Last Esperanzars

Last Esperanzars

新訳サジタリウス4


「――えー、それでは、本日我が親衛隊に入隊した新人を紹介する。ヴェック、来い」
 髪はグチャグチャ、服も所々千切れている隊長の声にしたがって前に出た。
「始めまして。ヴァン・デル・ヴェッケンです。どうかよろしくお願いします。」
 …………………………………………………………………………………………しぃ~~ん。
 うう、総勢八十人の沈黙は痛い……。
 あれから数時間。
 なんとか騒ぎは終結し、キャンプ地にて隊長権限での入隊に隊全員がしぶしぶながらも納得した。
 まぁあまりの乱戦に皆疲れ果てたってのが最大の要因だと思うが……みんなひどい容姿になってるし。
 ――それにしても、完全女性上位社会とはね……そんな社会が成立するとは……。
 さっきヘレナに説明を受けたが、彼女達の祖国シルヴィア王国とやらは女性中心の社会で、男子の権利はかなり低いのだとか。
 政治を支える元老院などの議員ポストは全員女。そりゃ騎士には屈強な男がいいから男が多いが、それでも指揮官は必ず女なんだと。俺のいた世界の中世ヨーロッパとはまるで逆だ。
 なんでも、シルヴィア王国全土で信奉されているカルディニス教の神が女だからとか。それで、シルヴィア全体で男子を軽視する傾向があるらしい。
 うう……。とんでもないとこ来ちまったな、といまさら改めて事の重大さを感じた。
「あっと……そういえば、そのシルヴィア王国とか親衛隊とかの話を聞いてないんだけど」
「……あ」
 いや、あじゃないんだけど。意外と抜けてるんでしょうかヘレナさん?
「ああ、そうだな。では私がかいつまんで……」
「説明しましょう!」
「うわ!」
 突然、グレタが割って入ってきた。髪はメチャクチャだし一番酷い容姿をしているが、なんか鼻を膨らませている。楽しそうだ。やっぱり解説オタなのか?
「いえ、貴方だと話が長くなりそうなので遠慮したいのですが……」
「お黙りなさい! 一応雑用見習い補佐もどき(仮)とはいえ、親衛隊の一員になったからにはその歴史ぐらい最低限そらで言えるようでなければ絞首刑です!」
「……そんなに枕詞つけないでよ」
「やかましい! いいですか、かつてこのメガラ大陸は、争いが耐えない世界でした。数多の民族が己の野心に従い戦って、その上『文明の漂流』によるいびつな技術のせいでその混乱はさらに拍車をかけていました。しかし、混迷極めたメガラ大陸に救世主が現われたのです。その方こそが、始祖王シルヴィア・マリュース一世様!」
 そう叫ぶと、なんか感極まった様子でジーンと潤んでいる。変態だ。間違いなくこいつは変態だ。
「ええと……じゃあそのシルヴィア一世とやらが、メガラ大陸を占領したってわけか」
「占領ではありません! 統治と呼びなさい!」
「はあ」
 なんかこの妙なテンションに慣れてきた。
「シルヴィア一世様は、戦乱が絶えぬのは、世界を破壊することしか能がない男が支配者にいるからだとお解きになった。愚劣な男共に統治を任せていてはメガラ大陸の命運はない。世界は生み出す力を持つ崇高な女子が統治するべきなのだ。そう唯一神カルディナより神託を賜ったシルヴィア一世様は自ら御立ちになり、破竹の勢いで大陸を統一、女系国家シルヴィア王国を建国するに至ったのです。おわかり?」
「……なんとなく」
 男としては聞き捨てならない言葉も結構あったが、まあ女系民族や女系国家は俺達の世界でもたまにあったから、騒ぐほどでもないか、と一機は一人納得する。全部じゃないが。
「ええと、ちょっと聞いていいですか?」
「なんですか?」
「おう、何でもきやがれ」と顔に油性マジックペンで書いたような笑みを零しながら、グレタは応じた。
「破竹の勢いって言ったけど……具体的にどうやったの?」
「ぐ……」
 おや? 口ごもった。明らかに嫌な汗をかいていて、さっきのマジックインクが薄れてきてるぞ。
 そうしていると、横からヘレナが入ってきた。
「――シルヴィア成立、光暦元年以前のことはほとんどわかっていなくて、伝説の範疇しかないのだ。なにせ、シルヴィア一世が記録を全て抹消したからな」
「ああ、都合悪いのを全部消したのか」
「だから、貴方はもっと言葉を選びなさい!」
 言葉を選べって、実際そうじゃないか。歴史の隠蔽や捏造なんかどこの国もやってるもんだ。
「じゃあ、シルヴィア王国以前の歴史は不明なのか。なるほどわかった。それじゃ、シルヴィアは成立して何年くらいなんだ?」
「ごほん、今年、記念すべき五百年目です」
 五百年……か。短いな。いや、そうでもないか。日本の朝廷は続いてる方だけど幕府にお株奪われてたし、中国は四千年とか言ってるけど王朝がバシバシ潰れたからな。一つの国で例えると長い方か。
「それじゃ、シルヴィア王国親衛隊も丁度成立五百年目か」
 なんせ親衛隊と名付けられているのだから、同時に生まれたんだろうと当然思って呟いたのだが、
「うぐっ」
 とまた口ごもってしまった。何かまずいことを言ったのか? わけがわからず沈黙していると、
「……残念ながら、親衛隊は今年でやっと百年だ」
「え?」
 ヘレナが少し言い辛そうに言った。そういやさっきそんなこと言ってたような……はて、なんでズレてるんだ?
