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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は”パソコンの回復に手間取ったためお休み”です。その前にプレイバック ”タシュクルガン道 からここはコングル山です。
2005年02月28日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は”パソコンの回復に手間取ったためお休み”です。その前にプレイバック ”タシュクルガン道 からここはコングル山です。
2005年02月27日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日も”ちょっとだけ内蒙古 ハンスム”です。その前にプレイバック ”タシュクルガン道 PART2”ここは、かなり手前で、正面奥がコングル山です。 では、ハンスムの続きです。下のお寺はハンスムにあるお寺です。ちょうど修復中でしたが、昨年7月には完成しております。(本堂のみ)その完成披露を兼ねて、盛大ナーダムが催されたようです。たとえば、行政単位が主催するものと、お寺が主催するものとは、その格式に差が有り、お寺主催のものは、ナーダムとして、格式が高いのだそうです。このお寺には現代の生き仏と云われる和尚さんがおいでになります。先の生き仏が亡くなる前、どこそこの、何歳の子がそれであると、指示するのだそうです。指名されたその子はそれ以来、仏門に入り生き仏としての修行をするのだそうです。 左が現代の生き仏。右が古くからこちらで修行している和尚さんです。このお寺では、今から60年前まで、20人ほど日本人僧が修行をしていたそうです。この老和尚は、「その中に”木村”」と云う名前の日本人僧がいた」とおっしゃっていました。ほかの方の氏名などは忘れてしまい、文献なども、文革の際の寺の破壊と共に、焼却、損壊され、今は何も無いそうです。さらに、当時20名ほどのモンゴル僧が日本に、交換修行僧として行ったそうですが、終戦と共にその消息も途絶えてしまった。と云うことでした。もちろん未だに何の連絡もありませんし、取りようも無いようです。日本のどこのお寺にいったのか、仏教協会等へ照会しても全く手がかりが無いそうです。何とかしてあげたいのですが、今の私には有効な手段を打つことができません。 現在本堂の修復は完了していますが、僧房等ほかの施設はまだ新築改修中です。よろしければお運びの際、浄財をお布施して差し上げてください。きっとその功徳により、罪がひとつは許されるでしょう。 仮本堂内部です。画面の光はろうそくの明かりです。 これは境内にある、「霊石」です。多くの方が、いろいろな病気、苦労から開放されているそうです。
2005年02月26日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は”ちょっとだけ内蒙古 ハンスム”です。その前にプレイバック ”タシュクルガン道 ”ここは、かなり手前で、正面奥がコングル山です。 さて、内蒙古です。ここは、ハンサムではなくハンスムです。フフホトから東に、おおよそ1300キロ。アルコルチンの北100キロほどのところです。2003年3月にはこの付近をマグニチュード7程度の地震が襲っています。私は10月に行ったのですが、まだあちこちに避難用テントが張られていました。何を隠そう、ここは元王朝終焉の地なのです。しかし今、訪れる人はほとんど無いようです。私が行ったときも、牧草に覆われて、道が消えていました。下は、見張り用に使ったと言われる岩山です。 岩山より、最後の宮廷方向を望みます。左手の二つ目の小山の右側に最後の宮廷跡地が有ります。 宮廷の名残の、版築造りの城壁です。築造方法は、万里の長城と同じです。 宮廷敷地内部です。中にはパオの王宮を設置してたであろうと思われる場所、台所の後などが見受けられます。 敷地内で見つけた瓦の破片です。当時は、パオと共に漢民族のため、漢民族様式の木造の建物も、一部利用していたようです。
2005年02月25日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は”ちょっとだけ青海省”です。その前にプレイバック ”コングル山”今日は、いきなりですが青海湖へ参りましょう。この船着場から近場をめぐる、遊覧船が出ています。ここの標高は3300m。頭がボーっとして、なんとなくすっきりしません。途中、日月山を越えて青海高原に入るあたりから、ずっとそういう調子が続きます。 付近のホテルはどこも、100元程度です。5月から9月いっぱいまでしか営業はしていないようです。しかし設備等は期待しないほうがいいでしょう。 船着場の正面に、魚雷の実験施設があります。もちろん現在は使われていませんが、観光施設として、一般に開放されています。青海湖の夜は星がすばらしい。(もちろん内モンゴルもすばらしいです)司馬遼太郎の「街道を行く」の中で書かれている「子供の時に見た、あの星ですよ」の一文が思い起こされました。下の写真はチベット族の民族舞踊です。興味深いのは、足が「ナンバ」です。これが人間のの本来の動作なのでしょうか。最近古武道やスポーツの世界でも、この動きの合理性が評価されているようです。 湖畔の夜の風景です。 上の写真は西寧市内の酒場での情景です。最近、腱鞘炎が少しひどくなってきました。久しぶりに、パソコンに向かいすぎたかな。では、また明日。
