小説 こにゃん日記

小説 こにゃん日記

つり橋の心理学



その夏、俺は恋をした。

この恋が前途多難なのはわかっている。
おそらく相手は、俺のことなんて歯牙にもかけないだろう。
それどころか馬鹿にされ、笑いものにさえなるかもしれない。
動悸、息切れ、眩暈・・・さまざまな症状に襲われた俺は、このままでは死んでしまうとまで思いつめた。
俺は一筋の希望と鬱救命丸を胸に、キャンパスの中を、あいつを求め、ただひたすらに駆け抜けた。

あいつは演劇サークルの部室にいた。
部外者が入っていくのも気が引けたが、今はそんな心のゆとりはない。
窓際には女の子達が固まり、あいつはその中で、さらさらとした茶色の髪をかきあげながら、なにやら嬉しげに話している。

『青井!』
俺は部室に飛び込んで、がっしりとその肩を掴む。
『俺は惚れたんだ。』
周りで女の子達が、
キャ~ッ!とか、ホモよホモッ!とか言ってたらしい。
その時の俺の耳にはぜんぜん入らなかったが。
『い、伊集院?!』
青井は驚いたように目を見開いている。
『好きなんだ!!』
俺は大声を出した。
『お、落ち着け!話せば解る・・・じゃなくって、話されても困る!』
『俺は、この通り顔も頭も悪い。
金もない。
でも、でも・・・好きなんだよ!』
俺の声が震えた。
『いや、だからそのな・・・相手の迷惑ってものを・・・。』
『俺が好きになったって、迷惑にしかならないって解ってるんだよ・・・。』
俺は恥も外聞もなくオイオイと泣き出した。
『可哀想・・・。』
女の子の一人が言った。
『純愛なのね・・・みなッチ感動~っ!』
『私は、あなたの味方よ!』
次々と俺に温かい言葉がかけられた。

はああ~~~ッ!
青井はぐったりと、誰もいない教室の机の上にへばりついた。
『お前な・・・なんか俺に恨みでもあるわけ?』
俺の頭に、はてなマークがとんだ。
『あれじゃあ。ホモの告白と思われるだろうがっ!』
 何をわけのわからないことを言ってるんだこいつ?
俺はあれからすぐ青井に、サークルの部室を引きずり出された。
そして今、英文のマドンナ白木由里子に惚れたから、恋愛のアドバイスをしてくれと頼んだばかりだった。

『なあ。頼むよ。
ナンパ大王のお前なら、何かいい考えがあるだろう?』
俺は捨てられた子犬のような目で青井を見た。
『そんなこと言われても、このルックス良し、センス良し、金回りも良しの俺に助言できる事なんて・・・。
だいたいお前、高望みしすぎって言うか、相手は学園きってのマドンナで、お嬢で・・・ライバル多すぎ。』
『頼む!俺は彼女の為ならトラックを止めてみせる!』
『なんだそりゃ?』
『僕は死にましぇ~ん!!』
『・・・・・・・・・轢かれて来い。』
俺はがばっと青井の足元で土下座した。
『このとおりだ!
寝ても醒めても、彼女の事で頭はいっぱいなんだ。
このままでは、恋にやつれてあの世にいっちまうかも。
それとも神経がおかしくなって、見るもの全てが彼女に見えて・・・。
ああ~ッ!お前にだって襲い掛かってしまうかもしれない!
そうしたら、お前は正真正銘のホモになるんだぞ!』
青井は、がたがたっと椅子の上から転がり落ちた。
俺は足元から、ズルズルと青井の上にのしかかった。
そして、子どものように青井にすがりついてわんわん泣いた。

それから1週間がたって、ようやく青井から連絡が来た。
あのあと青井は、必死になって俺をなだめ、人海戦術(青井のシンパの女の子達)を使って、白木由里子の弱み・・・じゃなく・・・情報を集めてくれると約束してくれた。

『ひとつ面白いことを思いついたんだ。』
青井はひそひそと俺にささやいた。
ここは大学の近くのハンバーガーショップだ。
『お前さ。
「つり橋の心理学」って知ってるか?』
なんだかどこかで聞いたような気もしたが、俺は思い出せないまま首をふった。
『つり橋の上の男女は恋に落ちやすいって法則だよ。
不安定にゆらゆら揺れるつり橋って、渡るときドキドキするだろう?
そのドキドキを恋愛のドキドキと脳が勘違いするんだってさ。』
『そ、そうか・・・白木由里子を、つり橋の上に連れ出す。
そしてそこで告白する。
もし両思いになれたら良し、なれなかったら、彼女を連れて一思いにつり橋の上から・・・。』
俺はこぶしを握った。
手の中の紙コップがつぶれ、ストロベリーシェイクが指の間からたらたら垂れた。
『ち・が・うっ!
別につり橋の上じゃなくってもかまわないんだよ。
日常にないくらいのドキドキが得られれば、遊園地のジェットコースターだっていいんだ。』
『遊園地の中心で愛を叫ぶ!
そして、愛が得られないときは、彼女もろともジェットコースターの上から・・・。』
青木は黙って俺に、自分の飲んでいたバナナシェイクをぶっかけた。

『お化け屋敷?』
俺はべたべたする髪を紙ナプキンで拭きながら聞いた。
『彼女は心霊番組のひそかなファンらしいよ。
彼女の自室はホラービデオだの怪しげな心霊写真のオンパレード。
意外というか・・・なまじ美女なだけになんだか不気味だな。』
 明日から、アイスホッケーのキーパーの扮装と、電動のこぎりは忘れずに大学に通おう。
『俺の彼女の一人がさ。
って言うか、彼女のじいさんなんだけどな。
お化け屋敷、持ってるんだよ。』
明るいハンバーガーショップが、妙に薄暗くなった気がした。
『今は誰も使ってない別荘なんだけどな。
昔の華族の持ち物だったらしいぜ。
何でもそこでまだ若い当主が、胸をやられて血を吐いて死んだっていう。』
『胸なら俺もやられている。』
『恋の病じゃない!結核だよ。
その頃は死病と恐れられていたからな。』
青井は演劇サークルに入っているだけあって、妙にリアルにおどろおどろしい顔を作って見せた。
『で、出るのか?本当に?』
青井はちょいちょいと、人差し指を俺に向って振って見せた。
俺は素直に耳を寄せる。
『ワッ!!』
青井が耳元でさけんだので、俺は椅子から数センチも飛び上がった。
青井はげらげらと腹を抱えて笑った。
『出るわけないじゃん。
でもさ。お化け屋敷って、男女が親密になるのに、最高のシュチュレーションなんだぜ。
前にサークルのみんなでさ、あそこで一晩中怪談話したわけ。
ま、他にも、酒飲んだり、わいわいダベってカラオケしたり、女の子とイチャイチャもしたな。
でもゴキブリ一匹出なかったぜ。
古いでっかいボロ屋なんて、みんなお化け屋敷って言われるんじゃん?』
『ならドキドキしないだろ?』
青井はどっかり椅子に背をあずけた。
『お前なあ。
何で馬鹿正直に「出ません。」なんていわなきゃいけないんだよ。
それに、もしかしたら出るかもよ~。』
青井はぶらぶらと両手をたらして振って見せる。
俺が思わず身を引くと、青井の奴はニヤニヤした。
『俺は役者志望なんだぜ?
幽霊役なんざ、これもんだぜ~。』

当日は最高のお化け日和だった。
つまり朝からしとしと雨が降って、生ぬるい風が吹いていた。
俺と白木由里子、それに青井の彼女は、ローソクを持ってお化け屋敷の前で落ち合った。
白木由里子を、お化け屋敷にさそう役を引き受けたのは、青井の彼女だ。
青井はお化け役をこなす為に、一足先に来てどこかに隠れているはずだ。
『こんばんは。あなたが伊集院さん?』
白木由里子は俺にキラキラと微笑みかけた。
『こ・こ・こ・こ・・・。』
緊張のあまり、俺は思わずコケコッコ~ッ!と叫びそうだった。
『コンバンハ』
今度はまるでロボットだ。
『伊集院さんは、霊能力があるのよ。』
青井の彼女が言った。
『まあ。男性がいたほうが心強いからって聞いてましたけど、霊能力を持つ方だったなんて。』
白木由里子の瞳が、まるで星のように輝いた。
 君の瞳に乾杯!
俺は思わず心の中で叫んだ。

