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大己貴神社古い神社だと思って参拝したら派手な神社だったでも変な派手さじゃないんだスライドショー
2015.02.15
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宇美八幡宮の境内にある巨大な樟であるスライドショーで見てください。スライドショー
2015.01.13
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豊山宮という神社にて このカメラで撮った
2015.01.08
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僕が道祖神や陰陽石に興味があると聞いた知人が福津市に男性器や女性器を祀ったところがあると教えてくれたのでいってみた道端に稲荷神社でも派手な民家でもない摩訶不思議なスポットがあったので車をとめていってみた僕は民衆信仰的なものが好きだ柱には「長生き観音」「子宝観音」の文字が書かれていた 写真はたくさん撮ってきたがここでは屋根の上で夕陽を浴びた赤い男性器の飾り物と門の2枚だけにしておくフォト蔵にいれているから興味関心のある人はのぞいてくだされ
2015.01.08
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道祖神についてはもう少し勉強したい時間が必要だ 道祖神について僕の撮ったスライドショー道祖神画像
2014.10.12
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信州松本に行った目的はこの陰陽石を生で見たかっただけであるそして手で触れてみたかっただけである松本市内から2、3キロはなれた田舎風景のなかに目的の八坂神社はあったが地元の人に聞いても知らないあまり知られていない神社だった当然参拝者も俺一人だった陰陽石が見当たらなかったのでここじゃなかったのかと思っていると片隅に目立たぬところにそれでも大切に祀られていた 一期一会の八坂神社さまに参拝してきたことを俺の歴史に刻む
2014.10.04
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臼杵の石仏はモノクロ写真で撮ったものが飾ってあったそれを見るほうがなにか迫ってくるものがあった
2014.07.04
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俺の描いていた臼杵石仏はもっと大きなものだったただあの石仏を彫った人彫らされた人のことを考えながらどうしてこんなにたくさん彫る必要があったのだろうという疑問がわいたそれが信仰心の深さなおだろうと自問自答
2014.07.03
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「めかりってどういう意味ですか?」「わかめのことです」 関門海峡を毎日みている神社だ大きな船が行き来していた
2013.08.29
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五木寛之の「青春の門」という小説を読んだことある人や映画をみたことがある人なら耳にしたことがある香春岳(かわらだけ)その香春岳の南斜面にある神社である神社についての詳しいことは知らないし調べる余裕がないので写真だけを紹介します【送料無料】青春の門(筑豊篇)改訂新版 [ 五木寛之 ]価格:880円(税込、送料込)香春神社スライドショー
2013.03.27
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久山町山田小学校の運動場に隣接した神社であるいつも前を横切るだけで車を止めて参拝したのははじめてだった境内を掃除されてた男性に「さいぐうと読むんですか?」「いつきぐう」「え?いつきぐう?」首をたてにふる男性 猪野神社とトリアス久山の中間地点にある神社だからかどうしても猪野神社が注目されるので斎宮には注目してこなかった(僕が)でも味わい深い神社だった空気がやわらかだった 斎宮(いつきぐう)斎宮の起こりについて『日本書紀』崇神天皇紀によれば、崇神天皇が皇女豊鍬入姫命に命じて宮中に祭られていた天照大神を大和国の笠縫邑に祭らせたとあり[2]、これが斎王(斎宮)の始まりとされる。そして次の垂仁天皇の時代、豊鍬入姫の姪にあたる皇女倭姫命が各地を巡行し伊勢国に辿りつき、そこに天照大神を祭った。この時のことを『日本書紀』垂仁天皇紀は「斎宮(いはいのみや)を五十鈴の川上に興(た)つ。是を磯宮(いそのみや)と謂ふ」と記し[3]、これが斎王の忌み籠る宮、即ち後の斎宮御所の原型であったと推測される。また垂仁天皇紀は「天皇、倭姫命を以って御杖(みつえ)として、天照大神に貢奉(たてまつ)りたまふ」とも述べ[4]、以後斎王は天皇の代替わり毎に置かれて天照大神の「御杖代(みつえしろ、神の意を受ける依代)」として伊勢神宮に奉仕したといい(ただし史料上は必ず置かれたかどうかは不明で、任期などもそれほど明確ではない)、用明天皇朝を契機に一時途絶えたが、天武天皇の時代に正式に制度として確立し(『扶桑略記』は天武天皇が壬申の乱の戦勝祈願の礼として伊勢神宮に自らの皇女大来皇女を捧げたのが初代とする)、以後は天皇の代替わり毎に必ず新しい斎王が選ばれ、南北朝時代まで続く制度となった。 なお、『扶桑略記』に初めて大来皇女が定められたとあること、同皇女の前任と伝える酢香手姫皇女(用明天皇皇女)との間に約50年の空白期間があること、その以前の稚足姫皇女(わかたらしひめのひめみこ)(雄略天皇皇女)、荳角皇女(ささげのひめみこ)(継体天皇皇女)、磐隈(いわくま)皇女(欽明天皇皇女)、菟道(うじ)皇女(敏達天皇皇女)、酢香手姫皇女が伊勢に来ていないことの3点から、酢香手姫以前の斎宮は後世の虚構とする説がある(筑紫申真説)[要出典]。 また福岡県糟屋郡久山町猪野にある天照皇大神宮(てんしょうこうたいじんぐう)には、仲哀9年(200年)熊襲征伐の途中、「われを祭れば、戦をせずとも財宝の国を得ることができる」という神の託宣があったが、仲哀天皇が疑ったために、その祟りをうけ香椎宮で崩御し、そのことを知った神功皇后が、小山田の村に斎宮を建て、自ら神主となり、天照大神を祀ったという縁起がある。 われゆくところに神功皇后の足跡 斎宮スライドショー
2013.03.25
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この世の最上のわざは何?楽しい心で年をとり、働きたいけれども休み、しゃべりたいけれども黙り、失望しそうなとき希望し、従順に、平静に、おのれの十字架をになう。若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、弱っても、もはや人のために役立たずとも、親切で柔和であること。老いの重荷は神の賜物、古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために。おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事。こうして何もできなくなればそれを謙虚に承諾するのだ。神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ。手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。「来よ 我が友よ、われなんじを見捨てじ」と。
2013.03.01
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上々颱風のCDをまとめて3枚買った上々颱風は夏を越えるには向いているのかもあ夏祭り的な雰囲気があるからかも背泳は泳ぐほどに難しく感じる背泳をみてるぶんには楽そうですてきなんだが・・・バタフライで先生に「クロールよりもいいですよ」と言われ小さなショックを受けたクロールはクロールで泳いでいる平泳ぎは平泳ぎで泳いでいるという実感があるのだがあのバタフライだけは自分が蝶になっているのかイルカになっているのかまったくわからないのが正直な感想なんだまだあきらめちゃいない泳ぎを習いにいける自分の環境に感謝感謝
2012.06.26
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冬の桜井神社春になったらまた来てみたいと思った・・・ せかいがぜんたいしあわせになりましようにかみのあいがすべてのひとにいきわたりますように 桜井神社2012
2012.01.06
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立花山の麓に位置する。近くには立花小学校もある。川上宮のそばに小さな溜池があってそこでもよく釣っていた。どでかいブルーギルを釣った記憶がある。川上宮は細長い神社で道にそってあるので気づきにくい。川上宮というシンプルな名前がすてきである。川上宮
2011.05.10
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いつも気になりながら通り過ぎてる所ってあんがいあるものだ。車というのはどこでも止めれる状況がないものだから横目で見ながら気になってたんだ。ここ、大神神社もそうだった。真昼日路上駐車して参拝したのはまだ桜が咲き始めた4月上旬だった・・・大神神社
2011.05.10
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志式神社職場からの帰り道古賀新宮方面に車を走らせててこの神社とであったんだ。参拝したのは4月の初旬だったと思う。ブルーコメッツの歌詞なんて無視できるようになったぼくの感性に拍手!志式神社
2011.05.10