2005年02月24日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は”炳霊寺をたずねましょう”です。その前にプレイバック ”ボストン湖” では、参りましょう。参道より奥を望んだものです。正面の橋を右に行くと、涅槃像のあるお堂があります。 炳霊寺の大仏です。 大仏左の階段を上がると、169窟です。かなりきつい傾斜の階段は、要注意です。 1600年ほど前の仏像は、一部崩れているものおただやかな表情を見せていただけます。洞内は写真撮影禁止だそうですが、注意を受けたのが、もう撮影してしまったあとでしたので許していただきました。 この厨子には何か暖かい、霊気のようなものを感じました。 169窟は、入場料300元が必要ですが、ガイドさんが丁寧な説明をしてくれます。劉家峡ダムサイトからは食事つきの観光船も出ていますが、こちらは片道、3時間ほどかかりますので、時間の余裕のない場合は、高速船利用がいいと思います。
2005年02月23日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 来訪者のカウントの方法ははどういう風なやり方なのでしょうか。どうも変なことがいっぱいありますね。日記を書くとか、ページの編集などをしているときは深夜でもカウントしますが(もちろん編集をしていないときはカウントしていません)、日中、或は夜8時から10時など、一番本来、一番反応がありそうな時刻でも、編集をして、内容を登録をしていないと 全くカウントしません。こんな馬鹿なことはないでしよう。夜中の2時、3時に200以上をカウントし、普通の時刻にほとんどカウントしない。これは明らかに異常です。編集等を一切行わない場合、ほとんどカウンターに変化がありません。編集をしなくても、内容を再登録を繰り返しているとカウンターは動きはじめます。となると、その他のデータも全て操作されていると考えられるのではないでしょうか。私はこれは明らかに、楽天が情報の操作を行っていると考えます。皆さんはそうことを感じたことは有りませんか。さあ、楽天さんどう返事しますか。回答を待ちましょう。まあ、それはそれとして、今日は”劉家峡ダムと炳霊寺へ少し遠出をしてみましょう”です。蘭州を出て1時間半ほどの山の中です。ダムの入り口をさらに南西に行くと建値が、100元程度から300元程度までのホテル街もあります。交渉すればきっと安くなるでしょう。レストランも一人20元程度からOKでした。劉家峡ダムは1958年から15年の歳月をかけて造られたそうです。文革のさなか、何万人の人がここに暮らしたかはわからないとも云われています。船着場を出るとまもなく、こういう風景が続きます。高速船は時速80キロで飛ぶように走ります。そして1時間。ヘルニアのある方には、刺激が少し、きついかも知れません。 船着場近くでは、川がダムに流れ込んでおり、この日は、前日からの雨で水がにごっていましたが、通常はもっと澄んいるそうです。 この先を左に曲がると船着場です。 水量により、船着場の状態が大きく変わるようです。この日は雨で、ひどいぬかるみでした。つるつる、とろとろの土が足元をすくってくれます。売り子の子供達が手を貸してくれますので、お数珠のひとつでも買ってあげてください。 境内の入り口から20分ほど歩くと左手に岩に彫られた仏像群に出迎られます。因みに、トイレは参道の途中に一箇所あります。 ここからまもなく左手に、大仏様のお迎えが有ります。 合掌 では、また明日、お目にかかりましょう。
2005年02月22日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は蘭州へお散歩です。蘭州の町も現在大改革中で、あちこちが道路工事、建築ラッシュでした。今から50年前の人口は10万人、現在の人口は290万人だそうです。25年前に放送されたNHKのシルクロード。その第2週の蘭州の光景です。下の写真が対岸から見た現在です。 シルクロードでは上空から捕らえている橋を白塔山側から捕らえた写真です。黄河第一橋、または中山橋とも言うそうです。25年前、蘭州市内で黄河をわたる橋は、これ一本だったそうですが、 現在は5~6本はあったように思います。ただし、昨年8月下旬では、長期に渡る改修工事のため通行止めでした。もういいかも知れません。ホテルはちょっと贅沢をして西蘭国際賓館(四星)に泊まったのですがさほどどうこういうこともなくそれなりのホテルだと思います。近くには昔からの市場や、近代的なショッピングセンターもあり日常品を取り揃えるには、比較的、便利なところでした。ただ、宿泊費用の建値が標準の部屋で、600元。このときは団体で入ったのですが、280元は、ちと高いかな。明日は劉家峡ダムから炳霊寺に行こうと思います。デジカメ写真はあまり多くないのでこれからどうしよう。炳霊寺の船着場です
2005年02月21日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は銀川から内蒙古へ行って見ましょうです。とりあえずモンゴルです。場所はまたご案内します。 黄河大橋の真上です。しかしここへ来るまでのおおよそ2時間のうち、1時間は、ひどいぬかるみのでこぼこ道で、とても道路という体裁をなしていませんでした。しかし、1年半前ですので、もう完成していると思います。内蒙古に入ってすぐに、セメント工場が有ったのは少し意外でした。 ここまで5時間ほどかかっていますが、ゆっくり休憩したのは20分程度。途中のチャガンヌールの交差点のバス停だけでした。途中、小さな町では街道でお客を拾って行きますので、いらいらするほど時間がかかっています。85元ではしょうがないかと思いつつも満員の乗客を見ては、彼らも商売。と納得をしておりました。東勝からは楡林行きのバスが頻繁に出ており、料金も10元と安いのですが、ちょっと贅沢かなと思いながらも、大体タクシーを使います。現在、有料道路も開通しており、非常に快適なドライブが楽しめます。ただ、運転手によっては、この有料道路のゲートをくぐらす゛、とんでもないわき道を走り、途中から有料道路に乗る場合があります。これは、もちろん違法行為なのですが、それを承知の農民が、そのわき道に関所を作り、運転手から関所の通過料を頂戴すると云う、中国社会の面白さを見ることができます。因みに関所の通貨料は5元、有料道路の通行料は10元です。でも5元あれば、ラーメンの1杯は食べられます。 初めてエジンホロに行ったのは、ちょうど5年前、99年の今日、2月20日でした。その頃は、並木もまだ成長しておらず、貧弱な立ち木がなんとなく生えていると云った感じでしたが、いまは、こんなに成長しました。以後、時期は一定しませんが、ほぼ毎年のように行っています。なぜかと言えば、ジンギスカンが呼んでいるとでも申しましょうか。エジンホロからジンギスカン陵までは30分ほど。その中間あたりの風景です。緑が豊かに感じませんか。 上の写真の地点から少し走ったところに、牧民が観光パオを開いています。ここの主は、ジンギスカン陵の管理人です。モンゴル族の中でもジンギスカン陵墓の管理は、1000年の昔から、この主の一族に限られておりジンギスカンの死亡場所が特定されていない為、陵墓の建設の際、その位置の選定にあたっては、この一族の意見が反映されたそうです。時間にゆとりがある場合は一度お運びください。 このパオに初めて行ったとき、上の写真の子供は、彼女はまだ4歳で、心臓弁膜症であること。その手術が北京でしかできないこと。費用が2万元ほどかかること。主がその病状についてよく把握していないこと。などを聞かされました。日本では、そういう手術は費用がかからないのになぜこの国ではそうなのかと思いましたが、これも、この国の現実なのでしょう。彼女は、この年の4月に手術をし、現在は何も問題のない生活をしています。 写真が小さくて見にくいですが、ジンギスカンの顔の下でうごめいているのは、ダンサー達です。夕方の公演前の稽古風景です。ほかにもこの陵の近くでは、兵馬庸を思わせる軍馬の群れ、ジンギスカンのパオを引く牛車などが、陵墓から前方方向に1キロにわたっていろいろな趣向を凝らし、ストーリー性を持たせたモニュメント作りが行われ、大規模な観光開発が進められています。ただ、私にはあまり興味のないものでした。今年の5月には全て完成し、昨年開業したホテルなどの施設もあわせると、50億円近くの投資になるそうです。エジンホロの町外れに、新中心開発として、新しく官庁街やホテルが新設されています。そのホテルのエアコンは冷房専用で性能も低く、ヒーターは内臓されていません。9月、10月のような時期に行ったときは、寒くて居られない日もあるのではと、思います。星もないのに、料金は280元でした。そのため、エアコンがあるということで入ったのに、使えなければ条件が違うと言って出てしまいました。当然お金は全額返金してもらいました。2度と行かないホテルです。エジンホロでは、やはりエジンホロ賓館でしょう。2001年に経営者が替わり、内装も、新館だけは手が入っています。130元です。裏の15元部屋はそのままです。ジンギスカン陵内右手のホテルも2002年に改装し、少しは綺麗になっています。しかし料金も少し上がっていて、標準部屋が80元、控えの間つきのいい部屋が180元でした。内装に手は入っていても水周りはそのままですので、トイレは少々気を使います。
2005年02月20日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は 銀川からどっちへ行こうかな?の今日この頃 です。その前にちょこっとタシュクルガンの火焔山をごらん頂きましょう。 とりあえず今日は、銀川です。数年前は、銀川では全く見かけなかった、冷凍の計り売りの餃子・しゅうまいの類です。確か、一昨年も見なかったと思うのですが、昨年は、スーパーの売り場で見かけました。銀川では羊肉、の餃子がかなりいけます。最近新規開店した餃子やさんが、旧市街の紅橋賓館の西側にあるのですが名前を忘れました。大規模店ですので、簡単にわかると思います。複数人で行けば、一人20元も有れば充分堪能できます。ご多聞にもれず、銀川も現在大開発中です。この人民広場をほぼ中心として東西25キロの直線4車線道路が2003年7月に全面開通しています。さらに、旧市街から概ね8キロ西に造られた、天安門ほどの広さをもつ新広場を核に行政関係の施設を集めた新都心を建設中です。この2年ほどの急激な変化には、実際、戸惑います。私の友人は、その近くに暮らしているのですが「後2年もすれば、私の家は銀川の中心になる」と云っていましたが、本とにいい方向に行けばいいがと、懸念しています。この並木の右奥が西夏王陵墓群です。かなり綺麗に整備されていますが、魅力は半減でした。銀川のお米は中国で一番おいしいそうで、昔も今も、そのお米は中央のお偉い方がお召し上がりにおなりだそうです。銀川の郊外に行くと、未だに義務教育の小学校、中学校にも通えない子供達の存在はひとつの現実としてあります。私の友人は恵まれた立場に居るのですが、そういう内容の話をするときの彼の表情はいつも曇ってしまいます。この並木の写真は岩画で有名な賀蘭山渓谷に行く途中です。銀川郊外にもまだこのような情景があります。まもなく内蒙古の阿拉善左旗に入ります。もう十年も前になります。「大地の子」の第1回だと思いますが、最初の流刑地として、労働改造所に送り込まれたシーンがあります。その際、「あの山は内蒙古の山、とするとここは寧夏回族治区」というセリフがあります。おそらく場所はこのあたりを想定したものと思われます。 上の写真の道を内蒙古の阿拉善左旗の賀蘭山方向へ行くと、下の様なお寺に出会えます。チベット仏教の名刹、延福寺です。大規模な伽藍を見終えてバスで移動すると、広大な高原の先に原生林の森があります。標高2000mほどの地に、手付かずの自然が残されています。一度お運びください。 この山の寺の入り口付近には、モンゴルパオの宿泊施設があり、避暑地のようになっています。 明日はどっちにしようかな?写真の限界が残念。
2005年02月19日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は 天山を経てウルムチにかえります です。現在、コルラ博物館は改築中のため、市役所前の公園の右側、ショッピングセンターよりのビルの2階で仮住まい中です。本来入場料は20元ということでしたが、なぜか0円で入場させていただきました。展示物が少ないのかと思いましたがそこそこのものはありましたし、歴史的な流れもよくわかりました。参考までに、近くのショッピングセンターはなかなかに充実していますが、まだまだ空き店舗があり、商品点数、業種がまだ充実していないようで集客力については少し疑問があります。でも、値段はかなり良心的だと思います。ではコルラを出発しましょう。コルラの町を出るのはひと苦労です。道路の改修、拡張工事と交通量の多さのためまるで北京の3環路のような、すごい渋滞です。渋滞を抜けると、曲がりくねった山道が延々と続き同乗しているの楽ですが、運転手さんには、かなりの苦痛でしょう。数年の間にはトルファンからコルラまで本格的な高速道路が開通するとのことです。すでに、天山の北側には数箇所、おのおの5~60キロ程度部分開通しているところもあります。風の谷と云われるほど3日に一度は風速25m以上の風が吹き荒れる天山越えルート。今回は緩やかなほうを選択しました。山を越える前は、コルラから続く景観は岩山の風景でしたが、越えてまもなく下の写真のような奇妙な情景が現れます。岩山と砂漠が混在する不思議な風景でした。この砂はどこから来たのかねぇ。 トルファンとコルラの中間地点あたり。こういうのどかな風景もあります。 現在、トルファン付近の高速入り口が工事のため変更されており、ガイドどおりに進むとトルファンの東、20キロほどの郊外に出てしまいました。 上の写真は、トルファンの手前の町のはずれで見かけた整地中の土地に浮き出ていた塩です。少しなめて見ましたところ、なかなかいい味の本物の塩でしたので集めて記念にもって帰ってきました。その姿を見て、運転手氏曰く「外国人で、塩をもって帰った人は、初めて見た」とのこと。下は、高速と平行する鉄道です。 このあと、トルファンからウルムチまで、高速をぶっ飛ばしながらも無事到着。大都会ウルムチには唖然とした次第。この日は何か大規模な会合があったらしく、ホテルと云うホテルが満室。結局、この旅行で一番高いホテルに宿泊することになってしまいました。その名も気高き「新疆ホリデーイン」。場所は新華北路。一泊1200元のスイートしかなく交渉の末、900元に値切って何とか確保。すごい贅沢でした。ウルムチでもうひとつ発見。なんと日本料理店です。「日本料理 江戸之櫻」の屋号で光明路26号のビルの1階です。ホリデイインから紅山公園方向へ行き光明路交差点を右へ300mほど。左側です。日本人の店長の吉野さん。なかなか丁重におもてなし頂きました。こんなに安くていいのかと思いながらも久しぶりの日本の味を堪能させていただきました。ぜひ、お運びになってみてください。ほかのところで食べるまずくて高いのは当たり前の中途半端な日本料理より、この店はファーストフード風ながらも味も充分堪能させていただきました。コルラを出るとき、一両日中に大規模な砂嵐があるという情報があり、ウルムチについてすぐ、翌日の夕方便にフライトの変更をしたのですが、これが大正解。上海到着の翌日、本来乗るはずの飛行機が欠航となっていることをTVニュースが報じていました。今回のコース、タシュクルガン、アトシュ、タクラマカン砂漠カシュガルよりウルムチまでは、タクシーをチャーターしての旅でした。車はゴルフ中国版。費用は、10日間でおよそ9000元。3人で行けば一人3000元。いかがでしょう。これは、当初、8500元で契約したのですが、運転手さんたちの宿泊費用が予想より少し高めになったためと、コースを変更し、少し余計なところへも(ホータンダムなど)遠出したためです。バスを乗り継いで、宿泊を重ねるのも面白い旅になりますが、これくらいの移動距離になると人数がまとまれば、チャーターが安い。と、思いました。再見 烏魯木斎、再見 新疆 明日は何処の町ぞ銀川からエジンホロ。700キロの一日移動費用は85元でした。しかし写真が限られるのが気がかり。
2005年02月18日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は ボストン湖 です。その前にちょっと引返して、タシュクルガンの火焔山パート2です。この少し手前で、運転手さんが居眠りをはじめ、少しだけ怖い思いをしましたが、なんとか持ち直したのがこの景色です。日本では、1日に、700キロ走ると言うのはごめんこうむりたいものですが、中国に来るとなぜか、平気になってしまいます。しかし、運転している人にとっては、かなり苦痛でしょう。よくわかります。上海の知人は、長距離を走ると、よく、「チェレ、チェレ」と云っていました。普通話では「真累・真累」。中国語を話せる方はお分かりいただけると思います。 では参りましょうか。ボストン湖。広すぎる。!!!ボストン湖の中には、さらに小さな湖が点在しています。それらの湖が、たとえば「はすの花がうつくしい」とか「鷺が巣を作ってい潟」など、それぞれに特徴を持ち、その周辺には商業施設が徐々にではありますが、整備されつつ有ります。また、周辺の道路はほんとに綺麗に整備されており、水は少し冷たかったのですが、水泳場も開設されています。 上の写真の左側に、下の写真の情景が続きます。 上の写真の臨時の漁師さんと話しているときやってきた、近くの売店の子です。人懐っこく、くっついてきてしまいました。話をしてたところ、心配になったのか、お母さんのお迎えです。 向こうに見えるのは天山山脈です。 この写真の中央部あたりで、かなり綺麗な水が湧き出しているそうです。ビーチパラソル付きテーブルの利用料は一人1日50元。高いからいらないと言うと30元になりました。1時間10元にしてくれと値切ったのですが、だめということでしたので、結局利用しませんでした。 この砂浜の手前にはレストランがあります。しかしこちらも、一人80元~100元ほどになりそうだったのでこちらもやめにしました。日本人にしてみれば高くないのかも知れませんが、こちらの物価水準を考えると、やっぱり高い。このときの旅行はかなり贅沢をしていたのですが、すでに「倹約旅行」が身についてしまったのか、現地の人の感覚で充分に、楽しい旅ができることを知ったからなのか、なんともいえません。でも、お金は大切にしましょう。
2005年02月17日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は コルラ です。コルラまで750キロ。気象条件がよければ中間点の「中三点」で泊まるくらいの気持ちで出発したのですが、出発まもなく下の写真のようになり、結局、1日でコルラまで走りました。民豊から暫くは、ところどころ小規模な竜巻様に、砂が舞い上がるような状態でした。が250キロほど走ったところで、状態が、下の写真のように変化し始めました。とても、車外に出るような状況ではなく、中国語で「砂塵暴(シャージュンバオ)」といいますが、まったくその名の通りでした。 「砂塵暴」です。気象条件がよければ、壮大な眺めが味わえたことでしょう。これはまだ、「砂塵暴」としては、初期段階です。このあと、さらにひどくなり、まったく「ホワイトアウト」の状況になりました。しかし現在、砂漠公路全線に渡りスプリンクラーと、点滴潅漑システムを活用し、植樹事業が展開されています。内蒙古のエジンホロの場合もそうでしたが、3~5年で少しは成果が見られるかも知れません。しかし650キロのパイプラインは大変でしょう。中間点の「中三点」で食事をしましたが、「砂塵暴」が一番ひどいときで、目もあけていられる状態ではありませんでした。食堂内も、砂が舞い込むような状況でしたが 二重のドアのおかげで、何とか快適な食事をすることができました。同じところに、旅館や、ガソリンスタンドがあり、旅館では、シャワーもOKでした。 砂漠公路もあと150キロほどで終わるあたり来ると天候が変わり、風は少し強めだったものの、下の写真のようにすっきりとした状態になりました。川はタリム川、またはその支流だと思いますが、暫く車を止め、「崑崙の玉探しタイム」としました。 コルラ到着です。コルラ郊外の鉄門関です。その昔、三蔵法師もここを通り、インドへ御出でになったそうです。この奥は、公園のようになっていて、バーベキューをやっている人々をそこここに見受けました。さらにおくに進めば、原生林の森に入ることもできますが2時間ほど歩いてもたどりつけず、あきらめて途中で引き返しました。
2005年02月16日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は ホータンからニヤへ参ります です。その前にちょっと先走りして、コルラのボストン湖をごらん頂きましょう。彼は漁師ではなく、現在失業中で親戚の船を借りて漁をし、市場で売って生活をしているとのことでした。経済成長率8%といっても奥地ではその恩恵に預かれる人は、まだ少数なのでしょう。 ホータンからニヤ(民豊)へのルートは、でこぼこの改修中の道路が150キロほど続きます。夏場のことで、崑崙の雪解け水が道路を覆っている場所も数箇所あり、なかなかの旅程でした。ニヤ周辺には遺跡が数箇所ありますが、5年ほど前から、いずれも入ることはできず、古代を偲ぶのは、博物館しかありません。この博物館の建設にあたっては、日本人の小島康誉氏が資金提供されたようですが、来館者も少なく、客が来てからはじめて鍵を開けるといった状態でした。入場料100元にしては、展示は雑で、展示品も少なく、いささか気落ちしてしまいました。 ニヤのホテルは「民豊賓館」以外は2建しかなく、ホテルらしいホテルは、ここだけでした。130元の建値が90元(当然朝食付)でOKでした。夕食も、4人で、ビールも飲んで、80元でした。料理の品数は12品。驚異的な安さです。この値段の決め方も大雑把で、チェックインしたとき、たまたま支配人と調理長が庭で歓談しており、夕食の内容を交渉したところ、このような結果になったのでした。味も充分、満足できる水準です。ホテルの設備も星なしですが、そこそこです。所謂、普通の中国人の宿泊施設ですが、何も不満な点はありませんでした。 いよいよ砂漠公路ですが、この日は、激しい砂嵐に遭い、とても車の外に出られるような状況ではなく、ほんとに残念でした。砂漠公路の入り口はまだよかったんですが・・・・・
2005年02月15日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は ホータン です。最近できた道路らしく、舗装はまっさらでした。しかしここまでの道中の3分の1は工事中の道路でした。2005年の7月ころには全線修復するそうです。 ホータンでは、かなり上等なホテルを見つけました。ホテルの写真は有りませんが、四星級です。和田浙江大酒店、住所は和田市 北京西路 9です。料金の建値は475元(料金は全てツイン)ですが、なんと190元になりました。新築間もないので、部屋も綺麗で、冷蔵庫も見使用でした。ただし、外貨の両替はできません。(両替は銀行で。)そして下の写真をごらんください。なんと、NHKのシルクロード取材班の車両をこのホテルで見つけたのです。そしてなんと、さらに2日後。今度はコルラでもほんとに偶然に同じホテルになったのです。安ホテルを探してたどり着いたら、そこにNHK。少し不思議な気分でした。因みに、コルラは「バイングル賓館」。ここも180元でしたが、ホータンのホテルより格下です。新シルクロードのプロローグで、25年前の玉の仲買人を紹介していましたが、ここも玉の仲買人の家です。庭先には玉の原石がこのように陳列してあり、希望があれば、販売するとのこと。値段はさまざまですが、墨玉の質にもよりますが、300万円から6000万円位でした。こぶし大のもので、一番安いもので3万円位でした。このお宅には自家用車も3台あり、全室冷暖房完備。電化製品は全て、そろっているとのこと。かなりリッチな生活のようでした。写真の人物は、ホータンで玉の加工販売をしている方です。 このお宅から概ね1時間でホータンダムに到着です。しかし、この砂漠のどこにダムあるのか、不思議ですよね。 ダムの堰堤から下流を見たところです。ダム湖の遊覧船もありましたが、あまり面白ない風景でした。
2005年02月14日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は ホータンへ 参りましょう。その前に、カシュガルの”胡楊王”を少しごらん頂きましょう。「生きて千年、死んで千年、倒れて千年」と言われる程生命力のある”胡楊”。この胡楊王は、樹齢1500年とか。今は亡き御霊を見守るように、お墓のそばに植えられていました。画面の左億が広大な墓地群です。因みに、この木のオーラが写真に繁栄されているようです。 このあたりには、たとえば157団とか204団とか、数字で表される地名があります。これは、40年前の文革のころ「下放」「下郷」の号令の元、僻地に送り出された当時の>開拓団の識別番号です。これらの地の生活は並大抵ではなく、落ち着いてきたのはごく近年のことと言われています。しかし最近は、この土地からも、都会に向かって出て行く若者が多いそうです。いつの時代も政治の犠牲になるのは、われわれ普通の人々です。 標識には1500年の歴史があると書いてあります。 ホータンまでおよそ500キロ。途中、沙車、澤晋は現在「大緑化作戦敢行中」とでも表現しましょうか。本来、水には不自由しないような土地なのか、随所にスプリンクラーを張り巡らせ、植樹が盛んに行われていました。下の写真は沙車の町を出たあたりです。ホータンまで50キロほどのところにある”扎瓦”のバザール風景です。車はなかなか前へ進めません。写真の保存が限界になってしまいました。日記の古いものから消していくしかないのでしょうか。
2005年02月13日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日はちょっとカシュガルをごらん頂きましょう。新疆の言葉に「カシュガルにこなければ新疆はわからない」と言う言葉かあります。これは「長城にこなければいい男ではない」という言葉をもじったものらしいですが、いかにも「さもありなん」と思います。ウルムチやコルラでは味わえない異国の雰囲気があります。到着したのは夜11時半ごろ。いかにも中国の田舎らしくないその清潔さに驚いたのです。その日は近くの夜市で食事をすませ、非常に気分よく休みました。北京時間の夜2時ごろだったと思います。しかし翌日、ホテルの窓から見る風景に、やはり!と、納得しました。ここは中国。本音と建前。表と裏と昼と夜。やっぱり中国。ここだけ異次元ではないことに少し安心しました。観光名所として開放されている伝統的住居群をごらん頂きましょう。本来入場料30元の入場料が必要ですが、私は、タクシーの運転手の助言を得て、裏口から入りました。それが下の写真です。 ここに暮らす子供たちです。 現在の日本では、ほとんど見かけることのない子供達の日常です。古きよき時代の日本。みなが貧しかったあのころ。今となれば懐かしささえ感じます。わずか4~50年前のことです。少し違うのは、坊主頭の子供で女の子の洋服を着ているのは、やっぱり女の子でした。何か宗教的な意味合いがあるのかも知れません。 カサブランカの迷路のように、このような細い路地がくもの巣のように這いめぐらされており、半地下のような家屋もあります。 上の写真の右側の入り口のお宅の内部です。一人10元ですが、中ではお茶のもてなしが有、手製のお土産品の小売もあります。街中の半額以下です。 上のお宅より少し山の手の陶芸家のお宅です。このお宅には、やぎも同居していました。 おなじみ、エイティガール寺院です。現在、正門周辺の内部を改装中で、横手から入りました。さらにこの広場の右横には、一大ショッピングセンターが建設中でした。2年後の開店だそうです。
