小説 こにゃん日記

小説 こにゃん日記

星の王



太陽が西に沈み、空の青が、紫を孕んで少しずつ濃さを増す時間。
東の空にひときわ輝く星が現れます。
太陽と月の次に明るいその星は、シャヘル(明けの明星)とシャレム(宵の明星)という双子の天使でした。

兄のシャヘルは、日の光のような黄金の髪と、よく晴れた青い空の瞳を持った、神々でさえ羨むような美しい天使でした。
弟のシャレムは、兄より少しくすんだ金の髪と、柔らかな薄茶の瞳を待った、とても優しい天使でした。

双子の天使は、毎日、日の出と日没後の僅かな時間、天の座について、地上を照らします。
そうして、世の中の隅々にまで、祝福を与えるのが星の天使の仕事なのです。

シャヘルとシャレムはとても仲のよい兄弟でした。
特に兄のシャヘルは、弟を片時もそばから離したくないほど愛してました。
そのため、世の中の他の存在は、神々でさえ、シャヘルにとって、取るに足らぬものになってしまいました。
シャレムも、シャヘルをかけがいのない兄として愛してました。
でも、シャレムは、天の神も、仲間の星の天使たちも、地上のおろかで小さな命たちさえ、大切に大切に思っていたのです。
シャヘルは、それが我慢なりません。

『僕たちは、お互いがお互いの半身なんだよ。
僕たちはひとつの存在なんだ。』
シャヘルは言います。
『違うよ兄さん。
僕たちは別々の存在なんだよ。
だからこそ、お互いを自分の意思で愛する事が出来るんだ。』
シャレムは答えました。

シャヘルは、シャレムと自分が、ひとつのものだと信じたいのです。
弟の眼がほんの僅かでも、自分以外を見ることに苦痛に感じるのです。
だけどシャレムは、そんな兄のそばにいることに、次第に居心地の悪さを感じるようになりました。

ある晩、シャレムは天のお勤めを終えた後、こっそりと抜け出して、地上に降りていきました。
たまには兄のそばを離れ、ひとりきりになりたかったのです。
すうっと降りてきた天の光をみた人は、きっと流れ星と思ったことでしょう。

シャレムは、深い森の中に降りました。
シャレムが森を行くと、その光に、花々が朝が来たのかと間違えて、重たいまぶたを開きました。
小鳥も目を覚まして、歌いながら後をついてきました。
やがてシャレムは泉に出ました。
水を飲もうとかがみこむと、そこに馴染みの月の姿を見つけたので、
『こんばんは。
天ではいつもお会いしていますが、地上であったのは初めてですね。』
シャレムはにっこりとしました。

シャレムが、透き通った水を飲んで顔を上げると、いつのまにか泉の中に、ひとりの少女がいて、半ば背中を向けるようにして、体を清めておりました。
月の光の中で、少女の姿はまるで、ほのかに輝く白い花のようでした。
少女がしなやかな腕で、白銀色の長い髪をかきあげると、細く長いうなじが覗きました。
片方だけ見せた乳房は、優しいまろやかな形をして、ほっそりとした腰は柔らかな曲線を描いて、水の中で揺らめいて見えました。

少女はひとしきり水浴びを楽しむと、ふと、岸辺のシャレムに気がつき、静々と近寄ってきました。
『こんばんは。星の天使さま。』
シャレムは、少女の清らかな美しさに、喜びを覚えながら聞きました。
『あなたはどなたですか?』
『私は月の娘です。』
少女は金の瞳をして、微笑みながらシャレムの前に、恭しくひざまずいて見せたのでした。

シャレムは、それからというもの、毎晩、地上に降りるようになりました。
頬を染め、微笑を浮かべて帰ってくる弟に、シャヘルが気がつかぬはずはありません。
『僕に黙って、毎晩どこへ行っているんだい?』
シャレムは答えるのをためらいました。
するとシャヘルがいいました。
『お前が恋をしていることくらい、僕にもわかるさ。
たった2人きりの兄弟だもの。
お前が、そんなに大事に思っている相手を、知りたいと思うのは迷惑か?』
とたんにシャレムは、深い後悔に駆られました。
 大事な大事な兄さんなのに、僕は何を恐れていたんだろう?
シャレムは、月の娘との逢瀬を、聞かれるままに兄に話してしまいました。

次の日。
シャレムが月の娘に会いに地上に降りた後に、兄のシャヘルも地上に降りました。
兄が訪れたのは、沼地の神のもとでした。
沼地には瘴気が漂い、なんともいえぬ腐敗臭が、あたりの空気に満ちてました。
『おい。沼の神はいるかっ?!』
シャヘルは傲慢に呼ばわりました。
『なんだ、星の天使ごときが、私になんの用だ。』
沼から、つややかな長い黒髪と、鷹のような鋭い目をした沼の神が姿を現しました。
沼の神は、首から上は若者の顔をしていますが、胸の辺りには蜥蜴のようなうろこが生え、下半身は青くぬらぬらとした蛇の姿を持つ異形の神でした。
『お前に頼みがある。』
シャヘルがいうと、沼の神は冷たく笑いました。
『天の神々にすら屈せず、いつも傲慢に光り輝いているお前が、私に頼みだと?』
『月の娘を知ってるか?』
シャヘルは気にせず続けました。
『その娘が、二度と弟に会えぬよう、この沼に沈めて欲しいのだ。』
『この沼に沈んだものは、私と婚姻を交わしたということになる。
私は、私自身が気に入った相手としか契らぬ。』
沼の神は渋りました。
『では、その代償が、僕だとしても?』
シャヘルは蠱惑的な微笑を浮かべ、沼の神の瞳を捉えました。
『神々にもおらぬと、その美しさを称えられているお前が、醜い私のものになるというのか?』
沼の神はうろたえたように、後ずさりしました。
その首に腕を回して、シャヘルは沼の神の冷たい唇を、白く細い指先でゆるゆるとなぜました。
『僕は、シャレムだけのものだ。
だけど・・・一晩だけ、一度だけなら、あなたのものになろう。』
沼の神の唇から、押し殺したようなうめき声がもれました。

