~'09・房総半島乙姫ツアー~0 0
~'10.天道のつどい~ 0
~'06 高野山めぐり~ 0
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2007/9/12…乃木坂で地上にでると…おやまだ雨降ってる~困ったな。(豪雨の中を出てきたのに相変わらず傘持ってこない奴)そのうち止むでしょう…小雨になってきたし大丈夫。写真左上…乃木神社雨に洗われてピカピカと輝いておりましたすご~ダイヤモンドダスト級これだけきちんとした浄域なら来る必要はなかったかな魂は神上がりしておりますし。もしかして…魂魄は別にやらないといけないのかしら境内摂社をまわりますと…笑いが込み上げてきて困りました赤坂王子稲荷…乃木大将が家に祀ったもの。(元社の王子稲荷の近くに昔住んでました~)正松神社…乃木希典の師であり吉田松陰の叔父である『玉木文之進』を祀る社。玉木姓は十津川出身者が多く、この日参拝して感じたのは人霊神ではなく国常立尊(前月に十津川の玉置で国常立尊に参拝したばかり)乃木将軍の墓所のある青山墓地の近く(南青山)にも住んでおりましたし…(その頃通っていたのは○○○~)やれやれ…み~んな繋がったf^_^;社務所で販売していた本が気になり、ふと開いたページに…《鴨川市打墨に乃木将軍の書による石碑がある…》…という記事を発見これだ~~(☆_☆)猿田彦神社の近くに、確かに日露戦争の碑がありましたはあ~すとんとふに落ちた…宝物館で乃木将軍ゆかりの品をいろいろ見ているうちに、館内に人が押し寄せ、芋洗い状態になってまいりましたので次へ向かいました。 乃木神社に隣接する旧乃木邸は、現在港区が管理し、年に二日間、9/12~13のみ一般公開されています。(無料)東京大空襲の際にも無事だったそうです。お世話をして下さった区役所の方たちがとっても親切で、あったかい気持ちになりました右上…旧乃木邸内部、大応接間。乃木夫妻が明治天皇を伏見桃山御陵へと送る大祭に出席した後、自宅で後を追ったのが9月13日。その最期の朝に撮影された夫婦の写真が展示されておりました。《乃木希典》先祖は宇多天皇。宇多源氏の佐々木四郎高綱の血筋である。高綱公は1284年宇治川の合戦で義経軍を勝利に導いた立役者。乃木大将は先祖の高綱公を敬い誇りに思っていたそうです。乃木希典生誕地は現在の六本木ヒルズ(元長府藩上屋敷)内にあります。(さらにお知りになりたい方はウィキの乃木希典の項目を御覧下さいませ)各部屋に展示された遺品を丹念に見てまわり、外に出ると…入口には入館を待つ長蛇の列ができておりました。 次は墓所へ向かいます…。乃木坂周辺の街の様子が大層清らかなのにはびっくりしました。青山墓地内《乃木家奥城》に到着ちょうど散歩のおじいさんが立ち止まり拝礼しておりました。柵の鍵が開いておりましたので、中に入らせていただき、二令息と夫妻それぞれに線香をあげ、お数珠取り出して読経七色に光るあたたかい雨が、一際強く降り注ぎ、そして…雲が切れ、お日様がぴか一サーモンピンクさんはす~っと上に消えてゆきました。完了~あとはのんびり街を散策して夕方まで明治神宮で遊ぶといたしましょう表参道の交差点で《紅》というドリンクを貰いました。ラッキー神宮前まで来るとそこは至福と祝福に満ちた空間でした道ゆく人がみな美しい~それにしても一体何が起こってるのだろう 左下…明治神宮大鳥居拝殿前に着き、参拝しますと………んここは紫宸殿ですか百官(皇祖神)打ち揃い、これからハレの儀式が行われるかのような雰囲気。はて、今日はどうしたんじゃろおや…豊玉姫さんまで表白裏赤の《桜》の十二単姿でニコニコしてる~(そんな恰好してるの初めて見たよ)本殿中央に巨大な光の玉があり、幾度かやりとりさせていただきました。右から覗き込んでくる小さい人がいることに気がつきました(注;この方は実体です)なんだろこのおじさん不思議…。参拝を終え、境内の長椅子に座り、さきほどいただいたジュースを飲みながら辺りを眺めました、今回は外国からの参拝者が多く、目をひきました。(前回は若い男の子ばっかりで、あれも不思議だったな~)夫婦の木の前で熱心に拝んでいる外国人夫婦がいたり、「今、明治神宮~石の浄化に来た~」と電話で話している男の子がいたり、拝殿前でピースして写真を撮ってるカップルや、日本の歴史について語りあっている女性たち、それぞれ思い思いに空間を楽しんでおりました。私は…なんも考えずにただぼけら~(空を奉納~)さて、さっきのちっこいおじさんは何度も柏手打って参拝した後、拝殿前境内中央で相撲の四股を踏みはじめました大きな動作で、なかなか堂に入っております踏み終わると神様に一礼し、西の方へと消えてゆきました。なんだったんだあれは~~ヾ(^▽^)ノそして、その一分後…今度は東の方からOさん登場まだ近畿で活動しているのかと思っていたら…東京入りしている旨連絡が入り、急遽明治神宮にて合流することになっておりましたう~ん、互いに繋いできたものを同じ日に納めに来たような気分。明治神宮の御祭神は明治天皇と昭憲皇太后ですが、私は、歴代天皇に宿るといわれる天皇霊や皇祖神を感じることが多いようです(^^) お茶しながらOさんに経過を伺うと…なんと『全部行った』そうなピックアップした橿原や石上は勿論、天橋立まで北上し、帰りには熱田にも立ち寄ってきたとのこと。ひえ~(O_O)…まさか本当に近畿縦断するとは…。ちょうどOさんが比叡山を完了した夕方、比叡山から虹が出た話をしたり、高野山で授かった五十鈴のペンダントを見せて貰ったり、吉野で寄ったお店や歩いたルートが同じだったことに爆笑したり…いやはや、みんなそれぞれ自分のすべきことをきっちりやっているのだな~と安心しました他にも沢山の方たちが(もしかしたら本人は無意識にかもしれませんが)すべての存在の為に動いた結果がいろんな形で現れているのでしょうね~一月に参拝した時に比べて明治神宮の神威力が上がっていたのもその一つ。ありがたいこと多くの方に感謝…m(__)m 一時間ほどでOさんと別れ、AXへ…右下…AXの空神宮の森から沢山の龍さんがドッカーンと広がってゆくようでした。(#^.^#)
2008.10.15
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銚子の空 伊勢から戻ってすぐの頃に…『三人で紀伊半島まわって来たよ~ん』…のご報告を浅間山麓のOさんに送らせていただきました。参拝順と角度の話だけして、あとは何も伝えず…ほほほさあ~あとはOさんの上にお任せだぁ~ そして二週間後…ふと思い出し、メールを入れてみると…『今、高野山』とのこと。ひょえ~~もう行ってるの無茶苦茶行動早いですな~報告メールが来た瞬間、自分の辿るルートマップが見えたそうな…彼は伊勢神宮をスタートに…熊野三山~玉置山~大峰山~吉野山~高野山…と逆ルートで巡ったらしい紀伊半島をを南から北へ縦断ですな~三人の合流地点でもある高野山でコンタクトが取れたとは…Oさんの上…GOOD JOBやるな~大峰山系は吉野山を『頭』、玉置山を『尾』とする一体の龍と云われおり、大峰奥駆道は龍をなぞる道でもあります。どうやら歩いたらしい(そういえば月山も蔵王も岩木山も一合目から頂上まで歩いてたわ、この兄さん)「残りも頑張ってね~」とエールを送らせていただきましたすると数日後…今度はSOSが来たはい~~玉置~吉野~高野山のトライアングルの真ん中…天川まで来たはよいけれど(これを現地での思いつきと龍さんの導きのみでこなしてゆく凄い奴)台風に足止めされちゃって帰れない…とのこと。で、帰れなくて困っている訳ではなく…まだ廻るべきところがあって足止めされているのは理解しているものの…あちこちから呼ばて混乱しちゃているらしいアハハ…って笑い事じゃないよなf^_^;しょうがね~な~とりあえずOさんに縁のある地を私の解る範囲でピックアップ大神や春日は勿論のこと、平野神社、醍醐寺、比叡山、平安神宮、御所はぜひとも行くよろし…もしまだ余力があれば亀岡や綾部から若狭湾まで出て龍宮の島(現存はしていない)の跡に向かうもよし、帰りに豊川(稲荷)さんに寄るもよし、大阪に出れば生国魂さんも待っているし、…………。行きたい気分のしたところへ行ってみてね~などなど十数か所を上げてみました後の選択は本人任せ~がんばれよ~~ さて…他人のことは他人に任せ…自分のことをなんとかせんとな~サーモンピンクさん、相変わらずそばでシクシク泣いてるし~こ~れ~は~……多分私がまだ気付いてない重要なパーツに関わる方なんだろうな~よし集中次に動けるのは…9/12、渋谷に遊びに行きますのでその日だな都内近郊で私に縁があり、この日にしか行けない場所はどこじゃ~~~と探してみると…わりとすぐに発見《乃木神社…旧乃木邸内部拝観9/12~13》ビンゴこれだぁ~乃木神社…大学時代に気になっていたものの行かなかったんだよな~9/13は奇しくも乃木夫妻の命日にあたる。どっしゃ~また命日の前日ですかいわかったわかった今度も線香持って墓参りに行きましょう~ その途端…サーモンピンクさんのシクシクが号泣に変わりました…う~ん…(-.-;)
2008.10.11
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《銚港神社》は飯沼観音の境内にあります。飯沼観音さんの人気に押されて圧縮されたような境内ですが…鳥居をくぐってびっくりちょっと凄い鳥居くぐっただけでぐるぐる風が来た(☆_☆)まだ参拝してないんだけどな~写真左上…銚港神社隣の社こっちはさらにパワー全開ちっちゃい境内なのになんでこんなに凄いんだろ…と思ったら…右上…銚港神社の由緒アハハクラオカミさんでしたか~そりゃぁ喜ぶはずだわ私はクラオカミさんに愛されてるし~(#^.^#)ぬふふ右下…飯沼観音こちらの観音様は浅草寺によくにたいわれでございます。ある日、漁師の網に観音様がひっかかったんですって仏像彫刻をされる方によると、仏様を彫る時には二体彫るのが慣わしなのだそうで…きっとどこかで本尊としたものの残りの一体を海や河に流したものがこうして網にかかったりしたのでしょうね。飯沼観音さんもなかなか素敵なトーンでありました。 銚子のおいしいものをいただいて、海へ出ると空には伊勢で見た雲と同じものが出現(後ほど単体でアップします)あれなぜお伊勢さんの雲が…もしかして…まだ終わってないってこと~(ようやく気付いた奴)う~む細かいこと考えても仕方ない…全部上にお任せして私は安房の国に帰るぞよ~写真左下…銚子の海。何故かピンクがかってます そういえば…朝安房の国を出るまでの間、なんだか安房地区の神様たちに引き留められてるような妙な気がしたんだが…あれは何だったんだろもっと言うなら私は一度も日本から出たことがないのですが…どうも日本に縛られているというか、出られないように見えざる手が動いているような気がしてなりませぬ。シンガポールやイタリア、フランス、フィジーなどに何度か行こうと画策したのですが…その都度信じがたい事が起こっておじゃんになるんでやんすもう受け入れてますけれど…ん~もしモードが変わったら、パタゴニアとアフリカに行ってみたいものよま、いいや…私は日本担当なんじゃろそれはそれでいと嬉し日本、大好きだし~安房の国も最近楽園めいてきてうれしいな
2008.10.09