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伊万里から有田・佐世保方面にむかうとき西有田町という村を通る。その左手に山田神社があることは知っていた。この近くの村にはマツセやカワチという高校時代にであった友人が住んでいた。 親父が生きていたときおふくろとふたりでよく参拝した神社だったそうな。おふくろは懐かしそうだった。有田川に咲いた黄色い春が美しかった。親父が運転のお守りにしていたカメ(親父の手作り)と有田川を一緒に撮ってみた。 スライドショー
2011.03.12
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参拝したのは2月20日。長谷は観光客で賑わっているがその西側に権五郎神社があり東側にはこの甘縄神明宮があるんだ。近くには鎌倉文学館もあってすごくいい空気の場所さ。 境内の一角にベンチがあってねそこからは鎌倉の景色が眺められるんだが作家風の男性が物思いに耽っていたのでその空気をこわさないように気を使って歩いた。 スライドショー
2011.02.26
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水のきれいな神社だった。竈門神社(かまどじんじゃ)太宰府天満宮のすぐそば。宝満山(ほうまんざん)の麓に位置する。 水というものにはこころをうばわれます。水源の水は特別なものです。でも、ここ竈門神社の水にも水源のような清らかさやエネルギーを感じました。 鹿がいました。宝満山にこれから登ろうとする人も見かけました。竈門神社ショー
2011.02.14
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正式名称は「御霊神社(ごりょうじんじゃ)」なのですが通称「鎌倉権五郎神社」です。司馬遼太郎の「街道をゆく」の「三浦半島記」で権五郎神社を知ってたので江ノ電から「権五郎神社」が見えたときは一瞬の内に頭の中で光が点滅しました。 江ノ電長谷駅で降りて長谷寺とか大仏にいきたい人は行けば井伊直弼でも「通」はやっぱり「権五郎神社」でしょ! ちなみに「権五郎神社」の「権五郎」とは司馬遼太郎によれば関東武士の典型として紹介されている。つまり、関東の初期は三浦半島が中心で頼朝の鎌倉幕府によって今にいたると見るのである。江戸はその300年から400年のちに中心となったというのがぼくの受け止め方であります!参考:三浦半島記メモ 権五郎神社の写真
2011.02.11
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浜諸磯のバス停でバスを待っておられたお婆さんと小桜姫神社について会話できたことは至福の喜びだった。小桜姫神社と諸磯神明社はもちろんのこと諸磯の海岸風景も写真におさめてさあ、帰りますよ!これが浜諸磯バス停の時刻表なんだが参考になるだろうか?拡大写真はここで日祝の午前10時でぼくのバスに乗った。時刻の上に「東」とあるのは「三崎東岡バス停」行きなのだそうだ。で、あと35分すれば「三崎口」が来るからそれにのってもよかったわけだがぼくは10:00に乗った。10時にやってきたバスからはたくさんの人たちが降りてきて道の向こうに歩かれていった。乗車したのはぼくだけだった。再び左の最前列の座席に座った。と、運転手さん「参拝されましたか?」と、いきなり話しかけてくる運転手さん。なんと行きの運転手君ではないか!俺「おお~!無事参拝してきましたよ。本当にありがとうございました」ここから運転手君の地元でしか聞けない話を聞かせてくれたから、それを要約して書きます。(運転手さんの話)さっき、たくさんの老人の方たちが降りられたのは浜諸磯に老人の方たちの娯楽場があるそうなんだ。で、諸磯界隈の高層マンションはほとんどが老人ホームでこの浜諸磯行きのバスはその老人の方々が利用される専用バスみたいなものだそうである。ところが市があまり緻密な構想もしないまま老人専用のマイクロバスを走らせたたため京急バスの、この路線もいつ消えるかわからないとたぶんそういう内容だった。つまりバス運転手君が言うには浜諸磯行きのバスがいつまで運行するかは未定だとぼくは受け止めたんだ。乗客はぼくひとりだったので運転手君は、驚くように饒舌に話てくれて、三崎東岡で下車するまで懇切丁寧に三崎口までの案内をしてくれた。本当にありがたかった。三崎東口には2箇所のバス停があり1つのほうには案内の方がおられてもう一つのバス停にすぐバスが来ますと教えてくださった。これも運転手さんの支持通りに動いた結果で無事、三崎口に着き帰りの京急にのったわけであるが・・・あまりにも小桜姫神社参拝がはやくおわったので帰りに「金沢文庫」に立ち寄ることにしたのである。その話はまたいつか・・・。
2011.02.03
