Last Esperanzars

Last Esperanzars

後編


 平日だというのに、その店先には人がごった返していた。ほとんど女性。店の看板には『ピアノッシモ』と書かれている。洋菓子店だ。
 人ごみを強引に掻き分け、店の中に入っていく。周りから「なんだこいつは」という視線を浴びるが気にしない。いつものことだ。
 カウンターには店員が忙しそうに受付業務を行っていた。手際はいいのだが、客が多すぎて困惑気味だ。これくらいの人数むしろ少ない方だが、やはり慣れることはないらしい。
 カウンターにいたのは、150cm程度の子供である。その顔からしても良くて中学生で、労働基準法違反として店主が逮捕されるんじゃないかと心配するのが正しい反応だが、問題ない、こいつ実は俺と(多分)同い年だ。
 それ以前に言うべきなのは、短くしたブロンドヘア。髪染めなどでは絶対出せない自然の金髪はさらさらで外国系であることを宣言しているが、肌はそれらしからぬきめ細かさを誇る。ギリシア系で、祖母が日本人のクォーターである利点を顔の美しさで完全に出し切った、まさに全ての女性が羨む美少女……くくく、やべえ笑っちまいそう。
「いらっしゃいま……なんだ、夕か」
「ようライト、やっぱ入ってたか」
「うん、今日高校休みだからね」
 店員が発した声を聞いて、店の比較的外側にいた女性達が?マークを顔に浮かべたような顔をして、また吹きだしそうになる。おおかた、意外と声が低いなとでも思ったんだろ。
 そう、こいつはれっきとした男、パティシエ希望でこのピアノッシモで働いている、アルバイトのガレクソン・A・ディランドゥだ。ライトとはあだ名で、ミドルネームの朝日に由来する。それを言ったら俺だって夕って呼ばれてるもんな。
「相変わらず忙しそうだな。こんなんで修行なんかできんのか?」
「大丈夫だよ、閉店作業後とかしてくれるし、本とかもいっぱい貸してくれるから」
「そりゃ結構なこって。邪魔したな。ちょっと顔見に来ただけだ」
「あ、一緒に帰るよ。今日もうこれで終わりだから。店長、上がりますねー?」
「はーい、お疲れ様……って夕じゃない、一緒に帰るの?」
 店の奥から、朝一緒に朝食をとった牡丹が現れた。この女が超有名店ピアニッシモの店長にしてパティシエなんて、最初は信じられなかったな。あまりに美味くて中毒になるので、保険所が麻薬入りじゃないかと検査に来たほどだ。結局何も出なかったようが、そっちの方が信じられん。
「じゃあライト君、またよろしくね。そうだ夕くん、チョコケーキ持ってく?」
「いや、今日はバイクだから。それじゃライト、外で待ってっから」
「うん、すぐ行く」
 ライトが奥に引っ込んだのと同時に、俺もまた人ごみを掻き分け脱出を試みる。こういうのは普通入るより出るほうが簡単なのだが、いかんせん数が多い上に狭い。むしろ難易度はこっちの方が高かったりする。ぎゅうぎゅう押し潰されながらもなんとか店から出ると、既にライトが店先に出ていた。
「それじゃ帰るか。後ろ乗るか?」
「いいよ、すぐだから」
「そうか? 遠慮するこたないのに」
 まあ俺も男の二人乗りはあんま気が進まないが。そのままバイクを押して歩くことに。
「なあライト、また夏目の奴が来たんだけどさ」
「夏目って、耕哉?」
「そ」
 そう聞いて、困ったような顔をした。三ヶ月前のことは知っているものの、あんまり友人を悪く言われていい気がしないのだろう。とはいえ事情を知ってるからこそ反論できない。悪いのは耕哉であるとわかっているから。
「なんとか許してもらえないかな? 耕哉だって悪気があったわけじゃないし……」
「悪気がなかったらなお悪いっての。それにな、やったことが許せないってのもあるが、うちは客商売なんだ。変な噂とか醜聞は困るんだよ。事実噂が立って客がしばらく減ったし」
「う……ん」
 そのまま何を言えず口ごもってしまった。ライトもかなり微妙な立ち位置なのは把握している。これがどちらかが他人だったらどちらかを擁護することも出来るだろうが、あいにく二人とも親しい仲。友人であるが故互いに言いづらいのだろう。それはわかっているものの、それでも言わなきゃどうにもならない。
「別にあいつと縁を切れって言ってんじゃない。あいつがうちに来ないよう説得してくれないかって言ってるんだ。それぐらいならなんとかなるだろ?」
「でもなあ……耕哉ボクの言うことなんか聞かないもんなあ……」
「はあ……なんでうちに来るんだか……」
「それはイヤガラセでしょ。耕哉そういうの大好きだから」
「……あのクソ野郎」
 頭痛くなってきた。そういやあいつ困惑してるようでどこか楽しそうだったな。人をオモチャ扱いしやがって。
「今度来たらクソミソにしてやる……ところで、ライト」
「ん? な、なに?」
 気を改めてライトに向き直る。様子が変わったことに気付いたのかライトの背筋が伸びる。
「お前さ……まだやってんのか?」
「ま、まだって?」
「――写真」
「あ、ああ今日も一枚……うわっ!?」
 襟首を掴み取って捻り上げ、電話ボックスに押し付ける。これが漫画なら俺の髪の毛は逆立ち燃えるようになっていたことであろう。
「お前なあ……あれほど撮るなと言ったろうが……!」
「そ、そんな、写真撮ってるだけだよボクは?」
「写真撮ってるだけで済む話じゃないだろうが! 明らかにストーカーだぞお前!」
 ストーカーの一言に道行く人が何人か驚いて振り返ったのが分かったが、そんなの構っていられない。事は深刻だった。
 あれは半月ほど前だったか。ライトが憂鬱な顔してるからどうしたのかと聞いてみたら、一目ぼれしたと。びっくりして詳しく話を聞いてみると、どこの誰なのかはさっぱりわからないらしい。ただ街中で偶然目に入り、そのまま恋に落ちたと。随分古風な野郎だ。クォーターのくせにと思いつつ、誰かわからないんじゃどうしようもない、写真でもないのかと質問したら、家に連れてかれて自室に案内された。わけがわからず部屋を開けてみて――絶句した。
 そこにあったのは、女性が写された写真。二十代前半くらいだろうか。流れるような綺麗な黒の長髪に細めの瞳、しかし冷たさはまるでなく優しさを持っており、『大和撫子』を体現しているかのような美女であった。しかし、それはこの際関係ない。問題はこれからだ。
 その写真は、部屋の壁に貼り付けられていた。しかも一枚や二枚ではない、壁一面、いや部屋全体にびっっっしりと覆い尽くすほど貼られていたのだ。360°オール。ホラー映画に出てきそうな気持ち悪い光景だった。ライトの奴、その意中の彼女の通勤経路らしきものは把握したものの、告白する勇気がなくてせめて写真だけでも、とデジカメで撮っているうちにこんなになってしまったらしい。これは明らかにストーカー行為だから止めろと言っても聞きゃしない。どうして東原高校の奴は人間的に問題があるやつばっかりなんだ。