「昔は近衛隊というのが別にあったんだ。近衛隊の騎士は皆優秀で家柄もよいものが揃っていた。しかし……」
「ヘレナ様!」
 目を吊り上げたグレタが声を荒げた。さっきより機嫌がずっと悪いように見える。そこで一機は、周りの隊員たちもそれに合わせるように怒りを露わにしているのに初めて気付いた。
 ただ一人冷静――じゃないな。他の連中みたく露骨ではないが怒っているように見える――ヘレナは、吐き捨てるように話を続ける。
「別に構わんだろう。一機も親衛隊の一員になる以上、知っておかねばならないことだ。特に、敵国に関することはな」
「……敵国?」
 敵国、という単語自体には特に疑問は湧かなかった。この世界がどういう文化や政治構造をしているかまだ把握しきれていないが、戦争、あるいは緊張関係にある国くらいあるのは普通だ。しかし、それと近衛隊とやらとどういう関係がある?
「メガラ大陸の北部、砂漠や丘陵地が多い僻地に、ギヴィン帝国がある。ギヴィンは元々、シルヴィアの近衛隊騎士だった者たちが王国第一子であったギヴィン様を祀り上げて百年前に作った国なのだ」
「え? 第一子を?」
「シルヴィアは女系と言ったろう。長子でも女性でなければ王位継承権はない。ギヴィン殿は男子であった。そこをつけこまれたんだ」
「ああ、なるほど。てことは、シルヴィアでの待遇に満足いかなかった近衛隊が地方に亡命して勝手に作ったてわけか」
「その通りだ。当時の女王シルヴィア十四世様を暗殺してな」
「……え?」
 聞き返そうと思ったが、苦渋を滲ませた顔をされて、その上周囲の空気がさらに重くなっては口が開けなかった。
 驚きと同時に、自分の中で合点することもあった。
 なるほど、シルヴィアで男子の待遇が悪そうなのも、士官が全員女なのも、かつての裏切りが原因か。女王を裏切り勝手に建国までされて、権力や地位を与える方がおかしい。
それはわかるが、だからってやたら縛るのは二の舞な気がするがな。ま、俺がどうこう言えることじゃないか。
「まったく、男というのは信用ならないという証拠です! これだから――」
「だから、抑えろと言っているだろう」
 また激昂しだしたグレタの肩を掴んだ。やれやれと頭を抱えている。この手の話だといつもこうなるようだ。
「だから、近衛隊は事実上消滅。その代わりと言っては何だが、王都と女王護衛の役目を仰せつかったのが、我々親衛隊だ」
「なるほど……だから女ばっかりなのか」
 そりゃ、近衛隊に裏切られてすぐ創設したのならば、アレルギー的感覚に陥っていたのもわかる。今でもほとんど男だと言うから、筋力の男女差はこちらでも変わりあるまい。あくまで政治的、宗教的理由ということか。ふん、下らん。
 そう鼻で笑ったら、ふと視線を感じた。視線を追うと、ヘレナと目が合った。
 悟られた? まずいと判断して咄嗟に視線を逸らしたが、
「……ふっ」
 ――え?
 一瞬、ほんの一瞬。
 それこそ視線を逸らそうと横を向いた刹那、視界の端にあった程度の頼りないものだったが、
 ヘレナは確かに、笑った。
「ヘレナ、今……」
 そう呟くと、今度はしまったとヘレナが顔を逸らす番だった。明らかに動揺している。どうしてだかわからないが、問い詰めたい感覚に襲われて言葉を続けようとしたら、
「ちょっと、さっきから言おうと思ってたんですけど」
 と今度はグレタに横入りされた。
「え、な、なに?」
「ヘレナ様に何て口の聞き方しているのですか。仮にもシルヴィア王国第二王女であるヘレナ様に対して!」
「……へ?」
 第二王女、という聞きなれない単語に呆気に取られると、こちらは呆れた様子で、
「グレタ、何度も言っているだろう? 王位継承権は私ではなく姉上にある上、剣の道を選んだ今、私は王女などではなく単なる一介の騎士に過ぎん」
 と口を挟んだ。
「いいえ! 王位継承権があろうがなかろうが、貴方はシルヴィア十七世の次女なのですから、もう少し自覚というものを――!」
また昂りだしたグレタの横で、一機は愕然としていた。
 ――シルヴィア十七世って、シルヴィア王国の女王様だよね。その娘ってことは……あ、そういえばさっきへレナ・マリュースって……
 今更、本当に今更ながら、一機はその符合が意味することを見出した。
「……ヘレナが、シルヴィアの……」
 王女様、と続けようとして、「違う」と強い口調で遮られた。
「私はヘレナ・マリュース。シルヴィア王国親衛隊隊長だ。それ以上でも以下でもない」
 そう言い切るヘレナの様子は、どこか煩わしそうであった。
 どうしてそこまで迷惑がるか一機には理解できなかったが、これ以上何をしても聞き出せそうもないので諦めた。
 話題を変えるべきと思い、辺りを見回すと、いない人物がいることがわかった。
「あれ……マリーは?」
 さっきまで、というか乱闘騒ぎまでいた気がするが、今はどこにもいない。どおりで空気の重さが先ほどから何割か増ししたと感じたわけだ。攪拌する人間がヘレナ一人しかいなかったからか。
「ああ、マリーなら、外で他の者達とMNの整備をしている」
 まただ。メタルナイトという謎の単語。格好や道具などから中世ヨーロッパの雰囲気を漂わせるシルヴィアの人間の中、一つだけ浮かんだ謎の言葉。
「ええと……何、そのMNって」
「む? ああ、言ってなかったか」
 どうでもいいが、さっきからこんなんばっかな気がするこの人。
「丁度いい。外の連中にも発表しなければな。ついてこい、一機」
 そう言うと、こちらの応答も聞かず外へ歩き出した。つられてついていく。
「……あとさ、もう一つ聞きたいんだけど」
「なんだ、今度は?」
 洞窟の道すがら、また一機はヘレナに尋ねごとをした。ていうか、なんでもいいから会話をしなければ、一緒についてくる取り巻きたちが醸し出すどす黒いオーラに包み殺されてしまいそうで怖かった。
「気がつかなかったけど……さっきから俺とヘレナたちときちんと会話できてるよね。こっちの言語って日本語なの?」
「なんだ、ニホンとは?」
「一応俺の祖国なんだけど、やっぱ違うか」
「悪いが聞いたことがないな。しかし質問には答えられるぞ。アマデミアンは例外なく、こちらの言語を喋れるらしいぞ」
「え?」
「私にはよくわからんがな。聞くところによると、アマデミアンは自国の言葉としてメガラ大陸の言葉を解するらしい」
 つまり、アマダスによって転移してきた人間は、自動的に言葉を翻訳する能力を手に入れるってことか? バウリンガル顔負けだな。
「そのかわり、文字を読むことは出来ても書くことは出来ないらしい。あとでミッチリ勉強しなければな」
「……はい」
 なんか鼻膨らましてるよこの人。そういうの好きなのかやっぱ。
 これから起こることを予想して暗澹たる気持ちになっていると、赤い光が足元に下りた。外へ出たんだ。いつの間にか夕方になっていたようだ。
 洞窟の外へ出るとさっき一機が通った道とは逆方向へ向かう。こちらにそのMNとやらはあるらしい。正直どういうものか楽しみ、ではないが、気にかかって仕方ないのだ。それに親衛隊に入ると決めた以上、遅かれ早かれ知ることになるのは必然だからな。
 気にかかっていたのは、その名称。先ほどの説明どおり、アマダスの力によって自動的に翻訳されるのならば、それが効かないメタルナイトとは固有名詞なのだろう。ならば、名が体を現すという言葉通り、その名称には意味があってしかるべきだ。
 これがシルヴィアの、あるいはメガラ大陸の言葉ならば問題ない。だが、もしそうでないとすれば。
 ――Metal(メタル) Knight(ナイト)。鋼鉄の、騎士……。
 ぶるり、と体が震えた。
 思い出したのだ。今日夢で見た、白銀の巨人を。いや、あれは夢だったのか? ヘレナが言うとおり俺が魔獣とかいうのとの戦場で倒れていたのであれば、まさか……
 そうして考え込んでいると、気付かないうちにでヘレナとは別方向へ歩いていた。「おい……」という制止も耳に入らず悩み続けていると、
「……ん?」
 目の前に、自分の身体よりもはるかに大きいトカゲがいた。
「…………」
 硬直。
 人間、緊急時には考えられないという話を一機は聞いたことがあったが、このとき一機はそれが本当であることを知った。
 化け物トカゲはバランスボールほどある両目で一機を興味深そうに見回している。一方一機からしてみれば見回すどころではない。眼球どころかまばたき一つ出来ない氷像と化した。
 やがて、とりあえず危険はないと判断したのか、化け物トカゲは口を大きく開けてこれまた巨大な舌で一機を、
 ベロリと、嘗めた。
「う……わああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」
 絶叫。
 これまで一度も出したようなほどの声量で、よだれまみれの一機は叫んだ。驚いた化け物トカゲは目を白黒させるが、そんなことは関係ない。ただただ叫んだ。意味もなく、恐怖にかられて。
「ちょっと、どうしたのマンちゃん!」
 悲鳴に吊られて草陰から人が飛び出してきた。ってマリーじゃないか。
「あれ、一機? 何してるのあんた?」
「ま、ままま、マリー? な、何って、それはこっちの台詞だ! なんだこの化け物は!」
 やっと正気を取り戻した一機が声を裏返しつつ訊くと、何故かマリーは柳眉を逆立たせた。
「何言ってんの! いくら魔獣でも、マンちゃんはあんたより先輩なんだから、化け物呼ばわりすんな」
「せ、先輩? マンちゃん?」
 冗談じゃない、とよだれまみれの顔をよだれまみれの腕で拭うという意味のない行為をしつつ吐き捨てた。
 何が先輩だ。だって、そっくりじゃないかこの化け物トカゲ。
 夢に出てきた……あれに。
 そう言おうとすると、「ああ」とマリー側が何か得心いった様子で
「そうか。来たばっかのあんたは知らないか。こいつは『マンタ』って言って、メガラじゃ別に珍しくない動物だよ」
「珍しくない!? こんな化け物が!?」
 愕然となった。『マンタ』とかいう化け物トカゲは目測だが全長五メートルはあるだろう。このまま怪獣映画に出演できそうな代物だ。中生代じゃあるまいし、こんな生き物がいて生活できるのか!?
「何よーこんなんで驚いてちゃシルヴィア人やってけないわよ? これくらい珍しいサイズじゃないんだから。ねーマンちゃん?」
「え、ええええええ……」
 もう呻き声を上げるしかない。これが珍しくないサイズならこいつらにとって『巨大』は無量大数レベルなんじゃないか?
