Last Esperanzars

Last Esperanzars

想いは雪に埋もれて


 いや、嘘だ。正確に、きっちり覚えている。
 でも自分の記憶としての自信がない。夢でも見たと思うのが自然だ。
 あの日、十二月二十四日の日のことは――

 想いは雪に埋もれて

「ったく……」
 雪にまた足をとられ、一機は自転車を滑らせかけた。
 こういう時田舎の表斬市はきつい。もっと北にあれば積雪対策が施されるだろうが、あいにく雪国というには南過ぎて除雪車はあるものの道路の凍結対策はなされていない。これがただの雪ならいいが、少し溶けた雪が再び冷やされて氷結したものが道路のあちこちを埋めて自転車乗りにはかなりきついものになる。滑る危険性が高くて、必然今のように押して歩くのがせいぜいになってしまう。
「買出しになんか行かなきゃ良かった……どうしてこんな時に限って兵糧を切らすんだか俺は」
 いっつもいっぺんに山のように買出ししてしばらく高校と本屋とレンタルビデオ屋以外家に篭る生活をしている俺は、その生活上大量に買う必要があるのでちょっと遠くの大型スーパーに自転車で走るのが常になっていた。しかし今日はそれが裏目に出ていた。来る前はそれほどじゃなかったんだが、一気に雪が降って凍りついたんだよなあ。
 とにかく、今大量の食料を積んだこの自転車で走るのは自殺行為。大変だが、押して歩くしかない。もう冬休みだってのに、なんでこんな目に。
「ん……」
 ふと見上げると、駅前にいた。あのスーパーに行くにはこのルートが最短だから当たり前だが、やたらチカチカするイルミネーションが目障りだった。周囲には耳蛸のクリスマスソングが。
 今日は十二月二十四日、クリスマスイブだ。どうしてだか当日より前日の方が盛り上がるので有名なこの祝日、過疎化が進む表斬市でもこの時期はそれなりに装飾が施される。こっちとしては迷惑以前にどうでもいいが。
 しかし、十二月二十四日というのは俺にとっても全然意味のない日ではない。というのも、この辺りの学校は大抵二十四日が終業式、そして冬休みが始まるからだ。今年は休日がちょうど入って早かったが、やっと冬休みが始まるとして嬉しい日ではある。と言って、それ以上でも以下でもないが。
 ――クリスマス、か。
 少なくとも、自分にとってクリスマス、クリスマスイブというのは昔から特別な日ではなかった。なんかみんな騒いでいるな、くらいだった気がする。靴下を吊るしたことも、プレゼントを貰ったこともなかったかもしれない。十年前、父がいなくなったあの日より以前から。
 どうしてだろう? 思い出せない。別に宗教的理由ではなかったろう。両親共にあの親戚以外は実家と呼べるものはなく、何らかの宗教に属していたとしてももはや縁は切れているはずだ。実際、うちには母の仏壇すらなかった。――父のもないけど。
「まあ、いいかんなこと。そろそろかえ……ん?」
 ふと、クリスマス用の服やバッグなどで占められたショーウインドウの前で中を見つめる人物が目に入った。
「…………」
 それ自体は別に問題ない。しかし、問題なのは……
「……麻紀?」
「うっ、えっ?」
 声をかけられて明らかに動揺した声を出したのは、間違いなく間蛇羅 麻紀だった。この前修了式の時別れたばかりの。
「か、一機さん? どうしたんですかこんな所で?」
「いや、買出しの帰りだけど……何してんの?」
「え!? い、いや別に……」
 どう見ても『別に』という様子ではない。どうも見られたくない姿だったらしい。
「何か欲しいのもでもあるのか?」
「あ、ありませんよそんなもの!」
 こいつがこんなに動揺してるのなんか滅多に見られないぞ……ショーウインドウの中を見回しつつ、内心ほくそ笑む。
「で、どれが欲しいんだ?」
「だから違いますって!」
 んな必死になって否定せんでも……面白いとは思いつつ、俺は少し困っていた。
 ショーウインドウには服からバッグに至るまで様々なものがあったが、どれが欲しいのかわからない。何せ俺はこいつの趣味など知らんのだ。こんなショーウインドウとは一生縁がない奴と思っていたのだから。
 ――仕方ないな。
「ちょっと来い」
「は? あの、なんです?」
 困惑する麻紀を無理矢理店の中に引っ張り込む。
「すいません」
「はい、なんでしょう?」
 中に入って一番最初に目に付いた店員に注文する。
「あのショーウインドウにあるの、根こそぎ頂戴」

「いやあ、ずいぶんびっくりしてたなああの店員」
「びっくりどころかひきつけ起こしてましたよ。そりゃいきなりあんなこと言われて驚かないほうがおかしいです」
「そうか? あの手の店なら、別にあんな大人買い珍しくないと思うが」
「あんなもの大人買いって言いませんよ……」
 そう呆れる麻紀の手には、店の買い物袋が一つ。結構小さいのは、結局麻紀が暴露して目的のブツだけを買ったからだ。まあ最初からそうさせる気だったんだが。
 自転車を引いて帰る間、俺と麻紀は二人並んで歩いていた。理由は無い。店からの流れがそのまま続いているだけだ。
「しかし、そんなのでホント良かったのか? なんならホントに全部買ってもよかったのに」
「冗談言わないで下さい、そんなもの返すアテも返す気もないですからね」
 いや、もう代金は貰ってるんだけどね、お前の慌てふためく様という、とは一応言わなかった。
「だいたい、あなたがそんな大金持ってるわけないでしょ」
「んー? あるよ。その気になりゃあの店全部買えたぜ?」
「はあ?」
 おいおい、なんだその「まるで信じておりませんよ」って瞳は。だろうけどさ。
「ま、信じないんだったらそれでいいけどな。それで、その買ったものだけど――」
 ジッと袋の方に目を向けたら、両腕で隠すように抱えられた。
「マフラー一つだけでいいのかよ? しかも大して値の張るものじゃないし」
「うるさいですよ貴方。数万くらいのものを大したものじゃないとは、さっきの話の信憑性が増しましたが言われるほうとしてはうるさいだけです」
 それもそうか、となんとなく納得した。確かに金銭感覚はずれてるかもなあ。中学のときは『誰があんな奴らに一銭もくれてやるか』と狂ったかのように使いまくったからな。――主に食事とゲームだけど。
 しかし、だとしてもこのマフラーはそれほどいい物には見えない。なんとなく地味で、ショーウインドウに飾っていた理由がはっきり言って不明な代物だ。年末の在庫処理の一環だろうか? 夜闇の猫は全部黒猫ってか。
 こいつも騙されてるのかなあ、と思うとなんだか哀れな気がしてきた。
「――なあ」
「はい?」
「巻いてみろよ」
「え? なにを?」
「なにをって、マフラー」
「は? こ、ここでですか?」
「当たり前だろ。マフラーくらいどこだって巻ける」
 まあ巻いたら返品できんだろうが、変な幻想抱いているよりマシだろう。何なら俺が引き取ってもいい。
 にしてもこいつはどうしてさっきより動揺しているのか。
「いや、でも……」
「いいから早くしろよ。減るもんじゃないだろマフラーなんか」
 なんか躊躇ってる様にイライラしてきた。無理矢理でも巻かせたくなってきた。
「何をそんな嫌がってるんだ。マフラー巻くくらい大したことじゃないだろ。いいから」
「あ、ちょっと何するんですか離してくだ」
 むにょ。
「…………」
「…………」
 ――沈黙
 ええと、なんだこの柔らかい感触は?
 十二月だから当然服は冬物、だというのに確かに感じるこの感触は……
「あ、あのー……」
 いつの間にかしがみつくような体勢になっていた自分を呪いつつ、見上げてみる――
「げふっ!」
 ――間もなく、肘打ちを首に直撃喰らった。

