気楽に行こうよ☆

気楽に行こうよ☆

卒業式



私は、彼より一足遅れて学校へ向かった。


柳が不登校になったのは、1年の3学期。1月も終ろうとしていたとき。

入学した当初から、「こんなに悪い1年生は初めてだ!」と言われつづけてきた学年。

そんな中にあって、小学校高学年から代表委員、児童会副会長、会長と歴任していた柳は、学年皆からの信頼を集め、中学に入ると当たり前のように学年委員長、生徒会書記と責任ある役職を自分から引き受け、精一杯務めていたのだ。

真面目な子からワルといわれる子たちまで、どちらからも信頼されていた柳は、学年全体をまとめるべく頑張った結果、自滅したのだ。

この2年間のうちには、色々なことがあった。

家族や担任の先生はもちろんのこと、一番辛かったのは本人だっただろう。

でも、時間がたつに連れて彼の顔が穏やかになり、やがて将来のことも考えられるようになったのは、3年の夏休みが終るころ。

世間体やプライドなどに惑わされず、彼の力が生かせる道を探して辿り着いた一つの結論。

それが、彼の進学する予定の高校なのだ。

朝早く起きて、登校に1時間半もかかる。とか、満員電車に乗らなければならない。とか、心配は数々あれど、本人が望んで行く高校だから、余計な心配はしないほうがいいのかもしれない。

この2年間、他のどの親子よりも密着して過ごした私たちは、ようやく親離れ、子離れするときを迎えたのかもしれないと思った私だった。


式は、静かに卒業生が入場し、滞りなく進行していった。

ときおりウルッとくる場面もあったが、とりあえず平静を保っていられた。

しかし、卒業生代表の女子が別れの言葉を読み上げ始めたころから、我慢ができなくなった。

一年の頃から、3年の今に至るまでの色々な出来事を、いいことも悪いことも自分の言葉で綴っているいい文章なのだが、彼女もこらえきれなくなって時折涙声になり、言葉に詰まるのである。

それにつられて、会場のあちこちから鼻をすする声や、はっきりとした泣き声が聞こえてくるようになったから、私のゆるい涙腺なんぞ我慢できるはずもない。

3年の女子はもちろん、保護者席からもすすり泣く声がきこえるのと一緒に、私も泣いてしまった。

彼女の別れの言葉は最後までしっかりと読み上げられ、卒業生による「旅立ちの日に」の歌が演奏された。

混声合唱によるそれは、実にみごとなハーモニーを奏で、ぞっとするくらいの感動を覚えた。

会場からは割れんばかりの拍手の波が沸き起こる。

1年生の秋の合唱コンの情けなさと比べると、驚くほどの成長だ。

3年間でこれだけ立派に成長したんだというのを目の当たりにした気がした。

そして、会場全体が感動に包まれながら卒業式に幕が下ろされたのであるが、まだサプライズが・・・

卒業生が拍手の中退場していくときに驚いたのは、数々の悪さをしてきたヤンチャな奴らの目がことごとく真っ赤になっていたこと。

中にはあきらかに号泣したと思われる子もいて、なんだか可愛く思えてしまった。

そして、全員退場してから数秒後・・・

「三年生の先生方!!三年間ありがとうございました~!!」の声!!

先ほど、目を真っ赤にしていた彼らである。

思わず声があがり、会場全体から拍手が起こった。

彼らは彼らなりに先生たちの恩というものをしっかりと感じていたんだなぁ~と、うれしくなってしまうサプライズだった。


その後、保護者代表から、学年担当の先生たちへの花束贈呈後、学年主任からの挨拶。

「あいつらには、許さないからな。と言ってあります。
卒業したからって、今までしてきたことは大目には見ない。でも、10年後、20年後には許せるかもしれない。
だから、そのときまでしっかり見守っていきたいと思います。」

メンバーがほぼ変わらないまま3年間、しっかりとしたチームワークで本気で子供たちと接してくれた先生方。
おかげで、彼らはここまで大きくなれました。ありがとうございました。

クラスでの最後のホームルームでは、一人一人にそれぞれの名前と写真の入ったDVDを作って渡して下さった。写真が1500枚ほど入っているらしい。
忙しい中、子供達一人一人の顔を想像しながら作って下さったそうだ。

DVDの表にプリントしてある写真を見ながらひとしきり盛り上がったあと、各自の抱負を発表した。

「高校に行ったら、部活と勉強に頑張ります!」の多い中

「全国大会に出るので、TVで観てください」

「インターハイに出場します!」という、力強い宣言も。中には、

「高校を卒業できるようにがんばります!」なんて子もいたが。笑

柳はというと、

「数十年後には、起業して社長さんになっています!」と宣言

でも、肝心の「社長さん」の部分を「しゃっちょしゃん」とかんでしまったから、教室中が爆笑になってしまった。

そうだよね~。お前の場合、3年や5年ではきっと計り知れない。

10年、20年経って初めてこれまでの苦労がどう生きてくるかが、わかるような気がするよ。

しかし、肝心のところでかんじゃうのがいかにも私の息子らしい。いやはや・・・笑

そして、先生の最後の言葉

「お前らには、本当にすまないと思っている。なぜなら、もっとお前らの良い所や可能性を引き出せたはずなのに、それが出来なかったから。
だから、これからもずっとお前らのことを見守っているし、何かあったらいつでも話しに来てほしい。」

先生は充分すぎるほど彼らの為に尽力して下さいました。

とくに柳に関しては、3年間受け持って下さって、いつでも彼の気持ちを最優先に考えて下さった。

そして、決して見捨てることなく最後まで見守っていて下さったことは、本当に感謝しても感謝しきれないくらいだ。

そう思うとまたまた目頭が熱くなり、先生を囲んだ女子の前で号泣してしまうのも恥ずかしいと思い、きちんとした挨拶も出来ずに帰ってきてしまった。

「N先生、本当に有難うございました!」


後日、中学校に行った機会に近況報告を含めて挨拶をすることは出来たが、本人はあれ以来中学校へは近づかないままだが、いつか晴れ晴れとして挨拶に行く日はくるのだろうか?

それとも、過去は振り返らないつもりなのかな?




以上、某ブログから転載・・・一部編集済み

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: