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松本から穂高に行くのに大糸線に乗ったリンゴ園で赤く実ったりんご園の風景に感動した写真は撮ってない大糸線では奈良から転居してきたばかりだという女の子と隣り合わせになって御嶽山のことや上高地のことなど会話の波長があった 旅雑誌は観光地や料理のことばかり載せているそれはしかたがないことだろうが旅のおもしろさはそこで出会い言葉を交わした人との一期一会がいちばんの思い出になるしかしその思い出は写真にも残らずやがて消えてゆくそれでいいのだ
2014.09.30
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狩人の「あずさ2号」がいつ流行ったのかおぼえちゃいないがなんとなくサビは歌えるあずさ2号がどこを走ってる列車なのかも知らなかった新宿ー松本間これに乗って「あずさ2号」を唄うこともこの旅の目的のひとつだった僕が乗ったあずさは下りがあずさ25号で上りがスーパーあずさ22号だった一期一会のあずさ体験だった
2014.09.29
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カツヒロに「ブログはじめてみろよ」と伊万里のジョイフルで言われたのが2005年の夏だった「ブログって何や?」「俺もよー知らんばってん、本ばもっとるけんやる」ブログの本を3冊もらったが1冊も読まぬまま捨てた2005年9月28日「コックン、中学校の同窓会ブログば作ろう」カワダから電話があってまたブログの話その電話しながらクリックした先が楽天ブログだったカワダに導かれてというが言いなりになった結果楽天に入信してしまったのであるあれから9年の月日が流れた「埋もれ火のアンソロジー」の前には「今日はじめての今日」とかいうタイトルだったような気がするが11月頃からブログを開始したのであるブログをはじめたきっかけはうつ病だったさて10年目なんとか消えかかってるブログの炎をもう一度明るく灯して「埋もれ火のアンソロジー」を更新してゆこうと思う
2014.09.28
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茶々3才の誕生日おめでとう!
2014.09.27
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又衛おじは昭和22年9月26日に亡くなっている2014-1947=6726才で亡くなったと聞いてるから生きてたら26+67=93才になるわけだあちらにいったら又衛おじにも会っていろいろ話してみたいと思っている
2014.09.26
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ミズヒキの花が好きだはじめてであったのは猪野神社だった以来この赤い花が好きになった
2014.09.26
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孫が3人いる孫1号孫2号孫3号と書いているケイゴサツキコトネという名前がある今日は孫1号ケイゴの5才の誕生日だケイゴ誕生日おめでとう!来年春には孫4号と会える予定だ俺が還暦をむかえたら孫4号と会えるという希望をもって半年を過ごそうと思う
2014.09.25
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伊万里湾沿岸を占める都市。もとは西松浦郡伊万里町。1954年4月1日山代町および黒川波多津南波多大川松浦二里東山代7村と合併、市制。佐世保、北松浦郡の炭鉱都市として発展したがすべて閉山。中世は伊万里氏が支配。松浦党水軍の根拠地。江戸時代は伊万里(有田)焼の積出港として繁栄、特に「色鍋島」は藩の御用焼として栄えた。10月のトンテントン祭りは一名「けんか祭り」ともよばれて勇壮。三省堂コンサイス日本地名事典より
2014.09.24
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なにかが終わりなにかが始まるただ目の前の日常を歩くま難しいことではないが易しいことでもない受け入れる流し去る行為
2014.09.23
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湖上ポッカリ月が出ましたら、 舟を浮かべて出掛けませう。 波はヒタヒタ打つでせう、 風も少しはあるでせう。 沖に出たらば暗いでせう櫂から滴垂(したた)る水の音は ちかしいものに聞こえませう、ーあなたの言葉の杜切(とぎ)れ間を。 月は聴き耳立てるでせう、すこしは降りても来るでせう、われら接唇(くちづけ)する時に月は頭上にあるでせう。あなたはなほも、語るでせう、よしないことや拗言(すねごと)や、 洩らさず私は聴くでせう、ーけれど漕ぐ手はやめないで。ポッカリ月が出ました、 舟を浮かべて出掛けませう、 波はヒタヒタ打つでせう、 風も少しはあるでせう。
2014.09.22
