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久しぶりに音楽の話しを書こう!毎年のハルイチで、毎年出会うバンドがある。DEEP COUNTと言うバンドだ。ジャンルは何かと尋ねられると困る。ギターが居て、ベースが居てドラムスはツイン、ボーカルの桑原はトランペットを吹き、やっと歌うのかと思ったら、聖書のような本を取り出して、おどろおどろしい新興宗教のような文句を並べ立てるのだ。1曲は長尺が多く、そのサウンドは重厚で且つ繊細、単に音がでかいと言うだけでなくグルーブもある。しかしその訳解らない雰囲気がもうひとつで、どうしても馴染めないバンドだった。ハルイチは4日間のうち、毎年2日か3日しか行かないが、何故かこのバンドとは毎年出会う。いつも夕暮れ時、トリの3つぐらい前に出演する。結構重きを置かれているのだろうけど、自分にとっては、え〜〜また、こいつらかあって感じだったのだ。今年も3日目の夕方に登場。ああ・・またこいつらかあ。トイレにでも行こうかなと思いながら聴いていた。今年は、自分の好きなミュージシャンであるAZUMIが何故かギターで参加していた。今年は何となくいつもと違う。段々と音の中に入り込んでいく自分を感じていた。いつもよりさらに力強く、上手くなったなあと感じていた。そしていつものようにボーカル(って歌ってるところを見たことがないけど)の桑原がトランペットを置いて本を取り出し、ナレーションをしゃべり出した。その時、背筋にぞくっと来るものがあったのだ。ロックンロールとは、坂を転がり落ちていくことではなくて、坂道を上に向かって必死に転がる。目の前に何が見えても、空に浮かべろ、響きに込めろ、愛の分け前を魂に捧げろ!もっと目覚めろ!口笛を鳴らせ!全部は覚えてないのだが、そんな感じの言葉を聴いたとき、自分の心の中に火が付いた。これはデジャブなのか?思い出したのは、じゃがたらの江戸アケミである。1990年に風呂の中で溺死した江戸アケミ。彼が死ンでもう25年になるのだ。30歳前後の時に毎日のように聴いていたじゃがたら。江戸アケミは歌っていた、「口笛を鳴らせ!」そうだ。そう言えば、江戸アケミだって、しょっちゅう訳の分からないアジテーションをステージで怒鳴っていた。それを包み込む、心地よい無国籍なビートがあったのがじゃがたらの音楽だった。DEEP COUNTとじゃがたらの接点を私は知らない。接点があったのかどうかもわからない。ボーカルの桑原が、じゃがたらが活躍していたときにどれぐらいの年齢だったのかそれもわからない。しかし、彼らの音楽には確かにじゃがたらに通じるスピリットがあるのに気が付いたのだった。江戸が死んでから作成された3枚組のビデオ(今ではDVDで発売されている)のクレジットで、製作を担当していたギターのotoが確かこんな風に書いていた。このビデオは、じゃがたらの事など何も知らないのに、同じような独自の嗅覚でじゃがたらの音楽に近づいてくる奴らのために残しておくのだ。この曲の方で私は思わず立ち上がっていた。訳のわからない叫び声をウォ〜〜とあげながら手を叩いていた。今まで、どちらかと言えば近づきたがらなかったバンドが急にストンと自分の心の中に入ってきた。彼らの音楽が嫌いだった訳じゃない。何か惹かれつつも自分に分からないものへの恐怖のようなものがあって遠ざけてしまっていたのだろう。彼らの音楽が変わったわけではない。私の心が熟成してやっと彼らの音楽に追いついたのだと思う。帰ってきてアマゾンで検索した。長く活動しているにも関わらず、まだアルバムは2枚しか出ていない。まあ、そんなに売れないだろうなとは思う。新しい「脊髄」と言うアルバムを買った。こんなオドロオドロしいジャケットだ。どれも長尺の曲が5曲収録されている。ラストの「戯れ言」と言う曲が、私がハルイチで遭遇した曲のようだ。歌詞も微妙にライブにより変わるようで、私の脊髄に嵌ったフレーズも歌詞カードでは微妙に異なっている。パソコンのスピーカーで聴くと、大人しくて聞きやすい感じだが、実際は爆音大音量で、グルーブ満載の音だ。機会があれば是非聴いてほしい。3年越しでやっと出会えた。こんな風な出会いもある。これが音楽だ。来年のハルイチで、私はきっとこのバンドの音で踊るだろう。ありがとう、DEEP COUNT!この戯れ言と言う歌の動画をYouTubeで発見。いやあ、何でもあるんですね、ここは。戯れ言前半戯れ言後半
2013.06.17
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桑名正博さん、亡くなったんですね。野性的な太い声、哀愁のシャウト。不世出のロックボーカリストでした。ギターもとても味わいがありました。大麻で検挙されたりしたけど、まあご愛嬌。もっともっと長生きして、ナイス爺になって欲しかった。桑名さんと言えば、シングル、アルバムで同時No1ヒットとなった「セクシャルバイオレットNo1」が有名ですが、自分の中ではなんと言ってもこれ。夜の海僕のカラオケの愛唱歌でもあった。そして、関西人では知らない人が無いというラブソングのこれ月のあかりどちらもテレビ出演のライブですが、とても素敵なギターと歌です。何度もYouTubeに登場して、削除されている映像なので、お早めに。そして、妹の桑名晴子さんの持ち歌も、いつしか自分の歌に・・あの頃のままどれも、素晴らしい忘れら無い曲です。ご冥福をお祈りします、天国でも、ロックしてください。
2012.10.26
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先日、山下達郎さんのライブへ行ってきました。いつも、マイナーな歌手ばかり追いかけていると思われているけど(勇造さん、ごめん)、達郎さんもユーミンもサザンも大好きなんですよ。あ、ジャニーズは嫌いだけどね。ただ、メジャーな人になると、ライブのチケットを取ったりする苦労が嫌で・・誰かがひょいと連れて行ってくれるならいつでも行くんです。と、言う訳で今回は娘の家庭教師の先生が、抽選でチケットを2枚ゲットしたけど、行く相手が無くて探した居たところに、パクっと食いついた訳です。達郎さんは、歌も好きなんですけど、音楽に体する姿勢、先人達(主にブラックミュージック)へのリスペクトを忘れずに、その伝統を踏まえた上に、あの彼独自の音楽がある。そういうのが、彼がDJをやっているラジオ番組などを聞くとよくわかるんです。思わず襟を正してしまうんだよね。だから、達郎さんって「さん」づけで呼んでいる訳です。そういえば、大学生の頃、彼がNHK-FMでやっていた「サウンドストリート」と言う番組にリクエストハガキを出して、読んでもらって曲をかけてもらった事がありました。嬉しく懐かしい思い出です。村上春樹の「風の歌を聴け」に出て来た曲が聞きたくてリクエストしたんだよなあ。達郎さんは、小説の題名は書いてなかったのに、ちゃんと解ってくれていました。その時の曲がこれ彼が音響の悪い武道館やドームではライブしないのは有名で、「丁度このぐらいのキャパがいいんですよ」と僕らの行ったホールを褒めてくれていました。時々マイクから離れて生で歌う時もあるけど、それでもちゃんと声が聞こえるんですよ。PCの打ち込み全盛の今だけど、もちろんコンピュータも使うけど、あくまで主体は人間で、ギターを弾いて、歌を歌ってと言うのを大事にする姿勢が見えてとても素敵でした。アンコールを含めて3時間以上、ギター弾きっぱなし、歌いっぱなしには圧倒されました。ハイライトは「希望と言う名の光」。この歌は、彼によると、親しい友達の為に書いた歌なんだけど、その直後に震災が起こり、震災からの復興に絡めて歌われるようになった。そんな風に、歌は作り手の思惑を肥えて別の意味を持ち始める事がある。それならば、作り手はもう一度、その意味を引き受け直して、聞き手に差し出す義務がある。そんな真摯な語りを入れながら歌ってくれた時には、思わず涙が出そうになりました。希望と言う名の光達郎さんのファンで居て良かったなあと思ったのよ、改めて。どの曲も、少し聞けば、あの頃の自分の事が思い出されて来て、懐かしかったけど(決して懐メロって事じゃないですよ)、解ったことは、彼の歌には邪悪なものとか、よこしまな物がない。本当に純粋でまっすぐなんです。気持ちの良いぐらい。マンガで言えば、悪人の出て来ない「ちばてつや」みたいなものですね。コンサートが終わった後は、魂が純化されたような気分になって会場を後にしたのでした。ありがとう達郎さん。
2011.11.24
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今夜は、寅屋と言うライブハウスへ、アズミと金森幸介のライブを見に行ってきました。アズミはご存知3年前に勇造さんと一緒に我が家でのライブに呼んだ人。毎年GWに大阪は服部緑地で開催される「祝春一番コンサート」でも顔になりつつあるミュージシャンです。僕と同い年ね。コースケさんは、アズミより一回り年上。勇造さん達と同じく関西フォークの草分け的存在です。二人は仲よくて、前からよく一緒にやっていたと思うけど、ツアーを正式に一緒に回りだしたのは最近の事らしい。ソロで十分聞かせる二人、しかも全然毛色は違うけれど、ギターが凄くて、歌心を大事にしてると言うところは共通の2人のライブでした。まあ、動物に例えると、コースケさんはスマートな黒豹、アズミは猛々しいライオンと言う感じね。でも、時にそのイメージが入れ替わったりするのが面白い。開演時間の8時には、僕を含めて5人程度しか観客が居なくて、どうなることかと思ったけど、実際に始まった8時半ぐらいには10人程度、最後は20人程度でしっかり盛り上がりました。僕の前と左右の席には誰もおらず、ゆったりと聞けました。二人のギターが、そして歌が響き合い、交差し合い、いわゆる相乗効果を発揮していたな。アズミも、コースケさんも、また勇造さんとは別のタイプでギターが凄いんです。最近アズミが凝ってるワンストリングスギター。その名の通り、モロゾフのお菓子の空き箱にネックを付けて、弦を1本張っただけ。それをエレキギターのように増幅させているけど、本当に弦1本でオーケストラのようにギターを弾くのが凄いし面白かったよ。しかしさあ、こんな素敵なライブなのに、もっとしっかりと宣伝してよ、主催者の人。我が家のライブの方が人が多かったぜ。しかし良い音楽を聴くと、元気になるね。疲れ気味で、ちょっと落ち込み気味だったのだけど、素敵な音楽に美も心もほだされて、すっかりと元気になりました。これが音楽のパワーだと思うな。
2011.02.25
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今日はPTAの文化講演会に出かけてきました。徳島市小学校PTAの広報副部長をしている関係で、取材をする事になっていたからです。今日の講師は、シンガーソングライターの「うーみ」さんでした。実は恥ずかしながら、当日まで全く講師が誰か知らず、会場で講師の名前を見ても「UAじゃないのね・・」なんて思っていたのでした。でも、取材なのでカメラとノートはしっかりと持参して、メモを取りながら話しを聞いていました。シンガーソングライターなので、ピアノを弾きながら、歌を唄いながらのお話です。彼女は小さいときから絶対音感を持っていたのです。しかしそれ故、彼女が歌ったりピアノを弾くたびに人からは奇異の目で見られ、友人が減っていく。そんな理由から音楽とは離れがちになります。中学に入り彼女が打ち込んだのはバスケット。ご両親が北海道では有名な選手であった環境もあり、またバスケをしてご両親に認められたいと言う気持ちもあったと聞きます。北海道ではある程度有名な選手になり、大学は日本でも有数の関西の強豪校に入ります。実業団に進む事が夢だったと言う彼女を悪夢が襲います。19才の誕生日の前日、空中で大きな選手と激突した彼女は頭から落下。頸椎損傷となってしまうのです。手も足も動かない、尿意もわからない、体温を感じる事が無い。選手生命は終わり。そんな絶望の淵、友人が支えてくれ、彼女はリハビリでまたピアノを弾き始めます。最初は指1本1本を動かすのが出来なかったそうです。しかし、音楽の力?彼女は奇跡の回復をしたのです。大学時代に応募したボーカルコンテストでいきなり優勝。大学卒業時に彼女はプロの歌手になることを決意。阪神のキャプリポーターで訪れたのをきっかけに、高知が気に入りそこに住み始めます。でも、自分は何もまだやってない。自称歌い手、実はタダの人。彼女は1ヶ月でCDを作ります。そのCDが東京のプロデューサー(サザンや福山雅治も手がけている)の耳にとまり、デビューが決定。デビュー前に遊びに行ったアメリカで偶然歌ったことで、全米デビューの話しも出たけど、地に足をつけたいと言う事で日本に帰ってきた、その1週間後に千と千尋の神隠しのイメージアルバムの話しが舞い込んだそうです。千と千尋の挿入曲、「あの日の川へ」を唄ったのは彼女なのです。それ以外にも、彼女の歌は夏の甲子園の挿入歌、中国電力の宣伝の主題歌、チョーヤ梅酒のCMソング、吉本興業の小藪千豊(こやぶかずとよ)さんの為に『プリン』作曲など幅広い活動をしています。歌手になってからも彼女の身体は病魔に冒されます。以前から持っていた卵巣膿腫が突然大破裂。心臓はかろうじて動いているが呼吸をしてない状態で病院へ搬送。3日後に意識が戻ったときに枕元にいたのは、彼女が好かれていないと思っていたお母さんでした。頸椎損傷の時にも真っ先に駆けつけてくれたのはお母さん。「不憫だ・・代われる物なら私が代わってやりたい・・」泣きながらそう言うお母さんを見て、親と子の切っても切れない固いきずなを感じたそうです。そんな風に彼女を支えてくれたお母さんが今は病気に倒れている。彼女はお母さんを励ますために誓ったそうです。私が頑張っている姿を見せる。そのために私は紅白に出る!今までどちらかと言えば裏方(彼女曰く、私は芸能界の顔無しです)で活躍してきた彼女ですが、来年の紅白に出るべく積極的に活動をしているそうです。しかし彼女のライフワークは、子ども達に夢を与えること。どんな困難な状況でも、夢を諦めなければきっとそれはかなう。「どうせ・・・」と言うような子どもを一でも減らしたい。そんな思いを込めて、彼女は唄いながら、今日も全国を飛び回っています。学校、地域、PTAなどの講演依頼が後を絶たないそうです。素敵な歌とお喋り。お母さんの話のくだりでは、あちこちからすすり泣きも聞こえてきました。実は凄いシンクロがあったのです。僕が数ヶ月前、YouTubeを見ていたら、千と千尋の画像と曲が沢山あって、その中からこの曲が素敵だ、自分でもピアノで練習してみたいと思って楽譜をダウンロードしたのが、実は彼女が歌う「あの日の川へ」なのでした。今日、取材に来る事になったのは運命だったのかとちゃうのか?そんなことを思ったのでした。う~みさん、頑張ってください。紅白、うーみさんが出たなら、そのときだけ格闘技見るのを止めてチャンネルを紅白にします!講演会のタイトルは「音楽は魔法だ~あなたに会えて良かった」でした。この「あなた」は何だろう?それは音楽であるし、お母さんであるし、そして彼女が出会った全ての人たちなんだな、そう思いながら会場を後にしたのでした。うーみさん、のサイト
2010.11.27
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久しぶりに音楽の紹介でもしよう。上々颱風の首領である紅龍のソロアルバムが出た。バルド(紅龍)オドロオドロしいジャケットにだまされてはいけない。上々颱風と言えば、沖縄風サウンドに他のテイストをミックスしたチャンプルーサウンドがその特徴であるが、このアルバムはその殆どの楽曲を手がけている紅龍の根っこの部分を取り出してきたアルバムと言えるだろう。沖縄テイストと言うよりは、ヨーロッパの香りがする。上々颱風で彼が持っている三線バンジョーではなく、ピアノがフューチャーされた曲が多く、ロッカバラード的な曲が多い。シンプルな歌詞にシンプルで美しいメロディ。そして木訥だが力強い歌声。勇造さんみたいにギターのテクニックがあるわけではない。井上陽水みたいに歌が上手い訳ではない。しかし味わいのある声が美しいメロディに絡まって、シンプルな演奏故にまっすぐにこちらの心に届く。何も足さない、何も引かないって感じね。僕が一番気に入ってる、ラストの「星が墜ちてくる」のように、叙情的で美しい曲が多いけど、それだけにだまされてはいけない。大虐殺のバラードのような、ちょっとオカシイけどよく聞けばギクっとするような強力なメッセージの歌詞の歌もある。ジャケットのどくろの顔は、和やかな仮面の下にはこんな顔も隠れてるんだぞと言う警告かも知れない。今のところ、今年一番のお気に入り。ピアノで「星が墜ちてくる」を練習してるのよ。
2010.11.21
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浅川マキさんのDVDと言えば、1984年に出た「幻の男たち」が有名だ。僕はLDで持っていたけど、LDのハードが壊れてしまい、僕のネットアイドルである「えあじん」さんにこれも含めてLDを全部二束三文で引き取って貰った。けど、マキさんの死後やはりまた見たくなり、DVDで最近買い直したのだが、マキさんの遺作とも言うべきDVDが発売された。浅川マキがいた頃 東京アンダーグラウンドーbootlegg- 以下、アマゾンの解説より。本作は浅川マキ本人が生前に発売を目指して、全ての企画監修・編集を行っていたト゛キュメンタリー作品であり、紛れもない遺作である。■収録内容■文芸座ルピリエ リハーサル風景~ライブ映像~東芝EMI3stレコーディング風景~新宿PIT INNリハーサル風景~文芸座オールナイト公演~短編映画(男からの声)など収録予定◎全16P 田村仁監修写真集ヒストリーBOOK付[特別映像]2009年年末に行われた新宿PIT INNのライブ映像を収録予定今日届きました。早く見たいけど、最近忙しく・・春樹さんの1Q84にもまだ手を付けてないし。早く仕事をやっつけてしまわないと。
2010.05.12
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ああ・・こんな日記で書くとまたレスポンスが増えるのだろうと恐れつつ、やっぱり書いてみたい。正直なところ、やっぱり好きなのは聞いた頻度に比例すると思うので、貸しレコードでエアチェックをしていた大学生や社会人の頃よりも、お小遣いを貯めて買ったアルバムを半年ずっとそればっかり聴いていたような中学高校生の頃、つまり初期の方の曲=荒井由美時代の曲に愛着が深い。サウンドそのものは、後になるほどゴージャスになっていったんだけどね。そういうところで正直に書くと1ベルベットイースター2雨の街を3海を見ていた午後4雨のステイション5あの日に帰りたいと、こんな感じになってしまう。見事に荒井由美時代の曲なんだよね。でも、まあ松任谷由実になってからの方が活動も長いし、その中にも素敵な曲がいっぱいあった。だいたい5つにするのが無理なんだとちゃうかと思うけど。そういう訳でちょっと強引にある程度時代も勘案して選んでみたら1ベルベットイースター2あの日に帰りたい3埠頭を渡る風4DESTINY5リフレインが叫んでるになってしまった。あ・・順不同です。4のDESTINYを結婚式でかけた人がいるらしい。これって失恋の歌では?この曲は「DANG DANG」に変えてもいいねえ。感じが似ているでしょう。バラードと言う感じはユーミンにあまり似合わないけど(歌が下手だから?)スローテンポの静かな曲はかなり好きです。その代表が「雨の街を」と「海を見ていた午後」ね。ジャコビニ彗星の日と言うのも好きでした。単純にその歌詞とメロディーの好きもあるけれど、その時の自分の環境や精神状態などが大きく影響していると思うのよ。歌ってそうでしょう、こんな状況で聞いたから突然スポッと心の中にはまってしまったと言うのがあるよね。要するに、思い出や記憶と強烈に結びついたのが後々までずっと残っているような気がします。さて、みなさんはどうですか?
2010.03.09
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ユーミンとの出会いについては、何度かブログでも書いたような気がするけど、自分でも忘れて居るんだから誰も覚えてないと思うので、何度でも書いておこう。彼女がデビューしたのは丁度僕が中学1年になった1973年だったと思う。小学校6年生頃から、拓郎、泉谷、古井戸などのフォークにそまっていた僕が中学に入って始めたことは、英会話の勉強の為に買って貰ったラジオカセットで深夜放送を聞く事だった。最初の頃はヤンリク(ヤングリクエスト)と言うのを聞いていた。当時アルバートハモンドの「カリフォルニアの青い空」とかカーペンターズの「シング」とかギルバートオサリバンの「アローンアゲイン」とかがリクエストの上位に来ていた記憶がある。洋楽が中心だったのがイマイチだったのか、単にリクエスト形式だけだったのに飽きたのか、次第にTBSのパックインミュージックへと居場所が移っていった。パックは当時、前半と後半に分かれていて、後半は午前3時からの開始だったのでさすがに中学生は辛かったが、前半1時から3時までは必死で目を開けて耳をこらしながら聞いていた。この前半で火曜日の夜(正確には水曜日になるわけだが)を担当していた今は亡き林美雄さんと言う人は色々とアンテナの凄い人だったようで、当時無名だったミュージシャンを色々とリスナーに紹介してくれた。その筆頭がユーミンで、他に山崎ハコも林さんを介して知ったし、気がつかなかったけど勇造さんも結構かけてくれていたらしい。で、そのユーミンとの最初の出会いが、林さんがパックの中でかけてくれた、デビューアルバムの中のB面の1曲目だったかの「ベルベット・イースタ-」だったのだ。なんせ、とにかく新鮮だったのよ。それまでフォークギターの音が中心の曲ばっかり聞いていたでしょう。ピアノの弾き語りと言うのも初めてだし、女性シンガーを聞いたのも初めてだったし、なんか別の世界の音楽だったなあ。その日は衝撃で眠れなくて、白々とあたりが明るくなってきて、その中でもこの曲のイントロの旋律がいつまでも頭の中から離れなかったのだ。今から考えたら、そもそもこの曲のタイトルの意味だって分かってなかったんだし(実は今も分かってなかったりする)、歌詞のあのアンニュイな雰囲気と言うのも初めて味会う物だった。今まで聞いていた男の歌と違う異質の女の世界を垣間見たような気がしたのだった。そうかあ・・女性ってこんな不思議な生き物なんだ~って思った記憶がある。そういう意味で僕の女性初体験はユーミンだったのかも知れない(恥)。翌日にはアルバムを仕入れて、他の曲も聞きまくっていたし、後はアルバムが出るごとに買っていた。松任谷由実になってから暫くまでずっと買っていたかなあ。その後他の種類の音楽も聴くようになったけど、ユーミンのアルバムは新しいのが出るたびに大学生になった頃からは貸しレコード屋さんで借りて、カセットに録音。それと当時徳島のNHKFMでやってた「夕べのひととき」と言う番組では、アルバム一枚をまるまるオンエアしてくれると言う、今から思えば凄い番組があってそれを通してエアチェックをしていた。中学、高校、大学時代っていつもユーミンの歌は側にあったし、しかもいつも何年か年上で先を走っていたなあ。社会人となり、更に聞くジャンルが広がって、次第にユーミンの新作を追わなくなった。最後に買ったのは「リフレインが叫んでいる」が収録されているアルバムだったような気がする。あのリフレインも良かったよねえ。別に嫌いになったとかそういう訳でなく、いつしか離れていったけど、今ベスト盤のCDや(ユーミンのアルバムはほとんどLPでしか持っていない)YOU TUBEにアップされたのを見ていると、じわ~~っと涙腺が緩くなったりするのだ。沢山のアルバム、数え切れないぐらいの名曲書いたけど、でも一番やっぱり忘れられないのは「ベルベットイースター」なんだよなあ。最初の女が忘れられない??三つ子の魂百まで??ユーミンももうじき還暦のはず。まだまだモンスターのように頑張って欲しいものだ。今更かも知れないが、1度ライブにも行ってみたいなあ。このエレベーターガールのような衣装を着た動画はいつの頃だろう?ベルベットイースター
2010.03.08
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今日二つめの日記である。と、言っても既に日付は変わっているので、3月8日の日記と言う事にしておこう。どうしても今日中に書いておきたかったので。昨日のジェネリック薬に関しての続き・・・とはちゃうのん。全然違うのよ。今日の夜はのんびり、ヒロキと一緒にYOU TUBEを見ていた。二人のお気に入りのミュージシャンを教え合いながら、年代の相違を今更に実感していたのだった。まあドラゴンアッシュも、ガチ桜も悪くないけど、僕はやっぱり金森幸介や清志郎や、リクオの方がいいなあ。で、ヒロキがお風呂に入りに去った後、一人で色々ミュージシャンの動画を検索していた。ユーミンなんぞ沢山あるよなあ・・そう思って見てみたら、ありますね、確かに。僕の好きな「DESTINY」やら、「埠頭を渡る風」やら、「海を見ていた午後」やら。まあ、ユーミンに関しては書き出せばキリが無いほど色々と思い出やうんちくがあるんだけど、それは置いて。ユーミンが他人に提供した楽曲もたくさんあると思うけど、僕が知る限りその中のベストは、ブレッド&バターに提供した「あの頃のまま」(他に桑名晴子や桑名正博も歌っている)と、ハイファイセットに提供した「スカイレストラン」だと思っている。前者の動画は今までに何度も検索していたのだが、今日は後者の画像を検索していてその動画に付いているコメントを読んだりしているうちに、驚くべき事実を知った。このスカイレストランと言う曲は、もともと名曲の「あの日に帰りたい」に付ける歌詞として書かれたいたと言う事。だから、この2つの曲は、歌詞をとっかえても歌えると言うのだ~~。(皆さん知ってましたか?知らないのは僕だけ?)確かに両方ともボサノバ調で似てるけど・・でもメロディは違うしさ。で、更に驚くべき事にユーミンがライブのリハーサルで、このあの日に帰りたいを、スカイレストランの歌詞で歌っている動画がアップされているのだ。これは本当に貴重な動画かも。ん?若い人の中には、何を言ってるのかチンプンカンプンの人もいるかも知れない。まず、あの日に帰りたいを聞いてね。で、こちらがハイファイセットが歌うスカイレストラン。まだお尻の青い高校生だったの頃、この都会の香りのする歌にあこがれたなあ。今から聞くと凄く大人の歌詞なんですね。こんなシチュエーションになる年齢もいつのまにか過ぎてしまったと思うと寂しい限りだけど。そして、こちらが問題の(いや、別に問題じゃないけれど)、松任谷由美さんのあの日に帰りたい~スカイレストランバージョン。まあ、何となく違和感はあるんだけど、上手くはまっているねえ。こうなると、逆はないのか?スカイレストランの♪であの日に帰りたいの歌詞で歌っている奴だ。今のところアップはされてないようだけど。ついつい、自分で口ずさんだりしてしまっている。ユーミンの話しはまたゆっくりと。
2010.03.08
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昨日の日記の続きになる。で、リクオの新しいカバーアルバムで「胸が痛いよ」を毎日のように聞いていたのだが、それ以外の曲の中では「サヨナラcolor」と言う歌が、妙に切ない旋律、そして少し心をくすぐる歌詞で印象に残った。♪サヨナラから、始まることが、沢山あるんだよ~このフレーズが心に残ったんだよね。歌って言うのは、長ったらしい意味なんか必要ない、心に飛び込んでくるフレーズがあればそれが素敵なんだよね。例えば、勇造さんの歌では「生き急ぐ事は無い、死に急ぐ事もない」(花の都ペシャワール)とか、「選ぶことが捨てることで無いように、するにはどうすればよい」(行方不知)とかね。なんかスガシカオみたいなメロディーだけど、誰の歌だろうって検索して見た。こういうのはインターネットがあると便利だね。このタイトルで検索すると、ハナレグミと、super butter dogと言う二つのグループが浮かんできた。で、もう少し詳しくお勉強すると、なるほど、スーパーバター犬(なんちゅう名前じゃ)のボーカルの永積タカシのソロユニットがハナレグミなのねとわかる。で、YOU TUBEで検索して見たら、この歌に関しては沢山ある。スーパーバター犬のPVも素敵だけど、なんと言っても心を奪われたのはこれ!ハナレグミ&忌野清志郎 サヨナラcolorうう・・・なんて素晴らしい歌声なんだろう。清志郎が歌ってる「サヨナラから、始まることが 沢山あるんだよ」ってはまりすぎ。この永積タカシの歌声って、少しフラット気味で、切なくて哀愁があって、何とも良い味があるねえ。顔と声の不一致が著しいって話しもあるけれど・・。この動画、今のところ自分の中のマイブーム、ヘビーローテーションなのです。で、調べていて気づいたけど、この歌に感動した竹中直人が、同名の映画を作っていたのね。主演は原田知世、清志郎や中島みゆきがチョイ役で出たりしている。そういえば思い出したけど、ハナレグミのCDは1度聞いたことがある。当院のメインバンクの前の担当者は音楽の好きな人で、勇造ライブにも来てくれたし、僕のCD棚から、いつも何かを借りて帰っていた。その彼が好きなんですと言って貸してくれたのがハナレグミのCDだった。あの時は、ぼ~っと聞いていたのか、あんまし印象に残らなかった。リクオを介して聞いたのが良かったのか、それとも今がそういう巡り合わせになっていたのか。super butter dogはもう解散してしまっているけど、これも聞いてみたいし、映画も見てみたい。アマゾンのクリックがどんどん増えていく。ああ、でもこんな風に音楽が数珠つなぎになって自分の世界が広がっていくのは楽しい。
2010.03.06
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リクオに初めて会ったのは、確か1980年代最後の年か、90年に入ってすぐの頃だと思う。当時、住んで居た堺の官舎の近くの喫茶店の二階で、有山じゅんじのライブがあり、その二階の床に座ったライブの時に、有山が「おもろい奴が居る」と連れてきていたのがリクオだった。その時の印象は全然残っていない。歌を歌ったのかどうかも定かではない(多分歌ったのだろう)。次にリクオの名前を見たのは、西岡恭蔵さんと相方のKUROちゃんの追悼ライブのテレビ放映だった。その時のリクオは、バンドでピアノを弾きながら結構賑やかなジャンプナンバーを歌っていて、どうも追悼ライブと言う雰囲気に似合わなくて、なんでこんな歌を歌うのだろうと思っていた。その頃の印象は、器用貧乏、ただピアノが上手いだけの人、独りよがりのシンガーって感じであった。そして次の出会いは、何度目かの祝春一番のステージである。そのときは、有山のステージにバックとして、そして自分自身もソロとして歌っていたけれど、非常に歌心のある、胸にぐっと来る演奏と歌で、おお、リクオもなかなかやるじゃあないかって感じで思わず見直していたのだった。確か、前のテレビで見たジャンプナンバーもやったと思うけど、それだけじゃなくて、メローでリリカルな(彼が言うところのセツナグルーブ)歌と演奏だった。そして去年のハルイチ。俵越山の書動(書道では無いらしい)のパフォーマンスの後ろで流れていた、リクオの「ソウル」と言う歌とピアノは本当に素晴らしかった。そして彼自身の忌野清志郎に捧げたステージもとても素敵だった。この頃から、どっぷりと彼のファンになってしまった。昔のアルバムはあまり聴いていないが、最近の「アイノウタ」、「せつなグルーブ」、「セツナウタ」、「What'w love」あたりのメロー、セツナ路線、そして少し前の名曲「ケサラ」が含まれる「heaven's blue」あたりは本当に素晴らしいと思う。で、彼が最近出した新しいアルバムがこれだ。RIKUO&PIANOこれはデビュー20周年を迎えた、リクオ初のカバーアルバムである。収録されている曲は所謂日本の隠れた渋い名曲が多い。全てリクオが手塩にかけてステージで歌ってきた曲なのだろう。氷の世界や機関車はかなり前のアルバムにも収録されていて、再演の形になる。1 ホーボーへ2 魚ごっこ(どんと)3 アフリカの月(大塚まさじ)4 サヨナラCOLOR5 スローなブギにしてくれ(南佳孝)6 時の過ぎゆくままに(沢田研二)7 キャンディー(原田真司)8 氷の世界(井上陽水)9 機関車10やさしさにつつまれたなら(荒井由美)11道草節12胸が痛いよ(RIKUO)自分が知っているオリジナルを書き出してみた。歌と自分のピアノだけで、真摯に歌と向かい合っているリクオの姿が見える。そしてカバーアルバムだけど、唯一のセルフカバー、忌野清志郎との共作でもある「胸が痛いよ」がこのアルバムの白眉だと思う。今年のハルイチのライブ演奏と比べて、少しテンポも落とし、淡々とシンプルにそして美しく歌い上げている。どっちの演奏も甲乙付けがたいけどなあ。清志郎に対するリクオの思いが凝縮されているような演奏と歌だ。この曲も、たしかデビューアルバムに収録されているが、アコーディオンを弾きながら歌うその演奏に比べても、格段に曲の美しさが違っていると思う。その違いがこのミュージシャンの20年の間の生き様なのだと思う。回り道をしたような気がするけど、会えて良かったミュージシャンだと思う。(まだ明日に続く)リクオ祝春一番2009での「胸が痛いよ」
2010.03.05
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ここ数年、毎年のように聞くライブと言えば、我が家の勇造ライブとGWに大阪は服部緑地公園で開催される祝春一番コンサートだけだ。もっともっと行きたいけどなかなか時間がないんだよなあ。その祝春一番、出演者の平均年齢は高い。まあ、最初にこのコンサートが始まったのが1975年でその頃の主催者が還暦を超えた今となっても頑張って主催しているし、出演者もその頃からずっとやっている人たちが中心だからなあ。かと言っても年寄りの同窓会とか懐メロコンサートみたいなものではない。90年代のバンドブーム=シンガーソングライターの不遇の時代を乗り切ってたくましく歌ってきた人たちの音楽はしなやかで強く、そして優しい。そのハルイチは今やGWの風物詩のようになり、毎年入場者も増えているらしい。それも若い人がよく来るようになったとのこと。良い音楽は世代を超えて伝わっていく物なのだ。前置きが長くなったけど、そのハルイチにも少しずつ若いバンドが出演する。どういう基準で出演者を選んでいるのか不明だが、主催者の風太さんやアベちゃんのお眼鏡にかなった人たちが出ているのには違いない。ソロだったり、バンドだったりなるほど今風の若者が聞いてるような音楽なのだが、何故だか僕らのような世代にも不思議とシンクロすると言うか心に響いているのが多い。昨年のハルイチでは、ロスト・イン・タイムと言うバンドと、もうひとつリトルキヨシとミニマム!gnk!(ミニマムゲンキと読む)と言うバンドを見た。取っつきやすかったのは前者で、後者の方は何じゃこれ?って感じがあったのだけど、不思議と心に引っかかって会場でアルバムを買って帰った。そして何度も聞き返すようになり、最近出た新作まで買ってしまった。リトルキヨシとミニマム!gnk!「ほんとう」リトルキヨシとミニマム!gnk!公式サイトこのバンドはギターとボーカルのリトルキヨシと、ドラムスとボーカル、そしてポエトリーリーディングのミニマム!gnk!の2人からなる最小偏盛のバンドだ。不思議と言葉がこちらの心に届いてくるのよね。言葉が届くと言うのは、2つの意味がある。音楽的に、メロディーやリズムの上に上手く言葉を乗せていると言うのが一つ。そしてもう一つは、言葉の響き自体がこちらの心に響くと言う意味。このバンドはどっちも兼ね備えているね。こちらのサイトから四曲ほど試聴出来るぜヒロキの好きな、フランプールやラッドウィンプスよりも僕はこっちの音楽の方がずんと心に響いてくる。やっぱりアベちゃんや風太さんは見る目いや聞く耳があるんだなと思う。さて、今年のハルイチが楽しみである。
2010.02.27
