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2020年04月26日
芭蕉の解明されていない事柄5 桃印編
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芭蕉の甥に桃印という人がいました。
誰の子供なのか判然としないですが芭蕉の姉の子供 というのが有力で、その姉が婚家から離縁され
たか、夫と死別したかして松尾家に出戻ったときに同道してきたのが桃印であるとする説がある。
桃印5、6歳の頃で、芭蕉は22、3歳。何故か若い芭蕉が彼を養育することになったようです。
これは、兄の半左衛門家が貧しく、桃印を扶養する経済力が無かったためかもしれない。
その後、芭蕉が江戸に出て、生活のめどがつくのを待って 延宝4年(1676)ごろに江戸に連れて行った。
ただし、延宝8年頃の深川隠棲以後桃印が何処に住み、何を生業にしていたかは全く不明で謎である。
芭蕉の桃印に対する愛情は並々ではなく、33歳という若さでの桃印の死に落胆した芭蕉は自らの
生への執着をも喪失した風がある。許六宛書簡にその時の心情が吐露されている。また、桃印重態の
元禄五年(1692)第三次芭蕉庵の生活は充実していたが、桃印の肺結核が進行し兄への手紙に心配させ
ても仕方がないので久居の母親には逐一報告はしない。
とあり、桃印の母親は久居に居たことになり芭蕉が責任をおっていたことになります。
明けて六年、桃印の病状はいっこうに改善せず、芭蕉は自庵に引き取り、自ら看病しました。
しかし同年三月桃印は亡くなりました。
この看病で結核菌がうつり翌年芭蕉が亡くなったのは結核菌が原因の潰瘍性大腸炎だという説が
現在定説になっています。
桃印が江戸に下ってから一度も伊賀に帰った記録がないことは最も理解出来ないことです、久居にい
る姉の子ならば藤堂藩法の五年帰国法に触れるのですが藤堂新七郎家が便宜を図り見逃していたので
はないでしょうか、とすると新七郎家に関わる子だった可能性があります、芭蕉のただならぬ献身的
な看病ぶり桃印死亡後の落胆ぶりは単なる甥に対してのものなのかも理解しがたいことです。
桃印が芭蕉の愛人の寿貞と駆け落ちしたという説がありますがこれは後の人が面白おかしくした話で
若くして死亡し記録が余りないので出来た話だと思います。
その寿貞の話は次回。
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Last updated 2020年04月27日 13時58分08秒
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