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あ-極楽、極楽・・・!!!しかし、ア-、ア-天国、天国とは言わない。もしかすると、極楽と天国とは全く事情が違うのかも知れんナ--!!・・。まあ!!ワシなんか、毎日、極楽と地獄を行ったりきたりしている様なもんだな・・・。 話は変わるが、ココ最近は本当に陰湿な事件が、繰り返されるよナ-----。昨日のテレビでも誰かが言ってたが、"子供の親殺し、親の子供殺しとか"・・・・。"礼節を知る"なんて言葉は、今の日本には無くなってしまったんだろうかね・・、"命という掛け替えの無い宝物"が、段々と汚泥に埋まって行くように思えて仕方ないよね・・。どうしてこのような世の中になってしまったんだろうかね・・。一体、何が原因なんだろうかね・・・???。・・・ それはそれとして、一度あんたも日の出前に起きてごらんよ・・・・・満天の星たちが、今にも落ちてきそうだよ!!!---。夜明けの前の冷気は、くらくらする位冷たくて、いい加減な妥協や生き方を許してくれない・・-----。満天の星たちが、ワシらに何か語りかけて呉れているよ・・・--。そこには微塵な言い訳もなければ、惰弱な足取りも妥協も決して許さない。これこそが、生きゆく命たちへの、メッセ-ジなんだろうかね・・・。本当に、生きることに苦しくなったら夜明け前に満天の星たちに、お早う--おはよう----と叫んでみなよ-----。汚泥にまみれたあんたの心根が、だんだんと水晶のように光輝いて来ることだろうよ・・・・。そう!、このワシは今日も、地獄と極楽を行ったり来たりして、楽しんでいる---。
January 5, 2007
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我が家は、7歳のゴ-ルデンのモモチヤンが話題の中心になる事が多い。先だって、押し詰まった大晦日の日に、車で30分程かかる日当山温泉に連れて行ってゴシゴシと3回も丁寧に洗ってやったよ・・。芳しいシヤンプ-の香りを漂わせて、全く貴婦人に変身したね---!!!。吾が子ながら、見た目も良くて、ワシもついつい、ルン!ルン!!気分になったよ。まだまだ、モモも捨てたもんじゃ-無いよね---と・・・。目尻の下がったワシは、"こんなに綺麗になるんだったら、これからも真面目に風呂に入れてやろう"と自分に言い聞かせたよ・・・。夕方の風呂が気持ちよかったのか、当のモモチヤンもすこぶる上機嫌だった。その日の夜半に、モモ姫がいる車庫に行ってみると、ハウス(犬小屋)のなかから、ズ、ズ、ズ---と鼾が高らかに聞こえて来た。見るとモモチヤンが毛布をかぶって、熟睡していた。犬でも鼾をかくのかいな-!!!!とあきれたり、感心したりしたよ。今まで一緒にいた兄弟犬のピスや啓介たちは、鼾なぞ決してかかなかったからね・・・。今日の風呂が気持ち良かったからかな-!!。何だか、そのイビキを聞きながらこのワシも幸福な気分に浸った。良い夢をみなさい・・モモチャン-。明日も一緒にあそぼうね----。
January 4, 2007
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とうとう新しい年が来てしまった。零細企業を自営するワシなんかにとって、月が替わると言うことは全く当然のことでも有るが、支払いがまた発生すると言うこと・・・。懸命に資金繰りをして、やっと払ったナ-という繰り返しを毎月しているわけ。フ-テンの寅さんの映画に出てくる、印刷工場のタコ社長が現在のワシの姿だ----。まあ---い--か---!!・・・。成るように成るだけじやろう---・・・・!!! それはそうと、この齢になってもひたすら、探し物をしている--。 若い頃は、猛烈社員の仲間入りをしていて、与えられた仕事に夢中だったから、そのことを忘れていたが、還暦を迎える頃になってから、心の隅に置いていたその探し物が事有るごとに、気持ちの一部分を占めるようになって来た・・・。諺の中に『貧乏人の子沢山』とあるが、7人兄弟の3番目だったワシは学校が休みになる決まって、夏と冬は口減らしのために、3歳年上の兄とチンチン電車で1時間ほど揺られて、門司港駅に着き、そこからバスに乗り換えて目指す祖父母の家に、行ったものだった。祖母は昔の**藩主の娘とし生まれたと、ある時母に聞いたが当時の幼いワシは、やさしいお婆さんとは思えず、厳格で恐いイメ-ジしか持っていなかった・・・。何時も祖父母の家の近くに来ると、ドキドキして居て、兄の後ろに隠れて小さくなって付いて行ったものだった。 祖母の前に引き出され、正座して、かしこまって、然るべき挨拶が終わっても体全体を包んでいる緊張感は、暫くは取れなかったよ・・・。 この瞬間から数週間の間、ワシと三歳年上の兄は、此処で居候をする・・。しかしながら、この窮屈な生活の中にあっても幼いワシは、この居候生活の中に、密やかな喜びを見い出していた。それは、食事時に用意されるご飯茶碗の中に、たった一つだけ《緑色に彩色された》茶碗があった。遠くからそれを眺めては、あの中に盛られるご飯はどんなに美味しいものだろうかと子供心に思ったものだった。しかしながら残念な事に、この茶碗で飯を食べる機会は無かった・・・。 あれから数十年の歳月が流れて以来、このご飯茶碗のことはすっかりと忘れていたが、ある時突然、降って湧いた様に思い出した・・。今まで、心の何処かにひっそりと隠れていたもので、その時から今日現在まで、それらしき茶碗を、ひたすら追い求めている。幼い時分に味わったあの羨望にも似た思いを、今一度経験したいと思って近辺で陶器市などが催されれば、目を凝らして探しているが、なかなか、目指す宝物には遭えないで居る。あの時、共に苦労をした無口な兄は、35歳の若さでこの世を去った・・・。今日も不景気な顔をして、あの緑色をしたお茶碗を、探し回っている・・・。
January 1, 2007
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昨日はビックリしたな-・・・。何せ、年賀状をプリントしょうとしたら、プリンタ-が逆らって出来なかったもんね、。幸いにもメ-カ-の担当者さんと連絡が出来て、すべてのトラブルが解消したよ。この調子で行けば、ルンルン気分で年賀状つくりもバッチリ行くと思うけど、。。。まだ最後までやっていないので、結果は分からんけんどね・・・。そして、年賀状づくりの見通しが一応ついたから、車で30分位行った所に日当山温泉の家族風呂があるから、ファミリ-のモモチャンも連れて行って、綺麗にしてやろう・・・。モモチヤンは半年近く、暖かいフロに入っていない7歳のゴ-ルデンのお姫様なのだ--。ペット用の温泉スペ-スがあるので、遠慮なく綺麗に出来るよ。。。。 今晩は外も冷え込むから、家に上げて皆で暖かく過ごそうかな----。今年もあと一日で終わりか-----。商売もやっぱり開店休業だ-------。
December 30, 2006
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今は23時ちよっと前だ--。生来の筆不精がたたって、年賀状を12月29日の夜半に書く羽目に追い込まれた。《12月25日までに受け付けた年賀状は、元旦に配達しま-す》、とのコマ-シャルは知っていたが、何をいう言うとる!!・・・・年賀状は《元旦を迎えて、新しい年に心静かに書くものだわい》と、例年になく自分に言い聞かせて、世に背中を向けて粋がっていた。しかし、大晦日が段々近づいて来ると、粋がっていた気持ちは、所詮は多勢に無勢。あの悪友やそこらの知人等に、元旦の年賀状が届かないとぼやかれて、何だか村八分されそうに思えてきた・・・・。そこで渋々、パソコンを開いた。ところが、あらら・・・・・・昨年作った宛名の住所録が何処か消えて無くなっているぞ-----!!。22時間程かかって、ようやく印刷用の住所録を完成させた。いざ!! 印刷をしょうとしたら、何と!!!プリンタ-の故障で全く印刷が出来ないよ--。明日はプリンタ-のメ-カ-は休みに入っているだろ-な-・・・困ったナ- 。。。最悪、手書きの年賀状を書く羽目になるかも知れん。参った---、参ったな--誰か、誰か、・・・助けてくれ-。。。
December 29, 2006
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脱サラして有機農業を経営している隣町のKさんから、『障子が破れているので張ってくれんじゃろうか--?』と電話が入ったのは10日程前の事じやった。。。---その日は天気も良くて、貧乏会社に入った久しぶりの注文に気を良くしたワシはオンボロクルマを《ブルルン-・ブルルン--・コネ・コネ・---リン!!》と飛ばして、鼻唄まじりに落ち葉が降り積もっている山道を、ヨイショ、ヨイショと登って行った。・・・・♪♪ブルン・・・ブルン・・ブルン♪♪・・・・Kさん宅へ着くと・・『ヤ-ヤ-どうも、、、どうも-、、』の挨拶もそこそこに家に入った。見ると-、何とまあ!!!。。あの罰当たりの『ニャンニャンネコ』があちらこちらの障子を盛大に引っかいて破りまくっておったゾ------。まるでSF映画のゴジラが暴れまくった後のようダッタ----。しかしマア--、罰当たりのニャンニャンコのお陰で仕事が貰えた訳だから、『ニャ--!!!』 と擦り寄ってきた《この功労暴れ・・極道ネコチヤン・・・》の頭を親愛の情を込めて擦ってやったよ--。。。ウヒ、ウヒ、ウヒ---!!。。・・・《頭擦られネコドン》に三顧の礼を尽くして表に出てみると、Kさんがネットで囲ったドブドフ゛広場の真ん中で、変な雨合羽を着ていて《ガ-ガ-ガ-》とそこ等中を逃げ回っているアイガモたちと、仲良く鬼ごっこをしている最中だった。しかし冷静に頭を冷やして見ると、ネットの中の人間とアイガモ達は実に追いつ、追われつの真剣勝負の真っ只中であった。Kさんの眦は二等辺三角形の頂点のように吊り上っていて、その両手には追い詰められたアイガモがバタバタと羽を振り回していて、(もうだめだ・・・、モウ-駄目ナノダ-)とギブアップしたりして捕まっていて、シ-トを張ったトラックの荷台の中に放り込まれて、強制執行されているのだ・・・。アイガモチャンたちは、梅雨前の初夏のある日に幼くして《アイガモ農法のヒ-ロ-》として、田んぼに放たれて雑草を食し、健全なる人畜無害なる有機農業を支えてくれた。68羽はみんな、可憐な目をしてカラフルな衣装を纏った紳士淑女に成長して行った。稲穂が実るまで、田んぼで元気に喧嘩等して遊びまわり、稲穂の脱穀の終わる頃は鴨肉として食される行く、小さな可憐な命たちをこの眼で見たんだよ--。同じ時代に生きながら、あと何時間かで命が尽きる68羽の136個の澄んだ眼差しが暗いトラックシ-トの中に息を潜めて、やがてやって来る運命の炎を互いに息を殺してじっと見詰め合って居たんだよ-。アイガモたちの居た広場の横は薩摩どりのコロニ-が在って、最初の一羽から最後の一羽が収容されいった狂演の舞台を、他人事のように斜めに見ていたね。『早く逝くもの・、留まるもの・・』--人間であるこのワシと、ニワトリとアイガモの違いは、何なのダ"!!春先にアイガモとして生を受け、晩秋には使命を果たして食用として潰されて行く。。人とは比べようも無いこの短い命たちの営みは、本当にどの位の楽しみを知ったんだろうかね--。。あの澄んだそれぞれの眼差しが今も頭を過ぎっているよ。。。。苦しまずに逝ったかな-・・・・・・・。ワシもそうだが、人間とは本当に罪深い生き物であるナ---。。。。。
December 13, 2006
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筑後、柳川藩の武士だった家系に育ったお袋の生い立ちは、豊かなものでは無かったと聞いている。物心ついた出来事では、父親が一晩で入れ墨をしたり、その父親が土地では、ひとかどの力を持っていたり、幼い頃は腰に刀を差して居たりしていたらしい。お袋の幼年時代には、父親と連れ立って近くの川で遊んだ事や、小さかったお袋をザンブと水に投げ込んだりして貰ったと、後年お袋が当時の思い出を、懐かしそうに聞かせてくれたものだった。その父親も若くして亡くなり、長男であった先祖伝来の家、屋敷も次男に騙し取られたと聞いている。所帯を持ったお袋のお腹から、7男2女の子供が産まれている。長女を筆頭に、今存命しているのは4人だけだ。長男、次男、三男、五男、六男と男兄弟5人が亡くなっている。三男は35歳の時、五男は57歳でこの世を去った。今、思い出すのは6男が亡くなった頃の事だ。六男の弟は長患いの末、6才でこの世を去ったのだが、息を引き取ったのは明け方未明の事で、誰も気づかなかった。当時、お袋が夢心地で弟が「南無阿弥陀仏」と唱えているのをかすかに聞いたと、涙ながらに初七日を過ぎてを語っていた。その頃は何時も仏壇のまえに座って、泣きながらご詠歌を歌っているのを聞いていた。近所に亡くなった弟に良く似た子供が居ると、家に連れてきてお袋に見せて、傷ついたお袋の心を慰めようと考えたものだった。そして今は、私もあのやさしいお袋が死んだ年恰好に近づいている。色々と人生の厳しさも体験したが、人間の大きさから考えれば、まだまだ、叶わないのが正直なところだ。時々、お袋が涙混じりに歌っていたあのご詠歌が折からの風に乗って私の耳に聞こえる、そのよう錯覚を覚える事が有る。そんな時は静かに、そっとまわりを見渡して合掌するのだ。、----- Original Message ----- From: >To: ??????@po5.synapse.ne.jp>Sent: Wednesday, November 22, 2006 10:25 AMSubject: 22日の日記
November 22, 2006
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