逆戻り音楽史 0
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年鑑1位は渚のシンドバッド(ピンクレディ)レコード大賞は勝手にしやがれ(沢田研二)年間4位後にサザンオールスターズが勝手にシンドバッドって曲を出してるし中島みゆきの3rd.アルバムまつりばやし の中には勝手にしやがれ って曲がありました<ここからチャート30年史の記事>1977年はピンクレディの大旋風ペッパー警部 76年8月25日 年間14位SOS 76年11月25日 年間8位カルメン77 77年3月10日 年間7位渚のシンドバッド 6月10日 年間1位ウォンテッド 9月5日 年間3位音楽そのものよりも衣装や振り付けなどの視覚的要素に重点をおく戦略は その後の音楽ビジネスの方向性を大きく変えた歌詞の話題性もあったので売れまくったし本人たちは睡眠時間3時間くらいだったという年間2位は 76年8月21日からのロングヒット青春時代 (森田公一とトップギャラン)年間4位が 勝手にしやがれ(沢田研二)でこれがこの年のレコード大賞ほかに印象的な曲としては雨やどり(さだまさし) 年間6位失恋レストラン(清水健太郎) 年間9位星の砂 (小柳ルミ子) 年間13位あずさ2号 (狩人) 年間15位津軽海峡冬景色(石川さゆり)年間16位アイドルから大人の女になってきた山口百恵 が小刻みなヒットを放ちキャンディーズ 太田裕美 岩崎宏美 野口五郎 など ベテランアイドルも着実なヒットがあったが新人アイドルは苦戦 50位以内は硝子坂 (高田みづえ) 年間36位 のみ洋楽も不振で ジョンデンバーのカバー曲カントリーロード(オリビアニュートンジョン) とホテルカリフォルニア(イーグルス)くらいそれでも タイプの異なる曲がつねにチャートに並んでいた
2020/11/12
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この年にオリコン史上1位の売り上げを記録したのはおよげ たいやきくん歌詞は童謡に近いんですがサラリーマンの悲哀とシンクロしたのかとてちもない記録になってしまいました<ここからチャート30年史の記事> この年にはまず 歌謡曲史上 最高のセールスを記録した曲がある。(東京音頭 などの民謡?は別 )およげ! たいやきくん(子門真人)75年12月25日) 年間1位 である。この曲が1位にいるために ずっと2位を独走?したのが木綿のハンカチーフ (太田裕美 75年12月21日) 年間4位年の後半にじわじわ順位をあげてレコード大賞をとったのが北の宿から(都はるみ 75年 12月1日) 年間3位そして 年間2位は洋楽で ビューティフルサンデー(ダニエルブーン)
2020/11/12
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1972年から1974年まで年鑑1位が お笑いグループの演歌だったわけですが1975年もある意味似たようなものでさくらと一郎の 昭和枯れすすきだったわけですそしてレコード大賞は前年に続いてやはりフォーク系の小椋佳が作曲し演歌系の布施明が歌ったシクラメンのかほりでしたこれが年間2位ジャンルの異なる作り手と歌い手という戦略は以後当然のものになっていきますアイドル系では男性は新御三家と沢田研二女性は淳子と百恵が2強だったでしょうか<ここから20年前のチャート30年史>1975年 年間第1位は 74年の7月に発売された 昭和枯れすすき (さくら と 一郎) (関係ない話だが サクラ大戦の 主人公が一郎なのはたぶん・・・)レコード大賞は 小椋佳 の作品シクラメンのかほり (布施明)年間2位で 2年連続でフォーク系の作品が受賞年間3位 は 想い出まくら (小坂恭子)4位に 時のすぎゆくままに (沢田研二)5位に 港のヨーコヨコハマヨコスカ(ダウンタウンブギウギバンド)と ポップス系が続く新人賞はたしか 心のこり (細川たかし) だったと思う そのほか あなたにあげる (西川峰子) 中の島ブルース (内山田洋とクールファイブ)など演歌系も強いが いわゆる ニューミュージック の進出も目立ち 春には 22歳の別れ(風) 年間7位 や我が良き友よ(かまやつひろし) 年間9位 秋には いちご白書をもう1度(バンバン)年間13位 などがヒットしたアイドル系は 山口百恵 桜田淳子 岩崎宏美などが常連になり男性は 新御三家が安定していたそのほか Gメン75の主題歌の面影(しまざき由理) や旅愁(西崎みどり)さらばハイセーコー(増沢末夫)学校の先生(坂上二郎)裏切りの街角(甲斐バンド)など個性的な曲も数多い
2020/11/10
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1974年になるとヒットチャートはフォークだけじゃなくて洋楽の影響を受けた曲が多くなってくるんですが洋楽そのものはヒットチャートから消えていきますレコード大賞もフォークの人が書いた曲を演歌の人が歌った曲年間1位はお笑いグループが歌った演歌ところが紅白はヒット曲のないベテランが多く出場してかなり奇妙な感じになってきました<ここからチャート30年史>この年の年間第1位は73年の11月に発売されたなみだの操 (殿さまキングス)なんとお笑いグループでありながら 200万枚の大ヒットとなった新人賞は うそ (中条きよし)そして 吉田拓郎 の曲を演歌っぽく歌った襟裳岬 (森進一) がレコード大賞そのほか くちなしの花 (渡哲也)など比較的演歌が好調で、フォークあり アイドルポップスありの面白いチャートが続くが 洋楽は急に失速 TOP50にはわずかにイエスタディズワンスモア (カーペンターズ) 1曲のみあとこの年は 中日ドラゴンズが2度目の優勝をした年 なので燃えよドラゴンズ(板東英二) 名古屋地区では大ヒットしましたあとフォーク系で かぐや姫 とか NSP とか深夜放送ではよくかかってました吉田拓郎 井上陽水 とかも認知されていました <<この年の紅白>>初)山口百恵/ひと夏の経験 (初)西城秀樹/傷だらけのローラこのころから オープニングはヤングアイドル対決 が定番になります山口百恵は2年目で初出場(2)アグネス・チャン/ポケットいっぱいの秘密 (初)中条きよし/うそ(2)チェリッシュ/恋の風車 (2)三善英史/愛の千羽鶴このあたりまでデビュー2、3年のフレッシュな顔ぶれが続きますが(4)小柳ルミ子/冬の駅(5)フォー・リーブス/急げ!若者(初)桜田淳子/黄色いリボン (4)堺正章/枯葉の宿(8)佐良直美/花のフェスティバル(2)郷ひろみ/花とみつばち(8)梓みちよ/二人でお酒を (初)殿様キングス/なみだの操(4)南沙織/夏の感情 (3)野口五郎/甘い生活(2)森昌子/おかあさん(8)菅原洋一/ケ・サラ(5)和田アキ子/美しい誤解 (初)海援隊/母に捧げるバラードベテランと新人が入り混じり(4)山本リンダ/闇夜にドッキリ (7)美川憲一/はしゃぎすぎたのね(4)森山良子/ある日の午後(15)橋幸夫/沓掛時次郎(10)都はるみ/にごりえの町(初)渡哲也/くちなしの花(10)水前寺清子/てっぺんまごころ(12)北島三郎/寒流ベテラン対決になっていきます(初)あべ静江/みずいろの手紙 (5)にしきのあきら/花の唄(初)ペドロ&カプリシャス/ジョニイへの伝言 (13)村田英雄/皆の衆(初)小坂明子/あなた (11)三橋美智也/哀愁列車(3)天地真理/想い出のセレナーデ(3)内山田洋とクール・ファイブ/海鳴り再びベテランと新人の対決が続き(2)八代亜紀/愛ひとすじ (4)五木ひろし/浜昼顔(16)ザ・ピーナッツ/ブギウギ・ビューグル・ボーイ(8)布施明/積木の部屋(6)いしだあゆみ/美しいわかれ(16)春日八郎/雨降る街角(8)青江三奈/銀座ブルーナイト(18)フランク永井/おまえに(6)由紀さおり/挽歌 (3)沢田研二/追憶(5)ちあきなおみ/かなしみ模様(17)三波春夫/勝海舟(18)島倉千代子/襟裳岬(7)森進一/襟裳岬終盤はベテラン対決が続きます思い出せない曲や ほとんど聞いたことない曲も多い(特に終盤)
