小説 こにゃん日記

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スノーテール6


啓太は、目をこすらずにはいられなかった。
王女様の小さな顔も、銀の冠を載せ真珠を編みこんだ髪も、雪のレースからのぞく華奢な腕も、とても青白く透き通って見えたからだ。
まるでガラスの人形みたいだ。
啓太は思った。
王女様は黙ったまま従者に促され、一段高いところにある台座の上に人形のように座らされた。
それから上品に、自分の顔を扇で隠すようにしたが、啓太はその瞬間、王女の頬を一滴の水滴が転がり落ちるのを見た。
『今夜は冬の最後の日です。みな存分に楽しんでください。』
扇の陰から、鈴を震わすような声が響いた。
『冬の最後?』
啓太がつぶやくと、そのとき隣に居たセイウチが、ご馳走を詰め込んで、でっぷり太った腹をさすりながら言った。
『なんだ。お客人は、今日が冬じまいのパーティーだって知らなかったんですかな?』
セイウチは、雪ウサギが銀の皿に持ってきた、砂糖衣が厚くかかったケーキを受け取り、啓太にも勧めながら説明してくれた。
『朝日がさせば、もはや雪の国は存在しないでしょう。』
啓太は驚いた。
『みんな消えちゃうの?』
『そうですとも。』
セイウチは、砂糖でべたべたする前肢を丁寧になめながら、なんでもないことのように言った。
『もう冬も終わりです。今度は春が収めることになります。』
『そんな・・・。』
『金平糖を乗せたミントのシャーベットはないかな?』
セイウチは雪ウサギに聞いていた。
『こんな素敵な国が無くなっちゃうなんて!』
『いやいや・・・春も悪くないもんですよ。』
セイウチは満足そうに、シャーベットをすくいながら、啓太に笑いかけた。
『一度でいいから桜餅を食べてみたいもんですな。』
『でも、この国が無くなったら、みんなはどこへ行くの?』
セイウチは、さあと肩をすくめて見せた。
『王女様が悲しそうなのはそのせいなの?』
啓太が尋ねると、セイウチはシッ!と、声を潜めた。
『王女様が悲しそうなのは、王様が行方不明だからですよ。』
セイウチは、空になったカップを雪ウサギに渡し、胸に前肢を当ててひげを振るわせた。
『王女様は王様と、結婚するはずだったんです。
今夜お戻りにならなければ、王女様は別の方と結婚しなければならないんです。
ほら、王女様の隣にずうずうしく居座っている男。
あれは冬将軍ですよ。王女と結婚して、自分が王になるつもりなんです。』
啓太が見ると、真っ白なひげを蓄えた男が、うやうやしく王女の手をとっていた。
『でも、おじいさんじゃないか!』
『決まりです。
春に国を渡すためには、冬の王が春の王に王冠を差し出さねばなりません。
最後の日までに王様が帰還なされなければ、新しき王を立てる他ないのです。』
啓太が見つめていると、意を決したように王女が立ち上がった。
その顔は青ざめた氷のようだった。
『私は、新しい王を定めねばなりません。よって・・・。』
王女がある名前を告げようとした瞬間。

 パーラパッパーーッ!!

高らかなラッパの音が鳴り響いた。
扉が大きく開かれ、そこには、ひげだるまが胸をそらし誇らしげに立っていた。

『王様のご帰還です!!』

ドアの向こうからよろよろと何かが現れた。
ひげだるまはうやうやしく、それにお辞儀をしてみせる。
啓太はあっけにとられた。
ちょうど啓太の背丈ほどの半分泥になった雪だるま。
それは啓太の作った雪だるまだった。
啓太ばかりじゃなく、広間に居た者たちもみな驚いたようだった。
ざわざわとさざめきが走る。
その中でキンキンとした冷たい笑い声が響いた。
『王だと?その泥だるまが?!』
冬将軍の声だった。
『はっはっは。親衛隊長殿も冗談が過ぎますな。』
そのとたん、辺りもくすくす笑いや、悪い冗談だと小さくののしる声が溢れた。
『ピエロでも呼んでのですかな?
それにしても王宮にはふさわしいと思えない汚い奴だ。』
冬将軍は、その次には、そのものを連れ出せといったに違いない。
けれどもその前に、台座から転がるようにして王女様が駆け出した。
そして、しっかりとその泥だるまにしがみついたのだった。
『王様!私の王様!』
王女様の涙が、泥だるまにふりかかると、たちまち泥だるまは溶け出した。
王女様はあわてて身を引こうとしたが、今度は泥だるまがしっかりと王女さまを抱いて離さなかった。
泥だるまは、もはや王女の涙がなくとも、自ら溶け出しているようだった。
『は、早く、王女を救い出すのだ!』
冬将軍の金切り声が響いた。
だが、誰もその場を一歩も動こうとはしなかった。
泥だるまの中から、光り輝く人の姿が見る見るうちに現れたからだ。
くるくるとカールした銀色の巻き毛が現れた。
その下から明るい緑の瞳。
大きな笑みを浮かべた口。
しっかりとした顎の下には、泥だるまの時の何倍もの大きさのたくましい体が現れた。
王様は、あっけに取られている臣下たちに向かって告げた。
『これより。私と王女との結婚式を始める。』
辺りにはたちまち歓声が巻き起こった。
王様は周りを見渡し、そして啓太に気がついた。
『礼を言う。そなたのおかげで国に戻れた。』
王様はにこにこと啓太を差し招いた。
おずおずと啓太がそばによった。
『私は、地上で力を失った。
だが、そなたが私の体を集め、ひとつにしてくれたおかげで力が戻り、国に帰ることが出来たのだ。』
『けれども・・・。』
啓太は尋ねずにはいられなかった。
『どうして地上に落ちたの?どうして力を失ったの?』
王様はゆったりと笑った。
『なに、地上に降りるのは我らが定め。
雪になって降り積もり、融け、やがて水蒸気となって空に帰る。』
だが、と王様は続けた。
『最近は国に戻れぬものも多いのだよ。
地上の空気も土も汚れすぎ、我らの力を奪ってしまう。
穢れを纏ったまま正気を失い、災害を起こすか、汚れた雨となって生き物の命を削るか。』
一瞬愁いを帯びた王様の顔が、にわかに輝いた。
『だが、幸いにも私は力を取り戻し。そして・・・。』
王様は王女のばら色に染まった頬にやさしく接吻した。
『王女が、あの泥だるまを私だと見抜くことによって、私は元の姿を取り戻すことが出来たのだ。』
『もしかして・・・僕をこの国に招待してくれたのは王様だったんだね!』
啓太が小さく叫ぶと、王様はうれしそうに目を躍らせた。
『雪の国に、来たがっておっただろう?』

雪の国に鐘の音が鳴り響いた。
レースを纏ったばら色の王女様と、銀色の王様がバルコニーの扉を開いた。
氷の城の上に、まるでカーテンのように七色のオーロラが輝き、星星がきらきらと二人を祝福した。

 ちいさき星 おおきな星
 まわれまわれ
 春の喜びを
 夏の勇猛を
 秋の思慮深さを
 冬の気高さを
 星がめぐり 季節が巡る
 空と大地よ 人よ獣よ

 雨が雪に
 雪が水に
 天と地をつなぐ
 陽よ風よ大地よ
 命を育てよ
 星を育てよ

『ダンスだ!音楽を!』
ひげだるまが合図をすると、足がむずむずするような音楽が始まった。
オーケストラの中で、氷柱をリズムを取って叩いてるのは、あの生意気な小さな雪だるまだった。
『踊ってくれない?』
黄色い巻き毛の女の子が、啓太の前でスカートのすそを持ち上げ、ちょこんとお辞儀した。
啓太は困って、自分の足を見下ろした。
『でも僕、踊れないよ。』
『その子の手を取って、スケート靴に任せればいいんだよ。』
いきなり、白テンの毛皮がしゃべったので、啓太は驚いた。
『びっくりした。ずっとしゃべらないから、君のこと忘れてたよ。』
『ひどいな。地球流に、おとなしくしてたってのに!』
白テンはプンプンと、毛を逆立てた。
『ごめん。ごめん。君のおかげで暖かくしてられたよ。』
それから啓太は、白テンに教えられたとおり女の子の手を取った。
啓太のスケート靴は、とたんに嬉々としてくるくると氷の床の上に円を描いた。
白テンも喜んでくるくると尻尾を振り回して調子をとった。

周りでは誰も彼もが踊っていた。
白雪姫も、雪男も、雪女も。
くるみ割り人形も、雪の妖精たちも。
トドやアザラシ、ペンギンに白熊。
白ふくろうに、狐に、ウサギ。
敵も味方もみな手を取り合って。
王様と王女様が、啓太の傍らを優雅に滑って行った。
冬将軍が雪の女王の手を取って、熱心にささやいていた。
『あなたの様な美しい貴婦人にお会いできるとは・・・。』
雪の女王もまんざらでもなさそうな笑みを浮かべていた。
子供たちも輪になって、広間中を滑っていた。
『こんな素敵な国が、今日でおしまいだなんて・・・。』
啓太は急に物悲しくなった。
『また会えるから。』
啓太の手を女の子がきゅっと握り締めた。
『春が来て、夏が来て、秋が来て、また冬が来るから。』
女の子の瞳がきらきらと瞬いていた。
『雪が融けて消え去ったように見えても。
水になって大地を流れ、また空に帰るから。』

啓太は、不思議な気分になった。
5歳の子ではなく、大人の人と話しているような、そしてなんだかずっと昔から、女の子のことを知っているような気がした。
それから、自分たちがまだ、名前も教えあっていないことに気がついた。
『私はポラリスよ。』
女の子はまるで、啓太の考えが解ったかのようだった。
『僕は・・・。』
啓太が口を開きかけたとたん、大きな歓声が沸き起こった。
『ウエディングケーキだ!!』
素晴らしいケーキだった。
まるで家みたいに大きくて、全部アイスクリームで出来ていた。
周りの人々がワッとケーキに群がった。
女の子が危うく押しつぶされそうになって、啓太は慌てて女の子を自分の後ろにかばう。
そのとき、太ったセイウチがドンと啓太にぶつかった。
啓太は氷の上を滑って、バルコニーまで跳ね飛ばされた。
女の子が何かを叫んでいる。
啓太はそのままバルコニーの手すりを超え、星星の中に飛び出して行った。

啓太はぎゅっと目をつぶった。
バルコニーからまっさかさまに落ちていく自分が脳裏に浮かんだ。
高い高い星にも届きそうなお城のバルコニーだ。
下はふかふかの雪か?それとも固い氷だろうか?
啓太は息を止め、その衝撃を待ち構えた。
けれども、何時までたっても何も起こらない。
それどころか、落ちていく感覚もない。
なんだか暖かいふわふわした物が、体をくるんでいるような気がする。
白テンかな?
啓太はそろそろと瞳を明けた。
それから、ぱっと飛び起きた。
啓太がいるのはベッドの中だった。
地球の啓太の家の啓太の部屋の啓太のベッドの上だ。

『夢・・・?』
啓太は何回もまぶたをこすってみた。
部屋の中はまだ薄暗い。
啓太は、はだしでベッドを降りて、窓のカーテンを開けてみた。
うす蒼く明けかけた空に月が白く浮かんでいた。
その右上にきらきらとひときわ輝くひとつの星が見えた。北極星だ。
『また会えたね。』
女の子の声が聞こえた。
星がきらりと、まるでウインクでもしているように瞬いた。


終わり







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