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今回もメルマガの転送です。お気に召された方は、是非メルマガのご登録を! → http://archive.mag2.com/0000221551/index.html よろしくお願いいたします。◇◆◇◆◇◆------------------------------------------------------◇ ゆっくりと豊かに生きたい人に贈る幸せのキーワード(毎週水曜日発行) NO.63(2008/04/23)◆------------------------------------------------------------------◆ ┌ ┌┌ はじめに みなさん、いかがお過ごしでしょう? 不思議なことが起こりました。 このメルマガで「ケアをする人に伝えたい7つの想い」 を連載し始めたら、友人からのご縁で 介護支援専門員(ケアマネジャー)の方に講演させていただくことになりました。 私の友人は、オーラソーマ(カラーセラピー)をしているのですが そのお客さんがケアマネジャーの方でした。 5月に行なう研修会の講師を探している、ということで、 友人が私を推薦してくれたのです。 翌日、その方と連絡を取り合い、とんとん拍子で 講師の件が正式に決定しました。 「対人援助職のこころのケア」というテーマで 精一杯、楽しくて実のある研修会にしようと思っています。 友人に感謝感謝です。■ 今週のキーワード ────────────────────────■ ケアをする人に伝えたい7つの想い その3 「信頼と依存」 ■─────────────────────────────────■ 対人援助職をされている方にとって 信頼関係(ラポール)の形成というのが、まず重要であるということは 常識だと思います。 では、この信頼関係をどう構築するのか。 よく、傾聴ということが言われます。 「聴」という字は、「耳と十四のこころできく」 あるいは、 「耳と目と心を全部使ってきく」といわれます。 要するに、相手の言葉だけにとらわれず 表情やからだの動きにも注目し 相手のこころの実感がどのようなものかを あたかも、自分が体験したかのように聴くということだと思います。 心理療法のテクニックでは 話し手との信頼関係を築くために、以下のような方法が取られます。 相手の呼吸と自分の呼吸を合わせる 相手のしぐさに同調するしぐさを聴き手もしてみること(オーバーにならずに) あいづち、伝え返し、話を要約して返す これらは、割と簡単にできて 効果があるものばかりです。 ただ、このことは今回のテーマではありません。 今日は、このように形成され被援助者との信頼関係が いつのまにか依存関係になっていないか ということが主要なテーマです。 私たち「ケアをする人」、対人援助職は 相手の現状をとらえて、その人のために 相談にのり、真に求めているもの(ニーズ)を把握し 必要な情報やサービスについて説明し、提供する援助をします。 また、介助、介護、看護、保育、教育などの直接サービスを提供します。 そして、この関係の積み重ねの中で よく深く信頼関係が形成され、 その人の望む状態やその人の望む生活に少しでも近づいていくことが 私たちの喜びです。 しかし、ここで注意しなければならないことは、 援助を受ける側が、援助をする側に依存的なっていないかということです。 私たち対人援助職は、 「本当に助かりました」「ありがとうございました」 という言葉を聴けるときが、これまでの様々な苦労が吹っ飛び この仕事をやっていていて良かったと、思える瞬間です。 それでは、私たちのゴール(目標)は何でしょう。 このような感謝のことばを援助をしている人から受けることでしょうか。 私はそうではないと思います。 「これからは、(あなたの援助なしで) 私のちからでやっていけそうです。さようなら。」 こうやって、私たちが「お払い箱」になることが、 ゴールではないでしょうか。 私たちにとって最悪なのは 「あなたがいるから、私は生きていけるのです」と思われることです。 これは、その人自身がもっている可能性や力を奪っているということです。 これが依存関係です。エンパワメントの反対です。 もちろん、人は誰かと支えあってしか生きていけません。 これからは、一人で生きていきます、ということでありません。 