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なんと今日で1月も終わりである。この秋から冬にかけては、新型インフルエンザの流行と、そのワクチン接種、ワクチンの問い合わせへの電話対応であっという間に時間が過ぎてしまった。しかし、それももう峠を越した感じである。新聞などで新型ワクチンがタブついて、在庫を抱えた医療機関は返品が出来ないので頭を抱えているとのこと。うふふ・・うちは在庫ゼロなんです。うちは元々ワクチンがあまり沢山回ってこなかったんだよね、最初は。厚労省が定めた基準通り申請したら、優先の患者さんは沢山いたけど、最優先の人はあまりいなくて、最優先の人から回ってきたから最初は来なくて、優先の人たちに回り始めた頃には、もう流行が下火になっていたので、申請した予定をキャンセルしたりしていたのよ(返品は出来ないが、受け取らないでキャンセルは出来る)。今だぶついている医療機関の多くは、恐らく最初頃の申請の時に、過剰に申告してワクチンを大量にせしめた医療機関のような気がする・・。あとは、地方自治体が集団接種をしたので、そっちに子どもの患者さんを取られたとか、接種しようとしていたら流行が始まって、受ける予定の人が患者になってしまったとかね。病気のある人からなんて言わずに、受けたい人から受けさせたらこんなにワクチンは余らなかっただろうと思う。中高生は新年度からとか、一般は1月26日からとか変なしばりを付けるからあかんのよ。しかし、公約はどうなった?いや、鳩山さんの話ではない、もちろんそれも大事だけど。小沢みたいな、自民党の一番汚い部分を引きずった奴は、さっさと引導を渡して首にしたらいいのにね。陸山会って、もろに名前からして越山会のマネじゃん。それが出来ないのがダメだね。いえ、僕の公約の話。公約じゃないけど、1月のうちに何とか体重を80kgを切ろうと思っていたのに、とうとう完遂できないままに2月になった。もう年をよるとなかなか痩せないんですかね。でもさあ、4月にシャコダンで女先生とペアでデモを踊る事になったので、それまでにはもう少しスタイルをよくしておこうと思っている。何とか、何とか・・。今日はちょいと嬉しい事があった。少し前に、浅川マキさんの訃報に際して日記を2日ばかり書いた。マキさんの歌で一番好きなグッバイの音源をYouTubeで紹介した。これは多分CDから音源をそのまま取ったものだ。この歌に関しては、もうひとつ「幻の男たち」と言う1984年のライブのDVDの中に収録されている。実はこのライブのレーザーディスクを以前所有していた。しかし、LDの機械そのものがダメになったので、自分のLDをまとめて数十枚、ネットで知り合った人に安値で差し上げた。それがブログの師、いや生き方の師であると勝手に思っているえあじんさんだ。多分えあじんさんも、マキさんの事について何か書くだろうと思っていたけど、お正月に旅行したミャンマーの報告で忙しそうだった。この方、確か去年の正月は一人でブラジルへ出かけていたし、毎年お正月は休みを取って、一人でバックパックを背負って見知らぬ国へ行くと言う身軽でしなやかなチャンジー(爺ちゃん)だ。マキさんの日記はまだみたいだけど、僕が差し上げたLDの音源を使って、YouTubeにグッバイをアップしてくれたとメールで連絡をいただいた。会ったことも無い見知らぬ人と、音楽を通じてこんな風に交流が生まれる。これもネットの醍醐味だ。さあ、明日から新しい月だ。公約を果たさねば・・。浅川マキ、1984年のライブより、「グッバイ」。ピアノ渋谷毅、サックス本多俊之、ドラム、セシルモンロー、ベース川端民夫、ボーカルつのだひろ
2010.01.31
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新型フルのワクチン接種で混み合った外来も落ち着いて、ぼ~っとネットのニュースを見ていたら衝撃的なニュースを見てしまった。歌手の浅川マキさん死亡公演先のホテルで倒れているのを発見されたが既に死亡されていたとのこと。享年67歳である。勇造さんや、そのほかのフォーク世代が還暦を迎えて益々元気だけど、それより少し上の世代。ブルース、フォーク、ロックなど色んな要素を含みながら独特の世界を構築していた。70年代から80年代にかけて、日本のジャズメンをバックに録音した何枚かのアルバム、「マイ・マン」や「灯ともし頃」が個人的には彼女の白眉だったと思っている。渋谷毅、本多俊之 後藤次利、川端民夫、坂本龍一、近藤等則、つのだひろ、向井滋春など日本の一流ジャズメンが参加。「それはスポットライトではない」はボビー・ブラントのブルーズに自分で歌詞をつけたもので、ロッドスチュアートやマンハッタントランスファーも歌っている。バックのつのだひろのコーラスが素晴らしい。「グッバイ」はジャズピアニストの板橋文夫のインストメンタルの曲に彼女が歌詞をつけたもの。旋律が美しく、間奏のサックスソロに泣ける。「夜」はオリジナルでラストの向井滋春のトロンボーンソロが凄い。この3曲が僕の好きな彼女のベスト3だ。目が見えないほどの近視らしかったし、ステージではいつも煙草吸ってるし、健康状態も良くないと聞いていたけれど、いつかは一度ステージを見てみたいと思っていた。今はそれもかなわなくなった。マキさんのLPとCDは殆ど持っている。これからもずっと僕の宝物です。安らかに眠ってください。YOU TUBE探したけど、上の3曲の中で1曲あった。これは僕も持っていたLD「幻の男達」の中の映像だ。レーザーディスクを見れなくなったので、このLDは空気人(えあじん)さんに安くお譲りしたが、きっと彼が大事にしてくれるに違いない。浅川マキ それはスポットライトではないいや探してみたらもっとあった。画像は無いけど、名曲の「夜」だ。浅川マキ 夜そして山下洋輔がピアノを弾く「都会に雨が降る頃」都会に雨が降る頃
2010.01.18
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今日は鳴門市のマザーズと言うパンとお茶のレストランへ有山じゅんじのライブを聴きに行った。ナビを信用しすぎて迷いながら着いたお店は、ログハウス風の洒落たお店。でも・・入り口を入ったらすぐステージの真後ろってセッティングはどうなんか?遅れて来たら入りにくいよね。で、ステージの真ん前はお店の円形カウンターで、客はその周囲とその奥のテーブル席に座るようになってるんだけど、カウンターの中には入れないので、一番ベストの空間がぽかっと空いてるのよ。これもちょっと・・。え~い、うちの病院を貸してあげるから、ここでライブをやれ~って言いたくなった。で・・レストランなので夕食も食べようと期待していたのに、今日は食べ物がありませんって言うので、急いで近くのお好み焼き屋さんへ飛び込んで腹ごしらえ。店に戻ったら既に前座のバンドが演奏を始めていた。ギター、マンドリン、バンジョーなどから編成の5人組。蛭子山ホームズと言うバンド。実はこのバンドのベースの人が、うちの担当の銀行員の同僚と言うので、それを通じて今日のライブのことを知ったのだった。まあ典型的なジャグバンド。やってる人たちがとっても楽しそうなのがすてきだ。銀行員の人は、ハンチングを斜めに被って、金タライにポールを立ててそれに1本の弦を張ったベース(ウオータージャグベースだったっけ??)を弾く。ベースを買えない貧乏な黒人達が作った楽器と言う。とても面白い。それにリードボーカルよりも彼の声の方がすてきだったな。さて、4曲ほどで前座は終わっていよいよ有山の登場。いつもなら缶ビールを持って出てくるのに、何故か今日はミネラルウオーターを持って出てくる。(後で解ったけど、車で来ていて今日中に家に帰るつもりらしい)スチールではなく、クラシックの弦を張ったギターをつま弾き出す。それだけで既に有山ワールド。今日の有山も、ジャグっぽいギターや歌をいっぱいやった。やっぱりアマチュアの人とは全然違うんだよなあ。前座の5人も達者で楽しかったけど、彼らを全部集めてもやっぱり有山の個性にはかなわない。結局はテクニックよりも個性だと思う。どこまでも肩の力の抜けた歌。等身大の歌の世界。ほろっときたり、思わず笑ったり。華麗なテクニックのギターに、シンコペーションの効いたボーカル、そしてぼそっと来る笑い。全てが独特の間を持った有山の夜だった。持っていったCDにサインをして貰い、上田正樹とこの夏に大阪の食い倒れでやったライブのDVDを買う。有山の音楽は、人を楽しくさせる。不快な物が全然後に残らない。理屈ではない頭からでない、体からすっと入ってくる歌。勇造さんとはまた違う世界。勇造さんは例えてみればすてきな学校の先生。有山は・・何やら魅力的な遊び人って感じかな。徳島には年に2回ぐらいは来てるらしい。また良い気分になりに行くよ。いつまでも元気で歌って欲しい。
2009.09.13
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いやあ、やっぱりYOU TUBEは凄いわあ。今日はたまたま別のものを検索していて(それが何だったか忘れた)、関連動画に金子マリさんの作品が多く、それをクリックしてるうちにとんでもないものを発見した。マリさんのアルバムの中で、この曲が入ってる「マリ&バックスバニー」だけがCD化されてないのよね。このアルバムの1曲目は本当に名曲なんです。家にはアナログLPがあるけど、アナログプレイヤーを持っていないのでずっと聴く機会がなくて、何でCD化してくれないのだろう、CBSソニーのケチって思っていた(多分原盤がもう無いのかも知れない)。この映像はライブみたいで、今と違って丸々と太ったマリさん(イルカかと思った)が今より1オクターブは高い声でシャウトしている。今は今でとっても味のある歌唱をしてるんだけど、やっぱりこの頃のマリさんは「下北沢のジャニスジョプリン」の面目躍如だったと思う。バックのサウンドも難波雅之はじめ腕利き揃いで、70年代のジャパニーズソウルミュージック、まるでアース、ウインド&ファイヤーみたいな感じだね。では、たっぷりとお楽しみください。金子マリ&バックスバニー「或る時」
2009.08.10
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いつのまにか5月ももう終わろうとしている。1年が早いね、年取ってるせいだろうか?それとも5月はいつもそうななんだろうか?鼻がぐずぐず言う。毎年花粉症は4月中旬ぐらいで終わるのに、今年は長い。長いと言うか、一旦終わってまた出た感じ。今まで無かった稲の草に感作されたのだろうか?それともひょっとして犬に感作されたか・・。でも、患者さんの中にも、今年は花粉症が長い。そういう人が多いから、単にヒノキが長引いているだけかも知れない。さっさと薬を飲んで点鼻をすれば良いのに、自分の頭の中では花粉症は終わったとすり込まれているからどうも体が動かない。人間はこんな風に思いこみの刷り込みによって縛られているのかな?今夜は雨。昼間は蒸し暑かったけれど今はひんやりとした静寂が夜をつつむ。けれど遠くで蛙の鳴き声が聞こえるし季節は確実にうつろっている。空を見上げても月は出ていない。それでもこんな夜にはこんな曲を・・。同じ月をみているライブ演奏でもどうぞ
2009.05.24
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YOU TUBEの海をゆらりゆらりと漂っていたら、じゃがたらの映像を発見した。以前検索したときにも、彼らの映像は数点見つかったけど、あまり質の良い物じゃなかったんだよね。今回の映像は、幻となっている彼らの3枚組DVDに収録されてるものばかりだから、僕は当然持ってるんだけど、YOU TUBEに載る事によって、大勢の人の目に触れるきっかけになると言うのは良いことだと思う。じゃがたらについては、大分前に力を入れて日記で何度も書いた。2004年1月8日あたりの日記の周辺を探して貰ったらと思う。それにしてもリーダーの江戸アケミの不慮の死によってこのバンドが消滅してからもう20年近くになるんだなあ。それではYOU TUBEの紹介。タンゴ彼らの代表曲。何度も何度も繰り返し演奏された曲。有名なのは、江戸が入院中の精神病院から外出を許された時に行った法政大学でのバージョンだが、これは精神を病んだ江戸がバンドに復帰して、バンドがダンスビートに乗って、メジャーに踊り出ようとする直前の破綻の無い演奏だ。もう我慢できない僕が最初に買ったアルバム「裸の王様」のラストに収録されていた曲。単調なレゲエのリズムに乗せてフォークっぽい歌詞なんだけど、ちょっとの搾取なら許せる・・ときて歌はこのタイトルなんだもんなあ。横浜は寿町のドヤ街でのフリーコンサートで、ドヤのオッちゃん達と肩を組みながらこの歌を熱唱する江戸の姿が今も焼き付いている。みちくさ2番目に好きな彼らの曲。入院から復帰後の江戸は、めくるめくダンスビートの中に救いを見いだしていたようで、バンドの演奏もラテンやアフリカを消化して、同じフレーズ、同じリズムの繰り返しの中からどんどん盛り上がって行くと言うパターンになり、当然長尺の曲が多くなった。この曲も12分ある。DVDの中では、近田春男さんが一緒にラップを叫んでいたっけ。じゃあ、一番好きな曲はなんだよと聞かれると、それはもうこの曲につきるのであって、彼らの曲だけでなく、僕が今まで聞いた全ての音楽の中でベスト10には入る名曲だと思う。都市生活者の夜残念ながらこの曲の映像はYOUTUBEには無い。まあ18分もある曲だし。でも、この曲は映像が無くても曲だけでも十分に美しく力強さを感じる事が出来る。いや、むしろ映像はない方がいいか・・。久しぶりに彼らのアルバムをひっぱり出して浴びるほど聞きたくなった。
2009.05.15
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昨日の日曜日は蒸し暑く雨。今日は晴れているけど風は冷たい。また冬型に戻るそうだ。三寒四温とはよく言ったものだと思う。実は高校入試でこの四字熟語が出題され(○寒○温)、これが出来て無くて国語の教師をしていた父親から馬鹿にされた苦い思い出がある。こんなに気温が変わると体調を崩す人も多い。人間の体調は気温の変化と密接だと言うのは開業医になってから気づいたことだ。土曜の夜中には在宅で診ていたお婆さんが誤嚥で窒息したのを往診に行き(もう亡くなっていたけど)、日曜日は朝早くからバレーの試合だったりして何か疲れ気味の日々。ラガヴーリンを口に運びながら最近買ったCDを聴いている。フォーク界の吟遊詩人とか、隠れた名曲の人とか言われる金森幸介。繊細なギターとシンコペーションの効いた独特の節回しのボーカル。ぼんちおさむにそっくりな喋りと風貌。前に見た徳島のライブも良かった~。確か数年前に55歳になったとのを記念して5枚組のCDを出したけど、今度はその彼が昨年度のライブの数々を、その日にレコーディングしてライブ終了直後に発売すると言う凄い事をやった。作者自身がその作品を聴かずに発売している訳で、まあ潔いと言えば潔い。鬼が出るか邪が出るかと言う感じもあるが。こういうライブ録音を専門にしてるホイホイレコードと言う会社があるのね。東京でのライブを中心に、1カ所ではなく続々と全部で13枚?ものライブ盤を出したのも凄いと思う。やっぱりかぶってる曲も多いので、さすがに全部買うわけにはいかず4枚ほど購入。今夜聴いてるのはその中の金森幸介&光玄ライブ「夕陽が沈むよ」だ。2500円で2枚組のCD。1枚目が幸介、2枚目に光玄、そして二人の共演。光玄も好きなんだよな。今日はその2枚目を聴いてる。光玄の名曲「悲しい夜は自由になれる」(何て素敵なタイトルでしょう)から始まって、彼の代表曲でもある「鉛の男」。♪夕陽が沈むよ~ガスタンクの向こうに♪お前のことしか、もう見えないよ♪光るよ体 何にも無いのが光るんだそして幸介の名曲「もう引き返せない」で終わる。良い歌は染みるね、酒よりも心に染みる。幸介も、光玄もアズミも、みんな出てくるのが5月の祝春一番。この季節ももうすぐだ。2002年6月、春一番が行われる同じ緑地公園ステージでのライブ歌うのは「もう引き返せない」
2009.03.23
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大貫妙子の「黒のクレール」がYOU TUBEにあると聞き、早速に見に行ってきた。ほほう、こんな色々マイナーな曲もあるのね。と、言うことで今まで好きだった人で、CD化されて無い人とか、最近あまりお目に(お耳に)かからない人を色々と検索。最大の目玉は何といってもこれ、白季千加子/おやすみあんたこの人の事は以前も日記で書いた。ちょっとブルージーな声が好きだったんだよなあ。あまり売れずに故郷の青森(秋田だったっけ)に帰ってしまったらしいけど、結婚して時々地元のライブハウスで唄っているそうだ。今となってはちょいと懐メロみたいにも聞こえるけど・・でもやっぱり好きなんよ。CD化して欲しいなあ。豊島たづみ/とまどいトワイライトこの人も少し声が変わっていたね。中島みゆきににてるかも。りりぃ/心が痛い中学生の時のアイドル?ヒットしたのは「私は泣いています」だったけど、僕はこの歌が一番好きだった。近年タイトル忘れたけど映画に出ていて、あまりの老けブリにがっかりした記憶が・・。でも、この歌のヒリヒリするような息づかいは今も生きていると思う。桑名鳴子/夜の海この人はメジャーだわな。この曲はもともと兄さんの桑名正博の曲。僕のカラオケの愛唱歌でもある。レコードじゃなくライブ音源です。桑名晴子の名曲にはユーミン作、ブレッド&バターも歌っていた「あの頃のまま」と言う作品もあるね。おお、そんな事書いていたら、兄の桑名が唄うあの頃のままがあった。彼は渋いね~髪も髭も白髪になってるけど肌も若いし渋い~。肝心の桑名晴子の映像はないけど、リジナルのブレッド&バターのオがあった。桑名の油ぎとぎとの演奏と比べてみて欲しい。きりがないので最後は男性。下田逸郎/セクシィこの人も他にいっぱい素敵な曲があるんだけどね。YOU TUBEでは見つからなかった。一番ヒットはこれかな?若い頃のレコードからの音源で、ジャケットの長髪の下田さんも良いけど、こんな風に少し髪も薄くなって顔にたるみが出てきた下田さんだって素敵だ。今は九州に住んで、頼まれたら出かけていってマイク無しの小さな会場で響きを大事にするライブをやっているとのこと。これはマイク使ってるけどこんな雰囲気なんだろうね。いやあ、YOU TUBEって素敵ですね。暇な時にもっともっと検索してお宝を報告しますよ。
2009.02.26
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今年もあと2日を残すところとなった。毎年29日が仕事納めの当院は1月4日の日曜を祝日にした関係もあって30日が仕事納めである。今日は大人ばっかりインフルエンザが数人出た。正月の人の移動をきっかけにこれから爆発的に増えそうだ。さて、あと何回日記を書けるかどうかわからないけども、一応音楽のカテゴリーに属しているので、今年最後になるかも知れない日記は音楽で締めようと思う。YOU TUBEを漂っていると、思わず素敵な動画に行き当たることが多い。今回はこれ。早川義夫~いつか今は幻と言われてる人気バンドだったジャックスを解散した後、音楽業界から引退して20数年本屋の親爺さんとしてやってきた早川さんが、突如として歌手として復活した。歌いたいことが沸々と湧き出てきたのだという。その復活後最初のアルバムである「この世で一番キレイなもの」のラストに収録されているのがこの「いつか」と言う曲だ。何度もこの曲については書いた。今まで聞いた全ての歌の中でももっとも心を打たれた歌のひとつ。歌い手の感情がこれほど熱くほとばしる歌を知らない。動画の中の早川さんはなかなか力の入った肩の凝りそうな歌い方をしているけど、この歌とそれはよくマッチしていると思う。急逝したhonziのアコーディオンや、梅津和時の美しく力強いサックスが演奏に花を添える。歌いたい思いがある。何よりも歌に必要なのはそのことだと言うのを確認させてくれる曲だ。♪誰もが 心の中で 歌を 歌っている ♪本当の 物を 掴むため♪沈黙の中で 血が騒ぐ 空にいっぱい 夢を描き♪僕はじっと待っていた あふれてくるのを♪まっすぐな声で 歌うことを ♪生きていく悲しみ 生きてゆく喜び♪いつだって一人なんだ 涙を落とせ 終わってはいないさ♪もっと叫べ もっと歌え♪何も変わらない 時が流れていく ♪弱さが 素晴らしいのさ♪どんなに飾っても 隠しきれない 心の底が 見えてしまう♪人は見えたとおりの ものでしかない♪弱い心が 痛みを感じて 優しさはそこから 生まれてくるのだ♪醜さやいやさしさを 素直にあらわせ 優しさを唄おう♪もっと見つめろ もっと唄え♪心を立たせろ 虹を立たせろ ♪言葉を立たせろ 音を立たせろ♪足りないのではなくて 何かが多いのだ♪愛を唄え 願いを唄え 美しい物は 人を黙らせる♪大空に映し出せ 鏡に向けて吠えろ それが生きること ♪もっと身を削れ もっと捨てていけ もっと突き詰めろ もっと唄え
2008.12.29
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軽快なラグタイムブルースに関西弁の歌詞を乗せ、絶妙なギターとソウルフルな歌唱があっと言う間にフォーク、ロックファンを魅了したのはもう33年も前になる。上田正樹と有山じゅんじの「ぼちぼちいこか」。当時のファンなら知らない人は無い名盤。そして今もロングセラーを続けている。この2人と共にジャケットの中心に映っていたのが道頓堀の「くいだおれ太郎」。このアルバムの事は以前の日記に書いた。あれから時は流れて、有山も上田も各々の道を歩いている。上田は「悲しい色やね」の大ヒットを経て、グローバルな世界へと。有山はいつまでも等身大の大阪のブルースマンとして。二人とも素敵な年の重ね方をしてきた。時は流れて・・。この夏、くいだおれもその歴史に幕を閉じることになった。それを記念してと言うのか、どうなのか。この2人のペアが再結成。あの名盤を二人でリメイクしたアルバムがこれだ。ぼちぼちいこか’08(有山じゅんじと上田正樹)懐かしいあの二人の歌声が聞こえるだけでも涙ちょちょぎれるものなのだが・・。実際にこのアルバムは完全なリメイクではない。「大阪へ出てきてから」や「憧れの北新地」は入ってないのよね(好きな曲なのに・・)。特にA面トップだった「大阪へ出てきてから」が好きだったのになあと思うと残念だ。それから、やっぱり有山のギターは素敵だし、上田の粘っこいボーカルも素敵だけど、やっぱり、やっぱり33年の歳月は取り戻せない。あの若さの熱気と言おうか、むむむ・・と青い葉っぱが匂いだしてくるようなあの力強さは今の二人に無い。ノスタルジアはかき立てられるけど、あのアルバムはあのまま残して欲しかったなあと言うのが実感だ。別に今の彼らを過小評価したり、けなしているわ訳ではない。33年の歳月は、彼らに美しく年を取らせている。歳月の重みと共に、それを重くさせないしなやかさを身につけさせている。僕は今の彼らが大好きだ。正確に言うと、上田正樹は最近聴いていないので、今の有山じゅんじが大好きだ。最も好きな数人のミュージシャンの中に入るだろう。だから、有山にも上田にも過去のノスタルジアの浸ることはなく、いや1日ぐらい浸っても良いのだけど、やっぱり今の自分を前に出して進んで行って欲しいと思う。ペアを再結成するのなら、あの名盤をリメイクするのではなく、今の彼らの歌でアルバムを作って欲しかったなあ。このアルバムの最後に収録されている「ぼちぼちいこか」と言う曲は、前のアルバムには入っていない有山が作った新曲だ。この曲がなかなか良いのよ。♪昔はほんと良かったなんて これっぽっちも思わない♪あの頃に戻れたらなんて これっぽっちも思わないこんな潔い歌詞で始まるんだもんね。少し後ろを振り返りながらも、前を向いて歩いていこうぜ!!
2008.12.01
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沖縄の歌や島唄が好きだった。出会いの多くは90年代のワールドミュージック全盛時代だ。古くは喜納昌吉(あれは、島唄とは言えないが・・)から、りんけんバンドはライブに行ったし、ネーネーズ、The Boom(だったっけ?)の「島唄」もビギンの涙そうそうも好きだ。外国ではマルチニークのKALIの歌声にやられた。「ラシーヌ」を聞くと今でも涙が出そうになる。音楽には結構アンテナを張っているつもりでいても、最近はミュージックマガジンの記事を斜めに読むぐらいだったので、この人の事は不覚にも知らなかった。朝崎郁恵~おぼくり~ええうみ~この人の音楽を教えてくれたのは、音楽的嗜好も、生き方の嗜好?も尊敬し憧れている空気人(えあじん)さんだ。えあじんと言うのはご存じ、ジャズのソニーロリンズの名曲airegin(ナイジェリアの逆さ読み)をひっかけているのだが、個人的には空気人と言うより、自由人と呼びたい方。自分の興味の赴くところ、ありとあらゆるところへ出没、音楽のライブに居たと思えばチベット弾圧のデモに参加、神田でインドカレーを追求したと思えば、オームの刺青のお姉ちゃんとツーショットを申し込む。そしてMac使いなのよ。こんなチャンジー(爺ちゃんの事よ)になれたら良いなあと見本にしている方だ。それにしてもいやあ、この歌声、いやされますなあ。沖縄の島唄と同じく裏声を駆使し、強烈な小節をきかせて歌うのだが、やっぱり本島とは微妙に違うね(ん?奄美って沖縄じゃないしね)。このアルバムは、彼女が色々な他の分野のミュージシャンとコラボした作品を集めたもの。彼女の歌を世に送り出したピアノの高橋全さんをはじめとして、ゴンチチ、ウォン・ウィン・ツァン(ピアノ)、宗次郎、珍しいところではUAなど(いや、彼女は母親が朝崎さんと同郷だったらしい)。モダンな伴奏を得ながらも決して伝統の良さを失っていない。新しきものに包まれて古いものが光ると言うところだろうか?詳しい解説をまだ読んでないと言うか、そんなものもうどうでもいいの~と思わせてくれる歌声だ。どうです?あなにもひとつおすそわけ~。
2008.11.11
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今日は兵庫県の三木市と言うところへソフトバレーボールの試合に行ってきた。結構山間にあるせいもあり、体育館から外へ出ると少し震えるぐらい寒かった。試合の方は4戦して1勝3敗といまひとつ。自分たちの足らないところをよく認識する事が出来た。ところで、今年の勇造ライブは関西が産んだブルース「イタコ」のAZUMiとのジョイントになった訳だが、彼は僕とほぼ同じ年。ブルースと言われるが、歌謡曲も歌ったり、ユーミンの曲も歌ったり、要するにブルースと言うよりも「ギターを持ったイタコ」なのだ。彼は外見に似ず勤勉で(失礼)、月刊azumiと言うCD-Rを毎月ビレッジプレスより出している。先日、2008年の1月号から8月号を購入して暇な時に聞いているがこれが面白い。毎回5-6曲だが、既発の曲からまだ未発表の曲、どっかでのライブ、そして飲み屋でのおしゃべりまで収録されている。元はマンガを描いていたと言うazumiの手書きイラストで表紙も作られている。その7月号のラストに「ハレルヤ」と言う曲があって、azumiの滑るようなギター、染みいるような歌が素晴らしい。これはオリジナルで無くて、どっかで聞いた曲だなあと思ってた。ヴァン・モリソンだったけ??と思っていたけど調べてみたら、御大レナードコーエンの曲だった。う~ん、愛と旅の詩人レナードコーエンかあ。一時よく聞いたなあ。調べてみたら、この曲はとても多くのミュージシャンにカバーされてるらしい。シェリル・クロウ、K・dラング、果てはボンジョビまで。ボブディランまで唄ってるみたいだ。で、この曲を一躍有名にしたのがジェフバックリーのカバーらしい。ジェフバックリーかあ。7オクターブの声を持つと言われながら、若くしてドラッグの海に沈んだ不世出のボーカリスト、ティム・バックリーの息子で、天才の再来と言われながら父と同じく若くしてドラッグの海に溺れたジェフバックリーである。そう言えば、デビュー版の[GRACE」を持っていたはずだと思って本棚を検索してみたら、ちゃんとこのハレルヤも入っていたのである。ああ、若い頃覚えていた事がどんどん忘れていくなあと思った次第。YOU TUBEでハレルヤを検索してみるとあるわあるわ・・ちょっと数え切れないぐらいである。それではジェフの唄うハレルヤをどうぞ。御大レナードコーエンの唄うハレルヤは全然違う。地底のそこから響いてくるような御大の声。確か御年70才のはず。で、このジェフバックリースタイルのハレルヤを大勢のアマチュアがコピーしてYOU TUBEに投稿している。確か、前に誰やねん君が熱中してみていたエレキギターで弾く何とかのカノンみたいな感じね。「ハレルヤ ジェフバックリー 」で検索してみるといっぱい出てくる。ギターだけじゃなくてピアノで演奏したり、練習みたいにキーが動いたりするチュートリアルまであって面白い。YOU TUBEって凄いね。この子はコード弾いているだけど可愛いのね。この子も美人でちゃんとフィンガーで弾いてるって思ったら同じ子じゃん、成長したのね。ギタープレイとしてはこの子の方が良いかもピアノも沢山あるんだから、自分も練習してみようっと。azumiが来たらこの曲をやって貰ってコードと歌詞も教えて貰おうと思っている。音楽は楽しい。面白い。
2008.09.28
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「弾き語りパッション」井上陽水。このアルバムは、「井上陽水コンサート2007」で大好評だった「弾き語りコーナー」からのベストテイクを収録。井上陽水コンサート2008」の各会場にて先行数量限定発売されていたのが、晴れてメジャー発売となったものだ1973年、伝説のライブ「もどり道」から35年。遂に全編弾き語りによるベストライブ・アルバムが登場!70年代の代表曲を網羅した感動と涙の弾き語りBEST!! ・・と言うことで買ってみた。選曲に不満はない。僕が好きな陽水の曲を挙げていくと、まず「なぜか上海」そして「青空一人きり」、「いつの間にか少女は」、「帰れない二人」、「人生が二度あれば」、「夏まつり、「桜三月散歩道」と70年代の曲がメインに続くけどその多くが収録されているし。しかも、最近の大げさなバックに比べて、一人の弾き語り!70年代の陽水が戻ってきたか・・・と思ったけど。結論から言えば、あまり楽しめるアルバムではなかった。僕の机の上にあるのをめざとく見つけた配偶者が貸してくれと言うので貸してやったけど、彼女も途中でそのCDを聞くのを止めてしまったそうだ。原因は・・・「歌い方やろ」と聞くとまさにどんぴしゃり。僕も陽水のボーカルに不快感を感じてしまっていたが、感じたのは僕だけではなかったようだ。陽水と言えば、初期には美しく、そして繊細で引き裂けるような高音が特徴的だった。それが「いっそセレナーデ」のあたりから、やや中音域を中心に、ゆらゆらと漂うような感じの歌い方が多くなって、それはそれで凄く良い感じだったのだけど、このアルバムの特に前半は、それが極端に出て口を横に開いてわざとに声をゆがめて唄ってるんじゃないかと思わせるような歌い方なのだ。丁度下手くそな洋楽志向のロックバンドが、英語の歌を唄うときに変に大げさに口をゆがめてるのがいるでしょ。あんなのに、近い。特に70年代の歌は高音が苦しいせいかよけにそれが目立つのよ。あの天性の美声があって、歌唱力があって、素晴らしい歌があるのだから普通に歌えば良いと思うのだが、断絶とか東へ西へとかちょっと激しい歌を選んだのが失敗か?後半の部分は比較的持ち直して(と、言うか選曲も今の時代に近いのが多くなるし)聞けるんだけどね。年を取るのは悪いことではない。若いときと比べると声量も音域も違うだろう。でも、それなりに今の自分を最大限魅力的に見せるような歌い方があるはずだ。企画、選曲、そして歌詞カード(昔のフォークのアルバムのようにコード進行まで書いてある)は素晴らしいと思う。ボーカルの分だけやっぱしマイナスかな。陽水、拓郎、泉谷、70年代フォークの御三家はそれぞれ違う道を歩んでいるけれど、陽水が一番ポピュラリティーと言う意味では突出していると思う。これからも、もっともっと怪しい爺さんで居て欲しい物だ。
2008.08.27
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今夜は久しぶりに趣味の話を。 加川良with村上律「A LIVE」このCDは実はかなり前に買っていたのだけど、机の上の書類の下にずっと生き埋めになったまま忘れられていた。久しぶりに底ざらえをして発掘されたわけです。加川良さんに関して、最近はどうもあまり良いイメージは持っていなかった。春一番での結構神経質なマイクテスト。懐メロっぽい選曲、そして「60男の戯言です」と二言目にには言う事。「戯言なんて聞きたくないわ!」と言うのが正直な気持ちだったから。昔の良さんは、もっと汗がしたたるようなギラギラした感じがあったように思うけど、今はヤケに清潔な感じ。勇造さんの「さだまさしをけなすブルーズ」の歌詞に、「お前は清潔リンスのコマーシャルみたいに」って言葉があるけど、そんな感じね。ま、これは多少偏見があるかも知れないけど。そういう訳で、僕の中での良さんのベストアルバムは「アウトオブマインド」だった訳です。このアルバムが発売されたのは83年。丁度フォークが停滞期(衰退期?)に入って、70年代に活躍したミュージシャンがニューミュージックに押されはじめた頃だ。その後はバンドブームに押されて更に陽の当たらないところへ行ってしまうんだけどね。盟友の村上律のスティールギターと良さんのギターだけと言うシンプルな構成。そのせいか、良さんのボーカルが一つの楽器として自由自在にうねっている。最近の良さんの歌い方からは想像が出来ないぐらい、声が自由に跳ねてるのね。良い具合に力んでいて、歌が字余りみたいな感じで微妙にメロディーとずれながら伴奏に絡んでいく。コブシが効いて、良さんが体を揺らしながら汗を飛ばしながら唄っている姿が見えるようだ。選曲は新しい歌というよりもその頃のベスト的選曲。アウトオブマインドからも「北風によせて」や「こんばんわお月さん」など僕の好きな歌が選ばれている。その2曲に加えて、「女の証し」と言う長尺3曲が凄く出来が良い。このアルバムの録音から既に20年以上経ってしまったわけだ。60過ぎても、こんな粘っこいボーカルを聞かせて欲しいな。ボーカリスト加川良を楽しみたい方にはお薦めの1枚です。
2008.06.25
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>大塚まさじや高田渡、シバなどの周辺で名前を見ることの多いベーシスト大庭珍太が2004年に出したアルバムがこの「春の光」だ。暖かく、ちょっと乾いていて懐かしい、そんな彼の歌声が春の陽の光のように次々に降ってくる。サウンドも歌詞もみんなポカポカしてくるんだよね。知らないうちに元気が出る、そんな歌が詰まってる。♪頭かかえて 考え込んだって♪何ひとつ 変わりはしないさ♪上手くいかない 事ばかりだけれど♪それは君だけの 事じゃない♪いろんな人が 生きているから♪分かり合えない 奴もいる♪無駄な努力は やめときな♪決して君だけの せいじゃない♪この星は 回っている♪ちっぽけなものさ 人間なんて♪君の考え方ひとつで 明日は変わるのさ♪もっと胸張って いこうよ♪こんな素敵な世界にいるんだから♪窓を空けて 見てみなよ♪こんな街にも 空はある♪とても小さな 空だけど♪君の窓辺に 星も降る♪きっと誰かが 見ていてくれるさ♪分かってくれる 人が居る♪思うとおりに 生きて良いのさ♪決して君は ひとりじゃない♪この星は 回っている♪ちっぽけなものさ 人間なんて♪君の考え方ひとつで 明日は変わるのさ♪もっと胸張って いこうよ♪こんな素敵な世界にいるんだから
2007.11.22
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気がついたら、もう今年のライブまで1ヶ月になっている。まあ、毎年のように淡々と予定は進んでいるのだが。そして毎年のようにチケットは売れていない。毎年、前売りで売れるチケットは数枚。でも、当日には満席と言う状態だが、今年もそうなると言う保証はない。前売りで売れているにはこしたことないんだけどね。大体にして、チケットを置いているのが当院と、ZEST(僕の前に勇造さんのライブを主催してくれていた山上さんのアクセサリー&ラッピングのお店)、そしてNight&Day(僕がピアノを習っている先生のライブハウス)、そしてカフェケストナーの3カ所だけからなあ。ケストナー以外は超マイナーなお店だし(笑)。今年の目玉は何と言っても、火取ゆきさんだろう。勇造さんのステージが素晴らしいのは分かっているし、彼のライブはもう7年目なのでどんな風に準備して進行していけば良いかが分かっている。ゆきさんのライブは初めてで、何もかも手探りなので新鮮と言えば新鮮だし、不安だと言えば不安だ。よ~く考えてみたら、僕はゆきさんのステージに接した事が一度も無いのである。彼女の歌が素晴らしいのはアルバムを何度も聞いて知っているが、実際にステージがどんなものかについては全くの未経験。まあ、思い切った事をしたものだ。まあ、僕は自分の耳を信用して居るんだけどね。あれだけの歌を唄う人が詰まらないステージをするはずがないと。でも、ちょいと心配になったので色々とネットで彼女のライブを検索してみた。まあ、それで心配は吹き飛んだね。彼女は渋谷のアピアと言うライブハウスの出身だ。このアピアと言うところは、単にライブをやる小屋ではなくて、新人の発掘オーデションからレコードの製作販売まで全て手がけている。彼女はアピアかしまし娘の一人・・じゃなかった、アピア3人娘の一人と呼ばれているらしい。今はもう卒業生って感じなのだろうけど、毎月のようにアピアのステージには立っているみたいだ。そのステージが同じアピアで唄う色々なミュージシャンから絶賛の嵐なんだよね。カワカミアラタと言う歌い手がいる。彼女はゆきさんの友人でもあり、また彼女が尊敬するミュージシャンでもあるけれど、彼が見た彼女のステージの様子を抜粋してみよう。********************************************************************風の強い日。渋谷アピアへ向かう。その向かい風が、まるで行く手を阻むようにも思える春の嵐の中を。あの人に見つめられるゆらゆら揺れる蝋燭の火になる。あの人に抱擁されて遠く離れた母なるもので身体中が一杯になる。歌うというプロフェッショナル「火取ゆき」のステージを観る。満開の桜の花びらがアーモンドの花に見えた夜。それは【抱擁】から始まった。小池真司さんの詞にトシさんが曲を付けたものだ。たどたどしくも聞こえたアコースティックギターの音が聞こえた瞬間に場内に緊張感が走る音がした。「たったひとりが溢れだす」というフレーズをたったひとりで奏でたゆきさんは、全身白づくめだった。のっけから抱かれた。火取ゆきの歌に抱かれて揺れる夜の始まり。白いブーツが3拍子で踊り、曲は【ワルツ】へと変わる。そして、やはり2曲目にしてゆきさんの瞳は潤んでいた。それを観ていたこちらも涙してしまい、2曲目にして泣かされた。3コーラスめと4コーラスめの歌詞が入れ替わっていた事などに気がつくはずもなかった。MCの中で紹介される形で小池真司さんがステージに上がる。【アジア】が踊る。ブーツの踵が跳ねる。この曲を初めて聴いた時立ち上がれなくなったのを思い出す。ゆきさんの低い声のうねりが炸裂する。身震いするほどの表情豊かな歌。小池さんのギターは、もはやサポートなどという領域は遥かに超えて、無くてはならない音を放っている。【ダウンタウンへ行こう】。曲中のMCは毎回変わる。「突き抜けるまでにはもうちょっとかかりそうだ。」と言っていた。ブルースの中のゆきさんがジャニスと被ったりして見え、その熱さでチョコレートは溶けて滲んだのだ。【海みたいな空だ】に続き、新曲の【新世界】。ぶっ飛んだ。まさに新世界だった。細い喉が擦り切れてしまうような、搾り出すようなシャウト。「私が貼り付けた私というレッテルは、たちまち私を保護する骨の記憶。校庭の片隅の逆上がりの途中で世界を見るように、回転出来ずに置き去りの放課後。」その身の動きは、舞踏家のそれであって。観客側の、言葉にまとわりつく執着を断面から1滴の血液さえも滴らせずに斬って行くかのように見えた。曲が終わっても暫く動けない自分が居た。硬直した背中を撫でるように。【真昼の星空】を歌うゆきさんの表情は完全に歌う人の顔であり、王者の風格を兼ね備えて居た。火取ゆきという船は静かに進み出し、途中荒波に遭い、嵐を抜けて海面にキラキラと照り返す陽射しの中に居た。それほどの緩急をひとつのステージで表現する人。「此処は真昼の星空で、生まれたばかりと死んだばかりが今は一度に見える時。」そんな歌の中にあるようなステージ。ラストは【祈り】。 「心を抱く腕があるなら、抱かせてやる心があるなら。」 「もう人生しか残されているものはないよ。」 小池真司さんとの二人のユニットでのステージを初めて観た。音数的にソリッドになっている分、ゆきさんの歌そのものが剥き出しで居た。そして、この人の歌は決してサウンドには揺らいでしまわない大きさなのだと知る。そこに本当の「体重」の意味を知った夜となった。 渋谷アピアに火取ゆきが居る限り。 居て歌い続ける限り。 オレもやろうと思う。 素晴らしいステージをありがとう! *****************************************************************************このときのライブの画像を見たい人はカワカミアラタ掲示板をどうぞ。2006年の3月29日のところだよ。そしてこのカワカミアラタもなかなか良い歌を歌うんだよなあ。ライブまでの1ヶ月間、少しずつゆきさんのライブが実現するまでの裏話やネットで集めたライブの様子など書いておこうと思う。
2007.09.05
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今日は天気が悪い上、午後からはワックスがけで外出出来ず、おまけに腹具合も悪くて更に腰も痛いと言うぱっとしない1日だった。夕食を食べに近所の焼き鳥屋さんへ歩いて行ったけど、座った状態から起きたら腰が前に曲がって足が少しがに股で膝が曲がって、配偶者にどこの爺さんじゃ?と言われた。ま、とりたてて書くような事の無い1日だったけど、ちゃとさんの日記を読んでいて、やっぱりYOU TUBEって何でもあるのねと改めて感心。ちょいと自分の好きな人の映像を探してみたらざくざくとあったのでそれを紹介して今夜の日記にしようと思う。まずは、カナダのシンガーと言えばこの人、ブルース・コバーン。内省的でアコギ中心だった70年代、政治に目覚めて怒りを外にぶちまけた80-90年代。そして何でもありの21世紀。最近は引退か?と言う噂もあるけど、一度生のステージを見てみたいモノだ。あまりビデオクリップは好きじゃないんだけど、このクリップは中々光と陰の使い方が美しい。たしかアルバムの邦題も「ひかり」で、確か有名な写真家が撮影したジャケットだったはず。恐らくこのビデオもその写真家作でしょう。Dream Like Mineこれはヘアスタイルからすると恐らく70年代後半ぐらい。2枚組ライブ「Circle in the Stream(邦題:波紋)」に収録されていたインストメンタル。ギターの名手として教則本も出ていたんだよな。Water Into Wineこれもヘアスタイルからしたら90年代のライブか?字幕ってどういう事よ?ビデオかDVDが出てるのか?バンド編成だが彼のアコギとシンプルな歌が楽しめる。バックのバイオリンやベースも美しい。Child of the wind (live)やっぱりこの曲をはずす訳にはあきませんな。クリップじゃなくてライブで見たかったけど、84年の怒りのアルバム「Stealing Fire」のラストに収録されたこの曲。U2もカバーした。I Had A Rocket Launcherちょっと変わったクリップ?単に絵を並べただけだけど・・。この曲好きだしさ。LORD OF THE STARFIELDSああ、書いてばかりじゃ見る暇無くなるので、またね。以前の日記「ブルース・コバーン」
2007.07.22
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ぎっくり腰は大分良くなったけど、念のために今日のバレーはお休み。市内の中心部に住む卸君の家の近所にザリガニが沢山いると言う情報を聞いて元気が出たりして。先日、木村さんのアルバムをオークションで探していた時に見つけたのがこれ。She's A Mystic/ZOUND SYSTEMおお、ZOUND SYSTEMと言えば一昨年の春一番コンサートで出会って居るぞ。あまりのリズムの心地よさに、思わず前の方に走っていってダンシングおぢさんになってしまったのだ。いや、実はフロントで踊るコーラスのお姉さんがメチャ可愛くて色っぽかったのもあるけど。気分はかぶりつきだった。これは大阪が誇るレゲエバンドZOUND SYSTEMが93年に出したメジャーデビュー盤だ。と、言うより唯一のアルバムなのかな?70年代から活動して居る彼ら。80年代には本場ジャマイカのレゲエサンスプラッシュにも出演。活動の集大成みたいなアルバムらしい。と言っても未だに元気でライブ活動はしてるみたいだ。ライブで聞いたときは、ずしっと腰に来るリズム、うねるメロディーで、如何にもルーツレゲエって感じだったけどレコードで聞くと幾分ソフィスティケイトされて聞こえる。オシャレなカフェバーでかかっていてもおかしくない。もう10年以上前のアルバムだけど今でも十分にオシャレで新しいね。でも、歌詞聞くとオシャレなだけでなくやっぱりスピリチュアル。欲を言えばもう少しボーカルにアクが欲しいかな。ボブマーレーもバーニーウェイラーもみんな声にアクがあるでしょ。そしてボーカル自体がうねるリズムを持っている。ちょっとボーカルが綺麗すぎて華奢な感じがするのね(ライブではそんな事思わなかったけどね)。5曲目の「sushinova」(どういう意味?)なんてもうレゲエと言うよりはボサノバ。でもそれが6曲目の「Life」になるといきなりボーカルがジャンプして飛び出してくる。そう、このボーカルはゲストの木村充揮その人なんだ。ボーカルが変わるだけでこんなにイメージが違うのね。あっと言う間に木村さんに乗っ取られた感じ。あれ?有山もゲスト参加のはずだが・・。探してみたら、有山はギターじゃなくてコーラスでの参加だった。ホントお友達なのね。地道にライブ活動してる彼ら。是非またライブを聴いてみたい。そしてダンシングおぢさんになりたい。お姉ちゃんを目の前で見たい。このアルバムはちょっと見つからないだろうね。新しいアルバムを!
2007.07.18
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今年の春一番、木村さんは最終日の大トリに登場と言うことで僕はステージを見られなかった。去年も出演したそうだけど僕は行けなかったし、そういう訳で彼のステージにまだ出会ってないのだ。幻さんのリポートによると、今年もラストを飾ったのは「ケサラ」だったとの事。その「ケサラ」は先日紹介したDVD「継続は力」のライブでは2日共にアンコールのラストで歌われていた。まあそういうタイプの曲なのだ。シンプルだけど心に響く歌詞とメロディー。どっかで聞いた曲だなあと思ったら日本では越路吹雪さんが好んで歌っていたらしい。そうなんだ。ん?でもあれは「ケセラ・セラ」だったような気がするけどこれって同じ歌でしたっけ?気になってこの曲の事を少し調べてみた(こういうお勉強は楽しい)。シャンソンのように思えるこの曲はカンツォーネらしい。と言うかもとはラテン民謡でそれをもとにカンツォーネにしたてあげたと。1971年サンレモ音楽祭では、ホセ・フェリシアーノが歌い入賞した曲とのことです。作詞・作曲は J.フォンタナ C.ペス N.イタロ F.ミグリアッチ一体オリジナルは誰の歌じゃ?と思うけど、ネットで調べてもそれははっきりしないのだ。馴染みやすいメロディーなので、色んな人が微妙に手を加えて歌っている。日本では木村さん、本田路津子さん、内藤やす子さん、そして越路吹雪さん。岩谷時子さんの訳詞が有名だ1.平和で美しい国 信じあえる人ばかり だけど明日はどうなることやら 誰も分かりはしないさ ケサラ ケサラ ケサラ 僕たちの人生は階段をてさぐりで 歩くようなものさ エサラ サラケル ケサラ2.固く心結ばれてちかいかわした友達 だけどそむきあうこともきっとあるだろう 誰も分かりはしないさ ※ケサラ ケサラ ケサラ 僕たちの人生は涙とギター道づれにして 夢みていればいいさ3.アモレミオくちづけした 初めての激しい恋 だけどいつかは 冷たくなるさ誰も分りはしないさ ※(くりかえし)2番の歌詞をこんな風に変えて革命の歌っぽく歌われていたこともあるようだ。♪いつも思い出すのさ♪自由のために死を選んだ♪グェン・バンチョイ ジョー・ヒル♪ビクトル・ハラを♪決して忘れはしないさ♪ケ・サラ ケ・サラ ケ・サラ♪僕たちの人生は♪平和と自由もとめて♪生きてゆけばいいのさこんな感じね。木村さんの歌詞は本当にシンプルだけど心に響くのよ。そう言えばもう一人、春一番に出演したリクオもケサラを歌ったらしい。リクオは、大阪で居た頃に一度ステージを見たことがある。喫茶店の2階(座敷だったで)で有山のライブがあったんだけど、その前座で出ていたのだ。印象は・・ピアノは上手いけど、なんか小器用な感じが目立ってしまってね、メロディーの綺麗な曲もあったけど、ただ作ってみましたと言うだけのような曲もあって、ボーカルもイマイチだしと言うことであまりピンと来なかった。西岡恭蔵さんの追悼ライブのステージもテレビで見たけど、演奏していた曲が「マウンテンバイク」と言う曲で、もうちょっと他に曲があるだろうって感じだったのだ。このリクオが歌っているケサラに興味があって、入っているアルバムを買ってみた。リクオ/ヘブンズ・ブルー1曲目に入ってるケサラはシンプルにピアノの弾き語りで歌われていてなかなかの演奏。ピアノだし・・今度の僕の練習曲にもこの曲入れてみようかなと思った。(ま、こんなに見事に弾けるはずはないんだけどね)あの「マウンテンバイク」もこのアルバムに入っていたけど、他にもなかなかメロディーラインの美しい曲があって、リクオ、今回は少し会えたかなと言う感じだ。個人的にはもう少し太いボーカルが良いんですけど。リクオの歌うケサラはYOU TUBEで見れるんですよ。リクオのケサラんですよ。お~っと、木村さんのケサラもあったのね。木村さんの歌うケサラ他にも探せば色々とありそうだ。この曲の情報、色々教えてくだされ。(世代的に、アオエさんが詳しそう)
2007.06.27
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いm最近毎日見ているDVDがこれ。木村充揮ー継続は力この道徳の授業に出てくるようなタイトルのDVD、元憂歌団のボーカル、木村充揮さん(確か昔と名前が変わっているはず)のデビュー30周年を記念してのライブをDVD化したものだ。70年代にデビューした沢山のミュージシャンが続々と30周年を迎えているこの頃、「おそうじオバチャン」で強烈なデビューを果たした木村さんも遂に30周年を迎えたわけだ。このDVD,クレジットを見たらまずその豪華さに驚く。2006年2月11日と12日の2日間、NHK大阪ホールで行われたライブなのだが、アンコールの「ケサラ」を除いて2日間に全く重複は無し、しかも1曲毎に違うゲストが現れて、そのメンバーにも2日間に重複は無しと言う凄い内容なのだ。もちろん、憂歌団時代からソロになってからの代表曲はもれなく網羅されている。もうコレ1枚持っていたら木村さんの全てが分かると言うような内容だ。収録曲、ゲストは以下の通り。2月11日01.宝石箱02俺の村では俺も人気者03陽よ昇れ (Let’s it shine on)04天王寺 /with大西ユカリと新世界05嫌んなった /永井“ホトケ”隆と&塩次伸二06オモロイナ /鮎川誠&シーナ+大西ユカリ+金子マリ07出稼ぎブルース /泉谷しげる+加川良08コーヒールンバ09あたしの彼氏 /金子マリ10金持ちのオッサン11プロフェッショナル /甲本ヒロト+三宅伸治12胸が痛い /BEGIN13スッポンポン /全員参加14スキップミュージック /全員参加15君といつまでも (アンコール)16ケサラ~CHE SARA~ (アンコール)01蜃気楼02小さな花03真っ赤なホッペ04ザ・エン歌05ゲゲゲの鬼太郎~田舎のメリー /押尾コータロー06Happy Birthday07ちっちゃなダイヤモンド /斉藤和義08おそうじオバチャン /Leyona+三宅伸治09心はマ・ル・ハ・ダ・カ /Leyona+三宅伸治+斉藤和義+押尾コータロー10当たれ!宝くじ2006 /上田正樹+有山じゅんじwith正木五郎&藤井裕11OSAKA RAINY BLUE (蛸焼き橋) /橘いずみ12ボクサー /BAHO(Char&石田長生)13バン・バン・バン /ムッシュかまやつ+BAHO(Char&石田長生)14いつか来た町 /全員参加15スキップミュージック/全員参加16キスに願いを (アンコール)17ケサラ~CHE SARA~ (アンコール)ほら、溜息が出るでしょう。このDVDの感想はもう一言。タイトル通りの継続は力なり!そして偉大なるワンパターン、ワン&オンリーである。多彩なるゲストに囲まれて、誰とやっても何を唄ってももう木村充揮そのもの。もうそれ以外の何者でもない。恐らくデビューの時から、何も変わらない、変えれないいや、変える必要もないのだろう。聞く側の態度としても、もう好きか嫌いかしかない。彼の世界を受け入れるかどうかである。このDVDを隣で見ていたミドリちゃん曰く。「この人って障害があるの?」わはは・・。あんた、どつかれるで!ま、それぐらい個性の強い歌い方、個性の強い顔、そしてしゃべり方だ。(ミドリちゃん、あんたの顔は木村さんに似てるけどな)唄ってるときの顔の怖さは木村さんと大塚まさじが双璧だろうな。大西ゆかりは言った「アホなんか、賢いんかわからへんな~」BEGINの比嘉さんは「沖縄にはこんな人居ないよ~」と言った。その強烈な個性に惹かれてやってきた多くのミュージシャンに囲まれて幸せそうな木村さん。天使のだみ声がいつまでも続くように。更に強力なワンパターンを続けていって欲しいものだ。木村さんのオフィシャルサイトなんてあったんですね。
2007.06.20
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今年の春一番、3日に会場まで行く道を、金子マリさんと一緒に前後しながら歩いた(いや、ただ偶然並んでいたと言うだけですけどね)のは前に書いた。マリさんは、五郎さんの時に出てきて渡さんの「生活の柄」を唄ったし、有山のステージにも出てきた。そして5月3日、春一番初日のトリはマリさんだった。北京一と並んでシャウトするボーカルは粘く腰があってドライブしていたが、昔のようにシャウト1本槍と言うわけでなく引くところは引き、しみじみとじんわり体と心に染みこんで来るようだった。才能あるボーカリストが上手く円熟するとこうなるのだと言う見本のようだった。そうパティスミスみたいな感じかな。ラストの「チェンジイズ・ゴナ・カム」はもちろん有名R&B曲のカバーで素晴らしかったが、その前に歌ったスローバラードの「ラリル」も素晴らしかったのだ。そう言えば、今年発売されたマリさんのアルバムを買っていたのだった。でも、1度聞いた限りではあんまりピンと来るものがなく、それっきりになっていたのを思い出して最近また聞いてみた。金子マリ B-ethics驚いたことに、アルバムの1曲目は2曲目はダンスミュージック・あいつ(忌野清志郎作)、2曲目はGIVE,GET PEACE(有山作)と春一番のステージの1曲目、2曲目と同じだったのだ。アルバムの7曲目にはラリルも入ってるじゃないか。今もう一度聞き直しているけど、どうしてあの時に素通りしていったのかわからない。ただひとつ思うのは、音が少し軽いのだ。これは演奏と言うよりは録音の問題かも知れない。どの音も人工的なデジタルチックな音で、人間くさいうねりがないのね。ライブで素晴らしい演奏を聴いた後だから、その印象があってCDの方も自分の中では修正しているのかも知れない。やっぱり音は生きている。実は優れたミュージシャンほどライブが生きてくるんじゃないかな。しかし、このラリルってのはどういう意味よ。この歌は憂歌団のボーカル木村充揮さんの作だけど、木村さんって「ケサラ」といいこの「ラリル」といい何か不思議な言葉の感覚を持ってるのね。そういう訳で、木村さんの芸能生活30周年のライブDVDもゲットして今夜楽しむ予定なのだ。んじゃ。
2007.06.13
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祝春一番2007のDVD完成。手で持って撮ったビデオがオリジナルなので、画面が揺れていたり、場面が飛んでいたりするけど自分だけの思い出だ。会場で、司会の阿部ちゃんに「ライブなんだから録画ばっかりせずに楽しまなきゃ」と言われたけど(いや、僕に向かってではなく、大勢のビデオを持った人に向かって)、まあそれも一理あるけども、地方で住んでいる僕のような人にとっては、来年まで今年の事を反芻する道具も時には必要なのよ。ライブもきっちり楽しんだつもりだし許して貰おう。今年の祝春一番2007会場で買ってきた4枚のアルバムの内、最後の1枚の紹介である。5月3日の午後、今年からハルイチの客席の中に設けられた「へそ」ステージの中に1人の女性が登ってきた。一見、舞台のお掃除をしてるのかと思ったそのオバサマが顔を上げると「げ・・桑名正博か」と思ったぐらい兄そっくりになった晴子さんだった。マイクに自分が持ってきた花を付けると言う女性らしい振る舞いの後、小さなガットギターをつまびきながら歌い出した。桑名晴子と言えば、カバーの達人と言うイメージが強い。それはこのアルバムのせいだ。ムーンライトアイランド(桑名晴子)82年に出たこのアルバムは、細野晴臣、小坂忠、つのだひろ、石川セリ、ブレッド&バター、桑名正博などの日本のポップソングの名曲を集めたカバーアルバムの金字塔だ。その裏ジャケットにはまだアイドル顔の晴子さんがにこっと微笑んでいる。そして、蔵さんとKUROちゃんの追悼コンサートでも、ソウルミュージックの名曲「ララミーンズ・アイラブユー」を彼女なりの解釈でしなやかに歌っていた。そんなところから、桑名晴子=カバーの図式が僕の頭の中で出来ていた。それ以外に桑名晴子と言えば、関西屈指の桑名財閥のお嬢さんで、大学時代に夜遊びしたいあまりに家の窓から飛び降りて足を骨折したとか、そんな武勇伝が聞こえてきていた。アイドル歌手としてそのキャリアをスタートした彼女だったが、1986年からはインディーズの流れに身を投じる事になる。ギター1本担いで日本全国を一人旅。言葉のもつ波動、言霊の力を追求し年間100本を越すライブを重ねて来た。1990年頃よりは、京都清水寺の月の祭りをはじめ、三井寺鬼子母神祭り、東大寺虹の祭り、伊勢神宮外宮勾玉奉納舞台と奉納演奏をするかたわら伊勢神宮御神域ひもろぎで子供キャンプを毎年夏に開催子供達に神話や祈りの力を伝えている。ちょっとスピリチュアルな方向へ行ってるみたいだ。昨年10年ぶりのアルバム「ONE」を製作し、デビュー30周年を迎え心の唄平和記念ツアー2006として日本縦断を施行。今年は出雲から六ヶ所村までを歩くウオーク9を支援してライブを続けている。とまあ、カバーの人では完全にオリジナルな人になっていたのだった。歌い出すと場の雰囲気が変わる。彼女の色に染まるのだ。ゆっくりした空気が流れる。つま弾かれるギター、ウクレレの音も優しい。シンプルな音の構成、一つ一つ染みいるように入ってくる言葉。誰もが少し優しい気分になれる。ピュアでシンプルでそしてスピリチュアル。彼女の生き方が溢れたステージだった。1 月の路2 わたしのうたーDEAR MY FIEND3 イヨマンテ ウポポ4 遠い記憶5 ひもろぎの里の歌6 ONE7 ありがとうI LOVE YOU8 SUMMER IS ON THE WAY(HALKOより)音楽は闇に光りを灯し、21世紀の世界をPEACEに導く、大切な心、力です。唄うといふ事は 生きるといふ事です。ひとつの路を深くしる事は、遠い宇宙をしる事です。超古代やまとの人々が、和をもって、超自然的に平和に暮らしていた事を全てのものが気付き思い出し、未来の子供達に、真に素敵な世界を 紡いでいけるよう、声たからかに唄っています。そんな彼女の言葉がそのまま結晶になったようなアルバムだ。ジャケットだって美しい。多分何年経ってもこのアルバムの輝きが失われる事は無いだろう。いや、毎年少しずつ輝きを増していくに違いない。僕らがその時に忘れているものを思い出させてくれるだろう。
2007.06.04
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祝春一番2007の初日、ラストから3人目あたりに客席前列に設けられたへそステージに登ったのが光玄だった。初めて春一番を訪れた3年前、このときは息子を連れての日帰りだったから、帰りのバスの関係で最後から3人目の南正人さんのステージの途中で会場を去らなければならなかった。その時のトリが光玄だったと聞いた。だから3年越しでやっと会えたと言う感じだった。光玄のプレースタイルは一貫している。細かいストローク中心のギター、そして言葉の多い喋るように唄うボーカル。ギターのドライブ感とボーカルのドライブ感がもつれ合いながら歌を進めていく、そんな感じ。ギターホールの上側はピックがいつも当たるのか?塗装が取れてくぼんでいる。文字通りギターを刻んでいるのだ。彼もまたディランの子供達の1人なんだと思う。1曲目は、一番新しいアルバムの表題曲「悲しい夜は自由になれる」。タイトルだけでう~んしびれてしまうじゃん。♪悲しい夜は1人になれる♪俺は俺だけ見つめていればいい2曲目はアルバム「89から90」に収録されていた「路地裏」。♪しゃべれない分だけ体を使うんだ♪がむしゃらに汗を流すんだ♪100年前から裏切られて来たんだ♪たかがここで生まれただけだぜ!関西と一口に言っても広い。光玄はモロ大阪ではなく、神戸は長田の人だ。そこで被災し、再生していくなかで「宙を舞う」と言う傑作アルバムを作った。ここでへそステージに光玄の盟友2人が上がる。AZUMIとヤスムロコウイチ。この二人は姫路あたりの人だと聞く。関西フォーク西部グループって感じなのだろうか?3人3様の外観の違いが面白い。AZUMIがサックスを持っていて、それが客に受ける。「客をバカにしとんか~~」と暖かいヤジが飛ぶ。だって、彼は一番新しいアルバムではサックスもベースも全部1人でやってんだぜ。AZUMIのサックスとヤスムロのギターを後ろに従えて唄われたのは光玄の初期の、いや今も代表曲の1つである「鉛の粉」。あの阪神、尼崎あたりの工業地帯、その工場地帯に住む若者の青春が見事に切り取られている。AZUMIのサックスもヤスムロのギターも良かったで!もうちょっとPAが光玄のボーカルを大きな音で拾ってくれるともっと良かったけどな。♪鉛の粉が脇の下までついて♪陽が沈む頃に体がキラキラ光る♪風呂から上がる時が一番好きで♪大きな鏡の前でじっとするんだ♪通り過ぎた時間の流れが♪溜息みたいに抜けていく♪ぼんやりしたまま橋の上から♪動かない川を見てしまう♪夕陽が沈むよガスタンクの向こうに♪お前のことしかもう見えないよ♪光るよからだ♪何にもないのが光るんだ♪潰れてしまった工場の扉に♪錆びた鎖がかけてある♪剥がれた壁のかけらで♪お前の名前を書いてみた♪夕陽が沈むよガスタンクの向こうに♪お前のことしかもう見えないよ♪光るよからだ♪何にもないのが光るんだ
2007.05.24
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今年の春一番の目当ては、今までに歌は何度も聞いてるけどステージを観たことの無かった人たち、光玄、朴保、桑名晴子、友部正人、加川良、中川五郎さんなどだったけど、それ以外にどれだけ未知の人たちと出会えるかも楽しみだった。で、その素敵な出会いを何人かGWの頃の日記に書いたけど、その中でも今一番はまってるのがAZUMIである。新人ではない。僕が知らなかっただけ、いや正確に言うと光玄のアルバムクレジットなどで名前は観たことがあった。年齢は僕と同じだし、歌い出してもう20年以上、春一番でもトリを努めた事もある実力派だったらしい。2日目にブギウギボーイズの1人として出てきた彼は、ステージの端にちょこんと座って、背中を少し丸め、足でリズムを取りながら歌い出した。ざわざわしていた会場が少しずつ静かになっていくのがわかる。ブルースフィーリングの溢れて、しかもシンコペーションの効いているメリハリのあるギター。ちょっとしゃくりあげるようなハスキーボイス。そして美しいメロディに歌詞。ええ歌やなあ・・。そう思って会場で買い求めたCDが「泥とバター」だった訳だが、ここにはその曲は収録されていなかった。タイトル言わなかったからわからないんだもん。でも、ここには「失くした光」と言う、ブルースの名曲(オリジナルは、It's not the spotlightと言う)とんでもないかっこいいバージョンが入っていた。この曲は、浅川マキ、ロッドスチュアート、マンハッタントランスファーもカバーしていたと記憶するけどこのアズミのバージョンが一番素晴らしいと思う。まあ、それはさておいて、どうしてもあの曲が聴きたい・・。そうだ、やっぱり一番新しいアルバムに入ってるのでは?そう思ってアマゾンでも唯一買える2006年発売の「Happy Tuesday」を買い求めたら、どんぴしゃりその曲があったのよ。6曲目の「流れ人」と言う曲だ。♪わからないことばかり そう言ってわらうけど♪明日に生きてる それだけで十分じゃない♪欲を言えばきりがない わるいクセだけど♪ほんの少しのあいだ そばにいてほしいんだ♪海のように 山のように 限りはあるけど はかないような♪人になりたいね 人になりたいね♪ながれびとよ その足をとめて♪たまには振り向いて 笑えるような 人になりたいね♪さっきまでいた あの町の♪あかりが ひとつ 消えてった♪自分の居場所ぐらい わかってるって言っていた♪月のように 星のように 側にいるようで つかめないような♪人になりたいね 人になりたいね♪流れ人よ その足をとめて♪たまには振り向いて笑えるような 人になりたいね♪欲を言えばきりがない 悪い癖だけど♪もう少しの間 そばにいてくれないか♪月のように 星のように 側にいるようで つかめないような♪人になりたいね 人になりたいね♪流れ人よ その足をとめて♪たまには振り向いて笑えるような 人になりたいねこのアルバムバージョンはちょっとボーカルが弱いね。ぐしゃぐしゃっとした感じ。春一番のステージの方が歌が良かったね。ギターも跳ねる感じがして。そうか、ライブを聴かなきゃなあ。AZUMIは今日もギター1本担いでどっかの町でライブをやってるそうです。どうですか?あなたも?
2007.05.23
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今年から、春一番には新しく「へそ」と言うステージが設けられた。客席の真ん中最前列あたりに作られた3畳ほどのスペースだ。だから、そこに上がるのは主にソロでギターの弾き語りの人が多い。そこで歌っている間に、舞台の方では別の準備が出来ると言う算段もあるだろう。僕が見に行った2日間にそこにあがったのは、光玄、永井よう(3つの赤いふんどし)などだったが、もう一人、3日のお昼頃に細身のすらっとした女性がギターを抱えてへそステージに登った。それが東京からやってきた女性シンガー須藤もんだ。長めでカールした髪が5月の風に吹かれてなびく。少しビブラートのかかった声で、しゃべり出す。「相変わらず暗い唄を歌っている須藤もんです」僕が見に行った過去2回のハルイチでも、いずれも彼女は出場していたと記憶している。大体、初日、2日目あたりに登場することが多いようだ。春一番には色々なタイプの歌い手が登場する。静かなギター弾き語りの歌い手も居れば、エレキギターギンギンもあるし、ジャズの人も居る。静かな歌では会場が静かになり、賑やかな音では会場も賑やかに、踊る人たちもあふれ出す。自分たちの好きなミュージシャンさえ聞いて楽しめば後はどうでも良いと言うような態度が無いし、見知らぬ歌い手の歌をじっと聞こうとする態度が観客に見えて気持ちが良い。もちろん、聞かせるだけの力量を歌い手が持ってるのだろうけども。今年の1曲目は、中国で客死した祖父の足跡を辿って中国を旅した時にインスパイアされたという歌。淡々と流れていく歌の中にも異国情緒が漂ってぐっと引きつけられる。彼女は声は、細い。細いと言うと語弊があるけども、力強くない訳ではない。上手に例えられないが、細い糸をピンと張った感じ。それをはじくと糸が震えて音が出る。そんな感じの微妙なビブラートが声にある。そうそう、一青窈をもう少し力強くした感じと言おうか。吉川忠英さんのギター教室の生徒だったと言う彼女がつま弾くギターも、決してかき鳴らすと言う感じではなく丁寧に一つ一つの音をつま弾くという感じだ。「実は昨年結婚したんです」そう言って、旦那さんをステージに上げる。旦那さんもミュージシャンらしいけど?名前はあくまで「旦那さん」である。平成の四畳半ソングと言いながら、旦那さんのギター、そしてパーカッションと一緒に歌ったのが「メシ」という歌だ。生きていくと云うことの不安と幸せを噛みしめながらじっくりと唄われる。こういう瞬間、素敵だなあと思う。ああ、ええ女やなあと思う。最初の中国で出来た曲は、2ndアルバムの隧道には収録されていなかった。調べてみたらこの歌は「牡丹悼歌」と云う名前らしい。今後の彼女の代表曲になるだろうな。雑誌「ぐるり」の2月号に、この歌が出来た経緯を書いた彼女のエッセイが載っているらしい。読まなきゃ。♪そばに眠るあなた♪顔をしかめ泣いている♪手を繋ぎわたしも♪夢を見るあなたの夢をみた♪夕暮れて目覚める♪のぼせたようになって♪何も云わず笑った♪二人泣いた後で♪ふたりでめしを作ろう♪食べて飲んで生きよう♪並べた空き瓶を吹いて♪うたを唄おう♪風にふわり揺れる♪カーテンの向こう側で♪今夜も不安と悪魔が♪手をとり踊るけど♪忘れてしまうことも♪いいことにして♪共に覚えていこう♪ここを真ん中にして♪ふたりでめしを作ろう♪食べて飲んで生きよう♪並べた空き瓶を吹いて♪うたを唄おう♪この世の幸せをひとつ♪テーブルにのせて隧道zuido(須藤もん)1 めし2 雪よ、葬って3 逃げる4 この川を5 冬は厳しく6 夕焼け7 隧道(zuido)
2007.05.07
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五月晴れ、五月の太陽の光が座った太ももを刺す。着ていた上着を脱いで膝にかけるがそれでも痛い。日焼け止めにサングラス、似合わない帽子を被って完全武装。怪しい親爺のまた1人出来上がり。澄んだ空に歌声は高く。高く舞い上がって蒼い空に吸い込まれていく。光と風の中を通って唄は言霊、音霊となって降り注いで来る。それが心を熱くさせる。時折一陣の風が一陣の風が首の後ろをくすぐっていく。陽射しは強いが風は涼しく心地よい。麦酒が美味い。幾ら飲んでも酔わないぞいや、既にもう心は酔っているのかも知れない。前から知っている歌い手新しく知った歌い手今年も色々な出会いがあった。相変わらず肩の力の抜け具合の素晴らしい大塚まさじ 有山じゅんじの2人渡さんの唄を舞台から飛び降りて歌った中川五郎さんは出番の無い2日目も僕の直ぐ後ろの芝生席でずっとくつろいでいたっけ。初めて見たけど力強い加川良さんソウルフルな光玄、朴保不器用とも言えるシンプルさ、それ故の力強さで2日目の最後を魅了した友部正人金子マリさんとは、3日に駅から会場まで前後して歩いたっけ。有山のステージに同じ服装でハンドバッグ持ったままで舞台に出てきてビックリ。1日目のラストはChange's gonna comeだった。ギター1本で泥臭くてソウルフルでそしてメローなブルースを歌うAZUMI「相変わらず暗い唄を歌ってますが」と良いながら今年から出来た「へそ」ステージに新婚の旦那さんと上がった須藤もん。有山が「笛吹おじさん」と紹介されて一緒にステージにあがった良元優作、らもさんが晩年彼の唄を子守唄代わりにしていたと言う。それは買ってから知ったのだけど、何か嬉しくなった。自分が持ってきた花をマイクに付けて歌った桑名晴子。AZUMIの盟友なのに全然違うタイプのヤスムロコウイチ。この5人のCDが僕の棚の一員になった。2日目になるとあっちにこっちに「昨日もこの親爺が居たぞ」と言う人続出。もちろん若い人も多い。3年前、2年前に比べて観客が増えたように思うのは若い人が増えたんだろうと思う。2日間、毎日7時間近く座っていると腰や背中が痛くなったけど、それも心地よさに変わっている。夕闇が森の向こうから迫ってくる頃後を惜しむように緑地公園を後にするもっと居たかったな明日も来たかったな。でも、まあいいさ来年もこの場所にやって来ようまた5月の光と風に包まれて美しい時間を共有するために自分はどんな風に変わって居るんだろう今度はどんな出会いがあるんだろう隧道(須藤もん)ルーツを探しに中国を旅した事がきっかけで出来た歌優作(良元優作)収録されている「満月の手紙」は晩年のらもさんの子守歌だったらしいAZUMI(AZUMI) まあいっぺん聞いてみなはれシングス(ヤスムロコウイチ) 声変わりあったのか?と言う声と、ひょうひょうとした仕草、顔つきのシンガーソングライター、ギタリスト。ONE(桑名晴子)ますます顔が兄に似てきてちょっと怖い・・でも凄く女らしいのは随所に伝わってきた晴子さん。英語の歌のカバーも素敵だったけど、原発に反対してウオークしてる団体を支援している歌も素晴らしかったです。ありがとう、春一番。また来年
2007.05.06
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春一番2007関連の日記第三弾。今日2つめの日記ですぜ。一気に書いて、不在を埋めようとする魂胆が丸見え??まさかAZUMIにはHPなんて無いだろうと思いながら検索したらちゃんと存在していたので腰を抜かすほど驚いた。そういうイメージじゃなかったのよね。古くから活躍しているギタリストと言うイメージがあったんだけど、買ったアルバムの解説を元憂宇歌団の内田勘太郎が書いていて、彼らや有山よりもずっと下の世代のように書いてるので若いと思っていたら、僕と同じ年じゃん。風貌は男前なのね。加川良さんに口ひげを生やした感じ。あ・・良さんも口ひげ生やしていたか・・。もっと無精髭的な感じね。髪も、昔の良さんのように伸ばしている。ハルイチには盟友ヤスムロコウイチと共に、ブギウギボーイズの1員として登場した。椅子に座って背中を丸め、ギターを抱えるようにして歌う。ちょっと嗄れた声。かすかにフラットの方にずれていく感じ。1曲目の歌が良かったなあ。なんて曲だろう?幻さん、知らない??会場では一杯アルバムも販売されていて、どれを買おうか迷った末に選んだのが92年発売のセカンドアルバム「泥とバター」だった。よく分からないタイトルやけど・・このタイトルについての解説は無いね。内田勘太郎と有山は、はじめにこのAZUMIのデモテープを聴いた時に思わず笑ってしまったそうだ。それは軽蔑の笑いではなく、今時こんなにまっとうでコテコテなブルースを若い奴がやってると言うのに驚いた尊敬の笑いだったそう。初めて彼らの前座として登場する事になったAZUMIは、彼らより遅れる重役出勤で「ワテ、アズミいいまんねん」と言う挨拶もコテコテだったとか。その後は憂歌団をハイジャック?したり、様々なミュージシャンとの共演、ブルースフェスへの出演などを経て、ギター一本小脇に抱えての渡り鳥、年間100本近いライブをこなしているそうな。盟友、光玄のアルバムも全面的にバックアップしてるという。そう言えば、買ったアルバムの1曲目「満月」はどっかで聞いた節回しだと思っていたら光玄の曲だったし、どっかで聞いたギタープレイだと思っていたら光玄の「80から90」に出てきたギタリストだったんだなと納得。この2ndアルバムには、「It's not the spotlight」と言う曲が収録されている。これはボビー”ブルー”ブランドの名曲で、実はオリジナルを聞いたことが無いのだが、浅川マキ、ロッドスチュアートがカバーしてるのを持っている。マキさんの歌も素晴らしいが、このアズミの歌の方が素晴らしいと思う。何より、訳詞が素晴らしいんだけど(特に2番の歌詞は恐らくオリジナルなんだろうな・・・訳したのはアズミじゃないけどさ)、その歌詞を生かした歌唱と、それを引き立てる素晴らしいギタープレイに鳥肌が立った。しばらくは、この曲と「満月の手紙」が1日のエンディングテーマになりそうだ。♪誰でも一度は 持っていたはずさ♪もしかしたら今でも まだ持っているだろう♪ほこりをかぶって 錆び付いては居ても♪磨けばそれこそ 美しく光り出す♪It's not the spotlight It's not the candlelight♪♪It's not the citylight♪もっとときめく光さ♪It's not the moonlight no not the sunlight♪どこかに落としてきた あのときめく光を♪自分をだまして 今日まできたけど♪本当は何を やりたかったんだろうか♪おいらの無くした 光って奴は♪76年に1回の ハレー彗星かい?♪It's not the spotlight It's not the candlelight♪♪It's not the citylight♪もっとときめく光さ♪It's not the moonlight no no t the sunlight♪どこかに落としてきた あのときめく光を♪遅すぎる事はない 早すぎるよりも♪無くしちまった 光をこの手にとりもどせ♪だから俺はもう一度 探しに出るぜ♪したり顔の 大人になってはいるけれど・・・
2007.05.05
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AZUMIと一緒に登場したヤスムロコウイチは、アズミとは対症的な出で立ち外見で、こざっぱりした身なりに、髪の毛もきちんと分けそろえて髭もなく、黒縁眼鏡をかけていた(と、思う)。持っているギターはセミアコで、ブルースと言うよりはちょっとジャズっぽい弾き方をしてるように思えた。声は、こいつ声変わりをしたのか?と言うような高音のボーイボイスである。歌っているのも、ちょっと高校生が歌ってるのか?と言う感じの甘いラブソングが多い。確か、春一番には毎年のように出てきているし、今回唄った歌も前に出演したときにも聴いた気がする(それだけ印象に残ってるって事か?)。あ、今CD聞いていて分かったけど、この歌は「ピンクの麦わら」と言う歌だった。MCは訥々と喋るが、時に切れそうな感じで絶叫したり、まあ関西のお笑い系のノリである。外見、声から年齢不詳なんだけど、オフィシャルサイトのプロフィールを見るとどうも彼も僕と同世代のようだ。やっぱり声変わりしてないんかい!この「ピンクの麦わら」と言う歌が印象的で買った彼のCDが最新作の「シングス」だ。まあ、これしか置いてなかったんだけど(この歌が入ってるかどうかは知らずに買ったのよ)。このアルバムを聴く限り、よく似た感じのスロー~ミディアムテンポのメランコリックなラブソング風の歌が多い。1曲だったら良いんだけど、アルバム全部を通して聞くとちょっと辛いかも・・と思うけど、間に挟まれる彼のギタープレイに耳を奪われているうちに、段々とこの世界にはまっていく自分に気がついてしまった。でも、毎年ハルイチにも出て、トリも努めたこともあるハルイチの顔の1人である。ぼんちおさむ、ペギー葉山、木村充揮など、交流の幅も広い。暖かな陽の降り注いだ後の日曜の夕暮れなんかにもう一度聞いてみたいな。シングス/ヤスムロコウイチ1 みかん色の2人2 レビュー3 ピンクの麦わら4 卒業5 ベルマーク委員6 博多にて
2007.05.04
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祝春一番2007の初日、長見順が舞台で叫んだ。「ハルイチは親爺率が高いからなあ~」確かにそれはあると思う。春一番が始まった70年代半ば、現役だった関西フォークの面々がまだ元気でメインを張っているから。観客も彼らと同世代の人々(50代半ば~後半)、そして僕のようにちょっと大人の世界に憧れながら彼らの歌を聴いていた世代(40代半ば~後半)が一番多いような気がする。しかし、新しい世代も居る。70年代の面々をアイドルとして歌い出した人たち。そして彼らとは関係なく独自にやっていたけど、どっかで必然的な繋がりを持ってハルイチにやってきたミュージシャン達(主に30前後)、そして彼らと同世代の人たち。3日に登場した良元優作もその1人だと思う。ちょっととぼけた外見(バレー部の後輩の荻野君にそっくりなんだよな~)。ギターを立てるように持って、顔を前に突き出して歌う。頭には山高帽をはすにかぶって。ディランのような友部さんのような、いやもうちょっと潰れて鼻にかかった声。ギターをつま弾きながら淡々と喋るように歌う。ちょっとメロディーが予想を裏切っていくのよね。こんな感じで続くと思っていたら、そこから微妙にマイナーの側にずれていく感じ。言葉で言うと、語尾がちょっと変化するような感じだ。ちょっと気になったので検索してると、さすが若者(笑)!ちゃんとブログがあるのね。このプロフによると、1977年生まれの30歳。9人兄弟!!の末っ子。2001年、宗村孝之 (Dr) 長谷川健一 (G) と パンツ・パンツ・パンツ を結成。2003年、大阪21世紀協会主催「街角コンサート」で660組の中から優勝するが、翌年活動休止。2005年、MIDIクリエイティブの『高田渡"ごあいさつ"トリビュート盤』にソロ参加し、CDデビューを果たす。また6曲入りのソロアルバムを自主制作。で、そのアルバムが昨日紹介した「優作」だ。8曲、35分の短いアルバムだけど彼の世界のエッセンスは十分に詰まってると思う。試聴のページもあるので、興味のある人は覗いてみてはいかが?
2007.05.03
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ジャズを知ったのは大学に入ったときだった。バレー部の先輩にジャズが好きな人が居て、その人の影響だ。当時はフュージョンが流行していて、ボブ・ジェームス、アール・クルーとか、日本だったらカシオペアとかネイティブ・サンなどが脚光を浴びていた。フュージョンも聴いたけど、先輩の影響ですぐに60年代、70年代の所謂モダンジャズと言うのに没頭していった。マイルス・デイビス、ビル・エバンス、ジョン・コルトレーン、キース・ジャレットなどあのあたりだ。当時は街のあちこちにジャズ喫茶があったし、レコードも中古でかなり安く手に入ったので、有名盤を片っ端から聞いていった。それらのレコードは実家の僕の部屋に置いてあるけど、その中身は殆どを忘れているように思う。ジャズを聴いていて身に付いたのは、長尺物に慣れたと言うこと。そして一見ノイジーに聞こえる中にもリリカルで美しい音が潜んでいると言うのに気づくようになったこと。静と動のコントラストに気づくようになったこと、今まで気に留めていなかった、ドラムやベースの音に注意を向けるようになったことなどだ。沢山の作品を聞いているうちに、やっぱり自分はメロディーが美しくてちょっとブルーでリリカルなサウンドが好きなんだと言うことが分かった。メジャーコードよりはマイナーコードの方が好きなのである。華麗なオスカー・ピーターソンのピアノよりは、ビル・エバンスやレイ・ブライアンとが、ソニー・ロリンズよりはスタンゲッツやジャッキー・マクリーンの方が好きだと言うことが分かった。日本のジャズはと言えば、何の根拠もなくあれは外国のジャズの真似みたいに思っていて、ナベサダの吹くメロディーは美しいなあなどと思いながらも、どっか距離を置いていたのだった。30歳の頃、大阪でいた頃は既にあまりジャズを聴かなくなっていたけど、偶然に見つけた明田川荘之のエアジン・ラプソディー」「と言うアルバムをジャケットを見て衝動買いした。明田川のお父さんが書いた墨絵がジャケットに使われていたんだよね。そのアルバムはピアノの明田を中心とする西荻センチメンタルオーケストラと言う集団のアルバムで、その中の表題曲がとても哀愁のあるメロディーで一発でノックアウトを喰らってしまった。明田の店は中央線沿線沿いにあるのだが、中央線のジャズ!って感じの熱気がアルバムの中でうねっていた。明田の作品はかなり買い込んだ。エアジン・ラプソディーは何度も再演されていたけど、その都度新しい発見があった。ああ、日本のジャズも素晴らしいじゃないか。むしろ自分の琴線に合うのはこちらかも知れないと思い始めた。そうなると、浅川マキのバックで吹いていた向井滋春のトロンボーンが素晴らしいとか、彼女が歌う「グッバイ」と言う曲は、ピアニストの板橋文夫の作品で元々はインストメンタルの曲であって、それは板橋のソロアルバムや、彼がピアノを弾いている森山威男(山下洋輔バンドの初代ドラマー)のコンボで演奏されているとか、その森山の復活作品である「虹の彼方に」には板橋の代表曲である「渡良瀬」が収録されていて、これも美しい曲だとか(ちなみに、板橋の「渡良瀬」と言うアルバムと、森山のアルバムに収録されている渡良瀬は同じ曲なのに全然違う演奏だ)、そんな風にどんどんと広がっていくのが嬉しかったりするのだ。音楽はどれもそうだけど、僕が素晴らしいと思うのは、美しいメロディーとか感動的な歌詞とかはもちろんだけど、それは単なるきっかけであって、一番感動するのは歌を通して、楽器を通してミュージシャンが自己主張をしながら命を燃え上がらせる瞬間を見ることが出来ると言うことに尽きる。その意味で即興性のあるジャズはそういう瞬間に一番出会いやすい音楽かも知れない。明田川のアルバムを追いかけているうちに出会ったサックス奏者が武田和命だ。アケタとの共演アルバムである「アケタ・ミーツ・タケダ」と、新星堂が出した「ジェントル・ノーヴェンバー」は共に素晴らしいアルバムであった。その頃、既に武田は食道癌で亡くなっており、これらのアルバムは武田の追悼盤として出た色合いが濃かったと記憶している。先日偶然だったけど、武田のDVDが出ると言うニュースをネットで見た。そんなものがあるのか?と思ったけど、柳川のジャズ喫茶でライブをやったときの様子をそこのマスターがプライベートで録画していたものらしい。武田のコアなファン以外は買わないのでは?と思うけど。このDVDを世に出したのは、当時の武田のバンドでピアノを弾いていた渋谷毅さんで(今度春一番にも出るんだよ)、武田と同じく今は亡くなってしまったベースの川端民生さんの映像を残しておきたかったと言うことだ。渋谷さんの努力があって、そのDVDは当時の演奏を集めた「「Old Folks」と言うCDと共に世に出ることになった。機材はデジタルじゃない8ミリだし、部屋の中は暗いし、カメラの前を人が横切ったりするし・・。でも、ここにはジャズの熱い熱気がそのままに封印されている。ジャズメンが命を燃え上がらせる瞬間が、そしてそれを見守るファンの視線がそのままに封印されているのだ。いつも書くけど、テレビやラジオ、雑誌などでどんどんと消費される音楽。コマーシャルやテレビドラマとタイアップしてヒットしていく音楽。そう言う遠賀にも、もちろん素晴らしいものがある。しかし、僕らが見過ごしてしまいがちな、こっちから近寄っていかねば決して出会うことの無い音楽にも沢山素晴らしい音楽はあるのだ。そういうのに出会った瞬間は音楽を聴いていて嬉しいと思う瞬間である。このDVDと武田さんの想い出を熱く語ったブログはここ
2007.04.26
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勇造さんと一緒に彼の新譜を録音したギタリストの仲豊夫さんは、もちろんYUZOバンドの一員であるけど、それ以外にも関西の音楽シーンでは様々な場所でセッションをして触媒的な役割を果たしているらしい。今日ご紹介するCDもその一つの成果だ。山本シン ライブin拾得with仲豊夫山本シンの新譜である。おおあの山本シン山本シンの新譜なのだ。勇造さんが「タイガージェット・山本シン」と言う歌を作った山本シン。ステージで何とう○ちをしたという噂のある(真偽の程は知らん)あの山本シンである。アナログLPで彼のアルバム「バンス」を買ったのが、僕が大学生の頃だったように記憶している(もちろん、勇造さんの影響で興味を持ったのだ)。そして、そのアルバムに、幾つかのライブ音源が追加されてプライベートCDのような形で発売されたのが3~4年前だった。曲目クレジットも、タイトルも無いCDだった。正式の新しいアルバムが出るのは、だから25年ぶりぐらいになるのだろう。このアルバムも出るべくして出たと言うよりは、彼のファンの後押しで出たCDだと聞く。折角歌を唄って来たんだから、ちゃんと作品を残して置かないと・・と言う熱いファン達が集まって出したアルバムだ。だから、アマゾンでも買えないし、通販でも買えない。僕は勇造さんのサイトで知って、カキコしていた人に買い方を聞いたら、その人がメールをくれて実はその人も製作を担当したファンの方々の1人だったので、手持ちの分を・・と言うことで快く譲って貰った。もちろん、非売品ではない。欲しい人にはきちんと譲ってくれると思う。定価2000円だ。山本シンと言えばブルースである。それはもう黒々とうねるブルーズだけど、米国の黒人がやっているブルーズとはまた違う。彼の旅と歌の暮らしが作ってきた、彼の体の中で血と肉となった唯一無二のブルーズだ。歌詞もメロディも不思議と叙情感があり、僕の琴線をとらえて放さない。ブルーズなのか?人生を歌うという意味ではシャンソンに近いように思う。寂寥感があり、それでいてふくよかで優しい彼の声。マイナーコード中心のエッジの効いたギターに絡んで、厚みとふくよかさを付け加える仲ちゃんのギター。そうだ、これは船頭のシンと、相方の仲ちゃんが、小さな小舟に乗り込んで、荒れる海に漕ぎ出して行く・・そんなイメージを抱かせる。5曲目の「惨めな奇跡」の途中、会場の観客にアイアイアイ・・とリフレインを歌わせながら、「一隻の沈没船だと思って・・」と客を煽るシン。僕らも海原を漂う小舟になったような気分になる。この曲の作詞者は、今は泣き山口のブルーズシンガー源の助。勇造さんが「癌になった金玉ひとつ取って、おれは近眼になったと歌う、お前は山口のブルーズシンガー源の助」と歌った男だ。このアルバム、聞いてみたい人は僕に連絡をください。制作した方を紹介させていただきます。電波に乗らない、そして流通にさえ乗らないところで、こんな素晴らしい音楽が成立している。その事実を知る事が出来ただけでも素晴らしい事だと思う。1ブーツには青いペンキの汚れ2逃げ出さないで3見上げた空4月5惨めな奇跡6BABY7ヨコスカ・ブルース8逃げ出さないで9レクイエム10嘘の上手な正直者「客は、狂った物を見に来てるんだよ。だから俺たちはここで死ななきゃならんのだ・・。」
2007.04.19
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知らなかった。鴨ちゃんのサイト、また更新がはじまっていたのね。msk22さん、教えていただいてありがとう。亡くなる5日前の文章だってここで読める。そんなに急に亡くなる感じではないのにね。今日はソフトバレーの部長を務めるSさんの送別会。17年も徳島に居たのに転勤なんだって。転勤先の鳥取でもソフトバレーやるし、週末はこっちは帰ってきて試合に出ると言うから完全なお別れじゃないんだけどね。奥さんもこっちで居てソフトバレーやってるし。単身赴任かあ。もう一度独身気分と言うのを味わってみたいような、みたくないような。やっぱり危ないか(笑)。例の花屋さんに花束を注文しているので行きがけに受け取ってから行く予定。だから写真は載せられないね。では、そろそろ行ってきます。最近毎日車の中で聞いてるのはこれ。Jackson Browne/Solo Acoustic vol1心に染みいる歌声、シンプルだけど美しい演奏とメロディー。鴨ちゃんの追悼に。そしてSさんの送別に。
2007.03.24
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あらあらら・・・。最近ちょっとアクセスが増えたのか、まだ先だろうと思っていたらあっと言う間に近づいてきた。明後日ぐらいかしらん。大体毎日のアクセスが200前後だから。222222のキリ番です。キリプレはこれ。西岡恭蔵「Farewell Song」はい、もう日記でも何度も紹介した(っつ~か、キリプレで出して該当者が無かった・・)蔵さんの遺作にして最高傑作のこのアルバムです。奥さんのKUROちゃんが乳ガンで亡くなって、その1年後に彼女の追悼アルバムをプロデュースして世に送り出し、その1年後に彼女を追いかける永遠の旅に出てしまった。彼女の死後に唯一出た蔵さんのアルバムがこれだ。サーカスのピエロのような笑い顔の下に悲しみが見えるような、ほろ苦く切ないアルバム。表題曲で、「愛は生きること」と歌ったのに、蔵さん、何で死んだ!と今でも思います。このアルバム2枚持っていたのね、自分のとプレゼント用と。ところが自分用のがちょっと見あたらない時期があって、プレゼント用のを開封してしまっています。でも、傷もないし綺麗だからね。何?僕の指紋がついている方が値打ちがある??はいはい。対象はここへ遊びに来てくれている楽天のお友達ですね。きっちりでなくても良いけどやっぱり近い番号じゃないと。222220~22224ぐらいで一番近い方に送りたいと思います。西岡恭蔵「Farewell Song」過去の日記より
2007.02.28
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もうずう~~~~っと前の事で恐縮だが、ずっと引っかかっていた事がある。あのボクシングの亀田の試合の事。いや、試合の話じゃなくて国歌斉唱の話である。君が代が国歌かどうかなんて話はどうでも良い。いや、どうでも良くは無いけど今夜はこのことは置いておこう。あの国歌を歌った T-BOLAN ARASHI MORITOMOと言う奴の歌があまりにひどかったわけだが、まあそれもどうでも良い。大体さあ、君が代なんてゆったりとして起伏の少ない歌をロック歌手に唄わせようなんて企画が無理なのよ。あいつらはどうせ歌い切れないので、その照れ隠しとしてロック風の味付けをしてごまかそうとしてるだけだ。どうせなら、忌野清志郎みたいに、パンクのアレンジで歌ってみろよ。大体T-BOLANなんてロックバンドとしてもどうだったのかワシは知らん。てっきりジャニーズと思っていたけど違うのか?ジャニーズって、あれはSMAPも含めて全部男芸者だぜ。まあどうしてもその酷いアラシ(嵐を連想するからジャニーズと思うのか知らん)の歌を聴きたい人はこちらでどうぞ。気になっていたのは、相手のベネズエラの国歌を歌った人の歌があまりに見事だったからだ。君が代と対照的なテンポの速い起伏に富んだメロディーを苦もなくリズミカルに明るく朗々と歌い上げていた。しかも美形でふくよかなお嬢さん。なんかすごい変わった名前だったんだけど、それが思い出せなくて、ネットで検索してもあの歌手は凄かった~と言う書き込みはあるけど名前についてはなかなか書き込みが見つからなかった。けど、今日何のきっかけだったか、また亀田の話をネットで検索することがあって、その時に遂にこのお姉様の名前が分かってしまったのだ。「コロンえりか」と言う御菓子のクリームコロンか、それともオーデコロンかを連想させるようなその可愛い名前の女性は、くりくりとしてよく動く目とちょいぽっちゃりのふくよかな体型を持った素敵なお嬢様だった。そして何よりも凄いこの歌手の経歴が凄い。詳しくはここ>を見てね。この彼女のプロフの中では、亀田の試合で歌ったことなんか触れられないのね。彼女の歌を聴いてみたいと思ったけど残念ながらアマゾンでは見つからない。CDが出版されているらしいのだが。彼女、この9月から英国王立楽院へ留学するらしい。う~ん、残念。YOU TUBEもさあ、アラシの映像を載せるんやったら、この姉さんの歌った映像を載せて欲しかったな。
2007.02.19
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CDはアナログに比べて大量生産しやすい?のか、CD時代に入るとアナログ時代に廃盤になっていたアルバム、マイナーで人気が無かったアルバムなども一度はどんどんとCD化されていたようだ。しかし、やはりレコード会社も商売。一度はCD化するけども、売れ行きの悪いものはあっという間に廃盤になってしまう。そんな風にお蔵入りになったアルバムは星の数ほどだろう。80年代にきら星の如く出現した女性シンガーソングライターも、そんな風に一旦CD化されながらも消えていった人たちは多い。僕の好きな稲葉喜美子や豊島たづみもそうだ。再度のCD化を望みたい。そして、一度もCD化されていないミュージシャン、アルバムもある。これは恐らくマイナーすぎる以外に原盤が無くなってデジタル化出来ないと言う問題も含んでいるのでは?と思っている。まあ、アナログ盤があればそこまらデジタルに直すと言う手はあると思うけど。例えば、金子マリさんのアルバムは殆どCD化されているのに、バックスバニーをバックに従えたマリ&バックスバニーの同名ファーストアルバムは一度もCD化されていない。このアルバムの1曲目の「あるとき」と言う歌は日本のロック史上に輝く名曲、名演奏、名歌唱だと思っているのだが。発売元のCBSソニーの怠慢か、それとも原盤が無いのか?1日も早いCD化を望みたいものだ。で、前置きが長くなったけど、同じようにCD化されていないミュージシャンに白季千加子が居る。この人の歌を始めて知ったのは、大学生の頃で、ラジオから流れるのを偶然聞いたのだと思うが記憶が曖昧ではっきりしない。ひょっとしたらジャケット買いしたのかも知れない。始めて聞いたアルバムはこれだ。1曲目、「ケイへの手紙」の冒頭、ケイ~いつまでも、泣いてないで~と歌い出した彼女の声にノックアウトされてしまった。ちょいと憂いを含んだアルトの声。少しブルースっぽくフラットに裏返る高音域。凛とした清潔感のある声だ。そして次に手に入れたのがこのアルバム。これはベスト盤になる。今聞けば、多分可愛らしい、少女から大人へ変貌して行く女性の歌と聞こえると思うけど、当時は大人っぽくかっこいい女性の歌に聞こえたものだ。彼女は数枚のアルバムを残して音楽シーンから消えた。と、言うかあまり売れなかったので東京から故郷の青森に帰っていったと言う方が正確らしい。作詞家の岡本おさみさんは、彼女のような歌手が売れないなんて、もう自分は詞を書くのを止めようかと思ったと、何かの本で読んだ。最近、彼女の事をネットで検索してみると、少ないながらもいくつか情報が。彼女は故郷の青森県弘前で結婚して引退したけど、また年に1-2回ぐらいのペースで独身時代から出演していたライブハウス蔓灯籠(まんどうろう)で歌っているらしい。当時と同じく裸足でステージに立っているそうだ。昔、背伸びをして唄ってたものが、やっと自分のものになってきたみたいだ・・と言っているそうだ。こら!ポリドール!早くCDを出せ!と言いたい。そうせんと、ワシはアナログプレーヤーを買わなあかんようになるやんか!白季さんについての情報があったらまた教えて欲しい。待っているよ。
2007.01.24
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今日はセンター試験の日やったね。例年このあたりは凄く寒いんだけど、今日は凄く暖かかった。受験生には良かったですね。しかし、今年は何人が列車を止めたり、パトカーに先導させたりしたんだろうね。ちょっと興味津々。あ・・そんな事言うたら不謹慎か・・。この管理画面の変更は、うちのお友達でもちゃとさんはじめ、色々な人が言及してるけど、ホンマに改悪としか言いようがないねえ。前は管理画面で、誰がどんなコメントを書いたか、誰からどんなメールが来たか、その障りが読むこと出来たのに今度は全然出来ひん。新着コメントも、「あります」言うからめくってみたら、さっき読んだコメントだったりして。そして以前から思うこと、古い日記を検索しようとしてまずカテゴリ別に日記を出すでしょう。そして一覧をクリックしたら、そのカテゴリだけの一覧が出るのかと思いきやそうじゃなくて全部の日記の一覧しか出ないのよ。そんなん、カテゴリ別に行く必要がないじゃん。それから、これは僕のやり方が悪いのかもしれないけど、検索機能が全然ダメなのよ。検索の所に、昨日の日記の「山崎ハコ」と入れて「このブログで検索」にしても該当無しになるのは何故?楽天内にしたら、自分以外のは出てくるんだけどね。勇造さんは、豊田勇造では出てこないのに、勇造なら「このブログ内」でも出てくる。う~ん、何故だ。まあ、つられて管理画面の悪口書いちゃったけど、今日の本題は別。最近の僕のディーヴァは火取ゆきである。毎晩この人の歌を聴いてから眠りに就く。いや、別に眠くなる音楽じゃないのよ。歌声がココロに染みこんできてね、それで濃いウイスキーを飲んだときのように胸の中がポッと熱くなるのね。前にこの人のアルバムの事を日記に書いたので、それに重複しないように書こうと思ったけど、今日は他の事も書いたし時間切れなので。ひとまず気になった方には歌を聴いていただきましょう。彼女のオフィシャルサイトへ行くと、バックにセカンドアルバムの中の「望郷」が流れています。そして、ディスコグラフィーのバックには「母なるものを遠く離れて」が、そしてリスニングルームには一番好きな「祈り」が流れています。いずれもセカンドアルバム「真昼の星空」からの曲だね。これらの曲を作ってるのは小池真司と言うミュージシャン。この2人は渋谷アピアと言うアコースティック専門のライブハウスの出身なんだけど、小池はアピアで一番暗いライブだと言われてるのね。プロフを読むと悩みながら苦しみながら、それでもそっから逃げずに必死に生きている人だと分かる。彼にも生きていく為に歌が必要なんだとわかる。彼自身はまだアルバムも出していないけど、この火取の歌唱で彼の世界は多分彼自身が歌うよりもずっと広がりを持てたんじゃないかと思う。このアルバム、売れ行きはともかくとして関西のライブハウスのマスター達が、その年のベストアルバムに選んだと言う曰く付きだ。またじっくり彼女の事は書いてみたい。その前にじっくり歌に浸らなきゃ。う~ん、自宅のライブで聞きたいなあ。いや、その前に彼女が切り盛りしてる「ピンクのぶた」と言う酒場で聞きたい!今夜も「祈り」を聞きながら・・・オヤスミなさい。
2007.01.20
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新しい管理画面って、使い慣れていない事を差し引いても使いにくいよね。お友達の日記更新のお知らせが5つしか表示されない。僕のお友達はみんなマメに更新するので、ちょっと目を離すと下の方に消えていって見えなくなるのよ。それに、日記に対するコメントや掲示板への書き込みに関して、誰がどんな事を書いてるのかってのが管理画面からは全く分からなくなった。あれも不便やね。どうせ変えるのならさあ、エロトラックバックが出来なくするとか、ずっと古い日記を修正したい時に、延々と新しい日記から辿らなくても良いようにしてくれるとか。使用者に、どんなところを変えたら良いのかアンケートでも採れば良かったのにね。さて、ちょいと前の幻泉館さんの日記を読んでいたら、ついつい懐かしくなって山崎ハコさんのCDを買ってしまった。ハコさんを僕に教えてくれたのは、パックインミュージックと言う深夜放送のDJをやっていた文化放送のアナウンサー、故林美雄さんである。思えばユーミンもこの人から教えて貰ったのだった。僕は知らなかったけど、勇造さんの事もよく知っていて、彼のアルバムも深夜放送でかけてくれていたらしい。ハコさんの歌を聴いたとき、思わずラジオのボリュームが大きくなってるんじゃないか確かめたんだよね。それぐらい迫力あるボーカルだった。ちょっと金属的な声、高橋真梨子に似て無くもない。顔は岸本加世子なんだけど・・。けれど小さな声で囁くように唄う時の声は金属的でなく絹のようだった。高校2年生の時に、徳島へやってきたハコさんのライブを見て、あの小さな身体のどこからあんな声が出るのだろうと驚いた記憶がある。身体全体が火のように燃えているようだった。すっと立っている姿は、小さくて透明感があって、とてもピュアな感じがしたな。「気分を変えて」や「サヨナラの鐘」のような絶唱も好きだけど「歌いたいの」や「ララバイ横須賀」のような囁くような歌い方の歌も好きだった。僕が持っている彼女のアルバムはアナログ盤ばかりで、多分「流れ酔い唄」、「藍色の唄」あたりまで持ってるんじゃないかな。しかし、思い出深いのはやはりラジオから良く聞いたファーストアルバムの「飛びます」と、初めて買った「綱渡り」だろう。「飛びますの」画面いっぱいのあの顔の迫力には参ったよなあ。幻さんは、オリジナルのジャケットは怖いって言ってましたが、僕はやはり思い入れの強いオリジナル(しかも、sonoさんの好きな紙ジャケ仕様)で購入。飛・び・ま・す綱渡り久しぶりに聞いてみたら、以前のように身体が震える程の感動はなかったけど、今聞いても全然古くさい感じはしないね。今の20才前後の子に聞かせたらどんな反応だろう?聞かせてみたいなあと思った。ハコさんは情景、景色を歌っていない。自分を歌ってるのだ。だから古く感じないのだろうと思う。余談だが、「綱渡り」の1曲目の「向かい風」の冒頭には、こんな歌詞がある。♪思い切り笑っても 寒いな胸の中♪めくらになるような 恋が懐かしいアホな自主規制をせずにちゃんとオリジナル通りの歌詞が使われている。拓郎の「ペニーレーンでバーボン」と言う唄では、「つんぼさじき」と言う言葉が問題になり、この唄が収録されている「今はまだ人生を語らず」と言うアルバムはCD化されてないし、先日のつま恋のライブでは、歌詞を変更して歌っていた。このあたりアーチストだけの問題じゃなくて、むしろレコード会社の見識の部分が大きいと思うけど、CBSソニーのような大手よりも、エレックの方が頑張ってるね。日本一暗い歌手と言われて「私は暗くない!」と怒ったと聞いたハコさんだけど、「暗くてどこが悪い!」って怒って欲しかったな。ハコさんの唄はそりゃ明るくはないと思う。暗くてもね、自分を見つめてそこからまた生まれていく強さを感じたのだよ、だから暗くないのだ。最近は、ギター奏者の安田裕美さんと結婚したとか。また今の時代のハコさんの歌を唄っていって欲しいな。
2007.01.19
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