「だからさあ、こんなこと続けてたらいつかお前捕まるぞ? さっさと告白しちまえよ。そうすりゃ万事解決だ」
「そ、そんな、告白だなんて……」
「だったら写真撮るの止めて全部捨てろ!」
「それも無理!」
 必死な姿のライトを見て心の中で毒づく。この馬鹿、自分の行為がわかってないのか恋は盲目という奴か……多分後者だな。どっちにしろこのままでいいわけがない。なんとかしなきゃならんとは思っているんだが、こいつがやらなきゃ意味がない。正直手詰まりだ。
「どうすっか……とりあえず、今日撮った分は消せ」
「ああ! 取らないでよ!」
「うるせっ! いいから消す……ぞ……」
 消去ボタンを押そうとしたが、デジカメに表示されている横顔を見て動きが止まってしまった。その隙にデジカメを奪い返される。しかし俺はまだ渋い顔をしていた。
「う~ん……やっぱそいつどっかで会ったことあるな」
「だから、それじゃどこの誰なのか教えてよ。最初から言ってるじゃない」
「いやな、最初から言ってるように、思い出せないんだよなどうしても……」
 半月前のライトルームでのカミングアウトの一件で部屋一面に貼られていた写真の異様な光景に驚愕しつつ、そこに写されている女性に変なデジャヴを感じていた。一目見たときから、俺はこいつと会ったことがあると確信していたが、いつどこで誰なのかがさっぱりわからない。それでライトに気を揉ませている。
「ホントにわからないの? 会ってるのはわかってるのに」
「だから俺も困ってんだろうが……会ったことあるのは確実なんだが、こう、喉の辺りでつっかえちまってるみたいでな、全然思い出せない」
「せめていつぐらいかわからないの? 何年前とか。子供の頃に会ったのなら、うろ覚えなの当然だし」
「それはないよ」
 鼻で笑った。不思議な顔をされたが仕方ない。そんなのあり得ないからだ。
 そんな昔だとすれば、『あっち』の頃ということになってしまう。その頃女と出会った記憶なんて全然ない。機会もない。会う可能性がゼロならば、無意味な思考だ。
「俺の記憶はいいとしても、写真撮るのはこれで終わりに……と、着いたぞ」
 歩いて話しているうちに、いつの間にか辿りついていた。表札には『富士本家』とある。ライトの自宅だ。
「ああ、それじゃ」
「さっさとケリつけちまえよー……ま、無理かなあれじゃ」
 家に入っていくライトに聞こえぬように一人呟いた。あいつ女癖悪いくせに女に弱いんだから。遊びでしか女と付き合えないんだろうか。
 さて、俺も帰るとするか。ヘルメットを被り、バイクに乗る。バッテリーが残り少ないのを確認して、まあ大丈夫かと走らせようとした。
「よう、シュウ」
「……!?」
 突然後ろから呼ばれて体が固まる。だって、シュウって……。
 振り返ったそこにいたのは、予想通りの人物だった。当たって欲しくなかった。そもそも、俺をシュウと呼ぶ人間なんて限られてるから当たって当然なのだが。
 角切りに頬に一筋の傷、図体もでかいので一見ヤクザに見える、怪しい男。
 しかしその中身はヤクザと全く逆。ヤクザなんて言ったら怒られるわ。
「……お、お久しぶりです。猪田巡査部長……」
「悪いが、もう巡査部長じゃなくて警部補だ。昇進した」
「そ、それはおめでとうございます……」
 やっばい、すっげえ動揺してる。手のひら汗だく。そんな俺を見てニヤニヤ笑ってるしこいつ。
 そう、こいつはこんなんでもれっきとした刑事、生活安全課の猪田剛毅(いのだ ごうき)である。
「久しぶりだな、五年前か最後に会ったの? お前がいなくなって横須賀線を含めた神奈川の電車はずいぶん寂しくなっちまった」
「い、いやだなあ、警察が迷惑望んじゃ……俺はもうとっくに足洗ってカタギになりましたよ。もう年ですし」
「まだ十八だろ? 何が年だか……」
 平静を装うのが精一杯だ。足が震えそうなのを何とかこらえて笑顔を作っている。
 まずい。こいつにバレるのだけは。こいつからあいつに聞き及ぶことがあったりしたら、俺は、俺は……!
「……ま、足洗ったならいいんだ」
「……へ?」
 多分今の俺の顔は相当間抜けだったろう。唖然としていた。なんてアッサリなんだ。
「ちょっと顔を見たくなっただけだ。別に用はない。それじゃ、日暮れる前に帰れよ」
 とだけ言って、そのままスタスタ帰っていった。やがて完全に姿が見えなくなったら、へなへなと崩れ落ちていきバイクを倒しそうになる。
「……なんなんだありゃ」
 一気に脱力した。冷や汗が数年分使い切ったんじゃないかと流れ落ちているがその時初めて分かった。
 危なかった。考えてみたら同じ市に住んでいるのだから会えて当然だが、とっくに転勤してるものと割り切っていた。まさかご健在とは。
 とにかく、あいつと茜は会わせないようにしないと。会ったら一巻の終わりだ。
「ふう……ん? 曇ってきたな……雨降るかな? 聞いてみるか」
 いつの間にか雲が増えてきた空を見て、予報を聴くことにした。携帯電話を胸ポケットから取り出して、177を押す。いつも通りの機械の声が流れてくる。
「……何とか大丈夫そうか? 20%は微妙だな……が!?」
 突然声の変わりに激しいノイズが流れてきて、顔をしかめる。それと同時に、外からジェット機のような爆音がしてきた。いや、ジェット機ではない。
「……あいつか」
 曇り空の下を、ADが空戦ようブースターをつけて飛行していた。ADの動力源であるネオ・メテオエンジンは機動の際特殊な磁場を発生させ、ほとんどの電波通信などを妨害してしまうので、一時的に携帯等の無線通信が困難、もしくは不可能になってしまうのだ。
「…………」
 傍の電柱を仰ぎ見る。携帯用の小型電波等が立っている。二つ飛ばして他の電柱にもてんてんとある。これぐらいないと携帯なんぞまともに使えないのだ。町には絶滅したはずの電話ボックスも復活した。グローバル社会の地盤たる高度なネットワークはエンジン一基でほとんど壊滅した。と言っても有線には関係ないのでインターネットは未だに行き続けているが、大災害とも相まって二十一世紀初頭ほどの繋がりは存在しない。レーザー通信施設などもあるが、ほとんど軍事用で民間に使用されている例はない。
「……くそっ」
 ――あんなの、いらないのに……。
 空のかなたに消えていったADの行った先を、怒りを込めて睨み続けていた。そのまま空を仰ぎ見る。
「……狭いな、世界」
 手の中の携帯からは、回復したのか予報が何事もなかったかのように流れていた。

