★mamie.JN★のつぶやき

父のメモリーデイ


彼は私の成人式の晴れ姿を楽しみにしていた
しかし
一緒にお祝いすることは出来なかった

私は短大の短期留学のためアメリカに行っていた
相手の言っていることすら
理解するのに困難だった、その頃の私
好きだった男性に会いたくてもう一度プログラムに参加したのだ

英語はできないため、
授業も聞いていてつまらないし
そんな日々の中で
家族への連絡はあまりしていなかった

残り2週間あまりのときに
家に国際電話をかける

「はい、もしもし###です」
父だった

私は、私には甘い父に優しくすることが出来ず
いつも生意気なことを言っては彼を困らせた
父も私には直接厳しいことを言ってくることはなかった
私のやりたいことには お金をつぎ込んでくれる人だった
物が欲しいときには甘える
それがいつものパターン
(本当にサイテーな私・・・)
あまりよい環境で育ってこなかった彼だが
私の母の父と出会い
変わっていった
祖父の会社へ就職した
母の父はとても厳しい人だった
私が小さいときに他界したので あまり憶えていないのだが
それでも胸の中は 優しい人だったらしい
私の父も影響を受けたのか
物心つくころには とても情深く すごいおせっかい!!
(このあたり似ていると母に言われる・・・汗)
しかし兄にはとても厳しく
いつも上から押さえつけられていた
男だからだろうか
殴られることもしばしばあった

留学生活の中で いろいろ友人関係も問題があり
私はそこにいる 誰一人に相談すらしなかった
心配をかけてはいけないので
もちろん家族へも・・・
そんな心境の中、私は父に優しくないことを自覚し(遅いですよね)
日本に戻ったら 彼とどこかへ出かけたり
もっと話をしようと思っていた

なので父が電話先にでたのもいい機会だと思い
話そうと思ったら、
「ちょっと待って、お母さん!!MAMIEから電話だよ!!」
っと母に変わってしまった。
これが父と話す最後の会話だとは思わずに
私は 日本に戻ってから話をすればいいやぁ・・・
っと その後も電話はしないまま日本へ帰国した

相手の言っていることがわからない私は
短大の卒業資格をとることもできず
申し訳ない気持ちでいっぱいだったため
成田についても電話をしなかった

家に戻ると 誰も居ない様子
白いお花がたくさん飾ってある
玄関にある鏡越しに リビングに
父の写真が写真立てに入っているのが見えた
何がおこったのだろう
わかっているのだけど、わかりたくない
黒い生地がかぶせてあるテーブル
一通の手紙
母からだった

「父が死にました。
 兄と急いで葬議場まできてください。」

2階から降りてきた兄と一緒にタクシーに乗った
何がなんだかわからず、兄と二人で泣くしかなかった
葬議場につくとさっきまで泣いていた私はどこにいったのか
気丈にふるまっていた
母方の家族は誰一人もきてくれなかったけど
父の友人たちはきてくれた
私はその日から 胸の中に鍵をかけてしまった
いまでもその頃の数年は
ほとんど憶えていないほど。。。

母と兄は二人で話し、
私が帰ってくるまで火葬を延ばしていた

一週間ほど前に

自宅近くのホームセンターに母と買い物に行った父

調子が悪かったらしく
父は車で待つことに・・・
10分ほどして 母が戻ってくると
父は眠っているかのように 息をひきとった

桜の散る春だった

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