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子供服カテなのに重い話題ですww産後鬱に分類していいものか分からないけれど、久々に産後鬱時代を思い出したのでそうします。今朝4時半に起きてから9時間以上ずっと左手がじ~~んと痺れてます。真っ先に思ったのは「自律神経が乱れてる・・・?」昨夜ナルミヤさんで追加ポチした記事書いた時半分泣いてたんですよ詳しくは書かないけれど、一つ目のイラッは旦那の無神経さに、二つ目のイラッは娘のあまりの聞き分けのなさに、そしてダメ押しのイラッは再度旦那の一言に。私一生懸命やってるのにさ~~、娘と旦那二人に責められてる感じでさ。あ~悲しいな~しんどいな~とか、こんな時愚痴を聞いてくれた1番の友達ももうこの世にいないんだよな~とか色々考えてたら泣けてきて。辛い時は買い物だ!と思って子供服に逃げたわけだけどww最近園の先生にも娘のことで「お友達とうまくやっていけてません」的なことを言われて、私の育て方が悪いのかな~?とか凹んでたのもあったんですよね。(先生は娘の子と心配して気にかけてくれているから感謝)産後鬱のこと詳しく書きたいと思いながら全然書けてないので端的に。初期症状としては動機、震え、不安が里帰りを終えた生後1ヶ月ぐらいから始まって、生後3ヶ月の頃に、「手の痺れ」が。何の痺れ?って思ってると翌日反対側の手にも痺れが。さらにその翌日から完全な不眠。完全におかしいと思って出産した産科を受診→心療内科という流れ。娘とはその後別々で暮らし、私は単身実家へ。(旦那と娘は旦那の実家へ)実家近くの病院で「産後鬱」と正式に診断され、抗鬱薬、抗不安薬、睡眠薬等の薬服用。また一緒に暮らしだしたのは1歳2ヶ月を過ぎてから。娘の首がいつすわったのか、ハイハイはいつから始めたのか、歩き出したのはいつなのか、私には全く分かりません。1歳の誕生日も別々で暮らしてました。(なんか文章で書くと泣けてくるわ)完全に断薬したのは娘が1歳半の頃。そして仕事にも復帰できて今に至ります。さらっと産後鬱の時のことを書いたけれど、この10倍、20倍以上の苦しい想いをしました。だからこの手の痺れが何かの予兆?かと思うと怖い。何もなければいいけどね~。取り敢えず今夜はいつもよりゆっくりお風呂に入って手をマッサージしようかと思います。何か写真をと思って引っ張り出してきました。1歳3ヶ月ごろの娘と私。娘と再度生活し始めて3週間目ぐらいで手足口病に!この大雪の中病院に連れていきました~。(こちらは雪滅多に積もらないから記念に)自身は漸く睡眠薬を飲まなくなったぐらい。体重はまだ40kg(身長161cm)で本調子ではない。どれだけ食べても太らなかったから今となれば羨ましいけれど、あの時代には二度と戻りたくないわ娘は上下・靴下がGAP、アウターはラルフローレン、ニット帽は貰い物。一緒に生活するようになって漸くまともな服を着せれました。義実家にお世話になってた頃は洋服もお任せ状態だったんで、ドット×ボーダーとか何でもありでした8ヶ月ぐらいの時に2週間程自分が住む実家へ娘が来る。その間に無理をして産後鬱が悪化。。。娘のお世話は最低限で、ほぼ1日中寝てました。この後は娘に会うのを医師に禁止されて1ヶ月以上会うことができなかったよ。スマホに残ってる動画や写真を見ては涙してました娘服はZARAだと思う。この時に唯一のお洒落服はZARAだったから、ZARAばかり着せてました(笑)昨夜ポチしました~昨夜届きました!素敵ですスーリー2020秋冬物半額!メール便利用できます。「ネタバレです」ってしたいが為に買いたくなるwwでも過去2回買って全然着せなかったので買いません~~キットカット4種セットがDEAL50%!他に欲しいものたくさん~
2021.02.04
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かなり時間が空いてしまった。生後半年で保育園に入園した娘も早いもので年少さんになった。丸3年通園に使用した手作りの手提げかばんもリュックに変わったが、もう必要のない手提げかばんを見ると込み上げるものがある。自分は産後鬱が酷く一緒に生活していなかったから、入園式も出れていないし、0歳児の時は送り迎えも殆ど出来ていない。だから思いを込めて通園バッグを自分の母に教えてもらいながら作った。さて、話を出産前に戻して、予定日を2日過ぎた日の夜中に陣痛がやってきた。痛みの間隔を測ってみてもよく分からない。取り敢えず病院に電話を入れて、そのまま病院に向かった。痛みはあるものの子宮口はまだ1cm。朝まで様子を見ましょうとそのまま病院にいた。陣痛に耐えながら、「マザーズバッグ買ってないよ!」とスマホ片手にL.L.ビーンのトートバッグを注文する。刺繍は生まれてくる娘のイニシャルに。こんな時までお買い物しているんだからやっぱり脳内お花畑、若しくはやっぱりどこかおかしかったのだと思う。朝になって陣痛は微弱になってしまったが、助産師さんから「また痛くなってからくる?休日だし追加料金もかかっていいならこのまま入院していいよ」と言われ、「このままいます!」と即答した。自分や旦那の家族が集まって今か今かと待ってくれるのだけど一向にお産は進まず、正しくは確実にお腹は痛くなっているのに全く子宮口が開かない。朝食、昼食は食べれていたが遂に夕食は食べれなくなった。両家の親が帰っていき、旦那と二人きりになってからの夜が今思い出すだけでも本当に辛かった。10分間隔、5分間隔になって「痛い~~~!!!」と叫んでいるのに夜勤の助産師さんが全く来てくれない。業を煮やした旦那がナースステーションに呼びに行くと来てくれるんだけど「まだですね~~」で終わり。一晩中5分おきに「痛い!腰押して~」と言うもんだから、旦那も疲れと眠気でウトウトする始末。終いには自分で自分の頬っぺたを思いっきり叩いてたもんねwwそして「5分で戻ってくるから」と4階の部屋からロビーまでダッシュしてコーヒー買ってきてた。その5分の長かったこと。魔の5分間隔を耐えたのに朝6時ぐらいには陣痛は完全に遠のいてしまって、また最初から陣痛を絶えないといけないというショックな状況に。ちょうど日曜日だったからいつも診てもらってる担当の先生がお休みで、めっちゃ新米っぽいドクターがその日の担当に。うちの母は、「この人で大丈夫か・・・?」と密かに思ったらしい。この時点で最初の陣痛が来てから30時間を経過している。まだまだ赤ちゃんは産まれない。。
2019.04.03
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妊娠が確定するや否や悪阻が始まった。私のは吐き悪阻だったので、食べなくても気持ち悪い、食べても気持ち悪くて吐くを繰り返し、お正月太りで53kgほどあった体重はみるみるうちに45kgまで落ちた。旦那の食事はきちんと作らないと!という変な使命感があって、吐き気と闘いながらスーパーに行っていた。基本的にはマスクをして食品の臭いを極力感じないようにし、必要なものだけをささっと買うような感じ。かと言ってまともにご飯が作れない時も多く、材料だけは切っておいて、炒めたり煮込んだり味付けなんかは旦那にお願いをした。自分は毎晩イチゴだけという日が多かった。イチゴだけは何故か食べれたので、毎日イチゴを買った。吐き悪阻は臨月まで続いた。イチゴの季節が終わるとスイカばかり食べていた。食べれる物がスイカしかなかったから、多少高くてもスイカを買った。なんなら、スイカ味のアイスも大量に買った。結局体重は50kgまでしか戻らず、妊娠前より少なかった。お腹もあんまり出ていなくて、予定日を1週間後に控えても「妊娠5ヶ月ですか?」なんて言われていた。毎日何回も履いて体は辛かったけれど、ずーっと妊娠出来ずに精神的に辛い思いをしていたから、それに比べれば全然問題なかった。仕事は出産20日前まで続けた。人が足らずにお願いされたのもあったが、私自身働くことが好きだった。産休に入ってからも家でじっとすることなく、朝のうちにささっと家事を終えると毎日ランチに繰り出し、子供服なんかを買って帰ってきてた。今思うとこの時は脳内お花畑で、お洋服は沢山用意しても母親になる準備は出来てなかったのかもしれない。
2018.10.29
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10月は娘が生まれた月。最近色々と思うこともあるので、記録として振り返っておこうと思う。これはグダグダとただの日記になってしまうかもしれないので、嫌な方、苦手な方はスルーしてくださいね。私は結婚6年目で娘を出産した。30歳までは好きなことをして、出産するのは30歳を過ぎてからでいいやとは思っていたが、実際なかなか授かることができず。。。不妊治療を始めようとクリニックの予約を取った矢先に妊娠が発覚した。その妊娠発覚自体も「あれ、もしかして妊娠かも?」というものではなく、ある夜、突如襲ったお腹の激痛に耐えられなくなり救急病院を受診→検査で卵巣出血と妊娠が同時に発覚→卵巣の手術、という異例なケース。妊娠は子宮外妊娠の確率が高いとのことだったが2週間程待たないとは分からないという。なかなか妊娠できず、職場のおじさんからは「そんな不健康なもの(春雨ヌードル)食べてるから妊娠できへんのや」と言われたし、旦那の親戚からは、「仕事ばっかりしてるから子どもできへんのや」とも言われながらずっと耐えてきた。元気だけが取り柄の私。どれだけ周りに心無いことを言われても、旦那にも泣いた姿は見せなかった。そして漸く妊娠できたのに、子宮外妊娠なんて・・・。私より後から結婚した友達は次々に出産していくのに、なんで私だけ。。泣きに泣いた2週間。術後の検査で正常妊娠が判明した。本当に本当に嬉しくて、飛び跳ねたのを覚えている。薔薇色の妊婦生活が始まると思っていた。
2018.10.09
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