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2007/9/2…成田山と香取神宮へ家族で参拝写真左上…成田山仁王門脇を上がったところにある《こわれ不動》右上…《聖徳太子堂》家族は毎年のように初詣に来ておりますが…私と一緒に参拝したのは初めて(お正月は受験期ですので忙しいのです)彼らは…初詣以外の時に来たのが初めて何度も参拝してはいるものの、これまで見落としてきたところも多いようです人が犇めいている時ではゆっくり見てまわるなんて難しいですものね。私がご案内させていただきましたいやぁ~私自身は成田山にちゃんと参拝したのは十数年ぶりなんですけどね~昔仏教研究をかじっていた時に資料をいただきに参上して以来でも…深川不動堂は毎年行ってますし、システムは同じだし…なんとなく勝手知ったる気分なだけですが…f^_^;三人を本堂内にご案内。上がって参拝できることを知って…びっくりしていた模様f^_^;毎年来ていてもこんなもんです持参したお線香と蝋燭を配ってあげていただきました(これまでは外でお賽銭入れて拝んで終わりだったとか…ま、それでもいいんだけど、せっかく入れるんだし線香あるし…)近頃、巡礼にも興味を示している両親ですので、よい機会じゃちょこっと伝授成田山のお不動様は…《大日如来》級のきらびやかなトーンでございました気持ち良い~さすがでございますあちこちまわって参拝家族もお線香あげるのが楽しくなってきた模様~聖徳太子さんがニコニコのぴっかぴかでございまして…ちょっとびっくりしましたみんなで《成田ゆめ牧場》のアイスを食べて、次に香取神宮へ… 《香取神宮》…なんと私は初参拝うわ~春日大社そっくりです参道の風情なんてそのまんまカーブする角度まで一緒です。ぬふふ…初めて来た気がしないな~なんとな~く、ここは七月に前職を退社し求職中の弟の為に来たような気がしておりましたので…《弟の才能が活かせる仕事で、人間関係もよく、相応の給料を受け取れる職場にご縁をいただけるようにお力を貸してくださいませ。そして弟がその会社の発展と人々の幸せに貢献できますように》とお願いしてみました~(^O^)/その後…見事すてきな仕事をゲット~しかも職場は…週の半分はディズニーリゾート(香取さんの守護する下総テリトリー内)うわぁ~ありがとうございますo(^-^)o感謝感謝~ 香取さん…黒社殿で重厚な割りに、静かで清らかで優しい風情です。写真左下…御神木光りがわんさと降り注ぎ気持ち良くってうっとりここでも木の香りが強く立ち込めてまいりました。何故か神木の祭神様は《木乃花咲耶姫命》さんです。熊野の神様方は富士山と大の仲良しのようですが…なんだろこれは… 社殿の裏ではピンと背筋を伸ばした美しいショートカットの女性が祈りを捧げておりましたうわ~私の大好きなタイプの方発見我欲がなく、誰ともつるまず、かといって孤立するわけではなく誰とでも親しみ、胸に大きな志を抱き…黙って自分のお役に励む回りに人がいてもいなくても、気にせず、排除もせず、見られていることも意識せず…集中そしてこの方も黒いスーツで決めておりました。美しい~また一人素敵な方を見つけてしまいましたo(^-^o)(o^-^)oうれしいな前にまわり、もう一度本殿に参拝しますと…んまだあの美しい方が裏から祈っているようでした意図するところに上手くリンクできないのかなん~僭越ではありますが…ちょっとお手伝いさせていただきまするm(__)m私もこれまであちこちでいろんなとおりすがりの方に助けてもらいましたしo(^-^)o拝殿前から同じ角度と強さで光の意識を飛ばし上空で合流~スパークよっしゃこれで大丈夫じゃろ。その瞬間…父様から電話が『要石のとこにいるよ~早くこい』はあい写真右下…香取神宮の要石。お触りして愛でてきました頑張って護ってえらいな~としばらく褒めちぎり…次へ。香取神宮元宮の側高神社にも参拝したかったのですが、この時は断念しましたまた今度
2008.10.08
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紀伊半島より戻ってすぐに鴨川へ《神功皇后と源頼義の人形》を見に行きました。地方紙にこの二体の修復が完了した旨が載ったのを見て、喜び勇んでえいさっさ写真がなくてごめんなさいm(__)mこの二体は江戸時代の神田祭で山車の人形として使われていたもので、どういう経緯なのか明治期に鴨川の神社に買い取られたらしい。たま~にイベントなどで神田に御里帰りすることもあるのだとか…で、お衣装も人形も痛みが激しくなってきたので修理に出していたとのこと。お衣装は…江戸時代の神田祭を記した当時の記録や画を元に、模様まで忠実に再現しておりました二人とも生きているようにそこに存在しておりました(とくに頼義さんはビビッド)しばらく拝見し…前原海岸や近くの厳島神社、猿田彦神社にも寄って帰りましたするとその夜からなにやらやってきましたサーモンピンクの美しいエネルギー体が…べたべたピトっとひっつきまとわりついて、しくしく泣き続けております(;O;)何か言いたいことや、やって欲しいことがあるならちゃんと伝えてくれないとわかんないでしょでもなんにもいわずただしくしく…(T_T)困ったな~ひっついて来れるってことは縁ある存在なんだろうけど…サーモンピンクトーンは初めて会ったので、わからん神功皇后や源頼義さんではないようだし、弁財天や猿田彦さんでもないし…この御仁なんにも言わないし…困ったな~な~んで私んとこに来るのかね~わたしゃウジウジめそめそしてる奴を見て『Oh~かわいそう』と優しく慰めるような玉じゃないんだけどな~どうするかな~これ…(-_-#) 1995 夏 東京、赤羽『路地影に少年しのび泣くオリオン』
2008.10.08
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伊勢神宮では…《神様から歓迎されている人は参拝時に小雨が降る》と言われているとかいないとか…f^_^;あはは…雲一つない晴天やかんかん照りの参拝ばっかりの私は歓迎されてないんですね~そりゃそうだろな~一応まわってはおりますが…今だに、《なんで私がこんなことしゃきゃいけないんだろ~誰か代わってくれないかな~》って思ってますしf^_^;たくさんの方たちがいろいろ活動をされてるんですから…私なんぞが動く必要なんてないんじゃなかろうかこんなしちめんどくさいことから足を洗って普通のしあわせの中で生きてみたいな~φ(.. )なあんて、嫌々モードを三割方引きずって参拝してますからね~神様かて嫌じゃろう(七割は楽しんでますが…) 伊勢市駅から予定外の亀山経由で名古屋に向かいます。亀山~日本武尊や弟橘姫ゆかりの地名古屋からは乗り換えが思った以上に上手くゆき、すいすい進みます天竜川あたりでいきなりドカンとそれが訪れました無限のパワーが爆発的に湧き上がり天まで突き上がるような…サーマディもう気分は《Ultra Soul~》どっひゃ~~だ、誰か止めてくれ~(ノ><)ノその手~でドアを開けましょ~うぉ~そして羽~ばた~くUltra Soul~ドカ~ン(☆_☆)今ならなんでもできそうだ(笑) 電車の中で隣に座った女の子が、『来週長瀞にラフティングに行くの~』と話しておりました。(¨;)長瀞…ラフティング…。秩父ですか~ 島田あたりにさしかかった頃…J氏の予言通りパラパラと雨が降ってまいりました~旅の間の一週間、ちょっとお天道様これはやり過ぎでしょてほどの晴天ぶりでしたので…『三人が帰った途端豪雨になったりして~』とJ氏も話していたのですが…ほんとに来た来た、雨J氏…天気予報士になれますな~(翌日からしばらく近畿は激しい豪雨となりました…ひえ~) 熱海から小田原を抜けて東京へ到着そして京葉線で千葉を南下~はあ~なんとかお家に辿り着けそうです弟に駅までお迎えをお願いしました。深夜でしたが、いつになく快く承知してくれた弟に感謝m(__)m青春18きっぷは日付が変わってから最初に停車する駅まで有効で、そこから先は追加料金になってしまいます。終点までゆくと追加~そこで…0時を過ぎて最初に停車する駅まで迎えをお願いしたのですが…なんとそのおかげで《那古観音》そばを通ることに…思わず通りながら手を観音様に振ってしまいました那智で思い浮かべたところを最後に通るとは…。う~ん、やるな神様 後日伺ったところによると…J氏は地元の駅に降り立つと、『最後に銭湯入っていかない』とN氏を誘ったとか…。J氏~ヾ(^▽^)ノその裸族っぷりには誰もかないませんわしかも熊野にすっかりはまってしまい、この旅の後、三度も行ったのだとか…すばらしい… 一応これで身体は地元に戻りましたが、まだまだ木の国の旅は終わりではありません。完結したのは九月半ば…東京にて。
2008.10.05
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一番電車に乗り込んで伊勢を目指して出発です 各駅停車の旅は、通過する風景や街を丹念に愛でてまわれるのが素敵です気分はタカツムリ~通りながら粘液をぺたぺた残してゆくような…この旅の前に…宮津から丹波~西宮を抜けて友ケ島からぐるりと紀伊半島の海岸線をなぞり、伊勢を通って名古屋~位山~黒部~糸魚川~柏崎へと続く太いラインが日本地図にひかれているビジョンを見ておりました。今回はその中の加太淡島から伊勢のラインを三人でなぞる旅となりました 新宮から伊勢への途中、熊野市の《新鹿(あたしか)海水浴場》を通ります。綺麗~(☆_☆)湾内に広がる白い砂浜。そばには清らかな川が流れ川遊びも楽しめます。水も透き通っておりますし、隣には小さな漁港もあります。一目惚れ~ここに住んでもいいなぁ~新鹿海水浴場は『日本一美しい海水浴場』なのだとか。 近鉄『五十鈴川』に到着本当はね……N氏はきちんと外宮からまわりたかったようなのですが、私は時間の関係で外宮には寄らず内宮のみ…まだ降り立ったことのない《五十鈴川駅》でぜひ降りてみたいってことで、別行動になるかと思いきや…《五十鈴川駅》は天皇皇后両陛下が伊勢参拝の折りに使う駅であることを知ったJ氏が…「それはぜひ行きたい」と言い出し、結局みんなで五十鈴川駅に到着ここでも綺麗な蜥蜴を発見し大喜びのJ氏どこに行っても見つけて喜んでおりました…そんなJ氏を見ているうちにふと『龍神祝詞』をさしあげたくなりました藤色の友禅和紙で装丁したもので、J氏にぴったり五十鈴川駅ホームで贈呈駅を出ると綺麗な空辺りは質素でありながら気高さに満ちておりました本当に貴いものってシンプルなんだよな~(豪華な空間を作りたがったり、ものをやたらと集めたがる人を見ると…その人の奥に潜む自信のなさを観じてしまいます)J氏はとっても素敵な感性の持ち主で、五十鈴川駅前の少し寂れたような清潔な空間を、見た目ではなく全身全霊で味わい…『そんな感じ(天皇皇后両陛下にふさわしい気配)がする~』と大喜び(#^.^#)さて、ここから歩いて内宮に向かいますと、途中《月読宮》と《猿田彦神社》がありますので両方立ち寄って参拝させていただきました写真左下…月読宮ここも気持ちのよい空間です月読宮内の摂社(どうやら稲作にまつまる神様たちのようです)も私のお気に入り猿田彦神社ではまず休憩所に入って(おいおい)お茶をいただいてから参拝に向かいますと…ちょうど本殿では祈祷が始まりましたここはいつ来てもきららかな光が本殿から溢れていて大好き神職さんの祈祷に合わせてN氏が祝詞を奏上しています。猿田彦神社であげられる祝詞の中に…《猿田彦大神、亦乃御名波、国常立尊…》というくだりがあります。玉置の中心的な神様であり、熊野でも大切にされている国常立尊の別名である猿田彦さんにも伊勢で会えるなんてうれしいな~o(^-^)o椿よりもこちらの方が好きという方も多いのだとか。ウズメさんの社にも参拝し、いよいよ内宮さんへ…橋を渡りどんどん進みます。夏休みということで人もいっぱい五十鈴川の禊ぎの河原でお二人とはさようなら。私は急いで参拝し、早い電車で帰ります。彼らはもう少し後の電車で帰るので、のんびり参拝です。