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伊賀市上野中町の中町公民館と中町桜車蔵の間に、万吉稲荷神社があります。(まんきちいなりじんじゃ)万吉の語源は万吉というキツネの民話からだと思われますがキツネは米の害獣ネズミ、もぐら食べ雀を追い払うため稲荷(稲をになう)農耕の神様、 稲荷神社の使いとして祀られています。 その神社の左側に御百度石碑があります、石碑の側面に由来が刻まれていますその漢文は 右側當稲荷神社舊為木村長門守大阪 読みは、当稲荷神社旧なす(前には)木村長門守(奇しくも大坂の陣の対戦相手)川崎邸之鎮守大阪役後同邸為旧大坂川崎邸に鎮守されていたため大坂の陣の後藩主藤堂高虎公之有而復為同家藩主藤堂高虎公が、うじふくい(もどすため、廃社されていたかと思われます。)同家に之鎮守爾来為大阪民衆之所尊栄鎮守、爾来じらい(いらい)大坂民衆の崇栄神威輝干同都明治三年冬同邸為神威輝なすところ明治三年冬同邸に 左側官有置造幣局時因神託遷座于此造幣局を置き官有となる時神託によりこの地(上野地区)に遷座地遠近人民尊崇年盛矣同四十三近遠人民の尊崇盛んなり年三月十六日依内務省令合祀菅明治四十三年内務省令(一村一社令)で原相殿愛刻此記傅干後世菅原神社に合祀、後世に伝えるためこれに記し刻む藪内竹堂謹書 と刻まれています。菅原神社に合祀したところで由来が終わっているの で戦後上野中町のこの地に戻される前 、明治四十三年 (1910年) 一村一社令 が出された間に刻まれたものでしょう。 この一村一社令では全国二十万社が七万社になった、三重県では9割減になったそうです。 造幣局の桜は江戸時代藤堂藩伊賀上野寺町の服部庄左衛門という人が桜を植えたのが基になっているようです。
2017年11月16日
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