Last Esperanzars

Last Esperanzars

第二話 アポトーシスXII


「あん? 何って、何さ」
 携帯から伝わる呆れ返った声に、東馬はめんどくさそうに返した。
(何でよりによって如月行名乗ってんだよ。別に東馬十二でもよかったろうが)
「どうでもいいだろそんなこと。どうせ名前なんてあってないようなもんなんだから俺たちには。それに『地獄門』関連の事案なら、この男ほどふさわしい名前はないと思うが?」
(ば、馬鹿、その名前を使うな)
「大丈夫だって、秘匿回線なんだろ? それより、回収されたレイバーはどうだった」
(ああ、ダメだ。定例通りプログラムは完全消去されている。どこに問題があったかもわかっていない。まるで、自殺したかのようにな)
「やっぱ、『アレ』か」
 携帯を少し外して、東馬は小さくため息をついた。
 予想されていたことだが、これで確実になった。よりにもよってあんなものを封印しておくとは。東馬は面識がないものの、相当狂ってるとしか思えない。
(で、そっちはどうなんだ。様子は?)
「問題ない……と言いたいところだが、あの口ぶりだとどうもね。多分感付かれてるぜ」
 息を呑んだ男を無視して、東馬は後ろを振り返る。取ってつけた様なプレハブ建築が、夜闇に隠れると不気味な迫力がある気がした。
「疑ってるどころか、おそらく確信まで向かっているだろう。下手に腹探られるより、カードを見せた方がいいと思う」
(いや、しかし……!)
「どうせ大したことじゃないだろ。問題があるのはホスの方であって、俺達はほとんど関係ないんだから」
 それでもまだ渋っている電話口の男に対して、東馬は「……吉崎」とため息混じりに付け加えた。
「いいか、これは弾が何かなんて話じゃない。自分の心臓に突きつけられた拳銃の中身がなんであろうと、撃たれりゃ確実に貫いて即死させる。だから、そんなこと考える必要は最初からない」
 ふと、視線を彷徨わせた。眠らぬ街で唯一星が多く見えるお台場付近で、唯一つ煌々と輝いている巨大な洋上プラットホームがあった。
 全長500メートル、洋上高150メートル。都市再開発計画『バビロンプロジェクト』において、計画を支える約三千六百台のレイバーの整備を一手にまかなうその建造物を、何故だか知らないが『方舟』と人は呼んでいた。
「……愚者は笑う。愚かざる塔を笑う。塔の歌が聞こえる時、小人たちは息を吹き返す――」
(え? なんだって?)
 唐突に呟かれた言葉を、吉崎と呼ばれた電話の相手は理解できなかった。東馬は「なんでもない」とぶっきらぼうに返すと話を戻した。
「もう一度言うぞ? 放たれる銃弾の質なんかどうだっていい。大事なのは……トリガーだ」



 スーパーロボット大戦B
 第二話 アポトーシスXII



「お待たせしました……ってあれ? どうかしました?」
 電話を終えた東馬は、特車二課の棟屋に入っていった。すると、中で第二小隊の面々がひどく嘆いていた。全員あからさまに失望と絶望を顔に浮かべている。
「嘘だろぉ」
「本当に?」
「冗談じゃねえよな」
「タミ子さん、ごめんね」
「勘弁してよもう」
 太田功巡査、山崎ひろみ巡査、篠原遊馬巡査、進士幹泰巡査、泉野明巡査と口々に不平を漏らしている。
「何だ何だその態度は。第一小隊の先輩たちが戻ってくるまで、この街を悪党どもから守れるのは俺たちだけなんだぞ」
 そう隊員を励ましている後藤隊長も嫌そうな顔をしている。いや、この人はいつもこんな感じか?
「あの、どうかしました?」
「ん? ああどうも。いやね、うちの第一小隊、知ってます?」
「ええ。特車二課のエリート小隊、確か《TYPE-ZERO》の機種変更訓練に行っていると聞きましたが?」
《TYPE-ZERO》。《零式》とも呼ばれる新型レイバーは、《イングラム》に次ぐ純警察用レイバーとして納入が予定されている。ハードとしての性能もさることながら、その最大の特徴は次世代OSであるHOS、Hyper Operating System、通称ホスをの使用を前提として開発されたことだろう。篠原重工が二ヵ月前に発表した革命的なOSであるHOSは、従来の機体に載せ替えるだけでも三十%は性能が向上するとして、今では八十%近いレイバーのみならず、主に日本のMSやPTに装備されている。その次世代の主力機を、エリートがまず乗るのは当然として行かされたそうだが、その彼らがどうした。
「それがね、第一小隊の面々が戻ってくるの、延びちゃったんですよ」
「え?」
「訓練期間の延長とやらで」
「はあ……」
 そこまで聞いて、東馬はなんとなく内容を理解した。恐らく、駐屯地のレイバー暴走事件が警察の耳にも入っているのだろう。結構暴れまわったから当然として、それで訓練期間を延長させるとなれば、あいつらも事の真相を嗅ぎつけているというわけか。舐めやがって。
「しかし、それだとオーバーワークでしょう。たたでさえ最近レイバー事件が多いはずでは?」
「そうですよ、隊長!」
 熊耳武緒巡査部長が声を荒げた。後藤隊長に噛みつく。
「今週中には全員帰隊できると言ったじゃないですか。これ以上の負担はミスを誘発させる危険があります、納得のいく説明を……!」
「そうだよぉ、俺たちの人権は誰が守ってくれんだよまったく」
「そんなものはない」
 にべもなく言い放つ後藤隊長に、小隊の面々はまた息を吐いた。
「進士さんショックだね」
「この一月で家に帰れたのが三回ですよ三回、なんとかならないんですか」
「あれ、貴方結婚してたんですか?」
「ええ、でも最近はほとんど帰れなくて、これはもう歴とした夫婦の危機ですよ……」
「結婚なんかするからだ馬鹿が」
 気弱そうな顔をした進士巡査の嘆きを、ばっさりと太田巡査は切って捨てた。
「はは、確か、ここ二ヶ月で先刻のような暴走事件が二十二件でしたか。大変ですねそれは」
「他人事のように言わないでください。それより、如月さんでしたっけ。貴方誰なんですか?」
 気がつくと、第二小隊の面々が一様に疑惑の眼差しを向けている。説明しなかったのか? と込めた視線を後藤隊長はあからさまに無視。この昼行燈が。
「ああ、申し訳ありません。自己紹介した通り、私はECOAS極東支部から来た者です。本日ここに来たのは、頻発するレイバー暴走事件についてお聞きしたいことがあって来たんです」
「お聞きしたいこと、ですか?」
 山崎巡査の不安そうな声に、東馬は「ええ」と答えた。
「詳しいことは申し上げられませんが、私もこの事件を調べているのです。聞きたいことは、そうですね。現場に立ち会った方々の個人的な意見など……」
「聞きたいのはこっちじゃあ!」
 間髪入れず怒声が響き、東馬もさすがに驚く。
「ここんとこずっと出動ばかり。寝るのもままならん! いい加減嫌になる」
「どうかーん。ここんとこ出動多すぎだよ」
「しかも原因不明ですからね。本庁とメーカーは、レイバーシステムにおいてプログラムの暴走による事故はありえないから、乗員の操作ミスってことにしてますけど」
「単なる操作ミスで、ここまで連続して暴走なんかするはずないでしょう。操縦者は再起動してから勝手に暴れ出したなんて語ってるけど」
 第二小隊の面々が話し合うのに熱がこもってくる。不平不満を抱えているのはみんな一緒か。
「ふむ……確か、暴走したレイバーの一部が回収されてましたよね? ちょっと失礼」
 そう言うと、東馬はその場を後にした。

「うん? 誰だあんた」
「お聞きになっていると思いますが。初めまして、ECOAS極東支部より参りました、如月行と申します。榊清太郎整備班長さんていらっしゃいますね?」
 渡された名刺を一瞥すると、興味なさそうにすぐポケットに入れてしまった。書類に書いてあったとおり、ずいぶんとっつき辛そうな人物だなと東馬は冷や汗をかいた。
「で、その連邦政府の方が俺になんか用か?」
「ええ、お聞きしたいことがありまして。先日暴走したレイバー、こちらに回収されているそうですね」
「それがどうした」
「見せてもらいたいと思いまして。構いませんか?」
「別に構わんがな、見たって何もないぞ。全部消えてやがる」
「――何もない、ですか?」
 聞き返した東馬に何か気付いたようだが、榊班長は「ああ」とそのまま答えた。
「俺はああいうの詳しくないから知らないんだがな、レイバーの中にOSどころか何のプログラムも入ってなかった。文字通りカラだ」
「カラ、ですか。プログラムが入ってないレイバーが暴走することってありますかね。私も疎いので知らないんですが」
「あるわけないだろ」
「では、どういったことが予想されますか?」
 そう聞くと、榊班長は一呼吸置いて
「……止まった際、何らかの理由でデータが消えたか」
「自分で消したか、ですね?」
「……ああ」
 解答を聞くと、「ありがとうございました」と礼をして戻っていく。
 これで決まった。いや、最初からわかっていたこと。元より単なる確認に過ぎない。それに、本当の調査はここから始まるのだ。
「あっと……すみません、もう一つお聞きしたいことがありました」
「何だ今度は」
「その《イングラム》、ホスは搭載されているんですか?」
 そう言って示した先には、整備班の面々が一号機と二号機を懸命に整備していた。
「……ああ。OSを書き換えたのはシゲがやったんだがな」
「わかりました。忙しいところすみません。では、私はこれで」
 それだけ告げると、東馬は整備の喧噪を背に向けて去っていった。

「……問題になってる? 何が?」
(決まってるだろ、《喪羽》を使ったこと。あんな簡単に使用するなんて、って上はカンカンだよ)
「放っておけばいいんだそんなの。どうせ俺が何したって文句しか言えないんだから」
 歩きながら、東馬は携帯で喋っていた。一応秘匿回線だが、それでも傍聴される心配はある。それでも使っているのは、お互い話し方は心得ているのと、傍聴されてもだからどうしたという考えがあるからに他ならない。
(それで、今度はどこ行ってるんだよ)
「前に寄こされた、あの男の住居さ。ったく、揃いも揃ってぼろアパート、それも二年間に二六回も。気がしれんね。お、着いた着いた」
 アパート前に立つ。事前に大家には許可を取っておいたから、一人きりだ。どうもこの前に警官が来たようだが……まあいい、仕方のないことだ。渡された部屋の鍵で戸を開ける。今時電子錠じゃないのも珍しいな。
「うっわ……酷いな」
 目の前にあったのは、狭く、そして汚い部屋だった。清潔や生活感とずいぶん昔に縁を切ったとしか思えない人物でしか住めそうにない部屋の主が、高給取りで知られるレイバー関係のプログラマー、しかも後発とはいえ大手の篠原重工の人間だなんて誰が想像するか。――ま、そこをつけ込まれたようなもんだがな。
「ここにも何か残っている様子はないな。まったく、証言通り気が知れん人物だったようだが……おっと、それで例の件は?」
(ああ、機械獣か。確かに増えてるな。ここんとこ連日、小規模とはいえ関東圏全域だよ)
「関東圏か……迎撃は、光子力研の面々が?」
(そりゃ、機械獣とまともに戦えるのはマジンガーシリーズだけだからな。量産型グレートマジンガーもまだ試作途中だし、MSやPTじゃ相手するのは難しいんじゃしょうがないだろ)
「ゲッターは?」
(ああ、無理無理。例のニューヨーク壊滅事件でゲッター線の研究滞っちまった。別のゲッター研究してるらしいけど、しばらく動けないよ)
「じゃLGは……ダメか。あいつらが動くわけがない」
 頭を煩わしそうに掻く。電話相手の吉崎が「なあ」と聞いてきた。
(なんでこんなこと調べさせたんだよ。《喪羽》が何か教えたのか?)
「そんな必要はない」
(はあ?)
 民間上がりの惚けた口調に、苛立つものを感じながら「あのな」と話し始める。
「戦略的にわけのわからん機械獣の連続的な出没、しかも全部関東圏なのは、下手に遠いと出撃自体されなくなるのを防ぐためだろう。到着まで何十分もかかるところまでわざわざ呼ぶ馬鹿自衛隊にもどこの軍隊にもいねえよ。だから、考えられる線はただ一つ」
(……まさか)
 息を呑んだ吉崎に対して「もうあっちはわかってるだろうが、一応護衛の部隊回した方がいいんじゃないの?」など付け加える。
「まあ、こっちの仕事はきちんとやるよ。暗中模索が正直なところだが、とりあえず動くしかないからな。じゃ」
 それだけ言って一方的に切る。なるべくゴミを踏まないようにして、窓際に辿り着いた。
「あれは……」
 窓から見えたのは、巨大な洋上プラットフォーム『方舟』だった。
 人々を救う舟の名を持ったその建造物が、東馬には愚劣な塔に思えた。

 翌、夕方に、東馬は愛車のバイクと共に特車二課の棟屋にまた訪れていた。
「さて、どう切り出すかな……あれ?」
 階段を上ろうとしたら、泉巡査が大量のトマトを持って歩いていた。
「あれ? 泉巡査、なんですかそのトマト?」
「え、あ……昨日の人? え~と……」
「東……いえ、如月です、如月行」
「ああ、そっか。なんだ、また来たの?」
「はい、また用事がありまして……ところで、なんですかそのトマト?」
 バケットに収められた大量のトマトは、どう見てもそこらで買ってきたように見えないほど瑞々しかった。待てよ、そういえばここって……
「これ? うちの畑で採れたの。ひろむちゃん上手なんだよね、食べます?」
「いや、結構」
 そういえば、食糧事情があまりに寂しいので、自分で畑とか魚釣りとか、船で漁しているとか聞いたが……本当だったのか。
「まあいいかんなこと。泉巡査、隊長さんいますか?」
「ああうん。これから行くところだけど。それより、泉巡査って止めてくれません? 野明でいいですよ」
「あ、そうですか。じゃあ野明さん、ちょっと内密に話がしたいので、トマトは少し待ってくれませんか?」
「え、あ……」と置いてけぼりの野明を無視して、東馬は部屋に入っていった。