ここでも出会った時と同じく、J氏にきちんと挨拶されまして…いやぁ~私も見習ってもっときちんとしなきゃ~f^_^;と、学ばせていただきましたm(__)m 写真左上…内宮《御正宮》よく見ると、心霊写真のように身体の一部が写ってない方が結構いらっしゃいますf^_^;ここでは『行ってきたよ~』のご報告前に立つと幕が今回はこちら側から向こう側にめくれ上がってしまいましたf^_^;どういうことでっしゃろか(いつもは参拝の間中こちら側にフワッと上がり続けているのですが…)ま、いいか…余談ですが、今祀られている天照皇大神はダミーであるという説がありまして…(男神だった天照が持統さんによって女神に変えられたという説もありますが…)天岩戸のお話で、みんなの笑い声に惹かれて岩戸をちょこっと開いたのは真の天照さんでありましたが…その後『あなたよりすばらしい神様がおいでになったのでみんなでお祝いしているのです』と誰ぞが嘘をついてしまいましたそして、「なんですって~私より上~~」という対抗意識を煽って引っ張り出しちゃったんですね~故に…《本来の天照さんではない》…という話。(だからこういう嘘ついて人を利用したりする競争社会になっちゃったのかしら)《嘘をついたら嘘で返される》というのがこの宇宙の法則ですので…この説を聞いた時には、なるほどな~と思いましたその真偽はともかくとして…個人的には宮崎の方の《天岩戸神社》で感じた天照さんの方がダイレクトで好き~お伊勢さんも好きなのですが、こちらではホロ映像で亜空間通信している気分内宮さんの中でもっとも好きな空間が…荒祭宮へとゆく途中の《新御敷地》の角です。正宮を裏から眺めることができる場所ですが…とにかくこの角の一帯が心地よくていつまでもいたくなります(今回はちょっと立ち止まって楽しんで終わり)荒祭宮にも参拝させていただきました天照さんの荒魂は一説には《瀬織津姫》さんともいわれております。(個人的に瀬織津姫は揖斐川を渡る時によく感じます。瀬田川でも感じますが…)荒魂さんは雷神の気配も濃くて、大好き~さてさて、前回伊勢参拝した際に何故かスルーしてしまった《子安神社と大山祇神社》に参拝することができ…ホッ完了~さあ帰るぞ~サクサク歩いていると…素敵なおじさまと出会いました(勝手に見ていただけですが)おじ様は一人で参拝にいらしたらしく、なんとなく他の方とは気配が違います。回りにいる人々のことはまったく目に入っていないような風情。全身全霊で内宮の森を静かに感じ、じっくりと味わうように一足ごとに玉石を踏みしめておりました。夏なのにキチッと黒のスーツを着込み、麻のネクタイを締めておりました。途中おじ様を追い越したのですが、宇治橋鳥居でまた一緒になりました。鳥居で頭を下げている方はほとんどおりません。皆様ただくぐってゆくばかり。ん~そんな観光客のど真ん中でするのはちょっとだけ恥ずかしかったのですが…『無事紀伊半島を巡ることができました。ありがとうございました』の意をこめてしばらく拝をし、顔を上げると…さきほどのおじ様が五十鈴川にかかる宇治橋をちょうど渡ってくるのが見えました。見ていると…内宮さんの空を、まるでお慕い申し上げるかのようにしばらく仰ぎ…そして長い拝。カッコイイ~~~この方の心の目には内宮さんしか写ってないんだろうな~真夏の強い日差しの中で、この黒スーツのおじ様がもっとも涼しげに見えたのも不思議なことでした。ふと、知人の舞台女優さんが昔言っていたことを思い出しました。ある日、客席にビシッとスーツに蝶ネクタイで決めた方を見つけ、『ああ…特別な日の装いでいらっしゃるなんて、きっと楽しみにして来て下さったのだな~』と感じ、その思いに応えたくなって、張り切ってしまった…。…神様もそうなのかも(やばー…私は超ラフなスタイルでしたすみません神様)どこの誰とも存じませんが、このおじ様に出会えてとっても豊かな気持ちになりましたo(^-^)o 写真右下…帰りの五十鈴川駅の空。
2008.10.04
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熊野川を目指し、『こっちかな~』とあたりをつけて歩いてゆくと、こんもりとした森を発見怪しい神社もありましたので参拝してみました(多分黄泉道守命を祀った社かと感じましたが…どうだろf^_^;)裏の磐にもちいさな社があり、その脇の獣道を昇って下ると…今度は熊野川を発見~\^o^/河口へと続く遊歩道の突き当たりに出ました(正確にはちょっと違うかな…さらに行くと遊歩道の突き当たりに通じる微妙な空間に出たってとこです)この時には湯の峰温泉とは反対にお二人は及び腰。『こんなとこ行けるはずないよ~』という空気でありました「うんにゃよき匂いがするぞ~この磐を越えて森を抜けた空間が私を待っている~行くべし行くべし」という強引さで、二人に構わず突き進む私なにしろ山猿ですから~こういうのはお手のもの。ウッキ~o(^-^)o 川岸に座って缶ビールで乾杯いたしました《玉置から帰ったら熊野川河口でビール》という素敵なビジョンが浮かび…絶対海見ながらビール飲むぞ~(^O^)/…って朝から決めてました《那智の滝~那智湾》《十津川~熊野川河口》と、上流と海とを繋いだのだな~と後ではっきりしました山と海とを水の道で結ぶ(海まで行くのは遠かったので、海の見えるあたりで乾杯しちゃいましたけど)遊歩道には鳩が沢山遊んでおりました。その中の一羽が三人に絡んできました若くてかわいい鳩。足首がピンク色でとっても綺麗小動物LOVEのN氏がカルパスをちぎって与えようとしますが、なかなか上手くいきません鳩さんもN氏と仲良くしたくてすぐ近くまで寄るのですが…指の上に置かれたカルパスをつつこうとしては離れ、また寄ってきては離れてしまいます。どうしても指から食べさせたいN氏は半ば意地になってきました…f^_^;ほはほ…気持ちはわかるのですが、『ほら食べろ~』というその思いが鳩さんにはかえって(強制的な波動となって)結界になっちゃってるのですが…言葉で説明するのは難しいので、しばらく黙って成り行きを見守ることに…鳩さんの『仲良くしたいんだけど上手く近づけないよ~』という気持ちがピークに達したところで助け船を出しました《私とあなたは同じもの》というトーンを開き、作為や意図を消して指を出してみました…すると鳩さんは何もない私の指をつっつてくれました痛てて(+。+)(これ…ドランヴァロのハートのテクニックの応用です)これで勇気と自信をつけたらしい鳩さんは次にN氏の手から見事カルパスをゲットその後も…なんにもないのに三人の指をつついてまわっておりました鳩さんかわゆし静御前を思わせる鳩さんでした。 住宅街を適当に歩いて駅の方へ戻ります。途中で平のなんとかさん(忘れた~)の屋敷跡も通りました。そして串焼き屋さんでまたもや大盛り上がり~(^O^)/盛り上がりすぎてお姉言葉で延々と…《どんだけ~~》を繰り返す二人に、私は…まじで知りませんでした(゚ω゚?)テレビをほとんど見ませんのでこの時はイッコーさんの存在自体を知らず…突如お姉化した二人に茫然…(O_O)「どうしよ~この二人…f^_^;」と、ちょっと困ってしまいました(笑)すっかり暗くなってのお宿への帰り道…今度はイタコと化したN氏『ど、どうして…〇☆∬∇※∝★してくれないんですか…』ヾ(^▽^)ノ………声が……あるかたにそっくりですふざけてやってるのはすぐにわかったので、私もノッてみました『%#*~したくないからです』「そんな…はっきり言わなくても~¨;」とはJ氏…ヾ(^▽^)ノあひゃひゃひゃひゃ~イタコN氏が独り言のように呟く言葉にブリザード級のツッコミ入れつつ…お宿までの帰り道を楽しみました(大分酔ってるな~N氏酔うと面白さが二割増しになります) お宿でお二人に(私が買っておいた)カットパイナップルを分けて…またもやお洗濯して就寝翌日は最終日~(^O^)/さあ~棲息地へ帰るぞ~~
2008.10.03
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新宮に戻り車をお返しました。一日お世話になったナビ子さんとはここでお別れですありがとう~おかげで助かりました(玉置からの帰り道、指示に従わずにいたらしばらくすねたりしていたかわいいナビ子さんでありました)N氏はあまり別れを惜しむ風でもなく…(言葉ではいろいろ言っはおりましたが)…頭の中はもう次に向かっている様子クールですな~ 次は阿須賀神社へと向かいますメインイベントも終わり、温泉にも入り…三人とも心なしか足取りがのんびりになっておりまする《阿須賀神社》《主祭神》事解男命配祀神:熊野夫須美大神、家都美御子大神、熊野速玉大神合祀神:黄泉道守命、建角美命創建は第五代孝昭天皇の時代とされる。熊野発祥の地。後ろにある蓬莱山を御神体とし、徐福宮を持つ。 主祭神の『事解男命』は、伊弉諾が黄泉の国から逃げ帰り、唾を吐きそれを拭った時に生まれた悪縁消除の神といわれております。《死と縁を切る》神ですまた、ニギハヤヒの別名神という説もありますし、『江談抄』では皇大神宮と同体と記されております。ということは(籠神社の極秘伝によると)《豊受姫=国常立神=天御中主神=倉稲魂神》ですから…国常立尊でよろしいですわね(クナトの神の猿田彦さんにも繋がってゆきますな~)実際この時参拝してみた感じは、私は国常立さんでした 一緒に参拝しても受け取るものは人それぞれ…以前都内のある神社に友人と参拝した際、私は豊受さんと対話し、友人はスサノオさんと対話していたということがありました。あくまで私個人の現象なんだな~と認識するようになりました御祭神さまの中で『今の自分』と縁のある方とリンクするのでしょうね~ 熊野は古くから出雲人が入植した土地。出雲の方の熊野から来た人たちがそのまま《熊野》という地名を使ったのではないかとされています。そして…木の神様、五十猛命が妹の大屋津姫、つま津姫とともに全国に木を植えてまわった際の拠点が熊野であり…その《木の国》から後に《紀の国》と呼ばれるようになりました。五十猛命はこの時には参拝しませんでしたが、和歌山市の伊太き曾神社に祀られております。(高野山宝亀院にもあった木の化石が伊太き曾神社境内に埋まっているといわれております) 熊野三山は元もとは別々に崇拝されていたものらしく、三山が連帯する前には…新宮では《速玉神、夫須美神、国常立尊》が祀られていたのですが、後に国常立尊にかわり《家都美御子神》がセンターに来ることになったそうです。ゆえに《家都美御子神=国常立尊》であるともいう。《家都美御子神=大物主命》という説もあり、いろんなラインが交差しているように見えてなかなか興味深い地であります。余談ですが…熊野修験道の根本経典ともいえる『大峰縁起』では、《家都美御子神はインドの国王である慈悲大顕王で、速玉神はその王子、夫須美神は王女である》とされています。ほほほ…これだけごちゃごちゃしてくるとわからんちんになりそうですが…実はどれも同じことを言っているような気がするんですよね~《慈悲大顕王》…ぱっと浮かんだのはクリシュナでしたけどf^_^; 徐福に関しては(ここは)マユツバっぽいな~(笑)公園のお墓では…おや本当に徐福って来たのかも…と思いましたけど あれ~っと気付いた方はいらっしゃいますでしょうかこれだけしらみつぶしにまわっておきながら『熊野速玉大社』には参拝しなかったのですな~ぜだか~しらないけれど~三人とも参拝する気になれず…スルーf^_^;速玉よりも阿須賀の方が重要に感じたのでそちらに行ってしまいました。元宮の神倉神社と熊野でもっとも古いと言われる阿須賀神社、そして速玉大社の三社は、綺麗な二等辺三角形を形成しております。二点を決めたら最後の一点は自動的に定まりますからこれでよいのですよ~きっと(言い訳)さて次はこの日ラストの熊野川河口へと向かいますo(^-^)o
2008.10.02
