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楽天日記のみなさま、ご無沙汰していますが、お元気ですか?台風が過ぎると真夏になりましたね。こちらも、雨が振らず毎日暑いです。子どもの頃は、30度を超したら凄いな〜と思っていたのですが、今は35度ぐらい普通ですからね。シャワーの温度が5度上がると急に熱く感じますけど、少しずつなら慣れるのでしょう。このまま温暖化が続くと地球はどうなっていくんでしょうね。子ども、孫の代は大丈夫かなと心配になります。そのために何をするか・・もっともっと私たちが勉強しないといけないなと感じるこの頃です。さて、我が家も明日から通常より1日早いお盆休みに入ります。16日が日曜日なので、診療は17日からで合計2日長い計算になりますね。その間私は別荘へ・・入院(笑)。以前より懸念だった不整脈のカテーテル治療を受けてきます。症状が発作性で、短時間で消失するし、ほとんど夜間の発作なので仕事やスポーツにあまり影響がなかったのでそのまま放置していた訳ですが、6月に心房粗動が1週間続いたことがありました。房室伝導がブロックされるので、脈拍は75から150の間で推移していましたが、心房は毎分300回の収縮を繰り返して居たわけです。その間も診療していたし、ボウリングの試合も出たりしていました。もう治らないかと思い、手術を決意した訳ですが、7日目に突然停止。その時、体が非常に軽くなったのを自覚して、ああやっぱりしんどかったのねと悟った次第でした。3泊4日で治療の予定です。せっかくのお盆休みですが、休診にする必要がないので自分としてもありがたいです。家でごろごろしてるか、病院で寝てるかの違いのようにも思うし(笑)。では、またみなさんお盆明けにお会いしましょう。
2015.08.10
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それは今日の午後の事。保険の審査の仕事を終えて、帰宅しようとしていた。その後は老人ホームへの往診があったのよ。家まであと10分程度のところ、赤信号なので停止しようとしたところ、後ろからがっつんと衝撃が。赤いトラックに追突されたのでした。僕のボルボは横転し、僕は窓ガラスを破って車外に放れ出されて、そこを後続車がかすめて・・と言うのは冗談で、ボルボはびくともせずに、僕もびっくりしたぐらいだったけど、まあ向こうは一応トラック(4トンぐらい?コーラーの運搬の車だった)だし、これでこの程度?と言う感じだった。車は遠目に見た感じじゃ事故ったとはわからない。凹んだりしてるところが無いのよ。向こう赤い塗料が着いたり、リヤウインドウの横のボディに小さい穴が空いたりしてるけど。僕も外へ出て背伸びをしたり、スキップをしたりしてみたが何ともない。警察を呼んで事故の届けてして、連絡先を交換して帰りました。後で、会社の人がお詫びに来たし、向こうの運転手(若いお兄ちゃん)はうちの病院の直ぐ近くに住んでいて、何度か診察に来たこともあると言う。まあ、こんなところでご縁が・・なんてこういうご縁は要らないんですけどね。配偶者様が心配して、むち打ち予防の漢方薬をくれた(そういうのがあるらしい)ここは大人しく服用。老人ホームの往診にも行ったし、晩ご飯も一杯作ったし、今のところ大丈夫です。まあ、向こうの車も会社の保険に入っているだろうし、もし入って無くても自分の保険でも直せるような保険らしい。と、言っても、この間僕が駐車場で止まってる車にぶつけたので、保険料がぽ〜んと上がった矢先だったのだけどね。本当は、娘の塾の送迎の間にボウリングに行きたかったけど(最近はこのパターンが多い)、今夜は皆様のために自重しようと思う。明日しんどいなんて言ったら、絶対に医者の非常識って言われそうだしね。頑丈な車、頑丈な身体、そして何よりも太い首(この間、肩を揉んでくれた娘に、とうちゃんの首ってどこ?と言われた)に感謝なのでした。また事故報告、いや事後報告します。
2013.03.01
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今日は久しぶりの祝日で、丸1日の休みだった。配偶者様とモーニングを食べに行き、その後最近抜け毛がヒドいトミの散髪をする。犬用バリカンはたっぷりと充電していたはずだが、胴体の部分が半分ぐらい残った状態で充電が切れてしまう。太って面積が広い上に、特に上半身のたるみが酷くて、たるんだ皮膚を伸ばしながらカットしないといけないので、かなり時間がかかり、且つテクニックも必要なのだ。顏やら耳の辺りを重点的に丁寧に刈っていたら時間切れになったと言う訳。しかし、ひどいもんだね。少し刈っている毛の間には、ごま塩をまぶしたようにフケが散っていた。そりゃ臭いはずだ。ラックス牛乳石けんでしっかり洗いました。うちには犬用シャンプーなんてものは存在しないのだ。午後は、これも長年の課題だった、クローゼットの整理を兼ねた断捨離。以前は、着なくなった服はオークションに出したりしていた。僕が出せばそれなりに高い値段で売れるのだ。買値より高く売れたものもある。しかし、最近は忙しいし、売る品物の量も増えて、とてもそんな余裕は無い。古着ショップへ持って行った。全部で32点、総額3万円程度だった。う〜ん、こんなものかよ。持って行った品物の中に、1万円以下の品物はないし、多分総額にしたら60万円分ぐらいあったんじゃないかと思う。新品で使ってなかったのも数点あったし、オークションで買った古着もあったから、まあ何とも言えないが、それでも安いよね。でも、着られないままクローゼットの肥やしになるのも可愛そうだし、これで良かったのだと思う。帰り道、カズとジェラートを食べて、その後ボウリング。今日の最高スコアは191でした。110ぐらいのゲームもあったし、なかなか安定せんなあ。ま、それが素人たるゆえんか?休日とは言え、忙しかったけど、それなりに充実した1日でした。皆さんはどんな1日でしたか?
2013.02.11
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おっと・・またまたご無沙汰してしまいました。いつの間にか4月ももう末。1週間前に僕は52歳になりました。そして2日前にヒロキは17歳になりました。なんか40台の10年間は凄く速かった気がするなあ。でも、これからの10年間はもっと速いのだろうと思う、多分。死へ向かって加速が付くんだろうなあ。誕生日の前日。配偶者曰く「あんたももう後は転げるように年を取るだけだねえ」娘曰く「もう人生半分以上終わってしもうとんでないか!」カズ曰く「ケーキあるん?」まあ、親父の誕生日なんてこんなもんです。でも、娘とカズと配偶者がハガキに寄せ書きなどくれたりして。ん?どこへ行ったあのハガキ・・。息子は17歳になって、身長は父親とほぼ同じ。体重も10kg程度のところまで肉迫してきました。中学校の時は、安物の古着なんぞ着ていたけど、最近は親父のワードローブから、パパスのTシャツやGジャンを勝手に持って行ってデートに着ていったりする。ちなみに、彼は誕生日の2日前に彼女に振られたらしい。家族みんなで大笑いしてやった。自己中はやっぱり嫌われるで~。バンドでドラムをやってる彼は、毎晩うちの家が周りに他の家が無い事を良い事に、バコバコドラムを叩いてストレスを解消したりしている(電子ドラムなので、それほど大きくは響かない)。依然のライブで「デイドリームビリーバー」をやったらしいが、彼らの世代は清志郎のバージョンがオリジナルだと思っているらしい。ベイシティローラーズなんか知らないらしい。そういう蘊蓄を教えてやる。次何をやろうかなと言うので、流行ってる曲をやっても、所詮コピーで本物より下手だと言うのがわかるだけ。それよりも、みんなが知らないんだけど、聞けばはっとするような美しい曲を、やってみたら受けるよと。ボガンボスの「夢の中」なんてええんとちゃうかと言って、YouTubeの動画を見せる。子どもとこんな会話が出来るようになったのが楽しい。やっぱり年取ったのだなと思う。昔勤務医だった頃、一緒に働いた同僚が肺がんで手術したと聞く。彼はまだ独身。生きていて良かったねと言う。あと何年生きられるだろうか?死ぬまで生きようと言う。そんな4月の終わり。若葉のまぶしい季節だ。
2012.04.29
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え~、僕ら夫婦は実は1年ほど前から、家庭内プチ別居をしていたのですが、このたび本格的な別居をする事になりました。まあ、仕事はこれまでどおりに行うし、毎日の生活にはそう変わりないのですが、一応ここにさらっと書いておきます。あんた、誤解しないでね。あんたの事は好きなのよ。でも、あんたとは一緒に暮らしていけないの。結局はそういうことらしい。昨日の夜の事、トイレに行こうとしたら廊下に黒い芋虫のような物体があった。よく見たら布団にくるまった配偶者であった。「君何してるんじゃ?」「あんたの鼾で寝られんのじゃ~~」と言う事らしい。こっちも眠かったので、そのままスルーして朝を迎えたけど、朝食の時にどんよりとした顔の配偶者から切り出した。「あんたは別の部屋で寝て!」実は、1年ほど前から、僕はカズの部屋で寝ていた。きちんと部屋をあつらえてやった癖に、里心がついたカズが親と同じ寝室で寝たいと言い出して、しょうがないから僕のシモンズベッドを明け渡して、僕はカズの部屋で彼のベッドで寝ていたのだ。1人で寝るのはなかなか快適なことに気がついた。寝るのが早い配偶者に対して、夜更かしの僕はいつも部屋に入るのも気を使っていた。ドアが音がしないように気をつけて、布団にも大人しないようにそっと潜り込んでいた。それでも、「あんたの入って来る音で目が覚めて、あんたは一瞬で鼾をかきながら眠りにつくけど、こっちは寝られへん」と言う苦情を言われていたが、それから解放されたから。そういう経緯があって、1年ぶりに夫婦で寝たわけだ。それがこの顛末だった訳。自分の鼾を聞いた事がないけど、昨日は飲み会だった事を差し引いてもそんなたいした事ないと思うんだけどなあ。むしろ配偶者が、時々鶏が絞められるような「クエっ」と奇声を発する方が気になるけど、それだって僕は相手を非難した事はなかった。あんたのベッドを書斎に持って行って、書斎の私の机とパソコンを寝室へ持って行って、完全に二人の部屋を分けようと言う。新たに自分の本棚と机も買うという。そんな面倒な事をせんでも、耳栓するかヘッドフォンでもつけたら安上がりちゃうのと思うけど、そんなのは肩が凝るから嫌だという。そもそも、そういうのって毎日聞いていたらなれて来て、逆にそれが無いと寂しくて寝られないようになるんとちゃうの?と言うと「絶対にない。あたしらオバサンは、もう些細なことが我慢出来ない年齢なんや」と言う事らしい。まあこっちも独り寝のすばらしさを1年味わった後だし、そもそもカズの都合で同居した訳であって自分の希望ではない。別にそれなら良いよと言うことになった。この週末当たりに本棚や机を探しに行ったら?と言うと、それまで待てない、水曜か木曜に行くとのこと。まあ、ご自由にと言う事だ。午前の診療の残りあと15分ぐらいのとき、職員を集めて言った。「今までみんなには黙っていたが、僕と副院長は今まで家庭内別居だった。でも、今後は本格的に別居する事になったから。まあ、詳細は午後から副院長が言うだろう、仕事に関しては今まで通りで変更ないので、みんなは心配線でもよろしい」職員の間に衝撃が走る。一番年配のSさんは、もう目が泳いでいる。「どうして先生達が・・」「まあ外から見ただけではわからん事はあるんよ。多くは語らないけども」他のみんなも顔を紅潮させて、ざわざわと落ち着かない。このままお昼休みに上に上がって行こうかと思ったけど、彼女らの昼食の味を損ねるのも悪いし、このままだと最年長の事務のYさんあたりが、「代表で来ました。もう少しお話を聞かせてください」なんて言い出しかねないので、上記顛末を説明。たちまち広がる安堵の気配。な~んだ、そんなんならうちなんてもう10年以上別居だわと言う人多数。うちの旦那も鼾うるさいけど、サシで叩くと暫く静かになるのよねと、怖い事を言う人も。面白かった事を配偶者に報告しようと上に上がった。「あんた、今日の朝のうちに家具屋に行って来て、本棚と机を買って、配達の時にベッドを移動してもらうように手配をして来た」って。普通、寝られなかった翌朝が休みだったら、もう一度寝るんじゃないか?その行動力はどっから来るのだろう?あんた、誤解しないでね。あんたの事は好きなのよ。でも、あんたとは一緒に暮らしていけないの。あんたの鼾は駄目なのよ。若いうちならともかく、あたしも中年おばばになって、ベッドで寝ている時が人生で一番楽しい時間なの。それだけは譲れないのよ。はいはい、これで合法的に一人暮らしが出来るようになった。でかしたぞ、カズ。
2012.03.27
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今日は、世間的にはホワイトデーと言う奴らしい。長男が珍しく昨日は早く帰ってきていると思ったら、ホットケーキミックスを使ってクッキーの作成中だった。それに野次馬の娘が荷担して、おこぼれに預かろうとする次男も巻き込んで結構な騒動が台所で起こっていた。で、出来上がったのが・・。クッキーを焼こうとして失敗してパンになったと言おうか、パンを作ろうとして失敗してクッキーになったと言おうか、シュークリームのシューが乾燥して堅くなったと言おうか、とにかく歯ごたえがあって、粘りけのある代物が出来ていた。バナナの風味はしっかり付いて居たけどねえ。噛めば噛むほど味も出ていたけどなあ・・。けどなあ・・から逃れられない代物だったのよ。お菓子って分量通りに作れば失敗はないものだと思っていたけど、失敗もあるのね。気を取り直した長男は、夕食後に前のスーパーにまたクッキー自作のセットを買いに行き、今度はチョコレート味のクッキーを焼いていた。今度の方は、ちゃんとクッキーの硬さと味になっていたようだ。丸いのを何個か作って、アヒルの形をしたのも作っていたけど、配偶者がそれを見て、「これをトミのトイレにおいたら、トミのウンチとそっくりだ」と言っていた。息子に追い打ちするか?普通。娘の方は、友チョコのお返しで気合いが入ってないと見え、買ってきた何種類かのクッキーを適当に混ぜ合わせて袋に詰めて完了とのこと。彼女の情熱は、バレンタインの時の騒動で枯渇してしまったらしい。カズはと言えば、自分がおこぼれ貰って食べるのに夢中で、自分がお返し(集団登校が一緒の同学年の子に貰ったらしい)しなきゃいけないのをすっかり忘れていたらしい。今日のおやつだった、カントリーマムを何枚かラッピングしていました。まあ、いいか小学生だし。って、言うか小学生なんかそんなする必要ないんだよ。学校で禁止にしろよ。夜、配偶者が深刻な顔で近づいてくる。「あなたにたってのお願いがあるの」と言う。こういう時に良い話しだったためしがない。「頼むから、この育毛剤を使ってくれない?」はあ?旦那の薄毛についに妻がキレたのか?常々、カツラを使ったり、髪を染めたりしたら離婚なんて言っていたのに、方針を変えたのか?育毛剤なら許されるのか?それとも、彼女が懇意にしているツムラが臨床治験の話しでも持ってきて、モルモットになれと言うことなのか?しかし、自慢ではないが私は薄毛である。ただ、薄毛と言っても高校生の頃からずっとで、大きく進行はしていない。二十歳の頃ははげるだろう、30歳になればはげるだろうと思ってきて、ずっと大きく変わらないのだ。その間何人の男たちが私を追い抜いて行っただろうか?まあ、そんなに髪が多くないけど禿げてる・・とは言われない。白髪だって、最近少しずつ出てきたけど、ほかの男性に比べると驚くほど少ない。私で良いのか??真相はこうだ。髪が豊富な配偶者だが、最近なぜかつむじのあたりの抜け毛が多くなった来た。意を決して自分のために高い育毛剤(資生堂の何とか言う奴で、かなりネットで評判らしい)を3本も買ったのに、説明書きを見たら、カラーをしてると使えないと書いてある。彼女は2週間に1度のカラーを欠かさない人なので、その育毛剤を使えない。もったいないので夫に使って貰おうと言うことらしい。オークションで安く売ったら?って思うけど。仕方ないので、昨日の晩から使ってる。でも効果あるのかしらねえ。って言うか危機感が無いから絶対に忘れると思う。私は、毎日髪を洗ってトリートメントは忘れずにしてるけど(ラックスのダメージヘア用を愛用している)、それ以外は全く髪の手入れはしていない。整髪料も使わないし、ドライヤーも使わない。洗い髪をタオルドライして後はブラシでオールバックにしておくだけだ。髪に腰が無いので、オールバックにしておいてそのまま寝て起きたぐらいがちょうど髪に腰が出来てボリューム感が出るのである。この育毛剤は髪の毛の腰が出来るのよと言うけど本当か?副作用で禿げたりしないんだろうな。そんなホワイトデー前夜であった。
2012.03.14
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ちょっと長いので、携帯の方は頑張って読んでね。どうも我が家の雲行きが怪しい。先週から風邪気味のカズは、いまだに咳が続いて、今日は早くからベッドに入っている。普段宵っ張りのミドリも今夜は何かしんどいと言って、10時前から布団に潜り込んでいた。僕はバレーの練習に行っていたし、配偶者は高知へ出張で居ないので、塾から帰って来たヒロキが、「何でこの家は誰も居らんのじゃ?」と不思議に思ったと言っていた。で、僕も昨日から喉がイガイガしている。やっぱり昨日の4時起きが体力を奪ったのかしら?咳が出て、今日の診療の終わりに熱を測ったら37度1分あった。ヤバいじゃん。熱があるのが家族にバレたら、みんなに「鼻擦れ!」の大合唱をくらってしまう。(ちなみに、鼻擦れってのはインフルエンザのテストをしろって事を意味する)。患者さんにするのは良いんだけど、あれって痛いんだよね。それもそうだし、もし陽性に出たりしたら診療にも差し障る。これは隠密裏に事態を収拾しないとあかん。そう考えた末に僕が選んだ道は、リレンザを吸入しながら抗生物質を飲むと言う方法である。ま、考えられる事を全部治療しようと言う荒っぽいやり方だ。患者さんにはこういう事しないけど、まあ自分の体だし良いかって感じ。自分的には、この症状はフルじゃないと思っているので、念のためって感じだ。この卑怯者と思われるかも知れない。しかし、僕は一昨年だったか、自分で自分の鼻を擦った事があるのである。あれはバレーの試合の日だったから、やっぱり今頃だったと思う。朝から咳が出てちょっとしんどいなと思ったけど、そのまま試合に行った。試合中は咳が酷くなり、何度も咳き込んで・・家に帰って来て熱を測ったら39度6分あった。さすがにヤバいと思ったけど、これを配偶者に言うとどんなに罵られるかわかったものじゃない。「この忙しい季節に、しんどいのにバレーの試合になんぞに行って、病気を悪化させて、あんたそれでも医者か!この能無しが~~~」まあ、これぐらいは覚悟せなあかんかったのよ。で、この時も隠密裏に治療を敢行。意を決して自分の鼻にブラシを入れてインフルエンザのテストをした。涙が出た・・。で、テストは陰性。症状からも気管支炎だろうなと思っていたので、抗生物質を普通の1・5倍飲んで寝た。翌日は37度後半に、次の日は平熱に戻っていた。咳は2週間ぐらい続いたけど、結局この時の発熱は家族の誰にも知られずに処理出来たのである。診察もずっつ普通にしていた。医者にはこういう苦労もあるのだ。ん?もう時効でしょ。話はもとにもどるけど、そんな訳で今回も強引な治療をしたのです。で、問題は今夜のバレーの練習をどうしようかと・・。常識的は止めでしょ。僕もそう思う。でも、来週と再来週は用事で行けない事が解っているので、どうしても今日は行っておきたい。しかし、今週の土曜と日曜に絶対に外せない用事もあるので、その時に体調をダウンというのも避けたい。色々考えた末・・冷静に考えると、体のしんどさってのは殆ど無いので、大丈夫だろうと自己判断。練習をしたけど、しんどくなかったし、帰って来たら熱も下がっている感じ。と、思って測ってみたら36度5分だった。医者の思考回路なんて、こんなに適当なもんです。ルンルンとした気持ちでお風呂に入る。有馬温泉で買って来た炭の洗顔フォームが最近のお気に入り。つるつるすべるので、いい気になって顔を擦っていたら、ブスっと左手の人差し指が左の鼻の穴に突き刺さった。容赦無しである。痛ぁあああ~~~いと原田伸郎風に叫ぶ。鏡で見たら、鼻の穴が切れて出血していた。鼻を擦るのをサボった因果応報かも知れない。そんな訳で、漢方薬の咳止めを、焼酎のお湯割りに溶かして飲みながらこの日記を書いている。さて、明日の体調は?
2012.02.23
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水曜日の朝は朝食を作る当番の日だ。そういう訳で、前の日の夜に5時50分に携帯のアラームをしかけて寝る。ついでに言えば、僕は今カズの部屋で1人で寝ている。僕のシモンズベッドがカズに取られてしまったからだ。正確に言うと、カズは僕のシモンズを物置にして、自分は配偶者のベッドと僕のベッドの間の隙間に布団を敷いて寝ている。まあ、1人で寝ると言うのは気楽なもので、配偶者やカズの鼾を聞かなくていいし、僕が夜中に寝に行って、「あんた昨日は夜遅くまで起きていたわねえ」なんて言われる事も無いので気が楽だ。そんな訳で、今日も携帯のアラームの音楽で目が覚めた。なんだかかったるい。外はまだいつもと同じく薄暗い。しかし起きねばならない。だって、主夫だから。リビングの電灯を付け、エアコンと床暖のスイッチを入れ、キッチンの灯りを付ける。食器洗い機から昨晩の洗い物を出して片付けて、今日の炊事の始まりだ。普段の我が家はみそ汁、ご飯、納豆と言う正しい日本の朝食である。まあ、僕は最近炭水化物を控えているので、みそ汁だけなんだけど。まあ、それは今回はスルー。で、今日は食卓の上にスティックパンが置いてあるのに気づいた。今日はこれを使って洋風の朝食にしよう。そう言えば、昨日の夜に茹でたブロッコリが残ってるし、ベーコンエッグ作ってブロッコリとトマトを添えて、カップスープでも付けたら立派な朝食になる。なんかかったるい日だから、こんな手抜きの朝食でも許してもらえるだろう。だって、主夫だから。そんな理論武装をして、フライパンでベーコンエッグを作る。卵を冷蔵庫から出そうとして床の上に落として床の上に生の目玉焼きを作る。いくら床暖房でもこのまま放置して目玉焼きになるとは思えない。う・・・迷った末にフライ返しとお皿で見事にすくってレスキュー。この卵は誰に行くのかロシアンルーレットみたいなものだ。そんな風にしてベーコンエッグは完成し、お皿にブロッコリとトマトを載せて朝食は完成。見事なものである。だって主夫だから。そろそろみんなが起きて来る頃だ・・と思っても誰も起きて来ない。遅いやんか、もう7時半になるで・・と思ってリビングの掛け時計を見た。「4時半だった」多分時計の電池が切れて止まってるのだろうと思って携帯の画面を確認した。「やっぱり4時半だった」体から力が抜けて行くのがわかる。なんでや?携帯を見て気がついた。まだアラームはかかったままである。おかしい・・と思って気がついた。自分がアラームと思い込んだのは、夜中に着信したジャンクメールの音だったのである。僕のアラームはRCサクセションの「スローバラード」を着メロ(着うたではない)にしている。で、メール着信音は桑名正博の「月のあかり」なのである。う・・似てないけど、似ているとも言える(苦しいけど)。朝食当番じゃない時には、音は消してるので気づかないけど、夜中には結構着信メールが来る事がある、来ない時にはしばらく来ないけど、来る時は集中して来るのだ。最近来ないから油断していた・・。昨夜1時過ぎに寝て、朝の4時に起きたのだから、そりゃあかったるいはずだわ。でも、それでもグダグダせずに起きて、ちゃんと始動しているところが偉いでしょ。だって、主夫だから。家族を起こさないで良かったわ。配偶者に殴られたかも知れないし、惚けたと思われるかも知れない。暖かい食卓には誰もいない。仕方ないので、そのまままた寝室に入って寝ようとした。必死で起きた後だけに眠れないのである。目がぎんぎんなのだ。そのままリビングのお掃除でもしようかと思ったけど、さすがにそこまでしたら廃人になると思って止めた。しかし、いつしか眠ってしまったようだ。家族の食事をする音で目が覚めた。寝室の戸を開けて(カズの部屋はリビングの隣りの和室を改造した部屋なのだ)外へ出ると、カズが大きな声で言う。「父ちゃん、起きるん遅いで、みなもうご飯終わりかけてるわ~」お前なあ、そのご飯がどうやって並んでいたか疑問に思わんのかい?まあ、いいの。こういう事も時にはあるさ。主夫だから。
2012.02.22
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今日は年が変わって初めて、9人制のバレーの練習に行った。水曜日が硬い9人制バレー、木曜日がソフトバレーだが、今はソフトの方がメインになってる。まあ、不整脈の事もあって、最近は自重していたのだが、先週のソフトバレーの練習でも不整脈は出なかったので、硬い方にも行ってみた次第。そこで嫌なニュースを聞いた。うちのチームの人ではないが、他所のチームの人で、時々うちの練習に参加していた人が居た。年が自分と同じぐらいで、僕は自分が買いすぎて余っていた(新作が出ると、つい買ってしまうので)バレーボールシューズを、今まで2回格安で売ってあげた事がある。そんな人だった。その人が31日に無くなったそうである。死因は窒息。吐いたものを気管に詰まらせたらしい。お酒をよく飲む人だったけど、その日は体調が悪いからとあまり飲まずに帰ったそうだ。年末から、仕事の関係で中国に赴任していたらしい。その作業場での事だ。麻になっても仕事に来ないので見に行ったら亡くなっていたと・・。47歳だったという。妻子とは別れて、独身生活を送っていたが、子どもさんはまだ中学生と小学生。まさに自分と同世代だ。誰にも最後を看取られず、気がついていたら亡くなっていたなんて・・。そんな死に方は寂しい。いや、どんな死に方でも、その年齢で亡くなる事が寂しい。また不整脈が出そうになる。そういえば、6月にPTAのバレー仲間のお母さんの告別式に出席した翌日から、この不整脈が出現したのだった。今は彼の冥福を祈ろう。まだ当分僕はそっちに行かないけど、いつかそっちへ行ったら、また一緒にバレーをしようなあ。安らかに眠ってください。
2012.01.18
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あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。昨年は、公私ともに本当に色んな事がありました。自分としては、体の不調が現れたのがショックでした。確かに、慢性の睡眠不足とか、色んなストレスとかあったけど、そんなん、ちょっと睡眠を取ってゆっくりしたら治ると思っていたら、どうもそうではなくて、手術せなあかんとまで言われたのが堪えた。思えば、開業してから育児、家事、仕事とずっと突っ走って来た。朝ご飯作って、子どもを保育所へ送り届け、帰りに往診、帰って来て診療、夜はバレー、PTA、最近は医師会、そしてブログ更新など。自分ではこれが普通と思っていたけど、いつの間にか年取って来てたのかなと思ってます。昨年9月の人間ドッグで内蔵年齢37歳だったけど、それを鵜呑みにしてはいけないかなあと。今年は無駄に起きている時間(ネットサーフィンしながらぼ~っとしてるとか)をへずって、出来るだけ睡眠不足を確保する事、生活にメリハリを付ける事を目標にします。と、言っても昨年よりも忙しい予定なんだけどなあ。年末は有馬温泉で1泊してきました。昨年会員になったホテルで。新築なので綺麗だったし、ホテルで食事をすると高く付くので、町ブラでご飯食べて、後は色々買い込んで、家族全員でハリーポッターの最終話2巻を見ながら過ごしました。入会記念のクーポンも貰っていたので、年末に5人で泊まって、ホテルには1500円しか払わなかった(爆)。なんか悪いなあ・・。31日に帰って来て、市の夜間休日診療所へ出務して、カウントダウンはそこからの帰り道でした。やっぱり忙しいわ・・。そういう訳で、今年はおせち料理はいっさい作らず。正月準備も殆どしませんでした。料亭で買って来たおせちと両親が作って来たものだけ。ま、例年と似た感じです。子ども達も大きくなって人権が出来た?ので、そんなに大きな写真は載せられない。小さいのを載せるので、拡大してみてください。例年通り我が家の正月です。今年もよろしくお願いします。
2012.01.01
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なんかぼ~っとしているうちに、8月も終わりだ。子ども達はちゃんと宿題を終わらせてるのだろうか?って言うより、毎日昼間で寝ているミドリなんぞ、ちゃんと起きて学校へ行けるのか?当たり前だが、8月が終われば9月が来るわけで、9月が終われば10月が来る。10月になったら、また今年も勇造ライブの季節なのである。逆算していくと、そろそろ準備にも拍車をかけないとあかん。と、言うわけでこれまで来てくれた人たちには先日、案内を出した。ポスターはガチャ子さんに頼んでいるけど、まだ届かない。だから、保険に自分でも1種類作った。タウン雑誌には7月中に手を打ったし。なんだ、万全ジャン。と、思っていたら、新聞のイベント欄への掲載の依頼を忘れていたのに気付いた。そういう訳で、今日は大手新聞の4紙の支局を訪問。いつもそうだけど、一番愛想が良いのが地元の徳島新聞。ま、これは地元だし当たり前か?ちゃんと担当者が降りてきて話を聞いてくれる。次が読売。ここの支局の人たちは、僕の顔を覚えてくれているようで、毎年「あ、これは前にも持ってきてくれた奴ですね」と言ってくれる。これはちょっと嬉しい。ま、なんせ一昨年は支局長さん自ら見に来てくれたし、後で記事まで書いてくれたところだから。いつも、何月何日に載せますと電話までくれる。毎日は、支局も一番小さくて汚い。ふ~ん、こんなのがあるんですか。まあ置いておいてください。後でなんか質問させて貰うことがあるかも知れませんって感じ。実際に記事になっているのかどうか、新聞取ってないからわからないもん。そして朝日新聞。ここは支局の大きさは、徳島新聞に次ぐ大きさだ(って、徳島新聞は本局になるけどね)。いつも、若い子が出てきて話を聞いてくれて、また取材に行かせてもらうかも知れないのでよろしくお願いしますと言ってくれる。でも、ここ何年も取材はおろか、イベントのお知らせにも載せてくれてないと思う。口だけ?いつも、ここのドアを開けるとき「赤報隊だあ~」って冗談言いたくなるのをじっと堪えている。洒落にならんからなあ。逮捕されるかも知れない。熱中症になりそうなぐらい暑い中、新聞各社を回り終えて、ご褒美は甘いジェラート。季節のフルーツを盛り込んだ美味しいジェラートのお店があるのだ。おまけにローカロリーが売り物。これを喰わずに何を喰うって感じか。這うようにして店にたどり着いて愕然とした。「本日定休日」チ~~ンって感じである。足から崩れ落ちた。ま、こんな日もあるさ。水曜日を定休日と言うの、忘れないようにしようっと。今度2つ喰ってやる~。