「……おーい、茜ー」
「ん?」
 バイクを停め、後ろから剣道着姿で通学路を歩く女に声をかけた。無論ナンパではない。
 振り返ったときにポニーテールが揺れ、紅く染まりつつあるなか黒髪が光を反射しキラキラ光った。ポニーテールが完全に後ろに行き見えるようになった整った顔に少し不釣合いなくらい大きなの光を宿した黒い瞳に自分の姿が映り、一瞬どっきりする。
「あれ? 何してんのこんなところで。番台は?」
「凪に任せてある。ちょっとだけだ安心しろ。帰りか?」
「ああ、今日は部室の改装工事があるから……ちょっと待ってて」
 バイクに乗ることにしたんだろう。一緒に帰路についていた三人の友人にごめんと声をかけている。少しして戻ってきた。
「お待たせ」
「あいよ。ほれメット」
「はい。それじゃ出発して」
 ヘルメットを被ると早々と乗り移った。早いなさすがに。剣道部部長の名は伊達じゃないか。……身を持って知ってるけど。
「しっかり捕まってろよ、茜」
「誰に向かって口聞いてんのよ、弟のクセに」
「……はいはい」
 腹にきついくらいの茜の腕力を確認したところで、バイクを発進させた。
 こいつの名は神無茜(かみなし あかね)。神無家の長女にして、あの凪の娘である。

 神無湯は十時くらいに閉店する。実際はちょっと遅れた客でも凪が入れちまうからいい加減なもんだが、一応そういうことに決まっている。七時ぐらいに番台を茜に代わって晩飯を作り、出来たら茜と交代して茜たちが晩飯を食ってる間番台を受け持ち、閉店したら掃除とかを茜と凪に任せて晩飯を食う。これが神無湯のローテーションである。まあ客がいなければ番台カラにしてそのまま三人で食うのだが。今日はあいにく客が途切れなかったため晩は十時ごろになった。茜と凪は掃除中である。
「さてと、行くか……ちょっと出かけてくる」
 晩を済ませた後、掃除中の二人に聞こえるように浴室の前で声をかける。女湯のほうからタイルを踏みつけるかのように歩く音が聞こえる。誰か考えるまでもない。
「ちょっと! また夜遊び!?」
 早朝の俺のようにデッキブラシ片手に射るような目で睨みつけてくる。怯みそうになるが恐れてはいけない。ここで負けると終わりだ。
「夜遊びじゃない。ちょっと散歩するだけだ」
「なにが散歩よ! ここんとこずっとじゃない! たたでさえゲルダーとかバイキングとか物騒なのに、なんでわざわざ……!」
「……だからだよ」
「はあ!?」
 全く理解できないらしく、眉をさらにひそめて怒る。元々綺麗に整った顔をしている。怒ったらこれほど怖いものはない。
「とにかく行って来る。そんなには遅くならないから」
「そんなにって、いっつも深夜帰りじゃない! あんたどういうつもりでって痛っ!?」
 立ち去ろうとして振り返ったら、後ろから思いっきり打ちつけたような音がした。茜がすべって転んで下の床板に頭でも打ったのだろう。これ幸いにと走る。
「あ! こら待ちなさい!」
 制止の声を聞こえない振りをして、そのまま玄関を出てバイクに乗り込んだ。行き先は決まっている。

 ――同日 某所
「……ずいぶん不確定要素の強い計画ですね。こんなの上手く行くんですか?」
 薄暗いオフィスの一室の中、デスクに座っている男は片眼鏡をかけ直した。傍らにはシルクハットが置かれている。ゲルマン系だろうか、黒髪に碧眼の彫りの深い顔をしている。
「大丈夫さ、もしダメでも、運がなかったってこと。そんな奴最初から使いようがないだろ? なあ、アル」
 デスクの横にいる男が笑いかけた。四十代くらいだろうか。東洋系のようだが、顔を半分以上コートのフードで隠しているので全体的な容姿は分からない。
「貴方の推薦ならば信用していますが、しかし、八年間も会っていないのでしょう? 錆付いてないんですか?」
「錆付いてるどころか、もう完全に死に体だろうな」
 くくく、と笑いながらの言葉に、アルと呼ばれた男は「え?」とびっくりしたような顔をした。コートの男は様子があまりにおかしかったのか、吹き出しそうになっている。からかわれたと気付いたアルは憮然とした顔を返す。「まあ、そう怒るな」とコートの男は笑いながら言う。
「だからこそ落とすんだろうが。死人を生き返らせるなんて大層なことすんだから、劇的でなきゃ。それぐらいしないとできっこない。それに、こういうのは格好が第一だからな。そうだろう?」
 アルには最後の言葉の意味が分からず呆けたような顔をしたが、コートの男は最初から見ていなかった。アルに大して発した言葉ではなかったようだ。
 そのまま窓のほうへ行き、外で煌々と光るネオンを覗き見た。強すぎる光に目を細めるかのように、じっと。
「……久しぶりのプレゼントだ。ちゃんと受け取ってくれよ? なあ、……」
 最後の一言は、言葉にならなかった。

