ルーマニア



(余談)ソ連邦崩壊後、ロシアも西側ヨーロッパの一員となり、東欧と言う言葉がなくなりました。今は、英語で、Central Europe 中欧と言います。でもここでは、馴染みのある東欧にします。

通常、海外出張には、現地の駐在員が空港まで出迎えに来ますが、我が上司は、僕の勉強と経験の為と、空港での出迎えを駐在員に勝手に断ってしまいました。

ホテルの名前だけを頼りに、言葉の通じない国で、路面電車、タクシーを乗り継いで何とかホテルに到着。

次の朝、駐在員同行で、お客に行くと思っていたら、他の緊急な用事が出来たので、一人で行ってくれと、お客までの列車の切符と帰りのブカレストまでの航空券を渡されました。
経験と言え何と冷たい事か。

行き先は、列車で5時間の工業都市のティムショワラ(あのチャウセスク夫婦が処刑された都市)です。
列車の席は、4人のコンパートメント(個室)で、同乗者は、妙齢の美しいルーマニア女性と彼女の友達のアフリカの黒人留学生の青年。(当時ルーマニアは、アフリカの社会主義国から沢山の留学生を受け入れていた)
どんな話をしたのかは忘れたが、一人身には、時間を潰せる格好の同乗者でした。

ティムショワラのホテルに着いて、食事をして、お酒を飲んだ後、緊張の疲れからぐっすり眠りについた。

夜中の2時頃、誰かのドアのノックで目を覚ます。
まだ海外に免疫が無い若かれしころで、何の疑いも無くドアを開けてしまった。

突然、2メートルは有ろうかと言う長身の黒人が二人部屋に入り、マネー、マネーと叫び始めた。
頭は真っ白になりかけたが、咄嗟に持っていた現金の殆どの2百ドルを渡し、残りはトラベラーズ・チェックである事を告げて、帰ってもらった。やばかった。

何で、部屋に外国人がいるのかが分かったのか不思議で有ったが、良く考えたところ、列車の同乗者にホテルの名前を話したことを思い出した。
多分あの時の黒人青年が、友達に話したのだろう。

海外では、自分以外は、誰も信用してはいけないと言う教訓を、初めての海外出張で早くも学びました。

次の朝、先方の機械公団の人が出迎えに来てくれ、公団の商談室に連れて行かれました。着いてビックリ、2-3人の営業の担当者との面談を想像していたが、10名ほどの技術者がすでに待機しているではないか。
それも、電気、機械、建築、とあらゆる分野の専門家です。

英語での海外での商談は始めて、技術の知識はまだ不十分、どうしようか、でも、逃げ出すわけには行かない、どうにでもなれ、と最後は開き直りです。

何とか商談を終えることが出来ましたが、自分の英語が何処まで通じたのかは今だ不明。
帰国後、結局その商談は成立しませんでした。

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