「ていうか、こんな怪物騎士団なんかがどう使うんだよ。敵兵襲わせて喰わせるのか?」
「あのね、仮にも騎士がそんな野蛮な真似やるわけないでしょ。MNを引っ張るに決まってんじゃん」
 まただ。いい加減聞き飽きたその単語に自分でもおかしなほど苛立ちを感じた。
「だから、そのメタルナイトってなんなんだよ? さっきからみんなそればっか言ってるけど」
「は? アンタ聞いてないの?」
「ないよ。これから見せるって外出されたらこいつに襲われたんだよ」
 ギロリと『マンタ』とやらを睨みつける。気のせいか、何か怯えているような。
「ああ大丈夫大丈夫。『マンタ』って図体はでかいけど基本的に臆病だから。単に見慣れないアンタに興味あっただけだって」
「ホントかよ……で、この『マンタ』じゃなきゃ牽引できないようなメタルナイトってのは、攻城兵器か何かか? もしくは大砲?」
「大砲? あんな役立たずシルヴィア軍はろくに使わないよ。ほら、こっち」
「おい、ちょっと……」
 大砲が役立たず、というのは聞き捨てならなかったが、そんな一機の動揺には気付かずマリーはマンちゃん共々奥へ進んでしまった。どうも話を聞かない人間が多すぎる気がする。
 そんなこと言ってられないか。仕方なく一機も後をついていく。すると、わりと早く目的地に辿り着いた。
「……え?」
 その時、一機は、
 また洞窟の中に戻ってしまったのかと思った。
 それ自体は錯覚だったが、そう理解したからこそ、目の前の光景が理解できなかった。
 目の前の広場にあるのは、巨人。
 いや、さっきの化石ではなく、だからといって夢の中に出てきた野人の類でもない。というより人間じゃないのか?
 全身鎧、フルプレートアーマーとかいう名の鎧に包まれた体躯には生き物の気配は感じられない。海のような深い蒼が夕焼け色に溶け込んで綺麗だ、なんて馬鹿な感想抱いてる場合じゃない。
 呆然としつつ、フラフラとその鋼鉄の巨人に歩み寄る。やはり生物じゃないようだ。つるつるした表面に丸みを帯びたそれは、武器の発達によってさらなる強度を必要とされた時代に生まれたフルプレートアーマーの特徴そのものだった。
 しかし兜はなんか違う。フルプレートアーマーならば、頭頂部から後頭部までを覆ったスカルと、顔面部を覆うヴァイザーなどからなるアーメットなる兜のはずだが、この水滴型の兜は八世紀頃ヴァイキングが使用したとされるノルマン・ヘルムに近く見える。
十字軍も使ったとされるノルマン・ヘルム。しかし兜に刻まれているのは十字ではない。これは……なんだ? 台に突き刺さった剣……いや、王冠に刺さった剣か?
顔もまた金属に覆われている。これがさっきのヴァイザー、あるいは面貌にあたるものか。他にも腕部にはガントレットがあるし、あとは……まあ、これ以上説明するまでもない。とにかくほぼフルプレートアーマーそのものだ。腰の部分を除いては。
――はて、俺は何でこんなことを知っているんだ? ああ、あの図書室で読んだのか。意外と身についているものだな。
いや、この際これがフルプレートアーマーにどれだけ近いかはどうでもいい。問題は、これが何かだ。
そのままフルプレートアーマーということはあるまい。ヘレナの話ではその『ディダル』が存在していたのは昔のことらしいし、あの『マンタ』がこれを牽引するためのもの(近くにメチャクチャでかい台車が)ならば、誰かが自分で着込むというのはあり得まい。それに、鎮座するその巨人は見た目から言って中身スカスカの鎧ではなく、どちらかというと人形のような……
人形、のフレーズに、ガキリと脳内で噛み合った歯車があった。同時に、腰の部分にある奇妙な開口部がある推測を浮かび上がらせる。鉄伝の単語と共に。
まさか。あり得ない。幾度となく繰り返したその言葉が、この世界ではいかに意味がないか知った今では効果は薄い。いや、別に異常ではない。メガラ大陸において、俺という存在が異端であるだけに過ぎないのか。
だから、せめてその異端に近いらしいマリーに対し、聞きたくないけど聞いてみた。
「……なあ」
「なに?」
「何コレ?」
「何って、これがMNだけど。シルヴィア王国親衛隊専用MN《エンジェル》、これでも最新鋭なんだよ?」
 自慢げに語るマリーの笑顔に、一機は反比例して自分の血の気が失せていくのを感じた。
「MNって……ロボットじゃん、これ」
「ロボットって何よ」
「あ、違うんだ。よかった。で、どう使うのこれ」
「腰の部分にある搭乗席に乗って、操縦するの。それで武器を使って戦闘を――」
「だからそれがロボットなんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「ひゃっ!」
 思わず、というか本能的にマリーに掴みかかっていた。正直、数時間前から色々あったのが爆発したんだろう。
「何がシルヴィアだ、何が騎士団だ! こんな巨大ロボット操る騎士がいてたまるか! 言え、ここはどこだー!」
「お、落ち着けって、落ち着きなさいって、く、首が……!」
「何が異世界だ、たわごともたいがいにしろってんだ、そんな奇妙奇天烈な世界があるもんかー!! なんだ、今は懐かし素人ドッキリ企画か!? 必要以上に騒ぎ立てる人権団体に訴えるぞこの野郎! それともハリウッドか何かの映画か!? ギャラ交渉まだしてなぐはぁ!」
「やかましいわ、この馬鹿者!」
 思いっきり後頭部を殴打された。マリーを放して地面に膝をつく。くらくらする頭で振り返ると、ヘレナたちがいた。
「錯乱するな。突然いなくなったかと思えばこんなところで暴れておって。ずいぶん落ち着いていると思っていたが、やはりダメだったようだな」
「……ああ、いや、落ち着いたよ、もう」
 頭をさすりながら、小声で呟いた。
 一機自身、どうしてここまで意固地になって否定してきたかわからない。というより、もうここが異世界だということに疑いは持っていなかった、はずである。それがなんであんなになったか。
 ――やっぱ、一旦培った常識というのを崩されるのは嫌ってことかな。
 満足はいかないが、今のところこれしか思い浮かばないのでそういうことにしておく。
「それで……これが、MNなのか」
「そうだ。我がシルヴィア王国を守護する剣にして、誇りそのものだ」
 感慨深く鋼鉄の巨人を見上げるヘレナ。その後姿が、何かダブるものをあった。
「……?」
 起き上がってみると、広場には同じMN――《エンジェル》とかだったか――がたくさん鎮座されていた。数はちょっとわからないが、ここメガラ大陸における主力兵器なのだろう。
 夕焼けの赤と装甲の青のコントラスト、まるで海の上で夕日を拝んでいるようだ。
「ひゃあ……ずいぶん壮観だね」
「でしょでしょ?」
 と相槌を打つのは復活していたマリー。立ち直り早いな。
 と、そこで一機の目に、変わったものが目に入った。
 変わっているといえばこの光景全てがそうなのだが、その光景の中で変わっている代物だ。一部、違った輝きを放つものがある。
 その異端に近付く。蛾が火の中に飛び込んでいく姿をふいに思い出していた。身が焼かれるのはわかりきっているのに、本能で火に向かう蛾。自分もそうだ。理屈じゃない。ただ足が動くだけ。
 そして止まった先にあったのは、やはりMNだった。
 しかし、まったく別物の。
「……これは……」
 その姿に、一機は驚愕した。
 形状は《エンジェル》とかいうMNとそう変わりない。あえて言うなら、こちらの方が全体的に尖っているようだ。装甲(もうそう言っても過言じゃないだろ)も薄めのようだ。
 ただ、兜、ではなく頭部の形状は他とは一線を画していた。これは――イタリアで作られたバルビュータというものではないか? 半球状で鉢が深く、頂上は丸みを帯びている。なにより特徴的なのは、顔の部分にあるサイトと呼ばれるT字型の切れ目。視界を確保するためのものだ。
 そしてその肢体は……銀色に輝いていた。
「まさか……」
 動機が熱くなる。これまでとはまったく異なった感覚だ。
 間違いない。後姿しか見ていないが、確実だ。
 このMNは、あの夢で出てきた……
「なんだ一機、《ヴァルキリー》に興味があるのか?」
 ふいに掛けられた一言に、ギョッとする。振り返った先には、金髪の巨人――じゃなかった。ヘレナがいた。
「ヴァル、キリー……?」
「ああ、親衛隊隊長専用MN、つまり私のMNだ。四年前、私が親衛隊隊長になった際新造された。……正直、こんなものわざわざ作らなくたっていいのだがな」
 そう言いつつ、ヘレナの顔はまんざらでもない様子だった。騎士が名馬を与えられるように、自分専用のMNというのは嬉しいものなのだろう。
 しかし一機はそんなこと構っていない。別のことで頭が一杯だ。
 ――ヴァルキリー、あるいはワルキューレ。戦死した勇者を天にあるという異界ヴァルハラへと運ぶ戦女神――ピッタリすぎるじゃないか。
「……まさかな」
 そのうち、一機の変化を感じ取ったヘレナが声を掛けてきた。
「おい、どうした一機。様子おかしいぞ?」
「ああ、いやなんでもない……あのさ」
「うん?」
「昨日の戦闘で戦った魔獣って……例の『ディダル』っての?」
「は? いや違うぞ。第一、今『ディダル』はこのメガラに存在しない。とっくに滅びた生物だからな」
「ああ、そう……」
 ということは、やはり夢だったか。ホッと胸を撫で下ろす。そりゃそうだよな。あり得ない。
 ヘレナが、あの時俺を呼んだ『声』の主なんて……。
「一機、お前さっきから情緒不安定だぞ、大丈夫か?」
「ああ、問題ない……ですよ、隊長?」
 今更ながら、グレタの言葉を思い出してとりあえず敬語を使ってみる。最後ちょっと疑問形になってしまったが。
 すると、一瞬キョトンとしたヘレナは、みるみる顔を歪ませていき、
「ぷ……くはははははははは、ははははははははははっ!!」
 爆笑した。
「あ、あのー……?」
「ははははは、い、今更だな一機。いいさ、もう敬語なんぞ使わなくても。ヘレナで結構だ。わかったな一……ヴェック、だったか?」
「あ、いや、こっちも一機で結構です……どうせ便宜上のものなんでしょ」
 そっちの方がこちらも混乱せずに済む……なんてことを考えている腹を隠してそう告げた。あと、ヘレナの笑顔に高鳴った胸の鼓動も。
「そうか、そうだな。それで、今度はなんだ一機?」
「この、MNってのだけど……親衛隊みんなが乗るの?」
「まさか。MNに乗るだけが騎士ではない。歩兵も、MNの整備士も勿論いる」
 なるほど、こちらの世界の戦車と歩兵の関係みたいなものか。あと砲兵。にしては弓を持った奴が居ない気がするが。
「ってことは、俺がMNに乗ることはないんだな」
「は? いや、そんな……」
「有り得ませんそんなことっ!!」
「うわっ!」
 今回何度目やったかわからないパターン、グレタの怒声による横槍。もはやテンプレだなこれは。
「親衛隊に入ることすら遺憾なのにMN!? 国の品位が問われますそんな事をすれば!」
 おいおい、気持ちはわかるがそこまで言わなくても。なんか涙目。
「言い過ぎだグレタ。まあ私にも、今の一機をMNに乗せる気はない。その前に騎士として鍛え上げなくてはな」
 そう宣言するヘレナの顔は、あからさまに楽しそうで、やっぱりそっち系の人なのかと身震いする。
 やはり、早まったか?

    ***

「ん、んう……」
 何時くらいだろう。一機は一人目を覚ました。
 夢か? と一瞬思ったものの、今度はすぐ自分の巻いているものが貰った予備の寝袋であると理解しため息をつく。やはり現実か。
「あーあ、未練がましい。あれだけ嫌ってたのに、いざ離れるとこれかよ……」
 ブツクサ呟きながら、周囲を確認する。――誰もいない。寝袋一つない。でもこれは別におかしい光景ではない。むしろ最初からこうだった。
 確かに、確かに九割方自業自得な不可抗力とはいえ、自分の全裸を拝んだ人間と枕を共にできる女などいまい。そもそも親衛隊の一員としてはヘレナとマリー以外誰も認めていない。かと言って一人ほっぽり出すのはできないから、洞窟の遠方へ追いやられる羽目になってしまった。
 まあ、こちらとしても……裸見た女と寝るとなると、えっと、その、脳内におかしなビジョンが……て一人で何悶えてるんだ俺。
 時刻は……わからんか。携帯の時計は使い物にならないし。でも、静かなものだし、まだ夜中かもしれない。やはり緊張していたのか、起きだしてしまったか。アホらし、子供じゃあるまいし。
 なんだか情けなくなって、寝袋に入り直す。さっさと寝てしまおう。一、二……いかん、寝れん。考えてみればこの時間はいつも鉄伝でハンター共を返り討ちにしている頃だ。一日で一番覚醒した時間帯、睡眠などできるわけがない。
「……散歩でもするか」
 頭をボリボリ掻きつつ起き上がった一機。ここには気晴らしになるようなものはないし、他に思いつかない。そう結論した一機は、寝袋を出てTシャツとズボンの格好という出で立ちを露わにする。無論自分の私服ではない。マリーの借り物だ。なにせあの化け物トカゲがよだれまみれにしたからな。幸いマリーと体型が似ていたからよかったが……他のやつは貸さないからな、絶対。
 しかし、ピッタリであることを親告したら、何かマリーが複雑な表情をしたように見えたが、あれはなんだったのだろう。
 どうでもいいかそんなこと。ちょっと歩いてみよう。
 親衛隊諸君の寝床に近付いたら今度こそ火あぶりに遭いそうなので論外。と言って、迷うわけにもいかないので近くを適当にブラブラすることに。
「しっかし、本当に広い洞窟だよなあ……そりゃ、あんなもの発掘してるんじゃ当然だろうけど」
 聞くところによると、ここはやはり採掘場らしい。但し掘るのはダイヤでも石炭でもなくあの『ディダル』の骨。何かしらの用途に使用するらしいが、そこまでは聞けなかった。今は採掘のオフシーズンなので、こうやってキャンプ地として利用するらしい。もっとも、さすがに大量のMNや運搬用の『マンタ』を収めるわけにはいかないので二手に分かれるが。
「別世界かあ……まさか、ホントに来れるとは思わなかったよ」
 そう一人ごちながらブラブラ歩く。普通、こういった異世界に来てしまった系の人ってもっと動揺すると思うんだが、一機は自分でも驚くくらい落ち着いていた。というか、むしろ喜んでいるのを自覚していた。
 当然だろう、なんせ……
「……ん?」
 ふと、前方から話し声が聞こえた。ヒカリゴケ以外の光源、焚き火の炎も見える。誰だろう。興味が湧いたのでゆっくりと近付いてみる。
 岩壁からゆっくりと顔を出して様子を確認。あれは――ヘレナだ。向かいにはグレタらしき姿も。何か深刻そうだな。
 ちょっと気になったので、そのまま盗み聞きすることにした。なに、バレやしない。

    ***

「……まったく、横暴も大概にして欲しいですね」
「横暴? 失礼だなグレタ、私がいつ横暴をした。親衛隊隊長としての権限を少しばかり使っただけだぞ」
「それが横暴だと言っているのですよ。マリーを入隊させたのだって、ほとんどゴリ押しだったじゃないですか」
「マリーが親衛隊に必要な人材であることは、お前も納得したはずだろう」
「それは、確かにそうですけど……」
 口ごもったグレタはそこで沸かした紅茶に口をつけた。砂糖を大量に入れて。紅茶をそのまま飲めないグレタにとって砂糖は必需品だ。合わせてヘレナも飲む。
「しかし、今回は何の必要性もないじゃないですか。王都に引き取らせばいいというのに」
「そんな投げ捨てるような真似ができるか。私が拾ったのだ。私が責任を取るのが道理ではないか」
「よく言いますよ……」
 そこで言葉を切ったグレタは、ヘレナに対してすっと細めた目を向けた。心を読み取ろうとするように。
「本当は、監視が目当てなのでしょう? あの男が予言に出た人間ではないかと疑ったからこそ、貴方はあいつを手元に置くべきと考えた」
 そう詰問されたヘレナは、同様に目を細めると、
「……予言、か」
 鼻で笑った。
「ヘレナ様、いつも言っているでしょう? 貴方は聖女様を馬鹿にしすぎです」
「何を言う、馬鹿になどしていない。しかし、その予言とやら、大して当たるものでもないからな」
「当然です。予言とは外すことに意義があるのですから」
 言葉にこそしなかったが、まったくそのとおりだとヘレナは内心同意していた。
 シルヴィアの聖女。唯一神カルディナの声が聞けるという聖女は、実のところグレタも王女であるヘレナもどんな人物なのか知らない。ただ、神託を受けるのは修行で身につくものでなく、生まれながらの才能らしい。聖女が死ぬたびに新しい聖女がどこかで生まれ、その聖女が死ぬとまた生まれると代替わりする。
