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母校の選抜野球大会の出場が決定した。もちろん、春夏通じて初めての甲子園である。創部100年以上(多分開校100年以上)で、県外有数の進学校。(もちろん県立の普通科高校)と言う訳でかなり注目を集めての21世紀枠での選出である。確かに凄いし、わおう~~~って思う。けどまあ冷静に考えると・・。確かに県内有数の進学校。もともとは県内の秀才が集う学校であり、現在の徳島の企業のトップクラス(特に60代以上)はほとんどが我が校の出身である。僕らの数年前から総合選抜制度と言うのが始まり、学生は平等に他の学校にも振り分けられるようになった。そのせいで進学率は落ち・・しかしまだ10%優先入学と言うのがあって、トップ10%は好きな学校へ行く事が出来たので、まだまだ秀才は集まって来ていた。僕らの年からその10%優先入学が無くなって、そのせいかどうかはわからないが僕らの学年は現役で一人しか東大に進学しなかった(昔は数十人と言うペースだったらしい)。その後は進学で浮いたと言う話は聴かず、スポーツ優先入学と言う制度もあって、バレーボール女子やら野球やらにしっかりと実力を付けて来たのだ。その中での甲子園出場だからなあ。これが僕らの時代、もっと上の時代ならもっと凄い事だっただろう。まあそれにしても、レベルの高い徳島で、鳴門やら池田高校やら、徳島商業やらを押しのけての出場であるから快挙である事には違いない。いまから寄付集めが盛んになるのだろうなあ。さあ、寄付するぞ!どっからでもかかってきなさい~~って感じだ(笑)。
2011.01.28
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今日の徳島新聞のニュースによると、川で流された小学生の女の子を、その子の家の飼い犬、ラブラドールリトリーバーが泳いで助けたと言うことだ。う~ん、これぞ犬って感じですな。テレビドラマになりそう。犬はこうでなくちゃあかん。ところで我が家のトミって泳げるのだろうか?なんせあの鼻ペチャだからなあ。水面に鼻が出ないので泳げないような気がする。温度変化に弱いから体温すぐ下がりそうだし。むしろおぼれている犬をこっちが助けにいかないとあかんだろね。今年の夏に試してみるか?
2010.05.27
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麻生さんという人は、口が歪んでるし、あれは絶対に心根が口に出ているような気がするので、信用していないし好きでも無い。もともと自民党の二世議員(いや、三世か?)なんて期待もしてないしね。しかしなあ、最近メディアが餌にしているバー通いがどうのこうのと言うのは的はずれと言おうか大人げない態度だと思う。いいじゃん、バーで飲んでも。帝国ホテルだって、ハイアットパークだって何だっていいじゃん!業者の接待で飲んでる訳じゃないんだから。自分の金で何をしようと自由で、そんな事でひーこら言われるのは迷惑だろうし、メディアだって時間の無駄だと思うのだ。日曜日の朝日新聞(当地は大阪版)にアホな記事が載っていた。麻生氏がよく行くようなホテルのバー、オークラとか帝国ホテルのバーに新聞記者が取材ででかけてカクテルやドリンクを3杯ほど飲んでいかほどのお金がかかったかと言うのを記事にしてるのだ。アホか。お前、誰の金で飲んだんじゃ!会社の取材費とかで落としてるんじゃないんかい!だとしたらお前らの方が余程下劣だぞ。そんな事する暇があれば、自分の会社の社長がどこで飯喰って、どこで飲んでいるかを取材した方が余程面白い。朝日の社長だって料亭で飯喰ってホテルのバーで飲んでるに違いないんだから。庶民の生活感覚が云々言うのはまた別の次元の話である。