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村上晴彦と今江克隆との対談なんかいいなあ村上が今江を尊敬し今江が村上の天才を認めてるのが伝わってきた
2013.06.26
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村上晴彦の三重県の野池じっくり見よう!
2013.06.26
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村上晴彦よ一誠よがんばれ!
2013.06.26
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手帳は好きだ今も手帳はもっている写真の手帳はいつ頃の手帳だろうか?書いていることをよーく見たらわかるのだろうが読む気がしない自然農を糸島の唐原(とうのはる)というところでやっていた頃そして我が家の芝生の庭の芝をはいで畑にしようとしていた頃だな長い時間が過ぎたいろいろなことがあったんだなあ~
2013.06.25
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30代前半に買ったどこの自転車屋さんか忘れたがハンドルをバーハンドルとドロップハンドルと取り替えられるようにした職場までが近かったので自転車通勤を試みた時代があったということだしかし我が豪邸は坂道のてっぺんにあるもんだからこの自転車だといきはよいよいかえりはこわい状態で過呼吸発作がでたりで大変だったので半年もつづかなかった今は電動付自転車を買いたいと思っているから写真の自転車は最後から2番目の自転車なのだ!
2013.06.24
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このブログでこのウクレレのことはもう何度となく書いてきているでもそれは遠藤賢司関連記事として書いたのだが今回は思い出の品として書く1974年遠藤賢司のコンサートにいった当時の僕は自由席のコンサートの場合確実に最前列に座るようにしていた加川良斉藤哲夫みなみらんぼう高田渡中山ラビ風なぎらけんいちシオン友部正人ざーっと思い出しても最前列でストリップ同様に食い入るように歌を聴いた遠藤賢司が「寝図美よこれが太平洋だ」という歌(少しタイトルが間違ってるかもしれない)をウクレレを弾いて歌ったんだが歌い終わるとそのウクレレをステージの一番前までやってきて会場に向かって投げる格好をしたんだその時!僕がすばやく立って手を差し出して欲しいと目で訴えたら遠藤君が僕をチラッと見てさっと渡してくれたんだコンサートが終わったあとみんながザワザワもらったウクレレを見せてくれとかさわらせてくれとか言ってきたのをおぼえている僕はついにぞウクレレは弾けないままおわった遠藤賢司には申し訳ないと思うが感謝しているウクレレの表面には「すべての生物に愛と平和を」と書かれていたこのウクレレも息子たちのおもちゃとなっていたがいつの間にか我が家から消えてしまったいや押入れの何処かにあることを願っている
2013.06.23
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なにがきっかけで買ったのか忘れたがワープロという鉛筆と消しゴムになる機械があるというので那珂川町のあたりにあったミスマでこれを買った僕は中学生の頃から詩のようなものを書き集めていたから日曜日はそれをワープロでうって印刷して楽しんだ手作りの本が印刷によって何部もできるのでともだちにどんどん送った送られた側は迷惑だったろうがひとりとして文句は言ってこなかったが読まずに捨てられたのだろう富士通のライトXというのを買っているのだがデスクトップに文字が二行しか見えない今から考えると信じられないようなものだった数行書いたら前何を書いたかを忘れるのですぐ読み返さないと先が書けなかった記憶がある次に買ったのがカシオだったがそのワープロの写真はない最終的にはダーウィンというカシオの最高級のワープロを買ったが時代はパソコンになっていた12万円のダーウィンはあまり長いこと使わないまま別れた
2013.06.22
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ピピとポポみどりが丘でであった最初の家族だったポポは僕が鳥かごのそうじをしようとしてるとき飛び立ってもどってこなかったピピひとりの暮らしが長く続いた家族で長崎の母の家にいって夜帰ってきたら死んでいた目をとじたピピの軽さそしてかすかなぬくもりに涙がでた妻はピピを手に乗せてごめんねごめんねと言いながら泣いていた
2013.06.21
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このダブルカセットはためらいなく躊躇せずもう一気に買った気がするそして悔いなく使い切ったという印象がある大学時代録音している音源の上にさらにハモリなどいれて多重録音的に使ったのが最後だったありがとう赤いダブルカセットよ写真に残ってくれてて本当にうれしい一枚である
2013.06.20
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晩年の親父の手遊びというか作品というかこのシリーズはかなりの数が残っている一部は母の妹と姪がお土産に持って帰ってると思うみどりが丘にも楽器シリーズの泥人形が母のリクエストでやってきている
2013.06.19
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親父が孫たちのために作ったであろう木のおもちゃたちである確かにあったような気がするがいまはどこにあるのかわからない親父というのはいつも好きなものを作って遊んでいていちまでも生きてるものと思っていたから親父の手遊びを大切に思ったことがなかったのだ今、少しあれはどこにいったんだろうなどと思うものがる万年筆パイプどこにあるのだろう?写真も親父が撮ったものである左下に日付が書いてある
2013.06.18
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ぼくが板切れを買ってきて作ったカセット棚であるぼくの日曜大工作品としてはこれが最高でありこれが最後かもしれないカセットは五十音順に左上から並んでいる右のほうには洋楽が少しあり右下にはオムニバス的なものがある今のGEOやブックオフと同じじゃないか! 写真の上でクリックすると写真が拡大すると思うのでやってみてほしいカセットになったまま一度も聴いてないのもあるレンタルレコード店というのが1980年代にあらわれたころから音楽がお金になり音楽は安売りされるようになった安いお金でレコードを借りてきてとにかくカセットに録音する録音したまま聴かないそんな時代がやってきていた数年前これらのカセットは迷うことなく処分した!
2013.06.17
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天神に今もあるヤマハ楽器で購入買うときそばに妻がいた記憶があるから結婚後買ったギターなんだろう今はもう手元にはない8万円くらいだったのをキズがあって5万円くらいで買った音はそこそこだったそのあとタカミネのエレアコを香椎のヨシダ楽器で買った今はタカミネ一本しか持っていない
2013.06.16
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妻が三人目を妊娠したのでという理由でK君がもってきてくれた車がマーク・ツーだった三男は宗像でうまれたから妻が産気づいたときこの車にのせて助産婦へ連れて行ったことを憶えている短い期間で別れた
2013.06.15
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年賀状を書くのが死ぬほど嫌いだった年賀状を書かなければいいのに年賀状を出すような仕事をしてたんだ職業のせいにするわけではないがプリントゴッコで楽をしようと買ったが電球を替えたり絵の具を買ったり面倒くさかった年賀状を書かなくなって10年が過ぎた今は郵便書簡という切手つきの便箋のようなものを愛用している
2013.06.14
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新車で買ったK君は中古車のお店を営なんでいたので新車はないものだと思って近所のトヨタで買ってK君に叱られた岡山3~4回鳥取砂丘奈良紀伊半島一周永椎と東北10日間の旅もライトエースだった
2013.06.13
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そのときそのときポケットのなかにはそのときがはいっているくるまはなになににのっていたとかたばこはなにをすっていたとかうでどけいはこんなやすっぽいのをはめていたのかなどがわかる
2013.06.12
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中村雅俊がCMしていたビデオカメラである重かったとにかく重い機材という感じだったVHSテープを入れる箱を肩からぶらさげて写真のカメラで撮影する40万円くらいだった義兄と半分だしで買った
2013.06.11
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三菱ギャランΣ(シグマ)という白いセダンに乗っていたすごく気に入った車だったんだがある日突然トワエモアのようにこういう箱型の車が欲しくなって親友のK君に頼んで新古車(展示用の車だった)のこの車を買った長男二男を乗せてしばらく遊んだが三男が妻のお腹にはいったのですぐ売ってしまった
2013.06.10
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僕の家には電話がなかった電話がついたのはいつ頃か忘れたがとにかく遅かったそういうことも影響してたのか電話で人と話すのがすごく苦手だった自分に苦手意識のある電話をこどもたちに抵抗なく出会わせようとそういう下心いっぱいで買った記憶があるまさかキティーちゃんのでんわだったとは今、気づいているところださてさてこの時点ではまさかケータイデンワなどというものが巷にあふれることなど夢にも思っていなかった電話は電話線が必要だと確信していたのにあっさり裏切られ子機というのでさえ緊張してたのに携帯電話は恐ろしいものだったが息子たちは早々と自分で買って使うようになってしまった3人の息子が電話関係の仕事をするとは奇妙な運命の糸がこのときからはじまっていたのかもしれない
2013.06.09
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左がたぶん長男に買ったくるまで右がたぶん二男に買ったくるまだと思う三男が1990年に生まれているから右は三男に買ったのかもしれないそのあたりの記憶がもう残っていない妻は買わないからたぶんたずねても知らないだろう妻にたずねたら「ああああ~~~~」と懐かしがったあとで右のはお祝いに誰かにもらったと言うではないかた、た、たしかにそういう記憶がよみがえってきただが、二男なのか三男なのかは不明これをくれた人も誰なのか記憶にないくれた人よ、ごめん!
2013.06.08
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間違っていたらごめんこのおもちゃ大濠公園から西公園へ向かう細い道の西側にあったちいさな木のおもちゃ専門店で買ったと思ってる妻に聞いたらはっきりわかるだろうが妻はすでに寝てるのでわざわざ聞く気にもならない木のおもちゃがいいというのは妻の価値観だった値段はそこそこ高かったが木のおもちゃはいいと言い張ったのは妻だったそういうことはどうでもいいのだがこのおもちゃ今はどこにいってしまったんだろう?思い出の品々をどんどん捨て去ってゆく家族である
2013.06.07
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1990年5月という頃三男はまだ生まれていないから4人家族だったころの写真だこのテーブルと4つの椅子はだれかの誕生日記念だという名目で俺がナフコかホームワイドかで買ってきたものだったと思ういっしょに外で食事したり長崎のお母さんが喜んでくれた椅子だったからこの安物椅子は買ってもまったく後悔はないなそれにしてもこの写真が23年前だというのが信じられない1週間後に三男が生まれてくるのであるがその三男の娘を溺愛している俺が今の俺であるきおくのかけら
2013.06.06
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アウトドアーとかキャンプとかなんの根拠もなく家族5人が形成されつつあったときそういう空気にあこがれたんだろうなあ金もあったんだろうなあテントはいろんな形のを買ったそして寝袋やらこのガスコンロやらなんとなく雰囲気で買い集めたキャンプを数回した結果わかったことは「俺はキャンプが嫌いだ」「俺はテントで寝るより旅館の蒲団で寝るほうがいい」「俺は外でビール飲んで肉やら野菜を焼いて食べるよりトンカツ定食のほうがいい」ということだった絵や写真でキャンプする欧米人などを見てると優雅そうできれいな奥さんが安楽椅子にすわり夕暮れをながめ夫や子供たちが夕飯のバーベキューをするのをみてあこがれたが大きな間違いだったテントの準備食事の準備食事の後片付けテントの後片付け中でも一番嫌いなのがテントの後片付けだった大学時代は壱岐や霧島でしたのかな父親になってからは久住や阿蘇でした記憶がある大学時代は友人がなんでもしてくれたから俺はタバコを吸いながらポエムを考えるだけでよかったが父親になってからのキャンプは苦痛だった俺は外泊するなら高級ホテルが好きだと断言しておく!
2013.06.05
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いやこういうカメラを買った記憶がないということは誰からかもらったのかもしれないどんな写真を撮ったのかも忘れたただこのカメラを撮ったカメラはキャノンのEOSというカメラでカメラのキタムラで買ったことは記憶しているいままわりにあふれているものものものそれらこそ撮られたがっているモデルなのかもしれないところで俺のキャノンのカメラ親父の重いニコンのカメラどちらも手元にないどこへいってしまったんだろう?ま執着はもうないけどね・・・
2013.06.04
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おれ生まれ変わるならつぎダンサーになりたいと思っていたともだちのきょうこちゃんが写真をつかってダンサーにしてくれた気に入っている
2013.06.03
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赤レンガと砂を買ってきておれがこの俺が砂場を作ったといううそいつわりなしの証拠写真であるおれはエライ(藤岡藤巻的になってきた)おれはがんばったおれには後悔なんてなにもないおれは父親として完璧だったおれは男として完璧だったなあ息子たちよ!
2013.06.02
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キャノンのEOSを買ったことがあれこれ写真を撮りまくっていたのが今となってはかけがえのない写真を残してくれている思い出の品々という超個人的な写真をアップして思い出がこぼれだしたらいいんだがくつなんて買ったときには可愛くてはいていたら汚れてくるいつ捨てたかなど父親はおぼえちゃいないでもこのくつを三人の息子たちがはいていたということは事実だ証明写真のようだ写真は証明写真であるべきかもしれない
2013.06.01
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