伊賀へいらっしゃい

伊賀へいらっしゃい

2015年08月29日
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藤堂高虎は、1608年に、家康から伊賀、伊勢の地を任されます、
当時、大阪には秀吉の子、秀頼がいます、そこで城、石垣づくり戦略に、
長けた高虎を伊賀の地に送り込んだのは豊臣への威嚇だったのです。

高虎は、まず大阪の陣に備えて城、石垣づくりをします。

これが今遺っている外堀の石垣、
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この石垣から真っ直ぐ南に500mほど外堀があって上野天満宮の手前で
東に曲がって800mほど伸び、また北に曲がっています。


現在、遺っている唯一の外堀の跡池(割烹旅館、京家)
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寺町通り、高虎はここに寺院を集め、要塞化を図ったといわれています。
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江戸時代の古地図、上部の黒い所が堀、今も城側の内堀は残っています。
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外堀の内側を丸之内とよび今も町名が残っています。
堀で分けられた外側を商人の町とし、東西に本町通り、二の町通り、三の町通り
南北に、中の立町、東の立町、西の立町とし、ここ以外での商売を禁じました。

その外側に武士の町をつくり町の呼び名を忍町(しのびちょう)、魚町(うおまち)などとし、
ちょうは武士、まちは、商人の町と呼び名で区別していたようです。






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Last updated  2015年09月01日 20時27分56秒
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