前門の虎、後門の狼 <年子を抱えて>

前門の虎、後門の狼 <年子を抱えて>

作物にこめられた心




 一年間、心をこめて作ったものを盗まれるなんて、悔しくて悔しくて…。悲鳴にも似た叫びが、全国各地で聞かれる。丹精こもった作物を、収穫間際に横取りするとは何事だろう。

 警視庁の調べによると、今年は、野菜や米などの農産物や、水産物を盗まれた件数が昨年の五割増で、被害額は六千万円近いという。単に物が盗まれた驚き以上に、やりきれない寂しさが心に広がってならない。農産物が盗まれることは、昔もあったが、それは盗っ人が自分で食べるためであった。しかし、今は、盗んだ農産物を売るというのだから悪質きわまりない。こんな世の中なのに、いや、こんな世の中だから、はやる犯罪なのだろうか。犯人が捕まった例はあまり聞かないが、たかが農産物と軽視せず、窃盗、横領の罪として重く受け止めたいものである。

 50年ほど前に、米国大統領アイゼンハウアーは、適切にもこう述べた。
「鋤ではなく鉛筆を持ち、穀物畑から1000マイルも離れた所にいる人にとって農業は至極簡単に見える」
今日の農業従事者も、一般の人々の農業に対する関心が比較的薄く、農家の果たす重要な役割に気づいていないと感じていることだろう。恥ずかしながら私も、自分が買う野菜や果物がどこから来るのか、ほとんど気に留めていなかった。ラップがかけられて店頭に並ぶまでに、実に多くの人の手を通っているのだ。

 私たちは皆、農業という産業に依存して生活している。農家の直面している問題を無視することはできない。相互に緊密に依存し合う私たちの社会では、農村の問題はすぐに都会の問題となり、都会の問題もすぐに農村の問題となる。一方が衰退すれば他方の繁栄も長くは続かない。

 農業には、避けられない難題が伴う。天候や経済状況など、多くの要因は自分では制御できない。故に、勤勉な努力が必ず成功につながるというわけではないのだ。そういう危機に面しても農業を続け、めげずに立ち直る力と農耕生活への愛着を実証している多くの農家にとって、農業は単なる仕事ではなく、生き方そのものといってもいいだろう。その努力を知っていたら、作物を盗むなんて誰ができようか。金額云々ではなく、農家の人々の心の傷を思うと、腹が立って仕方がない。

 被害急増の原因については冷夏による不作、値上がり、不況説などあるものの、よくわからないらしい。さしあたって秋田や山形では、警察が生産者やボランティアと連携してパトロールを強化している。平成の泥棒狩りとでも言われそうな図だ。

 昔、鹿火屋なるものがあった。山に近い田などのほとりに小さな小屋を造り、夜中に火を焚いて、時折、銅鑼や缶を打ち鳴らし、田畑の作物を荒らしに来るシカやイノシシなどを追っ払ったのである。寂しく単調な仕事だったことだろう。いまや死語に近い鹿火屋は、わずかに俳句の季語に名をとどめるくらいだ。

 さて、豊饒、飽食のこの時代に、にわかに増えた頭の黒いネズミども!それを警戒し、追う人々の腹立たしさ、わびしさはいかばかりか。


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