 ――同日 東京 PM11:30
「……寒っ」
 厚手の黒コートでも寒さを完全には防げず、フードも被ることに。やっぱり屋外はきついな。しかも十階建てビル屋上。
 今俺は、東京のど真ん中に来ていた。昔はネオンが絶えず輝き眠らない町と呼ばれた東京は、今は見る影もない。光など星と月しか存在せず、眠るどころか生きている者すらいない。永眠してる奴なら皮と骨だけのがゴロゴロしているが。コンクリートジャングルは崩れ去り、第二の夢の島と化した。
 これが八年前の『東京戦争』の成れの果てである。かつての首都はその光を失い、ここにあるのは消え去った栄光の亡霊のみ。ネオンに集まってきた夜光虫たちも今はなく、被災難民や不良も近寄らない墓場である。都全体がこの有様だ。狭い日本にしては土地の無駄遣いだな。まあ、このコンクリートの山をどうやって廃棄すればいいのかって問題あるからだろうけど。
 どうしてこんな場所にいるかというと、妙に落ち着くからだ。何も無いはずのこの廃墟に一人佇むと、荒れてた心も自然と凪ぐんだ。どうしてだかわからないが。
 ――いや、分かりきっているな。死人は墓場にいるのが常道、だからか。
 正直、俺には銭湯なんかよりこんな廃墟がふさわしい、そう思ってる面がある。別にあそこの生活が嫌いなわけではないが、『違う』と言う意識が、偽りであると言う感覚が抜け切らないのだ。――実際そうだけど。
 生きていない死人のくせに、現世を漂う亡霊……その言葉が一番ふさわしいのかもしれない、俺には。だとすれば、この町で感じる安堵感は、『仲間意識』が生み出すものか。はは……自嘲の笑いが零れる。
 ふと、空に手を伸ばてみる。
「……届きゃしねえ」
 手が届きそうなのに、星は全然掴めない。相変わらず。
 しかし、星は本当にあるのだろうか? ふとそんな疑問が生まれてから、心の奥にくすぶって消えることはない。
 ひょっとしたら、あそこに星なんかなくて、ただカラッポなだけかもしれない。そのままはあんまり寂しいから、俺が勝手に見ている幻覚かもしれない。
 だとしたら、空は、世界は――なんと狭いのだろう。なんと空虚なのだろう。かつて感じた広さは、雄大さは、もう微塵を感じられなくなってしまっていた。八年前のあの日、俺の世界は消失した。
「……もー嫌」
 目を瞑る。今日はここで寝たくなった。寒いのはこの程度なら気にならないし。茜になんか言われるだろうけど、知るもんか。一夜でいいからこの墓場で寝たい。亡霊らしく、ね。
 しかし、そんなほんのちょっとの願いすら妨げられた。ジェット機のような低い音が耳に入ってきた。
「ん……?」
 ジェット機、と頭で音の正体を推測して、途端に機嫌が悪くなる。昼間のADを思い出した。ああ、もう。せっかく気が晴れてきたのに……!
 そんなこと考えていたら、音がどんどん大きくなってきた。近付いてくる?
 起き上がってみたら、目の前から赤く燃えた飛行機が突っ込んできた。
「う、うわっ!」
 とっさにしゃがむと、スレスレで回避して飛行機は行ってしまい、そのままビルに衝突して落ちていった。
「な、なんだよあれ……驚いたあ……」
 危ないところだった。あと少しで命中しているところだ。なんだろうあの飛行機は。AD用の小型輸送機みたいだったが。尾翼が燃えてたけど、事故でもあったか?
「……行ってみっか」
 さっきまでの感傷は全て消え去り、野次馬根性しかが自分の中になかった。

「うひゃあ、ひどいもんだ……火は鎮火したみたいだけど」
 衝突したビルに近付いていくほど、惨状がより把握できた。AD用の全高15mレベルの小型輸送機は隣接するビルに尾翼をぶつけながら、大会社が偉ぶって馬鹿みたく大きく建てた巨大なビルのエントランスに雪崩れ込みんで床を引きずってコンクリートを剥き出しにして柱壊してetc……とにかく滅茶苦茶である。これじゃ搭乗員も即死だろう。脱出しただろうけど。
「何運んでたんだろ。ちょっと見て見るか」
 もうここまで来たら、である。輸送機が何を運んでいたのか無性に気になった。AD用輸送機なんだからADだろうが、わざわざ東京上空を、(他に近付く機も見えないから)僚機もなく飛行しているなんておかしい。明らかに極秘輸送。目立つのを恐れて危険を顧みないででも運びたかったなんて、中身は恐らく最新鋭機か秘密兵器のはず。ADなんて興味ないが、普通のじゃない極秘兵器なら別だ。面白そうじゃないか。
 輸送機に飛び上がり、後部ハッチを開く。おお、機能は生きてる。コンテナも無事っぽい。ずいぶん頑丈じゃないか、こりゃよっぽど大事な兵器だな。
 コンテナの前に出る。開閉レバーを探し当て、開くほうへ下げると、ゆっくりとコンテナが開いていく。
「さてと、どんな秘密兵器かごたい……めん……」
 言葉を失った。
「え……?」
 ドクン。
「なんだよ、これ……」
 開かれたコンテナから姿を現した“それ”に、愕然となる。
 ドクン。
 光がほとんどない闇の中、空虚とすら呼んだ墓場の中に、“それ”は確かに存在していた。
「……嘘だろ?」
 ドクン。
 存在は確かなものの、そうだと認識することは非常に困難、いや不可能だった。そんな馬鹿な、そんなことあるはずがない。あれが、あいつが、こんなところにいるなんて……!
 ドクン。
 俗にアーミーグリーンと呼ばれる迷彩色。永遠に回り続ける輪の如き履帯、そして巨大な砲身……。
「まさか……そんな……」
 ――どうだ? すげえだろ? こいつが、俺達の新しい相棒になるんだぜ……。
 ドクン。
 子供のような声が蘇る。煙草くさい息も、うっとうしい無精ひげも……。
「……ケンタ、ウロス……」
 かつて夢見た光。歴史の流れに消え去り、俺自身も忘れかけていた亡霊……いや、
 こいつは、存在している。今、ここに。
 ドクン、ドクン、ドクンドクンドクンドクン……。
 鼓動が響いているがその時初めてわかった。今まで、この八年間止まっていたかのように、それを取り戻さんとばかりに強く、激しく……。
 蘇った。そう、わかった。