 その聖女の神託を聞くのはカルディニス教団の教皇を含む中枢だけ。無論カルディナ神の声を聞くことができるのだからその言葉は絶対と思うのが普通だが――これが、的中率は意外と高くないのだ。
 グレタのように、教皇など司祭司教たちはそれを『外させてくれた』としている。つまり予言は我々への警告であり、それをしっかりと心に収め注意すれば、予言とは違う未来を与えてくれるのだと。
 確かに、完璧に当たる予言などあれば、予言を聞くこと自体意味がない。絶対に変えることができない未来なら、何をしても無駄ということになってしまうからだ、とは母の受け売りだが、幼き頃のヘレナはその言葉を胸に生きてきた。神でも、未来を支配しているわけではないと。
「しかし、今回の予言はどう注意すればいいのだろうな。何せ、「なんだかわかりません」ときた」
「そ、それは……」
 二の句が告げないグレタの様を微笑する。別にグレタが悪いわけではないが、先輩のこういう姿はたまにしか見られないので貴重品だ。
 事実、そんな内容の予言だ。あの日、何かが現われるとあったが、それが何なのか不明。聖女様自身もわからないと。仕方なくその場所に訪れたら、魔獣との戦闘になり、一人はぐれた私があいつを見つけたのだ。つまり、一機が予言の存在かも今はわからないということだ。
 ただ、聖女様が言うには、その存在がこのメガラを大きく歪ませる、あるいは変える可能性を持つと。どれをとっても曖昧ではっきりしない予言だ。これでは何も言われていないのと同じではないか。
「気にし過ぎだ。いくらあちらの世界の人間でも、生身の人間一人で世界がどうにかなるか」
「そうですかね。絶望の国(ナイトメアワールド)が、良きにしろ悪きにしろ、この世界を変えたのは事実ですよ」
 ピクリ、と眉をひそめた。しかめっ面になっているかもしれない。
 ナイトメアワールド――悪夢の国とか、絶望の国とかいう意味のその言葉は、『文明の漂流』の先、つまりアマデミアンの世界を指す。どうしてそう呼ばれているかなどヘレナの知るところではないが、正直その呼び方は好きではなかった。
「ずいぶん不遜な呼び方だな。他人(ひと)の世界を地獄呼ばわりとは」
「実際にそういう通称なのですから仕方ないじゃないですか。我々が論ずることではありません」
「まあ、そうかもな。とにかく、今はまだ何もはっきりしていないんだ。手元に置いておくのが一番と思うがな。それとも、いきなり斬って捨てるか?」
「冗談ではありません。蛮族ではないのですから」
 なら決定だ、と返したヘレナにまだ不服そうにしながら、グレタはぐいと紅茶を飲み干した。
「それで、明日の予定は?」
「うん? 決まっているだろう、ライノス領へだ。当初からその予定だ、変わってなどおるまい」
 そう、元々我ら親衛隊はライノス領へ向かっていたのだ。そこに聖女様の予言があったとして向かわされた。おかげで日程が数日変わったのでグレタが暴れかけたなあと思い出す。
「そうではなく、貴方自身の予定です、ヘレナ様。どうせつきっきりで修行するんでしょう?」
「ぶっ」
 紅茶を喉に詰まらせかけた。むせていると、してやったり顔でグレタが笑っている。おのれ、仕返しか。
「……心配せずとも、行動に支障を取らせたりはせん。ライノス領ゴルノ・ライノス城へ三日後到着は変わらんよ」
「ライノス、か……あの成り上がりの商人が、親衛隊が来るというのに迎えも何も寄越さないで」
「…………」
 本来なら、悪態をつくグレタをたしなめなければならないが、何も言えなかった。現領主ジャクソン・ライノスが気に食わないのはヘレナも一緒だったからだ。
 十年前、ライノス領は平凡な領地に過ぎなかった。名門貴族が治めているわけでなく、『黒い水』が出るとして大した作物も採れなかった。シルヴィア王都から少し離れた僻地で、親衛隊が遠征へ出向くこともなかった。――地下の《アレ》を除けば、だが。
 しかし、ジャクソン・ライノスの存在が全てを変えた。ポッと出てきたジャクソンは商魂逞しく、シルヴィアからそう遠くもなく平地の地形を利用して、道路整備を行い交通の要地とした。普通の人間ならここで通行料を取るのだが、ジャクソンは一切取らなかった。その結果ライノス領、特にゴルノ・ライノス城がある首都カールは多くの商人御用達の都となり、商業都市として急速な発展を遂げた。
 そのジャクソン・ライノスの商才に疑問や苦言を呈する者も少なくない。恐らく半分はやっかみだろうが、そもそもこのジャクソンがライノス家の人間じゃないのではないか、ジャクソンはゴルノ・ライノス城の地下に財宝を隠しているとか、何かしら噂が絶えない。しまいには、シルヴィア滅亡を目論む賊を率いているなんて始末だ。
 親衛隊が遠征、謁見することになったのもそのせいだろう。簡単に言えば、最近粋がっている田舎者領主をビビらせてこいということだ。栄光あるシルヴィア親衛隊のはずが、堕落したなと自重の笑みを零す。
 そう、ずいぶん堕落した。全てはあの日の、四年前のあの日だ。私がまだ神と、シルヴィアの栄光と誇りを信じていた日。そして、その全てを失った日――。
「……ヘレナ様?」
「はっ」