麻生さんが駅前のガード下の焼鳥屋で発泡酒飲んで鳥のもつ焼きを食べたいと思っても、そういうのが許されないのが今の日本の社会とちゃうのだろうか?フランスだったか、ミッテラン大統領はバカンスが盛ん、いやロマンスが盛んだったようで不倫疑惑とか色々あったようだが、フランス人はそういうプライベートな事は問題にしなかったらしい。むしろ我が国の指導者は、お強い・・なんて思ってるようだと昔何かで読んだ。政治家に求めるのは、まずこの国の舵取りをしっかりとして貰う事である。メディアや国民がまず批判や評価の対象にするのはそのことであって、政治家の飲み食いや、男女関係、プライベートなどではない。きちんとまっとうなやり方で国を導いてくれる人であれば、毎日帝国ホテルのバーで飲んでも、バツ4でも男色でもお盛んでも良いのである。この国のメディアは、独自の取材をせずに警察や官僚、政治家にすり寄って貰ったニュースを垂れ流し、彼らと真っ向から対立する事はせずに、些細な事を突っ込んで権力に対抗した気になっている。単なるひがみやろ、それ。大朝日なんて言うくせに、アホなひがみ記事書いて、首相の真似して(多分)取材費でバーのはしごしたりして恥ずかしくないんかい(取材でバーに行かなくても、電話して聞いたら値段わかるやろ)。○○さんじゃないけど、朝日新聞取るの止めようかと思った昨日でした。オークラには泊まったこと無いけど、帝国ホテルはよく泊まった。もちろん自腹ではない。抗ガン剤の治験の会とかである。夜遅く歩いていると、黒服のおじさんとかが近づいてきて「こちらにお泊まりですか」なんて聞かれるのよ。警備と言うか変な奴の出入りをチェックしてるんだろうけど。先輩の結婚式で泊まったとき、ここのバーで飲んだなあ。ご飯の代わりにオムレツ作ってもらって。ロイヤルサルートと、ポールジローを飲んだ。雰囲気良かったし旨かった~(もちろん、これは自腹)。あの夜、ムカデに足を噛まれたんだったっけ。懐かしい思い出だ。まあ、麻生さんは嫌いだけど、あの攻め口は卑怯だなあと思った次第ですわ。
2008.10.27
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先日、配偶者が学会で行った仙台のお土産の牛タンが美味しかったので、早速楽天ショップで牛タンを購入した。しかし仙台でどうして牛タンが流行ったんじゃ?仙台牛とか言うブランドがあるわけでもなく、みんなオーストラリア産だしさ。伊達政宗先生が愛好した訳でも無さそうだし。強引に力づくで作った名物のような気がする。こういうのは推測じゃなくてちゃんと調べよう・・。と、言ってもwikipediaだからなあ。これが真実と言う保証はない。そうか・・進駐軍が関係していたのね。仙台牛の牛タンだって無い訳じゃないようだ。焼き肉屋と違って、牛タン屋は分厚く切っている場合が多いのね。今日は焼牛タンとスモーク牛タン。テールスープも買ったんだけどさ。お腹いっぱいになったので、明日の朝用に置いてある。牛タンは比較的カロリー少ないと言うけれどいっぱい食べていては同じだなあ。あ、買ったのはこれね。利久の牛タンこんなのはアフィリエイトにしたら良いのかな?やり方わかんねーもん。牛タンばかりじゃ野菜が無いと言うので、患者さんから貰ったインゲンをゴマ和えにしたり、オクラを茹でて、さっと鰹節で和えたり。そういう箸休めが必要だよね、絶対。ところで、夏の野菜の中で茄子とオクラと言うのは大好物の一つだ。特にオクラなんぞ、高校生の頃などは見向きもしなかったのに、今はあっと言う間に一袋食べてしまったりする。やっぱり人間は変わるのだ。ところで、我が家での一般的な食べ方は塩ゆでして鰹節をちりばめて、ほんの少し出し醤油を垂らす食べ方だ。もちろん、ゴマ和えでもいけるし、青じそドレッシングでもいける。和え物じゃなくても、塩ゆでしたのを細かく砕いて熱々のご飯の上に乗せたオクラ納豆は、あの青臭いと言うか緑の香りが素晴らしい。梅干しと混ぜても良いのよね。炒め物はあまりやらないけど、どうなんでしょう?天ぷらはいけるかも知れないけどカロリー高そうだしね。皆さんはどんな風にオクラを料理していますか?そう言えばオクラでいつも腹の立つ事がある。あのオクラが入っている緑色のネットである。どうもオクラと言うのは足の速い食べ物のようで、ちょいと時間が経つと緑のところが黒ずんで来る。それでも味は美味しいし、塩ゆでにするとあの黒い部分も気にならない程度になるんだけど、それを分かってない人が多いというのか、それを許せない消費者が居るのかどうか・・。だから、あの緑色のネットを使って客の目をごまかしてる訳ですね。ああ言うのは偽装にならない訳?腹立てながらオクラに舌鼓を打つ夜。
2008.06.28
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今日の朝日新聞の国際欄にこんな記事が載っていた。イスラエル兵の誤射によって脳死状態になった子供の両親の申し出で、ユダヤ人にその子供の臓器は提供された。「息子の臓器を受けたユダヤ人は人殺しをしない」と両親は語った。パレスチナ難民キャンプに住むアフメド君(12才)は、結婚式の花婿のマネをして背広の上下を着た。ネクタイが無かったので小遣いを貰い近所の店に買いに行く途中にイスラエル兵に腹と頭を打ち抜かれた。彼の側にはおもちゃの銃が転がっていた。キャンプの子供達は、イスラエル兵とパレスチナゲリラの役に別れて「兵隊と捕虜ごっこ」してよく遊んでいるらしい。不覚にも涙が出そうになった。この地域で生まれ育った子供には、日常が戦争なのだ。彼らに平和が欲しいかと聞いても恐らく即答は出来ないだろう。彼らは平和というものがどんなものか全く体験した事が無いのだから。同じ地球に生まれても、生まれた場所が違うだけでこんなに生き方に差があるのだな。その事に胸が痛くなった。記事によると、自爆テロで殺されたユダヤ人の臓器がアラブ系の人に移植された例も数件あるとの事だ。政治が、宗教が、その教義やメンツの為に相手を殺し合い平和を拒んでいる。しかし、一般の人々の間にはこうやって平和を望んでいる人たちが居る。いや、このようなやり方でしか平和を望めない人たちがいる。その事にまた胸が痛くなった。アラブ人の臓器がユダヤ人の身体で生き続ける。ユダヤ人の臓器がアラブ人の身体で生き続ける。血を越えて愛し合えたら。 この世に生まれて35年 まだまだ生き足らない俺が居る 時々腹が立つ 日本人と呼ばれることに いつか晴れた日 目覚めた朝に 血を越えて愛し合えたら おお、その日こそ楽しむのだ! この世に生まれて来た事と 日本の雨 ジャマイカの朝焼け 飢えないインド 朝鮮の春 そしてゆっくりやって来い 大きな自由! 大きな自由! (大きな自由 by勇造さん)
2005.11.16
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楽天友だちの日記にレスを書いていて、気が付いたら同じレスが何個も増殖してる事があったけど、今日もレスを書いて、そのまま少し時間が経ったので何か新しいカキコがあったろうかとブラウザの更新をクリックしてみたら、さっき書いたレスト同じレスがまた下にカキコされている。なるほど、こんな風に増殖していたのか。それにしても、これってプログラムのバグではないの?昨日の日記の後半で、みんな結構過激な意見が多い中、ちょっと抑えた意見を書いたのだが、軟弱なと非難されるかとも思ったが、今朝の朝日新聞の社説を読んだら、自分が書いたのと同じ内容が書かれていて、ああよく似た考えの人は居るんだと安心した。もう一つ今朝の新聞から。12年のロンドンオリンピックで、野球とソフトボールが競技から外れたとの事。候補となっていた空手も惜しくも選に漏れたらしい。確かに、野球と言うスポーツは、環太平洋地域だけで盛んなスポーツで、所謂古き西欧諸国では認知度の低いスポーツだ。アフリカ諸国に到ってはルールも知らないとの事。専用の大きなグラウンドが必要なのもネックになったようだ。野球に関しては、僕はまあ無くなってもええのとちゃうのと言う意見だ。野球はプロの試合がしっかりと根付いているし、そのプロの試合の合間を縫って郭チームが出し惜しみをしながら選手を供給するなど、五輪自体を重く見ていない傾向があるしね。しかし、そういう観点からなら、他にも止めるべきスポーツは沢山あると思う。サッカーしかり、テニスしかり。オリンピックよりもずっと権威のある大会があるプロスポーツは止めちゃっても良いんじゃないかな?バレーボール、バスケットボールなどもプロがあるけれど、一部の国だけだし殆どはアマだからね。これらは残しても良いんじゃないかと思う。ソフトボールに関しては、野球の女性版と見られた事で大きく割を喰ったと思うけど、これはアマ主体のスポーツだし五輪が最大の祭典。競技自体がマイナーであると言うハンデを何とか克服して、16年度のオリンピックでは復帰を果たして欲しいものだ。空手も公開競技でやっても良いんじゃないかな?だってテコンドーがずっと続いてるんでしょ。あれってどうみても、ソウルオリンピックで韓国のメダルを増やすために導入された競技としか思えない。世界の認知度から言えば空手の方が上じゃないかと思うもの。まあ、感想としては、オリンピックも所詮西欧主導なんだなと言う事だ。さて、うちの息子のテニスの試合。朝から雨模様で時々はザンザカ降りの中を出発。なんでこんな梅雨の時期に大会をするんだろう?もうちょっと考えたら良いのに。雨のせいで、棄権の選手も多くて今ひとつ盛り上がらなかったようだ。うちの息子は最初の試合を負けて、次の敗者復活で勝ち、最後にもう一つ負けて、敗者復活グループの3位と言う事で賞状を貰ってきた。1勝2敗で何で3位かよく分からないけど、とりあえずおめでとう。配偶者が飲み会(彼女は勉強会と主張する)に出かけ、息子は疲れたのでお寿司でも買ってきてと言うので、カズと娘を連れて回る寿司へ行く。しかし、はっきり言ってこの2人と寿司に行くのはメンツが悪すぎる。配偶者が居れば、1皿のお寿司を1個ずつ食べれる(息子でも最近は結構それでやれる)けど、カズや娘だと嗜好が違うので必ず2個ずつ食べなきゃいけない。だから10皿も食べれば結構「もう良い~」状態なのである。おまけにカズや娘は、唐揚げとかゼリーとか焼き鳥とか寿司と関係ないものばっかり食べるしさ。前からくるくる寿司に言いたかったけど、飯の握りが甘いんじゃ!醤油を付けようとして握ろうとするとそれだけで崩壊してしまうのが多すぎる。結局ネタと寿司飯を別々に食べたりして・・。もうちょっと気合いを入れて握れ!にぎり寿司の醤油をどのようにつけるかも個人差があって面白い。僕は握り寿司の時には箸は使わない。親指、人差し指、中指の3本でお寿司を持って、くるっと裏返しにしてネタのところに醤油をつけて食べる。これが正しいやり方だと思っているのだが・・。これは確か、高校の国語の教科書で落語か講談みたいなので寿司の食べ方と言うのが載っていて、それに書かれていたと記憶している。配偶者はそのままの向きで持って、ご飯のところにお醤油をつけて食べる。これは、この教科書の記述によると「ほらほら、シャリにつけるとシャリが醤油の中にこぼれて落ちちゃうじゃねえか。醤油の中に白い飯が浮かんで、まるでウジ虫みたいだろう」と言うことになる。だからさあ、裏返しにしても崩れないように気合いを入れて握ってくれよ!ん?ウニやイクラのような軍艦巻きの場合はどんなに付けるのが正しいのだろう?回る寿司ではお醤油の瓶を持って、上からたらりとかけているけど、普通の寿司屋さんでは醤油差しなんて置いてなかったような気がするし・・。今は子供達も騒ぎ疲れて寝てしまい、配偶者はまだ帰ってこない。ひとりでのんびりしている至福の時間である。