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内容と写真があっておりませんがご容赦ください。左上…飛瀧神社右上…那智の滝左下…玉置神社右下…神代杉 車は《湯の峰温泉》目指し、くねくねとした細い山道を下ってゆきます。前のお二人はすでに《裸族》モードに突入し、ウキウキしておりまする前日…那智の弁天温泉でのこと…(那智湾を眺めながら歩いている時に聞いた話によると)『俺たち裸族1号&2号~隠すものなんて何もない』…と、裸体の二人は海の見える大浴場の窓辺に仁王立ちし、弁天島を眺めたとかなんとか…(¨;)あの~…前の海には確か家族づれが遊んでいたはずなんですが…f^_^;あの日、那智湾で遊んでいた皆様……すみませぬm(__)mその裸族たちがこれより湯の峰温泉に襲撃いたします…(^O^)/ お世話になったのは『小栗屋』さん。ちなみにここ、日帰り入浴はやってません(入浴は宿泊者のみ)しか~し、そこは裸族不可能を可能にしてしまう種族の男たちです(温泉に関してはとくに…)てっきり公衆浴場にゆくのだと思っておりましたところ…湯の峰温泉街に入ったN氏…目についた『小栗屋』の看板にひかれて駐車場にさっさと車を止め、どんどん入っていってしまいます…(O_O)あ、あの…こ、ここは日帰り入浴やってないんじゃ…。『大丈夫』力強く宣言し、旅館に入り交渉開始小栗判官と照手姫の伝説の話まで始める始末あはは女将によると…まだ宿泊客が入浴する前の時間で、ちょうど今お湯を入れている最中とのこと。それでもよければ…と、なんなく交渉成立~ひょえ~~(ノ゚O゚)ノ入る気満々の二人の迫力に押されたのかしらん私は入口でぽか~ん。二人の勢いについてゆけず、ちょっと取り残された感によりほうけてしまいましたが…私も早速女湯へ…浴場は結構狭いのですが、岩風呂の中にゆっくり入ってゆくと(女風呂はすでにお湯が満タンでした)肌に柔かく馴染んでお湯のあたりがとっても素敵~これまで入った温泉の中で1番かも湯の峰温泉バンザ~イ\^o^/お二人に感謝~(その裸族たちのはしゃぐ声が天井に反響して聞こえてまいります)ふと窓の外を見ると玉石を敷いた小さな日本庭園が見えます。いい風情~『このガラスは外からは中が見えないようになっております。安心してご入浴下さい』とのただし書きがありました。ふっふっふ…それをそのまま信じるほど佐依さんは甘くはないぞぇ~窓を開けてちょっと外に出てみました~(^O^)/見えるじゃね~かやっぱりな~えてしてこんなもんだ…。さて、たっぷりつかって十分楽しませていただきましたので私は先にあがらせていただきました。二人が上がるまでの間、館内を見てまわります。(まだお湯が少なかったのでたまるまで入ってたんですって)階段や二階の廊下には、びっしりと小栗判官と照手姫の物語絵が飾られておりました。なかなか見応えあり(史料として貴重なものもかなりありそう)熊野古道の中辺路は《小栗街道》とも呼ばれ、小栗判官と照手姫の道行の舞台です。(文楽や歌舞伎の題材にもなっております)この湯の峰温泉は小栗判官が蘇生した湯といわれ、その《つぼ湯》が人気の地。しばらくしてあがってきた二人にも二階の絵物語を見てもらいました女将によると、これらの絵はご主人が好きで集めたものとのこと。ご主人は小栗伝説研究家として有名な方なのだそうです。(なるほど…N氏の小栗話が有効だったのもこれでうなづける)そして、照手姫はなんと〇〇原出身〇〇原と湯の峰はその縁によりずっと交流があり、〇〇原市長もよくこの宿に泊まるとのこと…。ほえ~(゚▽゚)やっぱりご縁のあるお宿だったんだな~入口の色紙に《温泉コーヒー》と書かれているのが気になっておりましたので尋ねてみると…飲ませてくださるとのことo(^-^)o(有料です)宿泊客にはお部屋に運んでくださるものなのでしょうが、私たちには部屋がございません。そこで特別に私室に案内され、そこでいただくことになりました。私室に入ると待っていたのは巨大な《玉石社》のパネル写真これには仰天熊野周辺では、家庭に一枚玉石社の写真が飾ってあるのかしら玉石社の写真を眺めていろいろ考えているうちに…《温泉コーヒー》がお菓子付きで運ばれてまいりました(なんて親切~)早速いただきま~す(^O^)/湯上がりに温泉コーヒー~ぬふふお味は…コーヒーよりも温泉の方が強く、じんわりと身体に優しく染みてゆくような不思議な飲み物でありました。朝霧ようなの柔らかい味のコーヒー…てとこかな湯の峰温泉は飲用も勿論OKですので、私は浴場でも飲ませていただきました(^O^)/(コップがあったように記憶しています。違っていたらごめんなさい)はあ~いい温泉じゃった~大満足で女将にお礼を言って、小栗屋さんを後にしました。ちゃあんと素敵なところに導いて下さってるんですね~ここを選んで下さったN氏にも感謝(^O^)/《湯の峰温泉》は、なんと有馬や城崎を抜いて…近畿圏で第一位の人気を誇る温泉なんですって(某旅行雑誌の《好きな温泉ランキング近畿篇》より)入ってみて納得 ところで、真似して小栗屋さんに突撃しても、日帰り入浴できるかどうかは保証いたしかねますので…宿泊して下さいませm(__)m
2008.10.01
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『玉置神社については伏せておいた方がよいのでは…』と以前N氏よりやんわりと制止されてしまいましたが…(彼は十津川をこよなく愛し、玉置神社をとても大切に思っているようです)ん~私も迷いましたが、やっぱり書かせていただきます。玉置神社にご縁のない方がこの記事に引き付けられることはありませんし、うっかり覗いたとしても感じるものがなくす~っと離れて忘れてしまう…はず(と私は思っております)強力な天目一箇神さんもいらっしゃいますし、大丈夫~大丈夫どうしてもお会いしたい方がおりまして…それには書かないと…f^_^;(~N氏~すみませぬ)そのかわり玉石社の写真は伏せておきまする。 さてさて…登拝口には杖がたくさん用意されておりましたので、一本ずつお借りして登りました。(大峰奥駆道に行きかけてしまったのですが…なんでだろこれはまだ意味がわかりませぬ。んもしかして意味なんてないのかも…)距離はたいしたことないのですが、意外にハード道ずるずる滑るし…。玉石社に到着~(途中から鈴の音がしていたような~)着いた途端、蝿やあぶがどわっと纏わり付いてきました~うわ~これは…連れて来た方たちですね(N氏にあぶが数匹、私の方に蝿が数十匹ブンブンしてました刺されることはなかったのですが…)はいはい、念願叶ってよかったね~嬉しいのはわかりますが…皆さん、喜ぶより先に一緒に参拝ですよ~ということでまずはN氏が大祓詞を奏上~すると…玉石に、ある文字が浮かび上がってまいりました。次に私が龍神祝詞を奏上させていただきますと、柔らかな風がわき起こり、玉石には綺麗な模様が浮かびあがりました今度はN氏が…『十種あげたくなってきた~』と十種神宝祓詞を奏上。私は持参した桃色の扇子で玉石を扇いだり覗きこんだり…(J氏はきっちり要のポジションをキープ)するとまたまた違う紋様がくっきりと…ほほほ…思った通り、ここはうにゃにゃにゃにゃ~ですな(もっといろいろできるけど、今はこの程度に押さえてるんだろうな)扱う人の現状によって機能に変動がありそうですし…受け止め方は人それぞれかも音や光や物質として己を象徴するものを受け取る方もいらっしゃるのでしょうね三角ポジションで思う存分楽しんだところで、山頂へ向かいます玉置神社の境内の中で私がもっとも心地よく感じたのがこの山頂の空間でした清らかで大きな、聖なる館の中にいる気分悠久を感じる空間。お地蔵様の前にあった平和の鐘をガンガン鳴らす二人におののいて止めてしまいましたが…f^_^;(鐘は余韻が消えるまで待ってから鳴らすべし…火事を報せる半鐘と間違えないように…というちっこい頃にインプットされた教えがきっちり染み込んでいる自分を発見してびっくりしましたよく考えたら今はどこにも半鐘なんてないから大丈夫なんですよね~)しばらく山頂の心地よい風情を楽しんで、下山です。蝿やあぶたちは山頂までは杖に止まってついてきましたが、下山の時にはどこかへ消えておりました。下の境内に戻り、池のそばの大社社、三柱神社にも参拝させていただきました。これでひととおり参拝がおわりました~ 社務所に上がらせていただくと…おおっとお茶セット発見わたくし…内部拝観は後にして、先にお茶にいたしとうございます~そこへ…先に拝観していたグループの中の一人が、こちらをみとめ眩しそうに歩いていらっしゃいましたみんなで楽しいティータイムの始まりです関東からいらした方たちのようです。年齢もばらばら…男性一人に後は女性たちそれぞれ個性的でなかなかの存在ですそこへ居あわせた男性(祈祷申し込みをされているようでした)も交え、和やかな情報交換が始まりました会話の内容よりも…全員の魂がここで会えたことを喜んでいるように金色に輝いています。天川からまわって来たという彼らにN氏が玉石社へと登ってゆくように薦めております『これで終わりだと思って帰ろうとしていました』と先にこちらをみとめた、満開の花のような女性がうっとりした声で話すと、年かさの磨き抜かれた女性が…『昔の私がそうだった…どこへ行っても本殿だけ参拝して終わってた…』と語りました。私は隣にいらしたクリアーな男性に(髪を一つに結わえておりました)地図を使って玉石社を説明。互いの魂の持つ音色が素敵な調和のハーモニーを奏で…それが心地よくってふわ~っと場が盛り上がってしまい笑い声が生まれました何事…と思った神職さんが途中覗きにいらっしゃいました…(おお~天岩戸のお話のようなシチュエーションです)きっとまたどこかでお会いできるはず、と思っているのですが…もしかしてあの時(2007/8/18)玉置神社でご一緒した方がいらっしゃいましたらご連絡くださいませm(__)m特に最初にいらした方にはぜひもう一度お会いいたしとうございます さて、お茶もすっかり飲み終わりましたので、彼らとは別れて内部の拝観にまわりました。いろいろ貴重なものを拝見させていただきました。写真…玉置神社で出会った明治天皇の書。多分(署名は)直筆。うおお~~こんなところで睦仁くん(こらこら陛下とお呼びなされ)前にぺたんと座ってしばらく眺めてしまいました。なぜここにあるのじゃろ熊野三山は玉置の結界で堤防の役割ですし、熊野詣での天皇上皇方が数十回にわたる行幸に求めた霊的な力の源泉は玉置にあるとみた方がよいよな~てことは《上品の者の願いを助ける》と言われる熊野三社の機能は…うにゃうにゃ…きっとこれは明治天皇がここの神様に納めた願文なのだろな~《みんな仲良く暮らせる国に》すばらしい~ちょっと感動してしまいました(でもな~明治天皇家は…家族仲良く信頼しあっていたかしら自分にできてないことを国民に求められてもな~f^_^;)襖絵や弁財天さんを拝見し…さて、帰りますよ~無事完了しましたし、もうルンタッタ気分全開で、扇子振り回しながら帰り道を進みます行きとは別ルートを使い、途中白山社にも参拝しました(卵があがってました)初回参拝時になぜか氏子さんの車に拾われ、一緒に例祭に参加してしまったN氏は…「あの時はここまで車で来た」などなどいろいろ思い出話をしながら歩いておりますが…私はあちこちの木々や磐に手を振ったり扇振ったりしてルンタッタ(聞いちゃいね~)途中で出会った、これまたピカピカした男性が…『〇〇原ナンバーの車の方ですか~』と嬉しげに話しかけてきました(その方は三重からいらしたそうですが)ははは…〇〇原N&J氏ゆかりの地…(私たちはレンタカーで来ましたので本当は違うのですが)う~ん…熊野と〇〇原は縁が深いのかもそれにしてもさすが玉置どこでお会いする方も目を見張るほど素晴らしい~出会う人がみ~んな大粒揃いで嬉しくなっちゃいましたo(^-^)o(…と思ったら…Oさんが参拝した日に出会ったのはそんなことなかったらしい日によって集う人も変わるのかしら)できれば玉置神社から大峰山の奥駆道を逆峰でまわりたいところですが…山上ケ岳は女人禁制ですので私には無理です。そちらは連綿と修業を紡ぎ続ける、志高き世の男性諸氏にお任せいたしとう存じまするm(__)m
2008.09.30
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運転席はN氏。助手席はJ氏。私は後部座席の中央に鎮座ましまして…いざ十津川へ出発~(十津川村へはすぐ入っちゃうのですが、なにしろ日本で一番でかい村ですから…)この日の出で立ちは全員『白』朝、出発の準備を終えてドアを開け、顔を合わせた瞬間嬉しくなって笑い出してしまいました今回の旅のメインは玉置さんでしたので、敬意を表しこの日は白のカーディガンで上がることに決めてあったのですが…何の打ち合わせもしていなかったにもかかわらず、同じ思いからN氏も白いシャツで現れ…J氏も偶然…白この瞬間…やっぱりJ氏と一緒に来れてよかったよ~神様ありがとう(ノ_・。)…と無茶苦茶感激してしまいました 《N氏を先頭に杉木立の中を歩く自分…そして後ろにもう一人…三人で玉置をゆく》というビジョンを私は見ており、N氏も『玉置は三人でゆくのがよい』と考え…もうひとりは誰だろうこの人かなあの人かなと一年前から探しておりました。候補者は…上に弾かれたり予定があわなかったりでなかなか決まらず…その後Oさんと出会い、玉置に一緒に行くのはこの人かなとOさんの上に尋ねてみましたところ…『違う…行くけど一人で行くことになっている』とのこと。春になっても三人目が決まらず…もうしかたない、私が二人分頑張ればいいやと腹をくくったところ…思わぬ方面よりJ氏が登場~J氏は…最近神社仏閣に興味がわいたというピュアな方。願ってもないこれで三人揃ったぞ~o(^-^o)(o^-^)oあ~人間様があれこれ考えるより、ずっとよい形で上が用意してくれているのですね~感謝~ 深い谷川を眼下に見下ろし、くねくねとした道をずんずん進んでゆきます。るんるんるん何度も来ているN氏いわく…玉置は行きたくて行ける場所ではない。先方に呼ばれていない者は何度トライしても道に迷ってしまったり突発的ななにかが起きて辿り着くことができない。また、一緒に行ったり出会ったりする人々には意味がある。とのこと。ふうん…(¨;)私は、「行きたい」とも「行かなきゃ」とも感じなかったんですが…f^_^;『あ~行くのね、了解』という軽~いノリでありました~なんとな~く、素敵な出会いが玉置神社で待っているような気がしておりまして…ワクワク((o(^-^)o)) 車内では、N氏とナビ子さんとの愛の劇場が始まっておりましたカーナビが何かしゃべる度にN氏がつっこむんです「ナビ子さんありがとう~」とかいろいろと…。いや…しゃべんなくてもN氏は語りかけてたな~そこへJ氏の合いの手が入ったりして…後ろで聞いていると面白いのなんの素っ気ないお仕事モードのナビ子さんをからかってるようでもあり、時に口説いてるようでもあり…くくく…爆笑しているうちに十津川村中心部に到着橋を渡り山道へと入ります。途中道路工事をしているところを抜けると、予想どおり天目一箇神さんが…いらっしゃいました山の神、火の神、製鉄の神であり台風の神でもあるという。社がある訳ではなさそうですが、この山をテリトリーにしている模様。お呼びでないものが入ってこないように守っているのはこの方なんだろうな~そうこうしているうちに玉置神社駐車場に到着予定より大分早く着きましたのでゆっくりできますな~三人で山道をさくさく進みます。しばらくゆくと本殿に到着しました。『普通』の印象の地です。これは決して悪い意味ではなく、自分とこの地のトーンに差がないので楽~馴染む~ってことです玉置神社は大塔宮にも縁が深く、玉置庄司を下した宮は玉置山に登り、暫く滞在しています。その後、十津川の黒木御所にて潜伏。吉野山にて旗揚げとなります。まあそれはともかく…とりあえず本殿にご挨拶~だあれもいない左にN氏、右に私、そして真ん中後ろにJ氏が立ちます。ちょうど三角形(こうしようと決めた訳でもないのにどこに行ってもこのパターンになってました)N氏の祝詞奏上が終わり、〆の拝をしたところで、次の参拝者たちが鳥居をくぐり登場いたしました。う~ん、うまく組まれてますな~若宮、神武社、大日社、和泉式部供養塔、後白河天皇塔などを一つずつまわります。この旅の前に義経関連を片付けに東北を巡ってきたN氏は、後白河さんの前でなにやら呟いておりましたが…夫婦杉、神代杉…とまわってちょっくらお茶して…さて、いよいよお楽しみの玉石社に向かいますo(^-^)oルンルン~ルン
2008.09.30
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熊野本宮へと向かいます。駐車場に車を入れようとすると…ん小さな社の周辺のスペースがぽっかりと空いておりました。奥はほぼ満車。なのに手前のここが何故空いてるんだとりあえず空いているのでそこに駐車し、社のいわれを読んでみると…《昔むかし…熊本から剣山を経て熊野を目指したメンバーが玉置山への到達を果たせず、志半ばでこの地で果ててしまった。その者たちをここに祀る…》てなことが書かれておりました…f^_^;あはは…熊本ですか~わたくし熊本とはおもいっきり縁が深いのですが…(しかもこのかたがたは江戸時代か~子孫もいるのかも)剣山はね~…熊野の後はどこ登ろうかな~と考えてたら出てきたのが『剣山』でしたな~。そっか~そんじゃあしょうがないなお社が、まるで待ってたかのようにピカピカにこにこして見えたのはそういうことでしたか…。(また増えたよ…どうするべ…熊野玉置は最初はN氏に連れられて登る~というビジョンがこの一年前に鮮やかに浮かんできたのですが…こういうことだったのね一人だとハードだったろうな~切り込み&牽引隊長のN氏に感謝m(__)m) さてさて、熊野本宮に参拝一つずつまわります。結婚式にも遭遇~ほほほ…こういうハレの場に行き会うとうれしいですな~境内は人々が犇めきあっておりました。やっぱり人気なのね~本宮参拝はサクッと済ませ、期待大の大斎原へと歩いて向かいます。(本宮はとっても素敵な祝福の空間でした)神社本殿参拝は、玄関開けてちょっとお話したような気分で終わるのですが、元宮に行くとお家の中まで入れていただいて仲良く遊んだような満たされた気持ちになります。写真…大斎原(おおゆのはら)前の熊野川の河原。元社地である大斎原では現在も神事が行われているとのこと。昔は船に乗って川から境内に入り、参拝したのだそうな多くの方がきちんと大斎原にもまわって参拝されておりました。サンクチュアリという言葉がぴったりの素敵な空間です。河原に出て、水に足を浸し、しばらく遊びました。羽根を広げると瑠璃色になる綺麗なバッタがおりました。N氏が以前来た時にはオオルリが鳴いていたのだとか さて、これからこの熊野川沿いの道を遡り、熊野三社の総奥の院《玉置神社》へと向かいます。春あたりから玉置に先行(里帰り)させておいた龍さんと大斎原で再会…合流し、いざ出発~
2008.09.28
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翌朝~またもや2時間以上早く起こされてしまい、目はぱっちり……やでやで。日が昇ってまいりましたのでカーテンをジャーッと開けてみると、目の前にでーんと現れ出でましたるものは…『玉置病院』ウワッハッハそう来たかひょいと窓から顔を出してみれば、左手には神倉神社のゴトビキ岩が朝の光を受けて燦然と輝いています。なんだかできすぎのようなお宿ですな~よっこいしょっとさて、この分では本日も晴天に恵まれ過ぎること間違いなし…暇ですので下におりていってみると、ロビーのテレビがすでについておりました長瀞のラフティング中継を眺めてしばらく涼ませていただき、レストランが開く時間がやって参りましたのでそちらへ移動。パンとサラダとハムとココットのプレートを受け取り席につき、コーヒーを一口啜ったところで思い出したあ~~~(☆_☆)しまった今日も消火器集合だった~(また三人の部屋から出てすぐのポジションに消火器を発見し、爆笑の末ここでも集合場所に即決定)そしてみんなで朝ごはんに下りてゆく予定でした時間を見たら5分過ぎてる~ダッシュで階段を一段抜かしで駆け上がり、五階の廊下に到着するとお二方が待っておりましたm(__)m失礼いたしました…うっかり集合抜かして先に朝ごはんにありついてしまいましたポカポカ さて、腹ごしらえも済みましたので神倉神社に向かいます。荒々しい岩でワイルドに組み上げられた石段を登ります。《神倉神社》ここは熊野の元となった神社。古代より神聖な磐坐として崇拝されてきた場所。神武天皇が熊野で毒気にあたり窮地に陥った際、建御雷之男神が布都御魂剣を高倉下に下ろしたとされる場所。538段の石段は源頼朝寄進のもので、祭の時には松明を持った人々がここを駆け下ります。 ひょえ~これ駆け下りるんですかえ~もうそれだけでここの氏子の皆様を尊敬してしまいます。山頂の社殿と磐坐に到着三人で参拝う~んここは閉じてるな~。熊野巡りを決めてすぐの頃に高皇産霊神社に参拝した際、一緒に熊野の神様方がいらっしゃっていたのですが…何故か皆様しょんぼりしたような風情でありましてその時は不思議でたまりませんでした…現地に来てみれば非常に納得なるほど。回路が上手く繋がらなくなっている様子。う~む。ま、やれるだけやりますかおかしいな~一年前にはばっちり機能していた場所だったはずなんだけどな~それともそう感じるのは私だけなのかしらん人と場との縁によって現れるものは違いますので…私にとってこの空間が《閉じている》がゆえに『開きに来た』と認識する方がよろしいよな自分の活動がこの世界によい影響を与えることができると思い込むことは…それは誰にとっても真実ではあるのですが…自分が特別な存在であるという自己神格化への落とし穴も待ち受けています。他者を敬い尊重することを欠くと落とし穴にドボンすること請け合いだ~気をつけなくちゃ私は一介の凡人~凡人~多くの偉大なる先達と縁あるすべての人々に尊敬と感謝を~神倉神社参拝中…ともするとうなぎ登りに上昇するとてつもない思い上がりを、猛烈に自己反省しておりましたf^_^;N氏はN氏のやり方で、J氏はJ氏のやり方で…それぞれこの空間ですべきことをしております。なんの為に来たのか、なにを観じたか、いちいち確認する必要もなく、ただそれぞれのやり方で楽しく参拝できるメンバーで来れたことに深い有り難さを感じました。互いのメソッドを尊重しあえる相手との行動は楽~清々しいまでの自由を感じます。参拝を終えて山頂からの下界の景色を楽しんだり、ゴトビキ岩におさわりしたりしていざ下山。いや~ん…降りれません足が動かないよ~o(><)oなぜじゃ~ぺたんと座り込んでずるずる下りる…マヌケな女が神倉山に出現あまりのヘタレっぷりでN氏を笑かし喜ばせてしまいましたf^_^;もうこうなったら…猿になってやる~石段を下りるのはやめて、木々の間を滑り下りてゆくことにいたしました。おお~こりゃまた楽しいしかも楽チン途中で休憩していると、朝の参拝に来たらしき地元の子供たちとおじいさんが登ってきました。子供たちはおじいさんを追い抜き、元気いっぱいに駆け上がってきますおじいさんも下から元気いっぱいに怒鳴ってます…『コラア~少しは老人を労らんかい』いたわられる程のよぼよぼには見えませんが…f^_^;その前は子供と競争してたしこんなにちっこい頃から毎朝駆け上がってたらさすがに慣れるんだろうな~ 次はまた徐福公園に寄りました。ショップが開いておりましたので、特製の不老長寿のお茶(ペットボトル)を購入し、本宮へと出発です(^O^)/この日はレンタカーでまわります
2008.09.27