援助を受けている人が、 専門職といわれる、私たち対人援助職との関係は一旦終了して、 その人のちからで、様々な社会的関係を取り結び 家族や友人との関係を大切にして生きていくということです。 私は、自分が知的障害を持つ人たちの施設で働いている時に このことに気づかされました。 まずは、「施設」という場が、その人たちにとって快適で、安心できて 通いたいと思えるという場になっているのか、 これが最初の課題でした。 一人ひとりにとって、この快適さや安心感は違います。 ある人は楽しく通所していても、 ある人は毎日来られなくなるときがあります。 ですから、その度に職員は話し合いを繰り返し、 試行錯誤の中から解決方法を見つけていきます。 こうやって、まずは安心して、自由に、自信をもって 過ごせるような援助をします。 しかし、子ども達が自分の夢を描き それに向かって自分で生き方選択して、それぞれの道を 歩んでいくことに比して 障害を持つ人が通う施設では、 なかなかそのような選択肢がありません。 施設に通うことが、その人の生活のすべてに なってしまいがちです。 施設職員や通っている障害を持つ仲間との関係だけが すべての人間関係になってしまうのです。 恋人がほしい、就職したい、 結婚したい、子育てをしたい このようなあたり前の欲求さえ、 押さえ込んでしまうことが起こります。 ですから、私たち援助職は 次の段階として、 今目の前にいるこの人たちにとって ここから飛び立っていくためには どのような援助が必要なのかを 考えなくてはなりません。 自分が、援助をしている人から 好かれているか、信頼されているか このようなことばかりを気にしていては だめなのです。 彼ら彼女から、普通の暮らしをするために 援助者として何ができるのか あるいは、 障害者として権利を主張したい 障害者として社会的役割を持ちたい このような当事者としての活動のために どんな援助ができるのかを考える必要があるのです。 そのために、様々な選択肢を用意して その人が、自分の選んだことにチャレンジしていくことを 支援していくことが大切です。 自分でチャレンジ、失敗も経験し 成功の喜びを実感する。 この時に、人は自分に自信を持ちます。 ◇◇◇◇◇ ここまで書いてきたことは 高齢者の福祉には、あてはまらないことも 多いと思います。 私の尊敬する高口光子さんは 「必要悪としての施設」を 次のような言葉で説明します。 「誰も好きこのんで施設に入る人はいない。 息子のため、嫁のために仕方なく、 施設に入る覚悟を決めてきた人たちと 私たちは向き合っている」と。 私は、施設といわれるところは 原則的には、緊急避難的に利用され 通過施設としての機能を果たすべきだと考えています。 施設というものは、終わりのない集団生活を 余儀なくさせられるという点で やはり個人の自由を抑圧せざるを得ません。 しかし、そのような理想論を振り回しても 現実は解決しません。 高齢者にとって、 「終の棲家」としての老人ホームの存在はとても重要だと 思います。 その人が、いかにその人らしく最後まで生きられるか、 施設という場では、矛盾するような問いかけに苦悩しながら 介護職が必死で利用者と向き合っています。 だからこそ、私は 介護を受ける立場の方たちの人間としての尊厳が大切にされ 援助者にすべての任せるのではなく、 援助を受ける側が、自分が本当に望んでいることを 援助者に伝えることができているのかどうかが重要だと思います。 ◇◇◇◇◇ いろいろと、生意気なことを書きました。 私たちが、いくら良い援助をしようと心がけ、実践したとしても 一人の人間が抱く深遠な孤独感や不安感には とうてい立ち向かえないと思います。 そのような孤独感や不安感と向き合い、乗り越えていくのは その人自身であり 人間はみな、そのような力をもって生まれてきたのだと 私は思っています。 わたしたちは、いつも側で見守ることしかできないのです。◇◆-------------------------------◆◇ (編集後記) 今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。 先日、Newsweek紙で「世界を変える社会企業家100人」にも選ばれた 川田利典さんという方が行なっている 「外国人サポート」という事業を特集するTV番組がありました。 日本で暮らす外国人留学生の一番の問題は、アパートが借りられないこと。 そこに目をつけ、外国人と不動産会社(大家)の間に立ち 双方が安心して物件を借りたり貸したりできる仕事を始めた模様が詳しく 放映されました。 若干23歳の川田さんは、 アルバイトで不動産会社で働いている時に 外国人のお客さんだと、なかなか契約ができない現実に直面し 「これは面白い」と感じたそうです。 人助けをビジネスにするこの事業には、 実際に自分も苦労した経験を持つ様々な外国人がボランティアで 活躍しています。 川田さんの柔軟な発想と行動力に、大いに学ばせてもらいました。 私も、「ケアをする人」のこころのケアという事業で いつかは、社会企業家として大きく成長・飛躍したいと願っています。 みなさまのご意見・ご感想お待ちしております。 → info@larghetto.jp━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ★ゆっくりと豊かに生きたい人に贈る幸せのキーワード★───────────────────────────────── 発行者:「ケアをする人」のメンタル・サポート Larghetto -ラルゲット- 代表 豆子ひさし(セラピスト・心理カウンセラー) Web:http://www.larghetto.jp/ ブログ:http://plaza.rakuten.co.jp/larghettoblog/ メール:info@larghetto.jp───────────────────────────────── ●今週号はいかがでしたでしょうか? ご意見・ご感想をお待ちしています。 ⇒ info@larghetto.jp ●転送・転載歓迎。ご自由にどうぞ。■□■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■ Copyright (C)2007 Larghetto All rights reserved
2008年04月24日
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今回も、メルマガを転載します。先週の水曜日に発行したものです。◇◆◇◆◇◆-------------------------------------------------◇ ゆっくりと豊かに生きたい人に贈る幸せのキーワード NO.62◆-----------------------------------------------------------◆ ┌ ┌┌ はじめに みなさん、お元気ですか? 4月も半ばになりました。 今日のオープニングは、私の友人が、奈良県の大神(おおみわ)神社の 宮司さんから伺ったというお話をお伝えします。 宮司さんのお話 「4月は新年度・新しい学年・新しい職場への移動等があり 自分の思い通りにいかない事もままあるかもしれません。 ただ、そういう時も落ち込まずに『ふきのとうの目覚めの苦味』を 味わう必要があったと思って、気持ちを前向きに切り替えましょう 」 それを聴いた友人の思い。 「熊も冬眠から目覚めてすぐに、 ふきのとうの苦味でシャキっとするんだそうです。 私も新たな目覚めへの苦味を味わってるんだなぁって感じました。 」 いいお話でしょう? もうひとつ付け加えると 「ふきのとうの苦味」の効果は、 からだのだるさ、疲労、健胃整腸の薬効もあるそうです。 「ふきのとう味噌」は、いかがですか? → http://cookpad.com/mykitchen/recipe/497330/ 大神神社はこちら → http://www.oomiwa.or.jp/index.html ■ 今週のキーワード ────────────────────────■ ケアをする人に伝えたい7つの想い その2 「本当の想いを支援する」 ■─────────────────────────────────■ 今日は、「本当の想いを支援する」というテーマです。 私が関わっていた、知的障害を持つ人たちの多くは 親や教師、施設職員などの顔色を見ながら 本当の自分の気持ちをなかなか表に出せない方たちです。 それは、その人の「知的障害」の問題ではなく その人が一人の人間として、 何がしたいのか、どう生きたいのかを尊重されず、 親や専門家の言う通りにすることがよしとされてきたからです。 私たちは、子ども時代に、自分を承認してもらいたいがゆえに 親や教師にどのような態度を取れば、親や教師が喜ぶかを学んできました。 また、親や教師がどのような時に怒るのかも からだの感覚で身につけてきました。 そして、そのような周りの大人たちの顔色・感情を伺いながら 自分の行動を律することを学び成長してきました。 しかし、私たちは、反抗期や思春期などを通して、 親や周りの大人と激しく対立したり、自我を押し通したりして 自分というものを見つめ、形成していくというプロセスも 経験してきていると思います。 これに対して、 「障害」を持つ人たちの多くは、親や専門家の言うとおりに しなければならないと思いながら生きてきました。 本当に施設に入りたくなくても、入らざるを得ませんでした。 本当はきつい訓練ばかりの学生生活は嫌だったけど 従わなければなりませんでした。 自分の欲求を抑圧し、我慢しなければならない生活が続くと 自分自身でも、自分が本当はどうしたいか よく分からなくなることがあります。 私は、施設の問題点は、このように 当事者自身の意欲や意思が沈殿して、なかなか表面に 出てこないことだと思います。 そして、更に大きな問題は 施設の介護職たちが、このような当事者(利用者)の状況に 向き合い、なんとか一人ひとりの本当の気持ちを形にしようと 努力するのではなく、 毎日の業務をただこなすだけになってしまうことです。 たしかに、最近は 福祉施策は、福祉サービスという名前に変わり 福祉制度を使う人はサービス利用者と呼ばれ 利用者主体が大切だと強調されています。 ケアマネジメント、個別支援計画などたくさんの素晴らしい理念が 導入されました。 しかし、このようなこと自身が、人材不足と過重労働もあいまって 単なる業務になってしまっているのではないでしょうか。 高齢者、障害者、児童など福祉サービスの利用者は違っても 「ケアをする人」が、ひとりの人間を前にして 何を想い、何を実現しようとするのかは共通しているのでは でいでしょうか。 この人が、これまでどんなふうに生きてきたのか。 この人が、今なぜここにいるのか。 この人は、本当はどうしたいのか、どう生きたいのか。 そして、私は、「ケアをする人」として この人のために何ができるのか。 このようなことを思い悩み、 日常の関わりの積み重ねの中から、 一人ひとり全く違う、自分らしい生き方の支援を していくのだと思います。 利用者が本当の気持ちを表に出してもよいと安心し、 あなたのことを信頼して、夢や想いを語ってくれた時。 その時を逃してはいけません。 その夢や想いは、必ず実現できるよ、 私も手伝うよ、とあなたの気持ちを伝えてください。 あなたの支援を通して、 当事者が少しずつ想いを実現していくことが 「ケアをする人」にとっての何よりの喜びだと思います。 この様な実践は、まずはあなたの中に 情熱や夢がないと難しいかもしれません。 そして、あなたを支えてくれる仲間や組織が必要に なってくるでしょう。 このことは、またお伝えしたいと思います。 次回は、「信頼と依存」について書きたいと思います。 ◇◆-------------------------------◆◇ (編集後記) 今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。 息子と自転車で通う保育所。 この時期は、つばめに会えるのが毎日の楽しみです。 「きょうは、つばめおるかな?」 息子は、戸建ての軒下にある巣を見上げます。 「おらんな~。...あっ、とうちゃんチョット待って! 戻って。戻って」 遅刻ぎみなので早く保育所に行きたいのですが 戻らないわけにはいきません。 電線に止まっているつばめを発見したのでした。 「なぁ、おったやろ」嬉しそうに笑う息子。 こんな息子も、つばめのように いつか巣立ちの時期が来るのですね。 みなさまのご意見・ご感想お待ちしております。 → info@larghetto.jp☆このメルマガを登録して読者になってあげてもよいと思っていただける方は、こちらから登録よろしくお願いします!→ http://archive.mag2.com/0000221551/index.html
2008年04月22日
