小説 こにゃん日記

小説 こにゃん日記

海に行きたい




海に行きたい。

まだ寒くて泳ぐ事はできないが、

急に海が見たくなった。

海にはどこにあるんだろう。

だから電車に乗って海を探しにいく。

電車は、がたんがたんと歌いながら走る。

灰色の町を抜けて、

小奇麗な新興住宅街を越えて、

畑や田んぼを越えて。

この電車はどこへ向っているんだろう。


窓の外は、ほの明るい灰色の空。

雨が少し降っている。

雨は、電車の窓を斜めに、

細く細く滑っていく。

時々お日様が覗く。

そしてまた雨。

雨に洗われた新緑が眼に染みいるようだ。

ぱせりからブロッコリーになりかけた山。

そして突然トンネルに入る。

窓の外が、断ち切られたように暗くなって、

車内にぽっと明かりがともった。

窓に私の姿が映つる。

海はどこだろうか?


気がつくと私の前には、

もんぺを穿いたおばあさんが座っている。

こっくりこっくり居眠りをしている。

長い年月、日に晒されたしわ深い顔。

『おばあちゃん。』

私は小さく心の中で呼ぶ。

その眠りを妨げないように。

微笑みながらまどろんでいるのは、

最後に見た祖母の顔だった。

田舎の山の中で暮らしていた祖母は、

海を見たことがあったのだろうか?


トンネルを抜けてふと気がつくと、

窓のところにはみかんがおいてあった。

おばあさんの姿はない。

凍ったみかんを手に取ってみると、

みかんを覆っていた氷がつるりと落ちる。

それでもみかんはまだ固い。

みかんの尻に爪を立ててむく。

指先が赤く色づく。

みかんの房に歯を立てると。

しゃりっと音がする。

甘くて少しだけ苦かった。

海は、海はまだだろうか?


窓の外は緑の草原が広がっている。

遮るもののない緑の原。

雨も上がり蒼天は丸い。

まだ濡れた緑は、つやのある輝きがある。

風が渡るたび緑はうねる。

まるで海のようだ。

窓を開けるとむせ返るような草の匂い。

海は、海はどこだろうか?


電車は走る。

海へ、海へ、海へ。

私は少し眠くなった。

眠りの中でも電車は歌ってる。

海へ、海へ、海へ。

がたんと大きく揺れて電車は止まる。

海に着いたのだろうか?


そこは小さな木造の駅だった。

プシュ~ッと電車のドアが開く。

長いプラットホームに下りると誰もいない。

私はあたりを見渡した。

いくつもの線路の向こうに、黒い貨物車が並んでいる。

線路には雑草とタンポポ。

石を積んだ手押し車がある。

年配の駅員に切符を渡し、海までの道を聞いた。


駅からの長い坂を上る。

海はまだ見えない。

道はどこまでも長く緩やかだ。

坂の向こうは青。

そこに海があるのだろう。

私は少し前かがみになって、

ことさらゆっくりと坂を登る。

海はもうすぐだ。


坂のてっぺんから落ち込むように、

海までの砂浜が広がっていた。

砂の坂をズズズズズと滑るように降りる。

靴の中は砂で重くなる。

目の前は、海。うみ。海。

波は穏やかでまるで湖のよう。

だが対岸は見えない。

水を湛えた果てしなく広がる青。


波打ち際に着くと、

白く泡の縁取りをした波が寄せる。

風がしょっぱい。

風の中に鐘の音が聞こえる。

波の間に沈んだ鐘の音。

もう日が暮れる。

空は薄青とオレンジと金だ。

私は重い靴を脱いで海に入る。

どこまでも遠浅の海。

あれは蜃気楼だろうか?

海の向こうに城が見える。

ガラスでできた透き通ったお城。

小さな魚が足をくすぐる。

ひんやりと透明な水。

私の足の爪は、薄紅色の桜貝だ。

私は城に向って歩き始めた。

遠く遠く、

蛤の見る夢にたどり着く為に。






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