「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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楽園のサジタリウス3 十五
「う、うぐっ、が……」
眠りから覚めたというより、全身に渡る激痛と疲労感が眠りを妨げたような最悪の目覚め方で一機は起きた。
もはや見飽きた天井と言っていいテントの中には、意外なことに誰もいなかった。
「……てっきり、十字架の類に磔にされるものかと思ってたけど、寝かせてくれてるのは無罪放免ってとこかな」
「んなわきゃないじゃないですか。グレタさんなんかその場で首切り落とそうって騒いでましたよ」
「うわっ!」
にょきっと横から顔を出してきた麻紀にビビる。そして舌打ち。
「くそっ、久々に気配悟れなかった」
「油断しましたね、最近は接近前に気付いてましたが」
「ていうかいちいち気配消すのやめろ、驚くから」
「やですよ、面白くない」
はい確信犯。コンビ組み始めの頃は何度やられたことか。一回プレイ中に「ぴと」とキンキンに冷えた麦茶入りコップを首筋にひっつけられ「ひゃうっ!」なんて声を出してしまったのをあろうことか録音ししばらく携帯の着信音にしていたという悪魔がこの間蛇羅麻紀という女だ。……ていうか、改めてよくこんなのと組んでたな俺。
「づうぅ……やべえ全身痛い。これは何本か骨折ってるかも。特に首とか」
「即死ですよねそんなの。看護兵が言うには筋肉痛とMNで負った疑似ダメージが身体に残ってるだけだそうですよ。引きこもりには結構重い仕事だったみたいですねフレークさん?」
「……そだ、あいつ!」
いつものトークで流されそうだったが正気に戻った。飛び起きようとしたが、全身がビキッときて動けない。
「あーよしよし、おじいちゃん腰悪いんだから動いちゃだめよ」
「誰がおじいちゃんだ! んなことはいい、麻紀、あいつは、マリーはどうなった!?」
そう詰め寄ると、麻紀は視線をそらしてしまう。ぞっと背筋に冷たいものが走った。
「おい、どうしたんだよ。まさか……」
「……この期に及んで人の心配ですか貴方」
硬質的な半眼が睨みつけてくる。片方しかないとはいえその眼差しは強かった。
「無断で抜け出して敵陣に飛びこんで、仲良くなっちゃったかと思えばMNに勝手に乗り込んで味方巻き添えの無差別砲撃(フルファイヤ)……普通命の心配されるの一機さんだと思いますが」
「ぐっ」
それを言われると一機は黙る他ない。落ち着いた今となってはやり過ぎたと思う。あれで親衛隊側に犠牲が出なかったのだから奇跡だ。そうであっても、一機が想像する軍隊ではどれをとっても銃殺刑されそうな暴れっぷりだが。
「まあでも、こうして拘束されることもなく自由にされてるってのは、そんな荒っぽいことせず比較的穏便に済まそうという表れではないかね」
「あ、私監視役です。逃げようとしたらぶっ殺していいって許可貰ってますんで」
「……はーい、横に立てかけてある剣見えてましたー」
まあこんな全身ギシギシ状態で逃げれると思ってないのでそれは別にいい。元よりある程度覚悟していたことだ。
「とにかく、一機さん自分の命が風前の灯だってのに、他人のこと考えてる暇ありますか。なんとか助けてもらえるよう嘆願したらいかかです?」
「う~ん、ヘレナの性格からいってそんな命乞いしたら余計に処刑されると思う……」
「……否定できませんね」
互いに想像してみたが、土下座なんてしたら下げた首が胴体から離れるイメージしか浮かばなかった。この二人これでも幼少から色々な人間と出会ってきたので人を見る目は悪くない。
「そんなことわかっていながら飛び出すって、馬鹿ですか貴方。逃げ道くらい用意しておきなさいよ」
「いや、正直考えはあったけどあんまり考えないで突っ走っちゃったしねえ。なんつーか、衝動に駆られて」
「ほう、そりゃまたどうして」
「……ええと、それは」
一機は思わず視線をそらした。自分の利益も考慮してとはいえ、麻紀を助けようとしたわけだからどこか気恥かしい。
じとっとこちらを睨んできた麻紀は、フゥーッとアメリカンなため息をついた。
「自己中で利己的ないつもの一機さんらしくないですねえ。こっちに来た時頭でも打っちゃいました?」
「……なんだと」
麻紀のあまりに嫌味ったらしい言動にカチンと来た。一応は麻紀をなんとかしようと頑張ったのに、それを真っ向から否定されるのは一機としても面白くない。
「ずいぶんなこと言ってくれるじゃないか、俺はお前のこと考えてしたわけで……」
「……だったらどうしてそのまましてくれなかったんですか」
「はあ?」
ポツリと呟いた。一応聞こえはしたが、よく意味はわからない。
「まあそれはいいでしょ。今はとりあえず……マリーさんでしたっけ? あの人とのこと聞きたいですね」
「マリーとの? どういうこった」
「だって、夜中二人一緒にいたんでしょ。どこをどんなとこまでやったんですか?」
「ぶっ」
不意打ち喰らって吹き出したら、変な力が入ったらしく腹筋あたりに雷のような痛みが走った。一機が苦しんでいる時に、麻紀は左手で表現するのがはばかられるジェスチャーをしながら笑っている。ああ、いつもの小憎らしい麻紀だ。
「ぐぐ……あのなあ、あいつとそんなことは一切なかったわ。ていうかお前盗聴してたんじゃなかったのか?」
「人聞きが悪い。偶然が重なってそんな風になっちゃっただけですよ。聞いてはいましたが、あの小ささじゃさすがに全部は無理でした。というわけで、私は夜ばいに出かけた胸フェチ一機さんが道に迷って転んで頭打って現地の女と出会ってナイチチに目覚めてそのままダイブしたと把握していますが」
「どう聞いたらそんな解釈になるんだ。もうどこから間違いだと指摘するのすら面倒だな。てかナイチチってマリーに言うなよ、泣くから」
同意見だけど、とはさすがに口に出さず、仕方なしに一機は脱走してから今までのあらましを簡潔に語り出した。その間麻紀は途中で口をはさまず、うんうんと相槌し、話し終わったところで事情を飲みこんだのか初めて口を開いた。
「なるほど、よくわかりました。つまり性欲を持て余した一機さんは女を求めて夜な夜な徘徊し偶然見つけた女をもう胸とかどうでもよくなって自慢の超小型砲で襲いかかったと」
「俺の話一つも聞いてなかったろお前。さっきより内容酷くなってるし。特に最後」
「冗談ですよ。ふむふむ、なんかまるでエロゲー主人公みたいな感じになってきましたね一機さん」
「どこがだよ! そんなイベント一つもないわ! 基本殺されかかってるんですけど俺!」
「そうですかねー、順調にフラグ立ててる気がしますが。代わりに一人はベキベキへし折ってますが」
「あん? 誰のだよそりゃ」
「さあ?」
わけのわからんことを言いだした麻紀に困惑したが、その様子に一機はどこか違和感を抱いた。顔が四分の一ほど隠れていてよく掴めないのだが、なんとなく察する。
この女、機嫌が悪い。それもかなり。表面はいつも通り嘲笑のポーカーフェイスを崩さないが、その皮一枚下にグラグラ煮えたぎっているものが沈殿している。二年近く一緒にいるからわかった変化だが、今までこんな怒っていることはなかった。
何にそんな怒っているのか、一機には理解不能だけれど、放っておいてよくないことは判断できた。ていうかこっちに飛び火する、火砕流レベルのが。
「じゃ、話戻しますけど、どうしてそんな助けたいんですか? 昨日今日会った他人でしょ、そんな深い仲でもないってんなら、身の危険を冒してまで助ける理由ないと思いますけど」
「え? それは……まあ、どうせあいつ助けても助けなくても俺が最低でもボコボコにされるのは決定事項みたいだし」
「最低ボコボコってずいぶん甘いですね。仮にそうだとしても最低が鞭打ち三十八万回になると推測しますが」
「うん死ぬねそれ。回数多い鞭打ちって死刑だからね基本。つーかどうして月への距離なんだよ。わかってるよそれくらい。んなことしたらタダじゃすまないなんて十分承知の上さ。でも……それでも何とかしたいんだよ」
この時、一機は麻紀を、二年近くコンビをしてた《クリティエ》のパイロット、ティンカーベルを頼っていた。前科持ちの自分一人では無理がある。気配を消して移動できる麻紀の力を借りれば脱走させることだって難しくない。鉄伝における一機の、シリアの無茶な攻撃や無謀な作戦を愚痴りつつ「やれやれ、仕方ないですね」と支援してきた麻紀なら了承してくれるとかすかに期待していたのだ。
しかし、二年来の相棒はどこまでも機嫌が悪く、どこまでも冷たかった。
「……どうしてそこまで助けたいんです? ここから逃がしたって捕まる可能性だってあるし、どっちにしろ貧乏くじ引くのは一機さんですよ? 何のメリットもないのに、どうして?」
「どうしてって……そりゃ、あいつには助けられたし、色々世話になったし、飯も貰ったし……捨て置くってのはなんか寝覚めが悪くてさ」
「……世話や飯なら私もずいぶんやったと思いますがね」
「? さっきから何言ってるんだお前」
「べーつ……っ」
別に、なんていつもの軽口を叩こうとしたようだが、途中で止まり唇を噛んだ。何かを必死に堪えるかの如く。
「ま、麻紀? お前おかしいぞ? 何かあったのか?」
「おかしい? これは異なこと仰いますねえ……一機さんが私の何知ってるってんです」
表情が変わった。いつものポーカーフェイスが維持できておらず青筋が立っている。あまりに怖すぎる。一機が震えた。
「あの、麻紀さん? なんでそんな機嫌悪いの? 怖いんですけど?」
「別にい? 怒ってないですよ? 一機さんのこと恩知らずとかニワトリ野郎とか新品好きとかデカチチ&ナイチチと嗜好の範囲が広がったとか人の支援無視しやがってこのクソがなんてちっとも思ってませんとも。ええ、これっぽっちも怒ってません」
「怒ってるよね完全に。相当機嫌悪いでしょ貴方。ていうか何、発言がチンプンカンプンなんすけど」
元より心が読めずわけのわからん女だが、今回は意味合いが違う気がする。それ以前に、麻紀が怒るということは二年間一度もなく戸惑うばかりだ。
「理解できませんか。ええ、最初からわかってましたよホント。一機さんなんかがわかるはずもないって。じゃあ一言だけ簡潔にわかりやすく言わせてもらいましょうか……いくらなんでも、図に乗り過ぎてません?」
「は、はあ?」
それこそ意味が分からず首をかしげる。さっきからこの女は異常だと一機は頭をかいた。
「そりゃね、前々から望んでた別のところとか楽園にやっと来れて嬉しいのはわかりますよ。浮かれて突拍子のない行動に出ちゃうのも致し方ありません。でも……一機さん、リセットボタン押した気になってるんじゃありませんか?」
「――リセットボタン、だって?」
聞き返すと、「ええ」といつもの数倍口元を歪ませて一機に言い放つ。
「一機さんの半生、あんまいい思い出なかったってことは存じてますよ。妹に出し抜かれ親に捨てられ学校でも友達ゼロ、唯一の話相手であるお祖父さんも亡くしてそりゃ不遇と言えば不遇ですね」
「…………」
「でもだからって……何でもかんでもリセットした気分ってのはどうかと思いますよ」
「……何が言いたい」
「おや? まだわかりませんか? ではもう一つだけ言いましょうか……的場さん」
「っ!」
的場、と呼ばれて苦い記憶が蘇る。一機にとって的場の名は古傷を抉るものでしかない。そうと知っていてあえて使うなんて、いくら悪口と中傷が売りの麻紀でもなかったことだ。
「おい……!」と怒ろうとしたら、耳元に顔を寄せてきた。三つ編みがふわりと揺れ、麻紀の化粧でも香水でもない香りが鼻腔をくすぐる。
「ま……き……?」
「自分一人だけ……ずるいんですよ。逃げて、隠れて、閉じこもって……誰かに助けてもらわないと生きてけない引きこもりさんが、急に気合入っちゃって、似合わないどころじゃありません。身の程わかってんですか?」
麻紀の方を向こうとしたが、顔面を左手で掴まれて無理だった。意外と腕力がありまったく動かせない。
「私が世話焼いてあげないとどうしようもない人が……それを忘れてルンルン気分? 腹立ちますねえ……ねえ、一機さん?」
「…………」
麻紀が何を言いたいのか、よくわからなかった。
否、本当は一機は充分理解している。だけど、それはお互いこの二年間でいつしかタブーなったことで、言ってはならないと了解しているはずだった。
しかし、麻紀はその一線を踏み越えた。
どうして踏み越えたのか、それはわからない。けれども、麻紀が越えたのを知ると、一機も意図せず越えてしまった。
それも、最悪の形で。
「……俺ら別に、互いに互いが必要なかったろ」
「……!!」
言ってから、やばいと後悔した。麻紀が息をのむ音が耳元でうるさいくらい聞こえる。密着しすぎた二人の身体から、動悸も激しくなったのが伝わってきた。
しばらく両者の間に沈黙が走り、耐えきれなくなった一機が声をかけようとした途端、
「げふっ!?」
掴まれていた顔をすごい力で地面に押し付けられた。後頭部が打ちつけられ眼前に星が走る。
「が、がが、がが……」
呻いてる暇に、麻紀はテントから飛び出し走り去ってしまった。追いかけようとも思ったが、全身激痛により上手く動かずその場に転がる阿呆をさらしたのみだった。
「……やっちまった」
頭を地面にぶつけた痛み以外の理由で抱え、一機は己の愚かさを呪った。
***
「はあ、はあ、はあ……」
一機のテントから飛び出した麻紀は、まだ闇が全体を覆う峡谷を前もろくに見ずしばらく走ると、疲れてしまい一旦止まった。
呼吸を整えながら荒ぶる自分の心も落ちつけようとする。そうすると、必然さっきまでの一機との会話を思い出すことに。
「……なんであんなこと言っちゃったんでしょ」
一機に放った言葉一つ一つは、全部その場の勢いだ。本当は目覚めた一機に言いたいことは別にあったのに、波だった麻紀の心は全く違うことを申していた。どうしてあんな台詞が口から出たのか、麻紀自身にもわからない。
「あんなこと、言いたくなかったのに、どうして……私、本当は……」
麻紀の制御を無視した口はただ流れるように酷いことを告げ、そして酷いことを告げられた。自業自得とはいえさすがにショックで、そのままそこにいるとどうにかなってしまいそうで逃げたのだ。
「互いに必要ない、か……はは、ホントそうですよね、どうして一緒にいたんでしょう私ら」
自嘲気味に笑いつつ、二年前のことを振り返る。
一機とはクラスメイトだったが、二人とも友達付き合いもせず孤立していた関係で、接点もなくろくに顔だって覚えてなかった。親戚が祖母の三回忌の際くれた鉄伝を持て余し、とりあえずやってみるかとネットカフェで手探りでプレイしようと行った際たまたま出会った。そこからどうしてパートナーとなったのかイマイチ覚えていない。多分、くだらない理由だと思う。
そうしていつしか誕生したあの空間。一機は鉄伝をプレイする環境を与え、麻紀は炊事洗濯など家事一切合財を対価として行う協力関係。週末か放課後限定の相棒というルールの元、『週末の悪魔』は成立した。――何の意味もないのに。
一機は本当は家事なんてお手の物、なにしろ祖父が生きていることは一機が行っていたのだから。麻紀だって本当は家族と折り合いが悪く、葬儀でもない限りあまり相手にされない。週末どころか数日帰ってこなくても平気だろう。そもそも鉄伝どころかゲーム自体あまり興味がない。もし一機と出会わなければ、麻紀の鉄伝経験はあのネットカフェ一回で終わっていたかもしれない。
一機の発言通り、実は両者とも互いを必要としていない。にも関わらず『週末の悪魔』という奇妙な関係が誕生し、今も続けられている。麻紀もどうしてだか意味不明だ。
このコンビも、もう間もなく終わると考えていた。卒業後、麻紀が大学に進学すれば自然とこの関係は消え去ると。大学を卒業し就職し、結婚でもして家庭を持てば、もう思い出すこともない。あるいは思い出しても、幼いころの楽しい記憶として頭の片隅に置かれるだけだろう。普通に、あっさりと、何の感慨もなく『週末の悪魔』は終わるだろうと思っていた。
そう、思っていたはずだったのに。
「はあ……どうしちゃったんでしょう、私」
自分の心を荒ぶらせる気持ちが理解できず、麻紀はため息をつく。
「……戻りますか。にしても、ずいぶん走ってきちゃったみたいですね……おや?」
そこで初めて、自分が『ジスタ』の原石を持っていることに気付いた。ヘレナから借りたものを、まだ返していなかった。もっとも、先ほどの《ウサギ》との戦いで一機に指示を出せたので結果オーライとなったが。
「……あれも必要あったか微妙ですがねえ。ったく、男ってのはどうして美人と胸に弱いのか……ん?」
そこで、何者かの声がした。
いや、それが『声』なのか麻紀には自信がなかった。『声』と言うには言葉には思えなかったが、『音』とも違う気がする。こう、『音』とするには形があるように思えるのだ。
何より不思議なのは、その『声』とも『音』ともつかない何かがどこから発されているかである。
「またですか……発生源どこなんでしょ」
耳元に『ジスタ』を当てる。『ジスタ』を借りてから時々こんな謎の音が聞こえてくる。隊員に少し尋ねてみたが、他に耳にした人はいない。『ジスタ』の混線の一種だと思うが、どこからか不明では正体を探り様がなかった。
でも、麻紀は妙に気になっていた。『音』とするには形が、『意思』が宿っているように感じられる、不思議な『声』が……
「……あれ?」
しばらく聞いていると、あることに気付いた。
音が先ほどより大きくなっている。それほど大した変化ではないが、確実に大きい。
試しに耳元に当てながら前へ歩いてみると、ほんの少しだが間違いなく音量が上がった。
「音源が近づいてるんですかね? ……行ってみますか」
興味がわいて、そのままゆっくりと歩き出した。赤い月に照らされた峡谷を、まるで吸い寄せられるかのように。
しばらく歩くと、先ほどまでの戦闘現場へたどり着いた。《サジタリウス》の砲撃のせいで峡谷は破壊され、砕けた岩の残骸がゴロゴロ転がっている。《ウサギ》の死骸はあらかた持って帰るか埋めるかして片付けられたが、血の匂いはまだ残っていた。
「うっ……臭いですね。ここらへんだと思うんですが、こんなところ早いとこ出ないと倒れてしまいそうです」
無自覚だが、麻紀に戻るという選択肢は消えていた。戦闘があってそれほど時間が過ぎていない危険な場所だというのに、好奇心の方が勝った。まるで自分を誘っているかのような音に引かれて――
――ウオオオオオオオォォ……
「きゃっ!? またあれですか……しかもずいぶんやかましい」
ヘレナたち親衛隊の連中が化け物の声と恐れていたもの、実際は風の類が反響したものだと、麻紀や一機は当然の如く判断していた。
「……はて?」
しかし、麻紀はそこで違和感を抱いた。
「これ……地面から出てません?」
麻紀の足元にある人がギリギリ入れるくらいの穴。雄叫びのような音はそこから響いていた。
風なら当然地上からだと思っていたが、火山により蒸気だとすれば地下からの方が正しい。それに、ここら辺は《ウサギ》のせいで穴だらけだろうから、そこで反響している可能性もある。と、麻紀は当然の知識で判断した。
が、うっかり近づき過ぎた不覚は麻紀でも予想できなかった。
ボコッ、と自分の足元が崩れるということを。
「えっ……きゃああああああああああ!!」
何分急なことでその場で踏ん張ることも何かを掴むこともできず、そのまま滑り落ちた。狭い空洞の中を、ウォータースライダーの要領で落ちていく。
どれくらい滑ったのか、やがて滑り台が突然終わり、空中浮遊したと思えば地面にお尻を強く打って停止した。
「いたたた……まるで一機さんみたいな無様な真似しちゃいましたね。で……ここどこでしょ」
起き上がると、周囲は完全に真っ暗だった。一機と最初にこの世界へ訪れた時とは違い、ヒカリゴケの淡い光すらない。
「困りましたね、これじゃどうしようも……あ、そうだ、一機さんが盗っていった携帯返してもらってそのままでした」
ポケットから携帯を出してライトをつける。かなり大きな空間のようだ。下手すれば峡谷より高いかもしれない。
そして、どうやら人工的な物のようだ。空間の天井や端には柱や梁がある。多分マリーと同じ墓守たちが作ったものだろう。
「でも、マリーさんここのこと話してましたっけ? それに、守る対象の『炎の魔神』は地上に置き去りにして、なんで地下にこんな空間作ったんでしょう?」
いくら考えても疑問に答えは出なかったので、とりあえず携帯のライトを頼りに進むことにした。
「上から落ちてきた穴には戻れませんし、人工物だとしたら出口がどこかにあるでしょう。手探りで探すしかありませんね……なんつーか、新鮮ですね。今まで誘導する役ではあっても自分が行くことはありませんでしたし」
索敵担当なのだから当然だが、麻紀はどんなに強い相手でもたくさんの敵でも恐れたことはない。ステルス装備で見えないこともあるが、一機が、フレークがいつもやってくれるという安心感があったせいもある。
でも今は一人きり。そう改めて認識すると、急に心細くなってきた。
「……ははは、本当にらしくない。どうしちゃったんでしょう、こんなの私じゃ、ない……私は、私……」
途中から声にならず、俯いてしまう。携帯をつい落としてしまい、ライトだけが淡く輝いて、足元を照らした。
「私らしいって、いったい……」
その時、再び『ジスタ』から音が聞こえてきた。さっきよりより鮮明に、より強く。
「あ、また……なんなんでしょう、これ。『音』なのか『声』なのか……どっちにでもないような、まるで……」
麻紀の記憶の中から、一番近い物を取り出そうとする。一つ浮かんだのは、祖母が入院した病院の産婦人科から発された、赤ん坊の産声だった。
でもそれとは違う。もっと幼く、もっと古い。産声の前、声にならない、原始の音……
――ウオオオオオオオォォ……
思考に耽っている最中、今度は例の風音らしきものが耳を打った。
「……え?」
そこで麻紀は、あることに気付いた。驚いて携帯を拾い上げ、音のようなものが鳴った先にライトを向けると、
細く鋭い物が伸びてきて、麻紀の首と胸に絡みついた。
「ぐっ……!?」
突然のことでわけがわからず、ライトをつい落としてしまう。音がした先から伸びてきた物は植物のツルのようで、巻きついて離さない。
「な、何ですこれ、苦し……っ!」
息が出来ず苦しみながら、分析を専門とする麻紀は今までこの世界で得た物を参考に、状況を把握しようとする。
――知らんよ。ここんとこ――の情報収集してたんだから。ドルトネル峡谷が――
――魔を潜める峡谷より、天からの異邦人現れん。
その者、怪物と心を交わし、国を乱さん――
――で、ですがヘレナ様、ここはまだ峡谷の入り口ですよ!? こんなところに――
「――まさかっ!」
一見何の関係もない情報が、一つにまとまり、ある仮説を作るに至った。
最初は信じられなかったが、身体に巻きついたものの力はどんどん強くなり、地面に倒され引きずられる。
麻紀は抵抗するがいかんせんあちらの力が強すぎる。逃げられないことを悟ると、左手でツインテールの片方からヘアゴムを外すと、一瞬ためらいを見せたが向日葵のアクセで地面に乱雑に文字を書いた。
――伝えなきゃ、一機さんに――!
暗闇で引きずられつつなのでちゃんと書けたか不安だが、確認する術はない。とにかくヘアゴムを戻そうとした。
が、急に引く力が増し、ついヘアゴムを落としてしまう。
「……え」
それまで謎の存在に襲われているという異常状況下でやけに冷静だった麻紀は、ここで初めて動揺する。
「え、いや、やだ、放して、返して! それだけは……!」
いつもの余裕は完全に消え、半狂乱と化し暴れまくる。だかツルらしきものは微塵もせず、ヘアゴムから離していく。
「ダメ、ダメなの! あれがないと、いないと、私、私は……!」
泣き叫び、必死に左手を伸ばすが、届くわけがない。脳内にある光景がフラッシュバックした。
――ああ、やるよそんなもん。
――え? いいんですか?
――どうせ誰も使わないんだし、問題ないよ。
――では、ありがたくいただくとしましょう。
――いただくってねえ、お前……もうちょっと言い方というものが……
「いや、嫌なのっ! お願い、返して! お願い!」
懇願するが、その何物かは反応せず、むしろツルを新たに何本も巻きついていく。怯えと恐怖と寂しさに、麻紀は声を上げた。
「助けっ……一機さん!!」
求めた助けに返答はなく、苦しみの中麻紀は意識が闇に沈んでいった。
***
激動の夜もあと一刻もすれば夜明けという中、親衛隊は疲労で冴えず見張りなど以外はまだ寝ているものも多かった。
そんな隊のテントの間を、模造剣を杖代わりに生まれたての小鹿よろしくフルフルしながら、一機は誰にも見つからないよう歩いていた。
「くっそう……あいつ思いっきり打ちつけやがって……幸いそんなに意識飛んでたわけじゃないようだが、急がないと」
走り去ってしまった麻紀も気にかかったが、今一機が優先すべきはマリーだった。下手すればこの瞬間にも殺されかねない。脱出させるため、まだ回復してない身体を文字通り引きずって進んでいた。
こんな状態で捕獲されているマリーを救出させ脱出なんてできるわけないが、だからといって放っておたら処刑されるかもしれない。それだけは避けたかった。
「とにかく行ってみて、あとは野となれ山となれ……違う、この場合は神のみぞ知るってところか。あいつが捕えられてるテントを見つけなきゃ、話にならな……お?」
つい、と後ろを小突かれた。
ぞっ、と寒気がする。気付かれた。誰だかわからないが、一機が軟禁状態にあることは親衛隊隊員の誰もが知っているはず。どいつでもアウトだ。
せめて、マリーを解放しようとしていたことは悟られないようしらばっくれないと……と一機がせめてもの笑顔で振り返ったら、
巨大な赤い舌が、顔をベロリと舐めてきた。
「……ひっ、ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいぃっ!!!」
《マンタ》、メガラで広く使われている運搬用の巨大トカゲ、なんて知識はこの瞬間沈みかけた赤い月までダイブし、一機は再び絶叫した。
「な、なんだどうした!?」
悲鳴を聞きつけたヘレナが駆け付け、よだれでべっとりの一機が「やばい」と口を塞いだが、もう手遅れだった。
「……何してる、一機」
「え? はは、いや、起きてみたんだけどみんないないから、どうしたのかと思って辺りを……」
「麻紀を見張りにつけていたはずだがな。会わなかったのか?」
「麻紀? あいつどっか行っちまった……あ」
自分が墓穴を掘ったことを悟った一機。ジト目で睨まれて思い切り目をそらす。
「もう一度聞くぞ、こんなところで何をしている」
「ははは、何って別に何もしてないっすよ、ヘレナさん」
「マリーなら今は無事だぞ、おとなしく捕まっている」
「え! そりゃ良かっ……あ」
また墓穴。いや、一機の行動など予測できるだろうからバレたとは言えまいが、さらにヘレナの視線が厳しくなった。
「やはりあいつを救出でもする気だったか? 馬鹿なことを」
「馬鹿って、麻紀みたいなこと……ちょい待ち、さっき今は無事って言ったよな? じゃあこれからはどうなるんだ」
「……それは」
今度はヘレナが視線をそらす番だった。嫌な予感が的中したことを察し、ヘレナに詰め寄る。
「なんでだよ、あいつが何したってんだ! 穴掘ったり罠作ったりしただけだろ! それだけで、どうして……!」
「……あの者、マリーは五十年前シルヴィアを荒らし、四十五年近くこの峡谷で遠征軍の血を流してきた墓守の人間だぞ。何もお咎めなしなんて許されるわけがない」
「それはその当時の人間の罪だろうが! なんでマリーがその責任を取らなきゃならない! あいつは単にそいつらから生まれたってだけじゃねーか!」
「あの者だって、罠を作ったり戦いに参加していた! 我が軍の兵を殺したこともある、それはあの者自身の罪だ!」
「あいつの母親はあんたらシルヴィア軍に殺されたんだぞ!」
さすがにこれには口ごもった。それを気に、一機は勢いのまま言葉を荒げる。
