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この場合、「その」が指している対象を、(2)だととらえれば、「白紙委任状の代理権の範囲内」という意味になる。とすれば、白紙委任状=白紙部分は自由に補充してもよいという意思が表示されている=本件不動産に関する包括的な代理権が与えられていると解釈することになる。こう解釈すれば、本人が抵当権設定の代理権を授与するつもりで、委任状を交付していたとしても、白紙委任状が交付されている以上、包括的な代理権授与の表示があり、だとすれば、不動産の売却もその代理権の範囲内ということになる。では、次に、「その」が指している対象を、(3)代理人が相手方に示した表示と捉えるとどうなるだろうか。この場合、「本件不動産の売却について」代理権を授与した表示があるということになる。とすれば、売却に関する代理権が与えられて、売却したのだから、代理権の範囲内だということになる。結局、ここでも結論は同じことになるが、事案によっては差異が生じてくる場合もある。
Apr 29, 2012
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109条における「表示」とは、具体的に何をさしているのか。まずは、条文から。民法109条 第三者に対して他人に代理権を与えた旨を表示した者は、その代理権の範囲内においてその他人が第三者との間でした行為について、その責任を負う。ただし、第三者が、その他人が代理権を与えられていないことを知り、又は過失によって知らなかったときは、この限りでない。本文「その代理権の範囲内」の、「その」とは具体的に何を指しているのか。考え方としては、3通りの解釈がありうる。(1)本人の内心(2)本人が無権代理人に対して与えた表示(3)無権代理人が相手方に示した表示まず、文言解釈からも立法趣旨から言っても、(1)は妥当でない。問題は、(2)と(3)のどっちだ?ってこと。本人が直接、取引の相手方に委任状などを提示した場合は、(2)=(3)となるので問題ない。問題となるのは、(2)まず、本人が代理人に委任状を交付し、(3)それを代理人が相手方に交付した場合である。この場合でも、(2)と(3)の委任状の内容が同一であれば、問題ない。議論の実益が出てくるのは、(2)と(3)の内容が食い違う場合である。たとえば、(1)本人が抵当権設定の代理権を授与する意思で、(2)代理人に白紙委任状を交付したところ、(3)代理人が委任事項欄に「本件不動産の売却について」などの文言を付け加え、本件不動産を相手方に売却した、という事例を考えてほしい。
Apr 27, 2012
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判例が、代理店を預金者とした論理はこうです。(1)保険会社と代理店とは委任契約を締結している。そして、代理店は、その代理権に基づき、保険契約者から保険金を収受する。(2)受任者が委任契約によって委任者から代理権を授与されている場合,受任者が受け取った物の所有権は当然に委任者に移転するのが,原則。しかし、金銭については,占有と所有とが結合しているため,金銭の所有権は常に金銭の受領者(占有者)である受任者に帰属し,受任者は同額の金銭を委任者に支払うべき義務を負うにとどまる。(3)とすれば、代理店が収受した保険金の所有権は代理店に帰属するため、銀行に預け入れられた金銭の所有者も当然、代理店である。この論理は、「出捐者=預金者」という理解が前提になっています。ですから、判例は依然として客観説の立場に立っていると理解すべきではないでしょうか。
Apr 27, 2012
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預金債権を巡っては、預金者(預金債権の債権者)が誰なのかについて、いわゆる客観説と主観説の対立があります。客観説は出捐者、主観説は預入行為者を、それぞれ預金者とします。判例は、従来、客観説に立っているといわれていました。しかし、従来の定期預金(厳密に言えば、当初は無記名定期預金について客観説を表明し、その後、記名式定期預金についても肯定)と異なり、普通預金が問題となった平成15年判決では、従来と毛色の違う判断をしています。LEX-DBの事案の概要には、このように掲載されています。被上告人と損害保険代理店委託契約を締結した損害保険代理店が、被上告人のために保険契約者から収受した保険料のみを入金する目的で開設した本件預金口座の預金債権は、被上告人に帰属するとして、被上告人が上告人に対して、本件預金全額の払戻しを求めたところ、被上告人の請求が全部認容されたため、上告人が上告した事案で、本件預金の原資は、損害保険代理店が所有していた金銭にほかならず、本件事実関係の下においては、本件預金債権は、被上告人にではなく、損害保険代理店に帰属するというべきであるとし、原判決を破棄し、第1審判決を取り消し、被上告人の請求を棄却した事例。単純に考えると、従来の判例の立場から行けば、保険会社が預金者となりそうなところ、この事案では代理店を預金者と認定したのです。これについて、客観説を捨てて、主観説を採用したんだ、という意見があります。確かに、単純に考えれば、そうとも思えますね。他方、判例は依然として客観説の立場に立っているのだ、という意見もあります。湯猫は、後者の立場が妥当だと思います。それは、判例が代理店を預金者とした論理にあります。
Apr 27, 2012
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小沢元代表の無罪判決。これを受けて、自民・公明など野党は証人喚問を求めるらしい。「国会に出てきて説明責任を果たすことを求めたい」自民党石原幹事長。正直、やめときなよ、って思う。司法の判断が下され、一応の決着を見たわけなんだから、この問題はこれで終わらせようよ。証人喚問なんかやったって、小沢元代表が裁判以上のことを述べるはずがない。国会の証人喚問が裁判以上の真相究明機能を果たすことは不可能で、政争の場と化すことは火を見るより明らかだ(ま、それが目的なんだから当然だといわれればそうだけど…)。法的責任と政治責任は違う。確かに、そうだよ。でもさ、東日本大震災からの復興、東電、原発、消費税…重大な問題が山積している中、いつまでも報告書の虚偽記載ばかり追っかけているあなたがの政治責任はどうなの?そんなことやったって、双方傷つくだけだよ。いや、証人喚問だって税金かかるわけだから、自民・民主・国民、三者にとって損なだけ。誰も得をしない。元自民党関係者として、これ以上、自殺行為を続けることはやめてほしい。「無罪?あぁ、そうですか。彼が説明責任を果たしたかって?それは、選挙で国民が示してくれるんじゃないですか?今、それどころじゃないんです。いつまでも一議員のことにかかずらっているほどわが党は暇じゃないですから。」くらいのセリフを吐いてほしかったな。
Apr 26, 2012
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強盗致死傷罪の原因行為については、A暴行に限る(判例)、B脅迫を含む(大阪高判S60.2.6)、C過失行為も含む、との見解の対立がある。文理解釈・刑事学上、Bを含むと解する見解が学説上は有力。判例はA説とされているが、昭和30年代の事例で、それ以降は判例がない(なぜなら、脅迫致傷の事例では、検察が強盗致傷で起訴していない。)。大阪高判の事例は、バイクに乗っている被害者をナイフを突きつけて止めた上、「バイクに乗ったまま倒れろ」と命じて、驚愕した被害者が言われたとおり倒れて致傷した、というもの。ナイフを面前に突きつける行為は、「暴行」に当たるというのが実務であり(学説からは典型的な脅迫と批判されている)、この事案でも検察官は暴行であることを前提に起訴した。これに対し、弁護人がナイフの突きつけ行為は脅迫に当たるとの主張をしたため、高判は脅迫致傷を認めた。が、その後、この見解に追随する裁判例は出ていない。最高裁は、暴行を広く解することで、暴行による致傷を認定しており、ブレはない。ただし、現在の最高裁が脅迫致傷を排除しているのかは不明。ま、要するにAとBの見解の間では、結論にはあまり差を生じない。ナイフの突きつけ行為を、A説は「暴行」と解し、B説は「脅迫」と評価しているに過ぎない。じゃぁ、なぜ実務(検察)は、A説にたっているのだろうか。学説の言うとおり、文理解釈上「脅迫」を含むと考えるのが素直だし、そう考えた方が検察にとっては、有利なのに、なぜA説に固執しているのだろうか。それは、脅迫致傷罪はない、暴行致傷たる傷害罪はあるが、傷害罪の暴行に脅迫を含めて考える見解は存在しない。これらから、強盗致傷の場合に限って、脅迫致傷も認めるというのには、いまだ実務には抵抗がある。ということらしい。ちなみに、過失行為も含めるという見解(C)は、実務上とりえない。たとえば、強盗に入った際に、布団の中にいた赤ん坊を踏んでしまい、死んでしまったという事例(この場合、大谷先生は「強盗の機会」にあたらないとする。各論P237参照。)。この場合に、強盗致死罪とすることは実務感覚と著しく乖離するんでしょうね。理論としてはともかく、実際に求刑するとなると、強盗致死罪の法定刑(死刑又は無期懲役)を考えれば、確かに過失行為を含むという立場はとれないだろうと思う。
Apr 25, 2012
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今日、幽遊白書のアニメ版を始めて見ました。といっても、幽遊白書は何度も読んでます。たぶん、湯猫が1巻から最後まで読んだ漫画は、タッチと幽遊白書だけです。でも、幽遊白書のアニメ版は初めて見ました。なんか、声が全然違うんだよね~本とか漫画で読んだ話を映画・アニメでみると、自分の中の声と違って、慣れるまではなんだか気持ち悪いよね。これって、当然誰にもある経験だと思ってたんだけど、最近の子供にとってそうでもないみたい。なんで、そのことに気が付いたかっていうと、湯猫の塾講師としての最終学期の授業で、ちょうどそんな話が授業で出てきたから。それは国語の授業で、「想像と現実」みたいな話だった。昔は、今みたいに高性能なおもちゃなんかないから、セロハンに穴開けて、中に懐中電灯を入れて、タンスの中でスイッチを入れると、自家製プラネタリウムの出来上がり♪みたいなことをやってて、その頃は、結局、あらゆることを想像するしかなかった。でも、今は、その頃に想像の中の出来事だったことが、どんどん現実化して、眼前にドンと現れる。でも、現実ってのは、否定の仕様がない、ある種完璧というか、「こういうもんなんだ」ってのを、強制してくるから、思考がそこでストップしてしまう。それに対して、想像の世界は、文字通り限りがないから、どこまで広がる可能性を含んでいる。だから、物質的には今の豊かだけど、精神的には昔の方がはるかに豊かだったなぁ。って、話。ま、要するに年配の筆者が昔はよかったなぁ、って語ってる感じの文章なんだけど。ただ、この文章を授業で説明するときに、確かに自分で色々想像していた世界が、現実のものとして、目の前に現れると、その「限界」が否定しえない形で示されるからがっかりする、って経験はみんなあると思ったんだ。それが、本とか漫画。特に、本の場合はそうだけど、紙の上には、ただ文字が並んでいるだけなんだよね。それを見て、自分たちが勝手に色々な情景を思い浮かべている。でも、それは、元があまりに“無”なだけに、想像はまさに自由だった。ところが、それが映画やアニメになると、「正解はこれですよ」ってのを、はっきりと示されてしまう。しかも、それは作者の監修なんだから、それが「正解」なんだというお墨付きというか、ある種の圧力みたいなものがある。だから、僕たちは、楽しいはずの映画館で興ざめしてしまう。でもね、最近の子たちはこういう経験ないんだって。なんでだろ~ね~?酔っているので、いつも以上に乱文な湯猫でした。
Apr 23, 2012
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担保物権も絡むところだけど、抵当権の付着した土地を競売した場合、抵当権は消滅するのか、それとも存続するのか。これについては、2つの考え方が成り立つ。一つは、抵当権は消滅して、きれいな状態手で競落人の手に渡ると言う構成。これが消除主義と呼ばれる考え方。この考え方にたった場合、一般債権者によって競売がなされると、まず優先的に抵当権者に配当がなされ、残額について一般債権者が配当を受領することになる。これに対して、引受主義は、抵当権は競売実行されてもその土地に付着したまま存続すると考える。これによれば、競落人はあらかじめ抵当権者の債権額を控除した金額を裁判所に納め、そこから一般債権者が配当を受けることになる。現行法は、原則的に消除主義の立場に立っている。競売により抵当権・先取特権・は消滅し(執行法59条1項)、抵当権・先取特権者は売却代金の配当を受けることができる(執行法87条1項4号)。ただし、例外的に引受主義も採用していて、留置権については執行法59条4項に定めがある。
Apr 23, 2012
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強制競売をした場合、それによって配当を受けられるのはどんな人なのか。それが今日のテーマ。債権者Xが債務者Yの土地について、強制競売した。このとき、X以外にも、一般債権者X2、X3がいた場合、彼らも配当を受けることだできるのか?結論は、配当を受領することができる。ただし、配当を受領する為にアクションを起こした時期によって必要な手続に差が生じてくる。具体的にいえば、仮差押をしたのが、競売開始「前」なのか、それとも競売開始「後」なのかが分かれ目となる。(1)競売開始「前」に仮差押をしていた場合元々、仮差押をしていた債権者は、当然に配当を受領する資格がある(執行法87条1項3号)。なお、この場合、なお、自力で強制競売をしようと思えば出来る資格を持っているわけだから、差押債権者(87条1項1号)として、競売の二重開始をすることもできる。こうしておけば、仮にXが競売手続を取り下げた場合であっても、競売することができる。(2)競売開始「後」に仮差押をした場合この場合も、配当を受領することはできる(執行法87条1項2号)。しかし、そのためには「配当要求」(法51条)というアクションを起こす必要がある。配当要求が必要とされるのは、「後だしなわけだから、それくらいしなきゃ、認めてあげないよ」とかって、理由ではなくて、専ら手続き的な事情による。すなわち、競売手続が開始すると、裁判所書記官がその土地の登記簿をチェックするんだが、この時点で仮差押をしていない債権者は登記簿に反映されていない。だから、配当要求をしないと裁判所(書記官)にわからない。
Apr 23, 2012
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話を元に戻して、判例の理解についてです。判例の言う「意思表示の内容になる」という表現をどう解釈するかが問題であることは、以前から述べているとおりです。ここで、動機が表示行為に含まれるのだと考える見解と、表示行為に含まれるわけではないが実質的にそれと同じ状態になるのだと考える見解があると紹介しました。しかし、判例はおそらくどちらの立場にも立っていないように思います(後者の立場に立っている可能性はあるので、断言することは出来ませんが)。おそらく判例は、錯誤論(意思表示論)の枠外で、取引安全の為に、ある種の利益衡量論として、動機の錯誤を論じているのだと思われます。従来の定式を守りながら、動機の錯誤を錯誤論の中で論じようとすると、必ずどこかに不具合が生じてくるので、判例のように、錯誤論を離れて、動機の錯誤については割り切って考える方がすっきりすると思います。錯誤について、長々と論じてきましたが、コレで終わりにします。
Apr 20, 2012
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以前、動機の錯誤について、様々な議論を紹介しましたが、判例の立場について言及が不十分だったので、補足します。まず、判例は、「動機→効果意思→表示行為」という、従来の錯誤論の理解を維持しています。したがって、動機に錯誤がある場合、効果意思と表示行為との間に不一致はないため、原則として錯誤無効にはならないとします。しかし、動機が表示されていた場合は、例外的にそれが「意思表示の内容になる」として、錯誤無効を認めます。まず、動機の錯誤を認めるか否かの基準は、「動機が表示されていたか否か」です。これは取引安全の保護を重視しているからでしょう。この点、四宮先生など、表示の有無ではなく、相手方の認識可能性で判断する立場は、相手方の信頼保護を重視した見解といえます。相手方の信頼保護と取引安全の保護とは、一致する面もありますが、対立する面もあります。なぜなら、相手方の信頼保護を重視すれば、相手方の内心(主観)を考慮して、契約の有効性を決することになりますが、これは「行為者の主観に契約の有効性がかかっている」という点で、取引の安全とは相容れません。
Apr 20, 2012
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さぁ、明日(今日)で、金曜日。あと1日、がんばりましょう!本日、2曲目~
Apr 19, 2012
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やっぱり、この人はすごい。天才ってのは、こういう人のことを言うんだね。ロマンスの神様(弾き語り)原曲をご存じない世代の方は、こちらへ。技術の高さはもちろん、この曲を高校生時代に、バスを待ってる間に作り上げたというのが、尋常じゃない!!最近の歌手で言えば、椎名林檎とかもすごいよね?最近、肩のこるような話が続いてたんで...
Apr 19, 2012
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110条「第三者」とは、代理行為の直接の相手方に限られる、というのが判例の立場である。しかし、常にそれでよいのか?というのが今日のテーマ。判例理論は、110条が代理権の存在を信頼した相手方を保護するための規定であるから、というのが根拠であろう。たとえば、Aの所有不動産甲につき、AがBに抵当権設定の代理権を授与したが、BがCに甲を売却してしまい、さらにCがDに甲を転売した。という事例を想定してみると...Cは、確かにBの基本代理権の存在を信頼して取引している。しかし、Dは、C名義の登記などを信頼して取引をしているのであって、Bの基本代理権を信頼して取引をしたわけではない。だから、ここでいう「第三者」には、Dは含まれないのだ、と。これは、109条でも同様である。109条では、基本代理権ではなく、「代理権授与表示」に対する信頼が基準になるだけである。したがって、109条の場合も、やはり「第三者」は代理行為の直接の相手方に限られることになるだろう。原則的には。しかし、もし、転得者Dが、B・C売買に関与していたような場合はどうか。つまり、CのみならずDも、Bの有する基本代理権や代理権授与表示を信頼して取引関係に入ってきた場合はどうか。このような場合が、前記趣旨から言えば、転得者Dも「第三者」に含めてよいだろう。これは、判例の射程「外」の問題なので、それほど見解が確立しているわけではないが、趣旨から考えれば、このように解するのが自然だろう。
Apr 19, 2012
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石原都知事の尖閣諸島都有発言が大きな波紋を呼んでいますね。今まで民間所有だったことも、知ってはいたけど、異常といえば異常だよね。国有地ではなくとも、少なくとも公有地になることの意義は大きいのでしょう。尖閣諸島が民間所有地であり続ける限り、「相続などをきっかけにブローカーなどが仲介し、土地が中国資本の手に渡る危険性もゼロとは言えない」とのこと(山田吉彦教授・東海大)。ただ、湯猫が一番興味をひかれたのは、今まで政府が所有者と賃貸借契約を締結していたってこと。まぁ、そりゃそうだよね、と言われればそうなんだけど、さらに気になったのは、政府は賃借権登記をしているか?ってこと。無人島の尖閣諸島に借地借家法が適用される余地はないから、もし仮に、山田教授の言うように、尖閣諸島が外国資本の手に渡ったら、政府の拠り所は賃借権登記だけ。ただ、仮に登記をしていたとしても、政治的には大きな問題が残るよね。登記をしていれば、賃借権は譲受人に対抗できるってのは、あくまで日本法のお話。もちろん、尖閣諸島は日本の領土なんだから、日本法が適用されるのは、当然なんだけど、「ここは日本の領土ですよ!」ってことを、法廷という公開の場で宣言せざるを得なくなる。これは、政府にとっては何が何でも避けたい事態だよね~ま、実際に尖閣諸島が中国資本に乗っ取られたら、そんなこと言ってる場合じゃないだろうけど。でも、今の民主党政権なら、国際司法裁判所に訴える(そして中国の同意を得られず、裁判ができない。だから、あきらめるしかありませんね)みたいなことになりかねないような気もするが。
Apr 17, 2012
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しかし、いずれの見解もどこか不自然である。違和感の正体は、そもそも、効果意思をあくまで「このインコ」に限定したままで、表示行為に動機を含め(もしくは実質的にそれと同じ状態にして)その結果両者に不一致があると論ずる点だ。そして、そんな不自然な論理的操作を余儀なくされるのは、「錯誤=効果意思と表示行為との不一致」というルールをかたくなに守ろうとするからである。「錯誤」という言葉自体は、かなり解釈に幅のある用語である以上、何もこの定式を金科玉条のごとく崇め奉る必要は無いのではないか。そうではなく、端的に、動機と現実との不一致が、動機の錯誤における「錯誤」なんだと考えればよいのではないか。そして、表示を必要とするのは、それが表示行為の内容になるからとか、実質的にそれと同じ状態を作り出すからとかいうことではなく、単に相手方保護のための要件であるといえばよいのではないか。まぁ、しかし、こう考えると、四宮先生が主張しておられる認識可能性基準説(動機が表示されていたか否かではなく、相手方がそれを認識していたか否かで区別する見解)は魅力的だと思う。また、瑕疵担保責任のところでもいったけど、動機と効果意思との区別自体が、合理的根拠を失っていると思えてくる。ちなみに、意思表示については法学セミナー4月号・5月号に北居功先生の論文が掲載されているので、興味のある方はご覧ください。
Apr 17, 2012
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「瑕疵担保責任と錯誤5(法定責任説・弐)」で動機の錯誤について述べましたが、若干不正確だったと思うので、補足します。【事例】Xは、しゃべるインコだと思って、Y所有のインコ甲を購入したが、甲はしゃべることができないインコだった。この場合、伝統的な見解はこう考えます。動機…このインコはしゃべるインコだ効果意思…このインコを買おう表示行為…このインコをくださいこの見解によると、効果意思と表示行為との間に不一致は無い。しかし、動機の部分に錯誤(内心と現実との不一致)がある。そこで、取引の安全との調和という観点から、動機が表示され、意思表示の内容となっていた場合、錯誤無効を認める。ここで「意思表示の内容となる」というのが、どういうことなのか。表示行為が「しゃべる+このインコをください」という内容になるということなのか?そうだとすれば、効果意思と表示行為との間に不一致が生じるから、伝統的な錯誤の定義にあてはまる。しかし、そのように考えると、前に表示行為を「このインコ」と解したことと矛盾することになる。それならば、最初から表示行為(意思表示)の解釈を行い、そこに動機が含まれているという認定をすれば、フツーの錯誤(効果意思と表示行為との不一致)に持ち込むことが出来、論理的にも矛盾なく説明できる。これに対し、動機は、表示されても表示行為に含まれることはないが、「実質的に」それと同じ状態になるから効果意思との間に「実質的な」不一致が生じる、との見解もあるようである。
Apr 16, 2012
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最後に、いわゆる「瑕疵担保責任と錯誤」の論点について。判例は、一応、錯誤の規定が優先するとの立場に立っているといわれている。理由は、契約が無効である以上、瑕疵担保責任を持ち出す余地はないから。まぁ、確かに瑕疵担保責任は契約が有効に成立していることを前提にした議論だから、そもそも契約が無効なら、出る幕はないよね。でも、なんつーか、いかにも形式論って感じ。この判例については、たまたま原告が最初に錯誤無効を主張したから、それを採用したにすぎないのであって、裁判所が瑕疵担保責任の適用を明確に排除したわけではないって見解もかなり有力だよね。湯猫もそうだと思う。学説としては、特別法が優先すべきだとか、法律関係の早期安定(566条3項)のためだとかいって瑕疵担保責任の責任を適用すべきっていう見解がかなり有力だけど、賛同する気にはなれない。というより、この種の問題については、結局、「原告が好きなほうを選択すればよい」って結論しかありえないと思う。だって、考えても見てよ。もし、錯誤無効を適用すべきという説にたったとして、原告が瑕疵担保責任しか追及してこなかったらどうするの?それでも、錯誤無効が成立するからって言って、95条を適用するの?そんなことしたら、弁論主義に真っ向から反することになるじゃん。瑕疵担保責任を適用すべきという見解で、原告が錯誤無効を主張してきた場合も一緒。結局、原告が主張してきた規定を採用するしかないんだよ、裁判所は。だとすれば、原告がどっちを主張したほうが有利か考えた上で、勝てそうだと思った方を主張してくるわけだから、結局、「原告が好きな方を選択すればよい」ってことになるじゃん。唯一、結論が分かれるのは、原告が両方を法廷で主張して、双方の立証に成功した場合。でも、この場合、原告としては、どっちを採用されようが、勝つことに変わりはないんだから、どうでもよくない?
Apr 15, 2012
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さて、メインはここから。この事例では、瑕疵担保責任と同時に錯誤も認められるってのが、フツーだよね。じゃ、法定責任説だと、いったい、どんな錯誤があるのか?効果意思は、「100馬力の、このバイクを買おう」表示行為は、「100馬力の、このバイクを買います」なんだけど、「100馬力の」は原始的不能で無効だから、結局、表示行為は、「このバイクを買います」。ん?だとすると、効果意思と表示行為とが不一致だから、フツーに錯誤が認められそう。しかーし。基本書では、このような事例は「動機の錯誤」だって説明されているよね。「動機の錯誤」ってことは、効果意思と表示行為とが一致していることが前提なはず。じゃ、なぜ、これが「動機の錯誤」になるのかというと、背景にこんな考えがあるから。つまり、 動機 …「100馬力もあるんだ、いいなぁ」 ↓ ↓だったら ↓効果意思…「 このバイクを買おう 」 ↓ ↓ ↓表示行為…「 このバイクをください 」「100馬力の」って部分は、効果意思ではなく、それを導く動機にすぎないと考える。とすれば、効果意思は「このバイクを買おう」という部分だけになり、表示行為は、さっきから言っている特定物ドグマによって「このバイクをください」という部分だけが有効に存在することになる。とすれば、効果意思と表示行為とは一致しているから、「動機の錯誤」ってことになる。まぁ、一応これが法定責任説からの帰結だと思うんだけど(間違ってたらごめんね。)、これ、なんか釈然としないんだよね。確かに、「100馬力もあるんだぁ」(動機)→「このバイクほしい」(効果意思)→「このバイクください」(表示行為)って説明はわかる。でも、じゃぁなんで「100馬力の、このバイクがほしい」ってのが効果意思だと言っちゃいけないの?「100馬力もあるんだぁ。だから」ってことで、これは「動機」だともいえるけど、「100馬力の、このバイクがほしい」っていう効果意思だともいえるんじゃないの?後者を否定する根拠は、実は何もないよね。てか、むしろ特定物の「性状」だけを、あえて「動機」と構成するのは、むしろ不自然な気すらするんだけど。結局、ここにも特定物ドグマの考えが働いているんだと思うんだよね。
Apr 14, 2012
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次に、法定責任説からの帰結がどうなるか見てみよう。法定責任説は、仮に「100馬力の、このバイクを売買する」という合意が成立していたとしても、そのままの形ではこの契約を有効なものと認めないんだ。結論を先取りすれば、「このバイクを売買する」という契約が締結されたことになる。なぜ、そんなことになるかというと…特定物について、現実には備えていない性能を約した場合、その性能に関する部分は、原始的不能であって無効だと考える。これがいわゆる特定物ドグマ。(ちなみに、なぜ原始的不能・無効などと考えるんだ、契約自由の原則なんだから認めりゃいいじゃねーか、後は債務不履行の問題だろ、と契約責任説から批判されています。)とすれば、上記契約の「100馬力の」という部分は、現実には備えていない性能に関する合意だから、この部分は原始的不能・無効となる。となると、「このバイクを売買する」という部分だけが残るから、有効に契約として認められるのは、「このバイクを売買する」という内容だけってことになる。この場合、契約内容が「このバイクを売買する」ということに尽きるのだから、当然、売主が負う債務も「このバイクを引き渡す」ことだけ。これを規定しているのが、483条。つまり、法定責任説によれば、483条は、理論的に当然のことを念のため規定した注意規定に過ぎないことになる。ただ、これで終わってしまっては、困る。誰が困るかって、買主Xが困る。だって、Yが「このバイクを引き渡す」債務しか負っていない以上、実際には「100馬力の」って合意をしておきながら、50馬力しかないで我慢しなきゃいけなくなる(債務不履行責任を追及できないってことね)。だって、「100馬力の」って部分が債務になっていない以上、それに反したとしても、債務不履行になるはずはないから。でも、これじゃXは到底納得できない。100馬力であると思って、おそらく50馬力のバイクよりも高い値段を支払っているはずだもんね(これを、「売買契約における対価的均衡を害する」なんて言ったりする。)。そこで、買主を保護するために、法律が特別に認めた責任が瑕疵担保責任なのだーってのが、法定責任説の考え。だから、法定責任説では特定物にしか570条は適用されないわけ。
Apr 13, 2012
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当然、任意規定だよね。だって、この規定はどう考えても「公の秩序に関しない」(91条)規定だもんね。とすれば、483条に反する内容の合意であっても、強行規定に反しない限りは、契約自由の原則から当然認められる。そして、「(実際には50馬力なんだけど)100馬力のこのバイクを買う」って契約は、なんら強行規定には反しないよね。だとすれば、こんな契約も当然に有効。契約が有効であるということは、売主には「100馬力の、このバイクを引き渡す」債務がある。だから、売主は、修理するなり改造するなりして、このバイクに100馬力の性能を備える義務を負うことになる。そして、もしそれができなかった場合、債務不履行となる。これが契約責任説。つまり、483条が任意規定である以上、現実には備えていない性能を約した特定物の売買契約も有効に成立するという前提に立って、その性能を備えることができなかった場合は、債務不履行の問題として処理すればよいと考えるのだ。契約責任説によれば、フツーに債務不履行責任が認められることになるので、瑕疵担保責任(570条)は、売買における特則と考える。理論的には非常にすっきりしているし、「契約自由の原則」という民法の大原則にも非常に整合的。大学では未だに法定責任説が通説といわれているけど、実は実務(判例ではないよ)では、相当、支持を集めている見解なのだ。さて、本題はここから。契約責任説では、「100馬力の、このバイクを買いたい」という効果意思のもと、「100馬力の、このバイクを買う」という契約が有効に成立していることになる。とすれば、効果意思と表示行為との間に不一致はないから、錯誤はないことになる。ただ、錯誤の伝統的定義にしばられず、意思表示(表示行為)と実際の目的物との間に不一致がある場合も錯誤にあたるとすれば、この場合も錯誤ありといえる。以上が、契約責任説による帰結。
Apr 12, 2012
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最初は、契約責任説の立場から考えるとどーなるか考えてみよう。まず、いずれの見解に立つにせよ、XとYとの間にいかなる契約(合意)が形成されていたかを認定する必要がある(契約の解釈)。そして、両者の間に「100馬力の、このバイクを売買する」という合意が形成されていたといえる場合、そのままの契約を認める。それが契約責任説。ん?よくわからない。じゃ、一旦、事例を離れて抽象論をどーぞ。出発点は、483条から。民法483条 債権の目的が特定物の引渡しであるときは、弁済をする者は、その引渡しをすべき時の現状でその物を引き渡さなければならない。え?483条は、法定責任説じゃないかって?いやいやいや。確かに、483条は法定責任説の一応の根拠にはなるけど、なんら契約責任説の障害にはならないんよ。だって、483条って、強行規定?
Apr 11, 2012
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これから6回に分けて、瑕疵担保責任と錯誤について思うところを綴ろうと思う。民法については専門外なので、湯猫の単なる理解不足という個所も結構あると思うけど、どうか大目に見てほしい。そして、できればご指摘いただけると大変ありがたい。さて、今回のテーマは、「瑕疵担保責任と錯誤」なわけだけど、一般にこの名前で呼ばれる典型論点、すなわち、瑕疵担保規定と錯誤規定のどっちが適用されるか、って問題について論じるわけではない。ま、一応それについても言及する予定ではいるけど、後述するように、ぶっちゃけその論点はどーでもいいと思っているので、簡単に済ませる予定。今回、論じたいのは、そんなことじゃなくて、もっと重要な(と湯猫が感じている)こと。一言でいえば、錯誤を論じる際に、何と何とが不一致になるのかってこと。ばかじゃねーの、とか言われそうだけど、瑕疵担保責任と整合性を保ちながら説明しようとすると、結構迷うと思うんだけど、個人的には。じゃ、さっそく本題へ。どの基本書にも載っている、こんな事例を。Xが、Yの持っているバイクを100馬力だと思って購入したが、実際には50馬力だった。この場合、Xはバイクを返還するのと引き換えに代金を返してほしいと思っているが、かかる請求は認められるか?この事案をもとに、契約責任説・法定責任説の立場から、それぞれどのような帰結になるかを考えてみる。ちなみに、この場合、瑕疵担保責任・錯誤以外にも、説明義務違反(信義則)とか、詐欺とか、消費者契約法違反とか、いろいろな法律構成が考えられるけど、今回は瑕疵担保責任(それと関連する限りで債務不履行責任も)と錯誤に絞って論じる。
Apr 11, 2012
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訴因には、ご存知のとおり、審判対象画定機能と被告人の防御範囲明示機能とがある。そして、訴因変更の要否を論ずるに当たっても、審判対象画定機能を害する場合なのか、それとも防御範囲明示機能を害する場合なのかによって、根拠条文が異なってくることに注意する必要がある。まず、前者の場合、すなわち、新たに訴因にしようとしている事実が、起訴状の「罪となるべき事実」に記載されていない場合、378条3合が根拠条文になる。この場合、訴因の特定に欠け、不告不理違反となるため、絶対的破棄事由となるからである。他方、起訴状には記載されていたが、被告人に実質的な防御の機会を与えていなかったにすぎない場合は、相対的破棄事由で379条が根拠になる。
Apr 10, 2012
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今年、「犯罪心理学」という講義を受講することになったので、数年ぶりに犯罪学を勉強し直そうかなと思っています。大学時代とは違って、他にもやらなきゃいけないこと、やりたいことが沢山あるので、以前ほど研究に打ち込むことはできないとおもいますが…
Apr 10, 2012
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昨日は、浜離宮に花見に行ってきました。昔はどうか知らないけど、今の汐留は高層ビル群で、コンクリートジャングルのオアシスといった感じでした。桜の名所というと、桜だけが無数に並んでいるところが多いけど、他の木々に混ざってふと現れる桜もなかなかよいものでした。花見の後は、新橋に移ってお食事。湯猫にとっては、こっちのほうがメインだったかな笑行き当たりばったりな判断で入ったお店でしたが、雰囲気・料理ともに◎でした。久しぶりに再会した友人たちと、ゆっくりと話すことができて、有意義な週末をおくれました。
Apr 9, 2012
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このブログ、久しぶりに更新し始めたんだけど、アクセス履歴の見方がわからなくなってしまった。以前は確かここら辺にあったよな~ってとこに、アクセス履歴が無いんだけど…他にも、いくつか変わっているところがあるみたいだから、ひょっとして履歴は見られないようになった??
Apr 6, 2012
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債務者が任意に履行しない場合、債権者は債務者の財産を競売等によって換価して、債権の回収を図ることが出来る。そして、換価の手段には、強制競売と担保権実行との2種類がある。今日はこの二つの違いについて考えてみようと思う。たとえば、こんな事例を想定してみる。XがY1に対して1千万を貸し(金銭消費貸借契約)、Y1の所有土地に抵当権を設定し、Y2から連帯保証をとりつけた。ここで、Y1が1千万を返還せず、Y2も任意に保証債務を履行しなかった場合、Xは、(1)Y1所有土地(甲)の抵当権を実行する(2)Y2所有土地(乙)を強制競売するの二つの手段をとることができる。まず、(1)は「担保権者」による「担保財産」に対する換価権である。この場合、なぜ担保権者Xは、担保財産甲から債権を回収することが出来るかといえば、それは実体権である抵当権に換価権が含まれていると考えられるからである。換価権が実体権に内在している以上、換価するのに裁判所(公権力)の助力を得る必要は無い。だから、基本的には特別の手続を経ることなく換価することが認められる(民事執行法181条に必要な書類がさだめられてはいるけどね。)。つまり、担保権実行の場合、換価権の根拠はあまり問題にならない。これに対し、(2)の場合、なぜ債権者Xに換価権が認められるのか、その根拠が問題となる。Xは連帯保証人Y2との関係では、一般債権者にすぎない。そして、乙はY2の一般財産に他ならない。つまり、(2)は、「一般債権者」による債務者の「一般財産」に対する換価権である。じゃぁ、何故、一般債権者にすぎないXが、一般財産にすぎない乙を強制競売して換価することができるのだろうか。それは、国家がそういうシステムを採用したから。日本は、民法414条で、公権力を介在させることで、債務の履行を強制する仕組みを採用している。つまり、本来「金を払え」としかいえないはずの債権者が、公権力による助力を得ることで、「財産を売って払え」といえるようになっているのだ。そして、公権力の助力を得る以上、一定の要件を充たす必要があり、それは民事執行法25条に定められている。民事執行法25によれば、強制競売には、債務名義と執行文が必要である。それに対し、国家の助力を得ることなく執行が認められる担保権の場合、債務名義と執行文は不要なのだ。
Apr 6, 2012
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