2005年02月12日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 タシュクルガンをごらんください。カラクリ湖からさらに1時間と少しかかったでしょうか。広大な盆地のど真ん中をただただ走ります。写真ではなかなかに伝わらないその広さが、残念です。タシュクルガンより標高が高く、なんと4000mです。周辺には広大な草原が広がっています。 この道をあと250キロほど行くとパキスタン国境です。そのあたりは標高4500m程と聞きました。写真のトラックはパキスタン行きの定期便のようでした。こういう景色を見ながら、ただただ走ります。 タシュクルガン湿原と古城遠謀です。タシュクルガン古城と崑崙の山々 タシュクルガン古城からコングル山。故城はほんとに瓦礫ぱかりでした。しかし西域南道にあっては最大規模の砦だったそうです。タシュクルガンの町は以外にこ綺麗でした。写真の女性達はここに暮らす娘さんたちです。外国人客も以外に多く、洒落たカフェもらしきものもありました。
2005年02月11日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 カラクリ湖へ行く前に、ちょっと別話を。一人で中国旅行をしているとき、いつも困ると思うことが有ります。それは食事です。街中のファーストフードやお弁当(盒飯)でもかまわないようなものですが、それでは味気ない。何かおいしいものを食べたいと思うときもあります。そんな時レストランに入り一般的な品を5品ほど頼むと、安くても150元~250元ほどになります。もちろん料理によっても違いますが)これは私にとってはあまりにも高額な金額です。一般的には3人程度が食することのできる量と金額です。しかし、時にはそれくらいの贅沢もいいかと、ときどき”ちょっと高級”レストランに入ります。そんななかのひとつです。上海の南京西路に上海電子台のビルがあります。その18階の”御花園”という店、是非お越しください。店内は比較的静かで(結婚式の披露宴などをやっているとき以外)店内インテリアも落ち着いた雰囲気があります。料理ももちろん、かなりの水準だと思います。上海の少し甘めの味付けではなく、”潮州風味”とのことでした。場所柄、メディア関係の人が多いようですが、日本人には、ほとんどあったことがありません。ぜひお運びください。値段も、料理に比べて安いと思います。レストラン”御花園”で、北京の”御花園”を思い出しました。私もまだ中に入ったことはありませんが、皆さんもよくおいでになる故宮(紫禁城)の一番奥の左側に有るそうです。皇后の隠居所のような場所だそうです。よろしければこちらも一度お運びください。この写真はネット上で拝借してきたものです。 では、カラクリ湖ヘ参りましょう。 鏡沙湖から80キロ程度だったと思います。標高も3200m程有りますので、歩くと呼吸が苦しくなります。わずかの高低差もなかなかあがれませんでした。この日はほんとに無風状態。年に数回しかないと言うラッキーデイでした。写真では現地の壮観さなど、なかなかその雰囲気が伝わらないと思いますが最大限イメージを膨らませて見てください。 牧民たちはここで放牧をしながら生活しているそうです。現金収入が少ないこの地では、たまに来る観光客に土産を売って生活の足しにしているとのことでした。
2005年02月10日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 鏡沙湖へ行く前に、少し別のお話をさせていただきましょう。ウルムチ博物館は 現在大規模に新築改修中です。博物館員の話によれば、現在所蔵品の一部を売却しその資金を捻出中とのことでした。お金と時間の余裕のある方は、現地に御出でになってみてください。きっとお買い得かと思います。因みに、下の写真全部で(展示用棚も含めて)300万程といっていました。ただし、日本までの輸送費等は含みません。 下の写真は全部で(展示用棚も含めて)150万程といっていました。これも、日本までの輸送費等は含みません。 今日はあまり説明をしないで、ただごらんになって頂けばと思います。 湖に来る観光客目当ての臨時の売店ですが、あまり商売っ気はないようです。テーブルの上にはあまり上等なものは出していませんが、ちょっと値が張るものは、別の入れ物から出して、見せてもらえます。
2005年02月09日
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春天到了 吉祥如意 新年快楽 春天到了 吉祥如意 新年快楽 カシグリマジャール陵墓です。彼は13世紀ごろ留学先のアラブの国より20才そこそこで帰り、若くしてカシュガル周辺の開発に尽力した方だそうです。 陵墓内のガイドさんです。お目にかかった時、父君がなくなられて1ヶ月もたっていないとのことでした。白のスカーフはその意味だそうです。 このとき入場したのが閉園真近だったのですが、受付のおじさんが(と言っても私より若い)おつり用の小銭がないといって引き出しをごそごそ捜しているとき、見えちゃったんです。お薬が。つまり男性用の元気薬です。思わず「私と一緒だと」と云って高笑いしてしまいました。結局、小銭は出てこなかったので、本来12元のところ、4元値引きしてくれました。またその方面は誰でも一緒と、つくづく感じた次第。ではタシュクルガンへの道を少しご案内しましょう。