2005.07.09
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少し前の事だが、こういうニュースを新聞で見た。昔、奨励会の年齢制限にひっかかってプロになれなかった瀬川さんと言う人がその後アマチュアの名人にもなり、その後プロとの試合でも好成績を収めたので、もう一度プロになりたいと嘆願書を出してそれが認められ、編入試験が行われると言う内容だ。詳しくはこここのニュースを聞いた時、将棋界への狭き門が開かれて良かった・・と言う声が多かったけど、どうもへそ曲がりの僕は、ちょっと違うなあと言う感想を持ったのだ。最初に、知らない人の為に説明しておくと、将棋のプロになるにはまずその養成機関である奨励会と言うのに所属しなければならない。これだってある日思い立ってなれるのではなく、プロの将棋差しの内弟子になったりして推薦して貰い、そして年に2回3日間に渡って行われる試験に合格して初めて入会が認められる。奨励会への入会には6級から1級まであり、その各々の級によって年齢制限が設けられている。例えば6級なら15才、1級なら21才と言う具合だ。そして奨励会に入ったら厳しいリーグ戦による対局のもと少しずつ進級していくわけだが、4段になって初めてプロの資格が得られる。もう少し詳しく言えば、初段から4段までにも全て年齢制限が設けられており、それをクリアしないとそこで脱落と言う厳しい制度だ。この厳しい年齢制限は、将棋界にカリスマ性を与えると共に、脱落していく人のその後の人生の再出発を少しでも早めにと言う配慮でなされているのかも知れない。奨励会とその入会後の厳しさはここを参照。この様に非常に厳しい戦いをクリアしてきて初めてプロになれる訳で、プロの棋士の下にはプロになれなかった、奨励会で落ちていった人々の屍が累々と埋まっているのだ。はっきり言って異能の集団である。元名人の谷川さんなどは、東大に行こうかプロ棋士になろうか迷った末に、こっちの方が難しいので棋士を選んだという噂があるぐらいなのだ。その異常なまでの異能さ、厳しさ、屍の数によってプロの棋士というカリスマ性が与えられているのだと思う。この瀬川さんは26才までに4段になれずに奨励会を去った人だが、その後大器晩成型と言おうか努力の末花開きアマ名人になり、プロとの勝負でも好成績を収めるようになった。だから自分もまたプロになりたいと言うことだ。その気持ちはとってもよく分かる。よく分かるんだけど・・へそ曲がり傍観者の僕としては、今のまま強いアマで居て欲しかったと無責任に思ってしまうのだ。どんなに今の瀬川さんが強くても、やっぱり奨励会の26才4段の壁は乗り越えられなかった。それは事実でしょう。大器晩成型の人もいるでしょう。でも奨励会、プロ棋士と言うのは早熟型の人の集まりなのだ。そういう限られた集団なのだ。そこに例外を持ち込むのはどうなんだろうね。今までに脱落して言った累々の屍の人たちにはどうやって将棋連盟は説明するのだろう?お願いして試験を受けてプロになるよりも、俺はプロにはなれなかったけど、今はプロより強いんだ!そうやって胸を張っていた方がカッコいいんじゃないかな?そしてこれからも、プロの試合に出ていって、どんどんプロに勝って、伝説のアマになればいいのに。そしたら向こうの方から頼むからプロになってくれとお願いに来るかも知れない。こっちから嘆願書を出してと言うのはちょっと・・と思ってしまうのだが。そしてもしそういう申し出が無かったとしても、異能な集団であるプロ棋士の強烈なアンチテーゼの一番星として輝いて欲しいと思うのだ。小池重明と言う棋士をご存じだろうか?団鬼六が彼を題材にしていくつか小説を書いている。小池は真剣師である。これは賭け将棋をする裏のプロである。もちろんプロではないし、アマにさえもなれない。裏街道を生きる人だ。しかし、小池は強かった。アマ名人にも勝ち、プロと試合をしても互角に戦った。そして酒におぼれ、最後は野垂れ死にをした。しかし、将棋をやる人間で、小池の事を知らない人は居ない。そんな人生、そんな人間だって居たのだ。表と裏、光と影、太陽に月。どこで輝いて居てもいいんじゃないか。その輝きが素晴らしければ。そんな風に考えた。