 気がつくと、グレタが不審げに覗き込んでいた。
「どうかしましたか? 暗い表情をしていましたが」
「い、いやなんでもない」
「そうですか……」
 というと、割と簡単に下がってくれた。気取られたか? と息を飲んだが、その気配はないので小さく安堵する。
 今の親衛隊の立場に納得いかないのはグレタも一緒だろう。いや、むしろ性格上鬱積はグレタの方が溜まっているはず。一機の件であれだけ荒れたのも日頃の不満が顔を出したからだ。なにせこいつは司祭も眉をひそめるほどの原理主義者だからな。
 そういうわけで、今回の遠征には私もグレタも乗り気ではない。しかし騎士として、軍人として与えられた命令を果たさないわけにはいかない。結局、行き着くのはその鉄則だけだ。
「まあ、気楽にいこう。あんな噂、どうせ与太話だ。元老院の馬鹿共が過敏すぎるのだまったく」
「でしょうね。まさか《アレ》を動かすなんて、本気で信じているんですかね?」
 そう言うと、二人顔を見合わせて笑った。しかし、その笑いはどこかわざとらしかった。
「とにかく、明日は早いから、もう寝るとするか」
「そうしましょう。特に、あの男はね。もう寝たんでしょうか?」
「……さあ」
 一瞥した視線を見返しもせず、ヘレナは答えた。その先に、少し前までいた人間など気に止めることでもないという風に。
「良かったんですか。最初から聞いていましたけど」
「構わんさ。別に聞かれたところで大したことではない」
「?」と不思議な様子のグレタにフッと笑いかけ、
「言ったろう。何が起きるか、何を示しているのかわからん予言だと。戯言と一緒だそんなもの。あいつと関係があるかもはっきりせん。ならば、聞かせても聞かせなくても大差ない」
「……要するに、貴方最初から信用していなんですね」
 呆れてため息をつくグレタに対し、一応親衛隊隊長の役目として無言を返した。

    ***

 寝袋に飛び込んでも、動悸を抑えることは不可能だった。
 心臓が冷たい手に鷲掴みにされたように苦しい。全身を寒気が包んでいる。
 何故、どうしてこんなになっているのか自分でもわからない。ただ、水でも被ったように悪い汗をかいているのは事実だ。
 ヘレナとグレタの会話が、頭の中をグルグルループして止まらない。
 監視。予言。それを聞いた時点で頭が真っ白になり、あとはほとんど耳に入ってこなかった。途中で耐え切れなくなり、こっそり逃げたから詳細はわからないが、そんなことはどうでもよかった。
 そもそも、最初から出来すぎだと疑うべきだったのではないか? 珍しくないとはいえ、所詮は金も何も持たない流れ者な一機に、救いの手をあんな簡単に差し出してくれる人間なんかいるわけない。当たり前の話じゃないか。
 なのに、あっさりと乗せられて……情けない。麻紀に言われたことがあるな、結局のところお前はお人よしで騙されやすいと。どうもそうらしいな。
「……まあ落ち着け。何を動揺してるんだ。向こうの思惑がどうあれ、こっちには他に方法がないのは確かなんだから。ついていくだけだ」
 そう自分に言い聞かせると、どうしても腹がムカムカしてくる。これはなんだ? ――ああ、そうか。と納得する。
 単純なことだ。どこへ行っても、流されるしかない自分の不甲斐無さ、変わりの無さに嫌気が差しているだけだ。ヘレナに親衛隊に入れと言われて嬉しかったのは、どんな形であれ自分を許容してくれる人間がいてくれたからだ。
 馬鹿か俺は。今更何をはしゃいでいたんだか、と笑う。
 必要とされないことなんて昔からじゃないか。違う、そもそも必要とされたことなんて無い。いっつも邪魔者扱いだ。そりゃ、役に立ったことも無いけど。親戚も――あれは俺じゃなくて遺産相続人が必要なのであって、もし父に子供が別にいれば、一機である意味は無い。ホント、不必要な人間だ。
「あーあ、せっかくの新世界でも、俺は俺のまま変わりないってか。アホらしい……」
 寝返りを打つ。岩のゴツゴツした感触が薄い寝袋に容易く伝わって痛かった。……むしろ、状況が悪くなってると思うのは気のせいか? なにせこっちには家も金も無い。パソコンも無ければ電気も自転車もテレビも無い。鉄伝とPLPはあっても充電できないからいずれは沈黙……なんか、ラインナップが寂しすぎるような。
「でも……しょうがないよな。だって……」

 ――いっそ、どっか別な場所にでも行きたいねえ……

 あの時、響いたのがいったい誰の声だったかは知らん。でも、そう言ったのは、そう願っていたのは確かだ。だからすぐ諦められた。すぐ受け入れられた。
 自分で選んだのだから。あの地獄のような世界から逃げることを。
「まったく、絶望の国(ナイトメアワールド)とはよく言ったもんだ」
 ナイトメアワールド――悪夢の国。こちらの言葉なら絶望郷か? そんな通称で呼ばれるくらい酷い国かと言われれば、俺はイエスと答えてしまう。他のアマデミアンも、俺と同じ気持ちだったのかもしれない。
「ま、理想郷(ユートピア)にはほど遠いけど、絶望郷(ディストピア)よりはましだろう」
 そう思い込むことにして、寝袋を目深に被って寝た。
 正確には、ほとんど寝られなかったのだが。

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: