椿荘日記

椿荘日記

実家の父母に思うこと




今朝は、明け方より、強い雨が断続的に、降り注いでいます。
本当でしたら実家の母を、何時ものお買い物に連れて行く予定だったのですが、この雨ではびしょ濡れになってしまいますし(マリは、猫同様、雨に濡れるのは大の苦手ですので)、足元も覚束ないようでは、母の大怪我の元になってしまいますので、取り止めとなりました。

母は、父がパーキンソンを患って以来、すっかり食欲を無くし、今では可哀相な位痩せ細ってしまいました。元気が無い訳ではないのですけれど、もともと小柄な人が、すっかり小さくなってしまい、今年の春に、両親と実姉の家族と共に箱根に湯治に行った際、母と入浴した姉が、殆ど骨と皮になってしまった母の姿を見て、仰天していました。
介護疲れがあるのでしょうけれど、やはり心労というのか、精神的なストレスが原因のようです。
体に「緩衝材」が無くなってしまった所為で、事実、軽く胸部を打ち付けただけで骨折してしまい、今年の夏前までコルセットで固められて、大分難儀をしていました。
あれ程嫌がっていた、家の中に他人を入れるということも、この余儀無い状況に納得して、今では父の介護の方と、家事をお手伝いしてくれる方をお願いして、結果的には身体的には大分楽になった様です。
今回の「夕鶴」公演も、病身の父と共に、遠方よりタクシーで駆けつけてくれまして、娘の「晴れ舞台(?!)」を、楽しんでいってくれました。

最近の母の楽しみといえば、二頭のトイプードルの世話と、花作りでしょうか。
大好きだった読書も、目が疲れるということで、余り長時間は難しいですし、夏から秋に掛けては、私が演劇と衣装制作にかまけてばかりいましたので、好きなお買い物も、外食も侭ならず、随分寂しい思いもさせてしまいまして、これからは暫く、母の相手でもしてあげようかと、遅ればせながらの親孝行を考えています。
それにしても、きっと本人が一番感じていることでしょうけれど、年齢を重ねるにつれ、体力的な事柄を中心に、自由にならないことが多くなるということは、何と悲しいことでしょうか。

記憶力は兎も角、知力、人格、威厳も深まり人間としては成熟して、益々魅力を増しているというのに、その身体的な行動が制限されるが故、閉ざされた世界に置かれることも在り得るとは、本当に辛いことです。
老境は、誰にでも、必ずやって来ることですけれど、どのように迎えるかを、今から考えるのは決して早くないことでしょうね。
経済的な背景も勿論必要なのでしょうけれど、何よりも、その人間性と生き方を支えるために、何を心に抱いて「その時」を迎えるのかが、その人生を最後まで肯定し得る、よすがとなるのではと思います。

幸い、夫の父母は二人とも元気で、夫婦仲も良く、何事によらず意欲的に暮らしていてくれますので、マリや夫の励みでもありますし、目標でもあります。
マリの母は、「パパが発病さえしなければ・・」としきりにこぼすのですけれど、以前は仕事熱心で、バリトンの美しい声で朗々と歌い、美術や音楽を愛し、歴史や科学に関しての議論を好んだ、マリの自慢の父が、言葉も余り発しなくなり、好きだった本も読まず、愛用の椅子に腰掛け、唯、テレビの映像を目で追っている姿を見ますと、マリも、正直に申しますとても悲しくなります。
けれど、話しかけると、少ない言葉で答える父の、瞳にはまだ強い光が残っていて、その体の中には、確実に、あの父がいるのです。
今のマリには、娘として、父母を励まし、支えることしか出来ませんけれど、父に対する、尊敬と、理解と、敬愛の心だけは、決して見失うまいと思うのです。

*2002年11月12日(火)記




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