「ああそうだよあいつもあんたらも同罪だ、殺し殺されたのはどっちも一緒だろ、だったらそれでいいじゃないか! 今さら屍の山にマリーを付け加えて何になる! シルヴィアの兵が生き返るのか? メガラから戦争なくなるのか? ならないだろ? それならあいつの死に何の意味がある、あんたらがあいつの血を浴びることに何の意味がある! 馬鹿馬鹿しいだけだ! いいじゃないか、あいつ一人逃がしたって、誰が迷惑被るわけじゃあるまい!」
「これは利益とか損得の問題ではない、軍としての役目の問題であって……!」
「だったらかつての親衛隊の敵として殺したいんじゃないって断言してみろよ!」
「っ!」
刹那、右頬に鋭い閃光が走り、一機は横にはっ倒された。ヘレナが思い切り叩いたのだ。
はたいただけなのに光がちらちらして痛かったが、我慢してヘレナを睨みつける。
「一機……貴様腰抜けに見えて以外に大胆だな。常人なら言えぬようなことを躊躇なくぶちまける」
「そりゃ、大胆なんじゃなくてコミュニケーション能力がないだけだよ。なんせ生身の人間と話すことはほとんどないんでね」
さすがのヘレナも怒り心頭といったところ。目が憎悪に染まり血走っている。一機は似たような目を見た経験がある。数時間前の話だが。
「貴様……アマデミアンの女に情でも移ったか? 仮にとはいえ親衛隊に席を置く身であるにも関わらず、あの女を庇うような真似をして、どうなるか分かってるんだろうな」
「当然だろ、情くらい移るさ。助けてもらったんだから……あんたにもな、ヘレナ」
不意を突かれ、ヘレナは一瞬キョトンとした顔になる。目をそらし、泣くように一機は声を出した。
「助けてもらった恩人が、情が移った同士が殺し合いやってんだぞ? 止めたくなって当然だろ。ヘレナたちがマリー殺すのも、マリーがヘレナたち殺すのも冗談じゃない……自分の安全気にして、そんな惨状起こしてなるかってんだ。後悔は……元の世界(あっち)でし飽きた」
途中はもう声が震え、聞こえているか自信がなかった。しかしヘレナの顔からは怒りは消え、その場に座り込んだ。
「そう……だな。そう……だよな」
呟くヘレナの目は一機を捉えておらず、どこか別のところに向けられていた。
「ヘレナ……?」
「言うとおりだよ、今さらあいつをどうにかしても何にもならん。だが……だからといって許すことはできん。それはわかるだろ?」
「わかってるよ、んなこと。だから……」
「なんとか拘束を解いて逃がそうとした、か? それではお前の首が胴体から離れるぞ? まったく、恩人を助けたい気持ちは理解できるが、少しは自分の身の方を案じたらどうだ?」
「はは、麻紀にも同じこと言われたよ」
「麻紀……? そうだ、あいつはどこへ行った? 見張らせていたはずだが?」
「え? ああ、あの不機嫌女ならどっか行っちまったよ」
「不機嫌? どうした、ケンカでもしたのか?」
「いや、ケンカというか……」
ヘレナの質問に黙ってしまった。十分にも満たないあの会話で、二人の関係がどこか壊れてしまった気がする。売り言葉に買い言葉とはいえ、タブーを口にしたこっちが全面的に悪いのだがと一機はうなだれる。
「なんというべきか……一線踏み越えてしまったというか過ちを犯してしまったというか」
「一線!? 過ち!?」
「あ、すいませんそんなピンク色の妄想するような意味じゃありませんので」
「じゃあなんなんだ! 前から思っていたが、お前らの関係イマイチよくわからん!」
「関係と言われても……実は俺にもよくわかんない。呉越同舟というか、離れる必要がないからくっついたままというか」
そんな説明ではヘレナの頭に?マークを浮かべるだけである。仕方なしに一機は出会いから今までのことをかいつまんで説明した。
「ふむ……よくわからんが、そのテツデンとかいう遊戯で一緒に遊んでいた仲間ということでいのだな?」
「まあ一応。しかし別に組む必要なかったんだけどねえ。くっついたけど離れるのも面倒だったからそのままズルズル行ったって感じの不思議な仲だったよ」
「? 不思議か? 友達というものではないのか?」
「……いや、俺友達とか持ったことないからわかんね。ヘレナはどうなんだ?」
「え!? あ、私も友達というのはちょっと……」
「何言ってるんだ、グレタとかハンスとかいるだろ」
「グレタは、あいつ子供の頃はともかくあの姿勢いつも崩さんし、ハンスは友達というより弟分で……待て、どうしてお前がハンスを知っている!? 誰から聞いた!?」
「聞いてないよ、あの鎧にハンスってあったじゃん」
「な……!」
カマをかけられたことを知ってヘレナは言葉を失う。
「なるほど、ハンスってのは弟か。俺に着せたのはハンスのお古か?」
「……違う。あれはハンスがそれが着れるほど一人前に成長した時のプレゼントとして作らせたものだ。いなくなってからは手放せずたまに遠征に持っていくのが習慣になってしまっていたんだ。それと、ハンスは実の弟ではない。昔から私が姉代わりとして世話していた奴だ」
「なるほど、お姉さんしかいないって聞いてたから変だと思ったけどそういうこと。それじゃ、俺にあの鎧着せて昔を懐かしんでたのか」
「……すまない。お前を身代わりにさせるような真似をして。でも言わせてくれ、私はお前を本当に一人前の騎士にしようと……」
「ああいいよ、謝んなくて。代用品は慣れてるから」
「……は?」
眉をひそめるヘレナの顔が存外面白くて失笑しつつ、一機は答えた。
「麻紀だよ。あいつにとっての俺って、単なる代用品だったんだろ。――世話してるって幻想抱くための」
「代用……? 誰のだ?」
「多分、あいつのばあちゃんだろ。両親とは仲悪いようだし、そんな話聞いたことある」
もっとも、麻紀は一機以上にプライベートを話したがらない女だったため、数年前に祖母が死んだこと、生前は麻紀が世話をしていたことくらいしか知らないのだが。聞こうとしてもはぐらかされていたし。
兎にも角にも、その祖母が死んで、家族との関係も悪く居場所がない麻紀と、祖父が死んだあと暇を持て余しゲームに熱中した一機が同調したのは事実だろう。偶然出会ってそれをなんとなく察した同士、そんなおかしな連中が不可思議な関係を作り上げた。
一機は麻紀に鉄伝を行える環境を提供し、麻紀は一機をサポートすると同時に家事などを行う。誰にも必要とされてなく、どこにも居場所がない二人が、本当は不要なのに互いと必要とする幻想を抱きたいために作った関係――代用品なのは、お互い様だった。
そんなの両者百も承知で、でもそれを口に出したら壊れて今度こそ二人とも一人ぼっちになるのがわかっていたから、気付かない振りをしていた――そんな脆くていびつで、壊れた不健全な存在が『週末の悪魔』の正体だった。
「あっちにいた頃は互いに距離感掴んでて、地雷踏むような真似はしなかったんだけどな。どーもこっちに来てバタバタしたせいでそこら辺読み間違えたらしい。失敗しちゃったよ」
そうヤレヤレと首を振った。無言のヘレナは話が分かっていないのかもしれない。当然だろう、一機もよく理解できてないのだから。
しかし、ヘレナの言葉は意外にも明瞭だった。
「……一つ聞きたいのだがな」
「? なに?」
「意味や理由がない関係とは、それは」
「あーーーーっ!!」
聞きなれた叫びにヘレナの問いは打ち消された。テントの影からグレタが驚きの顔で現れる。
「一機、貴様どうしてここにいるのです! さては逃亡を謀りましたね!」
「あ、やべっ」
話し込んですっかり目的を忘れてしまっていた。あわててヘレナがフォローに入る。
「違うぞグレタ。一機は逃げようとしたのではない、捕虜として捕まっているマリーを逃がそうとしたのだ」
「ああ、そうですかこれは失礼……なんて言うわけないでしょう! もっと悪いじゃないですか!」
「――あ」
「うおおぉい! 火に油注がないでくれません!?」
かばうどころかより罪状を上げてしまった。間違いではないため弁明しようがないが、剣を抜いて振り上げるのは怖いからやめてほしい。
「一機、貴様という男は……一応助けられたとして即斬首は留まったというのに、やはりその首斬り落とすべきでした! ヘレナ様、ちょっとそいつ押さえててください!」
「――あれ、俺感謝されてるの?」
「え? ――っ! いや、違……っ!」
真っ赤になってしまったグレタは髪の色と意外にマッチして可愛かった。地ならしの巻き添えにしてしまったので恨まれてると一機は思っていたが、どうやら憎悪はそれほどでもないらしい。
「え、ええいやかましい! 笑ってるんじゃありません! ヘレナ様もなんですかにやついて! 私は貴様の首を斬り落とすと……あれ?」
グレタが気付くと、剣がその手からなくなっていた。周囲を三人で見回すが、どこにもない。そうしたら、
「あぎゃ!?」
ドスっと、剣が天から落ちてきて横のテントを突き破った。中から隊員のものかカエルが潰れたような声が。
「……すっぽ抜けたか」
「グ、グレタ、なんて馬鹿なことを!」
「あ、い、いえ、これは一機が変なことを言うから……!」
「つーか、イボガエルの断末魔みたいなの聞こえたけど、誰か剣に刺さったりしてないよな?」
「ええ!?」
グレタとヘレナがあわててテントに飛びこむ。一機も生まれてちょっと経った小鹿のように続いた。すると、
「……あ」
中にいたのは一人。
ほふく前進の要領で這っていたマリーが、眼前より飛来したロングソードの前で硬直してそのまま凍りついた様があった。
「……何してんの、マリー」
「あ、あがが……あの、「ど素人が、ロクな身体検査もしないで」ってあたしを縛ってた縄を切ってこっそり逃げようとしたら、剣が、剣が空から……!」
「なあ、お前の母さん本当は日本出身だったんちゃう? 生きてたら語り合いたかったような」
見ると確かに傍に杭と切られた縄があった。マリーも風呂をのぞこうとした一機と同じく隠していた刃物で切断したのだろう。それ以前に、真横にマリーが捕まっていると知らないであんな会話してたのかと一機は恥ずかしくなった。
「ていうか、何逃げようとしてるんです! さっき貴方「自分は裁きをきちんと受けるので、一機は許してやって」と懇願してたでしょうが!」
「だって、見張りが急にいなくなっちゃって、これはチャンスと思ったらつい……ってああやめて、本人の前で言わないでぇ!」
口が完全に滑ってしまい、今度はマリーが真っ赤になりあわてふためく番だった。一機もこれには仰天する。
「な、お前、なんでそんなことを……」
「……だって、曲がりなりにも助けてもらったわけだし、一族以外の人間ってのは気に入らないけど、『魔神』の雄志見せてくれたから、せめてその恩をと思って……」
「~~~っ、あのなあ、その気持ちは嬉しいけど、元々お前を助けようと苦労したってのに、その本人がくたばっちゃ本末転倒だろうが!」
「何よ、一方的に助けられる身にもなりなさいよ! そんな犠牲にしてもらったら、申し訳ない通り越して気分悪いのよっ!」
「貴方がたそんな言い争ってないで、おとなしく捕まりなさい! 斬首しますよ!」
「グレタ、お前はさっさと剣をしまわんか! 刃先がこっちに……!」
「あ、いた隊長に副長! ご報告が……!」
「「「「やかましいっ!!!!」」」」
テントに入ってきた隊員は四人分の怒声を喰らいひいと涙目になる。哀れ。
「今立てこんでいるんだ、用ならさっさと言え!」
「第一、どうして捕虜がいるのにここは空っぽなんですか! 見張りは!?」
「す、すみません、さっき副長がアマデミアンと変態を探せという指示を受けてみんな出払ってしまったのかと……」
「え? ――しまった、全員に至急と命令したんだった」
「お前の指示が足りなかったのではないか。まったくお前はいつもどこか抜けて――待て、誰を探せだと?」
ヘレナが怪訝な顔をし、グレタに問いかける。
「ああ、そのことを急きょ報告しようとヘレナ様を探していたのですが、一機と一緒にいたので吹っ飛んでしまって……」
「まあ、捕えてたはずの奴が目の前にいたら当然……ん? ちょっと、今なんてった? アマデミアンと変態だと?」
変態は認めたくないが一機だろう。既に親衛隊の中で正式名称化している。しかし、だったらアマデミアンとは誰のことか。
「え? 私はてっきり一機と逃げたとばかり……」
「おいおい、麻紀の奴まだ戻ってないのか!?」
叩きつけられて起きた時にはその場にいなかったが、そのうち戻ってくるとたかをくくっていた一機は動揺した。
「二人一緒にいると思って総出で探させたんですが、まだ見つからないんですか? まさか、峡谷を出た?」
「それはないだろう、出口の方には見張りを配置してあるんだ。この場にいないとしたら内側――峡谷の奥に入ったか?」
「奥ぅ!? こんな夜中にか!? あの馬鹿何考えてんだ、急いで追わないと……うお?」
駆け出そうとしたら、カクンと膝をついた。忘れていたがこの男はまだ回復していません。
「おとなしくしてろお前は。仕方ない、何名か残して麻紀を捜索するぞ」
「しかしヘレナ様、こうも暗くて道が悪いと危険です。夜明けまで待つべきでは?」
「そう待ってもいられまい。もしまた魔獣でも出た際は麻紀一人では危険だ。それに――またこいつが脱走を謀る」
ほふく前進で行こうとしたらバレた。グレタに背中を踏みつけられる。
「行くな、こら! けが人というだけでなく命令違反の罪で拘束されているべき身なの忘れているんですか!」
「ぐぐぐ……くそぅ」
悔しがってもまともに歩けないのではしょうがないのだが、待っているだけなんて精神的にキツイ。どうしたものかと考えを巡らせようとしたら、
ベロ、と顔面を舐められた。
「……またお前か」
先ほどと同じ《マンタ》がすり寄ってきた。ベトベトにされるのももう慣れたものである。良く見れば最初この世界に来た時ぶつかった《マンタ》と同一個体のようだ。
「ずいぶんとその《マンタ》に気に入られたな? 《マンタ》が生物を執拗に舐めるのは親愛の証だぞ?」
「はは、ケダモノに親愛されても嬉しくない――あ、そうだ」
ピンと来て、ゆっくりと立ち上がると《マンタ》の方を向いた。
「おい、まさかその《マンタ》に乗って同行する気か? 勝手なことは許さ――」
ヘレナを無視して、一機は《マンタ》の口を開けさせると、足から身体を突っ込んだ。
胸のあたりまで入ると口を閉めさせ、戦慄する三人をよそに一昔前のロボットアニメに出てきそうな形態になる。
「よし、GO」
「わかった連れて行く! 連れて行くから今すぐ口から出ろ!!」
ヘレナは涙目になっていた。マリーとグレタが一機を引っ張りだす。下半身よだれでベトベトになってしまったが別に噛まれてはいなかった。
「はあ、はあ……ったく、なんという愚かな真似するんですか貴方はっ!」
「あーびっくりしたぁ! わかってたけど、あんたどっかおかしいんじゃないの!?」
「えーだって、《マンタ》っておとなしい草食の生き物なんだろ?」
「だとしても心臓に悪い! お前臆病に見えて実は行き当たりばったりの恐れ知らずだろ!?」
「まさか、俺はそこまで自信過剰じゃないよ。ただ」
「ただ?」
「先を考えるのがめんどくさいだけだ」
「馬鹿じゃん!」
とにかく、この身体を張った脅しが効いて捜索隊に無理やり同行することになった。ついでにマリーも峡谷を案内させるため手錠つきながら参加させた。
首輪はないのか、と質問したらグレタにハイキックかまされたのは蛇足である。
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