2005.06.19
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う・・娘にちょいと添い寝して、彼女が寝たのでさあ起きて日記を書こうと思った途端に意識が途切れて気が付いたら朝の6時だった。やっぱり金曜日は鬼門である。水、木とバレーの練習して金曜日にプールに行って、老体に乳酸が貯まっているに違いない。そんな訳でまた翌日日記である。知り合いにハイビスカスの鉢植えを沢山頂きました。診療所の玄関に1つ置きました。この花は朝顔のように1日で枯れちゃうんですね。でも次々と蕾が出来ています。こちらは黄色のハイビスカス。黄色と赤を寄せ植えにした鉢もあって、我が家の勝手口へ行く通路は色鮮やかにいなりました。野茂投手が日米通算200勝をあげた。おめでとう、素晴らしい記録である。新聞やニュースでも言い尽くされたが、彼の素晴らしいところは何と言っても意志の強さ。直球とフォークの2種類の球だけにこだわって勝負していく姿勢、そして何よりも日本での実績を振り捨てて大リーグへ挑んだ日本人のパイオニアになったと言うことである。(もちろん、以前にも日本人大リーガーは居たけど、彼のように日本で高い実績をあげた選手が大リーグへ行ったのは初めてだと思う)そして僕が好きなのは、自分を育ててくれた社会人野球の衰退を嘆いて、社会人野球のチームを買い取って、プロを目指す社会人を応援したり、また独立リーグのチームを買い取ったりして、もちろん引退後を考えての事もあると思うけど、野球に対して広く視野を持って行動している点だ。高い給料を自慢して、高級外車に乗って、お姉ちゃんを侍らせて六本木で大暴れしたり、芸能人と不倫して子供を産ませたりしてる野球選手と比べると、視野の高さ広さを言うのを感じずにはおれない。投手で200勝と言えば日本の名球会入りの条件になったわけだが、偏狭な日本の野球人の事、日本での200勝ではないから・・なんて言う輩が居るかも知れない。そんな場合はアメリカの名球会から声がかかるんじゃないかな?まあ、どちらにしても野茂自身はそういう事を気にしても居ないだろう。インタビューで年齢の事を聞かれた時も、「自分より長くやっている人は大勢居るので、自分もその人たちを目標にしてやっていくだけだ」と謙虚に答えていたけどね。イチローとはまた別のタイプの信念の人だと思う。昨日は配偶者様の腹具合がよくないと言うので、あっさりメニュー。冷やしそうめんにしました。トッピングは、葱、おろし生姜、竹輪微塵切り、錦糸卵。蒸し茄子のゴマだれ。今日はごま油をその上にかけてみたら美味しかった。子供達は茄子を食べないので、揚げた茄子をそうめんつゆの中に入れて揚げ浸しにしてやりました。カズは、お昼の勉強会のうなぎ重のうなぎの残りでうな丼。一昨日配偶者が作ったホワイトシチューの残りがあったので、ご飯の上にぶっかけて粉チーズを振りかけ、オーブンで焼いてグラタンにしました。子供達はバクバク食べました。今朝から明日の夜まで、配偶者様が広島へ出張に行くので、我が家は父子家庭になります。ま、別にどうと言うことはないんですが・・(笑)。明日の夜はバレーの試合なので、3人連れて行くのがちょっとしんどいかも。
2005.06.17
