とりあえず…はじめようか?

とりあえず…はじめようか?

信じる者は救われる?



これは大抵の人が知ってる言葉でしょう。
そして大抵の人は「神様を信じていれば良い事がある」とか
「良い事をしていれば幸せに暮らせる」位に考えているのではないだろうか?
僕は、そう感じていた。
だが実際は、そうではないと思い始めた…

僕は、どちらかと言えば無神論者と言うやつだと思う。
まぁ、ただ単に関心が無いだけかもしれないが…
そんな僕でも嫌な事とかあると「神様、助けて」と祈って見たりする。
随分むしの良い話であるがそんな感じだw

世の中には自分より不幸な人が溢れていると思う…
日本だけでも毎日の様に、殺人、事故等のニュースは日常茶飯事だ。
視野を世界に広げれば、餓死や戦争など、もうどうしようもない…

この様に死んで逝った人達の中には、僕より信心深い人も居るだろう…
だが僕より先に死んでしまったりする…

彼らは「救われた」のだろうか?
彼らが本当に信じていたなら、僕の考えではYESである。

僕の考える「信じる者は救われる」とは
生きている事でも、誰が見ても幸せな暮らしをしている事でもない。

「信じる者は救われる」それは、自己満足と言うか安心感…
例えば宗教的な事が多いだろう…
戒律を守る事により極楽へ行ける等だ。

信じない人からすれば、眉唾だが
信じる人にとっては、それは絶対だ。

ここで言う絶対とは、100%と言う事ではない。
そうなると言う”考え方”が絶対であり、救いになり安心感を生むのだ。
だから、信じた先にある結果は関係ない。

分かりやすく言うなら
山で遭難して、どっちへ行って良いかも分からない状態で、分かれ道に差し掛かる。
この時、人間は取り合えず考え迷うだろう…
そして決断した者は進み、決断出来ない者は立ち止まる…
決断出来ない者の心中に有るのは「不安」
これを取り除けない限り進む事が出来ない。
つまり求めるのだ。
どっちへ行って良いか分からない分かれ道で
「この先、国道」と言う標識と言う名の「希望」を…
その先に、国道が実際に無かったとしても…

これが、僕の考える「信じる者は救われる」だ。


他の考え方になるが、邪道な考え方としては
「信じる者は(足元を)掬われる」って所だろうかw
これは完全に、「信じると馬鹿を見る」って考え方になるw

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