 ――四月二十一日 早朝
「ふああ……おはよ黄昏……って何してんのあんた」
 これで三日目。わかってはいるものの、その異様さにはついこう言ってしまう。言うしかないじゃない。
「おはよう茜。今日は登校日だっけ?」
 テーブルに座ってこっちを見もしないで新聞に釘付けになっている。舐めるように、とはこういうものだろう。一言一句記憶するかのように読んでいる。それも十分異様だけど、もっとおかしいのが他にある。
「ええ、第三土曜日だから……そんなことはいいの。あんたここ二、三日変だよ?」
「そうか?」
「そうよ。なんで新聞も週刊誌も漫画雑誌すらあるもの全部買い込んで読みながら、テレビチャンネルある所秒単位で回しながら見てんのよ」
「……おかしい?」
「ものすごく!」
 今テーブルは黄昏が買い込んだ新聞や雑誌で埋まっていた。おまけにテレビは黄昏が持っているリモコンでチャンネルが点滅しているみたいに変えられていく。目がチカチカして痛い。
 十九日の朝からこうだ。新聞は夕刊も買って読むし、雑誌は二十日発売のもの全部。父さんも牡丹さん(伯母様って呼ぶと笑顔で怒るのよあの人)もその鬼気迫る様子にただならぬものを感じて何も言わないからわたしが言うしかない。
「何があったの? 新聞なんか全然読んだことなかったのに、この二日で人が変わったみたいに」
「人が変わった……ね、確かにそうかもな」
「え?」
 一瞬新聞をめくる手を止めて、うっすらと微笑んだ。言葉の意味がよくわからなかった。変わったとはどういうこと?
「……あんた……やっぱり……」
「……全然載ってないなやっぱ。こうなると、事故と考えるほうが不適切か……」
「……はい?」
 近寄っていた顔が止まる。
「ん……? うわあ!?」
 わたしに気付いた黄昏が、真っ赤になって突き飛ばした。いつまにか、数センチのところまで接近していた。
「な……何してんだお前!?」
「痛ったあ……何してんのはこっちのセリフ! あんたここんとこどうかしちゃったんじゃないの!?」
「どうかって……ああ、なんだ。ところで茜、学校行かなくていいのか?」
「え……ああ!?」
 いつの間にか登校時間になっていた。このままだと遅刻するぅ!
「え、ええと、ご飯!」
「そこにパンあるだろ」
「制服は!?」
「ブレザーならアイロンかけてハンガーにかかってる」
「あんたホントに主夫だよね!」
「余計なお世話だ! さっさと行け!」
 ドタバタしながら登校準備を整える。なんか黄昏が脱力したようにため息ついたけど、構っていられない。
「行ってきます!」
「行ってらっしゃい……ほんとV2ロケットみたいな女だな……が!?」
 無礼な発言をした黄昏を鉄拳制裁して、わたしは高校に走っていった。