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最近、全く日記が書けないので、メルマガの連載内容をこちらでも載せたいと思います。メルマガ読者のみなさまには、重複内容でごめんなさい。■────────────────────────■ ケアをする人に伝えたい7つの想い その1 「自分の弱さを認める」 ■────────────────────────■ 今日から、「ケアをする人に伝えたい7つの想い」という連載をします。 介護職の方、対人援助職の方 そして、家族の介護をされている方に、 私がこれまで感じてきた事柄を、未熟ながらお伝えしたいと思います。 その1は、「自分の弱さを認める」です。 言うまでもなく、ケアというお仕事は 精神的にも肉体的にもとてもきついお仕事です。 精神的には、自分の関わりの不十分さに悩んだり、 深い孤独感を感じたり、責任の重さに押しつぶされそうになったり、と 大きなストレスがかかってきます。 肉体的には、人手不足による過重労働・長時間労働が常態化していいます。 からだとこころは繋がっているので、どんなに気持ちの面で前向きな方でも 持続的な過重労働は、精神面にもジワジワと影響を与えます。 ある日から、うつ病にかかるという方も少なくありません。 まず私は、介護の現場に身を置かれているすべての方に、 次の言葉を贈りたいと思います。 「毎日、大変な状況の中でよくやってこられましたね。 あなたのそのケアがあればこそ、今日までやってこられたのだと思います。 心からあなたの苦労をねぎらいたいと思います。」 そして、次に伝えたいのは 「あなたにできることをあなたは精一杯されていると思います。 でも、今のあなたに、できないこともあります。 そのことで自分自身を責めることはないのです。 それはあなたのせいでは、ありません。 今のあなたにできないことに、責任を取ろうとしないでください。 自分の弱さを認めていいのです。 もうこれ以上はできない自分を認めていいのです。 それは、すべてを放棄することではないのです。 あなたは自分の弱さを認めることで、 新しい段階に進むことができるのです。」 介護職や家族を介護されている方には、 頑張りやさんが多いと思います。 また、自分に厳しい方も多いのではないでしょうか。 このような人は、自分を責めることは得意でも なかなか自分の弱さを認められません。 もっと頑張ろう、もっと頑張ろうと思ってしまいがちです。 しかし、ケアや対人援助というお仕事は、 頑張ろうと思ってやる仕事ではないのです。 確かに、毎日が悩みの連続かもしれません。 いろんな問題が山積しているでしょう。 しかし、 「だから頑張ろう」ではなく、 「だから楽しい」にならなければ、長続きしません。 では、どうすれば「だから、楽しい」になれるのでしょうか。 その答えのひとつは、自分の弱さを認めることだと私は思います。 「ああ、今の私は折れそうなくらいに疲れている。 少し休まないと倒れそう。」 「ケアのこと、分かったつもりでいたけど、肝心なところが 全然分かっていなかった。今まで一体、何をやってきたのだろう」 「もう私一人では、持ちこたえられない。誰かに助けてもらわないと やっていけない。」 介護の現場にいる方たちは、 このようなことを真剣に同僚や上司に話したことがありますか。 家族の介護をされている方は、 誰でもいいですから、このような相談をされたことがありますか。 自分はなんて弱くて脆い存在なのだ。 そう気づくことが大切です。 ケアをする人も、一人の人間です。 人間としての弱さをあたり前に持っています。 人間の熱と光を大切にしながら、 自分の弱さにもしっかりと目をむけることが ケアの意味や重要性に対する新しい発見に繋がると思います。
2008年04月15日
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読売新聞3月16日付 「泉」欄に掲載された「地下鉄内の暴力」~悲しい「見て見ぬふり」~を読んで、いろいろと考えさせられました。記事の概要は以下のようなものです。◆◆◆◆◆◆◆◆電車内での迷惑行為が後を絶たない。マナー違反だけでなく暴力行為を振るうケースも出ている。被害にあった大阪府の女性(40歳)から<泣き寝入りするしかないのでしょうか>というメールが届いた。今年1月11日午前8時ごろ、地下鉄御堂筋線で起きた出来事がつづられていた。<前の優先座席が空いたので座ったところ、二人隣りに立っていた60歳位の男に両足をたたかれ、服を脱がさんばかりの勢いで引きずり立たされました>その、初老の男はそのまま空いた席に座り、寝たふりを決め込んだそうだ。記者が詳しい話をうかがおうと、女性と連絡をとり、待ち合わせしたカフェで彼女は地下鉄での出来事を話し始めた。