前門の虎、後門の狼 <年子を抱えて>

前門の虎、後門の狼 <年子を抱えて>

高見盛への視線




 昔と比べて、今は個性的な力士が少なくなっている。その中で、ロボコップこと高見盛は貴重な存在である。

 また、力士の大型化によって技の多様性が減る傾向にある。引き技がやたらに目立ち、墓穴をほる相撲が多い。すぐに苦しくなって引くのもいけないが、引かれてすぐにバタッと落ちるのもいけない。昔は、水入りの相撲もよく見られたが、今は熱戦が実に少ない。淡白でつまらない相撲が多い。立ち合いの変化により一瞬で勝敗が決まる相撲など見たくもない。その中で、ひたむきで一生懸命さが伝わってくる高見盛は貴重な存在である。

 好き嫌いは別にして、あのような力士が多くいれば相撲人気も回復するのではないだろうか。横綱、大関の名は知らなくても、高見盛は知っているというレベルの人も多いのだ。少し前まではそう思っていた。しかし彼をもてはやすことに疑問を感じるようになった。

 相撲にまじめに取り組むことは、プロとして当然である。当然のことをしているだけなのに、その姿勢を褒められても本人は何ら嬉しくないだろう。高見盛は日大相撲部出身で、アマ横綱のタイトルを獲得した実力の持ち主である。学生相撲出身の彼は、かなり期待されて入門したと思われる。本来ならば、強さや実績で注目されるべきであり(もちろん、プラスアルファの特徴はあっていいと思うが)、マスコミの騒ぎようは異常である。テレビ出演も多すぎる。これが本人のためになるだろうか。本業に専念できないだろうし、周囲(特に上位の関取やお偉い親方衆)には、このフィーバーぶりを快く思っていない人もいるだろう。本人も異常人気に戸惑っているようである。あまり騒ぎ過ぎずに土俵での活躍を期待し、好成績を残せるよう応援するのがファンのあるべき姿である。

 それにしても、最近の高見盛人気といい、少し前までの若貴人気といい、異常である。相撲協会も一人の人気者に頼っているようではおしまいだ。国技館の入場者に高見盛の顔をプリントしたクリアファイルを配布したというが、いくら人気者といえど、平幕の力士では身分不相応である。相撲協会の看板である横綱や大関の顔を載せるべきである。

 そもそも、こんな状況にしたのは若貴ブームを作り上げ、その人気のみに頼った相撲協会とマスコミ、そして熱狂的な若貴信者ではないか?最近は満員御礼の垂れ幕が下がらない日のほうが圧倒的に多い。テレビに映るたまり席でさえ、中入り後でも空席があることに驚いてしまう。大相撲はかくも人気がなくなったのか、と。

 あの時、他の有望な力士の発掘にもっと力を入れていれば、こんなことにはならなかっただろう。若貴の現役時代にはさんざん彼らを持ち上げておいて、引退して「ヒーロー」がいなくなったとくれば、今度は高見盛に飛びつく。このままだと若貴人気の二の舞ではなかろうか。他に人気者がいない証拠かもしれないが、高見盛は、千代の富士時代はもちろん、曙・若貴全盛期でさえも、これほどの人気は出なかっただろう。

 相撲をとっているのは高見盛だけではない。幕内力士40名をはじめ、十両力士、幕下以下の力士たちも日々精進し、懸命に土俵を務めている。人気力士だけで相撲が成り立っているわけではないという、ごく当たり前のことをマスコミもファンも忘れていないだろうか。


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