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九州福岡が世界の中心の者にとっては三崎半島は彼方の彼方関東の人ならばもっと都合のよい交通機関を紹介できるのかもしれないが多くのブログには詳しいことは書いてなかった。よって「小桜姫神社に行きたい!」と思ってるそこの君!君だけにそっと教えてあげるよ。コックンの小桜姫神社参拝ルートを!1月30日。ぼくは横浜関内のホテルにいたんだ。モーニングを食べてまだコーヒーの残る口のまま出発したんだ!さあ!ぼくと一緒に、めざすは小桜姫神社だよ!この小さな旅は横浜からはじめることにする。早朝の横浜だが日曜日だからそんな人ごみはない。7;33の特急京急久里浜行きに乗車した。京急の解説をしたくなったが自分で調べてね。とにかく最初にめざす「三崎口」へ行くには京急なのだ。前回10月はこの駅まではたどり着いたのだが土砂降りの雨と日暮れが近づいたのであえなく断念したのだ。その反省から朝7時過ぎには小桜姫神社参拝決行になったわけだ。特急京急久里浜行きは、終点京急久里浜駅に8;10に着いた。ホームの向かいに赤っぽい電車が扉を開けてぼくを招き入れてくれた。これが三崎口まで連れて行ってくれるのだ。8:23 三崎口到着。(おいおい、ちょっと速すぎるじゃないか!)俺は心の中でつぶやいた。まだホテルをでて1時間しかたっていないのに、もう三崎口。(いやいや、まだこの先なにが起こるかわからない・・・)俺って結構小心者で警戒心が強いことを自覚・・・。三崎口のバス停が1番2番3番乗り場があることは知ってた。で、ここで参考になるかどうかわからないがもしこの三崎口界隈で駅やバス関係の人に安易に「小桜姫神社はどういけばいいんですか?」などと聞いても誰も知らないと思ったほうがよい!俺はこれを前回いやというほど味わったんだ。↑三崎口のバス乗り場。コンビにがあるからトイレをかりた。小桜姫神社は諸磯神明社という神社のそばに社があるために「諸磯神明社」もしくは「諸磯神社」でたずねたらわかる人が必ずいるが小桜姫神社ではみんなが頭をかしげるので聞かないほうがいい。バス乗り場が2番だ!油壺行きとか城ヶ島行きとかがきてバス停で待つ人はほとんどそういうのに乗るが「浜諸磯」行きに乗車するのは自分だけと思ったほうがよい!実際、諸磯界隈に着くまで乗客は俺ひとりだった。浜諸磯行きバスは8:408:23に三崎口に着いて8:40のバスを待つわずかな時間だったがボクはとてつもない心にわくわくするものを感じた。ときめきではないが、とにかく心が歓喜してるんだ。待つ時間の一瞬一刻が輝いた時間なんだ。浜諸磯行きのバスをまるでまだ見ぬ恋人を待つ少年のような気持ちで待った。三崎口の空は青かった。1月とは思えないブルーだった。三崎海岸全体が「コックン、しつこく、よく来たね」と微笑んで迎えてくれてるようで幸せだった。そして恋人のような浜諸磯行きのバスが来た。乗車。もちろん車内は運転手さんと俺のふたり。確信が持てないボクは運転手さんと話せる最前列の椅子にすわった。コックン「諸磯神社に行きたいんですけど、これでいいですか?」運転手君「はい、これでいいですよ」コックン「ありがとうございます」運転手君「諸磯にお知り合いでも?」コックン「いや・・・諸磯神社境内にある小桜姫神社を参拝したいんです」(中略)運転手君「帰りのバスは1時間から2時間間隔ですから、降りられて時刻表を見られたがいいですよ」コックン「もしバスがなかったら天神町とかいうバス停まで歩くつもりなんですが」運転手君「いやあ~それは遠いですよ」コックン「そうなんですか・・・」(中略)運転手君「お客さん、今日は富士山がよく見えますよ~」指差して教えてくれた。コックン「ほんとにきれいな風景ですね~」(中略)運転手君「お客さん、三崎東岡行きのバスがあればそれに乗って下さい」コックン「三崎口じゃなくていいんですか?」運転手君「三崎東岡まで行ったら本数があるので三崎口まで行けますから」コックン「ありがとうございます。お仕事中に話しかけてすみませんでした」運転手君「いいえ、いいえ」京急バス浜諸磯行きバスの運転手君は俺が降りるまで詳しく丁寧親切にアドバイスしてくれた。ここでこの運転手君との一期一会は終わると思っていたが終わりではなかった。9:00 浜諸磯バス停に到着。目の前に諸磯神明社の鳥居が見える。イメージしていたのは荒々しい岩の上の神社で、そこまではバスを下車してかなり歩くつもりでいたからあまりのあっけない鳥居との対面にうれしいようなさびしいような複雑な気持ちだった。とにかく、もうすぐそこに小桜姫神社があるのだ。横浜7:33に出て浜諸磯9:00に到着。片道2時間と考えたらいいのではないだろうか。次回は、浜諸磯から三崎口までの帰り方について報告をする。
2011.02.02
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小桜姫神社に参拝してきました。小桜姫さまに感謝したかったしお礼を言いたかったし直接小桜姫さまの社の前で小桜姫さまを感じたかっただけなんです。小桜姫神社参拝の記録ブログはたくさんあります。写真もきれいなのがあります。で、ぼくとしては小桜姫神社に行きたいと思ってる人に参考になるような行きかたを書いてみようと思います。明日以降かな・・・。小桜姫神社
2011.02.01
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「ぼくの勉強部屋」で勉強したことを「埋もれ日のアンソロジー」でも紹介します。社
