きょういく ユースフル! ~ 僕は触媒になりたい ~

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2021.05.05
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​​「こどもの日」なので、「こども」に関するおすすめの本を紹介します。

木村泰子先生の 『「ふつうの子」なんて、どこにもいない』 です。

木村泰子先生は、​ 映画「みんなの学校」 ​に出てきた、大阪市立大空小学校の、映画撮影当時の校長先生。
今は退職されて全国各地で講演をされています。
いろいろなタイプの「困った」子への対応の際に、何を大事に考え、行動していくのか。
その常識にとらわれない考え方に、目からウロコが落ちますよ。大笑い


『「ふつうの子」なんて、どこにもいない


この本には、世間一般の常識、大多数の学校の常識にとらわれない、木村先生のアドバイスがたくさん詰まっています。

本自体はQ&A形式ではないのですが、「困った」ときの全然違う角度からのアドバイスを知るために、あえてQ&A形式で引用させてもらいます。




体操服に着替えない子 がいます。
体操服に着替えていない場合は体育に参加させないというルールでいいですか?

<木村先生の考え方>
=======================
・自分の服であろうと、なんであろうと、やれることをやればいいだけです。
・私が親なら、
 「この子は体操服に着替えることができないので、この服装のまま体育をさせてください。 (略) 」  と言います。
・体操服に着替えないなら体育の授業を受けさせないというのは人権侵害です。
(p27より)
=======================

びっくり 体操服に着替えていないと体育に参加できずに見学になってしまう、
 そういう学校はまだまだ多いと思います。
 ところが木村先生は体操服に着替えていないだけで参加させないのは「人権侵害」と言い切っておられます。
 もちろん、学校としてルールがちゃんと定まっている場合には、どうしてそうなっているのかを確認することも大事です。
 一方で、木村先生のように、本質的に何が一番大事かを考えることも大事。
 体育の時間に体育をさせないということは、国語の時間に国語を学習させないということと同じで、こどもの権利を奪っているということになるかもしれません。
 ついこの間の5月3日は、憲法記念日でした。
 もっとも一般的な憲法解釈では、子どもには「教育を受ける権利」があるけれど、子どもの側に「教育を受ける義務」はない、しかし大人には、「教育を受けさせる義務」があるとされています。
 もしかすると、体操服に着替えていない子に体育をさせないのは、憲法違反かもしれませんよ?




学校嫌いの子 がいます。
そういう子に、どう関わればいいですか?

<木村先生の考え方>
=======================
・そういうことを言える子どもこそ、「ふつう」の感性を持っている
(その理由の) 1つめは、教室から勝手に出られないこと。
  =檻から勝手に出られない刑務所と同じ
   ・大空小学校の子は、しんどくなったら自由に教室を出ます。
(その理由の) 2つめは、教室の中で勝手に動くことを禁じられて、椅子にじっと座れと叱られる。
  =刑務所の中で、動くなと言われるのと同じ
3つめは、勝手に話せないこと。
(p30-31より)
=======================
​​
不登校になった子どもが、学校のことを「刑務所」だと言うんだそうです。
ところが理由を聞いてみると、なるほどその通りだと思える、という話。


変わるべきは、子どものほうではなく、学校のほうかもしれません。





教室で周りに迷惑をかける子 がいます。
周りの子の学習する権利を奪っていますよね?
迷惑をかけるなら、教室から放り出してもいいですよね?


<木村先生の考え方>
=======================
(中学校でそういう場面に出会ったとき、) 大空小学校の卒業生には、なぜ彼が邪魔で、彼のせいで勉強に集中できないなんて言うのか理解できなかったんです。
 なぜなら、大空小学校ではどんな状況でも集中する力を自分で身につけるのが当たり前だったから。

(p64より)
=======================
すべての子どもたちが、教室で学ぶ権利を持っています。
 多数派の権利を理由に1人を排除する思想は、一見「権利擁護」のように見えますが、「多数のためには1人が犠牲になってもいい」という思想を子どもたちに植え付けてしまうかもしれません。
 逆に、「1人のせいにせずに、それぞれが自分でできることを考えて行動しよう」という考え方で教育に臨むことで、子どもたちは大人になってからも、「〇〇のせいで」と言うことなく、自分で主体的に行動できるようになるのではないでしょうか。
 子どもたちは、学習の時間において、単にその学習の内容だけを学んでいるのではなく、「どのようにして多様な他者と一緒に学ぶのか」というその方法もまた学んでいるのです。
 1つ前の引用で、勝手に動けないのはおかしいという主張が出てきましたが、大空小学校では前の子が邪魔で前が見えなかったり学習ができなかったりしたときは、子どもが自分の判断で動いて学習ができるようにすることが当たり前のようです。




学校に遅刻して来る子 がいます。
どうしたらいいでしょうか?

<木村先生の考え方>
=======================
・学校に来るのが面白くなってきたら、きっと遅刻しなくなる
(大空小学校で遅刻ばかりする子が遅れなくなった理由は)
彼に、毎朝早く学校に来る「目的」ができただけ。
(p72-73より)
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号泣 事例の具体的なところを引用するのはやめておきますが、大空小学校で遅刻ばかりする子が毎朝8時前に来るようになったエピソードは、その子の家庭の事情をしっかり分かっていて、その子の気持ちになって考えてあげられる学校だったからだと思えました。
 遅刻をする子どもには、その子なりの理由が、必ずあります。
 まずはそれを分かっているかどうか、ですね。
 そして、学校が、その子にとって、来るに値するところに、なれるかどうか。
 ここでもやはり、その子をどうするかというより、学校をどうするかが問われています。





いじめをしている子 がいます。
いじめられている子を守ることが何よりも大事ですよね?

<木村先生の考え方>
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・もし、自分の子どもをいじめている子がいたら、そのいじめている子が不幸なわけだから、「その子に自分は何ができるかな」と、1人の大人として考える。
・「困っている子になにができるのか」という部分でブレないことがとても大切です。

(p100より)
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いじめられている子のために何ができるのか、ということはとても大事です。
 しかし、往々にしてそればかりになり、「いじめている子」もまた困っているということに意識が行かなくなります。
 木村先生は「そのいじめている子が不幸」と言い切られています。
 いじめは、いじめられている子も、いじめている子も、両方が、不幸なのです。
 だからこそ、いじめている子のこともしっかりと考えてあげることが大事なのでしょう。





しょっちゅう忘れ物をする子 がいます。
忘れないようにするには、どうしたらいいでしょうか?

<木村先生の考え方>
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(落ち込んでいる本人に対して)
 「直らなくてもこうやって世の中を生きてきた。
  ということは、忘れ物はあなたの人生にとって、たいした問題ではないということです。
  短所ではありません。
  忘れ物をしたって十分生きていけるという長所なんです。」

(p104より)
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逆転の発想で、子どもが思い込んでいた「短所」を「長所」として意味づけをし直しています。
 このときの木村先生の考え方の中心は、次のようなものでした。

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「否定しない自分に変わることができる」と知るほうが、その子にとって本当に必要で大事なこと
(p105より)
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ウィンク 忘れ物をしないようになることも、大事なことかもしれません。
 ただ、ずっとそれを短所だと思って自分を否定してきた子が目の前にいるとしたら、一番大事なことは忘れ物をなくすことではなく、その子が自分を否定しなくなることかもしれません。
 「指導しなければならないこと」はありとあらゆるところに転がっていて、あれもこれも何とかしたいと思ってしまいがちですが、優先順位として一番大切にしたいことのためには、あえて捨てていっていいこともあるのかもしれませんよ。




大人に対して「死ね」と言ってくる子 がいます。
絶対に許せませんよね?

<木村先生の考え方>
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(実際に子どもからそう言われたときのこと)
私が (略) 上からの力で彼に圧をかけた。明らかに私の失敗なんです。
・彼はその場で私に対して、それに対抗するのに「死ね」という言葉しか持っていませんでした。

(p104より)
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これも、ケースバイケースですが、木村先生の考え方は、たとえ「死ね」と言ってくる子どもに対しても、愛情に満ちています。
  簡単に「死ね」という言葉を使ってしまう子が増えています。
  それに対して、どうかかわっていくか。
  ここでも、大人の側のスタンスが問われています。
  なお、これについては僕は「絶対に許せない」という気持ちで本気で関わるのも、ありだと思っています。ただ、その子がその言葉を使った意味を、その子を理解する中で翻訳し、解釈する姿勢は、大事だと思います。


最後に、p138から引用をして、終わります。
あなたは、どう考えますか?

<木村先生の考え方>
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親の言うことをよくきく子どもをつくる 。どうですか?
 もう1つ、校長の言うことをきく教員をつくる。どう思いますか?
 みんな一緒のことですよね。
・私はね、「先生の言うことをきく」ことがあまりにも美化されているのではないかと感じるんです。
 同時に、これはとても恐ろしいことだと強く感じています。

(p138より)
=======================

僕たちは、誰一人として、他人の言うことをきくために生きているのではないし、一人一人が自分の意志を持っています。ロボットではありません。
「先生の言うことをきく」 というのも、ある状況下において、子どもたちが納得しているのであれば、僕は別に構わないと思います。たとえば地震などの突発的な災害で集団が命を守るためには、少数のリーダーの指示通りに迅速に動くことが必要かもしれません。ただ、それがずっと続いている集団というのは、子どもをロボット化してしまって、生きる力を逆に奪っているのかもしれないのです。

僕自身は、子どもと大人の関係性を、上下関係のような一方向的なものではなく、フラットな中での双方向のものにしていきたいと思っています。それでこそ、子どもたちにとって本当に学ぶということができ、生きるということができるのだと思っています。


(関連する過去記事)
「インクルーシブ教育」を考えるテキスト『「みんなの学校」をつくるために』
 (2020/07/25の日記)

「みんなの学校」上映会&木村泰子先生講演会 in兵庫県西脇市
 (2017/06/08の日記)





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Last updated  2021.05.05 10:56:17
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