小説 こにゃん日記

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人魚姫(act.7)



美祐を抱いて、館に戻ると、憮然とした表情の兄が、タオルを持って立っていた。
私は内心ほっとした。
なんだかんだ言っても、やはり兄も、娘のことは気にかけているのだ。
兄が美祐を抱いて、部屋に入っていったのを見て、私はコーヒーでも飲もうと、ダイニングルームに足を運んだ。
この館には兄と美祐しかいない。
家事も美祐の世話も、すべて兄がひとりでしているらしい。
食料や必需品を頼んで、門前まで運んでもらう事はあるようだが、長い事この館に入ったものはいないのだと、昨夜兄から聞いていた。
私は戸棚からかってに、コーヒー豆とサイフォンを見つけ出しセットする。

『私にもコーヒーをくれないか。』
いつの間にか来た兄が、後ろから声をかけたので、私は思わずビクッとした。
『美祐は?』
私は、カップの用意をしながら兄に聞いた。
『今、風呂に入っている。』
コポコポと、よい匂いが漂い、私の気持ちを慰撫するようだ。
『ひとりで、大丈夫なんですか?』
『たいていの事は、ひとりでもできる。』
なるほど、どうやら不自由なりにも、自分の面倒をみれているらしい。
私はコーヒーを兄に渡し、テーブルの向かいに腰を掛けた。

『兄さん。』
兄はなんだ?というように、カップ越しに、私を上目遣いで見た。
『昨日は聞かなかったけど、いつまでこんな暮らしを続けていくつもりです?』
兄はカップをテーブルに置くと、霧に曇る窓に目をやった。
外の霧はいったい、いつになったら晴れるんだろう?
『いつまで・・・そうだな、いつまで続くのかな。』
兄の他人事のようなセリフに、思わず私は声を荒げた。
『そりゃ、金には困ってないかもしれないけど、こんな人里はなれたところで、誰にも合わせず、世間も知らず、もし兄さんに何かあったら、美祐はどうなるんです?!』
兄は唇をゆがめ、可笑しそうに私を見た。
『なんだ・・・お前が心配しているのは、私じゃなくってあれのことか。』
『ちゃかさないで下さい!』
『私がいなくなったら、お前があれの面倒をみるか?
学校にやり、いずれは就職もさせ、普通の人間のように。』

何を馬鹿な・・・そう思いながらも、私は妙な心持ちがした。
町で見かける普通の少女達。
タレントに夢中になり、流行のファッションや化粧で身を固め。
友達とバイトして、ボーイフレンドと遊び歩く少女達。
美祐は、違う、こんな浮世離れした場所で、まるで人間でない何か別の存在のようで・・・。
それは危うく、そして酷く美しい。
そこまで考えて、私は思わず、はっとして顔を赤らめた。
兄はそんな私を、じっと見つめた。
それから、酷く真剣な顔をして、
『お前では駄目だ。』ときっぱりと言う。
『なぜです?!』
私は思わずむきになった。
一瞬心に浮かんだ、自分でも思いがけない欲望。
兄のように、美祐とふたりきりで、このまるで、孤島のような館で、永遠に2人でいられたら・・・。
そんな欲望を、兄に見透かされたようで、思わずかっとなったのだ。

『お前は純真すぎる。
昨日会ったばかりなのに、もう半分魅入られてる。』
兄の言った「魅入られる」という言葉に私はうろたえた。
『別にお前が、あれに惹かれたことを、責めてるんじゃない。』
『な、何を言ってるんです?
僕は・・・そんな人間じゃありません!』
私は激しく動揺した。
まだ15歳の少女。
何より、相手は血のつながった実の姪なのだ。
兄は、そんな私の動揺に関わらず、静かな声で語りだした。
『人魚を知っているか?』



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