2011.01.07
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神社巡りをはじめて5ヶ月になろうとしているが狛犬には興味があった。で、昨日参拝した「大分八幡宮」の狛犬ほどチャーミングな狛犬を見たのは初めてだった。写真がうまく撮れてないけどこのポーズチャーミングでしょ?このポーズって何かに似てると思わない?何だろう?ピンクレディーでもキャンディーズでもないし加藤茶でもなし、志村でもないし・・・何か思い出したら教えて。右のほうの狛犬は逆立ちなんだよ。狛犬だけを全部並べたYou tubeもつくってみたいなあ~。大分八幡宮大分八幡宮(だいぶはちまんぐう)
2010.12.15
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ちょっと簡単には語りつくせない何かがある神社でした。形だけの参拝はしてきたけれど頭を垂れずにはおれない何かがあって深々とあんなに自然に深くお辞儀をしたのははじめてかも。古いだけでない何か神々しい何かが漂っていたんだと思う。志賀海神社宇佐八幡宮と並ぶ、いやそれ以上の静寂を感じたかも・・・。写真では所詮伝わらないけど、伝えたい!福岡近郊の人は是非志摩町の桜井神社へ行くべし!桜井神社スライド
2010.11.29
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古代の日本人
2010.11.07
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僕の勉強室を再開します。僕のための勉強部屋ですが・・・社
2010.11.07
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国東半島というのが昔から気になっていたどう気になっていたか説明できないが中津や別府や大分はそれなりに用事や仕事でいっても国東半島にはあえて行くこともないような中途半端な気持ちと同時に行ってもなにもないだろうという感じがしてたが人間55才になるとその「何もない」ところにあこがれたりするもので国東半島には何の期待もせず、ただ海岸線沿いに1周すればそれでよかったのだ・・・デジカメの電池も先の宇佐神宮で切れかけていたのでもう写真は撮らないでいいやと思いながら何の因果か「栗嶋神社」にはなんとなく海の神様の予感がして駐車場に車を止めた。案の定、周防灘を見渡す神様だった。栗嶋神社
2010.11.05
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ここが奉幣殿(ほうへいでん)というところなんだけど通称「英彦山神社」というんだけどここの高さが600メートルちょっと。下から登ってきたら足はつってしまった。ここで短歌をつくったことを思い出してさがしたらあったよ。 1987年のたわらまちのさらだ記念日を読んでおいおい、こんなんなら俺にもできるぜという軽いのりで31文字寄せ集めをはじめてたんだ。「英彦山」というTANKAが12あるので恥ずかしいけどいくつか紹介するよ。こんにちは石段のつらさはじめまして岩の苔たち中宮はまだ?雲流れ英彦山道に杉はなく のぼりきらんも俺は俺たいなしてやろわけのわからん悩みもち今日もふらふら英彦山に酔うGジャンに首をすくめる奉幣殿 朱塗りの壁とハッタリの鈴守り札授与所に座る束ね髪「あとどれくらい?」ではじまる恋奉幣殿休憩所にてウーロン茶そのぬくもりを伝えて頬にたえまなく水の音だけ聞こえます今日最後の参拝者の俺たちどまりふりかえりの腰おろし歌を数えて僕と英彦山現在と過去と未来を一望しここにいますと英彦の石段静寂のなかにすわった色っぽさキラリとピアス何して過ごす 過呼吸に導かれ来た奉幣殿着替えは車の中だよ紫もみじ死ぬ死ぬと言いつつまた来た鈴の下一句も浮かばず降りるとするか欲張るな奉幣殿に感謝しろ下宮の鳥居に神の光帰ろうここは小さな快楽(たび)に過ぎぬ英彦山神宮(奉幣殿)
2010.11.04
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英彦山奉幣殿へのぼる石段の横のススキきれいでした。そこまでの道端にも川べりに輝くススキみながら頭写真機では何枚も撮ったんだけどね・・・
2010.11.04
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さよならをするために歌詞はたして「さよなら」という現象が存在するのか?存在しないのではないか存在するとしたらそれは現世に生きる私たちの無知が生み出した妄想にすぎないのではないか小桜姫さまの物語を読んでいるとそう思うこと度々であるさよならは存在しないそして同時に存在する
2010.10.29