2011.08.31
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我ながら、回復は早いと思う。12日の夕方は、お腹をかかえてウンウン唸っていた。3年ぶりの阿波踊りにも参加出来ないばかりか、街にも行けず、家で一人留守番だったのだ。その夜に何故か沸々とお腹が空いて来た。回復の兆しか?とりあえず、梅干しを入れたお茶なぞ飲むが、それだけでは物足らず。とは言え、家におかゆなんぞ気の利いたものもあるわけじゃない。ままよ・・と、娘の残した鳥の唐揚げを食べてしまう。いけるじゃん。と、言う訳でもう1個。唐揚げは無くなったので、クリームコロッケも食べて、お中元で貰ったチョコレートのお菓子もバリバリ食べてしまった。嘔吐してから約12時間で回復。と、言う訳で13日は家族で有馬温泉まで出かけて、お昼はイタリアンのフルコースを食べ、帰って来て夜は焼き鳥屋で肝焼きとビール、焼酎。今日はこれからプールに泳ぎに行って、夜は街に繰り出す予定。まさか、揺り戻しは来ないだろうけど。我ながら回復力に感心。
2011.08.14
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今日からお盆休み。当院の数少ない連休である。今日は数年ぶりに、大学の医局の阿波踊りに参加しようと思っていた。やっぱりこの期間、町をブラブラするのも、浴衣着ていないと負け犬みたいな感じで楽しく無いんだよね。高校生の長男は友達とブラブラすると言うし、中学生の長女は家で居ると言うので、配偶者と小学生のカズと3人で参加の予定だった。ところが・・。昼前からお腹痛い。1回吐いてしまって、その後断続的に腹痛。下痢も数回。吐き気は収まったけど、胃を掴まれるような痛みが断続的に襲って来て脂汗が出る。昨日の残りの刺身を今朝食べたのが悪かったのか・・。トミにやればよかった・・と後悔。結局阿波踊りは断念。父ちゃんが行かないのから、と他の家族も踊るのを止めちゃって、結局長男は一人で出かけ、娘と配偶者とカズが町ブラに行きました。僕は脂汗を流しながら留守番。お腹痛くなってから、梅干し1個阿食べただけだあ。吐く直前にゴーフルを食べていたのに、それを吐いたのが何より後悔。せっかくの休みなのに。明日は、兵庫県までドライブの予定だけど大丈夫かなあ。せめて、トミに阿波踊りの法被でも着せてみました。
2011.08.12
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どんどん、アップが少なくなってきたこの頃。2003年から続けてきてるこの日記も、そろそろ潮時かあ・・なんて思うけど。一番の原因は、おなじみさんが少しずつ減ってきてる事かな。その癖、閲覧人数はすごく増えてきて、その殆どが巡回野郎かアフィリ野郎、そしてエロブログ。楽天日記そのものの質が落ちてきてるのではないかと言う気もする。これを丸ごと、例えばアメブロとかに移行出来る術とかは無いのかな?さて、昨日はカズの運動会だった。雨で1週間延びたのよ。昨日も危ないと言われていたけど、お天気は何とか持った。相変わらず、本部役員だから、あたりを巡回したり、バカヤロウが用水に捨てた煙草の吸い殻を拾ったり、広報部長として写真を撮ったりした。カズのかけっこの結構良く撮れた写真があったのが嬉しい。かけっこの写真って難しいのよ。カズだけじゃなくて、他の子どもの表情もとても良くてね。広報誌に使う写真って、一人のアップとかは使いにくい。かと言って、あまり大勢の写真も面白くないのよ。数人で、よく表情が解るような写真が良くて、この写真は全ての条件を満たしてるんだけど、やっぱりねえ。部長の子どもが一番アップになってるのは出しにくい。部員なら、部長が責任持つからって出すんだけどね。まあ、この写真は大きく引き伸ばしてカズにプレゼントした。「俺はこんな顔して走ってない~~」って言っていたけどね。昨日作った弁当はこれ。いつも代わり映えしないけどね、まあ子どもは興奮してあんまし食べないし、爺婆は年取って小食で歯が悪いとか言うkし。配偶者や他の子どもは来ないので、あんまし気合い入らへん。だから彩りだけね。おにぎり3種類(市販の混ぜ込みネタを使っただけ)だし巻き卵タコウインナーブロッコリーミニトマト鳥もも肉のバルサミコ酢蒸し煮。お酢を使ったのは、お肉が柔らかくなるかなと思って。この日は、夜にバレーの試合もあって、ホンマ疲れましたわ。最近、色々ストレスもあって、寝不足で夜遅くに寝るのに、それでも1時間事に目が覚めたりしていたけど、昨日はぐっすり朝まで寝れた。やっぱり肉体の疲れは、少々のストレスは陵駕するのねと思った次第。あ、カズの写真はこっちでそのうちアップしよう。また皆さん見てやってくだされ。
2011.06.05
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日曜日の午後に伯父が亡くなった。1年前に小さな脳梗塞を起こし、リハビリでよくなり一旦自宅療養していたが、もともと食も細く体力無く、誤嚥による呼吸器感染などを繰り返しているうちに吐いた食事を誤嚥しての急死だった。まあ、若い頃から病弱だった人なのに85才まで生きたので、長く頑張った方だと思う。私と同い年の娘と3つ下の息子が居るが二人とも県外で、山口で勤務医をしている息子が喪主となっていた。火曜日が友引だった関係もあり、昨日がお通夜で本日が告別式であった。我が家と似た年齢構成で3人の子どもがいる喪主の従兄弟も、父の病気に関しては結構冷静で「多分もう回復することはない」と言っていたけど、いざ亡くなってみるとやはり喪失感も大きく辛そうで、更に喪主としての仕事も色々あって本当に大変そうだった。お通夜、告別式と出席して彼の姿を見ていて、結婚して子どもの親になって、やっと一人前の親になったような黄がしていたけど、本当に大人になるのは親の葬式を経験してからなのだろうなと改めて思った。
2011.01.19
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楽天のお友達の皆様。あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。こちらは例年通り穏やかなお正月です。元旦は僕の両親が我が家に来て、いつも通り朝昼兼用でお雑煮を食べました。近隣の寺社にお参りをして、翌2日は配偶者のご両親の家にお年賀に。町中の神社で初詣をしました。そして2日の夜は高校の同窓会。5年ごとに行われています。同窓会とは、古き懐かしき友人と再会する場所・・だけでなく、若い頃に出会えなかったステキな友人に出会う場所。そんなスタンスで参加しておりますので、昔はあまり話す機会の無かった人とも色々お話をしてきました。今日3日は、義父母の家に泊まったヒロキも戻ってきて、年賀状の返事を書いたり、レセプトの点検をしながらのんびりしています。あ・・昨日から熱を出している在宅の患者さんの往診に行かねば・・。変わり映えしない我が家の元旦風景。今年は個人情報の影響もあり、全員の集合写真は無しと言う事で、わずかにヒロキとミドリが映っています。明日からまた仕事。たった、5日間でしたがリフレッシュできたのでまた今年も頑張ろうと思います。皆様にもよき年でありますよう。
2011.01.03
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今日はクリスマスイブ。あまり感慨もないのだが、やっぱり家族も居るしやるだけの事はやらなければなるまい。そう思っていたら、いきなり実家の父が体調が悪いと。母は元気だが、車はおろか自転車にも乗れない母は、父が役立たずになるといきなり歩く陸の孤島になるので、我が家の夕食にと作って置いたマッシュポテトを届ける。ついでに鶏肉を炒めて梅酒で蒸した奴も。我が家の夕食は、肉屋さんに届けて貰ったローストチキンとマッシュポテト、ブロッコリ、卵スープだ。そしてケーキは知り合いの珈琲屋さんに頼んでおいた、チーズケーキ。あっさりして良い感じだったよ。ワインをしこたま飲んでほろ酔いになった状態で、明日の古紙回収の為の荷造り。小学校PTAが主体となり、地元の新聞社の協力も得て、古新聞、古雑誌、古本、段ボールを回収するのだ。業者が即引き取って、売上金は子ども達のために使われる予定。PTAだけじゃなくて、新聞の協力でチラシを入れて、地域の人にもお知らせしている。運動場にトラックを止めて、ドライブスルー方式で、片っ端から放り込む予定。古本がオッケーと言うのが嬉しいでしょ。そんなわけでイブの最終は、淡々とボルボの荷室に雑誌や本、段ボールを放り込む作業に終始したのでした。すっかり酔いが回ったわ~~。それでは皆さん、メリークリスマス!寒くなるそうですけど、穏やかな夜でありますように!
2010.12.24
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例の松潤の等身大看板は、2階の自宅玄関を出たすぐの踊り場に置いてある。今朝は職員が見てキャアキャア言っていた。全く女って奴は・・。で、夜は松潤が寒かろうなんて言うことでミドリちゃんが家の中に入れてやってるんだが、夜にトイレに起きて用を済ませて出てくると、こいつと目が合うんだよな。ライトの関係で目が光っていたりしてちょっと怖いのだ。そのうちマジックで髭でも書いてやろうかと思ってるのだが、親子関係が悪くなったらどうしようと思案中。で、今日は別の話である。色んな面で年を取ったのを自覚する事が多いけど、その一つに物を無くすと言うのがある。まあ、無くすことは若い頃もあったので、正確に言うと無くした物を探し出せないと言うことになる。あんたは年がら年中、鍵と時計と携帯と眼鏡を探してると配偶者に言われているけどそれはその通りで、その理由に忙しくてあっちへ呼ばれこっちへ呼ばれてするので、物を決めた場所に置く暇が無くてちょいと空いた場所に置いてしまいそのまま行方不明になると言うことが多いのだ。そういう場合、以前は名探偵よろしくじっと自分の行動を考えて「ここにあるはず~~」と考えたら、大抵の場合その品物はそこで見つかって、僕は自分の推理能力に満足していたのだ。確か6月頃に時計が無くなったときには2週間ぐらいずっと考えていて、絶対ここや~~と思ったところを探したら、(以前探したけど無かったの・・)その場所のすぐ下の陰になったところで見つかった。で、夏の終わりには鍵が無くなった。最近の車の鍵って大きいでしょう。あれは結構じゃまなので、キーホルダーが2つに分かれる事を発見したのを機会に、車の鍵と家の鍵を分離させて、暫く車のキーばっかりを持って使っていた。で、ある日外出しようとしたら家の鍵が無かった訳。これは色々手を尽くして探したが見つからない。そもそも何時無くなったかが解らないので、推理の幅を狭めようがないのだ。よく行く外出先にも問い合わせたが無い。家の自動ロックの鍵と、それ以外のドアが全部開くスーパーマスターの鍵だったので、それが僕の家の鍵だと知られてるとまずいのだが、まあ今のところ不都合は起こっていない。もう3か月になるので積極的には探して無いけど、案外思いがけないところから出てこないかと思っている。で、その次に無くなったのが眼鏡だ。これはまだ記憶に新しい。10月29日の結婚記念日の日、デパートで例の花を買って帰ってきた時には眼鏡をかけていた(と配偶者は表現する)。それから患者さんの家に往診に行き、翌日の朝は別の患者さんのところへ往診に行き、その夕方には無くなっているのに気がついた。だから本当に限られた場所のはずだ。そもそも、鍵と違って眼鏡はどこにでも置くようなものではない、ある程度平面で安全な場所にしか置かないから、場所的には限られるはずである。それなのに・・。患者さんの家・・とも思ったが、29日に往診した患者さんは亡くなった(まさか遺品に入れれらた訳ではないと思う)けど、家族がご挨拶に来られた時にも「この眼鏡忘れてました」とは言ってなかったし、翌日往診の患者さんには確かめたけどそこには無かった。そもそも往診の時には眼鏡はかけてない時の方が多い(かけていたとしても外す事はないし)。鍵は無くなってもそれほど不便ではないが、眼鏡は不便である。僕は現在4つの眼鏡を使っているが、100均で買った完全老眼用と、中距離~近距離の両用眼鏡が2つ、そして遠近の両用が1つである。診察の時は中近を使ってるが、講習会でスライドを見たりする時には遠近が必要だし、車の運転の時なども遠くを見るのに遠、手元(iPodの表示など)を見るのに近が必要なのだ。中近では気持ち悪くて運転できないのよ。行方不明になっているのが、この遠近の眼鏡なのである。仕方がないから、この間の土曜日に遠近の眼鏡を新しく作りに行った。これにはもちろん不便だからと言うのもあるが、もしかしたら新しいのを買えば古いのが見つかるのではないかと言う逆転の発想である。よくあるじゃないですか、捜し物は諦めたら出てくるとか、調子の悪い車を買い換えようと思って探し始めたら調子が良くなったとか。今のところ見つかる気配が無い。徒労に終わるのか・・。見つかれば快挙だが。
2010.11.15
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夕食の準備に家の向かいのスーパーへ行くと、店員さんに呼び止められた。「お宅の娘さんと女医先生に、要らなくなったらくださいと頼まれていたのを持って帰ってください」と。はあ~~?と思いながら店員さんに付いていって渡されたのがこれ。松潤の等身大看板だ。ティッシュの宣伝につかっていたらしい。本体は段ボールだけど写真をコーティングしているわけ。これをワシにどうせいと??まあ軽いし家まで近いので、そのまま片手でつまんで帰ったけど、国道を横切る際にうっかりと顔を道路の方に向けていたもので、信号待ちをしてる間に止まってる車からみんなじろじろ見られて、「まあ松潤、麗しいお方~~持って居るオヤジは誰??」なんてささやきが車の窓から漏れていたかも知れない。この写真は2階の玄関前の踊り場に置いて撮ってるんだけど、室内灯が反射してるのでちょっとおかしい。これをどうするんだ?娘の部屋に置くのか?夜中に目が冷めて目の前にこんなのが居たらビックするぞ?リビングに置けば、トミがシッコをかけたり、カズが体当たりをしたり、ヒロキがボールぶつけたり、僕がケリを入れたりするに違いない。さあ、いつまでも命だろうか?