 ――同日 PM10:58 東京湾海底
 奇妙な仕事だ。俺――ロゼルガ・オブ・ブラッドマニアは、一人幾度となく呟いた言葉をまた発した。
 今回の仕事は、不可解な点がやたら多かった。本当なら断りたいところだが、SOFに所属している以上、アルセーヌの依頼は絶対とはいえないが、ほとんどそうだと言っても過言ではないからな。
 そもそも、フリーの傭兵をしていた俺にSOF――ソルジャーオブフォーチュンが接触してきたのは、五年ほど前のことだったか。依頼と称して、シルクハットと片眼鏡のタキシード姿の男が現れたんだ。Mr.アルセーヌと名乗ったそいつは、SOFに属して仕事をする代わりに、資金と武器を与えるがどうだと交渉してきた。つまり引き抜きだな。あまり乗り気ではなかったが、メリットも多いし別に問題ないかとOKした。確かに最新鋭のADなど武器は差し支えないが、こういうところで融通が利かないのが問題点だ。
 SOFという組織の名は、フリーランスの頃から噂には耳にしていた。武器商人と傭兵の人材派遣会社が一つになったような世界的結社があると。SFの領域だと話を聞いた時は鼻で笑ったが、まさか実在していたとは。しかし、中に入ってみて分かったが、傭兵の名は不釣合いなほど巨大な組織だ。各国にパイプを持っているだけでなく、独自に兵器を開発する技術力と工業力を持っている。表向き存在しない『闇の軍事国家』とも言えるその規模は、俺自身も把握し切れてない。情報管理が徹底していて、五年も働いているのに末端以外に接触したSOFはアルセーヌだけだ。完全に信用できる組織ではないが、利用する分には問題ない、それがSOFという組織だ。俺にとってのな。
「……あのー……」
 ふと、考え込んでいたら声をかけられた。見てみると、海自の制服を着た二十代くらいの男が目の前に立っていた。いや、そういう言い方は不敬か。実際こいつは海上自衛軍の軍人だ。表向きは。
「……ん? どうかしたのか?」
 考え事から抜け切れてない間抜けな返事をすると、そばかすだらけの顔を困ったように歪めた。
「いや、その……「指定海域まで来たら起こしてくれ」と言われていたので……」
 おっかなびっくり、とは今の彼のようなのを指すのだろう。何かまずいことでもしたのだろうか、と震えている。任務の内容は聞いていないはずだが、自分がプロの傭兵であることくらいは耳にしているはずだ。機嫌を損ねたら殺される。普通の人間のならそれが正常だが、仮にもSOFの一員がこれでいいのだろうか。おおかた、金になびいたタイプだろう。自分がどういった仕事をするのか考えもせずに。
 関係ないか、と思考を断ち切った。この男の考えなど気にする必要はない。ただこの瞬間に自分とドラゴンブラッドの輸送をするタクシー程度の関係でしかないのに、どうかしていたようだ。
「……そうか」
 何の感情もなく告げたので、ますますそばかすの男は怯えてしまった。どうでもいい。この男一人がどうなろうが、潜水艦は動く。
 今、俺は海自所有のAD輸送潜水艦の中にいた。
 普段はこんなもの使わず、一人で現地に赴くのだが、依頼の内容が『墜落した輸送艇が運んでいた試作戦車の回収、及び破壊』で、場所が大陸ならともかく島国の日本ではどうしようもない。ロシアから氷結した津軽海峡を渡る手もあるが、北海道撤退戦で北海道全域がロシアの支配下に入ってからあの周辺の警戒は厳重なので、よほど裏工作をせねば不可能だ。急ぎの仕事だったので、そんな暇はなかった。そもそも場所が東京ではその手は使えない。
 ブリッジに入る。艦長以下隊員全員が苦虫を噛み潰したような目で見てきた。
「ご苦労様です」
「……いえ」
 感謝の言葉も気に食わないらしく、顔はそのままで返事を返してきた。仕方がないかもしれん。何の説明もなく朝鮮辺りまで呼ばれてただ「運べ」では腹に据えかねるものもあるだろう。いくら中国政府も今は平静が第一なのを承知しているとはいえ、一触即発なのは変わりない。しかも身内で根回しは済んでいるとはいえわけのわからん航路を通っている潜水艦を怪しむ海自艦が出るとも限らない。そんな危険を冒してする仕事が運び屋では、身に合わないと考えるのが自然か。
 しかし、それがどうしたと言うのだ。雇われの兵ならともかく、金で魂と身内を売った軍人崩れが命令に文句をつける権利などありはしない。
 そこまで考えて、やはり無意味な思考だと思い直して止める。どうも今日は調子が悪いようだ。
「では、予定通りポットを射出してください。終わったら通信しますので気付かれないように深度を取って待っているように」
「……わかってる」
 要するに、帰りの足がなくなるから撃沈されないに引っ込んでろってことだろ……と思っているのがだいたいわかった。分かってるのならば問題はない。ブリッジから出て、射出ポットの中に入ることにした。

「……東京都全体とはいい加減だ。もう少し範囲を狭められなかったのか?」
 車を一旦止め、コートの胸ポケットから地図を見直す。十年位前の地図だ。今の東京の地図なんか誰も入らないので存在しない。空自が騒がしい時期に航空写真が撮れるはずもなく、ネオ・メテオエンジンのせいで監視衛星のみならず人工衛星のほとんどがスペースデブリになった今の時代には残念ながらこれしか方法がない。気長に隠密に丁寧に探すには規模が広大すぎる。とても一人では無理だ。
 ――もっとも、そんなことはあっちも承知の上だろうがな。
 アルセーヌも馬鹿ではない。普通ならばもっと大人数を呼んでのローラー作戦を展開するはずだ。一人にやらせるなど狂気の沙汰。しかもわざわざ試作ADまで提供するとはどういうことだ? 目標は十年近く前に作られた超巨大戦車。スペックを見たところその巨体は確かに驚異的だが、だからと言ってADなんて巨大で目立つものを出すとは。携帯兵器で十分ではないか。こんな無茶苦茶な仕事、やはり蹴るべきだったか。と、また必要のないことを考え込んでいた。もう遅い。既に仕事は始まっている。今更というやつだ。
「……らちが明かんな。空気でも吸うか」
 車――いや、そう呼ぶのは間違いか?――を出て、外をぷらりと歩く。そのままポケットからシガレットケースとライターを取り出して、新品のタバコ一本に火をつける。
「ふう……」
 天を仰ぎながら吐き出したので、空が灰色に染まる。灰色でない空のほうが見ていない気がするな。
 何かに固執するのは阿呆のすることだ――とは教官の弁だったか。考えを捨て、その場に対応できるようになれ、といつも聞かされていた。
 教官からすれば、俺は失格だろう。いつまで経ってもこいつから離れることが出来ない。ふと暇があれば吸っている。唾液で個人が特定できる現代、ポイ捨てなんて愚かな真似はしないが、余計なものをと言うだろう教官は。生きていればの話だが。
 どうしてタバコが止められないのか皆目見当がつかない。別に美味いと感じているわけでもない、数日吸わなくても支障をきたすこともない。ではどうして? いくらか考えたことがあるが結局答えは見つかっていない。考えようとしても頭の中にタバコの煙がかかったようにもやがあったどうにもならず、そもそも余計な思考だと思考停止するので長く続かないのだ。
「まったく、無様なものだ……」
 タバコを携帯灰皿に入れてから、新しいのに火をつけようとポケットからまたケースとライターを取り出す。
「ん?」
「え?」
 突然後ろから声がした。
 振り返ってみると、そこには少年がいた。十代ぐらいだろうか。夜中に一人で歩いていた。こんなところで何をしているんだ。
「…………」
「…………」
 しかし、すぐにそんなことどうでも良くなった。ただ何も考えもせずシガレットケースとタバコを捨て、
 銃を取り出し、少年に向けた。あっちも同じ行動を取った。

 そこに行ったのは偶然だった。
 だいたい修理を終え――と言っても、ほとんど手を加える必要なんて無かったけど――、あとは機動実験のみというところだったので、気分が良くなって外に出ようかな、と思っただけだった。
 機嫌が良すぎるくらい、妙にハイテンションなのを自覚していたが、どうにも止められず、止める理由も無いのでそのままルンルン気分で当ても無く歩いていた。
 と、ふと目にすると、目の前の路地に男が立っていた。暗くてよくわからないが、二十代くらいだろうか。こんな夜中に廃墟なんかで何を――と自分を棚に上げて考えていた。
 しかし、すぐにそんなことどうでも良くなった。
 腰に刺してあった拳銃を引き抜くと、その男に向けた。その男も同じことをした。
 発砲。

「……ぐっ!?」
「うおっと!?」
 二人同時に放たれた弾丸は、相手の頭部に命中する軌道だった。
 が、両者ともにギリギリで回避。ビルの壁に隠れる。まるで鏡でも見ているかのように、二人の動きは揃っていた。
 それ以外にも、二人には共通点があった。一つは、互いにどうして撃ったのかわからないこと。考えて撃ったわけではない。自動的に、反射的に撃ったのだ。理由も意味も無い。
 そしてもう一つ、今二人には――
 ――殺す! あいつを、絶対に……!
 ――相手への殺意しかなかったこと。初めて会った相手を『殺す』ことを何の違和感も無く考えていたのである。傍から見ると異様であるが、当人達からすれば当然のことだった。一目見たときから、あいつは殺さねばならない、そう思ったのである。
 ガァン! ガガァン!
 また発砲。彼らはもう自分が何をしていたのか、何をしているのかすらよく分かっていない。
 ただあるのは、相手への純粋な、『殺意』のみであった。

「はあ……はあ……はあ……」
 弾が切れた。弾倉を抜いて新しいのを装弾する。遊底を歯で引いて弾を込めた。オートマはこの動作がいちいち面倒だ。ジャムることもよくあるし安定性がない。リボルバーのほうがはるかに安心して使える。しかし、こんな乱射戦では弾数が多いほうがいいだろう。
 ――しかし、誰なんだあいつ――!?
 そこに来て初めて、自分が全然知らない手と銃撃戦をしていると気がついた。それは通常の戦闘ならばむしろ当然だが、ここは戦場ではなくただの廃墟。しかも戦時中でも無いし、危害を加えられたわけでもない。見ず知らずの人間と戦う理由なんて存在しない。
 にもかかわらず、そうと考えていながら、俺の頭の中は「あいつをどう殺すか?」これだけだった。どうやって殺せばいい。あいつも相当な手慣れだ。普通にやったら持久戦になる。武器は輸送機に積まれていたのならだいぶあるが、携帯しているのはこのオートマチック一丁、弾倉も心ともない。あいつが誰だか知らんが、銃持ってこんなところに来るなんてまともな奴じゃあるまい。アレを運んできた輸送機と関係してる可能性が高い。仲間がいるかはわからないが、だとしてもそれなりに準備しているだろう。結構危険な状況だ。
 武器を取りに行こうと下手に後ろを向けたら即やられる。かと言って特攻なんてしたら一瞬であの世だろう確実に。しかし、このままだとまずい。正直手詰まりだ。
 と、してたら突如あいつが背を向けて走っていった。どういうつもりだ? この状況下で後ろを見せるなんて自殺行為だ。発砲しようとしたが、すぐに路地に隠れて行ってしまった。
「どこ行きやがった……」
 路地を出て、さっきまであの男がいた位置に来る。まさか待ち伏せではあるまい。そんな見え見えでわざとらしい手段を使う相手とは思えない。
「ん? これは……」
 足に何か当たったような感じがした。よく見ると、何か落ちている。
「……シガレットケースに、ライター……? なんか高そうな代物だな。オーダーメイドの特注品か? あれ? 何か書いてある」
 ライターの底に文字が刻まれているのがわかった。読んでみると、
「……ロ、ゼ、ルガ……ロゼルガか」
 名前か? こんな身元が判明しそうなものを持っているなんて、実は大した奴じゃ……!?
「な、何の音だ!?」
 突如F1カーのようなタイヤの轟音が辺りに響いた。 F1? 馬鹿か、こんなところにF1があるか!
 音がどんどん接近してくる。音源に銃を向けて構えていると、やがて前の交差点から音源の正体が現れた。
「んな……!?」
 そこにあったのは、漆黒の巨大な人、いや、そうじゃない。人型の、3mくらいのロボット。足にはタイヤが。さっきの音はこいつか。
「AD……いや、パワードスーツか!?」
 驚く間も与えず、パワードスーツが持っていた銃をこちらに向けた。

「……ちい、外した!」
 新型パワードスーツ、コアドールのコクピットの中で一人呻いた。1回限りの必殺だったにも関わらず外された。マシンガンから逃げるとは恐るべき反射神経だ。やはり、ただ者ではない。
 正直、手詰まりを感じていた。単独の仕事だったので武器は持ってきていたが、それらはほとんど車に置いてきていた。手持ちの武器はオートマチック一丁だけ。相手の武器は不明のままの状況では手厳しい。ならば、確実に仕留める為に車に戻ったのだ。
 これならもうほぼ問題ない――車の、コアドールの中で一人薄笑いを浮かべる。
 コアドールは車に変形可能の特殊なパワードスーツだ。表面はただのスポーツカーだが、中身はSOF最新鋭の白兵戦用兵器。まだ試作段階で実験がわりだが、SOFはこういうものを提供してくるからいい。
「……くぅ、想像以上に道路の破損が激しいな。速度が殺される……どこ行った」
 マシンガンを避けた後ビルの狭間に飛び込んでから姿が見えない。それほど遠くに行ったとは思えないが、最初の一撃が外された以上、次に出てくるときは破壊できる兵器を持ってくるはず。コアドールが強固とはいえ、対歩兵戦闘用の機体だ。対戦車ミサイルでも撃ち込まれたら大破は免れない。一発で決められなかったのが残念だ。
 ――なんで、ここまで意地になって殺そうとしているんだ?
 そのとき初めて、この戦闘の意味を考え出した。別に殺す理由があるか。ただ単に居合わせただけで発砲、そしてコアドールを使ってまで意地でも殺そうとしている。何故だ? どうしてそこまであの男にこだわる。
 そこまで考えたが、すぐに打ち消した。意味が無い。とりあえず、あの男を殺せばいい。それだけだ。
 カメラを回し、全センサーをフル機動させる。
「さあ、どう出る……?」
 妙な感じだ。唇が異様に乾いている。全身が火が出るように熱く、鼓動が激しい。
 どうしたんだ、俺は――? 自分の異常な状態がまるでわからず、戸惑っていた。
 同時に何か、大事なことを忘れているような気がした。コアドールを走らせながら、思考を開始する。
 何を忘れた。今やるべきことは、あの男を殺すこと。そうだ。――いや、違わないか? 何故俺はここにいる。どうして――戦――車?
「……!?」
 ゾクッと、全身の熱が一瞬にして奪われたような寒気が走り、急制動をかけ停止する。
 その瞬間、今通り過ぎる場所に一筋の光が走り、爆音が響いた。

「……ちぃ、あれを避けるとは、おっそろしい奴だよ……」
 そう言いながら、どこか楽しそうなのを自覚していた。当たってもらっちゃ困る。それじゃ面白くない。
「――面白くない? 何考えてんだ俺は。楽しんじゃダメだろ」
 モニターと計器に囲まれた狭い操縦席の中で、一人ごちた。
 バイザーをかけ直す。外されたけど、想定範囲内だ。試し撃ちもしてないのがそう当たるはずない。今のでだいたい癖はわかった。後は、俺の勘がものを言うってもんだ。
 再び両脇の操縦桿に手をかける。OK、動かすのも初めてだし、こんな操縦桿使ったこと無いが、このバイザーさえありゃ考えるだけで操作は出来る。この点は認める必要があるな。嫌だけど。
「ふん……」
 さっき拾ったタバコを咥え、火をつける。そのまま天を見上げるかのように上を向く。
 狭い操縦席の中を、タバコの煙が充満していく。同時に、ヤニが喉から胃に落ち込んでいく。不思議な懐かしさを覚えた。あれほど毛嫌いしていたタバコが、今は長い間慣れ親しんだ親友のように感じる。似ているからだろうか。八年前まで自己の体臭より嗅ぎ慣れていた、硝煙の臭さに。
 ――還ってきた。
 心から、そう思う。そうだ、俺は還ってきたんだ、この場所に。
 一昨日までの自分を嘲笑いたくなる。世界が狭い? 当然じゃないか。俺にとって世界とは矮小なもの、この、狭っ苦しい閉ざされた操縦席だけだ――!
「……ネオ・メテオエンジン出力最大、計器確認……!」
 逸る声を押さえながら指令をかける。こいつは操縦者の音声伝達によって運用することも出来る。
 静かなエンジン音が操縦席内部に響く。こいつの、この戦車のアーミーグリーンの肢体が脈動しているのがわかる。
 驚いたもんさ、こいつが輸送機から出てきたときは。八年以上前に笑った戦車が、ここにあるなんて、ってな。
 だって、『全高8mの超巨大戦車』だぜ? こんないかれたもん、誰が信じるかってんだ。ま、本当にいかれてるのはそこじゃないんだけどね……。
 俺が亡霊なら、こいつも亡霊だろう。今や戦車なんてADに押されてほとんど姿を消している。数年すれば戦場から完全に消失するだろう。歴史から、世界から不要の烙印を押された、薄汚れた亡霊――。
 しかし、こいつは今ここにある。そして、俺はこいつに乗っている。
 それが何を意味するか。運命などではあるまい。まるで下手糞な演劇でも見ているようにわざとらしい。どっかの馬鹿の笑い声が耳から離れない。
 そんなことはどうでもいい。心底どうでもいい。ここにある。それだけで十分だ。
 そして今、目の前には敵がいる。倒すべき敵が。
 ならばどうするか、答えはたった一つしかない。何せ――
「ケンタウロス――いいや、その名前は不敬か、こいつは――」
 その時、昔の記憶が蘇る。見せられたきったない絵。馬の化け物の絵かと思ったら、故郷の伝説の獣の絵だなんて言われて呆気に取られたら殴られた。勝利を約束する、四霊の神獣……。
「……決定だな。こいつは――!」
 そこで、コンソールが全ての回路の検索を終了したと告げた。結果はオールグリーン。よし、問題なし。
 アクセルに足を掛け、踏みつける準備は完了した。
 これで出れる。いや、還れる。
 あの場所へ――。
「蚩尤(しゆう)、出させてもらう! 駆けろ麒麟!」
 全力でこいつを――麒麟を発進させた。戦場へ向かうために。
 八年の時間を経て、俺は――蚩尤は還ってきた――。

 ――四月二十二日。
 この日、時は違えど、三つの出会いがあった。
 その出会いは、この後の歴史を大きく変える、運命的な出会いだった。
 全ては新たなる神を称えるエヴァンゲリオン――福音書のままに。
 しかし――
 ――後に、後世の歴史書に、ギカンドマキア~巨人達の遊戯と呼ばれる戦争において、
 神無黄昏、いや、戦士蚩尤と、麒麟と名づけられし巨大な戦車が記録されることはない――

 GIGANTOMACHIA~巨神戦車・駆け抜ける咆哮
 第一話・地より這い出し亡霊



 ――NEXT
「よし、だいたいクセは把握したな……APFSDS (Armor Piercing Fin Stabilized Discarding Sabot:装弾筒付翼安定徹甲弾)次弾も同じ!」
「甘く見るなよ――お前の戦車がただの戦車ではないように、このコアドールもただのパワードスーツではない……!」
「またセイヴァーズとゲルダーツヴァイが? ったく、麒麟で吹っ飛ばしてやろうか……いやいや、なんでもない」
 次回 第二話『刻まれぬ英雄伝』

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