俺は幸せで天にでも昇る心地だった。
たとえ語り合うのが、愛の言葉ではなく、幽霊の話でもだ。
『・・・というわけで、その方は、母が子どもの頃亡くなったはずの叔父様だったんです。』
部屋の真ん中に、円を描いて灯されたろうそくが、またひとつ吹き消された。
『さあ。次は伊集院さんの番よ。霊能力者さんならきっと、すごい体験をされたんでしょうね。』
お化け屋敷といえば百物語だ。
それは牛丼の上の紅生姜みたいなもんだ。
それなのに俺は、何であらかじめ仕込んでおかなかったんだろう。
俺はだらだらと汗をかいた。
『あっ。ちょっと待ってて、私お手洗いに行って来るわ。』
青井の彼女はスッと立ち上がった。
 ナイスだ・・・。
部屋の中は、俺と白木由里子の2人きりになった。

『怖くはありませんか?』
俺はドキドキとする胸を押さえながら白木由里子に声をかけた。
『ええ、大丈夫です。』
穏やかなまばゆい笑み。
でもこれじゃあ「つり橋の心理」にならないじゃないか。
すると突然、どこからか生ぬるい風が吹き込んできて、ローソクの明かりを吹き消した。
 青井の奴いよいよ始めたな。
俺は期待を高めた。
白木由里子がきゃっと言って、俺の胸にすがりつくのを待った。
『霊現象でしょうか?』
白木由里子の声は、興奮気味だったが、ぜんぜん怖がっているようには思えなかった。
だけど・・・ドキドキしているのは間違いない!
続けてパシッパシッと乾いた音が聞こえた。
『霊が割り箸を割っているんですね。』
俺は重々しく呟いて見せた。
『ラップ音ですわ。』
『ラップ音楽がお好きですか?』
俺は意気込んで彼女に聞いた。
『・・・ポルター・ガイスト現象です。』
頭がぐるぐる回る女の子の映画があったけ。
『エロエロ・エッサイム!!』
俺は叫んだ。
 待てよ?エコエコ・アザラシだっけ?
俺が叫んだとたん、部屋中の家具が突然俺たちに襲い掛かった。
な、なんだ?これも青井の仕掛けか?
それとも地震か?!
俺が床に這いつくばっていると、部屋の真ん中にもやもやとした光が浮かんだ。
『す、凄いわ!』
その光をうっとりと見つめる白木由里子。
興奮が押さえられぬように、胸を両手でしっかりと押さえている。
ああ・・・俺が代わりに押さえてあげたい。

光は次第に若い男の姿に変わった。
白皙の額、色素の薄い瞳と髪、すっきりと通った鼻の下には、淡く色づく唇。
さすが役者志望だ。
特殊メイクか何か知らないが、とても青井には見えない。
『あなたは美しい。』
青井は白木由里子を、じっと琥珀の瞳で見つめるとささやいた。
『えっ・・・?』
白木由里子の頬がポッと薔薇色に染まった。
 オイオイオイ・・・なんでそこでお前が口説くんだよ。
『私はずっと孤独でした。
胸を患ってからは、この家の中に閉じ込められていた。
私の世界は灰色と血の赤でしかなかった。
あなたを見て、ああ・・・この世には、まだこんなに美しいものがあったと思ったのです。』
 この世じゃなくって、あの世だろうが・・・!
俺は青井の肩に手を置いて、今にも触れそうになっている白木由里子から、引き剥がそうとした。
『へッ?』
俺の手は青井の肩を、スカッと何の抵抗もなくつきぬけた。
青井はそのまま白木由里子を抱きしめた。
俺には白木由里子から、青井の顔だの腕だのが生えてる様に見えた。
『ウギャ~~~ッ!!』
俺の意識は、まるで幕が下りるがごとく暗転した。

次の朝、青井は屋根裏部屋、青井の彼女はトイレの中で失神しているのが見つかった。
俺たちはまるで、自分たちがお化けになったような心持ちで、その屋敷から生還した。

俺は恋を失った。
青井の言った『つり橋の心理』
それは俺たちが考えたのとは違った働きをしたようだ。
あれ以来、白木由里子はお化け屋敷に日参しているらしい。
取り殺されるんじゃとひやひやしたが、彼女は今日も元気に大学に通っている。

この間テレビを観て俺はぶっ飛んだ。
『霊能少女』のテロップと共に、白木由利子がブラウン管に映っているではないか。
彼女の背中に、あのお化け屋敷の幽霊が張り付いていて、視聴者に向ってVサインをして見せた。






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