次の夜。
いつものように泉を訪れたシャレムは、月の娘のかわりに、兄のシャヘルの姿を見出しました。
『おいで、シャレム。』
一糸纏わぬ美しい裸身を、泉に浸したシャヘルは、みたこともないような顔でシャレムを呼びました。
『兄さん。』
シャヘルは、呆然と立ちすくんだシャレムを、抱きすくめるようにして、泉に引き込みました。
『な、何を・・・。』
驚くシャレムの唇を、兄の赤い唇が覆い。
愛しげに何度も、白い手がシャレムの髪を梳きました。
兄の小さな舌が、自分の舌を追いもとめて、口中に忍び込む、ぬるりとした感触に、思わずシャレムは、シャヘルを突き飛ばしていました。
『シャレム・・・。』
シャヘルは悲しげに弟の名を呼びながら、手を伸ばし、シャレムの頬に優しくふれました。
『何を泣いているの?
シャレムは、僕が好きだろう?』
シャレムの頬を涙が滑っていき、シャヘルの指をぬらしました。
『兄さん。
兄さんは何をしたのです?
なぜ、天の星星の中で、誰よりも誇り高く、美しい光を放っていた兄さんが、その光を失っているのです?』
『泉で何度も穢れを祓ったんだけどね。』
シャヘルは笑いました。
でも、その笑いはどこかうつろで、瞳はまるでガラス玉のよう。
シャレムは、はっとしました。
『月の娘はどこです?!』
シャヘルの瞳は一時、火のように燃え上がりました。
『沼の神と婚姻を結んだ。』
シャレムは、シャヘルを突き飛ばすと、沼地のほうに向って、大急ぎで飛んでいきました。
後ろから、あざ笑うかのような笑い声が、いつまでも追いかけて来ました。

『ああ・・・。』
シャレムは、沼のほとりで、がっくりと膝を折りました。
目の前には、月の娘の小さな亡骸がありました。
『お前がシャヘルの弟か。』
沼から声がしたかと思うと、そこには沼の神が、沈痛な表情をして立っていました。
『なぜ?殺したのです?
兄さんが、シャヘルが殺せといったのですか?!』
シャレムは、亡骸を抱きしめて叫びました。
沼の神は答えました。
『いや・・・あれは、この娘がお前に、二度と会わなければ、それで満足だっただろう。
知っていたのか、知らなかったのか。
私と契ることは、婚姻するという事は、黄泉の国に行くということ。
生命の光を失う事、すなわち死ぬという事なのだ。』
シャヘルは、天の光を失っていた兄を思い出しました。
『あ、あなたは、兄さんにも!』
沼の神は悲しげに眼を伏せました。
『あれは、強いから。
哀れなほど強いから。
天の光を失おうとも、おのれ自身が尽きる事はないだろう。
たとえ、本人がそれを求めずとも・・・。
私が手を触れただけで、はかなく、事切れてしまったこの娘とは違う。』
沼の神はシャレムの腕から、強引に月の娘を奪い取ると、
『約束だから。』とつぶやきながら、その姿を娘と共に、沼に沈めたのでした。

それからどうなったでしょう。
天に戻ったシャヘルは、神々の怒りを受け、星のない闇の中へ、堕ちて行ったと伝えられます。
まるで撃たれた鳥のように、まっしぐらに堕ちていくシャヘルの翼は、次第に燃え上がり、闇の中に輝いていたとも、その時に舞い落ちた、たくさんの羽が、天の川になったとも言われています。
そして、沼に沈められた月の娘からは、いつしか白い蓮の花が咲いたとも。
その為なのでしょうか、いつでも蓮の花は無垢な金の瞳で、瞬きもせず天を仰ぎ見ています。
白い花びらに、毎朝のごとくつゆが宿ってるのも、あれは、夜に流した月の涙なのでしょうか。

金星は、夜が明け、空が薄青に色づく瞬間、最後までその光を地上に投げかけます。
そして、日が西に沈み、空がまだ夕焼けの名残を残す時間。
どの星よりも先駆けて、いちばん最初に輝く星なのです。
それは、花になってしまった恋人を、優しく照らそうとする光でしょうか?
それとも、堕ちてしまった兄に、必死に呼びかける弟の光なのでしょうか?




言い訳~(汗)天使は男性でなく、両性体だと思ってください。



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