2010.11.13
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今日は朝7時に起床いたしまして、またもや配偶者と連れ添って1時間少しウオーキングをいたしました。その後朝食でしたが、昨日の夜和食のフルコースを食べていたので、今日はセーブしようと思っていたのにもかかわらず、ちりめん、しそ、キムチを載せたご飯、かまぼこ、みりん干し、お豆腐、トマトなんぞを食べて、カーボ制限していたためか、あまりにご飯が美味しく、シソじゃこご飯を思わずお代わりしてしまって、またもや人間の意志の弱さを感じてしまったのでした。10時にフィットネスが開きますので、日曜の家族サービスデーと言う事もあり、カズを連れて出撃。背が立たないプールなのに、大丈夫かなと思ったけど受付の女の子は何も言わないで通してくれました。でも、カズが泳いでいるときにスタジオの方から男性が話しをしながらこっちを見ているのが見えたので、自分が泳いでいる時にはカズは見学、カズが泳いでる時には自分が側で見ていると言うふうにいたしました。そう言うわけで落ち着きませんでしたので、今日は100m×5本で終了いたしました。実家へ少し寄って(お土産に持って行ったショートケーキを半分食べてしまって後悔)家に帰ると、配偶者が近所のラーメン屋さんへ行こうと申します。え・・ラーメンなんか食べたら体重が・・と思いましたが、連日某徳島らーめん有名店の前を通って、大して美味しくない(と私は思う)くせに、なんでこんなに県外客が並んでるんじゃ?と理不尽な思いをしていた私としては、地元の美味しいラーメン屋さんと聞いて思わず腰が動いてしまったのでした。何とか理性を保って、ラーメン小にしたのですが、理性を保てずに肉入りと付け加えてしまったのを後悔しながら餃子も頼んでしまったのでした。お盆休みも今日で最後。どうせならとことん遊ぼうではないかと言う事で、午後からは家族揃って近くの川へ出撃しました。近くの川でも、もう銀座のように人がぎっしりのところがありますが、ここは数年前に義兄に教えていただいた穴場で、他人様が余り知らずに浅い急な流れの先に深い広い淵ががあると言う、川遊びとしては理想的な場所なのです。今日のトピックスは、トミを連れて行ったことです。私としては、このバカ犬を連れていくことに抵抗があったのです。何せ暑さに弱いので、夏場は10分以上外に出すなと言われてるぐらいですので。それに鼻が殆ど無いに等しいぐらい低いこの犬が、ちゃんと水面に顔を出して泳げるとはとうてい思えなかったからです。しかし、娘が連れて行くと主張いたしましたので、彼女の意をくみ取る事にいたしました。数日前の雨で、川はいつもと比べて濁っており、いつもは川底の石までしっかり見えるのに、今日は魚影が何とかぼんやり見える程度でしたので、楽しみは半減と言うところでした。雨が降ったのに、何故か急流部の水量が減った感じで、しかし流速は例年より速く、水に身を任せての急流下りは楽しかったです。昔コワイ者知らずだった、カズが何故か知恵が付いたせいか、色々と講釈を述べて急流下りを拒むので、面倒になってそのままボディスラムで投げ込んでやりました。これが急流部。大人しく流されていけば、深い淵に行き着いて止まります。淵の崖にロープが垂らされていて、ヒロキが登ろうとしております。流れの無いところでは安心で余裕のカズ。しかし、トミが泳げたのには本当にびっくりいたしました。すっかりイケメンになってしまったヒロキ君と浮き袋に乗ったトミ。ミドリちゃんも、顔しか見えてないせいか、水の妖精のようでございます。これだけ遊ぶとさすがに疲れて参りましたが、もう死なばもろとも、最後まで遊ぼうと、家に帰ってから家族総出でカラオケへ突撃です。今日は2時間の限定、これを最後に心を入れ替えて真人間になると子ども達には約束させました。(朝早く起きて、勉強もして、家の手伝いもすること)今日私が歌った曲を僭越ながら紹介させていただきます。まあ、いつも似たパターンと言われそうですが・・。1 ハナミズキ 一青窈2 サヨナラcolor ハナレグミ&忌野清志郎3 戦国自衛隊のテーマ4 戦士の休息 町田義人5 It's just love MISIA1と5の女性の曲は、合うキーを探すのに苦労いたしました。2は、清志郎様とデュエット出来るとは思っていなかったので感動いたしました。3の曲は、今まで探していたけどカラオケで見つけたのは初めてだったので感動いたしました。甲斐よしひろさんがこの曲をカバーしていたと初めて知りました。子ども達はいつもの如く、ミドリちゃんは嵐とそれ関連の曲を歌っていました。彼女の歌は何度も聞いていましたが、今日初めて「あ、メロディーが分かる」と変なところで感動いたしました。彼女の歌が上達したのか、それとも何度も家で聞かされているのでメロディーが耳についていたのかは定かではありません。ヒロキ君は、ラッドウィンプスとか、バンプオブチキンとか、あと去年の紅白に出ていたあれ・・(う・・名前が出ないのでございます)とか歌っていました。悪くは無いんだけど、私のような50男の胸にはもう一つ響いて来ないのですよね。配偶者様は、舟歌、いちご白書をもう一度(いずれもオリジナルではなく、中森明菜のカバー)を歌っておりましたが、やはり世代の関係かこういうのがしっくり来るようで、私も思わず口ずさんでしまったのでした。カズは・・ずっと食べているか寝て居るかでした。しかし、夕食をカラオケのお店のメニューで食べたので、どうしてもカロリーが高かったり、つい頼みすぎたりして、今日3度目の入浴前に体重計に乗って、またもや両手で顔を覆ってしまったのでした。どうでしょう?よく遊んだお盆休みの最終日。明日からまた普段に日常にちゃんと戻れますよう、心から祈っております。
2010.08.15
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お盆休み3日目。今日も1時間ウオーキング、そして1時間スイミング。今日は100mを5本泳ぐ。午後からお客さんが来るので午前から昼過ぎに集中してやった(その間に夜の子どもが食べるカレーを仕込んだりしたし)ので結構疲れた。しかし、このお盆の期間中と言うのは、新聞の1面は毎日阿波踊りの写真である。多分、政権交代が起こったりしても、きっと新聞の1面は阿波踊りのような気がする。では、今日は新聞の写真から。どうしてもあでやかな女踊りに目が奪われるが、阿波踊りの醍醐味は、自由奔放な男踊りと思う。女性が男踊りを踊りたがるのもよく分かる。まあ、でも目がいくのはこんな女踊りだったりするのだが。夜は淡路からの客人と一緒に、行きつけの割烹で食事をしてその後踊り見物。配偶者がネットで取った桟敷席が、丁度真ん中の本部席の向かい側で、有名連が立ち止まって必ず何かアトラクションをする場所。こんな良い席に座ったの初めてだった。8人ご一行が迷わないように、旅行ガイドになった気分で皆さんを引率して歩くのに疲れた。(なんせ人が多いので)。さて、明日はお盆休みの最後。恒例の川にでも行きたいなあ。
2010.08.14
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今日も子ども達はぐずぐずと寝て居たので(カズだけは朝早くから起きて、くもんの宿題のプリントをやっていた)、子ども達は放って置いて、配偶者と二人で1時間ウオーキング。その後カズと二人で父方と母方の墓参り。こういうのはずっと親に任せていたけれど、最近親も80歳近くなってきて、自分がやらなあかんなあと実感してきた次第。母方の祖母は、小さいときに近くに住んでいたせいもあってかわいがって貰ったもんなあ。僕が医者になって1年目、高知にいるときに心臓発作で急逝した。僕に脈を取って貰いたがっていたのに。もう祖母が亡くなって25年近く経つのだと、時の流れを感じながらしんみり。午後はまたもや配偶者と、フィットネスクラブへ出かけて1時間スイミング。こういうのを夫唱婦随と言うのか??お盆のフィットネスクラブは、オジサンが増えてオバサンが減っている。オバサン達は忙しいんだろうなあ。オジサンはプールに来ないのでがらがらだ。配偶者は長距離を、僕は50mのインターバルを泳ぐ。今日は10本全部55秒以下で泳げた。昨日は、5本目から55秒切れなくなったので結構進歩している。25mの全力も、昨日初めて25秒を切ったけど、今日は23秒!秒速1mで1000mを続けて泳ぐのが目標である。結構健康な生活をしてると思うけど、以外に体重は減ってないのだ。そのうちに、ど~んと効果が出るだろうと甘い予測を立てる。夜は子ども達と一緒に街へ。まず中華のコース料理を食べてしまう(Oh my Got!!)その後街をぶらつきながら踊り見物したけど、ミドリの腰が痛みがヒドイので早々に退散。人が多くてやかましくて暑いんだけど、浴衣を着て歩いていると気にならないんだけどなあ。やっぱり来年は一人でも踊ろうと決意を新たにしたのであった。今日はカメラを持ってなかったので、報道から拾った画像で踊りの雰囲気をお楽しみください。と、思ったらフォトが投稿できない。最近時々あるけど、フォトに写真を登録して、これをコピペしたらオッケーってタグをコピーして貼り付けているのにこんなアラートが出るのよ。そして、「誤りの場所、内容を確認する」をクリックしても、どこも間違っていないのだ。一体これはどういう訳よ有料サービスなんだからさ。楽天さんもっとしっかりして欲しい。と言う訳で、載せる予定だった写真のソースを紹介しておきます。「ヤットサー、ヤットサー」阿波踊り徳島で開幕ー毎日JP
2010.08.13
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本日よりお盆休みである。毎年8月12日は、大学の医局の連で阿波踊りに繰り出していた。ミドリやヒロキが子どもの頃はずっとそうしていたのだが、一昨年は北海道旅行、昨年は信州旅行と言う事でご無沙汰。今年こそは・・と思っていたのだが、ヒロキはもう中3になり、親と一緒の行動をしたくなくなってきたらしい。外食に出るのもいやだと言うもんなあ。ミドリは、少し前から続く腰痛が腰椎分離症、疲労骨折の疑いがあると言う事で、部活も体育も中止。僕が使っていたコルセットの御世話になっている(サイズがぴったり合うところが怖い・・)。そしてカズは北海道へ行く前の年に1回参加しただけなので、幼い時の刷り込みが無いせいか、あまり食指が動かない。配偶者はよる年並みでしんどいと・・。そんな訳で今年の阿波踊り参加は見合わせ・・となってしまったのだ。まあ自分一人で行けばいいのだけど、こういうのってやっぱり家族で参加したいじゃんねえ。でも、そんな事言っていたらこれからますます子ども達は行かなくなるので、来年からは自分一人でも行こうかなと思う。だって、やっぱり見る阿呆じゃあねえ。あのやかましい、暑苦しい町中は、浴衣を着て颯爽とと歩くから良いのであって、普通の服で見物したり歩いていたりしても気分が出ないもんねえ。そういう訳で悔しいので、今日は見に行く事もせず家にいた。ヒロキはカズを虐めながら勉強。ミドリの社会の自由研究を配偶者が眉をつり上げながら必死でやっている。カズは爺ちゃんのところへ逃避。そういう訳で、僕はフィットネスに徹する事にした。朝、起きてから1時間ウオーキング。朝食食べて読書して午睡。午後はフィットネスクラブのプールで1時間スイミング。どうだ、参ったか。お盆の期間、ずっとプールは開いてるみたいなので、毎日行ってやる~。今日、初めて50m55秒が切れたので嬉しい。秒速1mが今の目標である。(最後に25m全力で泳いだら23秒だったが)さて・・体重は・・。これはしばらくのお楽しみである。
2010.08.12
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昨日は楽天で、そしてミクシィでもお世話になってる巴里雀さんが、本業のお菓子のコンクールで徳島へやって来たので、これを機会にと二人で密会、いや違うオフ会をやってました。中年の男2人で会うと言うのは僕としては珍しい、いや女性と2人で会うこともあまりないけど、とにかくまあそういう訳だったのです。相手がもし変な人だったら・・なんて心配する人もいるでしょうけど、大体日頃の文章を読んでいたら人となりはわかると言うものです。そういう面での不安はありませんでした。ただ、文章や職業柄から、持ってしまっているイメージがあって、彼はパティシエさんなので、ついついこちらも白の上下のユニフォームを着て、首にエンジのスカーフでも巻いているようなギャルソン風の人をイメージしてしまっていて、よく考えたらそんな恰好で他所に出てくるわけないのにね。コンクールの会場から出てきた人たちは、みんな黒っぽい背広を着たサラリーマン風の人たちで、ジーンズに長袖のアロハを着ていた僕が浮いてしまうような感じでした。そんな訳で、こちらは全然巴里雀さんを見つけられなかったのだけど、向こうのほうはあっさりと僕を鑑別してくれたみたいで難なくご対面となったのでした。駅前のホテルから、ぶらぶらと歩いて、途中の公園で阿波踊りの練習をしてる人たちなど眺めながら繁華街へ移動しました。観光客の人たちは、本番の阿波踊りしか見たこと亡いだろうけど、こんなふうに普段着で下駄だけ履いて本番の為に練習してるような光景もなかなか風情のあるものなんですぜ。割烹で少し腹ごしらえをして、バーでウイスキーを飲み、最後は僕の行きつけのラウンジへ行き、何故か水曜日のせいもあり、どこも貸し切り状態で楽しく夜は更けました。パティシエさんって女の子にもてるんだよね。自分の作ったお菓子の写真をデジカメで見せたりすると、「きゃー可愛い~~!」ってお店の女の子が群がるのよ。上手い具合に小道具使ってるなあと感心。副業?である川柳のお話を聞いたり、子どもの学校の話をしたりしながらあっという間に夜は更けたのでした。無事に帰ったかしら?色々とお土産もありがとうございました。また来てくださいね~~~。
2010.06.10
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29日はカズの小学校の運動会だった。まずは、5時半に起きて作った弁当を。ま、いつもと変わり映えしませんが、タコウインナーが入ったのと、鳥の照り焼きだけでなく梅干しをすり込んで日本酒で蒸したの(照り焼きは爺婆の歯に硬いので)を作ったのが変化かな。混ぜ込みのふりかけで作ったおにぎりが好評でした。さて、本部役員兼広報部長のワタクシめとしましては、場内の見回りをしつつ群衆の間に紛れ込んで運動会の風景を写真に撮ると言う仕事に没頭していまして、気が付いたらカズのかけっこの出番が終わっていたと言う・・。まあ、そんなもんです。本部役員なんて。で、ワタクシの作った看板が活躍したか?と言うと、「駐輪禁止」の方は大活躍だったみたい。しかし、「吸い殻ポイ捨てしないで」の方は、そのポスターを貼ってあるそのすぐ横で用水路へぽいぽいと。見かねた本部役員の女性陣がザルを持ってきて用水に流れる吸い殻を拾っていたら、そのザルの中へぽいぽいと。一度誰かが、「用水に捨てたら農家の人が困るから」と言ったら「わしらは別に困らへんから」と言った阿呆が居たそうな。まあ、この人たちは保護者と言うよりは保護者の知り合いとか、何でもないけど運動会だから集まってきた輩達だったと思うんだけど(保護者にそういう人はいないと思いたい)。しかし、その場にワシが居ないで良かったわ。絶対に喧嘩になったと思う。その後もぽいぽいと吸い殻は増えるので、結局根負けした形の女性役員達が灰皿代わりにペンキの空き缶を置いたみたい。無神経な奴らにはどうやっても勝てないって事ですな。こういうのって、本部役員が言ってもダメなのよ。一部の神経質な奴らが言ってるって思われるだけなので。一般の喫煙しない保護者がみんなで白い目を向けるようにしないと。まずは、お母さん方にお願いしたい。自分の亭主が当日に煙草を持って行かないように、持ち物チェックぐらいして釘を刺して欲しいねん。そうやって、草の根的にやらないと、この喫煙率の高い地域(お里が知れる)では何ともならんね、やはり。もう一つ目立ったのは、日曜の運動会に既に金曜日の午後から場所取りをしたりする人がいること。金曜の午後ってさあ、本部役員やら保体部の人たちは、会場設営のお手伝いをしてるんだよ。そういう準備をしてるのを横目に自分たちは場所取りをして恥ずかしくないのかね?しかも場所取りに使った(敷物を押さえるための)石なんぞは、終わったらそのままその場に放置したりしてね。運動会自体はお天気もよく、ちょいと音響が乱れた(これは業者が悪かったらしい)ぐらいで後はスムースに運営できたんだけどね。いつの日か、見回りなどせずにゆっくりと座って自分の子供の演技が見れる日が来ることを祈ってる次第。
2010.05.31
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GWの1日目5月2日はソフトバレーの試合だった。毎年この時期に、大阪のエンジェルスと言うチームが主催している。舞州アリーナと言うかなり立派な体育館で開催される。いつもこのアリーナでは汗が冷たいので、恐らく空腸が効いてるんじゃないかな。結果は5試合して1勝4敗。でも、5試合のうち4試合がフルセットと言う熱戦・・・疲れました。フルセットで勝てば疲れないけど、負けると疲れるのよ。で、最後の試合が終わった後、「先生どうしたん、その顔?」と驚かれたけど、右の目の下に大きなひっかき傷が出来て出血している。恐らくチームメイトの女性と交錯したときに彼女の爪が触ったのだと思うけど(爪切れよ~~)、この顔はヒドイ。いや、怖い。これで、この後3日間サングラスかけて大阪の街を歩くと皆さんよけて通るんじゃないかな。それよりも、配偶者になんて言われる事か。幸いにも初日だったので、慌てて電話する。「ワシの顔はひどい事になっとうけん、驚くなよ~~」と顛末を話して電話した。これが大阪へ来て何日か経った頃なら、「一体何してるのやら?」と信用がなかったかも知れないが、初日の夕方に電話したので、さすがに嘘の目は無いと信じてくれたようだ。幸い、傷の治りは早くて、連休が明けた頃にはかさぶたが薄くなった状態であまり目立たなくなった。患者さんからは見えにくい場所だし、職員にも指摘されていない。ずっとマスクして外来するか・・なんて思っていたけど大丈夫。この傷を見て、この3日前がどんな状態だったか想像してください。
2010.05.02
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日差しは暖かく、そして風はほんのりと冷たく空気はさわやか。やっと5月らしい(って、5月は今日が初日だけど)天気になってきた。さて、GW前に大崩れする患者さんもほとんどおらず、我が家は高知と大阪へ別れてGWに突入だ。だから日記の更新は5日以降になるね。まあ、最近の更新は週1ぐらいになってしまっているけれど。大崩れは無かったと書いたが、実はショックな出来事があった。うちの近所にとっても美味しい蕎麦屋さんがある。出来たのは3年ぐらい前だと思う。マンションの1階を借りて営業をしているが、最近では土曜の夜などはあらかじめ電話しないと入れないぐらいの繁盛ぶりだ。江戸前で修行したご主人が、毎日いろんな地方の粉をブレンドして蕎麦を打つ。三織音蕎麦とか、胡麻汁蕎麦とか、オリジナルの蕎麦もたくさんあり、ミニ丼やだし巻き卵、かまぼこ(神奈川県から取り寄せているらしい)など、蕎麦以外のメニューも美味しかった。江戸前なので、ちょっとお汁が濃いのが僕ら四国の人間には戸惑うが、それとて辛いわけでなくいつもそば湯で薄めながら最後の一滴までお汁も飲んでいた。唯一の懸念と言えば、まだ子供さんが小さくて、ご主人が蕎麦を作り奥さんが給仕をしている側で、オムツをつけているような2人の姉妹がガヤガヤとしているのが、気になる人もいただろう(我が家は普段からアホが沢山いるので気にならなかったけど)。それも、先日僕の両親を連れて行ったときには、子供さんがいなくて、「やっと子どもだけで上で居られるようになりました」と奥さんが言っていたのを覚えている。我が家はこのお蕎麦屋さんをひいきにしていたけど、ここの子ども達が病気になると(よく病気になった)、いつも当院へ連れてきてくれていた(こういうのをご贔屓とは言わないが・・)。今日は配偶者が外来をしている時に、奥さんがいつものように子供さんを連れて来た。たいしたことはなさそうだけど、鼻水や咳をしてるのでGW前だし・・と言う事だったのだろう。診察が終わったときに、奥さんがカバンから何か出した。それは、お店で日本酒を注文した時に出てくる蕎麦味噌で(とても美味しい)、この人からお土産を貰うのは初めてだったが、まあ患者さんが何かくれるのはよくあることなので、配偶者もそれほど気にとめずにお礼を言ったと言う。しかし、奥さんの目が泳いでいて、蕉点が何か定まっていないのに気が付いた配偶者が「何かあったの?」と尋ねると、驚くべき事が・・・。ほんの5日ほど前、仕事が終わってくつろいでいる時に、突然ご主人が倒れてしまい。そのまま意識不明。脳幹部の出血で、今は人工呼吸器がついているけれど、恐らく脳死状態でもうダメだろうと言われているとの事。蕎麦を打てるのはご主人だけで、もう店はやっていけないたたむしかないと言う事で、まだご主人が生きているにもかかわらず、家賃の事もあり店の整理を始めたとのこと。うちはご贔屓にしてくれたので、何か・・と思ってこの蕎麦味噌を持って来たとのことだった。何がなにやら分からないうちに事態がどんどん進行して、泣く暇も無く・・・・でもここへ来て少し泣けたので楽になった・・そう言って奥さんは帰っていった。子供さん達は小さくて、まだお父さんがそういう状態になっていると言う事が理解ができてないらしい。配偶者も診察中にもかかわらず泣いてしまったらしい。年の離れた夫婦だったけど、それでもご主人は僕とどっこいどっこいの年。酒もタバコもやる人だったけど、でもこれと言って大きな病気も持っていなかった。人間の一寸先って、本当に分からないものだと実感。結局、今を後悔しないように淡々と生きていくしかないのだ。短い間だったけど、本当に美味しいお蕎麦をありがとうございました。ご主人さん、厳しい状況だけど何としても奇跡が起こる事をお祈りします。神様でも仏様でも、魔女でもローマ法王でもダライラマでも何でもいいから、奇跡を起こしてください。
2010.05.01
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毎年の事で珍しくも無いが、4月22日になると年を一つ重ねる。今年は50歳と言う区切りの良い年だ。子どもの頃からたたき込まれた10進法のおかげで、50と言えば丁度半分と言うイメージが強いが、よくよく考えれば人生の半分の折り返しはとうに過ぎているのだとわかる。まあこれと言って特別の感慨はない。別にごちそうを欲しいとも思わないし、プレゼントが欲しいとも思わない。最近物欲が無いんだよね・・・って言うか欲しい物自分ですぐに買っちゃうし。何か欲しい物は?と聞かれて「自由を我らに!」と叫ぶわけにもいかない。最近は結構自由にやらせて貰ってるからなあ。今朝はカズがお手紙をくれた。誤字を含めて全文掲載。(漢字も数字も彼が書いたとおり)******************************とうちゃんえ50才おめでとう もう50才はやいな~。ぼくも、8才やけん42かいでおいつくなー。まあええわ。おんじょう日おめでとう。かずきより******************************まあ「へ」が「え」になってるところや、追いつくと思ってるところが可愛いね。おんじょう日って何じゃ?才は2年生でもう習ってるのかな?引き算が出来ているところが凄いな~。一瞬ミドリが書いたのかと思った(笑)。配偶者のお父さんがが赤飯を炊いて持ってきてくれた。まあ、こんな風にお祝いしてくれて、家族も自分もおおきな病気もせず、配偶者と僕の親と双方ともに元気であったりして、そういうのが小確幸なんだと思う。そんな訳で、50才の誕生日を迎えたのでありました。
2010.04.22
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3月の末にあった、ここ数年で、いやひょっとして50年生きてこのかた一番驚いたことかも知れなかった事を書こう。3月のある木曜日、ソフトバレーの練習に行くと、一人の女性の見学者が居た。まあ、時々見学に来る人は居て、それ自体は珍しい事ではない。結構若い子で、化粧がケバイなあと思っていた。立ち上がったときに目をやると超ミニスカートをはいていて、おお~~と思った。寒いのか、メンバーの女性達がダウンジャケットなどを膝掛け代わりに貸してやっていた。その数日後、PTAの会で、ソフトバレーの代表と一緒になったので(彼も副会長をしている)、あの彼女はどうなった?と聞いてみた。すると、それを聞いた代表は・・「先生、そしたら何も知らなかったんですか?」「知らないよ~○○さん達の知り合いかなと思っていた」「そうなんですか。あれはF君らしいですよ」げええええ~~~~。F君は、数年前まで高校生の身でありながら、我がチームの練習に来ていた高校生だった。高校を卒業して、大阪へ理容師、美容師の免状を取りに行ったはず。それが、理容師美容師の免状も取ったけど、いつのまにかタイで手術を受けて帰ってきていたらしい。しかし・・・「来週から練習にも来るらしいですよ。試合にも出たいって」「試合ってどっちででるのよ?」「もちろん、レディースです・・」ここまで聞いて、徳島バレーボール協会の人も苦労するだろうなあと思う。聞くところによると、オリンピックのような厳密なものでは無いそうだ。しかし・・そういう話しは最近珍しい物ではないが、自分のすぐ近くで起こるとは思わなかった。次の週もF君(さん?)は見学に来ていた。今度は正体を知っているので隣に座って少しお話をする。「ずっとこっちに帰ってくるの?」「いや、今は手術の後の養生で帰ってきてるだけです。」「やっぱり痛いんだよね」「そうですねえ。座るのが辛くて、円座が必要です。車の中に置いてあるんだけど忘れてきました。」「そうかあ、お産と一緒だねえ」「そうなんです。アソコの腫れが引くのに二ヶ月ぐらいかかるし、ちゃんと使い物になるには1年ぐらいかかるそうです」(ちゃんと使い物って・・・と突っ込むのは止めておく)「ところで、理容師の免許は取ったの?」「はい、理容師も美容師も取りました」「おお、そしたら一応国家資格はあるわけだね。でも、仕事はしないんだろう」「そうですね、今は神戸のお店に出ているので、またお店に戻ると思います」「ところで、家に帰ったら親や兄弟はびっくりしてなかった?」「いや、母や弟は自分が中学生の頃から知っていたし、高校を卒業するときに、大阪で手術を受けてくると言って家を出ましたから・・」ま、そんな感じで淡々とお話をしたわけだ。うちのチームの女性の何人かにも、大阪へ出るときに手術を受けに行くと言うのは言っていたらしい。自分はそういうのに疎いのか、全然気づかなかった。そりゃあ、色白で細くて華奢な子だったけど、単にそれだけかと思っていたのよ。あ・・今度名前を呼ぶときにはなんて呼んだから良いのか聞いておいたら良かったなあ。ま、こういう衝撃があったのよ。そんなに尾を引かないから良いけどね。
2010.04.08
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昨日はいきなり気温が21度とかにあがって、おまけに曇りで夜は前が見えないぐらいの霧。どうなっとんじゃ?最近の天気は?こんなに気温が変化すると、やっぱり体調を崩す人が多い。なんて言ってると、自分も昨日の夜はちょっとおかしかったりして。中年の仲間入りか?今日も暖かかったけど、明日はまた冷えるらしいね。最高気温は8度らしい。はあ、またおかしくなりそう。明日は早起きして、ここへ行ってきます。前から行きたかったのよ。井上雄彦最後の漫画展
2010.02.10
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昨日は中学校のバレーボール部の同窓会だった。僕らの学年は、上の学年が居なかったので1年生の秋からチームを組んで、1年間公式戦全敗。そして2年の秋の新人戦でいきなり準優勝してから、ずっと公式戦は3位以上の成績で、最後の夏の総体で優勝したのでした。徳島大学教育学部の附属中学校だったので、そういう学校が県大会で優勝する事自体が珍しかったらしい。新聞には昭和38年に続いて12年ぶり3回目とあった。進学校と言おうか(徳島には私立の学校が無かったので、試験を受けて入る学校は附属だけだった)まあスポーツは強くない学校だったので、夏の総体の時には既に負けてしまっていた他の体育部の人たちや、部活をやっていない一般の生徒、そして下級生達までいっぱい徳島市立体育館に詰めかけてくれて、優勝が決まった時には大歓声のお祭り騒ぎだった。あの時があったから、今までずっとバレーボールをやって来れたのだなあと思っている。2年前の中学校の同窓会の時、顧問の先生は来ていたけど、部員は僕一人で寂しい思いをした。だからバレー部だけでみんなで集まろうと言う企画をしていて2年越しで実現した訳。市内のホテルのこじんまりした部屋で円卓に座って、乾杯の後、それぞれの中学卒業後の人生を最低5分は語れ~~といいながら、みんないっぱい喋った。それぞれの人生がよくわかって面白かった。U君。名セッター。高知に住んで中学校の体育教師。僕とは小学校からの付き合いで、今でもよく付き合いのある人。高校は不運にも別の学校で、高知大学でもキャプテンをやっていた。背は小さいけどスポーツ万能。でも、今は僕より体重重くなってる~~N君。中学の時からのおつきあい。卓球部から転部してきた。補助アタッカーだったけどいろいろと器用だった。高校は僕と同じでバレーもやっていたけど、途中から文学系のクラブへシフトして行った。現在は某大学の社会心理学の准教授。オウム真理教の裁判に出廷したり、マスコミへの露出が多い。T君。僕と対角でエースアタッカーを打っていた。僕より一回り大きく182cmぐらいある。昔からの面白いひょうひょうとした語り口は健在。高校の時はラグビー部キャプテン。早稲田を出た後に山一証券に勤めていたけど、倒産の時には丁度関連会社で倒産を免れて今は三菱UFJ系に吸収されている。娘さんがフィギュアスケートとバドミントンで結構いい成績らしい。B君。幼稚園からずっと同じ。学校で一番走るのが速く100、200、リレーの選手を務めていた。僕と似た体格。高いトスを打つのが苦手だったけど、クイックを打つようになってからは、チームメイト以外の誰もブロックできないような速いクイックを打っていた。彼のおかげで攻撃の幅が広がったと言える。高校の時はラグビーに転校し、大学はあの当時日本一だった同志社のラグビー部で4年間合宿所で過ごす。残念ながら一軍には行けなかったみたいだけど。現在某新聞社の営業から関連会社にうつっている。K君。レシーバー。個性の強い4人(僕とU君、T君、B君)に囲まれながら、黙々と地味にレシーブをやっていた人。高校は僕と別れたけど、別の高校でバレーをやっていた。実は今も近所に住んでいて一緒にPTAのチームで試合に出たりしている。養護学校の先生。彼も小学校からずっと一緒の人。あっと言う間に2時間半が過ぎたね。嬉しかったのは、当時の顧問の先生が、優勝した新聞の記事のコピーをみんなに渡してくれた事。うちの両親なんかも切り抜きをおいてると思うけど、新聞だから黄ばんで劣化しているんだよね。今回のは奇麗なコピーだったので紙の劣化も少ないだろう。それから、バレーボール協会の資料みたいなので、歴代の県の大会の優勝校が乗ってる書類のコピーもいただいた。僕らが卒業して数年後に脳梗塞を起こして、そのせいで出世街道に乗らずに(附属の先生はたいていどっかの校長になって居る)最後まで附属中学で居られたとの事。お元気なだけでも嬉しい。2次会は同級生の女の子も数人呼んで、わいわいと盛り上がったのでした。ここでひとつ。ネタのようなホントの話を。先生から会費は頂かないとして、みんなから集めた会費が6000円ばかし余る計算だったのよね。だからホテルに頼んで3000円分の花束を用意してもらった。で、残りの3000円で何か記念品をと思って、少し予算がオーバーしたけどその分は僕が自腹を切って、写真立てを買ったのよ。当日、みんなで記念撮影をしてその写真を飾っていただこうと思ってね。で、デパートの包み紙に包んだその品物を忘れないようにと思って持って行ったんだけど、車の中で手に取って見ていると、何やら重い。写真立てってこんなに重かったっけ?と思いながらじっくり見てみたら、付いているはずのリボンが付いてない。これはおかしいとよく見てみたら、それは僕が買った写真立てではなくて、家を出る直前に訪ねて来たお隣の人からお土産に頂いた羊羹の詰め合わせだったのだ。袋が似ていたから間違って持って来たのね。他にも鞄とか色々下げていたので気づかなかったのよ。先生、写真立てと写真は後日必ずお送りいたします。それまでお元気で居てください。(いや、すぐにお送りしますのでね)
2010.01.03
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1年の最後の日、我が家はいつも夫婦でおせち料理を作る。と、言ってもそんなに多くを作る訳でなく、実家の親がお煮染め、黒豆、数の子などお金はそんなにかからないが時間と手間がかかる料理を作り、僕らがお肉、エビ、かまぼこ、くりきんとんなど短時間で作れる物を作って、合体したら一人前のおせちになると言う感じだ。我が家の中で、僕が肉系の料理(牛肉の佃煮、鶏の照り焼きなど)、配偶者が栗きんとん、エビなどを作る事が多い。今朝は配偶者が栗きんとんを作っていて、栗の甘露煮の蓋を開けてほしいと持って来た。きのうデパートでみたら瓶詰めのしか無かったのでそれを買って来ていたのだった。結構頑丈そうな瓶で、蓋には開けるために摩擦力を強めるためのゴムの輪が付いていた。1個目は気合いとともに10秒ほど渾身の力を込めて開けたが、2個目がうんともすんとも開かない。自慢ではないが、僕の握力は60kg近くあるし、握力以上に手首の力、前腕の力、つまり相撲で言うところの腕(かいな)力が強い。それでも全然なのだ。火で炙れよと言う人が居るだろう。もちろん、ガスの炎に瓶の蓋の部分を当ててしっかり炙ってみた。持つために布巾をかぶせると、ジュッと音がするぐらい熱くなっていた。それでも駄目なのだ。いっそぶち割ってやろうかと思ったが、大晦日に殺生をするのもなんだし、も一度しっかり炙って、渾身の気合いとともに約30秒息停めての奮闘の後、蓋は厳かに開いた。終わった後、息は切れるし手はわなわなと震えているし、おかげで要らないと言っていた肉まんをミドリの分を横取りして彼女から睨まれるし(今日の朝ご飯はスーパーで買って来た肉まんだったのよ)・・。しかしさあ、これって僕だったから開いたようなものの、これが爺さん婆さんの所帯だったりしたら、この瓶詰めって永久に日の目を見る事なく眠っていたかもしれないよね。そんな風に今年もくれようとしている。我が家の、いや僕の大晦日の定番は格闘技と決まってるんだけど、いや別に大晦日にわざわざ格闘技しなくても良いと思うんだけど、他に見る物も無いしね。でも、今年は吉田と石井の試合もあるし色々面白そう。しかし、子ども達は嵐とかフランプールとか出る紅白の方に目が向いているし、また醜いチャンネル争いが勃発しそうな気配ではある。こんな大晦日。みなさん、この1年このアホなブログを読んでいただきましてありがとうございました。多分来年も続くと思うので、またよろしくね。足掛け7年、色んな人との出会いがあって、随分と居なくなった人も居て寂しい思いもするけども、また新しい出会いがあるのを楽しみにしています。それでは、みなさん良いお年を!
2009.12.31
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診療は昨日で終わったので、我が家も今日から年末年始休暇に突入。朝は娘を塾へ送った後、まだ寝ている息子をおいて配偶者と二人で近所の喫茶店まで歩いてモーニング。帰って来たら既に昼だった(爆)。祝日の朝は遅いのだ~~。まだ寝間着の息子をまたおいて、二人でデパートへ買い物。大晦日のデパートへはよく行くけど30日のデパートへ行くのは久しぶり。予想に反してすごく空いてるんだけど、これは不況だから?それとも大晦日を控えた嵐の前の静けさか?洋服売り場をうろうろしていると、数年前までカールヘルムで居た男性が、今はキクチタケオに移ってるのを偶然遭遇。カールヘルムを辞めてからは数年車を売ったりしていたそうだ。しかし、勤務するブランドによって切る服もヘアスタイルまで変わっているのにビックリ。まあ、嬉しい再会なので今後キクチタケオに行くのが増えるかも。帰って来てまたウオーキングする、今晩の我が家の忘年会に備えてるのだ。ここ数年、毎年年末は家族でなじみの割烹「よのぜん」へ行く。数年前は、座った掘りごたつの中で遊んで食べていたカズも、もうちゃんと席に座って立派に食べる。天然ブリの刺身、ヒラメのウニ巻き、貝柱モッツァレラチーズ、白子の天ぷら、貝柱とアン肝の炒め物、阿波牛のニンニク焼き、レンコンまんじゅう、しそじゃこご飯、アラのお味噌汁。子ども達は色々ご飯もの、カズなんぞ卵雑炊食べた後に、マグロ漬け丼なんぞ食べて大丈夫か?恵比寿ビールと、日本酒のスパークリングが美味しかった。今年もあと1日、こんな風に今年も終わる。
2009.12.30
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今日はクリスマスイブ。本来はお釈迦様じゃなかったキリストの誕生日なのね。友人は、キリストが磔になった日と誤解していたけど・・。バレンタインと同じで、意味は知らなくともプレゼントを公然と貰える、要求できる、与える事のできる日と言う事になろう。子ども達は何歳ぐらいまでサンタさんの存在を信じてるんだろうね。うちの上の二人は、とっくにサンタは親だとわかっているようだけど、それを口に出したら不利なので、いつまでも信じてるいるふりをしてるように思う。カズはやっぱり本気で信じてるけどね。配偶者が早々に、「アンタ頼むわ」と言って床についてしまったので、僕は子ども達が寝静まるまでじっと待っている。カズは早く寝るけど、上の子ども達は宵っ張りだし、昔みたいに踏んでも目を覚まさないと言う事は無いのですごく神経を使う。おまけに年々プレゼントもでかくなるし。レントゲン室に隠しておいたプレゼントを一人分ずつ持って2階の寝室へ行く。サンタの分と、親の分と2つあるから面倒だ。よく考えたら、親の分って朝になって手渡しても良いような気がするが・・。カズの分、ヒロキの分、ミドリの分・・ふう・・3往復して終わったらこの時間。サンタも楽ではない。抜き足差し足忍び足、まるで泥棒のようだ~~(笑)。
2009.12.24
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最初に報告。昨日のお料理は、まあおいしかったけどやっぱり下の方が焦げ臭くなった。考えてみたら、酒を入れたのがいけなかったと思う。酒だから煮詰まってこげたのかも、水にしておいたら良かったかもね。上の方はあっさりしたお味でようございました。一度途中で上下ひっくり返してみても良かったかもね。今日はイブイブ。イブイブが祝日と言うのはいいねえ。朝はゆっくり寝て、子どもを塾に送って行った後で夫婦でウオーキングしながらモーニング。午後からは子ども達は爺婆とデパートへ、僕はせっせと年賀状を印刷する。最近、印刷屋さんに年賀状を頼む人は減ってるんだろうねえ。子ども達の年賀状は郵便局のサイトからダウンロードしたテンプレートを利用して僕が作る。とても素敵なのがいっぱい。それなのに、僕ら夫婦の年賀状は白黒の印刷した平凡な奴。まあこの10年近く同じ文言だったのを、今年はヒポクラテスの誓いなんぞを挿入してバージョンアップしたけどね。僕も、子ども達みたいにカラフルでセンスの良い年賀状を作りたい!配偶者に言わせると、地元のお店との付き合いって事らしいけど、カルテも全部そこで頼んでるんだから、年賀状ぐらい自由でいいやんねえ。子ども達のプレゼントは通販で買って、知り合いのお店でラッピングして、見つからないようにレントゲン室にかくしてある。カズはどらえもんのDVDとお菓子の入ったでっかい靴、ミドリはキティちゃんの鞄とサンダル、ヒロキはiPod用の充電器兼スピーカー(BOSE製)。ちょっと羨ましくなったので、自分用にもJBLのiPod用スピーカーを買う。今夜は焼き肉。スタッフのお歳暮で昨日焼き肉用のお肉を1kg贈ったので、我が家にもそれを一緒に注文。子ども達にはそれにもう少し安い肉を500gほど加えて、1.5kgの焼き肉完売しました。チーズはいつもコーヒー豆を持って来てもらうお店が作ってくれたチーズケーキのクリスマスケーキ。親は梅酒→ビール、子ども達はポールジローさん(有名なブランデーのブランド)のブドウジュースで乾杯。今日は痩せるの無理です・・。げ・・・明日はちゃんこ鍋だって。
2009.12.23
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今朝往診に行こうと外に出たら、車のフロントガラスに雪が積もっていて、遠くの山は白く薄化粧だった。いきなり冬が来たかんじだ。昼間はお日様も照っていたし、それほど寒いとも思わなかったけど、夜にPTAの広報部会に出かける頃はまた雪がちらほら。自転車で行ったから、帰り道は向かい風で顔が痛かった。帰って来て、僕のベッドに寝ていたミドリの服の中に手を突っ込んでお腹と背中に冷たい手を当てたら、「ひっひっひっひ~~~」と動物のような声を上げて体がバウンドしていた。明日は最高気温が1度らしい。スイミングのあるカズは、寒いから嫌なんて言ってる。子供は風の子だろ、明日は検定だし、うちの家族でまともに泳げないのはおまえだけからしっかり練習しろよ。明日はPTA本部の忘年会の予定だった。同じ時間帯に医師会の講演会があり、配偶者が行こうかと言っていたけど、僕のと重なったので配偶者は断念。でも、講演会講師の高井美穂さん(衆議院議員)がインフルエンザに感染したために講演会中止。これですっきりしたろうと思っていたら、なんとPTA会長さんもインフルになって、本部の忘年会も中止。痛み分けかよ!明日は暖かい鍋でも作ろう。貰った白菜がたくさんあるから、ピエンロウかな?