言われるまで気づかなかったが、手首が曲がっている。「先天性多発性関節拘縮症」。関節の筋肉が収縮したまま伸びなくなる難病で、両手両足に生まれつき障害がある。(彼女の少女時代から就労までの状況が書かれているが、略彼女は電車内で立っているのも大変な状況の方。)事件が起きたのは、梅田駅到着時。電車はいつも優先座席の前で空くのを待っていて、そのときも、次の淀屋橋駅で降りるまで腰掛けるつもりだった。「オレが座ろうと思ってたのに座るな。どけ。お前の座るところやない」。近くにいた初老の男にいきなりどなられての暴力。「手も足も悪いんです」と訴えても態度を改めない。非常通報ボタンがあったが恐怖で動揺して鳴らせなかった。周りの乗客は「見て見ぬふり」だったそうだ。隣に座っていた男性は不審そうに男をみただけ。「相手にせん方がいい」と声をかける人こそいたが、誰も注意してくれない。淀屋橋駅で下車して駅員に助けを求め、男の暴力行為を伝えたが、電車はそのまま出発。「普通の人より早く筋力が衰えるから、楽しめるうちに色々挑戦したい」。そう思って音楽ライブやドライブによく出かけていた女性は、事件以来、満員電車が怖くなったという。地下鉄での通勤時は、すいた電車に乗り換え、非常通報ボタンの近くが定位置になった。勇気を振り絞って被害届も出した。大阪府警が捜査しているが、男の特定には至っていない。「身体障害者だと理解してもらえたら、対応も違ったのか」と女性は自問している。同様の事件を防ぐためにも、互いを思いやる気持ちをもっと大切にできないものかと思う。みなさんはどう考えるか。◆◆◆◆◆◆◆この記事を読んで、私がこの状況に遭遇した時果たして、「見て見ぬふり」ではなく、何らかの関わりができたのだろうか、と考えてみました。最初に、この男に暴力はやめなさい、と注意することを想像してみました。逆切れされたらどうしようと、ドキドキしてきます。私が注意したら周りの人の反応はどうなるのだろう。誰か加勢してくれるのか、やはり「見て見ぬふり」なのか…。いろいろと想像していて、私の中では、注意することではうまくいかないのではないかという思いに至りました。この男の蛮行は確かに読んでいても腹が立つし、許せないと感じます。しかし、この人にはこの人のなりの理由や原因もまたあるはずです。それを一切無視し、公衆の面前で注意するという行為はおそらく、男の乱暴な言動に拍車をかけるのではないかと思います。逆切れされて、注意した自分や周りの人にまで被害が及び、事態をより悪い方向に進めてしまうのではないかと危惧します。では、どうしたらよいのかというと、被害を受けた彼女に対する関わりを最優先するということではないでしょうか。記事の中では、「相手にせん方がいい」と声をかけた人のことが触れられていますが、彼女にとってそれはあまり助けるなる言葉ではなかったようです。今の私にできることがあるとするなら、被害を受けた彼女の恐怖や悲しみ、そして怒りをその場で聴いてあげ一緒に駅員に伝えることなのだろうと思いました。これなら、恐怖心に打ち勝って正義を通す、というような大変なことをしなくても、誰でもできることだと思います。時間も10分程度あれば良いのだと思います。このような人が一人ではなく、数人いたら彼女はなんと心強いと思うでしょう。暴力を働いたその男の問題は、今はとりあえず置いておくのです。その人の問題は「注意」することで解決する問題ではありませんし、話し合いができる状況でもないと思います。もちろん、暴力行為は犯罪ですから警察が逮捕する、というのも当然です。しかし、男が捕まれば女性の気持ちが癒えるかといえば、必ずしもそうとは言えません。おそらく、女性が体験した恐怖や屈辱感は消え去らないでしょう。だからこそ、私は少しでも有効な方法として、被害を受けた女性に寄り添うことが必要だと感じました。きっとこの現場に居合わせた人の中にも単に「見て見ぬふり」をしていたのではなくいろんな感情が沸き起こったのではないでしょうか。私は、この記者が彼女に直接会って、こうやって記事にされたことに敬意を表したいと思います。しかし、「見て見ぬふり」をせず、互いを思いやる気持ちをもっと大切にしよう、というような一般的なメッセージではなく、記者自身ならどうするか。誰もが注意をするのは怖いものだ、ということを認めたうえで何ができるかを具体的に提案するということが必要ではないかと思いました。そこで、私なりの具体的提案をしてみました。みなさんは、どのように感じますか?