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奈良県では、例の事件の影響か、県や県警が「声かけ条例」と言うのを提案しているそうだ。これは子供に大して「不審な」声かけをした者に罰則を科するとするものだ。実際にこれが制定されるのかどうかは解らないが、このニュースを読んだ自分は、何か釈然としない嫌~な気分になった。そりゃあ、子供に声をかけたら皆んな罰則では無くて「不審な」声かけが罰則になるのである。しかし、何をもって「不審」とするのか、それをきっちりと決めることが出来るのか僕には疑問である。「不審な」内容の声かけが罰せられるはずだったのが、「不審な人」が声をかけたら、その内容によらず罰せられるような、不審者狩り、江戸時代の無宿人狩りのようなものになっていかないか心配だ。例えば、公園で遊んでる子供がいて、同じ公園にぼんやり時間をつぶしてる無職の子供好きのおっちゃんがいるとする。おっちゃんは所在なげにぼ~っと昼からワンカップでお酒を飲んだりしている。そういうおっちゃんが、たまたま目の前に転がってきたボールを拾ってやった子供に何気なく声をかけて話しをしていると、子供パトロールなんかやってる大人達がやってきて、おっちゃんを取り囲み詰問・・。なんかそんな情景を考えてしまうのは、考えすぎ?以前にも書いたけど、今の世の中って凄く窮屈だ。自分たちと違う立場の者、ちょっとアブなそうな怪しい人たちを必要以上に排除しようとする傾向があるように思う。中年で独身の男性とか、無職でブラブラしてる人なんてのが肩身が狭くて凄く住みにくい世の中になっているように思う。僕だって、今は結婚して3人の子供の父親だけど、10年前は、30すぎて独身の怪しい男だったに違いないのだ。まあ、子供に声かけたりはしなかったけどさ。学校の先生も、子供達に、知らない人から声をかけられたら走って逃げろ~なんて教える一方で、挨拶されたらきちんと挨拶を返しましょうなんて教えなきゃいけないから矛盾しちゃうよな~って思ってしまう。子供を持つ親が子供を事件から守りたいと思うのは至極当然だと思うけど、こんな条例が出来ちゃったら、社会が狭くてぎすぎすしたものになるんじゃないかな。僕自身は、ポイントは車だと思っている。この手の犯罪に絡むのは全て車である。車と言う手軽に作れる密室が事件を簡単にさせていると思う。他人の車には乗らないこと。道を聞かれたら教えてあげても良いけど、車には絶対に乗らない。それぐらいしか無いんじゃないかと思う。いい大人か悪い大人かを見抜く目を子供にも養って欲しいと思うけど、それはなかなか難しい事だろう。かといって、知らない人から声かけられても無視して逃げろじゃあ、いつまでたってもそういう能力は養えないと思う。もうひとつ。明石の歩道橋事故で、市職員、警備会社、警察職員への有罪判決が言い渡された。これらの事故を未然に予防し、防げなかった責任は重いと思う。プロである彼らが責任を問われるのは仕方ない。これは明らかな人災だと思う。ただ、人災と言うならばこの行事に参加した全ての人を含めて人災と言うべきだろう。主催者や警備担当者が危険を感知して対処するのは当然だが、参加者だって危険を感じてそれに対処する事は必要だったと思う。こんな大勢の人が集まるイベントに、小さい子供を連れて行くこと自体が危険な行為である事を認識すべきだろうし、これは人混みが凄いぞ~と思った時点で引き返す事も出来たんじゃないかと思う。みんなが行ってるから大丈夫だろう、とりあえず前に行こう的な感じで、どんどん行くうちににっちもさっちも行かない状態になって人間雪崩になった事は想像が付く。もちろん、被害に遭われた人の遺族の方々は、こんなイベントに行ったことを強く後悔しているに違いないだろうけど、新聞報道を読む限りでは、あまりに主催者側だけの責任を追及するような感じがしてちょっと違和感を持った。今の時代、ヘンなのだ。お上や警察だってあてにならない。自分の危機管理能力を磨いておかねば。自分の命は自分で守るしかないもんね。その上で、他人にも優しくありたいと思うのだ。
2004.12.18
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