小説 こにゃん日記

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人魚姫(act.6)



高く高く、どこか悲鳴にも似た鳥の声。
あれは美祐の歌だ。
私は歌声に導かれるように駆け出した。
後ろから、兄に呼ばれたような気もしたが、今は美祐の身のほうが心配だった。
『美祐!』
美祐はいた。
昨夜と同じ崖の上。
うす青い光の中で、美祐は両手を崖のほうに差し伸べ、澄んだ声で歌っていた。
私は一気に力が抜け、くたくたとその場に崩れ落ちた。
私の脇を通り過ぎ、美祐のほうへつかつかと近づく兄。
そしてあろうことか、兄は美祐の頬を音高く叩いたのだ。
美祐の顔に、ぱらぱらと黒髪が舞った。
『兄さん!』
私はあわてて美祐に駈寄った。
顔に掛かる髪をそっとのけると、美祐の頬は痛々しく紅かった。
美祐の瞳が、黒々と兄を見る。
その目がなぜか艶めいて見えて、私は思わずどきりとした。

『私を恨むなら、私に復讐すればいいだろう。
祐樹に手を出すな!』
兄は吐き出すように言った。
それから、兄は私たちに背を向け、ずかずかと館に向って歩み去った。
私は呆然とその背中を見送った。
兄の声に含まれた苦悩。
押し殺した叫びのような声。
あとを追いかけて、私は美祐をこのままにしておけないと、引き換えした。
座り込んでいる美祐をそっと抱き上げる。
その軽さに驚きながらも、私は出来るだけ優しく美祐に話しかけた。
『君がいなくなって、兄さんは心配だったんだよ。
だから、ちょっと混乱しているんだけだよ。』

内心私は不安だった。
美祐が兄さんを恨んでいる?
私は思い出した。
10年前、美祐と義姉の手術をするとき、周りはもう助からぬ義姉ではなく、美祐の手術をするように兄を説得しようとした事を。
兄のせいではない。
あの時は仕方がなかったのだ。
でも、もしそれを美祐が知ったとすれば?
美祐は父親を恨んだだろうか?

私の不安が伝わったのだろうか?
美祐が私の胸に手をついて、じっと顔を見上げていた。
いや・・・そんなはずはない。
私は無意識に首を振った。
父親が助けようとしていたのは、美祐自身の母親ではないか。
兄さんは罪悪感から、そう思い込んでいるだけだ。
そう思うのに、なぜ私は、そんなことを聞いてしまったのだろう。
『美祐・・・。』
私を見上げる美祐の瞳。
『美祐は、兄さんが・・・いや、お父さんが好きかい?』
そのとたん私が見たのは。
まるで花が咲き綻びるような。
輝くような優しい、慈愛に満ちた笑顔だった。
それは15歳の少女には、似つかわしいとも思えぬ。
人の苦しみ、悲しみを知って、それでもただ、どこまでも許し、すべてを捧げて愛するような。
まるで聖母のような微笑だった。
それは私がここに来て、はじめてみた美祐の笑顔だった。


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