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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”今日も、内モンゴルつれづれ ばなし ”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外今日も寝られない夜が来た。♪♪♪♪♪♪羊が1匹・・・・・羊が10匹・・・・・僕のポケットに~~♪♪♪♪♪♪♪♪そういう今夜も風任さんに刺激されて内モンゴルつれづれ ばなし99年の夏だったと思うが西安ー北京の列車に夕方6時ごろ、銀川から乗った。ほぼ満員の列車には硬臥の寝台しか席がないとのこと。仕方なく取ったが最上部だったため座ることもままならず寝転んでいるのも尚苦痛。そんな状態を脱しようと女車掌に「軟臥がどこか空いてないか」と訊ねると「どこまで行く??」「パオトウまで」と私。彼女「僅か6時間じゃないの!!!」私「・・・、だって座れないよ」と下に降りて当時90キロ近くの体重と、身長180の体を見せると「チョと待って・・・・」「・・・・」の部分は聞き取れなかった箇所である。彼女が再び来たのは1時間ほどあとのこと。「上の人」と私を呼んでいる。半分あきらめていた私はひょっとしてと思いながら顔をにゅっと出し「ニコッと」笑って見せた。すると彼女は「一緒においで。160元。 ほんとに無駄だろう。」といいながら私を軟臥に案内してくれた。こうして無事「パオトウ東」に到着したのが深夜の11時半頃。駅前のホテルに飛び込んで「部屋はある・・」と訊ねると4階のかなりいい部屋を提供してくれた。そのとき、180元の部屋代はまぁ問題はなかったのだが、そのホテル、なんとエレベーターが故障中。昔の建物なので天井までの高さが5メートルほどあり、普通の建物のほぼ倍。いい建物だが、4階まで上がるのは息切れと足のだるさに、途中で休憩しながら上がったが、私はエレベーターがないホテルによほど縁があるのだろうかと思った。でも、フロントの小姐は愛想がよく身分証の変わりにパスポートを出すと「日本人??まぁお上手ですね。中国語」と笑顔で応対してくれた。しかし、その笑顔の裏に「故障中のエレベーター」が秘められているとは不覚にも全く気がつかなかった。格言「40過ぎたらエレベーターを確認すべし」★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年09月30日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”今日も、内モンゴルつれづれ ばなし ”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外今日も、内モンゴルつれづれ ばなし2001年8月下旬、いつもだと緑はあせ、空との境界がはっきりとしているそうだが、今の年は少々趣が違うらしい。四子王旗の草原への道はまだ鮮やかな緑が残っていた。緩やかな峠道を越えると眼前に、それは突然に、いきなり空まて続く、緑の草原がひろがった。思わず叫んだ。「モンゴルだよ。モンゴルに来たよ!!」同行していた第1期の元研修生が「どこもモンゴルですよ、 ここはモンゴルですよ」と、何を馬鹿なことを云ってるんだとばかりに笑いながら云った。「判るまい、この気持ち。」と口にはしなかったが、1年に数度しか来られない私のこの表現が、この景色が日常の人間にとっては理解しにくい感情で有ろうことは推測できた。「しかし、もうちょっとそれらしい 合いの手を入れてくれよ」と思ったが・・・。草原の緩やかな丘をいくつかすり抜け、たどり着いたのはこのあたりでもひときわ小高い丘の上だった。内蒙古農業大学のS教授が「ここです。ここに散骨しました。」と指差した先には、積まれていたであろう石がばらばらと散らばった中に、小さなケルンがあった。内モンゴルの草原に散骨して欲しいとはある日本人が旅立つときの言葉だった。その年帰国した研修生に託された遺骨は親交深かったS教授の手により遺言通りこの地に撒かれ、今日は7回忌のお参りをかねてやってきた。そして今年、その彼が肺がんを患い、彼岸へ旅立ってから12年を経ようとするが、いまだにさまざまな問題を抱えつつも研修生交流事業は25週年を迎えた。★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年09月29日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”今日は、内モンゴルに行くために ”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外今日は、内モンゴルに行くために困ったときの神頼みではないのですが私、かねてより懸案でありました、「宝くじ」を購入してまいりました。♪♪♪♪オータムジャンボ 宝くじ♪♪♪♪♪でございます。枚数はバラ20枚といささか少のうございますが幸運の女神にぜひ、私の上で微笑んで頂きますよう皆様のお力添えをお願い致します。憶えておいででしょうか上の写真。「幸運の白蛇様です」抽選日は 10月14日(金)支払い開始日は 10月19日(水)でございます。では、皆様この画面上の「白蛇さま」に合掌。もちろん当たれば、かねてよりのお約束を履行させていただきます。みぎほとけ、ひだりわれあわす両手にゆかし一声。南無皆様のご多幸をおいのりいたします★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年09月28日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”今日もつれづれ、内モンゴルばなし。”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外今日もつれづれ、内モンゴルばなし。迎えに来た友人とホテルのレストランへ食事をしようと降りていった。出勤前の時間のせいか、人が結構いて、300人ほど座れる席がほとんど埋まっている。友人曰く、ほとんどが顔見知りだという。やはり朝も外食が多いのかと聞くと「公務員はほとんど来る。」とのこと。これも「給与半年未払い」の影響かと思った。でも今日は「ナーダム」休みだろう???まぁ、それはさておき、食事を済ませ、郊外で開催されるナーダムの会場に行くと、「旗長」以下当地の御偉い方のづらっと並ぶ最前列に席が用意されていた。私は「そういうところは厭だよ」と云うと「ナーダムに来る外国人はほとんどいないから今日は遠慮しないで、私も嬉しい」と友人。実は、まだしっかり酒が残っているしちょっと遠慮したかったのだが、ごく当たり前のようにそこに座ってしまった。まもなく入場行進などのセレモニーが始まり、会場が沸いてくる。御偉い方の長々とした挨拶が終わり競技が本格化すると友人が、「2日酔いでしょう。どうぞ」と、グラスと酒を持ってきた。「こんな、朝から良いのかよ」といいながらも「なかなか気が利くぜ、持つべものは友、 アセトアルデヒドを制御できるのは アルコールだけ」と、勝手に納得しながら1杯飲んだ。この1杯は、まさに妙薬である。たちどころに頭痛は消え、うつろな焦点が定まり始めた。こうなればこっちのもの。「チビチビ飲むなんてのは男じゃねぇ」と勢いづいてきた私。なぜかいつもより異常に杯が進むのが不思議だったが、モンゴル相撲に反応し、あちこちで起こる観客のどよめきとチーズをつまみに調子よく杯が進んだ。まるで昨夜の宴会のように・・・・。やがて昼になりレストランに帰ると肉の山、羊が私を待っていた。しかし、私の記憶はここで途切れている。友人に言わせると、ほんとに美味しそうに肉を食べていたが、いつのまにか声が途切れナイフを片手に居眠りどころか本格的な爆睡モードに入ったらしい。彼ら曰く、いくら起こしても起きないので仕方なく部屋に連れて行ったとのことである。友人たちは心配して何回か様子を見に来ていたらしいがそんなことは露知らず、気がつけば窓の外には月明かり。とても起き上がれないので枕もとに用意してあった水をいっぱい飲むと爆睡を決め込んだ私だった。もちろんそのまま朝まで。しかしあの時、しっかり食べたという羊肉はどこに入っていたのだろう。私にはどうにも記憶がないのだが・・・・♪♪♪ママァ ドゥユウ リメンバー♪♪♪いまだに想いだせないそのときの状況である。<center>★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年09月28日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”今日もついつい、内モンゴルばなし。”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外今日もついつい、内モンゴルばなし。2000年7月の下旬のある日、前日の午後3時、集寧を発った私は午前11時過ぎアルコルチンの駅に着いた。実はアルコルチンという駅はない。便宜上、私が勝手に「アルコルチン駅」と呼んでいるだけで、正式には「チャブカ」という。いつもの如く土地の人々が降りた後、一番最後にデッキに出ると、懐かしい顔が二人、笑顔で迎えてくれ、軽く手上げると、彼らも敬礼のように手を上げて挨拶を返した。ホームに降り立つ私からバッグを受け取り、出迎えの北京ジープに案内してくれた。昨年の秋から乗っている運転手付の公用車で有る。ホテルまでの道中、「今日はいいときに来ました。明日は「アルコルチン旗」の「ナーダム」があるから見ましょう」と誘ってくれた。ホテルはいつもの「天山賓館」。98年に初めて来た時と2回目までは、ロビーで3人の公安のチェックを受けたが、公安には連絡はしたが、前に来たのと同じ人だというと、今回は検査は不要だと云われたいう。友人曰く「公安も3回くれば友人扱いだ。」と笑っていたが、事実それ以後チェックはないし、その日の昼をホテルのレストランで取るため2階からの階段を降りたところで本当に偶然に前回チェックをした公安と出会った。そのときも「何時来ました?」「ちょうど今ついたところです」「では、ごゆっくりと滞在ください」と世間話のような会話。「今年はチェックは要らないの」と聞くと「こんな田舎町に訪れる外国人など年間10人もいない。ましてやほとんど毎年のように来る日本人はあなただけ。ごゆっくり」とその公安。そばにいた友人も笑顔でその会話を見ていた。その夜は例によって、彼らの友人、知人もちろん奥さんも交えて大宴会。当然ヘベレケになったことは云うまでもない。朝、友人が強くドアを叩く音に目が醒めたが、「ここは誰、私はどこ」状態。「食事をしてナーダムに行きましょう」と元気よく入ってきた友人の姿が5つ子のように見えた。<center>★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年09月27日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”今日もくどくど、内モンゴルばなし”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外今日もくどくど、内モンゴルばなし。先日書いた雪原の兎狩りの後、ある獣医のお宅にお邪魔した。場所はアルコルチン郊外の小さな村で有る。肩書きは、その小さな村「清河子」の獣医センターの所長である。お宅にお邪魔すると玄関を入るとすぐ台所。その左が居間兼客間の一部屋。さらにその左奥が寝室になっていた。客間に通された私は椅子をすすめられ、部屋の中央部に座らせていただいた。だるまストーブが置いてあるが外はマイナス30度。ストーブの火力が弱いのか、かなり寒かった。出されたモンゴル茶は、かなり苦味がありいつも友人達が飲んでいる濃さではなかった。「味が濃すぎるねぇ」と云うと「今日は濃いかも知れない。寒いから。 でも、大体このあたりの人は 皆こういう味が好きだ。」と、友人。その苦味は、歯がギシギシとなるほどだった。中国語が下手だからと云うその所長のモンゴル語を友人が通訳し世間話をした。話の最中、私が幾度となく寒そうな素振りをしたのだろう。友人が「寒いか??」と訊いた。ホテルを出掛けに「今日はかなり寒いよ。」の友人の声に「大丈夫だよ。寒いのは慣れているから」とあまり厚着をしていなかった私は今朝方からのマイナス30度の世界を少々甘く見ていたようだ。すまなさそうな顔をしながら、「ちょっと」と云うと、「だから云ったでしょう」と友人。「ここの公務員はこの半年、 給料を貰っていない。 だから石炭も充分でない」私「じゃ、食べるものはどうするんだ」友人「近くの店で、ツケで買っている」 他は牧民がミルクとかチーズを持ってくる。 何もなければ、隣のうちに食べに行く。 隣がなければその隣。どこかにあるし、 何とかなる。モンゴル族は 誰が来てもあるだけはご馳走する。 別にお礼を言わずに帰ってもいい。 それが普通だから。」私「しかし、給料が出ないのと、 そのもてなしの話は違うだろう。」友人「でも、いい。何とかなる。 だけど、今日はどこも石炭が 足りないかも知れない。 寒いから帰るか??」私「そうねぇ。そろそろ・・・」小1時間滞在しただろうか、このやりとりを別の友人が通訳していた。主は、苦笑いいしながらも「何ももてなし出来ないけれど もっとごゆっくり」と云うと、 草原白酒を持ってきた。 「そんな話を聞いたあとで飲みにくい」と思ったが、そこはそれ、目に輝きを増した私は、早速、気付けの一杯を引っ掛けると寒さを忘れ、しばしの宴会に入ったのは云うまでもない。「給与半年未払い」は彼だけではなかったうそのような本当の話である。<center>★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年09月26日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”今日はこじつけ内モンゴルばなし”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外今日もしつこく内モンゴルばなし。というわけでもないがとりあえずその関連。この連休、信州方面へ2泊3日で添乗のバイトに行ってきた。美ヶ原を見ればモンゴルを連想し、霧が峰に行けば、この霧があれば草がもっと育つだろうと思い、頭はモンゴルを駆け巡る。その日、北志賀の某ホテルに宿泊することになっていた。しかし、そこにいまどきの日本に、「電力賓館」を思い起こさせるホテルがあった。スキー客専用のホテルだがオフシーズンは観光客や、学生の合宿などを引き受け、格安料金で利用できる。建物も立派で、斜面を利用して建つその建物は5階建てである。が、しかし、チェックインをすませ、3階の部屋に上がろうと客をエレベーターホールに案内しようと探すが・・・・・、ない!!!!!。エレベーターがない。探せどそれらしきホールもない。怪訝に思いながらフロントに尋ねると、「申し訳ございません。 当館にはエレベーターはございません。」ここは内モンゴルでも、重慶でもない。れっきとした、日本の、冬場はかなりの人が出入りするであろう有名なスキー場のホテル。そこにエレベーターがない。そういえば、内モンゴルシリンホトの「電力賓館」もなかった。しかし、「電力賓館」は因みに3階建て。ここは日本。おまけに5階建て。3階の部屋から風呂の有る地下1階迄の昇り降りは足を使うのみ。私は吼えた。「6年前はなくても、内モンゴルだって普通はついてるぞ。」「一部、例外はあるけど・・・・・。」「あの坂の多い重慶さえ、ホテルにはあるぞ たとえ5階建てでも。「前調査で、いまどき日本のホテルに、 お宅エレベーターの設備はありますか、 なんて、聞く馬鹿がいるかよ。」「聞くほうが馬鹿にされるだろう。」とんだところでまた、内モンゴルを想いだしてしまった。北志賀高原の大駐車場のそばのホテル!!!!2度と行きたくない。おまけに4階は部屋にトイレもなくその階にもない。よって風呂は地下へ。トイレは3階へ。ふざけんな。内モンゴルは部屋になくてもその階にはあるぜ。トイレぐらい。現代の日本でこんなことがあるとは全く信じられなかった。こんなボヤキを書きながらまた内モンゴルの絵が浮かんでくる。こうなるともう病気だ・・・・。内モンゴルをえこひいきしてやる。北志賀はだめ。日本じゃない。もちろん内モンゴルでもない。内モンゴルの方が進んでるよ~~~だ!!!!!! ヘン!!!!! <center>★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年09月25日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”内モンゴルばなし 続き5”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外今日もしつこく内モンゴルばなし。ほんとにどうにかなりそうな頭は今日も内蒙古を徘徊している。見晴るかす大草原。もう枯れているであろう草原の緑。手八肉、草原乳酒、草原白酒、星の光。以前少し
2005年09月22日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”内モンゴルばなし 続き4”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外今日も内モンゴルばなし先日の「中秋節」の日9月18日は中国人では当然知らない人は無い特別な日である。この特別な日に関わることを思い出した。9/18。添乗の帰りに大阪中ノ島付近を通過中月を眺めているときのことで有る。私がよく行く内モンゴルと現在の中国の国歌とは浅からぬ因縁が有ることを想いだした。私はこの映画を見ていないので文献でしか知るすべは無いが戦後作られた中国の映画「東北抗日義勇軍」の主題歌は元は「中華民国義勇軍行進曲」と言われた、「東北抗日義勇軍行進曲」だそうで有る。そして、現在の国家「前進」そのものだそうだ。作曲した聶耳は昭和10年7月日本の鵜沼海岸で水死している。この映画と内モンゴルの関係で有る。主役は「小白龍」だそうだ。そして、日本と戦った英雄で有る。この人物、実在の人間で有る。「小白龍」は満州馬賊の下積みから成り上がり馬賊の頭目となった人物である。昭和1~2年ごろからは日本軍部とも接触を持つようになったが日本軍の手先として使われることに嫌気し抗日義勇軍に参加し、「尚旭東」とも名乗りのちに東北抗日義勇軍総司令となった人物である。そして「小白龍」「尚旭東」「小日向白朗」はいずれも同一人物であり、実は日本人である。いま私がよく行く内モンゴルはなぜか、彼が行動エリアとしていた辺りに符合するのは30年前に読んだ本の影響なのかとも思った。<center>★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年09月20日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”内モンゴルばなし 続き3”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山カシュガルから西域南道へ 今日も内モンゴルばなしの続き。いまや完全にホームシック状態である。寝ては夢、起きてはうつつと云うけれど、頭は全く内モンゴルに飛んでいる。2年前のことである。いつも乗る集寧からの夜行列車に変えてその日はフフホトから通遼までの直通列車に乗った。2等寝台車両ながらエアコン付でなんと普通、3段のベッドが2段しかない。まだ造られて間もないであろうこの列車、「軟臥」の仕切りなし分といった感じだった。しかし、後で知ることになるのだがこの列車には食堂車が無かった。いつも乗る乗る集寧からの列車には食堂車もついているので(ただし1度だけ営業していないことがあった。)こんなにいい車両ならば当然食堂車もついているものと確信して乗った。席について出発待ちの時間を過していると日本語で「先生、どこに行きますか。赤峰に来ますか」と話しかけてきたのは2年前に農業研修生として日本に来ていた赤峰の友人だった。この広い中国で、ましてや集寧などという田舎町で、いや、集寧は交通の要衝だからこういう言い方は適さないかも知れないが、ほんとに偶然に出会うということはなかなかにあることではない。何でも、大学の仕事の都合でこちらに来たが当初の予定より3日ほど早まって帰ることになりこの便に乗ったとのこと。「それにしてもほんとに偶然。 先にアルコルチンによってから そっちに行くつもりだったんだ」と云うと「アー、彼のところですか。わかりました でも、必ず来てくださいよ」と私の横に腰を下ろした。これから始まる列車の長旅に慌てる必要は何も無くとりあえずビールを開けながら「お昼と夜は食堂車で食べようよ」と云うと「なに、知らない?!?!この列車には食堂車はついて無いです。だめ駄目!!!!」と出発間際の列車を飛び降りていった。ほどなく帰ってきた彼、曰く「何回中国に来ているの!!。まだ判らない?! ここは中国でしょ。列車やバスを使うときはちゃんと食べ物を買って乗るのは当たり前でしょう。!!!!何回じゃないでしょう。何10回でしょう中国に来たのは・・・」私「・・・・・・」私も買っているけど3人が食べるのはちょっ少ないから買って来ました。」と云うその手には食料と酒が、しっかり買い込んであった。私が「だけどこんなにいい列車なら 食堂車がついてない方がおかしいよ」というと、「ここは中国です。何でも有りは、 何でも無いです。」と、洒落で交わした。この後、同行していた彼の上司を含めて3人の小宴会は彼らが下車する「林西」迄続いた。教訓。中国で列車に乗る時は必ず食料を仕入れて乗るべし。<center>★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年09月19日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”内モンゴルばなし 続き2”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山カシュガルから西域南道へ元最後の宮廷そばの岩山より雪が降ると真っ白な雪原になります。先日来の、内モンゴル話で連鎖的に想いだしたことが有る。春節の休みもまもなく終えようとするある一日。二階建ての寝台バスはマイナス20度の草原の道を走っていた。私は2回のベッドの席を確保していたのだが、通路を隔てて向かいの席に若い男と2歳ぐらいの男の子が一緒に居た。しかし、一見親子とも思える状況にあるその子は一向にその若い男とも口を利かない。そして全くムズがるでも無く、ほとんど動かないで何時間もじっと座っている。2度ほどトイレ休憩があったがその子は全く同じ所に座っている。その子が初めて動いたのは車が発車してから6時間ほど経ったときのことだろうか。いつのまにかトイレ休憩からバスに戻った私の後をトコトコとくっついてきていた。上にあがろうとするので、私が抱き上げベッドの上に乗せようとするのにその親らしき若い男は手を出して受け取ろうともしない。少し語気強く、「どうしたんだ」と言うと何の意味かわからないというような顔をして仕方なくその子を上に引き取った。我が子をよくそこまで放って置けるものだと関心しながらも暫らく様子を見ていた。すると私の後に居た、こちらも若夫婦がその子に対して「ゴチョゴチョ」とういうと何と、いかにも聞き分けよく「ウンウン」とうなづいているではないか。ということはこちらが親子であちらは全く関係ない第三者。無関心なのも当然。かってに親子関係に仕立て、全くろくでもない親だと思い込んでいた私は一体ナンだったのでしょう。このときは真剣に自分の思い込みの強さを恥じた。しかし、あの親の子とも思えないほどほんとに行儀のいい子だった。モンゴルではないけれど、八甲田の睡蓮沼★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年09月15日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”今日は「砂の器」と中国”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山タシュクルガン火焔山元最後の宮廷そばの岩山より雪が降ると真っ白な雪原になります。今日は「砂の器」と中国もう30年も前であろうか松本清張原作の「砂の器」が映画化されたのは。映画の後半に頼病を罹った親とその息子の父子の巡礼の描写がある。やむなく故里を離れ、巡礼として全国を彷徨う父子の姿である。石もて追われ、棒で゙殴られ、物乞いしても、頼病故に足蹴にされる。この映画のテーマは「宿命」である。生まれだ場所、育った状況等、定められた宿命に、人は抗うことは出来ないのだろうか。抗って見たとてこの映画のように、抗って見る程の意味の無い結果が待っているのだろうか。中国ではよくあることだが、まだ、3~4歳と思しき子までが物乞いに来る。片手で私のズボンのひざの辺りを掴みながら道をふさぐようにして片手を差し出し、物乞いに来る。辺りを見回すと、それらしき親が道端に腰を下ろしてながらさりげなくこちらを見ている。この子達には、もちろん恥も、外聞も有ったものではあるまい。また、自分の親が何故、このようなことを平気で我が子にさせることが出来るのかを問うことすら出来まい。おそらく、疑問すら感じることもないであろう。しかし、この子は、この親を親として否定することは出来ない定めがある。切っても切れない親子の絆がある。そして、この親がこの子を育てる以上この親子は物乞いの宿命から外れられず、新しい物乞いの宿命を背負った子が誕生する。中国の友人達にこういう話をすると、彼らは田舎者で教養も無いからそういうことも平気なんだという。ならばその無教養を改善すべきは誰の責任か。単に政府か?行政か?或いは全く故人の問題か?これが5000年も続くとは、一体あの国は、人を何だと思っているのだろう。人は育てなければ育たない。「飯を食わせておけば充分だ」という思想が、何時まで生き続けるのだろう。モンゴルではないけれど、八甲田の睡蓮沼★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年09月14日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”内モンゴルばなし 続き”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山カシュガルから西域南道へ元最後の宮廷そばの岩山より雪が降ると真っ白な雪原になります。昨日の、内モンゴル兎猟話で想いだしたことがある。このときはフフホトで2日ほど過し通遼へ飛ぶ予定にしていた。しかしその朝5時、窓の外を見ると、街の景色は一変していた。夜半以来の雪で、くすんだ街の景色が真っ白な明るい世界に変わっていた。タクシーの運転手も「空港へ行くのも大変だ。行っても飛ぶかどうか判らない。」とのこと。「しかし、まぁとりあえず・・・」と向かったものの、通常20分ほどで到着する空港へも1時間もかかり、おまけにフライトはキャンセル。急遽予定変更して3時の集寧南からの列車に乗ることにした。一度やると決めたらやり通さないと収まらない性分。「行くベー」の気持ちは充分だったが、駅へ行って問題が発生した。集寧南からのチケットはあるが集寧南までが無い。春節の最中で込み合っておりヒステリックな服務員の回答は「立ち乗りも不可」とのこと。「ならばタクシーで行くか」と、タクシーの運転手と料金交渉をすると「普通は300元で行くが今日はこういう状況だから500元欲しい」私「OK」しかし、冬用のタイヤを 履いてない。このタクシーでは・・・・。とも思ったが、しかし、気持ちはまっすぐ「行くベー。」「ジンギスカンが守ってくれるよ。」と、集寧迄走った。内モンゴルの雪道はスリップ、スタックを繰り返しながらも意外と順調に走ることが出来た。集寧に到着したのは2時過ぎ。フフホトを出てから、約6時間かかったが列車の出発時刻には充分な時間が有った。待合室で食料の仕込をし、所在無くブラブラしていると小銭を手にした70歳近いと思われる「老爺」が細かくお辞儀をしながら私のそばによってきた。様子から状況が飲み込めたので50元ほどあったと思うがポケットに有ったつり銭を裸銭のまま渡した。受け取った「老爺」はいつものことのように軽く礼をしながら立ち去ったが20分ほどして帰ってきた。明らかに私を探している。視線が合うとさらに私のそばに来て再度しっかりと視線を合わせ、深々と礼をした。しかしその目は潤んでいた。私は軽く会釈を返すしかなかった。まもなく改札が始まり私がその列に並ぶと「老爺」は再度深々と礼をして出口の方へ歩いていった。外の気温はマイナス20度もあったろう。春節の最中のなにやら寂しい出来事だった。モンゴルではないけれど、八甲田の睡蓮沼★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年09月14日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”内モンゴルばなし ”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山カシュガルから西域南道へ元最後の宮廷そばの岩山より雪が降ると真っ白な雪原になります。先日の宴会の最中、内蒙古の友人に電話をしてみた。現在来ている研修生の故里の近くだ。先日は、朝の気温が5度。日中はまだ25度ぐらいまで上がっているようで、寒いとは云いがたいようだが、すでに冬に向かって季節は移ろいはじめているようだ。以前、2月の春節の頃、マイナス30度の内蒙古へ行った。友人が、こんな時期で何も無いが草原へ行ってみようと誘ってくれた。草原と云ってもそのときは雪原である。雨が少なく草が伸びないときの草原は見ていても寂しいが、雪で覆われた純白の世界は藍色の空から降り注ぐ日の光が雪の上をきらきらと踊り、以外にも華やかである。乗り込んだ車は北京ジープのおんぼろ車である。車の中も当然、ヒーターは効かず、定員5人の車に7人が乗り込みお互い体を寄せ合って暖をとるような状態であった。草原に着くと先発隊がいた。何を始めるのか訊くとこれから「兎狩り」をやるとのこと。これは面白そうと、始まりを待っていると一頭の犬が尾っぽを巻き込み、首をうなだれ、こちらにトボトボと歩いてきた。程なく2匹、3匹と、トボトボと同じように歩いてくる。私の友人が犬の尻を叩き、「行け、行け」と促すが、犬達は一向に行こうとせず、すまなさそうにこちらを見ている。私は状況が把握できないものだから、「どうしたんだ」と訊ねると、犬が、あまりの寒さに猟を嫌がっているとのこと。「犬でもやっぱり・・・???」だけど・・。「犬は喜び庭駆け回り・・・」の唄は???マイナス30度の世界ではこの唄は通用しないらしかった。当時、風もあったので体感温度はもっと低いかも知れないが、あえなく「兎猟」は中止となった。そのとき思わず、犬に向かって「兎の代わりに食べちゃうぞ!!!」と云った私だった。モンゴルではないけれど、八甲田の睡蓮沼★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年09月13日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”内モンゴル研修生ばなし”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山カシュガルから西域南道へ西安よもやま話はネタが切れたようなので今日は内モンゴル研修生ばなし昨日は久しぶりに内モンゴルからの研修生たちと酒を飲んだ。昼ごろから始めた宴会は気がついて見れば夜の12時。モンゴルの歌を聴き、唄いモンゴルのお茶を飲みながら延々と、半日も酒を飲んでいたことになる。お陰で今日はひどい二日酔いである。昨日、研修生の一人が来日以来書いている日記を見せてくれた。モンゴル語で書いているので内容は全くわからないが、すばらしく均整の取れた筆致はモンゴル文字を理解できなくても誰が見ても美しいと思えるものだ。日付の横に数字が書いてあった。何かと訊ねると「帰国までの日数」だという・・・。齢を重ねすぎたのかはたまた単に涙腺が弱いだけなのか、こぼれ落ちた涙が眼鏡を濡した。さらに追い討ちをかけるように、酒を注ぎながら唄い始めた歌は「ロンジア」。哀調漂うその歌に、一層、涙が零れて落ちた。日付の横にあった数字は「62」。彼らは63日目には故里にいる。モンゴルではないけれど、八甲田の睡蓮沼★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年09月12日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”西安よもやまばなし 余禄偏”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山カシュガルから西域南道へ今日は西安よもやまばなし 余録偏今日は免許証の更新に行ってきた。今回は5年ものを頂戴した。次回の更新は平成22年となるが、この5年はどんな風に過すのだろう。いや、何とか現状を打破して中国で何かをやっていることに期待したい。さて、その何かである。何とかなるかと行った今回の西安往きは日本語の教師。以前から芝居や日舞をやったり、歌を唄ったりしていたものだから発声・発音、イントネーションの指導等はお手のもの。全く違和感無くやらせてもらった。文法はといえば、日本語の文法は人口の数ほどあるといわれるほど明確な定めが無いといっていい。「そんなものがひとつの形式をもって解釈できるはずが無い」と思っている私にある日、西安の教師人陣の一人が文法のについて質問してきた。(その彼は西北大学で本格的に文法を 勉強してきたらしい。)もちろん一般的な各種の活用等は判るので簡単に「どうぞ」といってしまった。ところがである。その彼が持ち出した質問は、「形式名詞について教えてください。」だった。私「?????」}「形式名詞??」。全く聞き覚えの無い言葉を聞いた。私の43年の人生の中で「形式名詞???」。「聞いたことがないよ~~」だった。「他にどういうものがありますか」とその彼が例文を見せて訊ねてきた。その例文は「出来るものならやってみろ」「今やっているところです」など。例文を見て私。「これが形式名詞?????」「こんな用法なら、「こと」「わけ」 なんかもあるよ。だけどこれが????」何時から使われだした言葉なのかは分からないが帰ってから調べると確かに有った。しかし、「形式名詞」。いい勉強になったが私が忘れていただけなのだろうか。いまだに疑問。★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年09月06日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”今日は、「西安のよもやまばなし」お食事偏2”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山カシュガルから西域南道へ西安よもやまばなし今日は、お食事偏2中国滞在中、いつも困るのは食事。朝、昼は何とかなるが、問題は夜。今回、当初2日ほどは日本人スタッフと一緒に食事をしたが、本来、群れるのが好きではなく、常々、「中国にいてまで、なぜ日本人と過剰な接触を必要とするのか」という疑問を持っているため3日目の夜からは一人で食事を始めた。しかし、いつものことながら、品数をそろえ、数種類の野菜中心のおかずを食するには中国のレストランでは多くの無駄が発生する。今回は滞在したのが、な!なんと「高級マンション」。近場にレストランがそこそこあった。そして、試しにと入った一軒が大当たり。なんと「定食」が有ったのだ。後は味の問題。7種類有った定食メニューを毎日一品、頼むことにし、とりあえず、一番上は「ブー」ではなく、真ん中の「牛ステーキ定食」から開始した。肉はまぁまぁ。適当に、そこそこ筋があり、「油の少ない中国の肉。」そのものだ。しかし、何回食べても中国の「牛」はまずい。まぁ、そこはそれ。慣れが必要。慣れればこれがまた、結構おいしくいただけるものだ。他にスープ。野菜サラダ。パンまたはライスがついて38元。量的にも問題は無く、肉も、200グラム以上はあった。他の定食も6種類を試したが、ここのチーフは、日本のレストランでの経験が有るようで、盛り付け、味付けは日本風だった。しかも、毎日、定食を食べるお客は少ないらしく、3日目からは経営者が毎回、挨拶に来た。彼女曰く「私も全部を食べたことが無い。全てを食べたお客は初めてです。批評を聞かせてください」といわれたが。全く、べた誉めする訳にはいかなかったので、「まぁまぁですよ」と答えておいた。一人でレストランへ入り、すごい量のおかずを注文して食べ残すよりこれはこれで納得できた。★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年09月05日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”今日は、「西安のよもやまばなし」はお休みです。”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山カシュガルから西域南道へ内モンゴルではありません。四国カルストの風景です今日は、「西安のよもやまばなし」はお休みです。なんとなれば♪♪ふっふ~~♪♪♪♪きょうは何の日♪♪♪♪ふっふ~~♪♪♪♪みのみのもんたみのもんた♪♪♪♪びよ~~~ん♪♪なんと今日は、私の誕生日なのである。当年とって43歳。随分長く生きてきたような気もするが、まだまだ先が長いような気がする。私はなぜか、人の死にめぐり合うことが多い。ほんとに敬愛していた人々。某スナックでの飲み友達。ライバル会社なのに友人だった人。一緒に芝居をしていた友人、etc、etc・・・・。彼らの多くはは私より歳は上でも、年齢の差を越え、友人として長くお付き合いをさせていただいた。そして、その多くがいま、西方へ旅立った。皆若かった。30代で逝った人、40代で逝った人。そして50代、60代。職業もいろいろ。そういう人たちから色々と盗ませていただいたものがある。その中のひとつに「自分を第三者の目で見る」ということがある。云えば、自分を俯瞰してみることだ。生態離脱ではないが、まぁ、それでもよろしい。考えやすいなら。よく言われることでもあるがついつい熱くなって、物事の外面だけ、或いは前方視界しか見えなくなることがある。こうなるのが一番危険だと思う。人の言動を観察していると、このタイプの人が多く見受けられる。例えば「私は、課長の力量を信じている。それを評価しない部長は能が無い。」などの会話である。このときもうすこし冷静になればその課長の力量も人格も、もっと的確に判断できるだろうし、さらに、その能無し部長の力量も人格も同様である。さて、私である。いつも冷静に、どちらかと言えば冷徹にその場の会話を分析し、質問されれば答えてきたつもりだが、いかんせん未熟なのであろう。大概、最後は私が敵になっている。人には、私の言葉が刺さるらしい。でも、まぁいっか。社会に出てからウン十年。培ったものをいまさら変える気もないから・・。さて、イントロの雰囲気とエンディングの雰囲気がミスマッチということは、思考がまとまっていなかったということか・・・。前回、三峡の「鬼の城」に行ったとき、拝んでもらったら84歳まで生きるようになったらしい。もう少し悪態をつきながら生きる為には、皆さんの、いい頭の一部でいいから、おすそ分けがほしい。これが今日の結論かい・・・・・。富士5合目からの雲海。「富士に遊ぶ龍」です。見えませんか。それらしく。★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年09月01日
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