ヴェネチア


ヴェネチアは干潟に浮かび、網目のように運河が巡る類まれな水の都です。
13世紀から東方貿易で潤い、海洋国家として栄華を極めました。

アドリア海の内海に住んでいた人々が外敵(ロンバルト族)から逃れるために、干潟に杭を打ち建物を立てたところ、不思議と外的が侵入してこなかったために、少しづつ建物を増やし街として大きくなっていったのだそうです。

ヴェネチア

ヴェネチアの町の入り口に入ると、水上バスでリアルト橋の近くまで行きました。

リアルト橋

大運河のほぼ中央に架かる橋です。
13世紀には唯一の橋だったのですが、木造で朽ちるのが早かったので16世紀にアントニオ・ポンテの設計によって現在ある大理石の橋になりました。

私たちは早速、ゴンドラに乗ることにしました。
ゴンドラ

ゴンドラを漕いでいる人は本当に本当に上手なのです。
曲がりくねった水路をぶつかることなく上手く舵をとるのです。
お見事!!
って叫んでしまいました。

ゴンドラのを漕いでくれている人が指差して教えてくれました。
マルコポーロの家です。
そういえばマルコポーロはヴェネチアの商人でしたね。
まさに、歴史に触れた思いがしました。

マルコポーロ

街は昔のままでまるで何処かのテーマパークに来ているみたい。
というよりも、テーマパークがここをまねしたのかもしれませんね。
しかも、人が住んでいるのです。

イタリア人は本当に街を大事にしています。
ヴェネチアの町では、外観損ねてはいけないので室外機を取り付けることが出来ないので、暑くてもクーラはつけることが出来ません。
また、元ある建物を建て替えることや新たに建てることも出来ないのです。
だから、7階建てのマンションでもエレベータも付けられないのです。
そんなことも当たり前のように、受け入れています。
やはり、街を愛しているのでしょうね。

ゴンドラを降りて、サン・マルコ広場へ行きました。
広場にはサン・マルコ寺院があります。
829年エジプトのアレキサンドリアから持ち帰られた守護聖人、聖マルコの遺骸を祭るために建立されたのでした。

サン・マルコ寺院

サン・マルコとはエルサレム生まれです。
福音書を書いた4人(マタイ、ルカ、ヨハネ)の中の一人です。
68年にアレクサンドリアで殉死しました。

実はこれには興味深い話があります。
ヴェネチアの人はサン・マルコが亡くなったことを知り、どうしてもヴェネチアにつれて帰りたくなったのですが、アレクサンドリアの人々に知れてはその計画は絶対に無理になってしまいます。
そこで一計を案じたのです。
サン・マルコの遺体を入れた箱の中に豚肉をたくさん入れたのです。
アレクサンドリアの人々はイスラム教で豚肉が大嫌いです。
箱の上の「豚肉入り」の文字に目を潜め、中を丁寧に改めることなく関門を通過することが出来たのだそうです。

現在のサン・マルコ寺院は11世紀に再建されたギリシャ十字型の教会が基礎となっていて、ビザンチン、ロマネスク、ゴシック、ルネサンスなど多彩な様式が時代を追って付け加えられたのだそうです。

ヴェネチアでは、2~3月の2~3週間はカーニバルで盛り上がります。
丁度終わった頃だったので、そのカーニバルで使った紙ふぶきが一部残っていて雰囲気だけは伝わってきました。

カーニバルの時に使うお面がたくさん売っていました。
お土産用の小さいものを娘はたくさん買っていました。

さて、今日は移動日です。
ヴェネチアではゆっくりしていられないのです。
次はフェレンッエに向かいます。
ミラノからヴェネチアまで3時間半、ヴェネチアからフェレンッエまで3時間半。この日が最もハードな移動日です。
でも、私は幸い何でも食べられるしどこでも眠れます。
バスはいい休息になります。

フェレンッエへ出発です。
次回へ続きます。

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