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いまさらですが…これは去年夏にまわった紀伊半島一周の旅のお話です。 写真左下…もう一枚出てきた虹の写真やはり紀伊半島南端の串本あたりのようですね。 電車の中ではかわいい親子に出会いましたマルコメくんのようなキュートな男の子が車内をあちこち歩きまわって乗客におあいそしてくれて、ほっこりしました子供って不思議な力を持っていますよね~暑くてうだ~っとしてたのに、その子が来てくれて、笑いかけてくれただけで元気が出ちゃいましたその子のお母さんがこれまたキュートで…ほっこりはあ~ええもん見せてもらった~ 紀伊勝浦に到着バスで那智の滝に向かいます那智の滝は、父と母が新婚旅行で行けなかった場所(二人の新婚旅行は伊勢と京都奈良)代わりにわたくしが来てしまいましたf^_^;(父母様は今でも毎年二人でラブラブ旅行に行ってますし、そのうち那智にも行くことになるのでしょう)那智の滝の写真もあるのですが何故か単体でのアップができませんので、みなさまの想像力で補って下さいませ那智の滝に着いてまず感じたのが…あちゃー失敗した~(>_<)というそこはかとない後悔の念。これまで必要と思われるクライアントさんたちにアドバイスし、何人も熊野三社詣でに送り出してきましたが…あ~これなら別のところをオススメした方がよかったなあ~と…(いくつかリストアップした中で熊野を選んだのは本人たちですからしかたないけれど)実際現地に来てみないとわからないものだ…。聖域としては確かに一級品の場所なのですが…この時は巨大な水晶のようなものに閉じ込められており、それを外から眺めているような妙な印象でした。一言で言うと…『ずれている』世界遺産登録で観光客がどっと押し寄せているせいではないような…。う~む。でも閉じちゃってる訳ではないので大丈夫かな…さてさてo(^-^)o(今はまた違うモードになってるのかしらそうだといいな)飛瀧神社に参拝長寿の水もいただいて(お皿もいただいてきました)観瀑台に昇りました。観瀑台ではゆ~らゆらお~キタキタ(気のせいかと思ったらJ氏も感じたというので物理的にも揺れたのでしょう)飛沫がわんさか飛んできました次に青岸渡寺に向かいます。那智黒~欲しい~~でも我慢我慢f^_^;やっとこさで階段を登りきり、如意輪観音様にご挨拶お坊様たちがとっても親切でしたそして隣の熊野那智大社にまわりました。元気な男性陣たちはサクサク参拝を終えて先へ進んでゆきまする。私は南朝やら縁のいろいろをいっぱい連れてあがったゆえか、思うように進めずゆっくり参拝。元気な彼らには先に行ってもらって一人境内でのんびりそのおかげで巫女舞を見ることができました(女は女同士ってことかしら)鈴の音も神々しく、ゆるやかに舞う巫女さんの眼…夫須美さんの眼…としばし合ってしまい、すう~っと…写真左上…熊野那智大社境内巫女さんが走ってます(#^.^#)右下…舞の前に祝詞を奏上する神職さんと、その後ろで平伏する巫女さん。この後舞って下さいました右上…熊野那智大社の光夫須美さんは引っ込みじあんですから出てこないだろうな~と思っておりましたので、那智でのいろいろにかなり感激してしまいましたあ~あの鈴欲しい~いい音じゃ~ 心配して途中までお迎えに来て下さったJ氏と共にバス停まで歩き、バスに乗ってみんなで紀伊勝浦に戻ります遅めの昼ご飯を軽く入れて…(あれ参拝の前にご飯だったかしら)…海の見える温泉へ下調べなしで適当に歩いて行き、辿り着いたホテルに入り、聞いてみたら…日帰り入浴OK~…でしたラッキーなかなかよいお湯でございましたが…私は湯あたりしてしまい、早めにあがってロビーでぼけら~っとしておりましたら…ピンポンパンのお兄さんのようなさわやか青年が踊るように軽やかな足取りで温泉入口方面からやってきました。よく見ると…J氏別人のように輝いておりますすっかりこの温泉が気に入ったので、パンフレットを貰いに来たのだとかハハハ熊野の温泉はJ氏によく効くようだそれからまたしばらくして上がってきた二人とともに那智湾を眺めながら歩きました。ほんと…水が綺麗です海の底までくっきりと見えるすばらしい透明度白浜、勝浦などの地名は房州にもあります。その昔、黒潮に乗って紀伊半島から房州に渡ってきた人々が故郷と同じ地名をつけたのだとか。同じ血が流れているのでしょうね~やはり親しみのわいてくる人々の暮らしぶりでした房州には『那智』という地名はありませんが、『那古』という地区があります。那古にも行基菩薩や慈覚大師が整えた古寺《那古寺》があり、観音浄土と讃えられています。繋がりがやはりあるのかも 紀伊勝浦から電車に乗ってこの日の宿の待つ新宮へと向かいました。新宮へ降り立ち、N氏お勧めの徐福公園に立ち寄ることに閉門時間を過ぎていたのですが、公園の方の好意で参拝させてもらうことができましたo(^-^)o徐福の墓参りを終えて、次は神倉神社へ向かいます。すでに日は沈み、街は夜。神倉神社下から遥拝し、お宿へ…いやあ~お宿の近くにあった熊野牛の焼肉屋さんがびっくりするほど美味しくて(しかも安い)大満足o(^-^)oビールで乾杯してこの日も大層盛り上がりました~\^o^/さあて、翌日はメインイベントが待っておりますのでそこそこで切り上げて、また洗濯して干してバタンキュー夢も見ませんでした(^^ゞ
2008.09.26
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ぱちっと目覚め、時計を見ると…『3:00』コラ~二時間も早いじゃろうが~~んが~~誰じゃ~こんなに早~く起こしたのはしかし…もはや二度寝する気にもなれず(疲れはすっかり取れてるし、頭は起きた途端に冴えちゃったし)そこで朝のお散歩に出かけることにいたしましたN&J氏も誘おうかな~と一瞬迷いましたが…ぐっすり寝てるの起こしたら悪いしな~…と一人で行くことにフロントへおりてゆくと、なんとホテルにはレンタサイクルがあるとのこと(50円で一日乗り放題)わ~い(^O^)/あ…でも二台しかないわそっか…一人で行くので正解かなまいいかお借りしてゆきま~す紀ノ川で西行気分に浸るつもりでしたが…なぜかホテルの方が力強く和歌山城を薦めて下さいますので、一応行ってみることにチャリチャリチャリ朝の街は気持ちいいな~写真左二枚…朝の和歌山城和歌山城は大きな公園です。朝早くからアクティブシニアが集い、体操したりジョギングしたり、おしゃべりしたり…いいなあ~こういうのみなさん朝から元気いっぱいですo(^-^)o自転車を置いて、石段をすたすた登り、天守閣へと向かいます。う~ん……この柔らかくも懐かしい、不思議な感じはなんでしょうか和歌山城の空間に全く抵抗感がありません。信じられない程しっくり馴染んでしまいます。生まれ育った空間より落ち着くってど~ゆうことかしらしばらく天守閣前広場のベンチに座り、城の佇いと明けゆく空のグラデーションを楽しみました龍さんの雲もいっぱい。公園内にある動物園もひととおり巡り、英霊を祀る立派な神社も発見しじっくりと参拝。その後、紀ノ川にも足を伸ばしてみましたが…思ったほどの感動はなかったな~和歌山城をオススメして下さったフロントの方に大感謝 お宿に戻り、シャワーを浴びて支度を済ませ…時間ピッタリに消火器に…タッチ前日、三人の部屋の前の廊下に『消火器』があるのを見てN氏が「明日の朝は、消火器集合~」と言い出しまして…消火器前に来て、タッチすることに決定…(別に意味なんてありません…なにしろ全員酔っ払いでしたから)そして時間ピッタリにドアを開けると…そこにはすでに消火器にタッチしている前屈姿勢のN氏がおりました数秒遅れてJ氏も無事タッチこれで全員集合いざ出発~あはははは…和歌山城に行ってきた旨を報告すると…J氏はとっても行きたかったようでしたう~ん、やっぱり誘った方がよかったのかしらん この旅は三人でまわっておりますが…目的はそれぞれ別。旅程も、和歌山~新宮の区間は、どうしても田辺に寄る必要を感じ、私は別行動し、二人とは新宮で再度落ち合う予定を立てておりました急遽お二人のがこちらのハードスケジュールパターンに合わせて下さることになり…感謝m(__)m さて、その田辺は弁慶の出身地です。乗り換えまでの40分間で廻れるかぎり行きますぞ~駅前の観光案内所に飛び込み、田辺の地図をいただきに行くと…案内所の方がいろいろとよい情報を教えて下さいましたうひょ~いいこと聞いたいざダッシュまずは《闘鶏神社》へと向かいます《闘鶏神社》創建は五世紀初め。熊野三山(本宮、速玉、那智)を祀る三山の別宮的存在であり、熊野参詣の上皇、天皇、女院、公卿らは必ずこの宮に参篭したとされている重要な神社です。 結論から先に言ってしまうと、熊野三社よりもこの《闘鶏神社》の方が神社としてしっかり機能しておりましたくっきりクリアーでパワフル何かを求めて熊野詣でをする方は熊野三社に行くならば闘鶏神社にも寄った方がよいのではないかと境内には弁慶と父である熊野別当の湛増の像がありました二人ともかなりの男前教えていただいた建物に入り、電気をパチッと点けますと…あった~義経奉納の《白龍笛》これに会う為に田辺に来たようなもの\^o^/海まで結構距離がありますが…弁慶産湯の井戸や義経が壇ノ浦へと船団を率いて出発した浜があるとのことで、頑張って行ってみることにしましたo(^-^)o右下…扇ケ浜義経と弁慶が熊野水軍を率いて出陣した浜。美しい砂浜です海の水に触れようと、波打ち際に近寄ると…『津波が来るので海に入れません』と監視員のおじさんに止められましたおよよチリで大きな地震があったのだとか…。ふうん。砂浜を楽しんで、ちょっぴり海の水を触って…うおお気がつけば時間が迫っております走れ~~~急げ急げ~途中コンビニでかちわり買って、走って走って…ぎりぎりセーフで電車に飛び込みましたしっかり座れたし、あ~よかった ガッタン…ゴットン…電車は海岸線に沿って進んでゆきます。はあ~~~暑いのなんの……しばし口もきけないゾーンに突入。走った疲れもありますが…どんどん気温が上がり続けてゆきます冷房ガンガン効かせているはずの車内ですら殺人的な暑さになってきました~ほんじゃあ外の風に当たろうかと停車駅でホームに出てみれば…ギョエェェ~~焦げそうなぶっとい熱光線がどんと降ってきて、慌てて車内に逃げ込む始末かちわりくんは…頭の上やおでこやうなじに当てられ、アイスノンになりました 写真右上…車窓からみた横に伸びる虹確か串本あたりだったと思います。綺麗な虹。
2008.09.26