カシュガルからおおよそ300キロあります、結構遠いですね。途中に関所(身分証明書の検査所)が有ります。それを過ぎて70キロぐらいで、鏡沙湖に到着します。それからさらに標高4000m地点を越えてカラクリ湖を過ぎ130キロほど。やっと到着です。でも現地のタクシーはかなり飛ばしますので、時間的には3時間少しで到着します。とりあえず、今日は鏡沙湖(チンシャフーと中国語では発音します) この子供達は、タジク族のパオでお茶をご馳走になったとき撮ったものです。少しはにかみながら、戸惑いながら撮らせてくれました。このあたりの年収は1万5千円ぐらいだそうです。やぎの乳を入れて飲むモンゴル茶はとてもおいしいですよ。モンゴルに行って以来の大ファンです。因みに、お茶は湖北省で作っている発効茶をレンガ状に固めた、レンガ茶です。下の写真に小さく映っているのがこのパオです。 下の写真が鏡沙湖の右側半分です。その左に下の景色が続いています。 これは、帰りに撮った写真ですので、空の状態が上の写真とは違います。午前中はまったく無風で湖面が鏡のようでしたが、午後はかなりの風が吹いていました。山に積もっているように見えるのは雪では有りません。砂です。まったく不思議な情景ですよね。
2005年02月08日
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これは内モンゴル農業大学(旧畜牧学院)のキャンパスの絵です。朝8時ごろの様子です。 2003年7月開店した日本料理店、千代川です。鳥取に留学していた私の知人が経営しています。フフホトでは初めての本格的日本料理店ですが、味は少し、中国向けにアレンジしているようです。開店した2003年、サーズにゆれたこの年は、店の営業も大打撃だったようです。2階には掘りごたつ風の座卓を備えた個室も有ります。フフホトにお知り合いの方があれば、お誘い合わせてお運びいただければと思います。 値段は日本の5分の1程度ですが、中国の方にとってはまだ高いかも知れませんね。因みに、お昼のステーキベースの定食は60元でしたが、量的には日本の比では有りません。おおよそ日本で出てくる量の3倍くらいあります。もちろん食べきれる量では有りません。ついでにもう一箇所紹介しちゃいましょう。下の写真は、東勝からタクシーで1時間ほどの地、エジンホロのジンギスカン廟の一角にある ジンギスカンシアターです。ショーはバレエの要素もあり、ミュージカル風に仕立てられていて、かなり楽しめました。シアターは2003年10月から営業していますが、隣の★★★ホテルは2004年5月から営業とのことでした。昨年はあちら方面には行っていませんので、確認しましたところ、一泊270元程度からとのことでした。交渉しだいでは、もう少し安くなると思います。 下の写真はモンゴル族の農家です。定住政策にしたがって住居を構え、自家用の野菜を栽培し、羊の放牧で生活しているとのこと。子供達二人は新潟の大学に留学中とのことでした。こちらに立ち寄ったのは、濃い目のモンゴル茶が飲みたくなったため、ほんとに突然でした。モンゴルの人々はこのようなときもいやな顔一つせず、快くもてなしていただけますので、いつもあつかましく甘えてしまいます。本当にありがとうございました。
2005年02月07日
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アルコルチンから赤峰へ。2003年10月、開通しだばっかりの道路です。 このあたりは、旧満州の一角になります。60年以前は日本人の入植者がお居でになったそです。今年は終戦以来60年。旧満州へ入植した方々は今どうしてお居ででしょう。国の政策に踊らされ、本来冷静な自分に帰ればわかるはずなのに、自己中心的な考えに陥っていることさえも気づかず入植された方々。僭越ながら、今一度、贖罪の旅に御出でになってみてはいかがでしょうか。 10月9日。この日、初雪でした。外気はマイナス4度。
2005年02月06日
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紫竹園運河です 頤和園出口付近の橋この写真、北京のどこでしょう。 道路は渋滞だらけ、通退勤時には、普段20分で移動できるところが、1時間半以上かかったりする北京。街には高層ビルが立ち並び、上っ面の繁栄を謳歌し、近代的なものがもてはやされる北京。しかし、まだ有ります。こんなところ。 一度乗ってみてください。頤和園出口から西方向へ1キロ程度行ったところに、北京動物園内の船着場までの遊覧船が出ています。 わずか100年ほど前には、彼の西大后も楽しんだという舟遊びのルートです。もっとも当時は頤和園から、直接船を出していたようです。 今はあまり北京の町を歩きませんが、昨年8月下旬に行ったときの写真です。 紫竹園運河です
2005年02月05日
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節分を向かへ新たな一年が始まります。今日からゆっくりと、このページをつくりあげていきたいと思います。メインは、中国あれこれ話。少しだけ立ち入った中国をご紹介したいと思います。 この写真は昨年7月タシュクルガンへ行ったときのものです。年に数回しかないといわれる無風の絶好の日和でした。 タシュクルガンへの道中左手に見える コングル山 です。タシュクルガンからの帰り道、行く時は逆光でしたが帰りはほんとに火焔山でした。
2005年02月04日
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