今朝の黙想14



「あなたは、ご自分の偉大な御名のゆえに、何をして下さるのですか」ヨシュア7:9
今日私達と共におられる方は偉大な力ある神様です。その方に期待してこの日を過ごしませんか。私達を愛してやまない方がどんなことをして下さるのかを見せて頂く一日です。神様に向かってこの御言葉を告白して祈り、主と共に歩むワクワク・ドキドキの一日をスタートしていきましょう!

アーメン!!
まさしく、またもや、先生は私の心の中を知っているかのように、ピッタシに御言葉をくださる(笑)
これぞ聖霊の働き!!
hallelujah!!

主よ、あなたがどんなことをしてくださるか、楽しみに待ち望みます!!
感謝しますー!!



2月23日(火)

「母はこれらの事をみな心に留めていた」ルカ2:51
日々に起こる様々な「事実」から何かを「発見」し、そこから「教訓」として思考や行動に役立つ学びを得られれば、未来が変化する可能性は80%。それを日々意識すれば90%。意識し続けると「教訓」が潜在意識に刻み込まれます。そうなれば100%未来が変わる、希望が実現するコツは常に学ぶ姿勢を持っていることです。


はいっ!!あーめん!!
またもやピッタシカンカンの御言葉きたーー!!
聖霊は働いてくださっている。
まさしく、主は生きておられる!!
礼拝のメッセージのなかで語られた、「収穫は多いが働き手が少ない」(マタイ9:37
この御言葉が頭から離れない・・・。
今、自分に起こっている事から、何を発見し何を学び、何につながっていくかだ。
今は、私たち夫婦が、神様によって剪定されている時だ。
いらない枝を切られて、豊かに実を結ぶようにされている。
切り取られるので、痛くて苦しいけれど、この剪定をされなければ実を結ぶことができない。
夫が倒れた今、主が与えてくださった時間のなかで、主の御手のなかで、主の御心を受け取る時となりたい。
主よ感謝します。


2月23日(水)

「たとい、私の来る時まで彼が生き残っていることを、私が望んだとしても、あなたには何の関わりがあるか。あなたは私に従ってきなさい」ヨハネ21:22
あの人のようになれたらいいなあ、この人のようになりたいなあと思うことが沢山あるかもしれませんね。けど、気を取り直してみると、その人は私ではないし、私もその人になれない。なる必要もない。私が私だから、この世に生まれてきたのです。


あーめんっ!!
(¨)(..)(¨)(..)ウンウン
本当にそう思う。
昨夜の夫との話し合いじゃないけど、私としては、執事長が出来るのは夫しかいないと思っている。
教会のリーダーシップは、「仕える賜物」を持っている人でないと無理。
夫だったから、ここまで来れたんだ。
社長夫妻以外の執事たちは、そのことをよく理解している。
そして、その夫は倒れて、執事長をおりたいと言っている。
さて、どうすんべか。

主よ、夫を癒してください。
主よ、教えてください。
主よ、私が倒れないように支えてください。
主を待ち望みます。


2月24日(木)

「こうしてダビデは、石投げと一つの石で、このペリシテ人に勝った。ダビデの手には、一振りの剣もなかったが、このペリシテ人を打ち殺してしまった。」(Iサム17:50)
自分の能力でが無理だと思うような仕事を任されました。あなたならどうしますか。少年ダビデはゴリヤテに立ち向かい、自分の持っている石だけで勝利しました。主に信頼して、あなたが持っているもので挑戦してみましょう。

はいっ!!
あーめんですー!!
目の前に立ちはだかる壁の前に、また問題の渦中のなかで、何も持っていない私たちだったからこそ、リアルに神様の業が現われ、神様が生きて働いておられることを証できる体験をさせていただいたな~と思う。
第二コリント12:9に「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである」とあるが、まさしくこのとおりだと実感している。
病んで生と死のはざまを通ったからこそ神様からの癒しの体験をすることが出来た。経済的困窮を通ったからこそ、天国の窓が開き、天から与えられる体験をすることが出来た。人間的な弱さをもっていたからこそ、神様の赦しが、イエス様の十字架が、どんなに大きなことであるのかを知ることが出来た。
今日も試練の中にいるからこそ、聖書の御言葉の意味を受け取ることが出来る。自分が痛んだからこそ、人の痛みを共感することが出来る。
自分が弱いからこそ、神様がしてくださっていることがわかる。
私の霊の母である、K先生の奥様(前に日記に書いたお医者さまの奥様)が、よくこう言っていたことを思い出す。
「よーこさん、試練を通されることは、恵みでしかありません。もし、ようこさんが順調だったら、今、ここ(教会)に来ていませんでしたよっ。イエス様の十字架の意味も知らずに、きっと、そこらへんのサークルかなんかの番長になって、人々を滅びへと導いていたことでしょう」爆笑!!
その時、若かった私は「お医者の奥様に、あたしの苦労なんかわかりっこないわー」って反抗したけれど(笑) 今はその意味がよくわかる。

主よ、感謝しかありませんねっ。
今の試練の先に、必ずや主の栄光が現われることを信じます。
hallelujah!!


2月25日(木)

「わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」2コリ12:9 
あなたは弱さを持っているでしょうか?自分の中に嫌になってしまうような弱さを見いだすでしょうか?その人は幸いです!なぜなら神様の全能の力は、その弱い部分を通って働かれるからです。あなたが弱ければ弱いほど神様の働かれるスペースが大きくなるのです。だからこう言いましょう。「私が弱い時にこそ、私は強いんだ」


わおわおー!
聖霊が働く時って、時間や空間を超えて、こうなるんだよなぁー!!
今朝の御言葉は、昨日黙想のときに、心に浮かんできた言葉だ。
聖書の言葉の凄さというのは、こういうことだと思う。
何千年前に書かれた書物の言葉が、今現在にピッタリ適応される。
そして、このことを思うとき、ヨハネの福音書の冒頭が浮かぶ。
「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」ヨハネ1:1~5

人はパンだけで生きるのではなく、神の口からでる一つ一つの言葉による・・・とあるように、本当にそのとおりだと実感する。
聖書の言葉は、私に命を与え、力を与え、励ましを与え、勇気を与え、慰めを与え、喜びを与え、指針を与えてくださる。
イエス様は、最高最大のカウンセラーである。
主よ感謝しますー!!


2月26日(土)

「あなたは、口づけしてくれなかったが、この女は、わたしがはいって来たときから足に口づけしてやめませんでした。」(ルカ7:45)
イエス様の愛と恵みに慣れすぎてはいませんか。あなたはこの女性のように、主の愛と赦しに感動していますか。主に愛されている事を喜び、感動をもって、主の前にひざまずくなら、イエス様もあなたを愛してくださいます。イエス様との初めの愛に戻りましょう。


あーめん!!
よくわかるなぁ・・・。
イエス様の愛に慣れっこになって、自分がイエス様を愛することをすっかり忘れてしまっている時がよくある。
ノンクリスチャンの方にとっては、ただの残酷映画だった「パッション」も、私にとっては、イエス様との初めの愛に戻された感動の映画であった。

人間同士の間でもそうだ。
一番愛があるはずの夫婦間や親子間で、「自分が愛する」ということを忘れてしまって、空気が存在するかのように、あたりまえになってしまっている時がよくある。
神様の愛がわかればわかるほど、自分の罪深さがまたよくわかる。
そして、「栄光と誉れと賛美を受けるにふさわしいお方」という意味が益々わかる。
今朝の聖書箇所の女性は、高価な香油をイエス様の足に塗りながら口づけし、涙でイエス様の足を濡らし、自分の髪の毛でそれをぬぐった。
彼女は遊女であり、自分の罪深さを知っていたのだ。

私自身、クリスチャンになりたての頃、もともと激しい性格なので(笑)
すっごい頑張りクリスチャンだった。
けれど、イエス様の愛がわかってくればわかってくるほど、自分の内面が照らされ、頑張っている自分の心の中の汚さがわかってきた。
主は、頑固な私を砕く為に、様々な試練をとおらせた(笑)
そして、それは恵みでしかなかった。
主よ、感謝します。
主よ、あなたを愛します。

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