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橋本でJRに乗り換えて和歌山駅へ到着今夜のお宿のある『和歌山市駅』への乗り継ぎに時間がかかるとのことでバスで向かうことにしました。和歌山は身障者や弱者に優しい街のように感じました。バリアフリーの街づくりに力を入れているのかしら全盲の方が杖をほとんど使わず駅前をスタスタ歩いている姿に感動~バスの車内には筆談用のペンとメモがあったり…あちこちにさりげない優しさを感じた街でした。和歌山市駅に降り立ち、近くにあるお宿にチェックイン。荷物を置いて、すぐに三人でまた電車に乗って出かけました。夕焼けに染まる紀ノ川を越えてゆきます。ガッタン、ゴットン。向かうは淡島本日のもうひとつの目的地です。南海加太淡島駅を降り立った頃には日もとっぷりと暮れ、あたりはすっかり闇に沈んでおりました。曲がりくねった住宅街の道をようやく抜けて海へと出ました。おや何かへんだぞあの島はなんだアハハ…道間違えちゃったようですf^_^;この遠回りにもきっとなにかの意味があるのかもなザザ…ザザザ…。闇の中からゆったりと打ち寄せる波が聞こえています。そして道はそこで二手に分かれておりました。N氏は右を主張し、私は左を…。協議の末…三人で左のルートを取り、急ぎました後で分かったことですが…右へ行くと《友ケ島》(加太淡島神社の元宮)により近づき、左へ行くと《加太淡島神社》へと到着する道…つまりどっちも正解でした~結局このまわり道は、元宮の《友ケ島》に呼ばれちゃったのだ…と旅の後に判明しました。(N氏も私も…神社本殿よりも奥の院や元宮、神木や磐坐などの方に強く引き付けられる傾向がありますので…思えば友ケ島遥拝ルートになるのも当然のことでした)暗闇の中、マリーナの向こうに浮かび上がる一つの島影がとてもゆかしくて、何度も振り返り…思わず手まで振ってしまいましたなぁ~夜の海岸通りを加太淡島神社目指し、ひたすら走ります車じゃないよ足でだよスタタタタ………N氏がもう止まりませんf^_^;J氏も私も頑張ってついてゆこうと走りますが、羽根の生えたように軽やかに走ってゆく彼に追い付くのは至難の技。走っている理由は…《早く神社に参拝したくてたまらない♪》からなのですf^_^;嬉しくって楽しくってしかたない気持ちが高じて走ってしまうのです笑いながら走って走って、時々休んで、また走って…そんなこんなで無事加太淡島神社に到着~\^o^/と思ったら…門が閉まっておりまする~(-.-;)うにゅにゅ~夜は9:30まで大丈夫と聞いていたのですが、残念ながらこの日は8:00には参拝終了となっていた模様。門には鍵がかかっておりました。門の上にはご丁寧にも鉄条網まで張られておりました。(チッ!こっちの考えなんて御見通しなのね)門の前で暗闇の境内に向って柏手を打ち、三人で参拝しました。その途端、ボワッと温かい空気の塊が飛んで来て下さいました。境内にも入らずに暗闇の中で参拝したにもかかわらず、何故かここはこれで良いのだ~という気持ちがわいてきました《加太淡島神社》《御祭神》正殿:少彦名命相殿(左方):月読命、大己貴命 (右方):気長足姫命神功皇后ゆかりの神社です。創建は三世紀で神功皇后の時代です。元は『友ケ島』にあったものを応神天皇が現在地に移したといわれています。祭神は《粟島大明神》とも称される、女性の身体の護り神です。主祭神の《少彦名命》は人のケカレを吸い取り流す《人形》の霊力を神格化したものという説もあります。人形供養の聖地として知られ、そしてここは『雛まつりの発祥の地』でもあります。三月三日には船に積んだ雛人形を海に流す『雛流し神事』が行われています。雛人形の『お内裏様』は少彦名命、『お雛様』は気長足姫命(神功皇后)…とも言われています。ここには、大塔宮が奉納した太刀や武具があり宝物となっています。(十津川潜伏の前に参拝し奉納したものと思われます)主祭神の少彦名命は、大国主命とコンビを組んで国造りの大事業を成し遂げた後…最後にここ淡島で、粟の茎にはじかれて常世の国に帰ったといわれています。ここの正式な神事は明かり一つない闇の中で行われているのだそうです。 本日の予定がこれにて無事終了しましたので、和歌山市へと戻りました。さあ~宴会だぁ~J氏…大丈夫かな~?初日から…予定変更だらけでしたし、迷うは走るは、揚句の果てに時間外、全く意味の解らない闇の参拝に付き合わされちゃって、同行したことをいきなり後悔してないかしら?と心配だったのですが…心配は無用でありましたp(^^)qさすがこの旅に天が配剤して下さった人物大物です!すでに和歌山ラーメンに夢中確かに和歌山ラーメンは旨い~~\^o^/お宿に戻り、翌朝の集合時間と場所を確認し(〇時に消火器集合)各々の部屋に分かれてゆきました♪お部屋でまずとりかかったのは…お洗濯~~♪(吉野でもお宿に着いたらその日に着ていたものをお洗濯いたしました)一週間にわたる紀伊半島一周の旅に持っていった衣類はなんと…二日分!ボトムは一本のみで着替えなしでしたので、これも毎晩洗濯~聖地巡りの際にはリュックサック一つで済ませ、余計なものは一切持って行かないの♪(巡礼スタイルです)《旅先でのお洗濯の智恵》洗った衣類をバスタオルの上に並べ、はじからくるくるとすまきのように巻いてゆきます。そして今度は麦踏みのように、洗濯物を巻き込んだタオルをギュッギュッと足で踏みます。これでかなり脱水が完了します。後はクーラーやヒーターの近くに一晩干しておけばOK♪(これは国際線のスチュワーデスさんから教わった、旅の荷物を減らす智恵です)ちなみにN氏はきちんと小分けにされた洗剤を持参していた模様。(男の子ってこういうとこきちんとしていて偉いな~)私は…ホテル備え付けのシャンプーリンスを洗剤&柔軟剤にしてました。乾かない時にはドライヤ~でウイイ~ンズボンプレッサーがあるお宿の時には楽チンです。和歌山市でお世話になったホテルは素晴らしく…館内にコインランドリーもありましたが、私は自分の手でガシガシ。日付変わってようやく洗濯と荷物整理を終えました。ふう~~(^O^)翌朝早く出発の予定でしたので、『5時に起こしてね~』とお願いし(誰に?)するりとベッドに潜り込みました。(∪o∪)。。。
2008.09.26
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去年夏にまわった紀伊半島一周の旅のつづき 写真左上…夜の蔵王堂前。右側から瑠璃色のもやもやが…これは秘仏の金剛蔵王権現さんの色です。右側は千手観音さんのポジション。この時は千手観音さんの気配が非常に濃い吉野山でありました。 お誘いいただいたこともあって、翌朝下山前にもう一度善福寺さんに寄らせていただきました。その時間は用事があり居ない…とおっしゃっていた院主さんがなんといらっしゃるじゃありませんか車が急に壊れて動けなくなったとか…はひゃ~尼さまが入れて下さった美味しい珈琲をいただきながらまたもやいろいろお話を伺いました。それにしても善福寺でいただくものはなんであれびっくりするくらい美味しい西瓜もほっぺが落ちそうな甘さでしたし、この珈琲はまさに寛ぎを生み出す魔法の一杯という感じの甘露でありました水がよいからなのかなぁ~高野山で結縁灌頂を受けさせていただいた話をした際、院主さんは両薬指の光の輪を見ていたような気がしたのですが…気のせいかしらf^_^;話の途中、阿字がハートの中に飛び込んで来た時もそれを追っていたような…。他にもいろいろと…《さすがに高野山真言宗のお坊さま~》…と感じれところがあり、すっかり感服…ふと天海さんの話が出てきました。善福寺を作ったのは徳川幕府草創期を霊的に支えた天海さんなのだそうで、日光には善福寺から持っていったものがたくさんあるのだとか…………。(☆_☆)うひゃ~きたぞ天海だからこんなに善福寺にひっぱられちょるのかい(注:この年は六月に日光に行っていろいろしてきたばかりのこと…詳しくは《'07,あらたうと青葉若葉の日光めぐり》参照)さて、時間も押していることですし、善福寺を辞してN&J氏と合流すべく高野山へと向かいますo(^-^)o 先行する彼らを追い掛ける形で奥の院に突撃持参した写経を奉納し、私は一気に壇上伽藍に向かい、大塔にて瞑想しつつ到着を待ちました彼らはあちこちまわってくるようです塔内では外国の方も瞑想しておられましたこの空間大好きなので、のんびり楽しむ時間が持てて嬉しいこと。光明真言を80回くらいあげたところで大塔にN氏登場外で待つJ氏にも紹介していただき、さてさてここからいよいよ三人によるぐるり紀伊半島巡りの本編スタートです J氏とはこのとき初対面。うおおお~思ったとおり、いやそれ以上のすばらしい方でしたN氏から事前に『今までこの人の怒ったところを見たことがない』と聞いておりましたし、私も、《堂本光一のようなトーンの人だな~》とお会いする前から感じておりましたが…実際ご本人にお会いし、折目正しくきちんと挨拶され…うひょ~清らかであたたかく誠実で、でもしっかりと自分を持っていて、そして柔軟性に富んでいる感じだぞぉ~これは、真ん中がしっかりとしているのでいろいろなものを柔らかく受け止め、されど己を変えることなくしなやかに生きていける人ですなそして自分のスタイルを人に押し付けることもせず、批判も評価も下すことなく、ありのままを受け取りそれを心から楽める人だぞ、きっと~(゚▽゚)お会いしてそう感じました(その後、この認識に変更は生じておりませぬ)うわあ~思っていたよりもよい方と一緒にまわることができてしあわせじゃ~るんるんるん( ^^)Y☆Y(^^ )これはもう旅の成功は約束されたようなもの早速お二人へのお土産《大神神社の神水=狭井神社のお水》を渡し、いざ出発~ 写真左下…こちらも大好きな高野山西塔。右下…高野山大塔。ここ、大塔宮が天川の後に高野山に入り、追手を逃れて梁に隠れた場所でもあります。右上…バン字池そばの《清瀧権現社》白龍さんを祀っています。 三人で《宝亀院》さんに寄り、御衣のお水を頂いたり、お庭に並んだ《木の化石》を一つずつ触ったりしました金や銀が入っている化石もあります。宝亀院さんにも写経を納めさせていただきました。 この時の高野山は一大レジャーランドのようなラフな雰囲気でありました。結縁灌頂の際の森厳で神々しいまでに美しいあの高野山の崇高なトーンは一体いずこへ…φ(.. )しかも…めちゃくちゃ暑いよ~(ι´О`ゞ)お坊さまたちもだれてるようでありましたf^_^;(結縁灌頂の時には姿も心ばえもそれはそれは美しいお坊さまがぞろぞろ現れ、感動しまくったものじゃったが)今度は、またなにか儀式の行われる期間に来るといたしましょう そして高野山を下り、三人は和歌山市に向かいました
2008.07.30
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去年夏の紀伊半島巡りの旅の続きです この日は《桜燈火(はなとうか)》の最終日ということで、夜の吉野山のあちこちで素敵なカップルをたくさんおみかけしました(#^.^#)善福寺さんにも浴衣できめたナイスカップルがいらっしゃいましたし、蔵王堂前の広場でもいっぱいぬふふう~ん…うらやまし~o(><)o写真左上…善福寺さんのお庭にあった光の卍写真に撮ると桜色の光で写っておりましたさすが吉野山右上と左下…明かりを落とした善福寺のお庭。本堂の中の左奥…一際光って見える場所に素敵な千手観音さんの絵があります右下…梵天様の前の石段。街中こんな感じに蝋燭の明かりが揺れてとっても素敵でした~\^o^/去年は13~15でしたが、今年の実施期間については吉野山観光協会のHPなどで調べてからお出かけ下さいませ(^O^)/あ、ちなみに去年は善福寺さんで西瓜とビールが接待で出されましたが、今年も同じとは限りませぬのであしからずあれは檀家さんから奉納されたものなのだそうで…私もいただいたお礼に秋に再訪したさいに千葉の名産品をあげさせていただきましたm(__)m さてさて…ひととおりぐるりと散策し、お宿に戻ろうとテクテク歩きました善福寺さんの入口通過~また寄るようにとは言われましたが…さっきあんなにいただいちゃいましたし、お忙しいでしょうし…と通過…したのですが…なんと、その先にある竹林院前で御弟子さんにばったり遭遇(゚▽゚)そして…腕を取られて善福寺さんまで引率されてしまいましたf^_^;アヒャヒャヒャヒャ~ヾ(^▽^)ノなんですか、この流れは~はあ~なんとしても寄らねばならぬ用がまだここにあるんですかね~f^_^;とりあえずまた入ってみると…院主さんはお庭の写真撮影の真っ最中またいろいろお話しを伺うことになりました。その間にも、次から次へとお客様がいらっしゃいます。地元吉野山の方から、観光でいらした方たち、そして世界遺産でもあるこの地にわざわざいらした外国の方まで…。はて…すでに蔵王堂でのイベントも終わり夜も10時近いのに、善福寺さんのこの賑わいはどうしたことでしょうそして…感動したのが院主さんも尼さまの対応です。こんな時間にもかかわらずいらした方たちを心から歓迎し、みなさんにどんどん西瓜を切ってふるまっていたのですその嘘のない姿に大感動少しして辞し、角に出ると…なんと御弟子さんが角に立ち、蔵王堂から宿へ戻ろうとするお客様たちにお声かけしている姿がありました…《どうぞ西瓜の接待もさせていただいておりますのでお寄りください》と善福寺さんへご案内~(゚▽゚)う~む…確かに盆踊りイベントを楽しんだ盆の夜の最後に素敵なお庭で西瓜をいただけたらうれしいよな~癒されるし、吉野山でのよい思い出になるし~これはどうやら院主さんに頼まれた訳ではなく、自発的に気を利かせてそうしていたらしい…これにも感動してしまいました。そうすることによって御弟子さんが何か徳することなんて何にもないのに…。すばらしい~これってまさに《奉仕の心》のみの現れだよな~人のありように感動し、学ぶこと多かりし吉野山の夜でございましたm(__)m
