターとイタリア・ヴェローナを訪れました。 ビクターはレストランのための食材探しに彼女を連れまわすばかりで、ついには彼女をひとり置いて出かけてしまいます。 ホテルに置き去りのソフィは“ジュリエットの家”を訪れました。 観光客の女性たちが家の壁に貼り付けている手紙を、1人の女性が現れ、回収し立ち去っていきます。彼女のあとを追っていくと、とあるレストランの一室で、4,5人の女性たちに手紙を次々と開封させています。 ソフィが尋ねると、彼女たちはジュリエット宛に届く恋の悩みをつづった手紙に返事を書いているというのです。心打たれたソフィは、翌日また訪れ、手紙の回収を手伝います。するとソフィは、壁のレンガが抜け落ちた奥から古い手紙を発見します。 それは50年前にイギリスのクレア・スミスが書いた手紙で、ヴェローナで愛し合った男性との中を両親に反対され、結局ひとりで帰ってしまったことを悔やんでいるという内容でした。 “ジュリエットの秘書”たちに、その返事を書いてみたら、と勧められ、何度も手紙を読み返し、ソフィは真剣に返事を書きました。 数日後、ジュリエットの秘書たちのもとに、チャーリーという青年がやってきました。ソフィが書いた50年ぶりの返事で、なんとチャーリーの祖母で送り主のクレア(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)がいきなりヴェローナにやってきたというのです。 クレアと対面したソフィは、その運命の人を一緒に探してみましょうよ、と持ちかけました。“50年前の愛”を確かめる3人の旅が始まりました。 “50年前の愛”を探すクレアと、自分の仕事に夢中で彼女を顧みない婚約者に不満を持つソフィ、2人の女性の“真実の愛”を描いた作品です。 はっきり言って、非常にベタな展開で、恋愛ドラマ好きな人はグッとくるのかもしれませんが、「ああ、やっぱりそうなったか。」と、冷めた感じで観てしまいました。 それよりも、僕は別のことが気になってしまいました。それは、ソフィの婚約者ビクターのバカさ加減です。 ビクターは、念願のイタリアンレストランのオープンに向けて大忙しでした。レストランがオープンしてしまうと、もっと忙しくなって、それどころじゃないだろうと、間もなく結婚する予定のソフィとの新婚旅行の代わりにと、このイタリア旅行に来たのでした。 でも、ビクターが行く先は、チーズやワインの工房など、やっぱりレストラン関係のところばかりです。そして、知り合った人に誘われて、泊りがけでワインのオークションに行ってしまうのです。 もちろん旅の目的の半分はそういうところへ行きたかったからだったのですが、2人だけの婚前旅行を楽しみたかったソフィの気持ちをあまりにもないがしろにしていたことに、夢中になるあまり気が付かなかったのです。 思うに、「夢中になって仕事している姿がステキ。」とか、「レストランのオープン頑張ってね、応援してるわ。」とか、言われていたんだろうなあ、ソフィに。彼女の本心に気付かずに。 いるんですよね、恋人同士の時は、「仕事と私とどっちが大事なの!!」とか言っておいて、結婚して安定してくると、「亭主元気で留守がいい!」とか、「どうしてこんなに稼ぎが少ないの、もっと残業とかしてらっしゃい!」とか、いう女が。 ということで、やっぱり恋愛映画は苦手です。なんか素直に感動できなくって、余計なことが気になってしまいました。 ところで、やっぱり、アマンダちゃんの目力は強力でしたね。後、結構グラマーなんだなあ、とも思ってしまいました。(ちょっと「赤ずきん」の頃よりふくよかになってましたか?) それから、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、ずいぶん久しぶりに見ました。すっかりおばあちゃん(そりゃそうだ、75くらいでしょ。)でしたが、年甲斐もなく恋する乙女の感じがとてもステキでした。
2013.07.10
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「容疑者Xの献身」 2008年 日本映画監督 西谷弘出演 堤真一 松雪泰子 北村一輝 柴咲コウ 福山雅治 東野圭吾原作の小説ガリレオシリーズ初の長編を、TVドラマ「ガリレオ」のキャストで映画化した作品です。 夕べ、映画化第2弾として、このほど公開された「真夏の方程式」(原作は3作目の長編)の宣伝のため、TV放映していましたので、2回目ですが、観賞しました。 花岡靖子(松雪泰子)とその娘の美里が暮らすアパートに、元夫の富樫慎二が現れました。引っ越しを繰り返しても居場所を突き止めては金の無心に来る富樫は、花岡親子にとって疫病神でした。大喧嘩の末、2人は富樫を殺害してしまいます。 その気配を察した隣の部屋の住人の石神(堤真一)は、花岡親子を救うためのトリックを考案します。天才的数学者でありながら家庭の事情で高校教師を務め、人生に絶望していた石神にとって明るい花岡親子の存在は唯一の心の支えだったのです。 内海薫刑事(柴咲コウ)の管轄内で富樫の死体が発見されました。殺人事件として調査が開始され、容疑者として別れた妻である靖子が浮かびあがります。しかし、死亡推定時間に靖子は美里と街の劇場で映画を鑑賞していたアリバイがありました。その半券までもが保管されていたことに、内海はかえって疑念を抱きます。 内海とコンビを組む草薙(北村一輝)は、帝都大学理工学部で准教授を務めるガリレオこと湯川学(福山雅治)に捜査協力を求めます。 容疑者である靖子の隣人が石神と知って、湯川は驚きました。湯川と石神は、同じ帝都大学の同級生だったのです。 なかなか面白いミステリーでした。さすが原作が直木賞・本格ミステリー大賞など多くの賞を受賞している作品だけありますね。確かに、論争をなっているように、推理に大事な情報を作者がわざと隠しているところがあり、“本格ミステリー”としては、どうかなと思われるところはあるのですが、なかなか良く考えられたトリックで、涙を誘うドラマもあり、よくできた作品だと思いました。 堤真一さんは、いつものイケメンキャラではなく、天才的数学者でありながら、不遇の人生を送る暗い男を好演していますし、松雪泰子さんの薄幸な女性ぶりはさすがです。「ガリレオ」のレギュラー陣もいつも通りでよかったです。 しかし、気になるところがないわけではありません。 まず、主役の石神の役がなぜ、見るからにイケメンの堤真一なのか、という点です。 原作は読んでいませんが、調べたことによると、原作では、石神は髪が薄い老け顔の男で、はっきり言って見るからにさえない男のようですね。学問に夢中になっているせいで、見た目などにはあまり気を使わない、学者にありがちな男ということですよね。 堤真一さんは、持ち前の演技力で、不遇な天才肌の男を巧みに演じておられましたが、原作通りの見た目さえない方を使った方が、より話が深まったのではないでしょうか。 また、石神が湯川を誘って、雪山に行く件に、非常に違和感を感じてしまいました。 この場面原作にはないそうで、石神が登山が趣味という設定はこの映画だけということで、非常に唐突に感じました。 同年公開で、このブログでも以前記事を書いた「クライマーズ・ハイ」でも、堤真一さんは登山が趣味の新聞記者を演じていましたが、何か大人の事情でもあるのでしょうか。 そして、一番気になったところは、この話、「ガリレオ」シリーズである必要が感じられないということです。 僕は、「ガリレオ」の面白いところは、超常現象的な不可解な事件を、天才物理学者湯川が、科学を駆使して解明するというところだと思っています。(湯川がなにかひらめいた時に、いきなり黒板いっぱいに数式を書き始めるのはちょっといただけないけどね。書いてる数式とひらめいたトリックと全く関係なかったりするしね。) その名物場面が全くありませんし、そもそも事件自体が超常現象的な不可解な事件でもありません。はっきり言って、湯川先生でなくても解明できる事件ではないですか?石神と湯川先生が大学の同窓で、昔からの知り合いというのは、まあ、意味がありましたが。 もちろん、これは、原作からの設定ですから、映画がどうこうという問題ではありませんが。 ということで、よくできたミステリーで、十分楽しめましたが、若干気になったところがあるんですねえ、というお話でした。 ところで、やっぱり湯川先生の相手は、わがまま小娘刑事より、分をわきまえている内海刑事の方がいいですね。(TVの第2シリーズは、あのわがまま小娘刑事と栗林万年助手の掛け合いが非常にうっとうしいです。)
2013.07.06
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「トレマーズ2」 Tremors2:Aftershocks 1995年 アメリカ映画監督 S・S・ウィルソン主演 フレッド・ウォード ずいぶん久しぶりの「2」です。 前作から7年という設定で、前作怪物“グラボイズ”の退治に活躍したコンビのカタワレ、アール(フレッド・ウォード、ケヴィン・ベーコンではない方)が再び、“グラボイズ”を退治するというお話です。 メキシコの油田に“グラボイズ”が出現し、犠牲者が多数出ます。油田を運営する会社は、かつて“グラボイズ”を退治した便利屋のアールに、1匹5万ドルという契約で、退治を依頼します。 アールは、退治を志願してきた新相棒グラディとともに、ダイナマイトを付けたラジコンカーをエサにして爆破するという方法で、アールに誘われた“グラボイズ”退治仲間で、武器マニアのバートも参加し、何匹も退治します。 そうこうする内に、なぜか苦しんでいる“グラボイズ”を発見し、生け捕りにして倍額の謝礼をせしめようと目論んでいると、その“グラボイズ”のお腹を食い破り、変態し軽量化した新種“シュリーカー”が生まれてきてしまったのです。 前作から続けて出演しているのは、便利屋のカタワレで、前作の騒動から一躍時の人となったが、“グラボイズ”を題材にしたゲームの権利を取り損ねたため、お金に困っていたアールと、冷戦時代が訪れ、軍事マニアということで繋がっていた女房と意見が食い違ったため離婚していたバートの2人です。 地震を観測していた学者の彼女と、前作で見事くっついた、便利屋のもう1人バル(ケヴィン・ベーコン)は、彼女と幸せで安定した生活を送っているようで、油田会社の誘いを断ったようです。 なるほど、この映画と同年公開された、アカデミー賞にノミネートされるほどの感動作「アポロ13」に出演するなど、すでにスター街道まっしぐら中のケヴィン・ベーコンが、いくら自身の出世作の続編とはいえ、B級色のにおいが思いっ切り強い、この作品に出演するわけがないですよね。 スター不在のB級映画と言えども、前作のように面白ければヒットします。(と言っても、前作は大ヒットではなく、中ヒットぐらいです。だから、2作目にケヴィン・ベーコンが呼べず、またB級なのですね。しかも、アメリカでは劇場公開していますが、この日本では未公開です。) 序盤、アールとグラディは、順調に怪物を倒していきます。地中生活生物のため、目がない“グラボイズ”は、音と振動を頼りに獲物を襲うことがわかっているアールは、ラジコンカーにダイナマイトを積み、それを飲み込ませては爆破するという、若干ラジコンカーがもったいない方法ですが、次々と怪物を倒していくのです。 で、もちろん、「2」ですからそれだけで終わるわけなく、新たな展開がちゃんと用意されています。 まず、“グラボイズ”の秘密がちょっと明らかになります。 油田にいた女性科学者ケイト(専門は不明ですが、地質学系でしょう。)が、たまたま持っていた先カンブリア紀のキバの化石が、何と“グラボイズ”のものと同じだというのです。つまり、“グラボイズ”は、先カンブリア紀から生息しているというのです。 これにはびっくりしました。何で、よりによって先カンブリア紀??? 先カンブリア紀というのは、カンブリア紀の前という意味で、カンブリア紀の初期の多種多様で複雑な生物が一気に現れてきたカンブリア爆発と言われる時代の前の時代のことで、生物といえば、単細胞なものから、座布団のような、葉っぱのような、つぶれたアンパンのような、そんな生物ばかりがいた時代で、体の各部分の分化が出来上がっていない、本当に初期的な生物しかいなかった時代です。 もちろん、化石が見つかっていないだけ、と言えばそれまでなのですが、しかし、先カンブリア紀の生物のキバが見つかったというのは、それはそれは世界的な大大大発見で、なんで、あんな田舎の油田にいる一科学者、つまり、古生物学の大大大権威の学者とか、世界的な大博物館とかではない人物が持っていていいものではないはずです。 “グラボイズ”が生きた化石という設定に関しては、別にいいと思うのですが、よりによって、先カンブリア紀と言ってしまうのはあまりにもリアリティがなさ過ぎて、ぶったまげてしまいました。恐竜時代とか、石炭紀とかいうのであれば、まああり得るかなあと思えるのですが。設定を考えた人の無知さがよ~~~~くわかる設定ですね。 それから、体長3mくらいで口がでかい芋虫のような“グラボイズ”が、変態をして生まれた(進化?)“シュリーカー”なる生き物、二足歩行の恐竜かダチョウのような下半身に、“グラボイズ”の頭がくっついた1mくらいの生物(写真参照)ですが、こいつがまた不可解で仕方ありません。 まず、“グラボイズ”の体を食い破って(アールたちは脱皮と言っていますが、その出てきたあとは、どう見ても腹を食い破っている感じです。脱皮なら、字の通り皮を脱ぐ感じで、残っているのは皮だけのはずです。)、1匹から3匹生まれたということ。 また、この“シュリーカー”が食べ物を食べると、何と口から(?)もう1匹生まれてくるということ。(ケイトはこれを見て雌雄同体!!!単色生殖!!!とか言っていますが、なんか違うと思うんですが。) 赤外線で、物体の熱を感じているという設定も変ですね。赤外線というのは、あくまでも光線の一種で、人類の目が感知することができる可視光線よりも波長が長いため、人類の生身では感知できない光線のことです。 生物の目は種類によって感知できる光線の波長が違っていて、必ずしもわれわれ人類と同じ景色を見ているわけではありません。ですから、赤外線を目で感知できる生物がいることは、別に特別なことではありませんし、やはり光線を感知できる器官というのは、目と呼ばれるものであり、地中生活で目が退化した生物が、再び目を獲得するというのは、かなりおかしなことであると言わざるを得ません。 赤外線を発しているとか、赤外線が熱戦であるかのような描写もあり、根本的に赤外線がそもそも何であるかよくわからずに設定を作っているとしか思えません。 そして、何より3mぐらいの怪力・巨体で、地中をすごい速さで移動することから、普通のピストルやライフル程度では歯が立たない退治するのに苦労させられる“グラボイズ”だったのが、“シュリーカー”に進化したことで、体は小さくなり、地上を移動するようになったことから、機動性こそ上がっていますが、破壊力の強い特別な武器を用意する必要がなく、退治しやすくなったのではないでしょうか。 「2」になって、退治しやすくなった怪物って???と思ってしまいました。 どうも、生物学(古生物学も含め)などの科学的な知識がかなり欠如している人が、この物語作っているみたいですね。いくら架空の怪物とはいえ、もう少しリアリティのある設定にしてほしかったなあ、と思う理系男子のオヤジでした。 ということで、やっぱり「2」は劣化しているんだなあ、と思ったというお話でした。 ところで、「3」は、アールも出てこなくて、今度は武器マニア親父のバートが主役のようですね。なんですか、このシリーズは、彼女を見つけると引退しなければいけない、というルールでもあるんですか?(今回は、アールが油田の科学者ケイトと仲良しになっています。)
2013.07.04
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「ケープ・フィアー」 Cape Fear 1991年 アメリカ映画監督 マーティン・スコセッシ出演 ロバート・デ・ニーロ ニック・ノルティ ジェシカ・ラング ジュリエット・ルイス ロバート・ミッチャム グレゴリー・ペック マーティン・バルサム おなじみのスコセッシ=デ・ニーロコンビの作品です。 1962年公開の「恐怖の岬」(原題同じ)という映画のリメイクです。この前作の出演者ロバート・ミッチャム(ケイディ役)、グレゴリー・ペック(サム役)、マーティン・バルサムが、チョイ役で出演しています。 女性に対する暴行罪により14年間の獄中生活を終えたばかりのマックス・ケイディ(ロバート・デ・ニーロ)は、自分を敗訴に導いた弁護士サム・ボーデン(ニック・ノルティ)に対する復讐を誓い、サムだけでなく妻のレイ(ジェシカ・ラング)や娘ダニエル(ジュリエット・ルイス)の前にも姿を現します。 愛犬が殺され、サムの愛人ローリーが襲われますが、ケイディの犯行とは認められず、警察は頼りになりません。 ダニエルにケイディが接近したことを知ったサムは私立探偵カーセクを雇い、力づくでマックスを町から追い出そうとしますが、鍛え抜かれた肉体を持つマックスには通用せず、逆に暴行罪で告訴されてしまいます。 焦るサムは自宅にマックスをおびき寄せるが、またもや逆襲にあい、カーセクと家政婦は殺されてしまいます。 せっぱつまった一家は、夜、密かに町を離れ、ハウスボートのあるケープ・フィアーへ向かいます。しかし、ケイディは………。 やっぱり、ロバート・デ・ニーロがすごいです。 やや細身ですが、鍛え上げられたマッチョな体に、特に背中の大きな十字架が目立つ全身タトゥー、常にぶっとい葉巻をくわえたふてぶてしい態度に、明らかに狂気を秘めた鋭い目つき、刑務所に入所時には字も読めなかったそうですが、所内で猛勉強をし、聖書や法律関係に精通し、法律にひっかからないギリギリの嫌がらせを次々とボーデン一家に仕掛けてくるという、非常に執念深く、恐ろしい男を見事に演じ上げています。 なぜ、彼がサムを恨んでいるのか、終盤まで明らかにならず、執拗に一家をつけ狙う姿にハラハラドキドキさせられます。 でも、父親のサムは若い愛人と不倫していたり、探偵を雇って、ケイディを脅そうとしたりしますし、母親のレイは性格的にきつい感じで、娘や使用人に対し高圧的に接したりしていますし、娘のダニエルは明らかに反抗期で、学校で問題を起こしているようで、どう考えても、ボーデン一家は好感が持てる家族ではなく、弁護士とグラフィックデザイナーの夫婦で、豪邸に住み、ハウスボートも所有しているらしい、明らかな富裕層なのも反感を抱きやすいです。 だから、ケイディが執拗に付け狙う理由に、何らかの不正的な裏事情がありそうだということは容易に想像でき、その謎に非常に興味魅かれ、物語にのめりこんでいってしまうのです。 なるほど、だからサム役がニック・ノルティなんですね。 この人、多くの作品に脇役で出演しているベテラン俳優ですが、刑事や軍人役の印象が強く、しかもどちらかというと、汚職にまみれた悪徳警官だったり、高圧的に部下に命令する将校だったりと、悪役的な人物を演じることが多い人で、弁護士役は似合わないなあと思っていたのです。 ということで、さすがにスコセッシ=デ・ニーロコンビ、見ごたえのある作品を作るなあ、思ったというお話でした。 ところで、最近スコセッシ監督は、新しい若いパートナー・ディカプリオに心映りなされているようですが、僕的には、ディカプリオとデ・ニーロ、この2人の共演が見たいと思うのですが、どうでしょう。
2013.07.03
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「ライフ・イズ・ビューティフル」 La vita è bella 1997年 イタリア映画監督・脚本・主演 ロベルト・ベニーニ ナチス・ドイツと同盟を結んだムッソリーニ政権下のイタリアでの、ユダヤ人迫害の様子を描いた感動作です。 カンヌ国際映画祭・審査員グランプリ(パルムドールの次の賞)、米アカデミー賞の外国語映画賞・主演男優賞・作曲賞をはじめ、全世界で様々な賞を受賞している作品です。 1937年、イタリアはトスカーナ地方の小さな町アレッツォに、本屋を開く志を抱いてやってきたユダヤ系イタリア人のグイド(ロベルト・ベニーニ)は、美しい小学校教師ドーラと運命的な出会いをします。 グイドは、当座の生活のため叔父ジオの紹介でホテルのボーイになり、なぞなぞに取り憑かれたドイツ人医師レッシングらと交流したりしながら、ドーラの前に常に何度も思いもかけないやり方で登場し、気を引きます。 ドーラは町の役人と婚約していましたが、抜群の機転とおかしさ一杯のグイドに、たちまち心を奪われてしまいます。 ホテルで行われた婚約パーティで、グイドはドーラを大胆にも連れ去り、ふたりは晴れて結ばれ、息子ジョズエにも恵まれ、幸せな日々を過ごします。 しかし、時はムッソリーニによるファシズム政権下、ユダヤ人迫害の嵐は小さなこの町にも吹き荒れ、ある日、ドーラが自分の母親を食事に呼ぶため外に出たすきに、グイドとジョズエは叔父ジオと共に強制収容所に連行されてしまいます。ドーラも迷わず後を追い、自分から収容所行きの列車に乗り込んで行きます。 絶望と死の恐怖たちこめる収容所で、グイドは幼いジョズエをおびえさせまいと必死の嘘をつきます、収容所生活はジョズエがお気に入りの戦車を得るためまでのゲームなのだと。とにかく生き抜いて“得点”を稼げば、戦車がもらえるのだとグイドはことあるごとに吹き込み続けるのです。 やられました。泣けるという評判のこの映画、もちろん警戒して臨んだんですが、しっかり泣いてしまいました。 グイドがいろいろと聞きたがる息子を怖がらせないためにウソをつくたび、父親の話すそのウソを100%信じ、一点の曇りのない純粋なまなざしで、息子ジョズエがうなずくたび、目の奥から液体があふれてきてしまいました。 とりわけ、最後の戦車と出会ったジョズエの感激した顔のアップ、もう、これは反則です。世の中にこれほど純粋な顔があったのかという感じで、その直前に見せられた父親の運命と相まって、涙が止まりませんでした。 この映画、前半は、お調子者で口を開けばウソばかりのグイド(まるでどこかの海賊団のの狙撃手のようですね。見た目もヒョロっとして、チリチリの天パー頭でそっくりです。)が、周囲の迷惑など眼中にない自己中ぶりで、一目ぼれしたドーラと結ばれるまでを面白おかしくコメディタッチで描いているものですから、後半のシリアスな展開とのギャップで涙を誘いますし、息子にウソを突き通すグイドの姿勢にリアリティを与えています。 ということで、とにかく軽い展開の前半に惑わされて油断していると、後半の後半の重い展開につぶされて、涙ダラダラになること必須ですので、十二分に気を付けて鑑賞することをお勧めします、 とにかく、戦争に子ども出されたらイチコロですね、僕は。「太陽の帝国」でも、「縞模様のパジャマの少年」でも、涙ボロボロでした。
2013.07.01
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「ザ・ファイター」 The Fighter 2010年 アメリカ映画監督 デヴィッド・O・ラッセル出演 マーク・ウォールバーグ クリスチャン・ベール エイミー・アダムス メリッサ・レオ 「ダークナイト」ではヒース・レジャーに「ターミネーター4」ではサム・ワーシントンに、主役でありながら、強烈な個性の脇役に喰われ、子役時代から積み上げてきた演技派としてのプライドを傷つけられてきた(勝手な推測)クリスチャン・ベールが、かつて「マシニスト」で見せたようなストイックな役作りを見せ、見事主役を喰ってアカデミー賞・ゴールデングローブ賞の助演男優賞をはじめ、数々の賞をかっさらった作品です。 実在するプロボクサー、ミッキー・ウォードと、そのトレーナーであり異父兄のディッキー・エクランドの姿を描いた伝記映画です。(エンドロールで、現在の本人たちが出てきます。) かつて“ローウェルの誇り”と呼ばれ、5階級制覇の偉大なチャンピオン、シュガー・レイ・レナードからダウンを奪ったことがあることが自慢のディッキー・エクランド(クリスチャン・ベール)は、薬に溺れ身を持ち崩し、現在は弟のトレーナーに専念してます。一方、同じくボクサーで、父親違いの弟ミッキー・ウォード(マーク・ウォールバーグ)は、兄とマネージャー役の母アリス(メリッサ・レオ)の言いなりで、彼らが組んだ明らかに不利なカードで一勝もできず、不遇の日々を送っていました。 ある日、ミッキーはバーで働くシャーリーン(エイミー・アダムス)と出会い、気の強いシャーリーンに押し切られながらも、いい関係を作っていきます。そんな中、ディッキーが窃盗の現行犯で逮捕され、既に逮捕歴のある彼は実刑となり、投獄されてしまいます。 ミッキーの父は息子の将来を案じ、別のトレーナーに話をつけ、ミッキーは家族と決別、シャーリーンと共に新しい人生へと旅立つ決意をします。 そして、ミッキーのまさかの連勝が始まるのです。 才能あるボクサーが、手っ取り早く金を稼ぐために、プロモーターの母親とトレーナーの兄に、時には、階級を無視して9kgも体重が重い選手と戦わされたりと、強豪選手の咬ませ犬のような仕事ばかりさせられていました。 それが、兄が逮捕を機に、父親の手引きで、きちんとしたトレーナーに付き、才能を開花させ、出所した兄と母親も改心・仲直りして、一家団結して世界戦に挑むという、予想通りの展開でした。 そんな予想通り進むわかりやすい物語なのですが、やっぱり見どころといえば、俳優陣の非常に気合の入った鬼気迫る演技でしょう。 まず、なんといっても不良な兄ディッキー役のクリスチャン・ベールです。 「マシニスト」の例でもわかる通り、徹底した役作りに定評がある彼ですが、今回は、十数kgの減量をし、歯並びを変え、後頭部にはワザとハゲを作ったそうで、目はギラギラして焦点が定まらず、挙動不審な感じは見るからにヤク中、そしてルーズで下品な言動、それでいて、しまった筋肉質の体で、窓や塀を軽々飛び越える身軽さを見せる男です。いったいこれが、大富豪で正義感に燃え、夜な夜な悪人を退治する男、あるいは抵抗軍のカリスマ的指導者と同じ人物とは全く思えません。本当にヤク中になってしまったのかと思ってしまうような鬼気迫る演技でした。 もう1人の注目は、母親役のメリッサ・レオという人、実年齢は、マーク・ウォールバーグとは十歳しか違わないのですが、金に汚く言動は下品、気が強くわがままで、すべて自分の思い通り進まないと気が済まない、思いっ切りいやな女を好演し、僕自身も思いっ切り嫌悪感を抱いてしまいました。彼女は、この演技で、アカデミー賞助演女優賞をはじめ、数々の賞を受賞しました。 ミッキーの彼女になるシャーリーン役のエイミー・アダムス(いつになくセクシーさを出し)と、ミッキー役のマーク・ウォールバーグ(ボクサーらしいマッチョな体に肉体改造するなど)も、頑張ってはいましたが、やっぱり、前出の2人にははっきり言って負けていましたね。 しかし、これは個々の演技の問題ではなく、脚本あるいは編集の問題だと思いますが、ディッキーの出所後、兄と母が改心と仲直りをし、再びミッキーのスタッフに加わり、世界戦へ向かっていくところの、2人が改心した過程がよくわからず、唐突な感じがしたのが非常に残念でした。兄ディッキーは、獄中で、自分の再起のためとか騙されて撮影されていた映像が、かつての天才ボクサーがヤク中になって転落していく姿を描いたドキュメンタリー番組になっているところを観せられたことを機に、獄中生活の中で猛省をしたということが推測されますが、母親に至っては、おそらくはミッキーに新しいトレーナーを紹介した父親が説得したのだと思いますが、全くその描写がなく、なぜおとなしくなったのか、まったくわかりません。前半の演技が迫力たっぷりだっただけに、その訳わからない変貌ぶりに、非常に違和感を持ってしまいました。 ということで、終盤の変化があまりにも唐突だったので、今ひとつ感動できなかったのですが、クリスチャン・ベールの鬼気迫る名演技を観るだけでも価値がある作品を今回は紹介しました。 しかし、あのただただ騒いで茶化して、まとまる話もぶち壊してしまう、思いっ切りおバカなお姉さんたち(なんと7人)って、どうにかならなかったんですかね。もううっとうしくてたまりませんでした。
2013.06.30
