■次は自主コンサートだ
「え~?曲が足りないじゃない」
「そう。だから作るのよ」
「時間が長すぎて、そんなのまだ無理だよ」
「そうかなあ。じゃ、ちょっと待ってて、紙に書き出すから」
童謡まつりの後、楽器の収納を終えた練習場。そのままサポートメンバーの慰労会となる。今後の練習の話題から自然にミーティングへ。この日サポートメンバーが自主コンサートに賛同してくれなければ、これからの練習に自信がなかった。何としてもカーニバルだけのコンサートを目指したい。1時間半のステージの企画を持ちかけた。
カレンダーの裏の白紙に油性インクで(1)と書いた。
「例えば、第1ステージはオリジナル曲だけを全員で歌うの。5曲くらい」
「だってSMILEしかないでしょ」
「DOYOカーニバルも立派なオリジナルよ。それから今作ってる途中の…」
「みんなでルンバ!」
「これで3曲。あと2曲だけでしょ」
なるほどという顔、顔、顔。次に(2)と書いた。
「例えば、第2ステージ。これは一人で演奏が出来る人だけでソロのステージ」
「あっ、ゆかりさん」
「そう、貞雄君のキーボード即興演奏」
「康子さんも、拓也君も」
「ゆかりさんはキーボードもやる気あるし、歌もいいよね」
「うん、うん」
そして(3)と書いた。
「カーニバルの活動を写真やビデオで紹介してもいいんじゃない?」
「へえ、いいねえ、それ」
「やっぱり長丁場はまだ無理だから、こんなのを入れてもいいよね」
「もうひとつは?」
(4)と書いた。
「観客と一緒に歌ったり踊ったりするステージ。マイ・セレナーデに振り付けをするのよ」
「いい、いい」
「それから世界に一つだけの花」
「ああ、みんな好きだもんねえ」
「それからSMILEを一緒に歌おうなんてのは?」
「できるねえ」
「そして最後に…」
みんなが声を合わせた。
「風になりたい!」
こんな調子で、みんなが「できる!」と思い始めた。
「それからね、これはできるといいなと思っているんだけど…」
と今日のできごとを話した。
文化会館のエントランスホール。出番を待つうきうきとした、しかもリラックスした時間に、弘樹君と緑さんがこんな会話をしていたのだ。
「朝倉さん、自然って何?」
弘樹君がたずねる。
「空!」
間髪を入れず緑さんが答える。弘樹君はにっこり笑ってホールを大またで歩き回ったかと思うと、また緑さんのところへ来る。
「朝倉さん、地球って何?」
弘樹君の二度目の質問に、緑さんは1秒ほど考える様子。そして結論を出す。
「丸!」
好奇心旺盛な弘樹君の質問。それを緑さんが一言で言い換える。禅問答のようだ。彼らはこんなことをいつも話しているのかと驚いた。また、他の人たちもお互いに笑い合って楽しんでいた。明らかに会話を楽しんでいた。彼らは言葉数が多くない。いや、かなり少ない。ほとんど発声しない人もいる。聞き取れないことも多い。だからこそ発する言葉には、重みと深い意味を考えさせられる。言葉を拾っていけば、詩にならないだろうか。歌詞にして、曲としてステージで発表できないものだろうか。「わたぼうし音楽祭」のように。
「いや、がんばりますよ。やらせてください」
と小山さんが言った。
「じゃ、言葉を集めるのは、私ひとりでは限界あるから、みんな協力してください」
と私。
「すごいことになったねえ」
「ね、ね、CDも出そうよ」
童謡まつりの余韻は、もうどこかへ吹っ飛んでいく勢いだった。
■個性がかがやく場所
文化会館を借り切っての自主コンサート。そんな大きなことが私にできるのか。私は元来、「周りの評価を気にしていない」と言いつつも、非常に気にするタイプ。ふだんは実に繊細なのだ。だがカーニバルでは、「GOGO行け行けカーニバル」、負けず嫌いをとっくに通り越した、自分に負けない私がいる。人の目を気にするところだって、気配りくらいに置き換わってしまう。そう、それはカーニバルのおかげ。
あの時、実感した。昨年の「野外ステージ」。感動のデビューの1週間後、私たちは三股町に隣接している都城市のイベントに参加した。「みやこんじょ秋まつり」。合同庁舎のイベント広場には出店がテントを張り、野外ステージでたくさんの団体の活動が次々と紹介されていた。そこでデビューと同じ2曲を演奏した。そう、あの2曲しかまだ持ち歌はなかった。一度ステージを経験すると、何でも出来そうな気がした。不安などない。つい1週間前の気負いは何だったのだろう。野外という開放感も手伝ってか、笑顔でのびのびと歌いきった。歌声が遠くまで飛んでゆく快感があった。途中、誰かの笑い声。純子さんが笑っているのだ。この余裕。彼らはどんな所でもどんな状況でも、与えられればやってのけてしまう度胸を持っている。羨ましく、頼もしく感じた。私一人のステージ?とんでもない。そんなことになったら、緊張感できっと押しつぶされてしまうことだろう。私は彼らに付いて行けば、なんでも乗り越えられるのではないか、とさえ思った。彼らと私は互いに高め合う関係にもう突入している、と感じた日だった。
だから、こうやって私の背中を押しているのは、彼らに違いない。もしかしたら、カーニバルの後ろにいる、たくさんの知的障害者の存在が、そうしているのかもしれない。カーニバルの活躍は必ず多くの支持を受け、それによって知的障害者が社会で一緒に活動する機会がどんどん開かれていく。私は、カーニバルがそのきっかけになることを心から願っている。だから、それが今の私の個性を作っているのかもしれない。カーニバル以外では迷いや失敗も多い。だが、カーニバルに関しては、実に勘がよく働く。まるで一本の光る道筋を誰かに示されたように。何の迷いもなく、今私は進もうとしている。臆病で優柔不断な私は、カーニバルの中では陰に隠れている。個性とは、その環境によって輝き方が違ってくるものなのだ。
彼らはどうだろう。初めから個性が感じられる人たちだ。それはひょっとしたら障害があることに起因しているのかもしれない。視覚障害者が奪われた視覚以外の感覚が鋭くなるように、聴覚障害者が聴覚以外の感覚が育つように。だが、知的障害者のバリエーションは多岐に渡る。本当に二人として似ていることがない。そして、安心できる仲間がいる「カーニバル」という環境の中で、その個性がもっと出やすくなってきているのではないか。だから、もっと新しい刺激があれば、彼らの個性はもっと花ひらくのではないだろうか。脚光を浴びるほどに……。
個性は作り出す場合もあれば、自然ににじみ出る場合もある。だが、自然の場合でも、意識してそこに気づかせていくことをしなければ、気づかれずに通り過ぎていくことも多い。だから人の個性をどう扱うかは、とても重要だ。その人の人生をも左右する。カーニバルは決して上手さを追及していない。だからといって「楽しい元気なカーニバル」だけを売り物にしても、先細りしていくのは見え見えだ。彼らの個性を私が発見してステージに乗せること。これが、私が今、新しく私に課している仕事だ。私はただ歌を一緒に歌う楽しい会をする役目から、自分勝手にずいぶん進化してしまったものだ。
サポートメンバーが全員一致で「カーニバルだけのコンサートをやりましょう」ということになった。そのことを朝倉さんに伝えた。まだ練習が始まったばかりの4人の時に、ステージの話を受けてきた人だ。できないという筈はない。案の定、
「すごい!やったあ!できる!できる!やる!絶対!」
こんな言葉しか返ってこなかった。
「早く、文化会館の日程を押さえなくては」
ということになった。だれも反対しないということがすごい。この8ヶ月の間に積み上げてきたもの、協力体制。みんなの力で、カーニバルが次のステップへと前進できる段階になったのだ。
だが、ステージが成立するためのたくさんの要素が欠落したままの見切り発車。ぼんやりとしかステージは見えてこない。でも、やらなければならない。なぜか。ここまでできたものを守るだけなら簡単なのに。しかし、守るだけは本当に簡単なのだろうか。私は今までの人生の中で、いくつかの活動を経験している。立ち上げの当初であったり、初めての企画は何かと大変だ。苦労はあるが、何とかみんなの力を結集させていいものができる。2年目は前年の良いところ悪いところを学んで、さらにうまくいく。さあ、そのあとだ。だんだんと目的意識も薄れ、例年のようにやるだけの会が続き、そのうちに面白味がなくなり消滅する。そんな会の結末をたくさん見てきた。
カーニバルは絶対にそうであってはならない。彼らにとっては唯一の楽しみだからだ。だが、サポートメンバーも嬉々として参加するのでなくては、自然消滅する。ましてや、カーニバルのような活動を世の中にたくさん生み出すようにするためには、なるべく大きなことに挑戦するカーニバルでなくては、誰も振り向かないのだ。これは大変!と思うから、ついてきてくれたサポートメンバーだ。メンバーすべてを守るためには大きいステージを用意することだ。
ステージ構成は重要だ。ただ闇雲に演目を並べても意味がない。それぞれ違う角度からカーニバルを表現する。これまでの何一つをも無駄にしないで、全てをステージに乗せようとしている。特に家族でも見落としている個性、彼ら一人ひとりの個性にスポットをあてよう。「楽しい元気なカーニバル」とは違った、いろいろな表情が出るはずだ。それをどのようにして見つけて構成できるか。キラリと光る原石。それは、もう手の届くところにあるような気がした。これを発見して磨きをかける。きっとそれは、ステージ照明の中できらきらと輝く。親は、家族は、何と言うだろうか。まだ見ぬカーニバルのお父さんたちが、客席で涙を流しながら手拍子をするのが見えた。「ほら見たか。うちの子を。こんなに人を感動させる力があるんだ」と何度も頷いている。一番よろこばせたい人が見えた時、私は決めた。自主コンサートのテーマを「わたしの歌を聞け」と。
ステージ構成ができた3月末、文化会館へ。12月10日(金)夜を予約。リハーサルも3回とった。あと8ヶ月と10日。練習日はリハーサルも含め、全部で19回。これですべてを完成させる。1日たりとも無駄には過ごせない。またぎりぎりの挑戦をすることになってしまった。
■気合いだあ!
「カーニバルのコンサートを12月10日に文化会館ですることになりました。400人のお客様がカーニバルの演奏を聴きにきます」
「やだ」
すかさず貞雄君が冗談を言った。この人はいつもこうだから気にしない。メンバーがやる気を起こさないはずがない。私は、自信満々でコンサートの内容を発表した。
●第1ステージ オリジナル曲を5曲元気に歌い、お客さんに元気をあげよう。
SMILE、みんなでルンバ、DOYOカーニバル。あと2曲を作る。
●第2ステージは一人一人を紹介するステージ。
緑さん 詩の朗読 詩を作る。写真で出演。
寿美子さん 詩の朗読 詩を作る。写真で出演。
康子さん アカペラで童謡を歌う。曲を康子さんが決める。生出演。
貞雄さん キーボード即興演奏 お任せします。生出演。
ゆかりさん キーボードのアンサンブル。曲をゆかりさんが決める。生出演。
弘樹さん オリジナル曲を歌う。詩を作る。ビデオ出演。
純子さんと恵さん 二人で一つの曲を歌う。詩を作る。ビデオ出演。
広大さん 歌やダンス ビデオ出演。
拓也さん ハーモニカやソロ ビデオ出演。
知毅さん スルド演奏 ビデオ出演。
そのほか、今までの写真やビデオが大きなスクリーンに映される。
その時にゆかりさんが歌を歌う。生出演。
●第3ステージは4曲。会場のお客さんと一緒に歌ったり、踊ったりするステージ。
マイ・セレナーデ、世界に一つだけの花、SMILEを一緒に歌おう、風になりたい。
みんなの個々の力で作る第2ステージに話が及んだ時、みんなの目が真剣になった。「これは今までと違うぞ」という顔。一人一人が何かをするのだ。でも不安な顔ではなかった。「うん、できるさ」といった顔だ。「やだ」と言った貞雄君は「よっしゃあ」と言った。そして第3ステージ「世界に一つだけの花」と発表したら、みんなが「やったあ」と喜んだ。「風になりたい」は「やるのがあたりまえだ」といった表情だった。こうして自主コンサートの企画は受け入れられた。その後、すぐに練習に入る。今までの持ち歌すべてがステージに登場するのだ。気合が入った。
■カーニバルのメッセージ・ソング
♪素晴らしい日々
新しくサポートメンバーとなった板谷浩臣さんは、まだ陣痛の中にいた。この間できた曲、2曲ともボツにした。彼は三股町を拠点に、独自の音楽スタイルで活動しているロック・ミュージシャンだ。作詞・作曲・編曲・ギターとなんでもこなす。先週、初めてカーニバルの練習に参加した。
練習場の片隅で緊張気味にメンバーを待つ、長身でお洒落なこの青年は、今までのカーニバルには無かった独特の雰囲気を漂わせていた。彼は広報の記事に触発されて、一晩に数曲の作曲をしたという。だが、私は直にカーニバルに触れて欲しかった。聞いたり、読んだりだけでは絶対に感じることのできない、丸ごとのカーニバルを受け止めて、自分の世界とカーニバルを融合させてほしかった。自分の世界をしっかり持ち、彼なりに活躍の場がある人だ。どんなふうにカーニバルを捉えるのだろうか。また、彼の強烈な個性とカーニバルのメンバーは果たして合うのだろうか。他のサポートメンバーとは。
私の心配は、その日のうちに吹き飛んでしまった、ミニ・コンサートでのギター演奏、そのパフォーマンスに私たちはすっかり魅了されてしまった。彼は広報を読んですぐ連絡をくれた。強力な助っ人となるはず。だが残念なことに、その時点では彼に任せる仕事がなかった。発揮できる場を求めているのだから、タイミングを待つしかなかった。そして今回、連絡をとった。快く曲作りの要請に応じてくれた。そして、メンバーの柔らかだったり、楽しかったり、にぎやかな個性の中に、浮くこともなく、うまく混ざり合っていく気配が感じられた。何よりも彼の素直な感性が、カーニバルに触れたことで新しい何かを生み出す原動力を掴んだようだった。
彼が担当する曲は、カーニバルらしいメッセージのあるロック。そのメッセージを探すことから。この間できた2曲は、彼のメッセージが色濃かった。もっともっとカーニバルと彼が、近づいて一体になって、カーニバルの心が彼の言葉やメロディーで表現されなくてはならない。私は確かに無理難題を出している。
「今考えてる曲なんですけど」
彼は1枚の紙を差し出した。
素晴らしい日々 詞:板谷浩臣
さあ みんなで手をたたこう すばらしい今のために
さあ みんなで手をたたこう すばらしい明日のために
昨日よりも今日 今日よりも明日
どんどん強くなる どんどん楽しくなる
シャララララ僕たちのメッセージ聞こえるかい
シャララララ前を向いて一生懸命がんばるぞ みんなで力を合わせて
さあ みんなで手をたたこう すばらしい今のために
さあ みんなで手をたたこう すばらしい明日のために
「お~っ!」これは、あの2曲とはひと味もふた味も違っている。カーニバルの中にどっぷり浸かって彼らのメッセージを汲み上げた曲、そんな感じがした。聞きたい。彼はギターを持ってきた。ピックを使う力強い演奏。覚えやすいメロディー。彼らが歌っている姿まで想像できるではないか。
彼はこの2週間でカーニバルの新曲を生み出し、イントロや間奏、エンディングをつけた全体の編曲、そして、男女のパート分けや楽器の演奏の仕方を工夫し、歌を入れた。すぐに手渡せるデモ・テープを作り上げてくれたのだ。この、カーニバルにとっての4曲目のオリジナル曲は、予想通り楽しいリアクションで受け入れられ、熱狂的な拍手で迎えられた。受け入れられるかどうかを一番心配していた浩臣さんは、この時の感動をこのように話してくれた。
「このときの映像を見れば、どんな苦しい時でも乗り越えられる」
と。う~ん。そうであってほしい。
♪みんなでルンバ
あっ、3曲目はまだ未完成のままだった。作りかけの曲と言った「みんなでルンバ」は、発声練習をかっこよくやるための曲。童謡「かえるのうた」をずっと発声練習に使っていたが、私の方が恥ずかしくなっていた。
「歌うことによって唇や舌を強くして、発声練習にも自然となるような曲を」
と、小山さんに依頼していた。小山さんはいつもは詞が先。でも今回は曲が先にできた。彼は苦手な詞に挑戦し、やっと1番の歌詞を作った。詞といってもほとんどがスキャット。なのに、2番がどうしてもできない。だからいつまでたっても作りかけ状態だった。それで、2番の詞をみんなで作ることにした。やっと出来た2番は、もう誰のアイデアかさえわからなくなった。
みんなでルンバ 詞:小山貴也&カーニバル
ダディダ ダディダ ダディダ ダディダ ダディダ ダディダ
ダディダ ダディダ ダディダ ダディダ ダディダ ダディダ
パパパパヤ パッパヤッパ パッパッパヤッパ
パッパー パパパパーヤー
パッパヤッパッパー パパパヤ パパパ パパパ
みんなで唄えばほら すぐにとても仲良し
みんなで唄えばほら 力もわいてくる
心を解き放ち 楽しく唄おうよ
ぼくらみんなの合言葉は ラララ!ラララ! ヘイ!
ダディダ ダディダ ダディダ ダディダ ダディダ ダディダ
ダディダ ダディダ ダディダ ダディダ ダディダ ダディダ
パパパパヤ パッパヤッパ パッパッパヤッパ
パッパー パパパパーヤー
パッパヤッパッパー パパパヤ パパパ パパパ
みんなで笑えば すぐに友だちになる
一人よりも二人 二人よりも三人
みんなが集まれば 楽しいカーニバル
ゆくぞ 未来に向かって ラララ!ラララ! ヘイ!
発声練習用の曲にしては楽しく、スキャットが聴く人の耳に残る。メッセージは言葉だけではないことを、この曲が証明する。だからこれも堂々のカーニバル・メッセージ。
小山さんは、どんな人にも同じような態度で接する。彼らに知的障害があるからと、わざと言い方を変えたり、平易な言葉を使って話したりはしない。偏見が無くて、とても好感が持てる。
「自分の作った曲を歌ってもらえるなんて、いやあ、事の外うれしいです。作曲家冥利に尽きます」
とその大きな声で語った。
♪あなたが教えてくれたもの
第1ステージに使うあと1曲、これも是非小山さんに作ってもらいたい。テーマは「ありがとう」。カーニバルには感謝がテーマの歌がまだない。今まで育ててくれた親や言葉をかけてくれたたくさんの人たちに感謝する歌。しかし、「ありがとう」の言葉を使わないで感謝の気持ちを表したい。浩臣さんに作詞をしてもらい、小山さんに作曲してもらおう。そうすれば、二人の初めての共同作業が発生する。だが、浩臣さんは詞だけ先に作るというやり方は初めて。苦戦をしいられた。彼は曲と言葉が一緒に出てくるのだ。浩臣さんと作詞の共同作業をすすめていくうちに、口出ししすぎて私の詞となってしまった。本当に申し訳ないことをした。ただここではっきり言っておこう。この詞の出だし「しあわせはすぐそばにあるよ」は浩臣さんのものだ。この魅力的な「つかみ」のおかげで、私がいい思いをしたという、曰く付きの作品だ。
あなたが教えてくれたもの 詞:くすか
幸せはすぐそばにあるよ
手をつないで歩く花の道に
涙だってすぐ輝き出す
未来に光る星のように
海も川も風も光も あなたが教えてくれたもの
海に川に風に光に ぼくらの喜び届けよう
耳をすませば ほら聞こえる
微笑みの花開く小さな音
暗い夜もなぐさめてくれる
優しいリズム風に乗って
空も鳥も花も太陽も あなたが教えてくれたもの
空に鳥に花に太陽に ぼくらの喜び届けよう
これは、バラードとなった。実はバラードを作るか否かで、私と小山さんとの間に論争があった。私は、カーニバルのみんなは寿美子さん以外、しっかりしたロングトーンができていないから、まだバラードは無理だと主張した。だが、小山さんはステージにバラードは不可欠だと主張。無理だと決めつけたらいけないと。確かに無理だと決めつけたら、そこでおしまいだ。「私の歌を聞け!カーニバルのバラードを聞け!」くらいの気持ちがないといけないのだ。小山さんのひとことで私は初心に戻らせていただいた。
この詞を小山さんにファックスで送った。彼はあっという間に作ってしまったが、悩んでいた。できたものがあまりにいいメロディーだったから。もうこのメロディーは何かの曲なのではないかという不安。作曲者によくある心配だ。「ダ・イ・ジョーブでしょう」ということでカーニバル初のバラードはおそるおそるだが、完成した。この曲の発表。小山さんのギターのイントロから、みんながし~んとして聴き入った。広大君が目をうるませ感動して抱きついた。プロデューサー気分の貞雄君は神妙になり、最後にOKサインを出した。
♪夢大きくなあれ
DOYOカーニバルで康子さんのソロの個人レッスンをした日のこと、康子さんからいろいろな話を聞いた。その中で、康子さんは夢について語っていた。彼女は以前、宮崎市のグループホームで共同生活をし、早朝からお豆腐屋さんで働いていたそうだ。その頃はお給料があったから、自分の服とか身の回りのものを買い、残りは貯金していた。だからマー君(甥っ子の雅英君)にお年玉をやることができた。でも今は収入がないから、一緒に住んでいるマー君にお年玉をあげられない。お正月に「はい、お年玉ね。」ってあげられないのが悲しい。きちんと働きたいけれど、自転車で通えるような働き場所がない。だから、働いたお金でマー君にお年玉をあげることが康子さんの夢だという。
康子さんの夢は小さいか。家事もちゃんとこなせて、労働意欲も高い康子さんにとって、自立できないことは心痛とも言える、切実な問題なのだ。「お年玉をあげれる人になりたい」という一見小さい夢に見えて、障害者の自立という大きな夢を含んだ康子さんの言葉は、私にずしんときた。そうだ、彼らの夢を叶えることに私はもっともっと貢献しなくてはと。今私たちがしている曲作り。この中にみんなの夢を織り込んで、夢が大きくなるようにというテーマの曲を作ろう。ひとりひとりの夢について、今までの会話の中から歌詞を作った。一行目は浩臣さん。つかみの天才だ。作曲も浩臣さん。
夢大きくなあれ 詞:カーニバル一同
電車は走る 飛行機は飛んでく 僕たちは歩いてく 夢に向かって
百円貯めてCDを買うこと
おやつにシュークリームを食べること
お母さんに目玉焼きを作りたい
お年玉をあげる人になりたいな
小さな夢を集めながら 思い描こう大きな夢
小さな夢を叶えながら 夢よ大きくなれ
大きなユンボを運転すること
思い出の道へドライブに行きたいな
おしゃれをして行きたいコンサートホール
おすしを食べたいエビ イカ カニ イクラ
小さな夢を集めながら 思い描こう大きな夢
小さな夢を叶えながら 夢よ大きくなれ
曲を作りながらみんなの夢をはめこんでいったら、元気のある楽しい作品ができた。ご褒美の百円をためてCDを買うのを楽しみにしている弘樹君。シュークリームが好きな恵さん。朝食をゆっくり時間かけて準備するという広大君。建設機械や農業機械の運転が大好きな知毅君。亡くなったお父さんとドライブした道を年月日まで覚えている弘樹君。コンサート大好きだけどなかなか行けない緑さん、ゆかりさん。おすし大好き純子さん。そしてもちろん康子さんの夢。みんなの夢が大きくなって本当に実現していく予感に満ちた、力強い曲となったことがうれしい。この曲は第2ステージでみんながレコーディングしている様子を映像で映し出す。みんなの夢もインタビューしているところをビデオ撮影して使おう。みんなの夢が歌詞に入っているので、歌いながらみんなが笑顔になるだろう。アンコール曲にもいい!
実は、これらの作曲にとりかかった3月末、赤い羽根共同募金から申請していた助成金が下りた。これはすごいことになると私は喜んだ。これでパソコンと録音のための器材を購入するつもりなのだ。録音器材が手に入れば、私たちが曲作りをする環境が整う。これでレコーディングをしたり、CDを作ることができる。みんなで成長できるのだ。自作盤ではあるが、私たちは「CDデビュー、CDデビュー」と言ってはしゃいだ。私たちのオリジナル曲をCDにする。そして、コンサート会場で販売するのだ。地方で個人レベルで表現を楽しんでいるアーティストにとって、どんな形でも売れる作品が作れるチャンスなんて、稀なこと。サポートする彼らにも夢が大きく広がった。そして私にも。