「失礼しま、おっと」
 東馬が部屋に入ると、後藤隊長、篠原巡査、榊整備班長の他に、第一小隊隊長の南雲しのぶまでいた。みんな重い表情を浮かべている。
「あら、来ましたか」
「貴方ですか、例の極東支部から来たというのは」
「は、はい。如月行と申します。どうしたんですか皆さんお揃いで」
 このメンバー、そして調べまわっていたらしい篠原がいるということは……バレたか。まあしょうがないか。
「丁度いい。篠原、説明してくれ」
「え? いいんですか? でも……」
 明確にこちらへの不信感を露わにされるが、後藤隊長が「いいから」と頷いたので渋々開始する。
「――暴走事故を起こしたレイバーのメーカー、機体の整備状況から乗員の身元にいたるまで可能な限りの項目でチェックしてみましたが、どの事故にも共通するのはただ一点だけ。メーカーとは無関係に暴走したすべてのレイバーが、篠原ホスを搭載していたという事実です」
「でも、ホスの装備率は全登録レイバーの八〇%を越えているのよ」
 南雲隊長の言うとおり、わずかな期間でホスはほとんどのレイバー、その他MSやPTに装備されている。今時まともなレイバーならホスがあると言わんばかりだ。だが篠原は続ける。
「それでも百%という数字はデータ的に無視できません。それにもう一つ、暴走事故が多発するようになったのが二ヵ月前、これはホスが発表された時期とぴったり符合します」
「……ちょっと、聞いていい?」
 手を挙げて、東馬は声を出した。予想外の場所からの攻撃に篠原は少し驚いた様子だったが、すぐに態勢を立て直す。
「ホスは現在、レイバーだけじゃなくてMSやPTにも装備されているのに、目立った暴走事件がないのはどういうことだ? それに、レイバー暴走事件は都内に限定されている。確かにレイバーの半数近くは『バビロンプロジェクト』に集中して配備されているが、それでも全部じゃない。他の地域のレイバーが暴走した件は、報告されていないんだろ?」
 ぐっと、篠原が口ごもるのがわかった。自分でもそれは気にしていたらしいが、結論が掴めなかったようだ。無理ないか。
「うん、それにだ」
 後藤隊長が割って入った。ここで入るということは――やはり、知っていたか。
「ホスってのは篠原重工がシェアの独占をはかって発表した、画期的なOSだ。それだけに万が一にも欠陥品だなんてことになりゃあ、致命傷にもなりかねん。それにレイバー用のOSに認可を出す役人連中も無能じゃあない。ホスにバグがあったのなら当然デバッグの段階でひっかかってるはずだ」
「しかし、これだけデータが揃えば間違いありません。ホスには致命的な欠陥があるはずです。このデータをしかるべき筋に提出し、篠原重工にプログラムの公表を迫るべきです……!」
 なおも食い下がる篠原に、まあ抑えろと制した。
「まあ聞けや。お前の言うとおりホスと一連の暴走事故との間に因果関係が認められたとして、しかもOSとしてのホスに欠陥がなかったとしたら、どうだ」
「……は?」
 理解できない、と顔に書いてある篠原にいつもの半分閉じた目を向けると、躊躇いなく続けた。
「つまりだ、暴走事故がプログラムのバグの結果でなく、意図的にプログラムされたものだとしたら、と言っとるんだよ」
 目を見開いた篠原と南雲隊長に反して、榊整備班長は眉一つ動かさない。表情が読めないだけかもしれないが、少なくとも東馬と同じく無表情だ。
 ふと視線を感じた。振り返ると、後藤隊長の目がこちらに向けられている。値踏みするような瞳……やはり、知れているのを知られていたか。いつから調べていたんだが、まったく恐ろしい人だ。
 すると、後藤隊長は机から紙束を取り出し、南雲隊長へ渡した。
「これ読んでみてくれる。松井さんからの第一報」
「なにこれ? 『帆場暎一に関する報告書帆場?』 帆場暎一ってもしかしてあのプログラマーの?」
 帆場暎一、の名に一瞬身構えてしまった。承知の上とはいえ、改めて露呈していると教えられるのは心臓にいいものじゃないな。
「帆場暎一。篠原重工ソフト開発事業部のエース。ホスをほとんど自力で開発した天才プログラマー、だったそうだ」
「……推定年齢三十才、〇七年MIT留学より帰国、ただちに篠原重工に入社。本籍不明、経歴不明、係累不明、身長約百七十センチ、病歴を含むその他の身体的特徴不明。何なのこれ」
 呆れたように報告書を突き返した。確かに何なのこれだ。報告書とも呼べない、仮にこれを履歴書にしてアルバイトへ出したら確実に落とされるだろう。
「篠原の人事課のコンピュータはもちろんのこと、学籍、戸籍簿にいたるまで彼のデータはきれいさっぱりメモリから消えちまってるそうだ。臭いなんてもんじゃない」
「だったら話は早いじゃないすか。この男をしょっぴいて尋問すりゃ」
「それができんのよ」
「できないって、どうして」
 二人の言い合いに、東馬がため息をついてしまう。血が上り始めていた篠原はキッと睨みつけるが、東馬は相手にしない。
 そう、臭いなんてもんじゃない。グレーを通り越して確実に黒だ。そう判断した市ヶ谷も、躍起になって捜査を始めた。しかし……
「彼、方舟の篠原のラインに派遣されてたらしいんだけど、ちょうど5日前、海へ飛び降りちゃったんだ」
 息を呑んだ周囲を無視して、立ち上がった後藤隊長は窓の向こうへ目を向けた。
「死体は、あがらなかったそうだ」
 でしょ? なんて顔を向けてきたので、東馬は憮然とした表情を返すしかなかった。ったく、狸だか狐だか知らないが、どうやって調べたんだか。
 ため息とともに席に戻ると、話を続ける。
「今回は出遅れたよ。ホスはくさいとあたりをつけはじめた矢先だもんな。もうちょっと早く手をうってりゃまあいいか。バグであれ計画的な犯罪であれ、ホスの容疑はきわめて濃厚なわけだ。あとはその実体だが、開発者であり有力な容疑者でもある帆場の線は引き続き松井さんに洗ってもらうとして、篠原、何だその顔は」
 言われた篠原は、むくれたような顔して目を逸らしていた。そりゃむくれるよな、と東馬は内心同情した。
「結局隊長は、はなからホスをクロだとふんでたんでしょ。徹夜までして、俺ってまるっきり阿呆みたいじゃないですか」
 まったくもって同感。そういや目にくまがあるような。徹夜までしたのか。
「このまま終わればな。何が暴走のトリガーになるのか、引き続きデータの解析を頼みたい。やる気は」
「あります」
「それから、この件についてはこの場にいる人間以外は口外無用だ。いいな」
「……あの、そりゃまたなぜ」
 馬鹿、と叫ぶところだった。脇に逸らした先に、榊整備班長のサングラスがあってかなりビビった。
「忘れたのか。先月上からの指示で、シゲさんが《九八》のOSもホスに書き換えたばかりだろうが」
 不意打ちを食らった表情の篠原。やっと気づいたか。
 そう、ホス自体に何か問題があるとすれば、そのOSを装備している《九八》、《イングラム》も暴走する危険がある。しかし――
「ホスと暴走が無関係と実証されない限り《九八》も危険をはらんでいるわけだが、出動がかかれば出ないわけにもいかん。今ことをあかしても、隊員に無用の動揺を与えるだけだ」
 すると、そこまで一言も喋らなかった榊整備班長がおもむろに立ち上がった。
「ちょっと八王子に行ってくるぜ」
「親父さん」
「俺なりに確かめたいことがあるだけだ。あんたの仕事の邪魔はしねえよ」
 そう言ってズカズカ部屋を出ようとすると、篠原が制止した。逆の意味で。
「隊長、俺も行きます。行かせてください」
 その進言に、めんどくさそうに頭を掻いたが、仕方なくと言った様子で応じた。
「言わんでもわかっとるだろうがな」
「自重します」
 そこで再び部屋を出ようとするところを、東馬がまた止める。
「待ってください。私も同行してよろしいですか?」
 唐突に発された一言に、場の全員が驚いた。よろしいですかと聞いておきながら、実際は行かせろと威圧感を出している。しかし、全然動じる気配を見せなかったので、「後で全て説明します」と後藤隊長に目で訴えた。
 行っていいよ、と手をひらひらさせた後藤隊長に、篠原も不満そうだが従った。部屋を出ると、その脇にトマトが置かれてあった。
 見覚えがあったトマトに、知らずのうちに足を止めてしまう。これは、もしかして……
「あれ、これは……?」
「何してる、行くぞ」
「あ、はい」
 促され、再び足を動かした。止まってしまったのは、篠原も一緒だったようだ。

「……いいの?」
 問われた後藤隊長は、「いいさ」と抜けたような声で返した。
「夜には戻る。出動がかかったら隊長自ら指揮をするさ」
「そっちじゃなくて、市ヶ谷から来たとかいう彼」
「ああ、そっちか」
 南雲隊長も『市ヶ谷』の意味を知っていたらしい。すっかり忘れていた、と後藤隊長は平然と受け流した。
「彼、意外と人がいいみたいだし、隠す気もないらしいからさ、こっちにも損はないと思うんだ」
「どうかしらね……確かに、市ヶ谷関連の人には見えないけど」

 *

「べぇっくしょん!」
「うわ、なんだ風邪か?」
「いや、別に……しかし、よく入れたなこんなとこ」
 篠原と東馬がいるのは、篠原重工八王子工場のコンピュータールーム。ここにホスのマスターコピーがあり、それをコピーしに来たのだ。ちなみにここの工場長で常務の実山剛は、榊整備班長と会話している。時間稼ぎってわけじゃないだろうから、知り合いなのかね。あの年齢なら、『赤道の冬』や一年戦争終結後の再建時に機械整備を生業としたのは一緒だから、その線で面識があったのか。
「ところで、まだか?」
「もうちょっとですよ。ていうか、あんた何なの? なんで政府関係者がこの事件を?」
 何度目かわからない、追及の眼差し。いい加減面倒臭くなりながら、まあいいかと語りだした。
「……あんたらが追ってる帆場暎一ってな。報告書には経歴不明ってあったが、少なくとも一つはわかってる。篠原に入る前に、ECOAS極東支部に出向していた」
 ギョッとした顔の篠原に、東馬は薄く笑って「ほんの短い期間だったがな」と付け加えた。
「だけど、その期間に奴は画期的なプログラムを次々と開発した。その様はまさに天才の所業だったらしい。上がなんとか囲い込もうと、法外な金額まで用意したそうだからな。結局全部蹴って、当時まだ大手とは呼べなかった篠原重工になんでか入っちまった」
「……なんで」と眉をひそめた篠原に、知るかと返す。そりゃなんでだろう。囲われるとはいっても、政府関連で馬鹿みたいな給料貰えば文句ないだろうし、その他待遇もかなりのものだった。それ全て捨てて、どうして金もやれることも少ない篠原に行ったのか。当時はわからなかったそうだが……今ならだいたい見当はつく。
「しかしな、色々画期的なプログラムをくれた帆場だったが、逆にこっちからあるものを頂いていったんだ。もっとも、気づいたのは例の暴走事件で初めてだけどな」
「あるもの……?」
「そう。セキュリティをかいくぐって、よく探し当てたもんだよ。あいつのMIT時代、そしてうちに出向していた時代のあだ名知ってるか? エ」
 そこまで言いかけて、コピー終了の画面が浮かんだ。終わったかと、篠原はUSBメモリを取り出す。
「やっと終わりか……ん?」
 すると、引き出しの奥にホスのマスターコピーが入ったCD-Rがあった。
「ホスのマスターコピーか」
 早速取り出してみると、パスワード入力画面になる。
「なんて入れるかわかるか?」
「んなもん、わかるわけないじゃん」
 苦笑した篠原は、「んー」と少し考えると、適当に入力した。
『E.HOBA』と。
「……え?」
 東馬が唖然とすると同時に、篠原がエンターキーを押す。
 そうすると、英語表記で文字が浮かんできた。
「な、なんだこりゃ?」
「……『いざ我ら降り、かしこにて我らの言葉を乱し、互に言葉を通ずることを得ざらしめん』これって、確か聖書の……」
 その瞬間、文章が消え、次々とアルファベットが表示される。A、P、O……APOPTOSIS。
「……!」
 ゾクリと、寒気が襲った。APOPTOSIS。アポトーシス。これが俺の知るアポトーシスだとすれば、その次は……
「やばい、電源を切れ!」
「え、ええ?」
 いきなり騒ぎ出した東馬に驚いた篠原。しかし、時すでに遅し。
 APOPTOSISの表記が消え、パソコンの画面がBABELの表記で埋まる。だがそれだけではない。
 傍にあったコピー機はBABELの文字を印刷し続け、部屋中に埋まったコンピューターも全てBABELを表示し出す。
「な、なんだこりゃ……うおっ!」
「ボーッとするな、逃げるぞ!」
 呆然とする篠原の手を引き、部屋から駈け出す。工場中のモニターが、BABELの文字で埋まっていた。

「いや驚いたのなんのって」
「何やってんだ馬鹿ども」
 車の中、一緒くたになって整備班長に怒られた。言われるとおり、馬鹿だなこれは。急いで逃げ出したが、今頃八王子工場はパニックだろうな。
「足のつくようなもの残さなかったろうな」
「そりゃもう。でもあの部屋のロックナンバー知ってるのは俺と爺ちゃんだけだから、いずれはばれますね」
 だったら意味ないじゃないか。呆れかえる東馬を代弁するように、「当分あそこの敷居はまたげねえな」と笑った。
「でも収穫はありましたよ。マスターコピーにあんなやばいプログラムが入ってるようじゃ、篠原内部でもホスのプロテクトは破れてませんね。首都圏にひしめく八千台のレイバーは、中に何が入ってるかわからない怪しげなOSで今も稼働中、ってわけです」
 だろうな、と内心頷いた。ホスのプロテクトは、市ヶ谷の方でも破れていない。プラティカルベースの天野卯兎美にも頼んだようだが、さすがに四日じゃ無理だそうだ。そろそろWWWも始まる時期、少なくとも一週間以上はかかる計算になる。これじゃどうしようもない。
「ひでえ話だが遊馬よ、勘のいいやつはそろそろ騒ぎはじめるぞ。遅かれ早かれお嬢ちゃんにも気づかれる。早いとこ解決しねえと、な」
「はい」
 と答えた篠原の運転席の前に、完熟トマトが置かれていた。