2009.12.18
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2週間ほど前だったか、配偶者の伯母さんのツネちゃんからお歳暮が贈られてきた。ぱっと横目で見ると、それは風月堂ゴーフルの箱ではないか!何を隠そう、いや何も隠してないけどボクはゴーフルが好きで、ゴーフルこそお菓子のホームラン王だと思っている。あの微妙に甘くてしかしあっさりして上品な感じが堪らないのだ。(と、言いつつ六花亭のバターサンドクッキーが好きだったりするが・・)ツネちゃんはそれを知って、時々ゴーフルを送ってくれるが、あまりにボクが独り占めして食べてしまうので、このゴーフルは子どもに・・・と言う但し書きを付けて送ってくれることもある。まあ、そんな時でもがっちりとボクが囲い込んで食べてしまうのだが。今回も、送る対象がだれかは分からなかったけど、一番はじめに見つけたのは何かの縁だと言うことで、沢山のお歳暮の中からゴーフルだけ抜き出して、医局の奥にこっそりと隠してあった。いつかほとぼりが冷めた頃に食べるつもりだ。ところが、蛇の道は蛇。ツネちゃんもその辺りを察して、配偶者に「ゴーフル送ったけど着いてるか?」と配偶者に電話をかけてきたらしい。それが今朝だったようで、配偶者が「ツネちゃんがゴーフルを送ってきた??「え・・・いや・・・まあ・・」と僕の目が泳いだのを見逃さなかった・「またアンタかいなあ。ちゃんとお礼も言わなあかんし、ツネちゃんに言われたんよ、ちゃんと子どもにも食べさせてあげって」はいはい。もちろん、子どもにもあげますよ。幾ら僕でも全部自分で独り占めをするつもりはない。でも、いつどれだけみんなにあげるかは僕がじっくり考えるのだ。ゴーフルは、新型インフルエンザワクチンを上回る、厳重な配給制なのだ。
2009.12.10
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リビングの横の和室をつぶしてカズの部屋にリフォームしていた話は前に書いたけど、リフォームは少し前に終わって、先日スライド書棚が来て、今日ベッドと机が来た。要するに仏に魂が入ったのである。プールから帰ってきて、頭痛い、熱が37度2分・・スワ新型フルか?と思っていたのもつかの間、新しい部屋でわいわいやっているうちに熱も下がったようだ。ヒロキやミドリに、お化けが出るぞ~~~と脅されながらも、初めて一人で頑張って寝ることにしたようだ。ベッドから落ちても自力で這い上がるんだぞ。お化けが出ても、腕が1本食べられたら父ちゃんが助けに行くからねと、脅しか励ましかわからない言葉を投げかけて、さっき見に行ったらグースカ寝ていた。今まで食卓で勉強していたからなあ。机が出来て嬉しそう。でも姿勢悪いぞ。ベッドから落ちても良いけど、おねしょはせんとってね。まあ3人の中では一番早くおむつが取れたので問題ないか。おやすみ、カズ。夫婦の新しい寝室はまたの機会に・・。
2009.11.21
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カズの部屋がどんどん形が出来てきている。和室の畳をあげてフローリング→完成。押し入れをクローゼットに→完成。和風の照明を洋風に→完成。障子をはずして遮光カーテンが今朝ついた。あとは注文したスライド書棚が19日に、ベッドと机が21日にくればほぼ完成だ。北と東に向いた寒い部屋なのでデロンギヒーターの余った居るのを入れてやる。夕方、リビングの食卓に座って宿題をしていたカズがぽつんと言う。「父ちゃん、今年のサンタさんやけどお~、何をお願いしようかな?」う・・このガキの部屋の為に幾ら使ったか分からないのに、この上にまだプレゼントを言うか。ここはひとつ、ぐさっと釘をさして置かねばなるまい。「あのなあカズ、サンタさんは色々と先に貰った人にはプレゼントをくれないかも知れないよ」「そんな事ないよ」ほら、机も椅子も貰ったし「あれは別」本棚ももうじき来るし「あれは別」ベッドも買ったジャン「あれは別」う・・段々目が据わってきている。やっぱりあれは別かあ・・・仕方ないよな。こうなったら最後の秘策を使わないとあかんな。この前不発に終わった秘策だ。配偶者と買い物に行くときにカードと現金を忘れていく。これは秘密だよ。
2009.11.16
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今日は何を隠そう結婚記念日である。つい最近まで忘れていたけど、幸運な事に数日前に思いだした。日頃の行いが良いからである。今日は1日中仕事の日なので、お昼休みになじみの花屋さんに花束を頼み、夕方校医の仕事で外へ出たついでに受け取ってきた。配偶者の方は覚えているのかと横目で見てみたら、晩ご飯と言ってブリ大根なんぞ作っていたので絶対にこれは忘れているなと思う。思うに、結婚記念日にブリ大根を作る女性は希有なのではないか?彼女が忘れているところへ、ほいっと花束でも渡せば、これは見事に1本!有利に立てるではないか。そう言うわけで彼女には黙っておくことにした。プレゼントを買うよりも花の方がインパクトも大きいし、当たり外れはないし、お値段も安く付くし。年寄りはそこまで計算しているのだ。帰って来て診察室へ行くと、丁度僕の代わりに彼女が診察してくれていた。患者のオバサンがめざとく花束を見つけて「ほれ、私にくれるんえ?」(え?と言うのは、阿波弁の疑問の助動詞である)と言うので「甘い!アンタに道理はないわい。これは副院長に買ってきたのよ」と、そう言っても彼女はまだ解ってなかったようだ。結婚記念日だと説明して、やっと理解したようだった。「15年目かあ、丁度私の半分やな」とオバサンが言うので、「ん?あなたご主人がいたっけ?」と聞いたら、ふふんと鼻で笑って「32年目に死んだけどな」とカラカラと笑いながら答えた。さすがみオバサンはお強い。そういう訳で今日の晩は、花束とブリ大根の夕べだったのだ。ふふふ、これでちょっと有利に立ったな。まあこういう先行投資と言うか保険と言おうか、世の殿方はサボらない方が良いですな。
2009.10.29
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昨日の夜のことである。バレーの練習のついでに、ミドリを塾に送っていくわけだが、お出かけの時の三種の神器である、時計、財布、携帯を探したが、携帯がどこにも見あたらない。う~ん・・・思い当たる場所にない。その時は時間が無かったのでそのままにして配偶者の携帯を借りて出かけたが、道中何か気になる。誰かに見られて困るものが入ってる訳ではない・・多分。それにそんなに携帯に依存している生活をしてる訳じゃないので、別に数日使わなくても困らないのだけど、本来あるべきものが無いと言うのは、すっごく気になる(A型なので)。自慢ではないが、僕はものを良く失くす。ただし、それは見つからないと大騒ぎするだけで、実際に本当に無くなった事はない。一度だけ、携帯を体育館に忘れていたことがあったが、それ以外は全部家庭の身近な場所から見つかった。全部自分で見つけた。要するに、ものの整理が悪くて、さっと探すのが下手なだけと言う説もある。そう言えば・・2週間探していた財布が、書斎で脱ぎ捨ててあった服の下から見つかったと言うこともあった。捜し物をするコツは、配偶者のように気逆になって焦ってどたばたしないことである。沈思黙考。自分のそれまでの生活と行動パターンを一つずつたどれば、必ずそこしかないと言うところに行き着くのだ。大事なのは足跡をたどる能力と想像力である。で、昨日の生活を振り返ると、朝朝食を作るために、携帯のアラートで目が覚めた。(だから、絶対に家の中にあるはず)、それでアラートを消そうとして電源ボタンを長押ししてしまい、電源が切れたような記憶がある(だから、別の電話で鳴らしてもいきなり留守電になってしまうのだと思った)。朝食食べてから近所のコンビニに漫画を読みに行き、帰ってきてからはずっと家の中で居た。コンビニやその道中で落としたとは思えないので、絶対に家の中にある。普段置くような、電話のそば、本棚、書類ケース、ズボンのポケットから落ちることもあるので、洋服かけの近く、台所の棚、リビングの本棚まで探したが無い。ソファーのクッションの隙間とか、机の後ろも探したけど無い。起床してから食事を作るまでにどこかに置いたとしたら、そんな奥深いところにあるはずもない。もしか・・と想像力を働かせて冷蔵庫の中も探したが無い。う~ん・・。段々焦ってくる。こうなると考えの前提が揺らいでくる。本当に、朝は携帯のアラームで起きたのか?ひょっとして、それは前の事ではないのか?考え出すと段々と疑心暗鬼が募ってくる。前の日は・・バレーの練習試合で他所の小学校へ行った。その途中で連絡をするのに携帯使った。一応車の中も探してみる、車の椅子の下とか、椅子とドアの間の隙間に結構落ちてる事があるものだ。段々と顔が不機嫌になってくるので、配偶者も一緒に家の中を探してくれる。他人の目でみるとあっさりと見つかる事があるものだ。やっぱり無い。こうなると段々冷静さが無くなってくる。いや冷静故かも知れないが、疑わしきべきは一応全部チェックして潰していかないとあかん。一応大前提を疑って、コンビニへかけてみる。ありませんとひとこと。う~ん、コンビニで落とす可能性は無いよな。小学校にかけてみる。応対に出た丁寧な先生。職員室にはありませんが、今から私が体育館を見てきますので、あってもなくてもこちらからお電話しますとのこと。思わず電話口で深々と礼をしてしまう。その数分後、書斎に戻ると窓のカーテンが開いている。そして窓の枠の上に、燦然と光り輝く携帯があった!う・・なんでこんなところに。簡単な場所とはいえ、窓があるのは書斎の入り口とは反対の場所で、わざわざそんなところへ携帯を置いた理由がわからん。何度も書斎は探したが、窓枠の上とは思わなかったので、カーテンを開けなかった。カーテンを開けたらすぐに目についたのに・・。しかし、このカーテンは誰が開けたんじゃ?配偶者に聞いたら、さっきあんたの携帯を探していたときに私が開けたと言う。そしたら、あんたこれが目につかなかったんかい?ぜ~んぜ~ん目につかなかったとのこと。誰が、人の目が変われば見つかるって言うた、どの口が言うた~~。如何に気合い入れて探してないかがよく分かった。教訓、人をアテにしたらあかんけど、人が関わる事によって偶然に捜し物は見つかるものだ。その後で配偶者が言った。昨日の夜あんたに貸してあげた携帯返して貰ったかしらん?返しました、ほら、あんたに手渡しして返しましたとも~~。今は配偶者が携帯を探している。PS 数時間後、彼女の本棚から発見されたそうである。ちなみに、無くした携帯を探すと言うキーワードでググってみても、電源が切れていたらあまり有用な手だてはない。僕の携帯もGPSサービスに入っているが、あれは50mの範囲当たりで検索するので、家の中で無くなってるような場合は全然役に立たないらしい。電源が切れていても、1時間おきにアラームが鳴るように設定しておいたら良いけど、それじゃあ日常生活に煩わしいし、僕は普段マナーモードにしてるので、役に立たない。確か保険に入っているので、もし無くしても新しいのは来るように思うけど、警察に紛失届を出したりせなあかんと思う。家の中で無くしても警察は受け付けてくれるのかしら?後は、とんでもなくでかいストラップ付けるとか、ストラップ自体を何か応答機能を持たせるとか。リモートで電源を入れて、マナーになっていても強制的に着信音を鳴らせる機能があれば良いのにね
2009.10.22
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明日から修学旅行に出かけるヒロキが、だから今夜は焼き肉にしてくれと言う。どういう脈絡かわからんが・・北海道へ行くしジンギスカンとか食べるんとちゃうんか?と思うけど。お店へ行くよりも、家でゆっくりやろうと言う事で、今夜の夕食は屋上での焼き肉。季節もちょうどよい。あの夏の暑い河原や海岸で焼き肉やってるヤツの神経がわからんけども(やっぱり冷やしソーメンやろう)、今頃は夜になるとちょっと肌寒いぐらいで火を使うのがちょうど良いのよね。しかし屋上は結構風が強いので、二言目には寒いと言う配偶者のために、屋上のフェンスのところに柱を立てて(朽ち果てて折れた物干し竿)、それにブルーシートを貼って防風を作った。こんな感じですね。ライブで使ったスタンド式のハロゲンライトを持ってきたら照明も万全。ミドリちゃんが好きだというシーザーサラダを作ってみました。温泉卵(買ってきた)とゆで卵、両方を乗せてみた。お昼ご飯で余っていた食パンを焼いてのせたら完成。修学旅行前の日が登校日だったヒロキも帰って来て和やかに宴会が始まった。なんか博多の屋台みたいだね。昨日も居酒屋だったし、あっという間にこの2日で体重3kg増加~~。また80kgを超えちゃったよ。最近トミが出てこないので、山に埋めたか川に流したかと思っている人もおられるに違いない。いえいえ、ちゃんと生きております。今日は洋服脱いでいるけど、最近は抜け毛対策として、カズのお古の洋服を着せ、バンダナを首に巻いて居ます。それでパグ座りをしていたら、何かに似てる~。考えていたら、お地蔵様。これで帽子を着たらそっくりだよ。そんな訳で、明日は5時起きでヒロキをガッコまで送っていかねばならない。口唇ヘルペスになった父に休みはないのだ。
2009.10.18
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勇造ライブから1週間。公私ともに色々と忙しかった。季節は少しずつ秋。朝夕は少し肌寒い。と、言っても僕は半袖半パンで自転車に乗って往診に行ってるが、周りからはちょっと浮いているような気もする。金木犀があちこちで咲いているようで、どこからか甘い香りが漂ってくる。一年で一番好きな季節だ。今夜、下唇が何となく痛いのに気がついた。触ってみると少しざらついているようで、鏡で見てみると・・・おおおお~!これはヘルペス(正確には単純疱疹)ではございませんか!口唇ヘルペスと言うのは、いわゆる再発疹で、以前口腔ヘルペス(これは高熱が出て口の中がビロビロになってひどいものになる)に罹患した人が、体調を崩したりしたときに口の周りに出てくるものだ。まあいわば体調のバロメーターである。我が家で口唇ヘルペスと言えば配偶者の独壇場で、またかよと言うぐらいの頻度で、しょっちゅうアラセナを塗ったり、バルトレックスを服用したりしている。僕は配偶者の口唇ヘルペスがうつったことは無いので、恐らく自覚は無いながらも初感染はしてるのだろうと思っていた(まあ、うつるような接触もしてないが・・)。しかし、再発疹は過去一度も出たことがないので、自分には縁の無い病気だと思っていた。我が家では、啓輝が似なくても良いのに配偶者に似て、何かとあればヘルペスが出る。ミドリは最近、これも配偶者の持病である偏頭痛が出現するようになってきた。我が家では配偶者の怨念が強いのか?と思っていた矢先の僕のヘルペスである。再発疹の初登場と言うややこしい病態だ。とりあえずバルトレックスでも飲んでおこう。自分ではどうもないけど、体は疲れていたのかも知れないなあ。そんな事を思いながら子供部屋の前を通ると、ミドリの部屋にこんな張り紙があるのに気がついた。何じゃあこれは~。こいつは金に困ってるのか?人の弱みにつけ込んだすばらしいタイミングでの開業である。6年生のくせに、「満ぞく」とか、「ぜったい」とか「べつ」とか漢字で書けるべき言葉が書けてないのがほほえましくも悲しい。しかし、こんなに安くて良いのか?3日ぐらい通ったら体もほぐれるかなあ。しかし笑わしてくれるわ。
2009.10.17