「まったく、どうして貴方相手にあんなベタをやらねばならないんですか」
「――すいませんねえ」
 再び俺たちは並んで歩き出した。自転車引きずって。引いてではなく引きずってなのは、ぶん殴られた際に自転車ごと横転して車輪がお釈迦になったからだ。これ買い替えかな……自転車というのは片輪がダメになっただけで買い替えを進められる代物なのを俺は知っている。まあ麻紀もそれを負い目と思ったのか未だ連れて歩いているのだが。別にいいのに。自転車って五万位したっけ。
「それにしても――」
「? なんです?」
「い、いやなんでも」
 俺は麻紀の首――というより、首に巻かれたものを見ていた。さっきのマフラー、きちんと巻いてくれたのだ。
 こうしてみると――
「……結構似合ってるかも」
「え?」
「い、いやいやなんでもない」
 目を逸らす。なんだろう、顔が赤い気がする。
「なんですか、人の胸の感触思い出しちゃったんですか? 思い出すくらいなら結構ですが、使うのは止めて下さいね」
「つ、使う!?」
「ええ、夜な夜な揉みしだいた感触を思い出しつつベッドの中で……」
 と、そのまま黙りこくってしまった。顔が紅潮している気がする。自分をネタにするのはやはり抵抗があるのか。
「ま、まあいいでしょう。それより貴方、クリスマスイブに普通の買い物なんてずいぶん寂しいことしてますね」
「――そうか?」
 そう返したのは、負け惜しみでもなんでもなかった。クリスマスなんぞ幼稚園か小学生のチャチなパーティ以外祝いも何もしたことがない俺にとって、クリスマスというのは別になんでもない日なのだ。ま、それを言うなら他の祝日も似たようなもんだが。
「そういうお前はどうなんだよ。イブだってのに寂しいのは変わりないだろ」
「うちはほとんど休み無しですからね。葬儀がキャンセルされたからたまたま暇になっただけで」
「――葬儀?」
 滅多に聞かない言葉に首をかしげていると、
「あら、言いませんでしたっけ。うちは葬儀屋なんですよ」
 と解答が帰ってきた。
「――葬儀屋、だと?」
「ほら、あれ」
 そう言って指差した先には、『間蛇羅葬祭会館』とされている。間蛇羅なんて名前、そうざらにあるわけがない。
「ご存じなかったんですか? ここら辺葬儀屋は何故かうちしかないですから、大抵の人は知ってるんですが」
 そう言われても、葬式なんて一回も行ったことがない。親戚はいないし父は――だったから、付近に死んでも葬式に招かれるような相手がいなかったのだ。
「そうかい。しかし、葬式のキャンセルなんてあんのか?」
「さあ? 宗教上の理由かもしれませんね。そういうのは結構面倒ですから、「とりあえず言わせとけ」とうちでは決めています」
「だろうな。合わせる側なんだし」
 そういやどっかで聞いたことがある。なんでもこの辺の葬儀屋は酷いぼったくりで評判が悪くて、わざわざ遠くへ行って葬儀する人が多いとか……どこだっけ。
「おや、その顔はうちの噂聞いてるみたいですね」
「――いやそんなことは」
「嘘つかなくてもいいですよ。実際そうだし。何故か商売敵がいない環境を利用して金儲けしてたら、いつの間にか客が逃げ出しちゃったんですから、いい気味です」
 そりゃそうだ、と思いつつ、両親に随分な言い草だな、とも思った。何か両親に嫌悪感でも抱いているのかとも考えたが、それこそ余計なことだろうと深く考えないことにした。
「さてと、じゃ、私はここなので」
「ああ、そうか」
 すっかり失念していた俺を相手にせず、麻紀はスタスタ行ってしまう。
「…………」
 その当たり前の様子に何故かムッとするものを感じた俺は、
「おいっ!」
 と呼び止めてしまった。
 振り返った麻紀の顔を見て何してんだと思ったがもう遅い。
「なんですか?」
 いやなんですかと言われても、自分にもわからん。なんとなく呼び止めただけなんだから。
「いや、その……」
 どうしようかと口ごもっていると、
「……フッ」
 と麻紀は小悪魔のように笑い、
「それじゃ、来年ということで」
 そう言って、スタスタ帰っていった。
「…………」
 残されたのは、壊れた自転車と兵糧、あと馬鹿みたいにキョトンとしている俺のみ。

「……カズゥ、カズゥ」
「ん? あ……」
 まどろみから覚めると、目の前には麻紀、じゃなかったナオがいた。どうやら授業寝ていたらしい。
「ああごめん、どれくらい寝てた?」
「……? 寝てたの? 十秒も経ってないと思うけど」
 はて? そんな間にあれ全部思い出していたのか? 
 あれは確か去年のクリスマスイブだった。いや確かはいらない。間違いなく去年実際あったことだ。しかしこの件はどうも記憶に残っていて、こうして夢に出るまで鮮明に思い出せるのだ。別に大したことはなかった。せいぜいあいつにマフラーを買った程度の話を何故こんな記憶に残しているのだろう。
 そして、あいつは「来年ということで」と言ったが、新学期もあいつは特に変わった様子もなく相変わらずだった。あの一幕は一回だけのアクシデントだと理解しているが、どうしてだかやたら記憶に染み付いている。特に、最後のあの言葉が。
 あれはどういう意味だったか? 普通に考えれば「また来年」という意味だろうが、どうもそれだけじゃないような――
「……ねえ」
「ん?」
 物思いにふけていると、ナオが話しかけてきた。そして一言、
「どうしてそんな嬉しそうな顔してるの?」
「んな!? う、嬉しそうな顔してた?」
「……フッ」
「え? あ……」
 小悪魔的笑顔をされた時点で、はめられたと気付いた。
「あのなあ……」
 何か言ってやりたかったが、言い負かされる気がしたのでやめておいた。
「はあ……いいから、続けるぞ」
「……嬉しそうじゃなくて、嬉しい顔してた……」
「ん? なんか言ったか?」
「別に……」
 なんか憮然としているような気がしたが、表情に変化がなさすぎるので気のせいと判断した。

 麻紀が放った「来年ということで」の意味がわかるのは、だいぶ先のこととなる。

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