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青幡神社といえば楠で有名なのである。伊万里界隈では・・・。青幡神社の楠たしか・・・「あおはたさん」とこどものころ耳にした記憶がある。青幡さんは正確に言うと隣村なんだ。僕は「山代」という町青幡さんは「東山代」に位置してるんだ。ただ僕が生まれた村が山代町の東端なので青幡さんが近くて親父に連れられてよくいってたから親しみがあるわけなんだ。楠のなかには入ることができてよく遊んだ。確か・・・雷が落ちて幹に大きな穴が空いたんじゃなかったかな?青幡神社スライドショー
2010.10.20
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楠久神社(くすくじんじゃという呼称を耳にしたことがなかった。明神様=みょうじんさんとしか呼んだことがなかった。まじめに神社と向き合おうと参拝してみると「明神様」という文字はどこにも見つからなくて楠久神社と鳥居にも書いてあった。秋祭りここから浮流がくりだしてゆく。フクちゃんター坊くんちゃんみんなと会ったら「よ~コックン!太ったね」と言うに決まってる。 クリックすると大きな文字で見れるよ。応神天皇の文字が見られた。菅原道真の名前もある。明神さんの境内は広い。隣は遊具施設があり昔からこどもたちの遊び場だった。 楠久神社スライドショー
2010.10.20
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志賀海神社↑これ、すごく詳しく書いてあります。志賀島には性旬時代から何度も何度も来ているが志賀海神社があることさえ知らなかった。志賀海神社=金印、その程度の認識しかなかった。来てみて驚いたことは一番風格があるような気がした。香椎宮や宇美八幡宮のようなお金で皆様を幸せにしますよ~波動が少なくただ海の安全を守って漁師さんたちの無事、海の幸の恵みへの感謝そんなピュアーな気持ちが一番感じられた神社だった。 二男嫁に言わせると男女カップルで行けば二人は別れると言われてるらしいが神功皇后と仲哀天皇のことなのかな?と思ったりしたが地元の人に聞いてみて確かめたい。まるで「「街道をゆく」のように人と話すのも神社めぐりにの課題に入れよう。志賀海神社
2010.09.13
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部木八幡宮地元では「八幡さま」で十分だったんだろう。鳥居にも「八幡宮」としか書かれてない。「部木(へき)」というのはこの八幡宮から遺跡が発掘されその遺跡を「部木(へき)遺跡」と呼ぶところから八幡宮を区別するため「部木八幡宮」と呼んだのではないだろうか。司馬遼太郎的なコックン推理である。以前、いや参拝した8月10日にここの神社には長男と二男と一緒に来たことがあると書いている。当時、20年前は、この神社のまわりは一帯水田だった。遠くから見てもこんもりとした鎮守の杜的な様相を呈していた。 今は県道21号線から見ても、その杜は見えない。多くの倉庫群に囲まれてしまい過去の畦道は迷路のようなトラック道路になってしまった。 この写真は気に入っていた。長男が6才か7才のときの写真だろう。ただ、ここが何処なのかは記憶から消えていた。ここが部木八幡宮だったんだ。息子たちとの「思い出の場」めぐりをするのも遠い未来ではないようだ・・・部木八幡宮2010年、平成22年8月9日10日の2日間で参拝した14の神社を簡単ではあるがアップした。いつかまた神社記事を特集したい。あ!志賀海神社がまだある!近日、アップします。
2010.09.13
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曽我神社地図では曽我神社も隣接する八幡宮も神社マークなのだが、実際行ってみるとその敷地は1:100くらいの違いがある。曽我神社は本当に狭い敷地に産土神的にきちんと手入れされたまるで少しお金持ちが建てたお墓のようでもある。 狭いが中のつくりは独特であった。社の手前には東屋的な建物があり作りつけの椅子に座れるようになっている。なんだか腰をおろして語り合う村人の姿を連想するような空間スペースが存在するんだ。時がそこだけ止まっているような空間。曽我神社
2010.09.13
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親王宮住宅街の高台に位置する場所にあった。近くでもその通りを車で走るのは初めて。そういう道って何本もあることに神社めぐりから教えられている。珍しいのは鳥居がない神社なんだ。由緒を読んでもよくわからなかった・・・ ある意味、風変わりな神社なんだ。竹林があって風情があるようで民家があってその民家と地つながりしてて庭のようにも感じられるんだ。長い長い坂道のてっぺんに社があってその細長い道のまわりはよく掃除がゆきとどいていた。 なんだかお洒落な料亭の庭を歩いているようなそんな感じもした。親王宮
2010.09.13
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松崎神社地名も松崎、神社も松崎わかりやすくていいのだが場所はわかりにくかった。20数年通勤していた道沿いにあるのだがそれがどの路地なのかがわかりにくかった。セブンイレブン松崎店に車をとめて百年橋通りの最も東に位置する横断歩道を渡ってバス停で日傘をさした美しい女性に心うばわれながら汗が吹き出るようにでてくる8月10日午後。住宅街の道をのぼっていくと大きな鳥居が見えた。すぐそばびは松崎中学校の校舎が迫ってきている。なんだか不自然な鳥居だし石段だと感じた。 この鳥居の向きと石段(セメント段)の関係は古い神社には見られないような気がする。平成日本人の土地感覚が為せる技なのかもしれない。社は立派で素晴らしい風格をそなえた神社なのだがこの鳥居近辺の土地模様を古代の方が見られたらどのようにお感じになられるかを聞いてみたいものだ。松崎神社
2010.09.13
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大名持神社同じ多々良地区であっても先の老松神社や若八幡宮が多々良川中流域沿いだとすると大名持神社はかなり河口に近づいてくる。車を無断駐車しにくい狭い道路にとめてせまい急な坂道をあがったところにあった。小さなきれいな社だった。 今は住宅街や駐車場にはさまれて肩身の狭い感じで建っておられるがその昔に思いをめぐらせば(なんだか司馬遼太郎風だなあ~)ここはこんもりとした杜(森)だったにちがいない。真北を向いて建っておられた。大名持神社
2010.09.12
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若八幡宮若八幡宮、若宮八幡宮、八幡宮これらの八幡宮菅家の整理をここでしておきます。八幡神(はちまんじん)とは、 もっと見る最も早い神仏習合神。本来は豊前国(大分県)宇佐地方で信仰されていた農業神とされる。781年、仏教保護・護国の神として大菩薩の号を贈られ、以後寺院の鎮守に勧請されることが多くなった。また八幡神を応神天皇とその母神功皇后とする信仰や、平安末期以降、源氏の氏神とする信仰が生まれ、武神・軍神としての性格を強めた。そこで八幡宮とは・・・八幡神をまつる神社。稲荷社の次に数が多い。主な神社は次のとおり:宇佐神宮(大分県宇佐市)宇佐八幡宮とも。 石清水八幡宮(京都府八幡市)男山八幡宮とも。 鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市) 筥崎宮(福岡県福岡市)筥崎八幡宮とも。 それに対して若宮八幡宮とは・・若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)または若宮八幡社(わかみやはちまんしゃ)という名前の神社は、日本全国にあり、若宮八幡宮社(わかみやはちまんぐうしゃ)と称する神社もある。社名の通り「八幡宮の若宮」という意味で、多くは宇佐神宮・石清水八幡宮・鶴岡八幡宮などにある若宮を勧請し、八幡神応神天皇の御子神である仁徳天皇(大鷦鷯尊)を祀るものである。他に、「八幡宮本宮から迎えた新宮」の意味の「若宮」もあり、この場合は応神天皇が祀られている。源氏、ひいては後の武家全体の守護神たる八幡宮から分祀され、日本各地に存在する。まとめたら八幡宮は「応神天皇」「神功皇后」を祀る神社、若宮八幡宮は「仁徳天皇」を祀る神社と認識してどうであろうか。鎌倉の時代に源氏の氏神さまとなったということくらいで基礎知識としては完璧ではなかろうか?若八幡宮
2010.09.12
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多々良川にそった家並み。路地がせまそうだった。空き地に車をとめて歩いてさがした。老松神社と書いて「ろうまつじんじゃ」「ろうしょうじんじゃ」「おいまつじんじゃ」どう読むのかわからない・・・「おいまつじんじゃ」と読みらしい・・・「老松神社」というのも各地にたくさんあるようなので名前の由来とかを調べてゆきたい。 老松神社
2010.09.12
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2010年8月10日参拝。我が家から一番近い神社だと思う。「こんな所に神社があったの!」驚きだった!20数年この地に住ましてもらいながらこの神社のことを知らなかったなんて・・・この神社に隣接してお寺がある。このお寺は敷地も広く目立つのだがその隣の天満宮は気づきにくい。このお寺には思い出がある。賭博で有名になった大相撲の九州場所があるときには藤島部屋がこの寺敷地内にあったんだ。朝稽古を見に行くと中学を卒業したばかりの若乃花貴乃花兄弟が丸坊主で稽古していた姿を思い出すよ。今は、この寺の近くに土地を買って貴乃花部屋がある。貴乃花とヌードモデルで女優で今はお茶のCMしてる・・・名前が出てこない・・・宮沢賢治じゃないし・・・宮沢喜一でもないし・・・宮沢リエだった!(写真集、買ったよ!すぐ売ったけど・・・)ふたりが結婚するの別れる云々の頃はマスコミが狭い道路をふさいで通るのに苦労したよ。この神社めぐりは神社とは関係ない話が多いので司馬遼太郎に真似て「神社をゆく」と名づけようかな・・・日本人とは何か?神とは何か?狛犬っておもろい!なぜ神社には銀杏の木が多いのか?八百万の神をたずねてコックンはゆく!天満宮
2010.09.12
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長谷ダム(ながたにだむ)が建設されたのはつい十数年前のことなんだ。三男が生まれた頃はまだ作業中で、香椎下原方面に行く山道の近道があたので通っていた。山腹でダイナマイトの爆音がする中を走っていた。1990年の頃はまだ森だったんだ。そして須賀神社のある場所はその森の麓にある集落だった。その集落は今は近代的な家が立ち並びどの家も豊かそうである。その豊かさとダムとの関係をつい考えてしまう。福岡では水不足の夏を繰り返しむかえていた。その結果、ここ香椎の山奥、三日月山の麓に巨大な人口ダムが建設された。そんなことなど知らずに、ぼくはその道を車で走り長谷ダムではバス釣りもしている。 須賀神社は完全な産土神社の香りがした。小さい小さい神社だったがさがすのには結構袋小路にはまったりしながら苦労してさがしあてた。「いつも通っていたこの道のすぐそばに こうして神社があったなんて・・・」という驚きを感じた。2010年8月9日参拝。暑い昼間だった。帰宅したら三男がソーメンをつくってくれていたので須賀神社=ソーメンという記憶が焼きついてしまった。須賀神社
2010.09.12
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この神社は息子たちが小さい頃つれてきたことがあるんだ。久しぶりに行ったら昔の面影が薄くなっていた。駐車場とかができて神社境内がせまくなった感じがした。とは言え、息子たちの記憶に、この太祖宮はないであろう。「太祖宮」という名前の神社であることも今回このような形できたからわかったようなもの。 六所神社と同じようにたくさんの神様を祭ってある。こういうのを詳しく調べてブログにアップするつもりだったんだがぼくの能力ではかなり時間を要するのでとりあえず、夏の神社めぐりをアップしてしまい、秋の神社めぐりに出かけてゆきたい。2010年8月9日参拝。この神社は若杉山(太祖宮は若杉山登山道の入り口にある)とともにもう少し詳しく勉強する必要があるような気がする・・・太祖神社
2010.09.12
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この神社にはもう何年も前に来たことがあった。当時は裏道で地図をたよりに来た記憶がある。神社の前に小さなお店があってそこで缶コーヒーを買って飲んだ。今は、その近辺には吉野家をはじめ筑豊ラーメンなどたくさんの店が立ち並び、新しい201号線(飯塚線)が走っている。訪れたのは2010年8月9日。次の神社めぐりからは司馬遼太郎のようにメモ帳に期日、時刻、気づいたことをメモする準備が必要だ。司馬遼太郎の「街道をゆく」から学んだことは多い。この神社には鐘つき堂がある。つまり神仏集合の名残を色濃く残した神社なのだろう。ぼくは参拝し、撮影している間にひとりの中年の女性とひとりの年老いた男性が参拝されていた。和田八幡宮
2010.09.12
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糟屋郡久山町には伊野(猪野)神社があるためこの若宮八幡宮に気づく人は少ないかもしれない。その分、産土神としての役割をきちんと果たしている神社のような気もする。神社のそばを県道35号線、通称筑紫野古賀線という産業道路が走っているので車の音がたえないのだが若宮八幡宮にはいると別世界であった。印象的だったのは蝉時雨。ぼくが一足、歩くごとに蝉が2,3匹桜の木から飛び立った。参拝したのは8月9日盛夏だったわけだ。四季折々に同じ神社を参拝するってのもいいかも・・・秋の神社冬の神社春の神社いいアイデアが次から次へと浮かんできて収集がつかない。若宮八幡宮http://photozou.jp/photo/slideshow/140238/2181138
2010.09.12
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神々への旅がはじまったのが7月26日だった。長男の誕生日でおぼえやすかったんだ。で、そこからすごい勢いで神社めぐりをしたんだがあまりにも多くの写真と神社の数でこのペースではいけない、ブログに書くのも追いつかないと思ってるうちにあれこれ浮気性が生じて神社めぐりから遠ざかっていた。おととい、新宮町の立花山麓にある六所神社に参拝。すると蝉時雨は消え、季節が移ろうとしているのを感じた。つまり、神さまの杜には季節が明確に存在するわけなんだ。都会生活では冷房と扇風機の風にしかふれないのが杜には全然違った風が吹いてると感じた。体裁は考えず、急いでこの夏めぐった神社を一気にアップすることに決めました。六所神社
2010.09.12
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生みの親魂の親
2010.08.31
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