 *

「よし、ご苦労さん。下がっていいぞ」
「失礼しました」
 八王子の騒動から帰った東馬たちは、隊長室に戻って報告していた。その場には、後藤隊長及び南雲隊長とさっきのメンバーがいる。
「……さて」
 篠原が帰ると、何の気なしにテレビを付けた後藤隊長がこちらに向き直った。
「そろそろ、あなたから話を聞きたいんですけど?」
 いよいよか。覚悟していても、いざその目で睨まれるとさすがに緊張する、と東馬は久々の冷や汗をかいたテレビはニュースが映されていた。
「……そうですね。何から話しましょうか」
 そう言いつつ、ゆっくりと鞄から資料を取り出していた。薄い紙束だが、二人に渡す。
「なんですかこれ?」
「帆場暎一に関するうちの報告書ですよ。もっとも、こっちもあらかた消されてましたが、出向していた当時の記録は残されていましたね」
「出向? 帆場は市ヶ谷にもいたんですか?」
「ええ、ほんの短い期間ですけど」
 そう言って、東馬は篠原に話したのと同じ説明を二人にした。しかし、それも途中までだ。
「……なるほど、だいたいわかりました。でも、まだわからないことあるんですけど」
「なんでしょう?」
「結局、どうしてそんな躍起になって探し回ってるんですか? わざわざ帆場の住居まで歩きまわって」
 ……やはり、知られていたか。そりゃそうだよな。探すものが一緒ならいずれかち合う。しかしあれは異様な部屋だった。再開発で廃墟同然になった、住民もいない町に押しなべてどれもこれも貧相なアパート。どの部屋にも愛玩するには多すぎる鳥籠。そして全ての部屋から見えた、高層ビル。今時珍しくはないが、でも……
 今はそれはいいか。今すべきことは、この目に応えること。隠し事は無理だなと小さくため息をついた東馬は、本来秘匿事項である話を開始した。
「……帆場は、うちに出向時代、あるものを盗んでいたんです。もっとも、それがやっと判明したのは、あの駐屯地での暴走事件ですがね」
「あるもの? なんですか?」
「コンピューターウイルス」
 ピクリと、眉をひそめるのがわかった。空気がし辛い。カミソリを喉に突きつけられたようだ。
「ホスに搭載されたあのウイルスは、元々うちの所有するコンピューターウイルスなんです。名称は、『アポトーシスXI』」
「アポトーシス……?」
「本来は神格化という意味ですが、この場合自殺遺伝子という意味で捉えてください。多細胞生物の体を構成する細胞の死に方の一種で、個体をより良い状態に保つために積極的に引き起こされる、管理・調節された細胞の自殺、正確にはプログラムされた細胞死のことです。オタマジャクシからカエルになるとき、尻尾が自然に無くなるアレですね」
「……その名前がついたウイルスということは、自殺するコンピューターウイルスってわけですか?」
「その通りです」
 暴走したレイバーのホスは、どれもこれも勝手に消滅していた。手当たり次第暴れて止まるか作動不良になったら自滅するプログラム、間違いなくアポトーシスのコンセプト通りだ。
「モデルとなったプログラムはかなり古い代物ですが、うちで改良を重ねてきたものです。接続されている限りそこらのパソコンに感染して破壊しつくす最強のウイルス、と開発スタッフは自画自賛してましたよ」
「で、その最高のウイルスを、ほんの短期間出向していた帆場に盗まれて、ホスに組み込まれてしまったと」
「……悟った時には開発スタッフ、パニック起こしたらしいですよ」
 まあ、市ヶ谷のセキュリティがザルなわけもなし、内部に入ったとはいえ帆場が極端に優秀すぎたんだろう。同情する気はないが、非難する気もない。
「しかしあれでしょ、そちらで作ったウイルスなら、アンチウイルスくらいあるでしょ? それでやっつけちゃえばいいんじゃないですか」
「事はそう簡単じゃないんです。あの男、単にアポトーシスXIを使用したんじゃなくて、自分で改良して強化したんです。それこそ別物のようにね」
「別物ですって?」
「ええ。あれはもうアポトーシスXIじゃない。進化したアポトーシス……アポトーシスXIIと呼ぶべき代物なんです」
 場の空気が重くなる。困惑してるのはこっちもだ。いや、正確には市ヶ谷本部の方か。
 そもそもホスにアポトーシスがインプットされていることが判明したのは偶然にすぎない。暴走したレイバーのOSは通常自然消滅するが、駐屯地のレイバーは破壊されたとき電源が落ちたため消滅せずそのまま残ったのだ。と言ってもほとんど消えていたが、そのデータからアポトーシスの痕跡が見つかって大慌てで捜査を始めたらドッポーンと飛び降りた、ということに過ぎない。
 結局、遅きに失したってことか。それは後藤隊長も同じ考えだろう。
「……なるほどね。つまりそのアポトーシスとやらの被害を隠蔽し処理するために、おたくが派遣されたってことか」
「そう思ってもらって構いません」
「んー……一応筋は通ってますがね、ホントにそれだけですか?」
 興味無さそうにしつつ、その瞳は見えない力を持っていた。
 ――やはり、隠し事は無理か。全部悟られてやがる。しかし、これは……
「ええ、それだけですよ」
 喋れるのはそれだけ、という意味で。それに大して何の反応も返さず、「わかりました」と告げた。
「それで、これから何を調べるんですか?」
「……トリガー、ですかね」
 少し考えてからそう答えた。篠原にも言ったことだが、今のところ暴走はレイバーに限定されMSやPTはおとなしいもの、それに暴走の範囲も酷く限定されている。全国規模で配備されているレイバーのほとんどにホスがあるはずなのに、何故東京だけなのか。
 暴走の原因に、理由がある。単純なスリーピングボムやトロイの木馬ではなく、何らかの要因が、暴走を促すトリガーがこの東京にある。それが判明しない以上、篠原も知らぬ存ぜぬを押し通すだろうし、政府もバビロンプロジェクトの要であるレイバーを停止させたくはあるまい。いつ発射されるかわからん銃口が、市民に向けられているとしても。
 まあ、こちらが気にする話ではないが。「そちらも捜査を続行するんでしょう?」と一応聞いておいた。
「ええ、まあね」
「できれば、こちらにも情報を与えてくれるとありがたいんですがね。何しろ、内容が内容なので人員もずいぶん限られてまして……」
 と言いかけたところで、(昨日の夢は今日の希望――)とテレビが語り出したのが厭に耳に入った。三人がテレビの方を見ると、そこには方舟が写されていた。
(そして明日の現実へと、一歩一歩着実に実を結びつつあります。豊かな明日へ向けて、『バビロンプロジェクト』は新世紀への挑戦です)
 箱舟を飛ぶヘリから発されるキャスターの声とともに、方舟で働くレイバーたちの姿が映し出された。レイバーを整備するための空洞だらけの隙間が、突貫建築の様を見せていた。そしてスタジオに戻される。
(ありがとうございました。次です。次期地球連邦盟主を決めるWWW『ワイセスト・ワールド・ウォー』の開始が迫っています。WWWにおいては連邦政府内でも非難が発生していますが……)

「ふう……」
 翌日。お台場十三号埋立地より離れた東馬は、都内にいた。今屋台のラーメン屋で一服しているところだ。
「どうしよっかなあ……」
 問題なのは、トリガーが判明しないことだ。過去二ヵ月間の暴走事故の発生箇所を調べると、その場所は酷く限定的になる。つまりこの場所にトリガーと呼ぶべき何かがあるはずだが、限定されているとはいえかなりの範囲だし、条件も曖昧でわからない。ほとんど行き詰っている。吉崎もあれから連絡を入れなくなったからには、進展なしとみて間違いない。
 今、篠原が必死に捜査しているようだが、まだいい結果は知らされていない。行き詰まりはあっちも一緒か、と悲観的な気分になる。もっとも、《イングラム》も暴走の危険性をはらんでいる以上、あの性格だと諦めはしないだろうが。
「俺はどうすっかな。これ以上動きようもないし、かといって……ん?」
 ふと見上げると、街頭テレビにでっかく巨大ロボットが映されていた。 いや、あれはロボットではない。アメリカにあるクロノス0、ギガンティック・フィギュアを模した巨大な立像、WWWの象徴的モニュメントだ。
 WWW、ギガンティック・フィギュアと呼ばれる巨大ロボット同士の戦いが行われるきっかけとなったのは、『ヤキン・ドゥーエ戦役』における旧政権の排除にある。
『ヤキン・ドゥーエ戦役』、ナチュラルとコーディネイターとの争いは、両者の大量破壊兵器による地球及びプラント滅亡の危機をかろうじて防いだ人類は、その原因を両方の指導者にあるとして、ブルーコスモスと呼ばれる反コーディネイター思想家に牛耳られた連邦政府首脳陣、そしてザラ派と呼ばれるプラント内過激派を一掃した。これはどちらにも発生した現象ではあるが、連邦においては少し勝手が違った。
 連邦政府首脳陣というのは、そのままアメリカ政府首脳陣としても過言ではないくらい、アメリカ合衆国関係者で占められていたからだ。大西洋連邦から地球連邦に変わっても、実質アメリカの一極支配と皮肉られるほど地球連邦内部におけるアメリカの発言力は絶対で、他国は容易に口出しできない状態にあった。その首脳陣が一掃されたということは、空いた席を他国の者が入れるということだ。
 無論アメリカがそれを許容するはずもない。お山の大将気分が抜けないアメリカは責任を旧政権に丸投げして、新体制による新たなアメリカをアピール。再建される地球連邦政府の第一国に返り咲こうとした。しかし、ブルーコスモスに支配されていた前科により、かつてより発言権は減少していた。世界各国が協力して地球を復興させねばならないのに、足並みが揃わず平行線をたどるところに、このWWWが発案された。
 マンハッタン条約に基づき、連邦政府指導の下でギガンティックを擁する二国間で行われるギガンティック・フィギィア同士の“紳士的な”決闘戦。敗戦国は戦勝国に全面的に協力し、勝敗が決定した時点で双方の敵対関係自体は自動的に消失する。最終的には、最後に勝ち残ったギガンティックを有する国が全ての国に対する支配権を保有し、新生連邦政府の中核として主体的かつ能動的な統治を行うと条約に定められている。普通の戦争をするより資金も生命も損なわないとして賛成多数で可決されたこの代理戦争は、確かに理想的ではあるものの問題も多かった。
 第一に、ギガンティック・フィギィアが十二カ国にしか存在しないこと。それはすなわちWWWに参加できる国も限られており、他諸国は自然に支配権を連邦に譲渡しなければならない。『ヤキン・ドゥーエ戦役』により支配力が減少した連邦政府からの脱却を願う者たちからすれば強国の勝手な振る舞いに過ぎず、当初から連邦に参加してなかったオーブ首長国連邦はもとより、南アメリカやアフリカなど連邦から脱退した国などはWWWを認めていない。まあ、どの国も国力において独立を維持するのは難しく、連邦の経済制裁を受ければいずれは吸収される形になるのは明白だろう。――日本のように、行政特区にでもならない限りは。
「行政特区、か」
 ラーメンを啜る。ふむ、なかなか美味い。ハゲ親父がいかつい顔で食欲を減退させるが、まあそこは気にしないようにする。しかし、やたらナルトが大きいな。
 連邦化に逆らう国の言い分はいつも一緒。どうして日本が良くて俺達はダメなんだ、だ。事実、日本は連邦政府に属しておきながら画一化されることなく、独自の文化、言語、様式を維持している唯一の国である。連邦政府が成立した二百年前よりこの体制は続いており、それ故に他国から贔屓、横暴と叫ばれるのは無理からぬ一面もある。単に行政特区ではなく、地球連邦政府内での発言権もアメリカの次、いや時にそれ以上を思わせるほど優遇されているからだ。日本にスーパーロボット、特機と呼ばれる特殊なロボット兵器の開発が行われているのも、日本国という特権により政府機関に縛られることなく、自由に開発する権利を許されているからだ。無論許可は必要だが。そりゃ、極東の小国に過ぎないチャチな国だけが、ここまで露骨に贔屓されりゃムカつくよな。
 しかし、世の表側を歩く人間、何も知らない幸せな阿呆が発する言葉なのだ。
 連邦政府内で少し上を見たもの、あるいは入った者ならば、誰もが知っている。
 日本が連邦政府内でそこまでの発言権を持つ理由を。日本に封印されし『地獄門』――地球連邦政府を滅ぼす、冥府への扉を。
「……日本に触れるべからず。彼らは地獄の扉への鍵を所有する……か。馬鹿馬鹿しい」
 スープを半分くらい飲み込む。なんか温くなったような。てか、俺が食うスピードが遅いだけか。
 気がつくと、街頭デレビがニュースからCMに移行していた。やたら輝いている宇宙がどこかの環境コロニーを映し、『定額給付金でコロニー旅行に行こう!』と銘打ってある。ずいぶん安くなったものだ。ヒサゴプランがボソンジャンプシステムの動作不良で頓挫したばかりだってのに。スマートブレイン社の広告……ずいぶん手広くやってるものだ。経済鎖国と呼ばれている割に、こうやって世界をまたにかける企業も存在する。ユニウス条約が締結してもアースノイドとスペースノイドのみならず、地球内部もまとまりきっていないのに、人々は安値で宇宙に行ってしまう。
 結局、対岸の火事か。対岸が目の前であっても、自分に火がつかないと人は他人事としか認識しない。ましてや、単一民族という幻想や国民性とやらを維持し続けそれを当り前と受け入れてきた日本人には、民族や国家という概念は想像もつかないだろうな。
「……『ネット世代が謳う世界の平準化など、妄想に過ぎない』」
 ふと、自然と東馬は呟いていた。瞳はどこを見ておらず、半分に減ったラーメンとナルトだけが映っていた。
「『世界は、依然として民族と国家の間に隔てられている。
  今、自らを育んだ国土に愛着を持ち、血を受けた民族に誇りを持つ、正常な人間は、
  等しく、亡国の危機にさらされている』」
 そこまで言って、東馬はふっと笑い天を仰ぎ見た。……屋台の屋根しかなかった。
「……何してんだ、俺は」
「ちょっとあんだ、何さっきからまともに食べないでブツブツ言ってんだい」
「え?」
 顔を下げると、屋台の親父が怒り顔だ。あんまりダラダラ食っているのに腹を立てたらしい。
「しっかし陰気な顔してるねあんた。どれ、ちょっと占ってやる」
「は? 占う?」
「ナルト見せろナルト」
 ナルト? 東馬が困惑していると、ラーメンの器を覗きこんできた。正確には中のナルトを。まさか、本当にナルトを見て占うってのか。
「ありゃ、こりゃダメだ」
 少し見て、露骨に顔をしかめるとそう言っていた。
「あんた、昔の友人に振り回されるよ」
「……!」
 思わず息を呑んでしまった。仮にラーメンを啜っていたら間違いなくむせっていたろう。
 昔の友人に振り回される。まさしくその通りだ。事実今もそうなのだから。『喪羽作戦』、そして『羽根なしパピヨン』……全てが三年前のあの日から始まった。汚い部屋で眠れぬ日々に腐っていたのも、こうして駆り出されほうぼうを走りまわされるのも、全てはあの日から、いやもっと前、あいつの存在自体から始まったと言っても過言では……
「……ん」
 そこで、脇を通り過ぎた男に目が止まった。
 真夏日の今日、別にシャツとジーパン姿の男は珍しくない。むしろどこでもいる、ごく普通のタイプだ。
 だがそいつは普通すぎた。街中を当り前に歩くその姿が、あまりにも普通すぎてむしろ異様なのだ。無論あからさまに変なのではない。実際周りの誰もがその男をおかしいとは思っていない。
 しかし東馬は気付いた。何故ならば……
「……ごっぞさん」
 金を払うと、屋台を出てその男の後を尾行た。

 正直言って尾行は苦手である。しかし人並みにはできる自信があった。決してつかず離れず、相手に自分を意識させず、景色の一つであり続ける……とう東馬は教えられ、実際それを行ってきた。
 だがやはり苦手なものは苦手らしく、男が通る道はどんどん狭く、人通りが少なくなっていく。だというのに、東馬はむしろ歩を早め、近づいていく。
 路地の奥に差し掛かったところで、そろそろかと判断した東馬は、胸ポケットからナイフを取り出して飛び込んだ。
「……っ!」
 一瞬の不意打ちのはずが、男はその凶刃を難なく躱すと、逆に腕を掴みかかってくる。
「くおっ!」
 なんとか腕を抜いた東馬は逆ステップで距離を取る。男が体勢を立て直す前に追撃の刃を――としたところで、フッと笑い刃を落とす。
「降参。参ったねどうも」
 と、両手を上げながら路地の影に笑い掛ける。影か微妙にピクリと動いたのを、東馬は見逃さなかった。
「何が参っただ。あからさまに殺気を出して尾行なんかして、襲いかかってきた男が言うセリフじゃないぞ」
「いいじゃないですか。『挨拶は撃ってから』がうちの合言葉でしょう? しかし、あからさまってのはちょっと耳が痛いですな。こちらとしては真面目に尾行したつもりだったんですが」
 さっきまでの殺し合いをなかったように笑う。元より東馬に殺す気はなかったし、殺せるとも思っていなかった。目の前のこの男を。
「久しぶりだな、東馬。四年ぶりか。とっくに退役したとか、仕事でヘマして死んだなんて聞いていたがな」
「ヘマしたのは本当です。しばらく自宅謹慎していましたが、つい先日めでたく現役復帰というわけです、楽市教官」
 と男――ECOAS極東支部の楽市雷蔵に敬礼する。市ヶ谷でも特別な部署に属する楽市には階級の類は存在しないが、東馬はかつての教官なので楽市教官と呼ぶことにしていた。
「現役復帰、か。おめでとうと祝うべきなのかな」
「構いませんよ。それより、そちらの彼女を紹介してくれませんか?」
 そう目を向けた影から、学生服に身を包んだ少女が唖然とした様子で出てきた。三つ編みおさげと眼鏡で一見するとおとなしそうな普通の中学生だが、その手にはクナイが握られている。
「留奈、こいつは俺の昔の教え子だ。まあ、お前の兄弟子みたいなもんだな」
「初めましてお譲ちゃん。俺は東馬十二、元が付くけど同窓だよ。名前は?」
「あ、瑠璃門留奈です……」
 当惑した様子の彼女。フォローしたいところだが、東馬にはその前に聞くことがあった。
「でも、こんなところでどうしたんですか? 他のメンバーも集まっていたようだし」
「任務だ」
 それだけ言って言葉を切った楽市は、これ以上話すことはないと言外に付け足していた。それくらい東馬にもわかっていたが、あえて東馬は続ける。
「始まったんですね、WWWが」
 それと同時に、楽市と瑠璃門が左手を口元に掲げた。袖口にマイクが仕込まれているのだ。よく見ると、耳にもスケルトンのコードがぶら下がっている。
 来たか。そう判断した東馬も、左手の器械を動作させた。


 次回予告

 ついに始まったWWW。紳士的な決闘の陰に潜む闇がパイロットたちに襲いかかる。
 繰り広げられるECOAS極東支部VS中央国特殊部隊との戦い。その戦いで、《喪羽》は本来の力、『羽根なしパピヨン』を見せつける。
 一方その頃、州倭慎吾は何の説明もなくギガンティックのパイロットに選ばれ、困惑しつつも戦わざるを得なくなる。
 機械を纏った神は、人々に何をさせ、何を求めるのか。
 次回、スーパーロボット大戦B 第三話『神が望みし戦い』
 to be continued……

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