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新潮社から「新潮日本文学アルバム」というのが出ている。 文字を読みたくない俺にとっては写真中心なので実にありがたい本なのである。 新潮社さん、本当にありがとう。さて、この「アルバム」シリーズの中に当然種田山頭火もあって、 村上護さんという人が編集してくれている。 村上さんの言葉引用しながら俳句について簡単に説明する。俳句について詳しい人は読み捨ててください。 詳しくない人は一緒に勉強しましょう。そもそも、俳句というのは約百年前の正岡子規が提唱したのです。 ここでは季語がなくても俳句と認め、 「十七字にならねば十五字十六字十八字十九字乃至二十二三字一向に差支えなし」と書いているのです。ところが。ところがですよ。 子規の弟子に高浜虚子君というのがいたんですね。 学校で習って名前くらいは聞いて知ってる人もいるでしょう。 今の俳句のような制約を加えたのが高浜君なんですよ。いわゆる現在の季語があって五七五を重んじる有季定型というんですが、これを主張したのが高浜君だと言われてるのです。僕は正岡君は好きなんですよ。うつ病?の夏目漱石君に新聞小説をすすめたのも彼だったでしょ。 野球が大好きで「野球」という言葉をつけたのも正岡君だったでしょ。司馬遼太郎の「坂の上の雲」で描かれている正岡君も好きなんだ。では。種田山頭火の自由律俳句はどうかというと・・・。今も無条件に俳句と認める人は多くいないのです。もっときびしく言えば自由律俳句は俳句として認められていないのが実情なのです。 山頭火のような型破りの俳句を、とても俳句と認めない人が多いのです。じゃあ。俳句って何?と本質論は専門家にまかせて、 俺は自由律俳句を楽しむだけでいいのです。はい。
2014.09.21
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季節を感じてもいなかったくせ感じたふりをしている空を仰いだといっても首を上に曲げただけだったと思う唄をつくるためのポーズに過ぎなかったただいつまで生きるんだろう?という感覚どこへ向かって歩いてゆくのだろう?という感覚は明確に心の中にあったそして今ここでこうして生きている答えではないが答えに近づいている
2014.09.15
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難しいことは考えていなかっただから秋の風なんだと思うこの唄の女性は誰なんですか?彼女ですやっぱりあの人のことですか人生は単純でいいであってわかれる好きになって今も好きでありつづけるただそれだけのことじゃないか
2014.09.14
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子どもたちが小さかった頃家族でよく訪れてたところを最近ひとりで訪れるそこには10年20年30年の月日が流れてしまった場所もある夫婦親子家族家庭そういった言葉たちが俺の中でなにか浮いてしまっていくような感じがする
2014.09.13
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博多湾の朝とは何度でも会えるだがふるさとの海の朝とはもう何年も会っていない気がする
2014.09.12
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最近電話をかける人の姿を見なくなった電話の歌や電話の恋は携帯に取られてしまったテレホン・ノイローゼ
2014.09.11
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伊万里湾のそばで生まれて育った僕が玄界灘のふちで働かせてもらっている僕たちのほとんどは予知能力も未来を描くこともできないから今というこの時が実に不思議にもうれしくなるああ、先を読めない人生まだ先があるのかないのかもわからぬ人生船が朝をつっきって沖へと向かう
2014.09.10
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悲しみは駆け足でやってくるこういう歌が大好きな時代があったそして今懐かしい
2014.09.09
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今年はやけに月を見上げることが多い普段あんまり月を見上げることはなかった俺
2014.09.08
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僕へ歩くことだ歩くことだまだ歩けることに感謝しながら歩くことだ歩くことだなにも考えないでいいただ歩くだけでいいんだ
2014.09.07
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こんな夢をみた。A町だった。雨の降りそうな暗い天気だった。俺は久しぶりにカツとマサオとシゲルと4人でぶらぶら町を歩いていた。 テスト会場に入った。古い校舎のような部屋だった。俺らは結構近くの席に座らされた。マサオだけが別の教室でいなかった。 テストは簡単で、ちょうど自動車免許試験のような雰囲気だった。教官のような人がプリントを配っていた。俺は最初に手渡されるとプリントに黒い文字で100点と2箇所に書かれていた。 シゲルに「おい!シゲル!俺100点だぞ!」と、言うとシゲルもプリントをもらうと、シゲルも100点だった。な~んだみんな100点なんだ~とシゲルとしゃべっていたら。カツが「俺、98点・・・」と言って何気ない感じでヘラヘラ笑っていた。と、カツの後方にいた少女が俺を見て明るく微笑んだのだ。夢が複雑になる、かつ不思議になるはここからなのだ・・・・・。 実はその少女(美人=顔は松島奈々子風で明るさはいくよくるよのいくよ風)と逢うのは2度目だった。 逢ったのは田舎のガソリンスタンドだった。実はそこで大きな地震があったんだ。その時、大声で怯えている彼女を俺は抱きしめるようにして、いつまでも続く大きな振動から守っていたんだ。地震がおさまると、俺も怖かったからその場を去った。そのままその女のことは忘れていた。夢がこんなに複雑に時間をスライドしてみるか?普通・・・見ないよ・・・で、その女がテスト会場で俺に明るく微笑み軽く頭をさげるのだ。その美しい瞳はもうすでに俺のことに好意を寄せていることはまわりの誰にもわかるような表情なのだ! シゲルが「誰や?」と俺に聞く。 そのまま彼女とは言葉も交わさずに別れたが、マサオも近づいてきて「誰や?お前のほうばっかり見よったぞ」と言う。それは誰よりも俺がわかっていたさ。 心の中で、運命的な出逢いだ!と確信している俺だった・・・・・・おしまい。 ああ、今夜続きの夢を見ないのかな・・・・
2014.09.06
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こんな夢をみた。 俺らは修学旅行に来ていた。 古い旅館の二階の広い部屋だった。 夕方だった。 温泉の吹き上げる煙かなにかで空は白かった。 俺らはさんざん部屋で暴れたあとで疲れて窓辺に集まった。 外からの涼しい風が気持ちよかった。すると道をはさんだ向こうの旅館の二階の窓際に女の子の姿が見えた。 三人がこっちを見ている。 俺らの中の誰かが押し殺したような感動したような声でつぶやいた。「あいつらキャンディーズじゃないか!」みんな呆気にとられたような声を出した。「ほんとだ・・・」 一人の男が言った。「スーがコックンを見てるぞ」スー=田中好子が俺をしっとりしたまなざしで見ている。それは好意に満ちたというより、俺を求めているまなざしだった。そばでランとミキがスーを慰め励ますように寄り添っていた。 俺は心の中で「困ったな~~~。はるか(仮名=当時の恋人の名前)にバレたらまた嫉妬と怒りの嵐になるぞ~~。無視しよ、無視、無視・・・」と思っていながらも、スーの潤んだ瞳につい心をうばわれそうになる俺だった。ちなみに俺はキャンディーズのファンでもなく、田中好子のファンでもない。見た時期(年代)は忘れたが、若い頃の俺でありスーだった。夢っておもしろいよな。こんなにモテモテの俺が存在するわけないのだが、夢の中ではスーに力いっぱい惚れられたという内容の夢だったんだ。あとにも先にもこんなにモテタこともモテタ夢を見たことない。 先日、長七さんの日記を読んでて、この夢のことを思い出したんだ。 新しいシリーズ「こんな夢をみた。」 君も、見た夢を綴ってみないか・・・・夢で本当に不思議な体験をさせられるよね・・・
2014.09.05
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なわとびにはうしろとび、あやとび?はやぶさ。さんかくとびとかもなかったかな?呼び方は地方でさまざまなんだろうな。大縄もあった。輪ゴムをつないで遊ぶのはなぜか女の間で流行っていた。ゴムとびをする女の子のスカートがヒラリとすると胸がときめいた。パンツにスカートの端をはさんで跳ぶ女もいたが俺はなぜかその姿が腹立たしかった。ヒラリがないと少女とは呼びたくない感覚だった。俺は座って女どもをよく眺めたり邪魔したりして嫌われていた。「コックン!向こう行って!」「コックン!みらんで!」「コックン!先生に言うけんね!」よく言われてた。
2014.09.04
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なわとびにはまったのは小学二年性の時だった。まさこという女の子が僕のことを大好きで熱心に二重跳びを教えてくれた。講堂の横の暗い通路が練習の場所だった。二年生八才のコックン少年は異性に好かれてると意識したのは、あのまさこという少女が最初だった。同時に異性に好きだという特別な感情を抱いたのも八才のときだった。ミエというお人形さんのような少女だった。僕が学級委員長でミエが副委員長だった。ふたりでやたらじゃんけんすることが多かった。ミエは三年生の時転校していった。今は横浜に住んでいるらしい。その後のこと楠久炭鉱に住んでた仲間と集まろうと「たった一度の同窓会」という山代東小学校の同窓会を開催したが楠久炭鉱に住んでた者はひとりも参加しなかったミエの横浜の自宅をたずねたが引っ越したあとだった過去はそうやって少しずつ確実に消えていくのだと感じた
2014.09.03
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続・僕の女性遍歴これは当時好きだったタレントたちだな今は森口瑤子は好きだがほかのひとは忘れたなあ
2014.09.02
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過去の記事をふりかえってここでもう一度世間に問うことにするまずは僕の女性遍歴これはタイトルにインパクトがあったらしく(予想していなかったのだが)アクセス数がすごく増えた記憶があるhttp://plaza.rakuten.co.jp/kusukutu/diary/200605020002/
2014.09.01
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