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連休。無事に沖縄旅行から帰ってきました。色々書きたいことはあれど・・ちょいと忙しく、おまけに画像は配偶者のデジカメの中だし・・。とりあえず、文字のみの箇条書きでご勘弁を。20日。神戸空港(ここしか飛行機が取れなかった)を2時に出発。那覇のロワジールホテルへ到着し、国際通りの島唄酒場へ。大好きな「ねーねーず」のライブと沖縄料理を楽しみました。子ども達は国際通りのチープな土産物屋が気に入ったようで、3日間毎日ここへ来てました。あちこち、目に付いた店へ道路を横断しながらふらふら歩いていたら、いつのまにかカズが離れてしまって。他の家族が誰もそれに気づかないと言うこのいい加減さ。あれ??と気づいたのは大分後で、ちょっと青くなって見渡したら、道路の反対側の通りを彼は必死になって行ったり来たり走ってみんなを探していた。面白いのでもうちょっとこのままで見ていようなんて言いながら、1分ぐらいして声をかけてあげたら半泣きと言うか怒ったようになってたね。まあ、こいつは3才の時に海遊館で迷子になったと言う前科者だから。(さすがにこの時には泣いていた)。ヒロキは、3才の時に徳島の狸祭りで迷子になったし(本人、全然迷子の自覚無し)、ひょっとしたら子どものせいでなく親の性格が影響しているのかも・・。21日は早起きして、高速船に乗り座間味の海へ。海水浴の後、船に乗りポイントまで移動してシュノーケリングツアー。ラムサール条約になっているような珊瑚礁で、本当に美しかったです。ダイビングも昔したけど、シュノーケルの方が簡単で楽しいね。ダイバーも沢山居ました。スイミングスクールには行ってるけど、背の立たない場所で泳いだことのないカズがシュノーケル付けてちゃんと1時間近く泳いで付いてきたのはあっぱれでした。ん?これも親が大胆なだけか??夜はやっぱり国際通りで、ステーキディナー。「サムズ アンカー イン」と言うお店。メインが来る前に伊勢エビやら、タラバガニやらで既にお腹いっぱいになるぐらい凄い量でした。絶対に太ってる~~。22日、ジャンボタクシーをチャーターして、美ら海水族館へ。かなり人は居たけれど、言うほど混み合って無かったです。ジンベエザメやマンタのように大きな水槽の魚を見ていると、少々人混みが酷くてもそれを癒す効果がありますね。そう言えば、ベッドの中で魚になった後・・なんて歌が昔ありましたね。最後の夜も国際通りで、牧志公設市場の食堂で沖縄料理。3日間で、一度も魚の刺身を食べなかったのがちょっと後悔。あの青や黄色の魚って美味しいのだろうかとふと思う。ヤシガニも食べて見たかったな~。食べたかったイラブー(ウミヘビ)も食べられなかった。山羊は食べたけど。ロワジールホテルは、街中にあって便利だけどチープなホテル。でも、大浴場や露天風呂があって、これが良かった。部屋の風呂には一度も入りませんでした。23日は10時の飛行機で神戸空港へ。行きも帰りも、淡路や神戸の高速は全然混んでなかったけど、どうなっとんじゃ~~。連休明けの今日はさすがに忙しかった~。地元の中学校の吹奏楽部でフルAが出て、今日の午後だけで5人診察しました。やっぱり根源は部活~。僕は沖縄の時からですが、ずっとタミフル飲んでるもんね。ま、大丈夫でしょう。
2009.09.24
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夕方、サンマのはらわたを出していた僕の所へ配偶者がやって来てPC様の不調を訴える。朝から調子悪かったと。そんなアホな、お昼に使ったときは普通だったし、今から30分ぐらい前にも普通に使った。しかし・・最初のログインの場面から入れない。配偶者のアカウントは時々入れるけど、入ってもすぐにフリーズして動かない。そう言えば、この数日ログインしたときにデスクトップ画面が出てくるのが遅いと思っていた。一昨日だったか、ブラウザやメールが不調になって、ネットで色々と調べてキャッシュファイル(っていったい何?)の削除なんかやってサクサク動くようになったけど、あれも今回の前触れ?PCの不具合は、いつも恋よりもっと唐突にやってくる(爆)。バックアップって大事な時に限って取ってないんだよなあ。ともあれ、大事な事は、PCは常に複数台ネットに繋いでおかなあかんと言うこと。マニュアルなんて大事な事は書いてないし(そもそもどこへ行った?マニュアル~)、人に聞くのが一番早いけど、それもネットがあってからのこそ。こうやってブログの更新が出来るし。うちは今故障中以外に3台ネットに繋がってるからね。しかし、早く治らんとあかんなあ。
2009.09.12
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6日は金婚式のお祝いだった。無論僕ら夫婦の話ではない、僕の両親の話である。夕方写真館で待ち合わせて写真撮影。カズの入学式の時に家族写真を撮影したので、今回は2人だけの写真。ついでに遺影用の写真を1人ずつ撮っておこうと思ったけど、そういう冗談は最近の親には通じないから言うなと配偶者に止められた。バックは当然金屏風か?と思っていたけど、カズの時と同じ藤色のバック。最後に僕のデジカメで記念写真を撮っていただく。その後料亭へ移動して会食。秋の味覚をたっぷり頂きました。30日が爺さんの誕生日だったので、ついでにプレゼントとミドリが中心になって作った家族の寄せ書きを渡す。なんか絵に描いたような1日でしたな。結婚50年っすかあ。昔は金婚式の夫婦なんて言うと、もう二人とも結構年寄りが多かった・・と言うか年齢は多分今より若いけど、見かけが年よった人が多かったように思う。年寄りの寿命は短かったし、女性の労働はきつくておまけに多産で、骨粗鬆症になって腰の曲がって人が多かったろう。最近の年寄りは元気だと思う。それにもう一つ上の世代になると戦争未亡人などが多くて金婚式にたどり着く夫婦も少なかったに違いない。(事実、僕のばあさんは戦争未亡人だった)最近はどうだろう?離婚する夫婦が加速度的に増えている今日、50年添い遂げると言うのは、昔の皆勤賞が今それほどの価値が無くなっているように、あまり意味の無くなったものなのだろうか?それとも、こういう離婚の多いご時世だから50年って言うのは凄い事なんだろうねえ。次は60年のダイヤモンド婚。爺さんがばあさんにダイヤモンドを贈るんだよって説明したら「ムリ!」って言っていた。そうだろうなあ、ダイヤモンド貰うならもっと若いときが良いよね。僕らが金婚式になるとしたら、85歳・・。こらえて欲しいなあ。先は長い。
2009.09.06
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う~ん・・。新型インフルエンザも少しずつ増えてきてるみたいだ。うちの診療所ではこの1週間で3人程度だけど、あちこちの学校では集団発生が見られるみたい。息子の通う中学校でも、かなり出ていて、そこと同じ系列の小学校も多い。同じ塾に通う子どもから発生してるみたい。ヒロキとミドリの通う塾は、講師に医学部の学生が多いみたいで、医学部学生が自宅待機になった時点で塾も8月一杯お休みになった。対処が早かったのかな?僕が校医をしてる中学校の体育会系のクラブの子が発生したのに、2日後に電話してみたらまだそのクラブも普通に練習していたので、そのクラブと体育館を使う部活を今週いっぱい休みにして様子をみたらと助言した。新聞を見たら小学校のバレーボールの大会が昨日からまた始まってるようで、ここでも発生するんだろうなあ。(いつから小学校の部活ってこんなに盛んになったんじゃ?)ところで、徳島県の定点報告は先週の1以下から2台へと倍増している。ところが沖縄は先週の20台から40台への倍増。徳島県の20倍いるんでしょう、これは怖い。知り合いに聞いた話では、美ら海水族館なんかも職員が沢山罹患して、レストランなんぞは従業員が足らなくて閉鎖になってるらしい。実は・・来月の4連休の時に我が家は沖縄へ家族旅行に行くことになっているのだ。う~ん、火中に栗を拾いに行くようなもの?飛んで火にいる夏の虫?鴨が葱をしょってやってきた?ちょっと違うか・・・。みすみすうつりに行くようなものだなあ。これでもしかかったら絶対にアホって言われるのは間違いない。ずっとタミフルやリレンザを飲みながら行くと言う手もあるが、そこまでやるか?マスクしたままでずっと過ごすのか?シュノーケリングはどうする?島唄酒場は?どう考えても中止する方が無難な気がする。往復の飛行機代30数万円を振り込んでしまってるからなあ。飛行機がキャンセルいつまで出来るか調べてみようっと。ところで、明日は選挙だが我が県の小選挙区に出ている、例の宗教団体の候補、選挙カーが電柱にぶつかって候補がダッシュボードにぶつかり腕の骨を折って入院だって。戦う前から負けてるぞ?そもそも、これってシートベルトしてなかったんじゃないの?あの選挙カーから身を乗り出して手を振ってる奴欄もぜったいにシートベルトしてないような気がする。警察、ちゃんと取り締まれよ~~。
2009.08.29
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山荘森樹から帰ってきてもう10日になるんだけど、僕らが摘んだブルーベリーがジャムになって山荘から届けられた。原料を採取して製品に加工して頂くと言う、これが拡大再生産。だから毎日ブルーベリーヨーグルトにして食べてまんねん。これって結構カロリーが高いと思う。全然痩せられません。ところで、山荘で一番インパクトがあったものを実は紹介し忘れていた。それはこれだ!!実はこの山荘森樹は、ペットと一緒に泊まれる宿と言うことになっていて、それを検索してここへ泊まりに来る人が結構居るらしい。丁度僕らが泊まったときにももう一組家族連れが宿泊していて、彼らが連れていたのがこのパグだったのだ。ぶぶちゃん。雄8才、体重12kgの堂々たる体躯である。太り過ぎと言われているトミが8kgだから、雌雄の差はあると言っても、彼は絶対にパグ界の小林亜星と言われているに違いない。しかしぃぃいい~。折角僕らはトミを置いて来たのに、まさか長野くんだりまで来てパグに会うとは思わなかったぞ~。ぶったまげました。しかしこのぶぶちゃん。とっても出来たお人いやお犬様で、吠えることが無ければトミのように食べ物を見て過換気になることも、ぐるぐる走り回ることも、シッコやウンチを失敗することもない。動かざる事パグの如し、いや岩の如くどっしりと泰然自若なお人いやお犬様であった。こんなパグなら例え抜け毛がひどくても何とか我慢できるかも知れない。いや、トミのアホでも8才ぐらいになればこんな落ち着きが出るのか?と思わず期待してしまったのだった。このパグを連れた若いお母さんは、乳飲み子と4才ぐらいの女の子と、おまけにこのパグを連れて一人で(お父さんは法事が何とかで殆ど不在だった)山荘で悠々と暮らしていた。やっぱりこういう飼い主で無いとなあ、犬も飼っている人に似るのかしら?と思ったのだった。
2009.08.25
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さて、2泊3日の森樹の日々も15日で最終日。お昼の特急あずさで東京へ、そして最終の飛行機で徳島への帰路をとることになる。朝食は、ニジマスの味噌漬け、焼いたニジマスと茸がたっぷり入った炊き込みご飯など。信州の風が心地よい。やっぱり例の森の中の散歩は欠かせない。僕らの後から一人で行った配偶者が猿と遭遇。良かったね、クマじゃなくて。またもやmskさんが岡谷まで送ってくれると言う。ありがたくお世話になる。その途中、南アルプスがよく見えると言う場所へ案内してくれたり(この数日は完全な晴天と言う訳ではなく、アルプスの遠くの山はあまり見えなかった)、地元の知る人ぞ知るウイスキー会社、マルスウイスキーの製造直売所へ案内してくれたり(こういの、絶対に買っちゃうもんね)。そろそろ列車の時刻が気になり出す頃。結構悠然としてるmskさん。こちらも全然どこに居るのか解らないので、そろそろ駅かな~と思っていたら、列車の発車まで後5分ぐらいになって岡谷まで12kmの道路標識が・・。さすがにおかしいと思っていたら、どうもmskさんが現在時刻を勘違いしていた模様。岡谷駅に着いた時には、とっくに僕らが乗るはずの特急列車は出発していた。折しも帰省ラッシュ帰路のピーク。どうする・・・と一瞬焦ったけど、次の特急はグリーン指定とも満席だったが、甲府までの指定席があったのでそれをゲットして、しかし甲府から立つのもしんどいのでとりあえず自由席へ行く。そしたら自由席で座れて、次の諏訪の駅で結構降りたので(その日は諏訪ですっごく盛大な花火大会のある日だったらしい)家族5人が並んで座る事が出来た。やっぱり高速1000円の影響で、特急列車も空いてるのだろうね、やれやれである。よくわからんけど、グリーン券を買っていたのだから、指定券は新たに購入しないとあかん(結局座ったのは自由席だったけど自由で座れると思わなかったので甲府までの指定を買ったから)のはわかるけど、特急券まで買い直さないとあかんのが腑に落ちなんだ。グリーン券は特急券+指定券みたいなものとちゃうのんかい。JRよ改善せんかい。飛行機は最終を取っていて、列車1本の遅れぐらいどうと言うことはなかったので予定通りに?島に着くことが出来た。なんか人混みの東京から、別世界のような信州へ。夢のような不思議な旅立ったなあ。楽天のこのブログでmskさんと知りあいになって、一度も顔も知らないままに勇造ライブの開催を勧めて、先日の京都のライブで初めてお会いしたのに、一気に信州まで泊まりに行くことになった。こういうのが縁という物なのだろう。嬉しい縁だ。また春先の二輪草が咲き乱れること、秋の紅葉の頃などにも是非山荘を訪れたいものだ。mskさん、妙子さん、わたるさん、そしてなおぞうさん。本当に素敵な休日をありがとう。また逢いましょう。
2009.08.19
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さて、山荘森樹での2日目はカズに起こされる事から始まった。mskさんが早朝に散歩がてら、カズと虫を探しに行く予定になっていたのだ。折角だから僕と配偶者もお伴する。早朝の空気が心地よい。朝日が少しずつ漏れてくる深い森の中。mskさんと山荘の番犬ハナが先頭を行く。この森は、猪が出るし、クマだって出るらしい。配偶者は実際猿に遭遇したし。踏みしめるのは冷たく湿った山の土。広葉樹の森の腐葉土と言う奴だ。前日の散歩道からmskさんがちょっと横にそれた道に入る。「この道は秘密の道なんです」と不適な笑いを浮かべながら。道ばたに転がった、伐採されて腐った木を転がしてその下を掘るとカブトムシが出てきた。クヌギの木は辺りにないのに、こんなところに居るんだ~とカンゲキ。こういう所に卵を産むらしい。しかし、予めここに撒いて居たんじゃないかと思うぐらいの絶妙なタイミングだ。歓喜乱舞するカズ。僕も別の倒木の下で雄のカブトを発見。クワガタはいなかったけど、カブトムシ5匹前後の収穫となる。丁度家には淡路で貰ったカブトムシが何十匹も居たので、このカブトムシは翌日リリースしたのだが、カズにとっては野生で初めて見たカブトムシとなった。実はこの道、mskさんが茸を取りに来る道らしい。ここで1年分の茸を秋に採って、冷凍保存しておいて年中鍋やスープに入れて使ってるらしい。人には教えない秘密の道だそうだ。山草に帰って、外の食堂でご飯。宿舎の中より、こういう風の吹いてくる食堂で食べるのが好きだ。子どもの食べこぼしも気にせずに良いしね。丼の真ん中に生姜醤油に漬けた馬肉を乗せた「さくら丼」。川魚の佃煮、茸の入ったお味噌汁など。奥さんの妙子さんの絶品の朝食。こういうのを小確幸と言うのである。午前中、mskさんが私用で居なくなったので、その間我が家は自分たちで森樹湖へ行き泳ぐ。さすらいのフォークシンガーで森樹に押しかけバイトに来てるなおぞうさんがゴムボートを運んでくれる。この湖、地元の人も結構来ていて、泳いだり岸辺でバーベキューをしたりしている。でもみんな対岸の車で来れる道から来てるのね。彼らの対岸の森の中から僕らが出てくるとクマが出たようにビックリしてこっちを見ている。こっちはプライベートの森なのよん・・とちょっと誇らしい気分。湖の水は冷たくて、長時間は泳げない。ボートに乗ったり、ひなたぼっこしたり。でも紫外線は眩しくて、しっかりと第一度熱傷の跡が体に付いていた。湖から帰り昼食は山荘でそうめん流し。別にそうめん、流さなくてもいいじゃんって思っていたけど、やってみたらこれが面白い。奥が深いのね。一番前は沢山食べれそうに思えるけどそうではない。すぐにお腹が一杯になるし、後ろから怨嗟の声がかかるので、この一群のそうめんを食べるか、スルーするかと言う決断が難しい。また最後尾の人は、自分が後ろに逃すとそうめんが全部地面に落ちて無駄になるので必死で食べないとあかん。(実際は、最後にザルが付いていて、下には落ちないようになっていた)。色々とやっているうちにみんな容量が飲み込めてきて、さすがの我が家、そうめんの追加をして昼食が終わったのであった。満腹のお腹をしばし休憩したら、mskさんの案内で彼の友人の家にあるブルーベリー畑へ。別に商売でやってる訳でないが、畑が広すぎてブルーベリーはあっという間に沢山なるので、収穫が追いつかないのでご自由に取ってくださいと言う訳だ。炎天下、みんなクマになった気分で必死に収穫。と言うよりまず食べてから収穫。収穫したのと同じぐらいの漁のブルーベリーを食べたに違いない。おかげで、翌日には旅の便秘も解消したよん。その後、さらにmskさんの案内で木曽路を走り、奈良井の宿と言うところへ。これは昔の中山道の宿場町が古い町並み、道幅のまま丁寧に保存されている街だ。しばしちょんまげを結った気分でその宿場町を歩く。その日の夜は奥さんの妙子さんが作る絶品の信州料理。山荘の釣り堀で釣ったニジマスの塩焼き。信州サーモンの刺身と鯉の洗い。茸汁など。ゴーヤーチャンプルーも子ども達が美味しいと言ってあっという間に無くなった。子ども達が宿舎に帰った後、待ちかねたようになおぞうさんがギターを取り出してきた。僕と4才違いだけど、ほぼ好きな歌などが重なっているなおぞうさん。塾の先生をしながら、時々ライブハウスで歌っているらしい。なかなか顔から似合わない可愛い声と渋いブルーズギター。来年は勇造さんの前座だね、絶対。僕もギターを借りて、勇造さんの大文字や背中を一緒に歌う。こんな風に山荘森樹の2日目は更けていった。
2009.08.18
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