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「バリー・リンドン」 Barry Lyndon 1975年 イギリス映画監督 スタンリー・キューブリック主演 ライアン・オニール 僕が敬愛する、巨匠キューブリック監督ですが、この映画はまだ観ていませんでした。大作であることはわかっていましたので、なかなか手が出なかったというのが、正直なところです。これで、「スパルタカス」以降の巨匠の作品はすべて観ました。(「時計じかけのオレンジ」と「シャイニング」はすでに観ていますが、記事はまだ書いていません。また、書きます。) 18世紀半ば、アイルランドの農家に生まれたレドモンド・バリー(ライアン・オニール)は従姉のノーラに初恋をし、恋人同士となりますが、ノーラはクイン大尉とも恋仲になります。大尉が非常に裕福なため、彼女の家族は貧困から抜け出すために結婚を望んでいたのです。 バリーは、クイン大尉に決闘を申し込み、バリーの弾が命中してクイン大尉は倒れてしまいます。バリーは警察の追及から逃れるため、母ベルから旅費として20ギニーのお金を渡され、村を出ます。でも、バリーの銃には麻弾が装填されていたため、大尉は気絶しただけでした。ノーラと大尉の結婚を望む兄弟たちが、バリーを村から追い出すために仕組んだものだったのです。 バリーは、ダブリンへ向かう道で追いはぎにあい一文なしになってしまい、途中立ち寄った村でイギリス軍の兵員補充に志願して大陸に渡り、七年戦争に参加します。 軍隊の中で頭角をあらわしたバリーはやがて旧知のグローガン大尉と再会し、彼の部下となります。しかし、ミンデンの戦いでグローガン大尉は戦死し、悲しんだバリーは脱走を決意し、将校の服・身分証・馬を奪って同盟国のプロイセンに渡ります。 イギリス軍の将校になりすましたバリーは、プロイセンからオランダへ抜け、アイルランドへ帰る道中、プロイセン軍のポツドルフ大尉に職務質問を受け、逃亡兵であることがばれてしまいます。バリーは逮捕を恐れ。ポツドルフ大尉の下で兵卒になることを選択します。 プロイセン軍でバリーは、厳しい兵卒生活を送りますが、戦地でポツドルフ大尉を救出した功績により、戦地を離れ、プロイセン警察でスパイとして働くことになります。 バリーは、ギャンブラーのシュバリエ・ド・バリバリーを探る任務を与えられ、召使いとして潜入しますが、シュバリエが同郷人なことから、プロイセン警察を裏切り、シュバリエの相棒として二重スパイとして働き、やがてシュバリエが国外追放になるとバリーは策を凝らし、プロイセンから脱出し、彼と共にヨーロッパ各国の社交界でイカサマによって荒稼ぎするのでした。 そんな中、バリーは病弱なチャールズ・リンドン卿の若い妻レディー・リンドンに出会い、彼女といい仲になります。そして、リンドン卿が病死すると、バリーはレディー・リンドンと結婚してバリー・リンドンを名乗るようになるのです。 長々とあらすじを書きましたが、ここまでで半分くらいです。何しろ、3時間を超える長い映画です。しかし、主人公レドモンド・バリーの二転三転する人生を淡々と描いているためか、まったく退屈することなく引き込まれていきます。 でも、はっきり言って、「ある愛の詩」の大ヒットで大スターとなったライアン・オニールですが、評判通りの大根ぶりで、ほぼ無表情で変化しない顔(演技は顔だぞ!顔!パンサー尾形も言っていただろ!!)で、棒立ち、格闘や剣技は元々スタントマンなので、案外上手ですが、ほぼ感情表現はできていません。 でもでも、僕は気が付いてしまいました。彼の無表情って、顔の作りが元々そうなっているのでしょうか、何となく悲しい顔に見えるんですよね。その悲しい顔の無表情が、淡々と進むお話に、結局は真に幸福をつかむことができなかったレドモンド・バリーの人生に、ぴったりなんですね。 そういえば、彼のヒット作「ある愛の詩」「ペーパームーン」(娘のテイタムが最高です。)って、やっぱり悲しいお話ですよね。 なるほど、さすが巨匠、そこまで見抜いての、彼の起用だったのですね。 それから、この映画なんといっても見るべきは、その映像の美しさ、徹底した時代考証です。 わざわざ当時のものを手に入れて、当時よりも大きくなっている現代人に合わせてすべて縫製し直した衣装、本物の城にこだわった貴族の住まい、銃・剣・カード・楽器などの小道具や家具・調度品、田舎の風景まで、まさに完璧主義なこだわりの映像です。 とりわけ、当時の室内のロウソクのみの明かりにこだわり、わざわざNASAから当時の最新鋭の超好感度のカメラレンズを借り受け、撮影したという逸話も残っています。 アカデミー賞での、撮影賞・美術賞・衣装デザイン賞を受賞は当然でしょう。(あと、バロック音楽にこだわった音楽賞も受賞しています。作品賞・監督賞にもノミネートされていますが、例のごとく、受賞は逃しています。) しかし、当時の貴族の間で流行していたという、男女とも、おしろい・ほお紅につけボクロといったメイクは、ちょっと勘弁してほしかったですね。(一説によると、当時の貴族は結構不衛生で、顔を洗う習慣がなく、そのための汚い顔を隠すためだったということです。) ということで、やっぱりさすがキューブリックという映画でした、 とにかく、その完璧すぎる映像を観るだけでも、必見の映画です。
2013.06.29
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「バビロンA.D.」 BabylonA.D. 2008年 アメリカ映画監督 マチュー・カソヴィッツ出演 ヴィン・ディーゼル ミシェル・ヨー メラニー・ティエリー シャーロット・ランプリング ヴィン・ディーゼル主演の近未来SFです。 戦争やテロによって秩序が崩壊した近未来、大金と引き替えにあらゆる危険な仕事をこなしてきた孤高の傭兵トーロップ(ヴィン・ディーゼル)は、セルビアの集合住宅に身を潜めていました。血生臭い日常に疲れきっていた彼が最後の仕事としてマフィアのボス・ゴルスキーから引き受けたのは、ある若い娘を6日間でアメリカまで運ぶというミッションでした。 ゴルスキーが用意した車で、モンゴルに赴いたトーロップは、新興宗教団体ノーライト派の修道院で、オーロラ(メラニー・ティエリー)という謎の美少女と彼女の保護者というシスター・レベッカ(ミシェル・ヨー)と対面します。 3人はロシア・カザフスタン国境の町トロイツクからウラジオストクへと列車で移動、そこで謎の一味に急襲され、オーロラを拉致されますが、大乱闘の末にトーロップは彼女を奪還します。 一行は密輸業者フィンの手引きで潜水艦に乗り込み、ベーリング海峡を渡り、アラスカに上陸したのちは、スノーモービルでカナダ国境をめざします。 その途中、襲撃を受けたトーロップが大怪我を負い、トーロップはオーロラの応急処置で意識を取り戻し、裏切り行為を働いたフィンを射殺します。 国境越えに成功し、目的地のニューヨークに到着したトーロップは、この任務に隠された陰謀に気付くのでした。 テロリストだか、軍隊だか、ギャングだかよくわからないんですが、荒くれ男どもがたむろする中で、廃墟のようなアパートで暮らす冒頭のトーロップ、トロイツクの駅での人ごみの中での爆破テロ、ウラジオストクでのミシェル・ヨーのカンフー(シスター?という疑問を持ちつつも、さすが香港のカンフースターという感じですね。彼女は「007トゥモロー・ネバー・ダイ」でも見事なカンフー技を見せてくれました。小さくてかわいいので若く見えますが、40代のはずですが。)を生かした謎の組織との戦闘、ベーリング海峡を渡るのに、氷の中から現れる潜水艦、見渡す限り真っ白なカナダの雪原でのスノーモービル・チェイス、そしてニューヨークの街中での銃撃戦など、1つ1つの場面は、なかなか見ごたえがありました。 話題性を作るためだけの何とかいう格闘家とディーゼルの金網デスマッチは完全に余分でしたし、聖少女だったオーロラがいきなりトーロップを誘惑する(特にシスター・レベッカがびっくりしてました。それまで親子のように仲良しだったオーロラに対し、その後は、嫌悪感バリバリでした。)のもよくわからないし、ニューヨークのホテルでの、それまでの逃亡劇が全くウソのような静かな場面は意味もなく長すぎるし、場面がブツ切れで飛び飛びになっており、特に後半つながりがおかしく、全く意味がわからなくなります。(特に、執拗にオーロラを追っていたノーライト派は、どうなっちゃったのか全くわかりません。) なんか、話によると、製作会社が、監督に無断で、編集してしまって、まったく別物になってしまったため、マチュー・カソヴィッツ監督は、めちゃめちゃ怒っていたそうです。 上演時間は101分です。2時間を基本と考えると、短めですよね。なぜ、あんなストーリーがわからなくなるまでブツ切れにして、短めな上映時間にするのか、まったく意味が分かりません。映画監督のアーティストとしての感性を、なぜ大切にしないのだろう。 ということで、なかなか見ごたえのあるSFアクション大作を、会社がテコ入れして、まったくのダメ映画にして、大コケしたという作品を今回は紹介しました。 ところで、ノーライト派の教祖のおばはん役で、またシャ-ロット・ランプリングが出ていました。以前、「わたしを離さないで」の記事で、年をとっても相変わらず美しいということを書いたと思いましたが、本作では、美しい人が怖い人を演じると、より恐ろしくなるということがよくわかりました。
2013.06.28
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「東京島」 2010年 日本映画監督 篠崎誠出演 木村多江 窪塚洋介 鶴見辰吾 福士誠治 1人の女と大勢の男たちが無人島でサバイバルする映画です。当然あっちの方の話題は避けられないわけで、どんなお話なのか、非常に気になっていた映画です。 清子(木村多江)と隆(鶴見辰吾)は、夫婦ふたりきりのクルーザー旅行に出かけますが、嵐に遭い、太平洋に浮かぶ無人島に漂着します。おとなしく目立たないタイプの平凡な専業主婦だった清子ですが、意外にもサバイバル能力を発揮します。一方、隆は島の生活に馴染めず、小屋にこもって食べ物の絵を描き続け、日に日に衰弱していきます。 そんなある日、16人の若いフリーターの男たちが漂着してきます。彼らは島を“東京島”と呼び、それぞれ生活を始めます。 隆が崖から落ちて死亡し、清子は男たちを力で支配しようとするカスカベを第2の夫とし、島でただひとりの女性として女王のようですが、仲間と仲たがいして、ひとり離れて暮らすワタナベ(窪塚洋介)だけは、清子を敵視するようになります。 やがて、密航に失敗した6人の中国人も加わり、カスカベも事故で亡くなり、少しずつ島のバランスが崩れていく中、くじ引きで清子の第3の夫となったG.M(福士誠治)をリーダーに、日本人の男たちは、争いを避け、ルールをつくって島に安住しようとします。 一方中国人たちは、脱出計画を立てるなど、生存能力を発揮してきます。 なんか、思っていたのとだいぶ違いました。 絶海の孤島でのサバイバル、そして大勢の男の中に女が1人、食べ物を、女を、そして島の覇権を争っての、醜い争いが繰り広げられる映画かと思っていました。 しかし、島の生物は結構豊かで、さほど苦労せずとも食料は手に入り、たった1人の女も取り合うことなく、男たちは非常におとなしく、非常に平和的に暮らしているのです。 その上、途中から現れる中国人たちは非常にバイタリティあふれる男たちでしたが、日本人たちと比べると、多勢に無勢ですし、食料は豊富だし、脱出準備に忙しいのか、覇権を争うことにはなりません。 だから、はっきり言って、非常に退屈でした。 これって、アレですか、現代日本の社会を象徴しているんですかね。 “草食系男子”という言葉で表される、自分から周囲に働きかけていかない、現代日本の若者たち、時々現れる強い男たち(系統は違うけど、カスカベやG.Mのこと)に引っ張られて、あまり深く物事を考えず、言われたとおりに動いていく男たち、自分から道を切り開いていかない男たち、そういった現代の若い男たちなんですね、彼らは。 かといって、中年男性が使えるかといえば、現状を理解できず、夢ばかり見て、危機に際して全く動くことができない男で、追い詰められて、結局は自ら崩壊してしまう、清子の夫・隆のような男が多いんですね。 また、清子も、夫が頼りにならないので仕方なく動いているが、自分を守ってくれる存在が現れると、全面的に身を任せてしまう、という、現代の中年女性の傾向を象徴しているのですね。 そして中国人、生活力にあふれ、自ら道を切り開いていこうとするのですが、計画性に乏しく、無謀な方向に歩み出してしまい、結局は失敗します。なるほど、中国人らしいですね。 もちろん、すべての現代の若い男・中年男性・中年女性・中国人がそうだとは、僕も思ってはいませんが、そういう傾向にあるということです。 なるほど、無人島に現代日本の縮図を作り上げて、結局今の男は役に立たない、ということが言いたかったんですかね。 でも、やっぱり、退屈な映画です。 ところで、僕は、違う部分で気になったことがあるので、書かせていただきます。 まず、島の自然についてです。 360度海しか見えない絶海の孤島のようですが、なぜ、あんなに生物が豊かなのでしょうか。なぜ、火山島ではないのでしょうか。 太平洋の完全に陸から孤立した絶海の孤島は、ハワイのように火山島であるはずです。 太平洋は、大西洋とは違い、大昔、大陸分裂が始まる前から海でした。ですから、太平洋の絶海の孤島は、大陸が分裂するときに切り離され、取り残された土地であるはずがなく、海底火山が噴火して隆起してきた火山島であるはずなのです。だから、島ができた当時は生物(植物も含めて)が住めるはずがなく、島ができて火山活動が落ち着いてきてから、風に運ばれた植物や鳥・虫、漂流してきた比較的沿岸部に住む小動物、それくらいしか生息できないはずです。 だから、豊かなジャングル、本来は大陸性の生物であるウサギ、広い砂浜、切り離されたような断崖絶壁、などは非常に違和感がありました。 それとも、アレですか、実は、何らかの地盤変動で、もっと大きな島から切り離された島で、彼らが気が付いていないだけで、比較的近くにその大きな島があるのでしょうか? もう、気が付けよ!ますます情けない男たちだなあ。 それから、最初は清子と夫・隆、次に清子とカスカベ、そして清子とG.Mが住んでいた家にも違和感バリバリでした。 無人島に全く似つかわしくない非常にしっかり作られた立派な家でした。あれって、まだ清子と隆の2人しかいなかったときに作ったんですよね。はっきり言って、あれだけの家を作るにはかなりの日数と労力と知識が必要だと思うんですが、それを、あの絶望して全く動こうとしない情けないおっさんと、どう見ても器用には見えない清子の2人で作ったんでしょうか? なんですかねえ、隆は流れていてから数か月(専門知識がないとしたら、試行錯誤する期間も含めて、そのくらいの時間はかかりそうですが。)は、結構やる気で頑張っていたのでしょうか。(無人島に家を作る大変さは、「黄金伝説」の有野君を見ていれば実感できると思いますが、もう材料集めからとってもとっても大変ですよね。ましてや、絶海の孤島で、かつて人が住んでいたことがない島だったら余計です。) それだけの気力ある人物なら、あんなに落ち込んでダメになってしまわないと思うのですが、違いますかね?それに、あれだけしっかりした立派な家が作れるのなら、何か月も旅できるようなしっかりしたイカダ、いや船を作れるのではないだろうか、とも思ってしまいました。違和感バリバリです。 そして、一番違和感があったのは、エルメスの衣装協力です。 はっきり言って、エルメスの派手なスカーフを巻いて無人島の砂浜を歩く清子の姿は、色っぽかったですが、ふざけているのかと思うくらい違和感バリバリバリでした。 まあ、無人島に流れ着いたとはいえ、清子の衣装がたっぷり詰まったトランクは丸々無事だったようで、いいと言えばいいんですが、都合良すぎと思ってしまいました。 そもそも、なぜ、おしゃれな高級ファッションブランドが、無人島のサバイバル映画という、この地球上でもっともかけ離れた存在に、衣装提供をしようと思ったのか、そこらへんの感覚が全く分からないわけで、エルメスのお偉いさんたちが何を考えているのか、まったく理解できません。 ということで、勝手に思い込んでいた男たちの醜い争いが面白おかしく描かれたものは、観ることはできませんでしたが、現代社会を風刺する、深い考えを持ったものだということに気づいて、ちょっと見直しつつ、いろいろな違和感が気になって、やっぱりいまいちだなと思った映画を、今回は紹介しました。
2013.06.25
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「モールス」 LET ME IN 2010年 アメリカ映画監督 マット・リーヴス出演 コディ・スミット=マクフィー クロエ・グレース・モレッツ まったく予備知識はなく、DVDのパッケージの説明を見て借りてきたのですが、スウェーデンの小説を原作としたスウェーデン映画のリメイクだったようです。 雪に閉ざされた田舎町、12歳のオーウェン(コディ・スミット=マクフィー)は学校でいじめられていたが、別居中の父親との離婚問題で精神的に不安定な母親には相談できずにいました。彼の唯一の楽しみは、自分の部屋から望遠鏡で他の部屋を覗き見することでした。ある夜、望遠鏡を覗いていた彼は、雪の中を裸足で歩く、隣に越してきた少女を見、気にかけていました。 雪の夜、オーウェンが中庭で1人遊んでいると、その少女が現れました。彼女はアビー(クロエ・グレース・モレッツ)と名乗り、12歳くらいだが自分の誕生日を知りませんでした。 夜の中庭で何度か会ううちに段々と彼女に惹かれていくオーウェンは、アビーの部屋から聞こえてくる荒々しいどなり声に心を痛めていました。 ある日、オーウェンはモールス信号のメモをアビーに渡し、壁越しに話そうと伝えます。2人は自分の部屋から壁越しにモールス信号で合図を送りあうようになり絆を深めていきます。 時を同じくして、この小さな町で残酷な連続猟奇殺人が起こり始めます。生きたまま首を切り裂かれ血を全て抜き取られた少年、トンネルで惨殺された男性……。 そんな中、車の事故で、頭から硫酸を被っている、容疑者と思われる男が病院に搬送されてきますが、その男は手がかりとなるメモを残し病室の窓から転落死してしまいます。 自分を心配してくれたオーウェンがいじめられていることを察したアビーは「やり返すのよ。私が守ってあげるから」と言います。 オーウェンは、いじめっ子に仕返ししたことに興奮し、アビーに血の誓いを交わそうと指を切ります。すると今まで笑顔だったアビーの様子が急変してしまいます。 主人公のいじめられっ子オーウェンが心奪われる謎の少女アビーには、実は驚愕の正体がありました。その正体は中盤で明らかになりますが、それを知らないで観た方が楽しめると思いますので、あえて明かさずに記事を書いていこうと思います。(まあ、わかってしまうかもしれませんけどね。) 以前紹介したある映画を思い出しました。僕が好きなあの女優が子役時代に2人のイケメンスターと共演したあの映画です。あの映画では、2人のイケメンの仲間に庇護されながらも、彼女なりの苦悩に悩んでいる姿が、物語のサブテーマとして、物語に深みを与えていました。(前々からこのブログを見ている皆さんには、何の映画かわかりましたかね。2人のイケメンと子役の3人とも、ハリウッドで今もバリバリのスターとして活躍しています。) あの僕の好きな女優が子役時代に演じていた役が、2人の保護者がいなかったら、こんな風に生きていくんだろうなあ、という映画です。 この映画、主役2人の熱演によって、なかなか見ごたえのある作品に出来上がっているとは思いましたが、猟奇的連続殺人の謎を追うというサスペンスと、12歳の2人の初々しい恋愛という2つの側面の、どちらもちょっと中途半端な感じがして、残念だなあと、ちょっと思ってしまいました。 どちらかというと、恋愛の方に重きがあるような感じがしたので、もっと、猟奇的殺人の場面はさらっと抑える感じにして、2人が初々しい愛を紡いでいる時間を深く長く描けなかったかなあと思いました。特に、邦題にもなっている“モールス信号”で壁越しに話している場面がもっとあってもいいかなと思います。(この“モールス”の場面が今ひとつ印象が薄く、題名にふさわしくないなあと思ってしまいました。まあ、原作の小説の題名から来ているのでしょうがないのですが。) そうすることで、彼女の正体なりの苦悩(つまり、あの映画の子役の彼女を通して描かれていたあの映画のサブテーマのことです。)がよりテーマとしてより浮き彫りになるのではと思いました。 襲われた女性が唐突に病院のベッド上で燃え出すという場面は、他に同様な場面が全くないことから、まったく余分だと思うし、はっきりと口に出して招き入れてもらわないとだめだという設定(でも、これは、原題の「LET ME IN」とのつながりから難しいとは思いますが。)も意味がよくわかりません。(僕はよく知らないのですが、スウェーデンあるいはヨーロッパでは、彼女のような存在にはそういう言い伝えがあるのでしょうか。) しかし、とにかく主役2人の演技が素晴らしく、何とか2人を助けてあげたいという気持ちいっぱいで最後まで見入ってしまいました。 ということで、今回はまあまあの当たりだったというお話でした。 オリジナルのスウェーデン映画の方も見てみなければ、と思いました。 喉の奥に何か詰まったような文章で、すみませんでした。
2013.06.23
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「TEST10 テスト10」 BLOODWORK 2011年 アメリカ・カナダ映画監督 エリック・ワーセンバーグ またまた、いつものレンタルビデオ屋で見つけた日本未公開のB級映画です。 大学の冬休みにロブとグレッグは、2週間で3150ドルの報酬を得られるという治験モニターに参加します。 彼らを含む老若男女10名の被験者は研究施設に入り、24時間監視され、定期的に新薬を投与されていきます。 排泄物の検査などもし、穏やかに始まった治験ですが、日が経つにつれ、次第に被験者の様子が変化していきます。 はっきり言って、ありがちな、実験系のシチュエーション・スリラーなんですが、意外と面白かったです。 僕が気に入った点は、薬の効果というか、被験者の皆さんがドンドン変化していくことが非常に理に適っているところです。 彼らが投与される薬の効果はただ一つ、体の治癒力を飛躍的に高めるということだけです。つまり、普通の人間を皆“ウルヴァリン”あるいは“破面(アランカル)”にしてしまう薬ということです。(余計わからない人のために注釈をつけておきます。) (注)「X-MEN」のウルヴァリンのミュータント能力は、超治癒力です。だから、全身 の骨にアダマンチウム(架空の超合金)を注入する手術にも耐えられたし、戦いの度 に手の甲から刃が出てくるのにも耐えられるのです。 また、“破面(アランカル)”というのは、久保帯人の漫画「BLEACH」に出てくる、 ホロウ(悪霊)に死神の力を融合させた、死神である主人公たちに敵対する悪役で、 基本能力として、傷をすぐに自分で治してしまう“超速再生”という能力を持っ ているのがいるんです。 そして、そこから派生する効果がとても面白くて、「なるほど!!」と思ってしまったんです。それは、汚いものや危険なこと、怖いことなどからの嫌悪感がなくなるということです。 劇中で博士(この博士が意味なく美人で色っぽいです。)から説明されるんですが、傷ができても秒速で治ってしまうようになるので、けがをすることは怖くないし、ばい菌など全く恐くなくなってしまうというのです。 薬の投与回数を重ねるたび、それがだんだんエスカレートしてしまい、とうとう、とんでもないことになって、制御不能の状況に陥ってしまうのです。 「なるほどねえ、うまいこと考えたなあ。」と感心してしまいました。(ただ、ネットでこの映画を紹介している数少ないページを見てみると、「嫌悪感がなくなる薬を投与され……」とか、「薬の副作用で……」とか、「頭がおかしくなってしまって……」とか、劇中でしっかり説明しているのにもかかわらず、この辺をカン違いしているものが少なからずありましたので、気を付けてください。) もちろん、根本的に現実にはあり得ない薬であることは間違いないですし、何回か投与することで、治癒力がだんだん高まっていく、つまり根本的に体を変化させてしまう薬なのに、解毒剤(?)を1回打つと元に戻るというのが根本的に間違っています(例えば、ニューハーフの方々がうっている女性ホルモンなどは、続けて投与することで、だんだん女性的な体に変化していきますが、打ち続けることで男性機能は完全に破壊され、投与をやめて、男性ホルモンをうつようにしても、破壊された男性機能は回復しません。)し、被験者たちが薬をうつことを求めるようになる(麻薬じゃないんだから)のもよくわかりませんし、不可解なこと、理屈に合わないことも多大にあるわけで、全編にわたって、非常に科学的で素晴らしいと思っているわけではありません ただ、1つのアイデアが、どんどんエスカレ-トしていって、収集つかなくなってしまうという展開が気に入ったというだけです。 そうそう、あのロブといい仲になる看護学生の子の死に方もアイデアを生かしていてとても気に入りました。(死んだのが気に入ったなんて、なんて不謹慎な!!!と、自分で突っ込んでおきます。) もちろん、エロ・グロ・スプラッタ満載の映画ですので、気を付けてくださいね。
2013.06.22
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「Mr.&Mrs.スミス」 Mr.&Mrs.Smith 2005年 アメリカ映画監督 ダグ・リーマン主演 ブラッド・ピット アンジェリーナ・ジョリー 今現在、ハリウッドで1番の大スター同士のカップルといえば、このブラピ&アンジーのカップルですね。その2人が出会った映画がこの映画です。この間「日曜洋画劇場」で放映していましたので、以前見たことがある本作ですが、この記事を書くために、再び観賞しました。 しかし、最近のTVの洋画劇場は、続編や関連作が劇場公開するので、宣伝を兼ねてというパターンが多いのですが、本作は別に関連の劇場公開作がないのですが、まさか、最近アンジーが別のことで非常に話題になっているので、ということですかね? 結婚して"5、6年"たった夫婦(ブラッド・ピット&アンジェリーナ・ジョリー)が、2人でカウンセリングに訪れました。セックスの頻度は10段階評価で何点か、という問いははぐらかし、この間の週末は一緒に過ごしましたか、という質問には黙ってしまいます。 2人の馴れ初めについて問われると、5、6年前、二人はコロンビアのボゴタで出会い、ジョンは建築設計事務所を経営し、ジェーンはコンピュータのサーバーの管理会社を経営しているということで、2人はすぐに恋におち、数か月後に結婚したと言いますが、5、6年たった今、2人の間は空虚で、お互いに隠している事があるのだと説明します。 カウンセラーはどのカップルにもあることだと言いましたが、実は2人は別々の組織で、暗殺を請け負うプロであり、お互いに知られないようにしていたのです。 ある時2人は、別々にベンジャミン・ダンツという男の暗殺を依頼されます。 メキシコとの国境近くの砂漠の中で、ジェーンは道に爆弾を仕掛けダンツの到来を待ち受けていました。そこへ1人でバギーでやってくる男がいます。ジェーンはそれがジョンだとは知らず、彼が対戦車ロケット砲を構えるのを見て狙撃します。防弾チョッキのおかげで助かったジョンも、ジェーンと知らずに彼女に向けてロケット砲を放ちます。ジェーンもまた逃げ出すことに成功しましたが、肝心のダンツ暗殺はどちらも果たすことができませんでした。 ニューヨークに帰った2人は、それぞれ誰が仕事を邪魔したのか探し始めますが、すぐに相手が自分の結婚相手であることに気づいてしまいます。 結局は、えらいお金かけて、ド迫力な夫婦ゲンカをやってしまったという映画ですよね。 家はぶっ壊すは、超高層ビルの最上階にある組織の基地はぶっ壊すは、BMB3台ぶっ壊すは、挙句の果ては、巨大ホームセンターを瓦礫の山にして死体の山を積み上げる、金かかかってるなあ、という感じですよね。 まあ、今を時めく2大スターのかっこいい姿を見られるだけで、いいのかな。とりわけ、今やハリウッド1のアクション女優アンジーのかっこよさはすごいですよね。今、マシンガンを持たせたら一番似合う女優さんです、アンジーは。(ちなみに、ショットガンが一番似合うのはシュワちゃんです。もちろん、ハーレーにまたがったまま、片手でグルっと回して連発です。) ブラピの方は、まあ、かっこいいんですが、やっぱり見慣れてないせいでしょうか、今いち銃をぶっ放すところが似合っていないと思ってしまったのは私だけでしょうか。彼は、「イングロリアス。バスターズ」で見せてくれた、ごついナイフを握っている姿の方が似合っていますよね。(いっちゃった目でニヤッと笑って、ゆっくり刃をなめるところなんて最高です。今、ナイフをなめさせるなら、ブラピか佐藤浩市ですよね。) で、オチとしては、「アイズ・ワイド・シャット」と同じということでいいんですかね。そりゃあ、Hの前戯に殺し合いすれば燃えますよね。(そういえば、「アイズ・ワイド・シャット」の主演2人も当時夫婦でした。トムとニコールは主演映画のテーマがいまいち腹に落ちていなかったのでしょうか。ブラピとアンジーは、この映画以降、ずーっとラブラブですよね。) ということで、余計なことは考えず、頭の中を空っぽにして、単純に楽しめばいい映画です。壮大な夫婦ゲンカ、非常に楽しかったです。 ところで、アンジーの女王様って、似合いすぎていませんか?
2013.06.19
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