伊賀へいらっしゃい

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2015年03月22日
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田中善助翁顕彰碑 裏面 月ヶ瀬長引 要旨「 田中善助翁は 明治の上野市(現伊賀市)の実業家。
明治になり月ヶ瀬梅渓の衰退するを憂え私財を投じその保護対策に奔走された。
明治24年月ヶ瀬保勝会を設立、国名勝指定第一号の端緒を開かれた。保勝会創設100周年に当
たり翁の功績を顕彰のため当碑を建立する。」
と刻まれていました。


月ヶ瀬梅林は1922年3月8日 史蹟名勝天然紀念物保存法により金沢の兼六園・奈良公園ととも
に日本政府が初めて指定した名勝の一つですがその背景には元上野町長の田中善助という保勝
の祖がいたのです。


田中善助でした。

『三重県史』資料編によれば
「風致区・名所区(社寺古蹟古墳墓)ヲ立ル事、土木大事業ハ風致区内ニ起工スヘカラサ
ル事、風致区外ト雖トモ有名ノ樹石ハ切ル事ヲ禁スル事、風景ヲ損シ遂ニ国体ノ害トナル
可キモノハ漸次取払、若クハ改良ヲ為サシム可キ事」
などと、具体的でした。
法律は通りませんでしたが当時の三重県知事は
「意見は非常に好い。……請願書のとおりには法律としては出ないが、そのうち何か形が
変わって出るだろう」と言ったといいます。そして、やがて有名な樹石や名所旧跡の保護、
古社寺保存という問題が出てきました。さらに、「私の一片の文書によって天下の世論を
動かしたとはいいませぬが、……いたるところに保勝会というものができ」たと田中善助




参考文献『月ヶ瀬村史』によると
「上野町長を務めたことのある上野の事業家、田中善助は隣村の梅林を守るために
「月瀬保勝会」を発足させた。しかし村民の意識の低さからか、梅林の伐採はおさまらず、
月瀬保勝会の事業は頓挫した」
とあります。


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寒冷地なのでまだ梅の花が残っています。満開を少し過ぎたところでしょうか。
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Last updated  2015年03月22日 16時34分05秒コメント(0) | コメントを書く


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