伊賀へいらっしゃい

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2022年10月11日
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伊賀市下柘植の日置神社

日置神社ひおきじんじゃ 下柘植日置神社については「三国地誌」に「按慶長年中(1596年から1615年)愛田ヨリ
勧請ス」とあり『伊水温故』の下柘植村の条に「三所大明神」(さんしょ)氏社とある。 言い伝えには平宗清の
長男日置太郎家清が父の後を継いで下柘植村に住んでいた時この神社(日置神社)を創建した。 平宗清の息子
三兄弟、福地、北村、日置を名乗ると伝えられる。各々上柘植、中柘植、下柘植に館を構えた。 平宗清 
生没年不詳(1135~1200) 「満済淮后日記」正長二年(1429) 二月十六日条に「伊勢国人ツケ三方ヘキ・北ムラ•
福チ也。」とあり、日置氏・北村氏・福地氏ともに柘植三方(さんぽ)と名がある。  日置氏は江戸時代までは
ヘキと発音していたようです。 平宗清の長男日置太郎家清が父の後を継いで下柘植村に住んでいた時、
日置神社を創建 (日置神社由来)






下柘植 日置神社祭殿 奥が本殿

「三国地誌」に「按慶長年中(1596年から1615年)愛田ヨリ 勧請ス」とありますので江戸時代までの日置神社の
由来は全て愛田地区の日置神社の由来と思われるます。
それで解り難くくなってしまいました。




伊賀市愛田の愛田日置八幡神社跡

元愛田日置神社については「伊水温故」に「信濃国諏訪郡健御名方命勧請」とあり「三国地誌」には「按神明、
天王、諏訪の三座を祀る。弥平兵衛宗清(平宗清だから1190頃)造建す。」とある。言い伝えによると平宗清は
後年愛田に住んでいた。
天正九年(1581)織田氏の兵火にかかり全焼(天正伊賀の乱)しかしその後住民が協力して再建 、これも愛田地区
のことか。
つまり江戸時代は日置神社が下柘植と愛田に二柱在ったようです。
明治41年に下柘植の日置神社に合祀されるまで神社が愛田日置八幡神社と下柘植日置神社が在ったのでしょう。







日置神社八幡社跡の石碑

愛田日置八幡神社跡は愛田地区外れの高所にあります。




愛田日置八幡神社跡から愛田地区を望む

この地に建造したのが理解出来る眺望です。





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Last updated  2022年10月11日 12時03分55秒
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