2008年03月17日
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12月4日の読売新聞に 「介護施設で虐待498件 自治体把握の10倍」 という見出しで、 全国の特別養護老人ホームと老人保健施設 計9082施設の現場責任者と介護職員に対して行なった 調査内容の報告記事が載りました。 詳しくは以下の、読売新聞のHPをご覧下さい。 http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/kaigo_news/20071204-OYT8T00105.htm 有効回答率は約2割なので、498件というのは まさに、氷山の一角です。 昨年、「高齢者虐待防止法」という法律ができて 虐待の定義や職員の通報義務を定めていますが 介護職員の7割が内容を把握していなかったということです。 高齢者施設で働いている職員が、「高齢者虐待防止法」の内容を 知らない…これをどう考えたらいいのでしょうか。 私は、この記事を読んで、いろんなことを感じました。 まずは、施設のトップの怠慢です。 虐待という問題は、高齢者施設だけの問題ではなく 私の勤めていた知的障害を持つ人の施設でも どんな福祉施設にでも起こる「施設問題」だと思います。 だからこそ、経営・運営トップの人たちが 職員の研修・資質向上に努めるべきです。 私がいた知的障害を持つ人の通所施設では、 トップの意識が高く 職員の新人研修、部門別研修、管理職研修など さまざまな研修プログラムを策定し 外部研修・見学も積極的に行なっていました。 制度や法律のことも勉強しました。 障害を持つ当事者からの声に学びました。 それでも、当然職員の意識には幅があります。 同じ内容を見たり、聴いたりたりしても、 人の理解・受けとめ方は千差万別です。 その点は、現場単位のグループ・部門などで リーダーが部下の一人ひとりの性格や現状を しっかりと把握する必要があります。 ですから、リーダー(主任)というのは 大変な役割だと思います。 人は誰でも弱い面を持っているし、孤独になると どんなことが起こっても不思議ではありません。 どの施設でも、職員は権力を持っており 利用者は非常に弱い立場におかれています。 職員はそのことと、次のことを肝に銘じなければ ならないと思います。 自分の言葉、態度が利用者からは どのように見えているのか。 利用者は、本心では職員のことをどう思っているのかを。 これは、何もいつもガチガチに緊張して 利用者に気を遣う、ということではありません。 全く反対です。 自分と利用者のあり方を素直に見つめることです。 いつも、もう一人の自分が天井から見ているとすれば 今のあの言葉は、 さっきの介助仕方は どのように見えるのだろう。 リラックスした自然な態度で利用者と関わることで 自分の中にある利用者への愛情や想いが 介護や関わりという形になるということです。 介護技術や知識はもちろん重要です。 プロなのですから、たえず最新の技術や知識に敏感で 向上心を持つことが問われます。 しかし、対人援助職の人には 技術や知識以前の こころのあり方が一番大切だと、私は思います。 援助をしたいと思う人に対する想い それがなければ、対人援助職に就く資格はないはずです。 最初に戻りますが、だからこそ トップは、 「私は高齢者(障害を持つ人、子ども)が好きなんです」 という素朴な想いで出発する一人ひとりの職員が 施設勤務という経験の中で、どんな風に成長していくのか そのことに最大の関心を持つことが必要だと思います。 そして、それは当然のことなのですが 「職員に厳しい」ということなのです。 施設の職員は、すぐに職員同士がかばい合い、 それが結局、関わりや支援の問題をあいまいにしたり 隠蔽したりしてしまいます。 職員は未熟で、問題を起こすものです。 だから、ちゃんとした話し合いが必要です。 絶対にごまかしたりしてはいけません。 それが、その問題を起こした人を助ける 最良の方法なのですから。 そして、施設職員に届けたいのは 疲れたら、ちょっと休もうよ! あなたの本当の優しさ、 あなたの本当のつよさ あなたの本当の賢さ(ユニークさ) これが、なんかどこかに行っちゃって 自分でも、なぜ、こんなことをしているのか 分からなくなったら、ちょっと休みましょう。 こんな時は、良い援助、よい介護はできません。 リフレッシュしましょう。 思い切って、休みを取って旅行に行ったり なんでも聴いてくれる友だちと会ったりして 自分の良いところを 生きていることの素晴らしさを たくさん感じましょう。 そして、自分はなぜ、この仕事をしているのか 本当に続けたいのか その答えを見つけましょう。 私は施設職員の心のケアを もっともっと進めたいと思いました。
