今朝の黙想5



「別の道を通って自分たちの国へ帰っていった」(マタイ2:12)
星に導かれ東方の国からやってきた3人の博士達は、幼な子キリストに出会い、礼拝を捧げた後、「他の道を通って帰って行った」とあります。本物に出会うと、同じ所に帰るのに全然違った心で帰ることが出来ます。キリストに出会うと、同じことの繰り返しの毎日が喜びの毎日に変えられます。本物と出会うクリスマスとなりますように。

あーめん!!
私も、私の親しい回りの人々も、キリストに出会って、同じところに違う心になって帰っていった人間たちである。
救い主キリストとの出会い方も、出会った後、主と共に歩む道のりや、時間は、それぞれ違う。その違いであるところのギャップを「互いに愛し合う」という結び目によって、補い合いなさいと主は言われた。
私は、このギャップにおいて、夫とぶつかり合ってきたように思う。
最近、そのことがよく判るようになってきた。
これは、私自身の自己改革が主によってなされた故であると思う。
同じように、主から与えられる方法が違うだけで、夫も主によって取り扱われ、変革されているのだと思う。
私たち夫婦の共通点は、「キリストにお出会いした」というところにある。
このことを、今朝また黙想し、感謝と主への賛美が心に溢れた。

今朝、神戸のH君からメールを貰った。そこには、嬉しい言葉が書かれてあった。「朝、かーちゃんを見習って(笑) お祈りすることから一日を始めてるよっ、FMぽーとのゴスペルが祝福されますようにって、祈ったよっ」
私は、心から主に感謝を捧げた。そして、H君が益々祝福されるよう、心を込めてもう一度祈った。
彼もまた、キリストに出会い、同じところへ違う心になって帰って行ったひとりである。なんと感謝なことであろう。
主をほめたたえ、主を賛美します~♪
hallelujah!!


12月22日(水)

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)
キリシタン時代、愛を「ご大切」と訳しました。あなたは神様の大切な存在です。その証がクリスマスです。あなたの価値は神の子の価値に優るとも劣りません。自分を安っぽく扱わないで!あなたは世界で一人しかいない宝石なのです。

あーめん!
「ご大切」 なんてステキな訳だろう。
昨日、ミクと藍がお泊りしていった。私が出張レッスンをしている間(そこのお宅は実家のすぐ裏なのである)ミクと藍は、「ばあちゃんっちに行きたい」ということで、実家によっていた。実家には、私の両親と、私の妹家族が同居している。姉である私が、さっさと嫁に行ってしまったので、妹が家に残ってくれた(笑) 表札の二つある、いわゆる、サザエさんっちである。
私も仕事を終えたあと、ミクと藍を迎えに実家によった。
そこで、妹と母とお茶を飲みながら、なんだか自分たちの幸福を確認しあった(笑)
妹がしみじみとこう言った。
「ね~ちゃん、あれだよね、あたしたちが無いものは金だけ(笑) あとはさ~、本当に神様によくしていただいてるよねっ」
(¨)(..)(¨)(..)ウンウン
私はこの家族の初穂として、主に救われた。
私が卵巣癌と闘っているとき、それは、家族全員(嫁に行った先も、実家も全員)の闘いの日々でもあった。
その試練は、「主イエスを信じなさい、そうすればあなたもあなたの家族も救われます」という祝福への道程であった。
hallelujah!
主よ、言い尽くせない感謝を主に捧げます。


12月24日(金)

「彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。」(ルカ2:6-7)
ヨセフとマリヤは旅先でキリストを産みました。しかも馬小屋でした。どこの宿屋にも出産間近の彼らを泊める客間がなかったのです。いいえ、彼らを泊めるスペースを作ろうとしなかったのです。あなたならどうしますか?キリストを大切なお方として心にお迎えしましょう。


私は、「キリストを心にお迎えする」ということを黙想する時、お迎えすることができたことへの感謝が溢れる。
かつては、自分もそうであったように、よく人々が口にする言葉に「宗教に頼るなんて、弱い人間だからだ。。」とか、「真理かどうかわからないことを信じるなんて、おかしい。。」とか、そのようなことを耳にする。
また、ごく一部の、原理主義に陥っている人の言動を見て、「宗教対立が戦争を起こしている」と言う。
最初にも書いたように、かつては私もそう思っていた一人である。
だからこそ、「キリストを心にお迎えすることが出来た自分の幸い」を思うとき、ただただ感謝なのである。
自分を例題にあげるなら、そういう言葉を発している自分の心の状態は、自己欺瞞と、自己正当化であったように思う。
そして、今だから言えることなのかもしれないが、キリストを心にお迎えしていない時のほうが、ずっとずっと弱い自分であった。
もっとズバリと言うなら、自分は罪人であると、本当の意味で自覚したならば、「赦されたい」と願うはずである。
っと、ここまで書いて立ち止まった(笑)
私はイエス様を一番愛しているので(笑) 主のことになるとムキになり、必死になる(笑)
こんな私を、今も、この瞬間も、主はニコニコと微笑みかけながら、「まぁまぁ、いいからいいから、わかってるよっ」と、赦し続けてくださっているんだろうな~っと思った。
そうでした主よっ。祈ります。
主への感謝を込めて、今日は昼間、料理するんでしたー(笑)
ローストチキン作って、ケーキも焼くんだった(笑)
ずっと忙しくしていて、ケーキの予約さえできなかったのであった。(笑)
わおー、もう10時だ(笑)
主よ感謝します。家族の喜ぶ顔を見ることができるように、お料理を作るときにも、主がご一緒してくださいますようにっ。

© Rakuten Group, Inc.

Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: