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置き去りの猫たちの面倒を見るのは当然私たち、(主に母)の仕事になった。母は、オカマは嫌いだが動物を放置虐待できるような性格ではなかったので。なにしろ看護婦だったし。責任感は人一倍強い。仕事で疲れて帰ってきても猫砂を取り替えたり、気まぐれな奴らは、猫缶も飽きると食べなくなるのでこまめに新しい種類を仕入れてきたりしていた。私と仲の良かったライラックポイントは兄たちがいなくなってほどなくして病気で死んでしまったが、思い出すと今でも泣ける。2、3日意識不明みたいな状態で眠り続けていたが、最後に私の足元までやって来て『にゃぁ~』と一声泣いて、それっきりだった。兄とS君はほとぼりが冷めた頃また戻ってきては借金をして、また身を隠すということをこの後数回くりかえすことになるのだが、この時残された猫で兄とS君が別れた後もずっとウチにいて、私が子供を生んだ頃まで生きていたヤツがいた。アメリカンショートヘアのブラウンタビーでまぁるい目がかわいらしくて性格もすごく穏やかな子だ。父に先立たれ、後兄も失踪して、けっきょく母のそばに最期までいてくれたのはこの子だ。兄はこの頃親戚中から借金をして行方をくらましてしまったので父と同じく肝臓癌で動けなくなった母の面倒を看てくれる人は無かった。兄の借金のせいで当時兄と結婚していた人は離婚して子供を連れて実家に去った。自宅も競売にかけられていたので、その後始末や、母を病院に入れる算段などで乳幼児をかかえた私は手一杯だった。旦那の実家に同居していたため猫嫌いの姑、大姑のいるうちには猫を連れて帰れない。思わず、独り言のように猫に向かって「おまえはどうしよかね~。行くとこがないね。困ったね」と言ってしまった。翌日、猫は自分から姿を消した。マジで。私の立場を察していなくなってくれたように思うと本当に今でも不憫で仕様が無い。・・・・・猫話になっちゃいました。・・・・・今日はちょっと脱線?なので絵つけてみました。続く・・・・・。
2004.05.31
S君に収入があった時ならともかく、今で言うフリーターのようなことしかしていなかった兄と専業主婦同然のS君とでは、前のような生活が維持できるはずもなかった。相変わらずの贅沢な暮らしぶりがどうやって成り立っていたのか、それはある日二人が突然失踪してからわかった。両親の元に何百万単位の借金の取立てが一気に押し寄せてきたわけで・・・。行方をくらました兄たちに代わって、父が仕方なく返済して事を収めた。母はたいそう怒り狂っていたが、その怒りの矛先は兄ではなく、S君一人に向けられていた。『息子はあのオカマにだまされているんだ』と。この辺は親心なんだろう。私から言わせてもらえば、むしろ兄がS君のいわゆる”ヒモ”だったように思うのだが。なにしろ兄はやんちゃで夜露死苦な人だったから、S君も時折暴力を振るわれたりもしていたし。何であんなヤツがいいのかとS君に一度聞いて見たことがある。よくわからなかったけど、話の最後に『半端な覚悟じゃ、この商売(オカマ)はやってられないもの』と「るろ剣」の鎌足ちゃんのようなセリフを言っていたっけ。そして奴らは足手まといのお猫様たちを全部ウチに置き去りにしていったのだった・・・。続く・・・。
2004.05.30
兄が高校を辞めてフラッと出て行ってから埼玉の家に戻るまでS君の稼ぎで優雅に暮らしていたらしい。食べるものにも着るものにも二人とも金をかけていた。ブランド物も大好きなようだった。で、猫までブランド物だった。雑誌に載るような猫の子とかそんなのばかり飼っていた。猫のブリーダーで生活するようになるんだとかなんとか、当時の兄はそんな人生嘗めた発言もしていたっけ。血統が良かろうが悪かろうが猫は猫だ。なついてくればカワイイし。それなりに愛着も湧く。ウチは私の物心つく前からずっと犬を飼っていたので、当時はマルチーズが家の中を好き放題闊歩していたが、S君の猫たちが来てからこの犬もいろいろ戸惑ってるようで面白かった。猫たちの中でも、とりわけ私と気が会うヤツがいた。シャム猫のライラックポイントだったと思うが、耳や尻尾の先も顔も茶色いところが無いヤツだ。縦長っぽい目をやや寄り目ギミに私の顔をぐぐっと覗き込んで「にゃ~」と鳴く。犬のような性格の猫でいつも私の膝の上にいた。マルチーズはそれが面白くないらしく、いつも私のことは家中で一番格下のように思っていた節が会ったのに、急に猫のまねをして懐いてきたりした。そして膝の上の猫に威嚇するように吠え掛かったりしてみた。けれど猫は微動だにせず尻尾の先であしらうようにしながらまた私の顔を覗き込んでは「にゃ~」と鳴くのだ。こいつをナントカしろというように。仕方ないので、マルチーズには退散していただく。私はすっかり猫のいいなりだった。そういう時の勝ち誇ったような猫の表情はいつかのS君の『フフン』という顔に良く似ていた・・・・・。続く・・・。
2004.05.27
兄は後に普通に結婚もしたので(数年で終わったが)バイ・・・ということになるんだろうか・・・。S君と兄が何処で知り合ったのかは知らないが、兄は何度かやんちゃが過ぎた少年たちが一定期間集団生活を送る場所に出たり入ったりしていたので、その頃に何か経験したのかもしれないと思う。それ以前は普通に女の子ばかり連れて歩いていたし。とにかくやはりS君はその手のお店で働いていたらしく、何気ない仕草がいちいち優雅にみえた。話し出せばゲイバーまんまのノリでお下劣だったり博識だったり、けっこう愉快なヤツだった。お風呂上りの顔に化粧水をパタパタはたき込みながら、『グレープフルーツあるけど、半分食べない~?』などと言ってくる姿には、これが別に男でも女でも兄の嫁さんで、なんか不都合があるんだろうかと私はマジで思った。この頃新宿にすんでいた腐女子仲間のお母さんが、後学のためにと私たちをゲイバーに連れて行ってくれたことがある。この世にこんな面白い場所があるのかというくらい、本当に楽しませてもらったが、お店のどの子を見ても(ウチのSの方がきれいだわ)と不覚にも思ってしまった私の中で、Sに対してすでに身内意識があったのかもしれない。続く・・・
2004.05.26
S君はどういう育ち方をしたのか知らないがけっこう多才な人だった。料理のレパートリーも母よりは多かったし。ある日、都内の女子高に通っていた私が部活の中止か何かでいつもより早く帰宅すると、私の部屋のピアノが鳴っていた。こっそり行って見ると弾いていたのはS君だった。(見つかっちゃった!)と言う顔でバツが悪そうに『ごめんなさい・・・』とS君は言った。黙って部屋に入られたのに私は不思議にあまり腹がたたなかった。そして、いくつかポピュラーな曲をリクエストしてみたらS君は実にうれしそうに弾いて見せてくれた。これはせいぜいバイエル程度の実力の私よりS君に弾いてもらった方がピアノもうれしかろうという気がした。昼間一人で家にいてさぞかし暇だったのだろう。お願い・・・と言うので時々私のピアノを弾くことをOKしてあげた。実はこの頃、近所で薄々S君の存在が気づかれ始めていて、私より4歳年上の兄は当時二十歳くらいだったが『お宅の僕はお嫁さんをもらったのかい』とか『お宅の嫁さんはずいぶん背が高いねぇ』(S君は身長170cmだった)などとさりげなく隣、近所に突っ込まれ始めた母によって、S君には、〔明るいうちは外出禁止令〕が出されてしまっていたのだ。あまりに無体な仕打ちだと思ったが、なにしろ二十数年前だ。そしてここは新宿2丁目とは程遠い埼玉の片田舎だ。母としては必死にその存在を隠したかったのだろう。それにどうも当時手を切りたい相手がS君にもいたらしく、身を隠す意味もあっておとなしく終日家の中ですごしていた。だから、ピアノくらい弾かせてあげようと私は思った。が、これがまた母の逆鱗に触れたらしい。自分が部屋に入ると怒るくせに、母は悪くてあのオカマなら入っていいとはどういうつもりだ!という理由だ。だって私はその頃からすでに腐女子なのだ。当時こっそり手に入れたその手の本や、今で言うSSモドキの書き散らしなどがあちこちに隠されていたわけで・・・。母は絶対そういうものを暴き立てるタイプの人間だったし。私は今、自分の子供の秘密なんて知りたくも無いと思うのだが、母は違う。息子はホモで、そのうえ娘まで”ホモ好き”なんて知ってしまう方が酷だろう。でもこんなことは言えるはずもなく、仕方なく黙りとおした。結果、もともとしっくり行っていなかった母との間がいっそうこじれた。(あ~あ!)後に私の部屋で当時唯一の某BL雑誌を発見した(中身を見たらしい)S君が部屋を去り際に『フフン』と笑った。”こんなもんじゃないわよ”・・・みたいな?実にオカマらしい笑みだったっけ・・・。S君のもう一つの特技 レース編み。すごく見事なテーブルクロスとか、作ってた。彼らみたいなタイプが美しいことが好きで繊細な人種だと私はこの頃学習した。続く・・・。
2004.05.25
地獄を見たような両親のカオとは対照的に爛々と輝く私の瞳に彼S君は、彼ら特有の鋭さでもって私は敵では無いと瞬時に判断したらしい。以後、私とS君は割りと友好的な関係を保つことになる。なにしろ私にしたらとてもタイムリーな出来事だった。家の電話ではしゃいじゃさすがにまずかろうと思ってすぐさま近所の公衆電話に走り(当時は携帯なんてなかったんだなぁ・・・)同じように腐女子成り立て仲間に報告したところ彼女もとても喜んでくれたっけ。以後数年間S君は私達の恰好の研究材料?になってくれたわけだ。暫くしてS君は血統書つきの高貴なお猫サマを5匹くらい引き連れて兄の部屋に引越して来た。母がいる時は彼も猫達もめったに階下には下りてこなかった。が、当時母は都内の病院で看護主任として勤めていたためあまり家にはいなかったし、S君が同居して以来、進んで夜勤とかもやるようになっていた。よほど顔を会わせたくなかったらしい。だから結構普通にS君も猫たちも家の中をうろうろしていた。当時の母とS君とのエピソードのひとつでいまでも時々思い出して笑えることがある。夜勤の母に代わってS君がたまに夕飯を作ってくれたりしたのだが、そのカレーにはいつも缶詰のコーンが入っていて、母が其れを食べるたびに『こんな甘ったるいもの、カレーに入れるな』と怒っていた。その姿に嫁いびりの片鱗を見た気がした私だった。続く・・・。
2004.05.24
私の両親はすでに他界しているし、兄弟は出奔中だし、親類縁者も縁切りされているので、家族ネタをやっても今更何処からもクレームつかないと思うので思い出話など一発。今は立派な腐女子の私だが、かれこれ二十数年前、女子高時代。BL雑誌のはしりともいうべき●UNEが創刊された頃で、腐りはじめた時期だった。ある日学校から帰ると玄関に巨大なサイズの白いハイヒールが・・・。お客さんかしらとは思ったがありえないデカさのそのハイヒールに疑問を覚えつつ、2階の自室で着替えて階下の茶の間へ。そして扉を開いたら、そこには。三輪明弘かピーターかと、見まごうばかりの彼!がいた。長くゆるくカールした赤茶色の髪、綺麗にお化粧した顔紫のブラウス(跡部みたいな!)白いパンタロン(パンタロンなんだってば!)二十数年前の埼玉の片田舎の普通の家にはどう考えてもありえない存在。苦虫噛み潰したとはこのことだわという顔の両親が言うには兄の彼女・・・なんだそうだ。「おいしい!」この時、もう腐り始めの私はそう思った。続く・・・。
2004.05.22
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