2007年12月05日
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先程、書きかけていた楽天日記がすべて消えてしまいました相当時間がかかっていたので腹が立つやら、情けないやらで、カミさんに愚痴りました。すると、「いったい、何を伝えてくれてるのやろね~」という返事。全くもって、その通り、と思い気分を取り直して、以前、友人のまるさんに教えてもらったようにフリーソフトの日記帳にまず日記を書いてから楽天やmixiに貼り付けることにした。そして、やり直したのが今日の日記です。このお馬さん、8年前にスウェーデンで買ってきたものです。ダーラナホースというそうです。ダーラナ地方で作られるお人形で400年の歴史があり、今では、スウェーデン土産の代表格です。スウェーデンでは、馬は幸せを運んでくれる動物だそうです。 詳しくはこちらを→ http://www.aterior.com/sweden.htm実は、子馬さんもいたのですが、子どもが1歳前後のなんでもお触りざかりにどこかへ消えてしまって以来、会っていません。このブログを機会にどこからか出てきてまた会えたらいいなさて、8年前に何のためにスウェーデンに行ったのかというと、知的障害を持つ人たちの活動を学ぶためでした。ストックホルムに次ぐ、第2の都市イェテボリ(ヨーテボリ)に「グルンデン協会」という団体があります。ここでは、知的障害を持つ当事者の方たちが法人組織の理事長や理事を務めています。作業所のような場所だけではなく自分たちがどんな仕事をしたいのか意見を出しあい、喫茶店、犬の保育園、ラジオ局(メディア)など多様な生活・就労の場がありました。私が9年間働いていた、東大阪にある知的障害を持つ人たちが通う「パンジー」という施設では、当事者の自立生活と自己決定を支援しています。 「ピープルファースト」=私たちは障害者である前に人間だという知的障害者の運動を日本でも広げてきました。でもまだまだ、当事者主体の運営になっていないという課題があり、他の団体の方と一緒にグルンデン協会の視察旅行に行ったのでした。もちろん、職員(支援者)だけでなくパンジーの当事者の人たちと一緒です。グルンデン協会の当事者の姿や活動を見てきたパンジーの当事者の人たちは「かっこいい。僕もやってみたい」と言いました。そして、パンジーをかえる、日本をかえるという意味で作った「かえる会」でどんどんいろんな話が進んでいきました。当事者の気持ちは「職員だけで決めるな!」ということでした。それから、いんろん改革が進められました。施設の運営、職員の採用、お金の流れなど重要なことは、すべて「かえる会」の承認を得るようになりました。「こんな難しいことは分からない」と決め付けるのではなく、当事者の人に分かりやすく説明し当事者の人が選択や決定をしやすい支援を行なうことが支援者の仕事であること改めて学びました。とても面白い取り組みとして職員面接があります。当事者リーダー数人の前で、職員が一人ひとり呼び出され面接を受けことになりました。当事者から「働いていて、どんなときが楽しい?」「どんなときがしんどい?」「当事者の活動をどう思ってる?」という質問が投げかけられます。さすがに職員は緊張します。そして、自分なりに一生懸命答えます。この場においては、職員-利用者という関係から雇用者-被雇用者という立場の逆転が行なわれます。その緊張感の中から当事者は職員の実態を知り職員は当事者主体の意味を考え相互理解が進んでいきます。スウェーデンに一緒に行った当事者の人たちは法人の理事として活躍しています。私は、退職後も法人の役員として関わらせていただいています。パンジーの当事者の活動が日本中に広まり、障害のある人もない人も誰もが自分らしく生きることができる社会になればと願っています。社会福祉法人 創思苑・クリエイティブハウス「パンジー」のことは、こちら。→ http://soshien.com/みんなで応援してくださいね
2007年08月29日
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