2020/11/08
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1973年になるとそれまでアングラ扱いされていたフォークが一躍脚光を浴びてヒットチャートに登場するようになりました拓郎 陽水 かぐや姫 などは誰もが知る存在になっていましたアイドル系も元気で新御三家や中3トリオが活躍しましたとにかくヒットチャートに多様性がありましたね<ここからチャート30年史の記事>このころから いわゆる演歌・歌謡曲と、フォーク、アイドルポップスなどが入り乱れ、チャート的には大変面白い。ロングセラーも多く レコードが決して安くはなかった時代なのに音楽文化は活発だった。FM放送や深夜放送、そして普及してきたオーディオがレコードの売上を支えていたし、TVの歌番組も結構あったから面白い時代だった1972年の 年間第1位 は 女のみち だったが 1973年の1位も 女のみち すなわち2年連続で年間売上1位なのであるが皮肉にもこれが他の演歌のチャート進出をはばんでしまうかわってチャートの常連になったのが ア軍団 と フォーク勢であったア軍団は名前が あ ではじまる女性アイドルで天地真理 アグネスチャン 浅田美代子 麻丘めぐみ あべ静江 らがかわるがわるチャートの上位を占め これに 南こうせつとかぐや姫 チューリップ などのフォーク勢野口五郎 西城秀樹 郷ひろみ の新御三家森昌子 桜田淳子 山口百恵 の中3トリオ がからんで第1期アイドル黄金時代を築くわけです<<この年の紅白>>(5)いしだあゆみ /ブルーライト・ヨコハマ (10)西郷輝彦/星のフラメンコなどはずっと前の曲のような気がする(初)森昌子/せんせいたぶん 15歳2ヶ月 で最年少記録(初)八代亜紀/なみだ恋♪夜の新宿 ・・・(7)菅原洋一/今日でお別れこれも古い(初)チェリッシュ /てんとう虫のサンバ(初)ガロ /学生街の喫茶店フォーク系で出場してるのはこれくらい(初)麻丘めぐみ /私の彼は左きき(初)三善英史 /円山・花街・母の街ともに2年目で初出場(3)山本リンダ/狙いうち (初)アグネス・チャン /ひなげしの花(初)郷ひろみ /男の子女の子(2)天地真理 /恋する夏の日(2)沢田研二 /危険なふたり(6)森進一 /冬の旅このあたりは代表的なヒット曲終わりのほうは ほとんどナツメロ大会みたいだった中には1年に1回しか見ないような人も・・・ヒット曲のない化石歌手が出るのも紅白 ということでしょうか
2020/11/06
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1972年になると洋楽は後退しフォークやアイドルがチャートを賑わすことがおおくなりました演歌は勝ち組と負け組の差が激しくなり多くの演歌歌手が苦戦する中芸人?のぴんからトリオが大活躍女のみち が年間1位を獲得するわけですフォーク歌手が歌う演歌?という意味で異色だったのがこのあとは逆に演歌歌手が歌うフォーク が多くなりました赤色エレジー という劇画がガロ に連載されていたのは1970年からですが歌のほうは1972年発売この年は ガロ が話題になった年でした<ここから20年前のアイドル30年史の記事>女のみち(宮史郎とぴんからトリオ) 72年5月10日発売この年は、この曲しかないでしょう。歴代演歌の売上第1位こんなに売れると誰が思ったでしょうか(元はお笑いグループ)まあ 声に強烈な個性があるから・・・レコード大賞は 喝采(ちあきなおみ)演歌系ではほかにも夜明けの停車場(石橋正次)瀬戸の花嫁(小柳ルミ子) などヒット曲は多い年っでした。チャートの推移年明け草々に 雨の御堂筋の10週連続を阻止したのは悪魔がにくい 平田隆夫とセルスターズこの曲71年の8月に発売されて、半年かかって1位になっている。洋楽では マミーブルー ポップトップス が健闘するも1位はならずウドユルゲンスの夕映えの2人をカバーしたペドロ&カプリシャス の 別れの朝 が1位に (ボーカルは前野曜子)終着駅(奥村チヨ)も健闘およばず、発売からわずか1ヶ月の ちいさな恋 天地真理 が1位についで 愛するハーモニー ニューシーカーズ夜明けの停車場 石橋正次太陽がくれた季節 青い三角定規 など1位はとれなかったが結婚しようよ よしだたくろうママに捧げる詩 ニールリード芽生え 麻丘めぐみせんせい 森昌子ひまわりの小径 チェリッシュなど今でもカラオケでよく歌われている曲が多いこちらもどうぞアイドル50年史 1972年 | 犬も歩けば地雷を踏む@雅没徒始原本家- 楽天ブログ (rakuten.co.jp)
2020/11/02
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チャールズブロンソンが歌ってるわけではなく歌っているのは ジェリー・ウォレス という人ですオリコンの創刊された1968年から現在までで最も洋楽の強かった年ではないでしょうかおそらくこの時期に続々と開局した民放FM局の影響でしょう1月11日のトップ3は1、霧の中の2人 (マッシュマッカーン)2、悲しき鉄道員 (ザ ショッキングブルー)3、男の世界 (ジェリー・ウォレス)邦楽のほうでも外国人の作曲家や外国人の歌手が活躍しました♬小糠雨降る御堂筋 心変りな夜の雨冒頭から情景が鮮やかに浮かびます70年代頃の歌って必ず背景を描いてましたたぶん80年代以降になるとMVが普及して歌詞は情景よりも心情を描くようになったんだと思います <ここから20年前のチャート30年史の記事>ずこの年は異常に洋楽が強い。1月11日のTOP10を見ると1、霧の中の2人 (マッシュマッカーン)2、悲しき鉄道員 (ザ ショッキングブルー)3、男の世界 (ジェリー・ウォレス)なんと上位3曲が洋楽、 そして8位の 京都慕情 と9位の 京都の恋 (ともに 渚ゆうこ)はベンチャーズの作曲だから、5曲が外国曲ということになる。他の曲もソルティーシュガー やドリフターズ など変わった曲が多い。森繁久弥の知床旅情(早春賦に似ている)を加藤登紀子がヒットさせたり、イスラエルのヘドバとダビデが ナオミの夢をヒットさせたりそんななかでよこはま・たそがれ(五木ひろし) 71年3月1日いろいろ芸名を変えても成功しなかった 松山数夫 がついにヒットを飛ばした。この曲、ほとんど文章になっていない要するに 名詞の羅列 なんである。こんな手もあるのか と思った もちろん歌は抜群にうまいし、強烈なインパクトの曲だった。レコード大賞は また逢う日まで(尾崎紀世彦) 71年3月5日さらに、わたしの城下町(小柳ルミ子)、雨のバラード(湯原昌幸) とヒット曲が続き、しめくくりは雨の御堂筋(欧陽**) 71年9月6日 9週連続でオリコン1位を独走し、有線大賞もとってしまった。この曲も、作曲はベンチャーズで、外国製演歌?の大勝利となった。結局この年はチャートを見る限り 演歌・歌謡曲 と 洋楽 が強くフォークやロックは深夜放送などでブームを呼んだけれどもセールスとしては伸びなかった年間チャートは
2020/11/01
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2020年も11月に入りました20年くらい前に チャート30年史 というのを書いたんですがネット上のデータっていつ消えるかわかりませんからここらで加筆修正して チャート50年史にしておくのも悪くないでしょう思い立ったらキッコーマンもしかしたら戦い続ける人たちを笑っていた戦わない奴ら が日本をこんな国にしてしまったんだろうな<ここから20年前の記事に修正を加えたもの>1970年というのは 大阪で万博が開かれた年でした。1969年には世間を騒がせた東大安田講堂事件があり、言論や表現の自由が次第に脅かされていき日米安保条約の自動延長をめぐって社会が騒然としていました。高度成長の時代で、電化製品が普及し生活がどんどん便利になっていきました。この年名古屋では FM愛知 が開局し、いろんな音楽が手軽に聞けるようになりました。オーディオはまだそんなに普及していなかったので、テープはオープンリールエアチェックもそんなに簡単ではありませんでしたがそれでも音楽が身近な存在になりました前の年の10月5日に発売された 黒ネコのタンゴ(皆川おさむ)が、70年にはいっても独走を続け14週連続の1位。これを止めたのが 逢わずに愛して(内山田洋とクールファイブ) 69年12月5日発売 このころの曲は発売されてから、じわじわチャートを上がってくるのが普通だったんです。ついで、ややポップス調の 白い蝶のサンバ(森山加代子) に続いて圭子の夢は夜ひらく (藤圭子) 70年4月25日いやあ、宇多田ヒカルのおかげで随分有名になりましたね。この年案外演歌は低調なんですが、この曲と 女のブルース で孤軍奮闘してます。その後ポップスや洋楽のヒットが続き下半期最大のヒットとなったのが京都の恋 (渚ゆう子) 70年 5月25日ベンチャーズの作曲で、発売されたのは5月だけど、チャート上位に登場するのは 10月になってからで、11月9日に1位となり、以後年内は1位を独走しました。しかし作曲者が外国人であるため、テレビの ベストテン番組には出演できませんでした。レコード大賞は 今日でお別れ(菅原洋一)手紙(由紀さおり)などもなかなかの名曲だった。この時代は洋楽がけっこう強くて、しばしばチャートに登場するんだけどラブマの件でよく話題になる ヴィーナス(ザ ショッキングブルー) とマンダムのCMでおなじみの 男の世界(ジェリーウオーレス)などがチャート上位に進出しました。J-POPの源流 ともいうべき日本のフォークは深夜放送やFM放送では人気がありましたがまだ相対的にレコードの高価な時代でしたからチャートには登場しませんでしたよしだたくろう が イメージの詩 でデビューしたのがこの年でした。 紅白 1970年この年の紅白で歌われた曲で はっきり歌詞やメロディーを覚えているのは・・・(初)日吉ミミ/男と女のお話 ♪恋人に ふられたの・・・(4)森山加代子/白い蝶のサンバ ♪あなたに抱かれて私は蝶になる・・(3)ピンキーとキラーズ/土曜日はいちばん ♪土曜日は 土曜日は・・・(初)トワ・エ・モア/空よ ♪空よ ・・・ (ヘ長調)(初)藤圭子/圭子の夢は夜 ♪赤く咲くのはケシの花・・・(初)にしきのあきら/もう恋なのか ♪恋というもの知りたくて・・ (変ロ長調)(初)ちあきなおみ/四つのお願い ♪四つのお願い聞いて・・・(2)いしだあゆみ/あなたならどうする ♪泣くの歩くの死んじゃうの・・・(2)由紀さおり/手紙 ♪涙でつづり終えたお別れの手紙・・(4)菅原洋一/今日でお別れ ♪今日でお別れね もう会えないカラオケで歌えそうなのはこれくらいですね。 でも個性的な曲が多かったとおもいます。
2020/11/01
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