2008.07.30
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去年夏の紀伊半島巡りの続きです♪ 熊野&玉置にあがる前にどうしても片付けておきたかった後醍醐天皇関連が終了~昔、天龍寺で後醍醐天皇の尊霊とガタガタやりあって以来随分時間はかかりましたが、なにはともあれよき手応えでございましたのでひと安心大塔宮と南朝方に付き、後醍醐天皇崩御の際には茫然自失の南朝方の人々を叱咤し気持ちを奮い立たせた《吉水院宗信》と、ただ一人盾となり、追い来る北条方の軍勢に立ちはだかり、大塔宮を天の川に落とした《村上義隆》…この二人の墓参りは、もう暗くなってまいりましたゆえ、次回にまわさせていただきとうございますm(__)m頃よく、《秘仏金剛蔵王権現特別開帳と役行者ゆかりの寺院の出開帳》が秋に開催されると知り…ラッキーまた来ましょ最後は《大塔宮仰慕碑》で〆て今夜のお宿へ…。 本当は時間制だったのですが、宿の方の好意でとっととお風呂に入ることができました(汗ダラダラのべっとべとでござんしたので、見るにみかねたのでありましょう)夕食時…『ビールはどうします』…と聞かれ、いつもなら、『勿論飲みますとも~』なのですが…あれストップかかったぞよまあ夜もう一回蔵王堂に行って盆踊りを眺めたり、蝋燭の並んだ美しい吉野山の街を散策する予定ですので…帰ってからにすればいいかなということで、珍しくビール抜きでの夕食となりました(日常生活ではあんまり飲まないのですが、聖地巡りの間は毎晩酒が入ります)鮎の塩焼きとこんにゃくのおさしみ、天麩羅にお野菜の煮びたし…うまうま さてさて、夜の街の散策に出かけますo(^-^)oお宿の前にちっちゃい神社があります。《梵天》さんを祀る珍しいもの。寄ってちらっとご挨拶ここの階段も蝋燭が並び、幻想的です街じゅうあちこちに並べられた白い筒の中の蝋燭に火が入り、散策しているだけでいい気分です《お盆》って感じふと心引かれる小路がありました。なだらかに下りてゆく道の両側にガラスの器が並び、ちらちらと揺れる蝋燭が燈りなんともいえず美しい人も集まっているようです。なんだろうと入ってゆくと、道の先のお寺さんの門前にいらした尼さまがこちらをみとめ、『今から盆供養の法要を始めますからどうぞ~入ってください。終わったら西瓜とビールもありますよ~』と、誘ってくださいました。え西瓜ビール~しかも盆供養~は~い♪行きます行きます参加しま~す盆供養してくれるんだってご先祖さまに南朝方の尊霊さんたちみ~んなおいで~と、ちゃっかり参加ほどなく本堂に院主さんが登場し、教本が配られ、お弟子さん(女性)の指示に合わせて、集った人々(子供も結構参加してました)みんなで唱和してゆきますあれれこれはもしや…馴染み深い真言宗の教本ではと思ったら、最後に…《南無大師遍照金剛》…ときたもんだほえ~やっぱり真言宗だ吉野で真言宗寺院の盆供養に参加することになるとは…ちょいびっくり注)吉野山はじめ修験道寺院は天台宗系が多いのです。吉野~大峰山~熊野の霊場は、天台宗を大成した二人の大徳、円仁、円珍のうちの一人、天台宗寺門派の派祖《智証大師円珍》が修行場として整えた場であり、現に喜蔵院は智証大師の修行場であったという。つまり吉野山は天台宗の気配に満ちたお山なんですね。そんな中で弘法大師空海さまに出会うとは…うひゃ~尼さまのお言葉どおり、西瓜とビールが出ました甘い~うまい~これが待っているから、夕食のビールにストップがかかったのね院主さんや人々と楽しくお話しさせていただきました 全ては紡がれているのだな~そうそう、書き忘れましたが…これが私と《井光山善福寺》さんとの出会いです。この時の生き生きとして真っすぐな院主さんの人柄と、全てを包み込むような柔らかさに満ちた尼さま、まるで十一面観音さんのようなお弟子さん、そして三方に共通した《人々にご奉仕させていただける喜び》のトーンと謙譲の姿勢に大変感銘を受けてしまいましたこんな方たちも日本にはいるんだ~ぜひ見習わねば(*_*)
2008.07.23
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写真左上…村上彦四郎義光の墓吉野神宮から蔵王堂に向かう途中、駐車場手前の小高い丘の上にあります。炎天下、クラクラしながら線香を上げ、地べたに座ってお経をあげさせていただきました。 吉野山は優しい険しい山道、断崖絶壁の道も、どこか優しく包み込んで下さるような優しさと安心感に満ちています。(北朝ゆかりの方は怖いとおっしゃっておりましたがf^_^;) 写真左下…後醍醐天皇稜あまりの暑さに辟易してとある食堂にて休憩普段あまり食べないかき氷なんぞを食してしまいました。なにしろ無茶苦茶暑いんです一足ごとに息があがるほど…。お店の方の好意でリュックを預かって下さることになり(感謝)五郎兵衛茶屋の広場を経由して谷向こうの如意輪寺へ到着如意輪寺のお不動様はすばらしい~しかし今回のメインは如意輪寺裏にある後醍醐天皇稜ですのでそちらへ向かいます。ここでも地べたに座って拝礼させていただきましたm(__)m天皇稜ですのでお線香あげられないのが残念でしたが…。さっきのお店に戻り、荷物を預かってもらったお礼にお金を使ってさしあげたい気分でごさいますが…あいにく参拝日は夜まで食べないような流れになっておりますので、アイスコーヒー注文してまた休憩させて貰いました。(二週間後に同じお店でOさんもかき氷食べて、五郎兵衛茶屋経由で如意輪寺&後醍醐天皇稜に行ってきた…と後に知った時には大爆笑でした)写真右上…四本桜。蔵王堂前にある、大塔宮の酒盛り跡。この日は吉野山内のあらゆる通りや各寺院が蝋燭のあかりで彩られる《桜燈火》の日でもありました。写真右下…そして蔵王堂では夜は盆踊り~お坊様が江州音頭をうなっておりました。 吉野で一つ出会いが待っているのは知っており、『どんな方だろう~』と楽しみにしておりましたそれが善福寺の院主様でございました。これも八月十五日の夜のこと。
2008.07.10
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さてさて…昨年夏にまわった紀伊半島一周の旅のお話。この時には珍しく(途中からですが)三人で回りましたよほどご縁のある方たちなのでしょう~集団で神社仏閣に参拝することは(私の場合はですが)まず考えられませんし、魂レベルの高いトーンで響き合える方としか参拝を共にすることは難しいと感じておりましたので一人で行動することが多いのですが…一緒に、しかもありえないくらい楽しくまわることができた稀有な二人に巡りあわせて下さった神様に深く感謝しますm(__)m 木更津からアクアラインを渡って、まずは鎌倉宮へ寄って大塔宮にご挨拶~…の前に、今回は鎌倉宮のお隣りの《荏柄天神》さんにもご挨拶(写真左上…荏柄天神入口)受験生らしい集団の祈祷が終わるのを待って、参拝いつも菅さんちはサクッと参拝で済ませてしまうので、この日は大事の前に気持ちを引き締める意味もあって、大祓を心中奏上させていただきましたところ…ん目の前に現れた菅さん…腹ヨジッてこそばゆがってうけまくっておりまする…なんで今日はそういう反応するのかな~(^^ゞ私の祝詞は受けられんとでもいうのかいなえいせっかくあげはじめたんだ御祭神様無視して(笑)最後まであげてやる~と奏上を続けると…菅さんは、笑いを必死に堪えたおももちで真ん丸おめめでこちらを覗き込むように…祝詞を唱和して下さいました御祭神さまがこっちに向かって祝詞を奏上しておりますこれは喜んでいいのかなま、菅さんのことは置いといて…脇の熊野三社を祀る洞窟にも参拝ここ凄く清らかできらびやか~ここでこんだけ凄いってことは熊野ではさぞかし~~(その期待は後に、ものの見事に裏切られることになるのですが) 次は鎌倉宮(写真左下&右上)私の理想の男:大塔宮護良親王にご挨拶いよいよ吉野に乗り込んで後醍醐天皇に会いに行ってまいりますので首尾よくゆきますようになにとぞ後押しを…鎌倉宮の神職さまたちはとても親切で、土牢前では私一人の為にわざわざ丁寧に説明して下さいましたありがたいこと(神奈川県内の旧官幣社の格付けでは今でも鎌倉宮が第一位で、二位が寒川さん、三位が鶴岡八幡宮、四位が箱根…というのも時に教えていただきました)宮のお首の行方はいろいろな説があり、山梨の石船神社、小室浅間神社などがそれと伝えられております。また最後の陣地となった信貴山には宮を弔う為に近年建立された宝青院と南北朝期の古墳である大塔陵が存在します。そして秋田の楯岡豊前守が大塔宮の後裔であるという風聞もあり、本庄藩主六郷子爵家より石船神社に大塔宮の守刀の奉納があったとのこと…(私の秋田大好きは大塔宮がらみなんですnazoKさん) 近くの源頼朝の墓参りもしたかったのですが、時間がないのでまた今度ということにしていざ西へ向かって鎌倉出発今回は青春18切符をフル活用してのひと巡りです小田原から熱海を抜けて浜松へ久しぶり~浜名湖途中富士登山してきたらしい大学生たちと一緒になりました菅傘被って杖持って誇らしげうっふっふこういう方たちに出会うとほっこりします天竜川の手前でちょっといろいろあったらしく、電車がストップしてしまいました…あははおかげでのんびり天竜川を楽しみました長良川も久しぶり~ヤッホー名古屋を過ぎて米原へ…途中金華山はどこだろ(いずれ行かなくちゃ)とキョロキョロしていると、ぴか一っと光って教えてくれましたo(^-^)oわ~いまたゆっくり来るからね~と手を振る私(周りから見たら単なる阿呆)琵琶湖にも手を振って、途中ずっと一緒で妙な親近感の湧いてきた方たちと京都で別れ、奈良に降り立ったのがもう8時近くこの日《なら燈花会》が行われていた奈良駅は浴衣や仁平で日本を洒落込んだ人々でいっぱいでしためかし込んだ善男善女と鹿を縫って東大寺夜間特別拝観(しかも無料)に突撃態勢の私は、当然うきまくりの登山スタイルざんす東大寺(写真右上)はお顔の窓が開いておりましたしか~し、どなたも参拝はしておりません、はい。いえ、人はどっさりいらっしゃるんですよ、でもね、皆さんパチリと携帯やデジカメで撮るばかり…誰も手なんて合わせてない最近の参拝は撮影ですか…そうですか…ま、いいやどうせ既に浮いてるんだから…とお数珠取り出して一人手を合わせてまわりました大仏様方は大衆がどうであろうと普くパワフルでござんしたさすが奈良お次は春日大社へ燈籠に灯がともってます綺麗~春日大社の万灯会の日なのは知っておりましたが、東大寺始め周辺各所で燈花会が行われている日とは知らずに参りましたので、びっくりするやらうれしいやらたくさんの蝋燭の光が奏でる美しい景色をたっぷり堪能。この夜は奈良で過ごしました余談ですが…深夜に背中に激痛が走りしばらくのたうちまわりました後に調べてみると同時刻に吉野で地震があったとか。こういうの…いちいち気にしていたらきりがないので、受け流していざ前進
2008.07.01
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